GYPSY QUEEN Road to Asia #16 Dear Friends
2007/09/20-2007/09/25
Vietnam Tour




また書くことになった。今年は長い間旅に出ることが無かった。
計画が無かったわけではなく、昨年のツアーからいろいろなことがおきていた。大規模なプロジェクト。自分たちの立ち位置をもう一度考えて望むアジアへの考え方。それもこれもすべては昨年のツアーの中から生まれたことだ。NEW WORLDと題した前回のツアーは僕らの内面のNEW WORLDを切り開いていた。

そして、今まで見えなかったバンドとしての意図が見え初めた。それをもう一度考え直して形を作るまで半年。たくさんの新しい課題がバンドとしての充実を生み出した。長かったかな?いや、それでも今はあっという間だ。


一年前のベトナム。すべてが初めてだった時は過ぎて結果を求められる旅が始まる。人口8500万人。経済成長率は8%台をキープし、シンガポールと並ぶ親日国家でもある。急成長期を迎えるこのアセアンの大国から簡単には歓声を聞くことができないかもしれない。そのためにやることは急ピッチで進めた。ベトナムでできた友人は本当に心の優しい人たちだった。また行くことを告げると「会おう」とメールで返ってくる。たくさんの逢いたい人たちのために作った歌を僕は持っていこうと思う。経験から来る想像で書いた歌をリアルに伝えたい。そんな思いがどんどんわいてくる。言葉を覚えて文化を研究して旅立ちの日のカウントダウンは最後のポイントを迎える。何ができて何を知ることができるのか?そんな旅を今始める。

2007/09/20
早朝6:00出発。ちょっと早い気もしたがこういうときはやたら慎重なmasaoの主張に沿って出発。首都高を抜け7:00酒々井SAに到着、うん、順調に進んでいる。ここで恒例の最後の日本食を堪能。あまり食べたくは無かったがゲンかつぎで食する。なんだかツアーにいく気分も高まる。そこから空港まではもうすぐ。7:45。集合時間をちょっとオーバーして到着。既にほかのメンバーはそろっていた。それにしても平日なのに空港内はものすごく混んでいた。

びっくりだ。みんなどこに行くんだろう。混雑もあってか急遽できたWゲートなんていう空港の一番はじでチェックイン。渋滞にはまって遅れていたmachaもここで合流。これで全員集合である。8:30チェックイン。機材は135kg。あと5kgというニアピン。楽器を持ってこの重量に抑えるのは本当に本当に大変なこと。みんなの主体的な協力に感謝である。無駄なお金は一切使わないのがGYPSY流の旅なのだ。

そして9:30。CI107便搭乗。9:50テイクオフ。先日の事故があってかなり関係各所に心配をかけたこの搭乗。でも、そんなことをいっていては旅はできないしね。でも、安全第一。機体チェックをする(ってぼくがみてわかるもんかね)。飛び立つとすぐに食事だった。今日はもう二度目の食事。ここでも恒例久しぶりのビールを飲む。日本では飲まない宣言をしているのだが、ここはもう海外だから解禁なんだよね。もちろん台湾ビールをオーダ。
さあ、今日から怒涛の6日間がんばろう!



若干ゆれながらも順調に進みあっという間に台湾が見えてきた。国内をずっと飛んできたせいかなんだか異国感があまりない。12:08(日本時間13:08)台北に降り立つ。今回は僕らはここでトランジット。空港内に入る。そこは中国語の世界だった。なぜか今まで台湾にはあまり縁がなく一度も公演を行ったことが無い。降り立つこと自体はじめてである。初上陸の感想といえば中国語が使えること。トランジットカウンターも中国語。これはらくだ。Shinonに「なんだかいきいきしているね」といわれる。といってもそんなに話せるものではない。それでもベトナム語よりも良く話せるし英語よりも抵抗感が無い。中国人気質が肌になうというのもあってか気分良く進むことができた。

