GYPSY QUEEN ROAD TO ASIA #12
I Believe
2005/12/27-12/31 


1きっかけ

2005/12/27
5:30am.まだ夜の続くころ。自宅を出発する。今回のフライトは朝一の便。過去の経験から遅れてはいけないと安全策をとったMasaoが早朝にもかかわらず迎えにきてくれる。ここ数日続いている寒波は日本海側を覆っている。太平洋側に寒波がきたら今日の出足も不安だ。もうしばらくもってほしいと思った朝。願いは通じて雪の降るほどの寒さでもない。だが、十二分に寒い朝だ。途中湾岸を走ると夜が白み始めてきた。ディズニーランドの向こうに朝焼けが広がる。余裕を持って出発した僕らは予定通り、いつも駐車するパーキングに到着。最近のパーキングはサービスがよくて車が到着すると荷物をすべておろしてくれる。自分たち暖かい待合室で待てばよい。「荷物をのせました」そういわれて僕らは空港に向かうバスに乗り換える。時間はちょうど7:00am。あっというまに空港に到着7:15am。まあ、予定の範囲内だ。さすがに早朝ということもあり思ったより混んでいない。なんといってもいわゆる年末だ。大混雑を期待していたわけだが?ちょっと安心。荷物の多い僕らは何かと搭乗に時間がかかるのだ。Macha,Junがちょっと遅れて7:40到着。チェックインに向かう。毎回慣れてきたせいかものすごく荷物が少ない。機材がかなりあるため重量オーバーが不安だがこれも無事クリア。少しだけオーバーした分をCAさんにおまけしてもらって搭乗ゲートへ。

8:55 一同CA422便に搭乗する。する予定だった。税関に向かう途中Masaoが「あれ?バナーは?」という。「ん?」ツアーの一番大事なバンドのバナーを車に忘れてしまったらしい。確かに、パーキングで積みおろしをまかせてしまったので確認をしていなかった。自分たちで確認しない罰は早速訪れた。そう、ぼくらは中国に行く、自分たちの責任ですべてが決まるこの国に再び戻るのだ。メンバー全員が乗り込み、残るMasaoを待つ。乗り遅れたら、なんてことは誰も思わない。まあ、思っても仕方がないことは思わないのがGYPSY QUEEN。フライト時間になりようやくバスで搭乗機に到着。「いや、ほかにも遅い人がいたんでまたされちゃったよ」なんていっている。そうして、無事僕ら一行6名は飛び立った。この飛行ルートは日本国内の内陸を通る。途中富士山がとてもきれいだった。しばらくすると中央アルプス、そして長野の平野が広がる。雪化粧された日本の風景はひときわ美しくこのすばらしい国に住んでいることも嬉しく思える。外国を見たくなるときは国内の美しさも感じられる。これは実感だ。

とりあえず乾杯!実は僕は約二ヶ月ぶりのビール。ビールって苦い?いや、そんなこといっていたら、今日からの5日間はのりきれない。リハビリを兼ねてビールを一本。もちろん燕京ビールだ。今回のフライトは北京まで4時間。風の影響もあるがなんだか長い気がする。機体の眼下には朝鮮半島があらわれた。韓国領空を通過して中国に向かうのだ。今日の行程は長い。北京に一度入国し、乗り継いで重慶に向かう。いつも使う成都ルートは今回は避けた。成都から重慶の約400kmの高速道路。過去何回か物語を残すこのバスの旅だけは全員一致で避けることにして直接重慶にいくことにした。

今回の旅は何度目の旅であろう。月日の流れの中でこのGYPSYQUEENという「アジアをめざす」というテーマで数年。よく続いているものである。未だにアジアのマーケットははっきりとみえない。ビジネス論からいえば程遠い環境。それでも、そのアジアに向かうのはなぜだろう。答えは個々の気持ちの中にある。それはすべてが一致していないかもしれない。でも全員の共通事項ははっきりわかる。「待ってくれている人がいる」からだ。2005年。巷では反日の一年であったとアジアを総称する人もいる。でも、3度の渡航の中でこれは違うと言い切れる。少なくても僕らが肌で感じたアジアは決してメディアで報道されるようなものではない。国は個の集合体で、個を語らず国をかたるのは暴論だ。どこの国にもいろいろな考えを持つ人がいる。日本の中にもいろいろな考え方があるしつい身近な自分の周りにもさまざまな議論が日々生まれる。人はものを考えられる種でそれが人類の発展を生んだ。距離が離れた人の言葉が奇異に思えることはむしろ当然であろう。だから、ぼくらはその言葉をなるべくそばで聞けるように、できるなら耳元で聞けるようにこうして音楽を通じて会話する。今回もたくさんの会話ができるだろう。そして、そんなことを考えている僕らを支援してくれる人のためにも何かをつかんでかえりたい。2005年の最後の最後に重慶の学生は僕らの公演を用意してくれた。それにこたえることが今後のこの二つの隣国の中のほんの小さな核のひとつひとつをうごかすことができればと思っている。

