GYPSY QUEEN ROAD TO ASIA #12
I Believe
2005/12/27-12/31 


4北京下雪


2005/12/30
07:00起床。今日も霧の中。かなり眠く、空気が悪いせいかのどが痛い。風邪かと思ったがメンバーみな痛いというのできっとそのせいだと思った。9:00ホテルを出発して空港へ。見送りに栗山さんと渡邊さんが来てくれた。こうして出会い感謝できる人がまた一人増えた。空港までは近く、9:50に到着。スムーズにチェックインを行いロビーで待つこと数十分。11:10 CA1420便にて北京へ向かう。


この便はほぼ満席でかなりきつかった。飛行中にこのレポートを書いている。途中に出た機内食はとてもおいしかったがJunは不満そうだった。「これなんですか?」「うん?チキンでしょ」とおいしく食べたものがあとあとJunを苦しめることになった。14:30北京首都空港に到着。ゲートを出るとものすごく寒い。マイナス6度の表示が更に寒さを感じさせる。空港から市内へはエアポートバスを使うことになる。これだとしないまで16元でいくのだ。行き先を確認して乗車。



今回は初めて宿泊する楓園賓館に宿泊。地図など持たない僕らはカンで行くしかない。Rute4のバスに乗り込む。北京市内までの道はものすごく寒さを感じさせるさびしい道。立ち並ぶ木々は寒さに震えている。市内を西に回りこんで走っていくつか目の停車で運転手や他の乗客が「ここだ」という。きっとみんな僕らの行き先を聞いていたのだろう。とっても親切だ。親切すぎるくらい。だれも笑顔や愛想笑いはない。だけれど心配してくれているのがこの中国人の温かさであると思う。

しかし、ちょっと降りるには早い。建国門の傍なのにここはどう考えてもまだ途中だ。でも、僕らのホテルのすぐそばにあるデパートと同じ名前のホテルがそこにあった。差は「酒店」と「商店」。日本にもあるような紛らわしい名前。それでまちがってしまったのは僕の責任であろう。申し訳ない。。。
とりあえず市内には入っているのであとはタクシーで向かうことになる。でも、ここが大変だった。寒風の中大荷物の一行。


タクシーを止めるも2台に収まらず3台に分乗。そして、そこから30分後。僕らはそれぞれホテルに到着した。久しぶりの北京は寒さと共に手厳しい歓迎をしてくれた。ホテルに到着してチェックイン。昨日のホテルとは異なるホテル。なんとエレベータが壊れている。。5階の部屋もこのときには最悪。体調の悪さも手伝ってトーンダウン気味だ。今日は中国対外演出公司とのミーティングがメインだ。待ち合わせは18時。それまで街に出てみるがとにかく一つ一つの建物が大きい北京。移動するにも本当に遠い。寒さに加えてこの広さにげんなりしつつホテルに戻るとタンさんが待っていた。



彼とは04年の5月以来。それでもGYPSY QUEENのことを気に入ってくれていていつもメールにてやり取りをしていた。久しぶりに会った彼は非常に優秀な表情をしていて漫画にでてくるできすぎ君のような風貌。一緒に四川料理を食べに出かけた。


彼とは来年の公演についていろいろ話をした。「今の中国の状況はどうなるかわからない。もし、今年のような反日デモがおきたならば日本人の参加は不可能だ。しかし、そうでなければ可能性はある」ストレートな言葉だ。


中国では民間と政府は別なものである。政府だからこそ全てを超越して行使できることも、ことこのような事件が一度おきるとその余波は激しい。その大元であるタンさんは冷静にきちんとしたものの考え方を述べていた。ぼくらも十分に理解していたので話はスムーズに進み宴席は盛り上がる。しかし、Junの調子が悪そうだった。聞いてみるとかなり限界の様子。とはいえタンさんの手前席を立つ事ができない。その場を何とかきり抜けて我慢をしている彼も立派だ。タンさんと再会を誓い分かれる。




ホテルに一度戻り、李君とZIYOのメンバーを待つ。ZIYOは北京で売り出し中のバンド。かなりパンクだが前回のツアーで知り合いなぜかその魅力にやられてしまった。今回はレコーディング中の合間に会うことになった。22:15待ち合わせの場所に行くがなかなかこない。とにかく寒くshinonのテンションも低い。ただでさえ北京ナマリの強いジャン君との電話での待ち合わせはかなり難しい。ようやく出会えたときには23:00。とりあえず良かった。。そして、久しぶりに会えた彼らはこの半年で大きく変わっていた。

五月に会ったときにはステージでタバコを吸い、ビールを瓶のまま飲んでいたボーカルのヘレンも大人になっていた。薄暗い店でビールをのみつつお互いの情報交換をする。途中から李君も合流し来年の話題で盛り上がる。不思議だ。


北京のこの店で僕らは未来について話し合っている。どんな先が待っているのだろうか、来年は何が一緒にできるだろうか?今できることは明日を見つめること。少なくても訪れるだろうチャンスを無駄にしないために、仕掛けられるものは全て仕掛けて帰ること。それがこの北京の滞在の理由である。