座席を若干変更してもらいゲートに進む。13:06トランジットゲートに到着。スタッフが持っていたナイフを取り上げられたので(あたりまえ)それを取りに行ったりと結構慌しい。そうこうしているうちに搭乗時間となり13:55HCMCにむけてCI685便は飛び立った。飛び立つとすぐに海に出る。初めての景色は新鮮だ。遠くに市街地が見える。きっと近いうちにここにくることになるだろう。そんな気持ちが高まる。機内ではベトナム語の追い込みだ。最初は言葉だけで覚えようとしたがなかなか頭に入らない。なので、いまさらながら歌詞の意味を辞書で調べて歌を読んで見ることからはじめた。

もっと先にやっとけばとおもったが、この曲を選んだのがギリギリのタイミング。もう、超つめこみである。それでも不思議と意味がわかると歌も頭に入ってくる。不思議とベトナム語の方程式も見えてくる。まにあう?覚えるしかない。その結果はすぐに表れるはずだ。その経験値だけでがんばる自分がいる。しばらくゆれながら機体は東シナ海海上を進む。比較的低い高度を飛ぶ機体からは島が良く見えた。

上空から見ると山がありビーチがあり、そして町がある。島の大小は別としてみんな同じような構造になっているのがわかる。この群島はフィリピンなのか?まだまだ、知らないところがたくさんあるのだ。そして、今日3度目の食事。あまり食欲なし。なぜかシンハービールで乾杯。時間を見ると台北時間4:40分(日本時間5:40.ベトナム時間3:40、わかりにくくなってきたのでベトナム時間にしよう)およそあと40分でHCMCだ。

熱帯性の入道雲で地上の様子は見えない。前回きたときはいきなり現れたHCMCの平坦などこまでも照明の明かりが続く夜景にびっくりしたものだ。今回は夕方の到着。どんな表情を見せてくれるだろうか?機体が激しくゆれる。これだめなのよ。何も見えない真っ白な雲の中をどんどん高度を落としていく。いきなり雲が切れてHCMCが見えてきた。

山間部に広がる田畑。くねくねまがるかわ。龍が横たわっているような河の姿はここに活きる人たちの源である。街が近くなると今度はゴルフ場の多さが目に付く。なんだかきれいなんだかどうかわからない。それでも前回来たときの美しさは無い。あのなんと表現すればいいのだろうか。ネオンライトが星のように広がった街のじゅうたんはやはり夜の惑わし。すっぴんで見たHCMCは普通の都市であった。

16:20HCMCに到着。懐かしい。ん?でもなんだかきれいだ。新装している。確かものすごく雑多な感じの空港で「ベトナムにきました!」って感じのところであったはずだが。あとできいてみたらここ3ヶ月ほどでオープンしたようで隣には以前の空港があった。そこは国内線専用になるという。それにしてもこれらの空港は大体日本のODAで成り立っている。実際にデザインも非常に機能的で日本のそれに類似している。せっかくなんだからそれぞれの国の独自のデザインであればいいのにね。きょろきょろしながら進むと税関。抜けると坪田さんが待っていた。

約一年ぶりくらいの再会で本当に懐かしい気持ちだ。わざわざ出迎えに来ていただき感謝である。ドライバーのNgocさんも懐かしい。雑多な空港前のスペースで機材を積み込みいざ市内へ!僕だけNgocさんと二人で車へ。市内へのバイク祭りも懐かしい。スコールがあってもまったく気にしないベトナム人のパワー。きたぞきたぞ!気持ちが高まってくる。市の中心部を抜けドンコイ通りにでる。昨年の公演会場のオペラハウスを左に見ながらホテルに向かう。そこで今回急遽宿泊先が変更になったことを聞いた。Gnoc AnhHotelへチェックイン。長旅お疲れ様。時間を見るともう18:00。まる一日の旅である。



到着後さっそく坪田さんと打合せに向かう。場所はホテルの近くのレストラン「Tu chon com Ngon」。いい感じの半分オープンエアなレストランだ。今回はどんなサプライズがこの打合せででるだろうか、それはそれで楽しみだ。日本でできることはすべてやってきたので若干のイレギュラーは大丈夫。というよりもいちいち変更に目くじらを立てても仕方ないということをみんな良く分かっている。ようはできるか出来ないか。大抵のことはできる。