機体は降下し始めた。もう中国領空だ。半年振りの北京首都国際空港。朝の大地は薄茶色に輝いている。時折黄砂の影響でその大地も見え隠れ。北京時間12:05。首都国際空港に着陸。機内の暑さにくらべて肌寒い。強風と黄砂の北京が僕らを迎えてくれる。今回は乗り継ぎのために一回出国しなければいけない。機体を降りてバッグを回収して乗り継ぎゲートに向かう。とにかくひろいこの空港だけに移動だけで時間がかかってしまう。機材を無事に預け直して再び待合ロビーへ。いつもとくらべてなんとなくスムーズに進行しているのがわかる。そして、北京在住の人たちへ電話攻撃。30日に北京で過ごすための連絡を始める。現場主義とはまさにこれ。このすばやさ。大事だ。


昼間の天気の良さもあってか幸先のよいスタートだ。ぼくらは国内線のCA1409便に乗り込む。最新の機体はものすごく「新車」のにおいがするB737−700。翼の先がぴょこんと立っている機体だ。この便も満員。荷物はまったく入らない。結局一式を預けてそして14:35。北京をとびたつ。
ものすごく急峻な山岳地帯を下に機体は重慶に向けすべりだす。

ここで今回の旅のいきさつを話そう。今回は本当に急に決まった公演だった。重慶の公演は04年の5月。あのアジアカップの開催を記念した公演を行って以来である。じつはその後の7月に僕らはアジアカップの会場であるオリンピックスタジアムでの公演が決まっていた。開会式のあとに数曲演奏するという話が決まっていたのである。だから、重慶では文化部や体育局など様々な要人と会い、またもう時効だから言ってもいいと思うが某局でのこのアジアカップの開会式の模様の放送と現地からの生出演まで決まっていたのだった。しかし、結果は皆さんご存知のようにあまり好ましくない大会となってしまった。

ここでなにが悪いとかそういうことではないのだが一つの事実としてぼくらの公演は中止された。それまで、順風満帆なGYPSYQUEENの中国での活動もここでブレーキがかかる。現地との友好関係はなんら変わらない。しかし、世の中はそうとは見ていなかったのだ。冷えて行く日中関係と「そうではない」と語る僕ら。身内プラスアルファには理解されてもそれ以上にはならなかった。そして、何とか打開できたかと思った今年の五月。僕らの訪中に合わせておきたかのような反日デモによって中国各都市で行う予定だったコンサートがことごとく消えた。それでも、ぼくらは北京で何かを見つけようと向かった。もがいていた。でも、結果として今思えばこの五月の「もがき」がよかった。新しい人とのつながり、最大の逆境の中でおこなったライブ。それがなんとなくだが今のGYPSYの実となり骨となった。

話をもどそう。今回、国慶節のころから、重慶でのコンサートを、という話があがっていた。ちょうどBEYONDの重慶公演もあり、それにあわせてとか、国慶節で再びなどという話が多く出てきた。結果的には12月のクリスマスに、ということで企画は動いていった。しかし、結果としてまとまらなくて、「まあ、今年はいろいろあったので」みたいななんともGYPSYらしくない理由で延期が決まったのである。しかし、重慶の友人からメールがすべてを変えた。もう一度GYPSYQUEENのコンサートを見たい。今年中に見たい。そういわれてしまったぼくらは何の迷いもせずに重慶に向かい始めた。ぎりぎりに決まった分、周りの協力もたやすくは得ることができないことは日本の社会の中に生きるぼくらはよくわかっている。不利な状況であっても、もう少し時間をおいたら、という言葉があってもぼくらは行く気でいた。そこに待ってくれる人がいるなら。