そんな、やるべき事は全て終えた。9人で飲んでも54元。店も閉店となり、彼らと別れる。もちろん分かれるときは「再見」だ。本当の意味で再び出会うことを約束して。厳寒の北京の夜。走るようにして僕らはホテルに戻る。

ホテルの部屋に戻り昨日のビデオを見る。なんだかかなり、昔の出来事のようだ。思い出深いシーンは一瞬のごとく通り過ぎてしまう。なぜだろう?でも、それはここちよい忘却。未来に続くための忘却なのだろうと思う。エアコンが効かないのか寒すぎるのか、いずれにしてもこの部屋は寒すぎる。震えるようにして就寝。そうだ、明日は大晦日だ。



2005/12/31
大晦日。5:00寒くて目が覚める。凍死寸前。エアコンが壊れていて風が出てこない。そりゃ寒いだろう。外を見れば雪。今日帰る事ができるのか?不安と寒さでなんだかさびしい一年のしめ日。そうして、眠ったり目が覚めたりを繰り返し、朝を迎える。ほかのメンバーは大丈夫だろうか?Shinonは寒さに弱いからきっと泣いているだろう。そんな予測もはずれ実は僕の部屋だけ寒かった事がわかった。でも、よかった。いずれにしろ雪となれば足は止まる。空港までの足の確保をしなければいけない。10時を過ぎても雪はやまない。街は真っ白に化粧されていてとても明るい。とりあえず荷物をロビーに下ろし預かってもらい行動を考える。

今日は北京TVの王さんに会う日だ。忙しい中、会いに来てくれる王さん。連絡が取れて一緒にランチを食べることになった。天気も少しづつ回復してきて11時を過ぎるとやんできた。ほっとする。11:45。かなり予定より遅れて王さん到着。久しぶりだ。王さんは僕らにお土産があるという。それはなんと!2002年の北京TVへの出演の時のVTRのマスターだった。どうやって探したのだろう。その年の大晦日。僕らは初めて中国の重要な番組に出演した。大晦日を飾る紅白のような番組に。しかし、今考えるとろくに中国語を話していない僕ら。さぞかし恥ずかしい映像であろう。その当時は入手できなかったマスターの映像を今こうして目の前にだされたのだからそれは感激である。

こんなマスターを入手できる王さんはやはり力がある人なのであろう。この気配りと力に尊敬。そして、京胡を持ってきてくれて演奏してくれた。この馬の尻尾でできた弓の奏でる音色はきわめて刺激的で美しい。とがった氷が一瞬のうちに解けていくように心に突き刺さり消えてゆく。この楽器は今までも知っていたがこうして北京でその音色を聞くとイメージも変わる。そんなミニステージをホテルのロビーで楽しむ。

さあ、食事だ。どこに行こう。やはり北京ならここだ「老北京炸醤面大王」北京の市民が楽しむ北京の味。ジャージャー麺のうまさは忘れられない。「この店知っていますか?」と聞いたら北京人の王さんも知らなかった。一緒に食事に向かう。食事の間にもいろいろと話ができた。北京でこれから僕らが何をする事ができるか。そんなヒントを沢山もらう。すでに老朋友。こんなすばらしい友人を得たことも中国に出会った一つの賜物だ。


13:15。王さんと別れて僕らは紅橋市場にて買い物。帰国までには余り時間がない14:10天安門経由で空港へ。今日の天安門はなぜか人が少なくきれいに見える。空港までちょっと渋滞があったがスムーズに行き、15:15空港着。これで北京ともお別れだ。駆け抜けたような一日だけの北京。でも十二分にその成果はあった。会わなければ始まらない中国。だからこうして来る事が大事なのだ。空港でのチェックインも無事に済み、搭乗ゲートへ。またもやMasaoがつかまり再度チェックインのしなおしになってしまう。

まあ、なんとかなるだろう。そうして帰りの便も最終の乗り込み客Masaoを乗せてフライトへ。CA421便。17:15に飛び立つ。さすがに大晦日のせいか人が少ない。久しぶりにゆっくりと座り名残の燕京ビールで乾杯。

今回は急な旅だった。ちょっとでも躊躇したらありえなかった旅だった。
でも、結果はどうだったか。十分にやるべきことをこなし、それなりの成果に結びついた。急な分だけいろいろな人に助けてもらうこともできた。でも、その反面迷惑をかけたこともある。それらは次回への課題となる。課題は静かに日々改善すればいい。今回の公演をもとに次のステップがまた見えてきたのではないか?そんな2006年に向けた05年の最後の公演であったと思う。

夜のフライトは何も見えない。きっともう中国大陸を出た頃だ。夕食をとり時計を日本時間に戻す。もう日本では21時。紅白も始まる頃だ。第二章第三幕は思いがけず早いタイミングで訪れそして終わった。中国に対してさまざまな思いを巡らせた今年の最後だからこそ意味があったといえるだろう。

夢は継続された。それが一番の収穫だ。21:30機体は下降し始め22:00ちょうど。成田空港に降りる。2005年12月31日22:00この時間をもってGYPSY QUEENの2005年の活動終了。明年見!

GYPSY QUEEN ROAD TO ASIA 2005
I Believe
2005/12