当日の流れについて説明を受けおよそ問題ないのだが大きな問題が勃発。日本で「ベトナムの若い人は皆この歌知っているよ」といわれてアレンジして持っていった曲をみな知らないのだ。コレはまずい。さらにこの曲のみサプライズとして僕が歌うことになっている。それが受けそうにないというのはモロに逆風である。(僕だけにとって)覚えようという気持ちがゆらゆらと消えていく。それでも、わからない。もしかしたら大受けかもしれないしと思うと覚えることはやめない。

どうするかはもっと大勢の人のヒアリングをしてみようということになった。最後まで諦めたくない。でも不安だよなぁ。といってもshinonには影響がない話なので涼しい顔をしてフォーを食べている。食欲が完全に勝っているんだな、これは。そして今回共演するHienThucの話を聞く。彼女はいわゆるアイドル。何故分かるかって?だって写真を見ると天子の羽をしょっている。これはアイドルに違いない。ん?こんなイメージどこかでみたぞ。そうだ僕らのアルバム「SILK」の中面のイメージか。HienThucとGYPSYQUEEN。結局は似たようなところに落ち着いたというわけだなと思った。まだ、会ったことないが共演が楽しみである。


曲についても流動的であるがおおよそ決まってメンバーも安心したのか「333」が進む。ビュッフェスタイルの店ではベトナム料理をみな堪能。旅の楽しさだね。いい時間になり打ち合わせも終えレストランを出て解散。さて、このあとどうしようかと思ったときにいきなりのスコールである。僕が躊躇している脇をshinonが走る。うーむ、すばらしい。どこかに消えていった。そして10分後。ずぶ濡れになってshinon帰還。開き直ったのかこの大雨の中、ゆうゆうと歩いてきた

。微妙な笑顔。怖い。もし、この雨の中引っ張り出されたらどうしようとおもうとギャグもいえない。冷静に雨のやむのを待っていた男子チームはタクシーでホテルへ。おっ、ブルジョア。と思われがちだがタクシーにのっても15000ドン。たった一ドルだ。ここではタクシーが本当に「足」がわりになるんだなと改めて実感。ホテルに戻り着替えをして再び街へ。到着後viviちゃんが連絡を取ってくれていた福川さんとのみにいく。

前回のツアーではじめて出会い、そして滞在中ずっと一緒にいてくれた人だ。今回は明日からハノイに飛んでしまうのでコンサートは見れないのだが、「必ず会おう」の約束どおり忙しい時間を割いてきてくれた。感謝である。福川さんに連れられてはやりのスポットへ。現地のことは現地にいる人に聞くのがいい。そこは活気あふれる場所だった。

雨も小ぶりになってオープンエアで飲む。ここでは「Saigon Beer」が格別にうまい。「333」とどちらがうまいかなんてまだ分からないがやはりベトナムではベトナムのビールを飲むのが一番だ。周りを見渡すと町並みはカラフルな古い洋館が立ち並ぶ。フランスの影響があるせいか、とてもおしゃれだ。なんだかこういう細長いカラフルな建物の一室に住むのってあこがれるよね。そんな会話で盛り上がる。23時も過ぎ急に街は静かになってくる。社会主義のいいところでもある。ルールは厳しいのだ。僕らもそれに合わせてホテルへ。福川さんともお別れ。でもきっとまた会えるだろう。また僕らが来ればいいのさ。

ホテルに戻り簡単な打合せ。明日からいろいろなことが動く。特に明日は長距離の移動がある。体調を整えて臨まないと昨年のように辛い思いをする。24:30部屋に戻り就寝。明日から全てが始まる。


9/215:00起床。ちょっと昨日のSaigonBeerが効いている。昨日は荷物もそのままで寝てしまってまだ日本を出たとき状態。急いで準備をする。窓を開けるとまだ暗い空。この街はまだ眠っている。6:00。ホテルの最上階で朝食。いつも朝食時間はメンバー共通のミーティング時間。ちなみにこのホテル名のNgoc AnhのNgocはベトナム人に多い名前。日本にすると「山田おじさんホテル」みたいなかんじ?なんだかそうおもうと怪しいぞ。さらにベトナム料理が出てくるかと思ったら韓国料理っぽいものが多かった。