そうして、今に至った。実際に明日の公演についてまだ不確定要素が多い、リハーサルの時間、音響の環境。でも、行ってしまえばなんとかなる。まずければそこで交渉をすればいい。12回のツアーがみんなを麻痺させたのか、余裕が出てきたのか、余計なことを余計に気にしないメンバーとのリハーサルだけが順調に進んで今日を迎えた。というのが今日までのながれ。

だんだん日が傾いてくる。窓の外の連なる山々を見下ろす。どこまでも続く山脈。この山って昔は歩いて越えていたんだよね。日本の地形とはことなるこの気の遠くなるほどどこまでも続く山を見下ろす。谷あいに蛇行する川はまるで蛇のうねりのように遠く視界の先まで続いていく。うーん、ものすごい。なんとも表現しにくいが三国志の時代にはここに群雄たちが争いの場を求めてかけていたところなのだ。1800年も前のことだ。満員の機内が恐ろしいほど静かなこの時間。はるか昔を思い浮かべるのも楽しい。16:45着陸予定だが17:00過ぎても降りない。深い霧の中、ようやく町並みが見えてきた。17:06。タッチダウン。一年半ぶりに戻ってきた。僕らの中国でのホームタウン、重慶へ!

重慶の空港は新しい空港に変わっていた。今までの空港は国際線のみのものとなり、この新しい空港が国内線の入り口なのだ。きれいで大きなほうが国内線専用というのも不思議だが、まあ、国内がすべて飛行機によって結ばれている中国だから不思議ではないだろう。ガラス張りの大きな空港を後にして、市内に向かう。ちょっと見ただけで明らかにこの一年半の違いがわかった。空港からの道の途中には新しいマンションが立ち並び、道は整然としている。「ここ、前はトンネルだったよね?」きいてみると、以前あった山を切り崩し道と住宅に整備したという。でも、そんな大プロジェクト、たった一年半前は山だったのに。この中国のパワーとスピードには改めて驚かされる。

今回は、会場が市の中心部から遠いため宿舎も会場近くに取った。おおよそ大学が多く集まる街で近くには重慶大学がある。以前は師範大学であった場所も最近重慶大学と合流したらしく、一緒の学校になっていた。学校の合弁ってあるの?とちょっと不思議な気分。そんな学校外の中、反対車線の車とぶつかりそうになりながら18:00。バスはホテルに到着。「麗苑大酒店」。4つ星のきれいなホテルだ。ホテルには陳君が待っていてくれた。今回のきっかけにもなった彼と再会。さっそく夕食に出かける。


日本を早朝に出たせいか到着も早く一日が有効に使えてよい。早速食べに行ったのはもちろん四川料理。基本的に辛いのは当たり前で、大体メンバーは「火なべ、火なべ」とうるさい。たいていの日本人が興味本位で食べて、その辛さに騒いでしまうものを僕らGYPSYQUEENは普通に食する。カラフルなネオンに彩られた街中のレストランで久々の川菜にありつく。四川料理の良いところは辛いものは辛い。甘いものはメッチャ甘い。だ。デザートはみなおそろしく甘くこれまた辛いものとよく合う。

同じ会場に明日のコンサート会場の学校の先生達が食事をしていた。これ幸いと挨拶に行く。きっとこうして事前にあったりする事がとても重要になってきたりするのだろう。

明日のコンサートは四川外語学院で行われる。この学校はいわゆる外語大で、いろいろな国の言語を教えているところだ。その中で日本語科の先生が中心となって今回の招聘をしてくれた。その先生も偶然その場にいて挨拶をする。中国語でとおもったが、相手がものすごく流暢な日本語を話すので、ちょっと肩透かし。話す言葉、中身ともに完璧な日本語である。今年はいろいろ中国全体では反日の事件もあったが、重慶ではそんなことはない。特に学生の間では影響はないということを言ってくれた。ぼくもそう思う。政治と文化は別だ。人民はみなこれから自分達の暮らしをどう向上させていくかということに注目している。その個人のパワーの集合体が今の中国だ。政治がどうのこうのということは実は誰も気にしていない。気にしているのは政治家と一部の活動家。それは日本でも同じことなのである。楽しいこと、交流することを求めていない中国人はいない。それを早速実感した夜だった。明日の打ち合わせも行い、旅の疲れを癒す足裏マッサージ(2時間50元!)を堪能してホテルへ。明日の構成やスケジュールを確認して2時終了。長い一日だったがなんのトラブルもなく幸先の良いスタートを切れた。明日のステージが楽しみだ。