真っ赤な山盛りの皿が見えて、これはなに?とおもったらキムチだったので確実にここは韓国人の経営なんだなと思う。朝からキムチはつらいので僕はトーストを。なかなかでてこない食事にちょっといらいらしながら結局6:30になってようやく出てきた。谷川さんと待ち合わせは6:30。これはまずい。しょっぱなから遅れるわけにはいかないのでみんなを急かして慌てて食事。それでも10分もすると谷川さんと遠藤さんが最上階のレストランまで上がってきた。

「さあ、いこういこう!」そう。今日は長旅なので時間の遅れは厳禁なのだ。6:55。即出発。「ふーっ」快適な大型バンに乗り込み一呼吸。昨年お世話になったホアンと新しいSCCのメンバーGIANGと谷川さん、遠藤さん、そして僕らという構成だ。SCCの正式名称はSaigon Children CharityというNGO。子供たちに学校建設や支援を行っている団体である。今日僕らはベトナムのさらに南部のメコンデルタ地帯に進む。普通じゃ絶対に行くことがないエリアである。市内のバイク祭りを超えて1時間。ベトナムはどこでも似たような表情だ。国道沿いに広がるphoとお土産の店。昔の日本の国道沿いのイメージかな。道はあまりよいとは言えず車に酔いやすい僕はとにかく盛り上がって気を紛らわす。


この南部はカンボジアの文化が入っているところ。陸に繋がれた国家はいろいろな民族が政治という理由によって区分される。そんなカンボジアを思って新曲を作る。みんな笑って聞いているけれどけっこう旅情的なメロディでないかな?と僕は思っていた。帰国してバンドであわせてみれば分かると思う。でも、この地で作ったことが重要でメンバーも作ったその場所を一緒に経験しているかどうかはとても大事である。

音楽って簡単に割り切れるものではなく。弾ければいい訳でもなく、歌えばいいものではない。同じ時間を共有して同じ感情を持ちその中から個人の強烈なパーソナリティを出すことがすばらしいサウンドメイクに繋がる。一緒にいるにはわけがあるのだ。8:30そんな中の一軒の店で朝食となる。

「なんだ、だったらさっき慌てて食べなくてもよかったなぁ」みんなそう思う。ちゃんと情報をつかんでなかった僕らが悪い。ここのPhoはおいしく朝食を二回取った気分。昨日も機内食を2回、市内で1回。ちょっとハイペースのご飯タイムだ。小雨の振る中9:00に出発。なんといってもphoは簡単な料理なので出てくるのも食べるのも皆早い。

帰りにプリングルスを買ってバスに乗り込む(15000ドン)渋滞もなく車はかなり飛ばして走る。時たま思いっきりゆれたりして眠りかけのメンバーを起こす。そうしているうちに景色は田園風景と変わり、小さな橋を何個も何個も渡るようになってきた。メコンデルタだ。Vinh long州に入った。目に付くものといえば河の流ればかり。本当に美しい茶色をしている。何故こんな色になるのか?もし汚れだけだったら恐ろしい。ドライバーに聞くと赤土の影響であるので汚くはないとのこと。

「泳げるよ」。でもそれは話半分に聞いておかないと危険だ。茶色の土の歩道にはアオザイを着た女性や街の子供達が自転車で通り過ぎる。僕らもかなり飛ばしているのにバスの脇をぎりぎりの状態でかっ飛ばす。うーむ、たくましい。たくましすぎるぞ。元気な子供がとにかく目につく。街の風景に良く似合っているんだよなぁ。この町の子供たちに絵をかかせれば河はみな茶色。それがあたりまえで、疑うことすら必要ないんだろうね。きっと日本に流れる清流なんて想像もつかないだろう。それくらいにこのにごった河が似合う街なのだ。

12時。ようやく到着。Tra vinhの教育関係センターのようだ。ここでTraVinhの教育省の人たちにご挨拶。きれいな大きな建物は何故か中国を思い出した。これから食事に行こうと言われる。行き先はどこかわからないが、時間的に難しいのではとおもったら5分でついた。たくさんの役人のみなさん、AEFAのみなさんと食事。はじめて参加したメンバーにとってはこれが本場のベトナム料理となる。うまい。でも怖い。なまずがいた。さっそくTraVinhでの洗礼を受ける。



昼食を終えてホテルにいこうとすると「ここがホテルだ」といわれる。そして「部屋が少ないので5人は別のホテルになる」とのこと。距離は歩いて10分くらいらしい。ミーティングとかをするために数十分歩きたくないのでメンバーとスタッフに分かれて宿泊。メンバーは食事場所兼ホテルをでてデルタの小橋をわたる。道ギリギリの車体。

Giangがいう「今晩のホテルはリバーサイドよ!」おお、なんだ、楽しみだぞ。俄然盛り上がる。それはきっとそれぞれにメコンデルタ=リバーサイドというような気持ちがあったからであろう。しかし、甘かった。バスは最初川べりを進んだが、途中からデルタから離れていく。すぐにバスは止まった。河よりも低いところ。そこが僕らの宿だった。

部屋に入ると大量の蚊の出迎え。まあ、仕方がない。ここには豪華なホテルなんてないところなのだ。だいたい、日本は金銭的に裕福な国でありその国からアジアを支援するということ自体財力なくして成り立たない。だから、そういう支援をする人たちが現地に入るときもきっと豪華なホテルなんだろうとおもった。でももし、そこで何万円も使うなら支援活動に使ったほうがいいのではないかなあ、と。しかし、現実はシビアである。このAEFAの方たちは本当に普通のベトナム人が普通に泊まる所に泊まり(あまりきれいでない)、そして、何時間もバスで(それも快適とはいえない道中である)移動して子供達に何ができるかを直接きめていくのだ。余裕なんてないぎりぎりの状態で活動をしている。よく外遊なんて言葉があるがこんなにシビアに活動しているのには一緒にいてビックリだ。

でもきっと本音のみで活動しているからドナーに対してもきちんと協力依頼ができるんだなとおもった。まずは自分がやらないとね。それを考えると僕らの音楽を伝えていく、ということよりも複雑で大変であるとおもう。僕らも頑張らねば。今頑張らねば。部屋が云々と言っている場合ではない。再集合は13:45.建設中の学校を見せてくれるという。14:30.現場到着。大勢の作業員が出迎えてくれた。まだ、ぜんぜんできていなくて今はちょうど土台のくいを打っているところだ。

地盤がゆるいせいか、面白いように杭ははいる。役に立つの?とおもうほど地盤はやわらかい。こんなときは僕らになすすべもなくただ見ているだけだ。15:00.交流を行う学校に到着。いよいよ僕らの出番である。昨年からはじめている子供達との交流もだんだんすべきことが分かってきた。子供達の表情を読んでいると何を求められているのかが分かる。最初こういった学校に来たときには日本の伝統的な歌を紹介しようかなと思ったことがあった。

でも、ここの子供達にはそんなことが分からないということに気づいた。「もっと楽しい歌を歌ってよ」。子供の顔は正直だ。そうなんだよね。大切なのは式次第ではない本当に子供達が喜べるもの。音楽は訓練や授業ではなく夢空間だ。気持ちよくなってそして、それが少しでもその人の役に立つことがあればいい。だから、ぼくらもスタイルを変え演奏をするようになる。まずはベトナム語。ベトナム語しか分からないかれらに英語も日本語も一緒の聞きなれない言葉だ。そして、はやりの曲も流行っていない曲も彼らにとっては音の羅列に過ぎない。

大切なのは手拍子をして楽しめること、そしてそれが自分達が覚えられるかどうかということだと思う。Friendshipソング「Chung Ta La Ban(君と僕は友達)」は彼らの為に作ったもの。それをベトナム語にしてみんなで歌う。たのしみだ。しかし、残念ながらこの会場にはその歌詞が届いていなかった。「なぜ?」。この曲をやるためにここまできたのに残念なことだ。まあ、現地側が用意しなかったことを予測して僕らが持ってくればよかったことなので相手を一方的に攻めることは出来ない。


きりかえて現地の子供達が好んで歌うという曲「Bon Phuong Troi」を即興で演奏する。これは楽しい歌らしいのだがメロディがめっちゃ哀しげ。ベトナムの哀愁なんだろうか?それをボーイソプラノで歌われると不思議な世界に導かれるようだ。これやばいです。日本でも披露してみようと思う。ものすごく切ないのよ。子供達ははじめてみる日本人、バンドを奇異の目で見ている。僕の隣で歌う子供の目を見ると丸く、どこまでも深い目をしている。どう写っているんだろう。

この隣でギターを弾いている日本人について彼の中でどう思うのだろう。とても気になる。この接触が彼にとってよきものであってほしい。そして、自分もこうなりたいと思ってくれるだろうか?記憶の中に少しでも残してくれるだろうか?サイゴンから6時間。多分観光地も何もないこの場所に日本人が来るのは珍しいことだろう。まして、音楽をやりにくる人は皆無だ。商業的には100%成り立たないから日本のアーチストはまず来ない。

僕らが到着する前に「バンドがくるといったけれどここにバンドなんか来るはずがない、とみんな信じないんですよ」とスタッフに言われた。でもぼくらはここにきて何もないこの場所で見つけた。どんな世界でも子供達の笑顔は力強く、そして、何故かこの笑顔を守ってあげたいと思ってしまうことを。


16:00.終了後すぐさま次の学校に向かう。雨季のこの時期は天気が安定していなくて、いつも小雨が降っている状態。傘も差さずに僕らは移動する。次の学校にも子供達がたくさんいた。ここでのパフォーマンスは予定していなかったので、machaとshinonとmasaoにお任せして2曲ほど披露。空もだんだん暗くなり一度ホテルに戻る。

18:30.現地の教育省の役人の人たちの懇親会ということで出かける。場所はどこかな?とおもったら最初の昼食を取った場所であった。ベトナムの役人はお酒に強くやたら一気をしようとすすめにくる。合図は「モッハイバーヨー!」だ。そして一気(全部開ける)は「ジャンポンジャン」この二つの言葉はmasaoもすぐに覚えた。懇親の場は盛り上がる。



しばらくすると「今日は村の秋祭りの日で子供達が日本からきたみんなに踊りや歌で昼間のお礼をしたいといっているのでいきましょう」といわれた。それはおもしろい。子供達がどんなことをどう楽しんでいるのかを見ることはとても参考になるので会場に向かった。会場に到着するといわゆるお祭りの熱気にあふれていた。なんだか凄いぞ。昼間あった子供たちだけではなくこの村の人たちもたくさん来ている。いわゆるお祭りなんだな。子供たちの芸を見るまもなくステージに上げられる。ステージにshinonが上がるだけでみんなのボルテージは上がり花束が次々にやってくる。ものすごい熱気。でも。。そう、今回はみにきただけなので楽器を持ってきていないのだ。



一方ではステージに上がってベトナム語の曲をやってほしいといわれ、さっきやった曲以外のベトナム語をやってほしいといわれている。盛り上がっている場だけにやりたい気持ちはやまやまだ。しかし、不完全なセットで不完全な環境でステージに立ってしまってその後痛い思いを幾度したことか。アドリブと無謀は異なる。最初から楽器が無いという前提で望むことはよいがこの場合はあまりにもイレギュラー。なので楽器が無いとできないと伝える。楽器を取りに行くのならばいいのだけれど、そこにいるメンバーだけでチャチャッとやってしまうことはできなかった。

しちゃいけないんだよね。人にはいろいろな仕事があるけれど音楽は僕らにとっても仕事。シビアな評価をされてしまうものだからいつでも真剣勝負。勢いづけの酒なら飲むけれど、たっぷりくつろいでメンバーものんだ後なのでこういうときは危険。とはいえ盛り上がる会。相手のこともありむげに断ることも申し訳ないし、みんなの進言もあり、FriendshipSongならやる意味がある、ということで「Chung Ta La Ban」を演奏をする。これはベトナム語の歌詞をつけているしバッチリだろう。もともとこれはギター一本で演奏できる曲だからね。

きっと現地のNGOからすれば固いことを言ってと思うんだろう。でも、きちんと向き合って一緒に何かをやろうとするには真剣さが必要なんだ。それをわかってもらえたとすれば僕らの未来は少し進歩しただろう。そして、一応ステージをこなし盛り上がったところで僕らは会場を後にする。ホテルにもどりまだ寝るには早いということで近くのバーに。バーといっても川沿いのオープンカフェでなんとビールが売っていない。

ふと見渡すと町はまっくら。飲み屋なんて無い世界だ。もちろんTVの騒音や車の行き来も無い。ただ虫の声と時たま聞こえる遠くの橋を渡る車の音だけが響く。ここではベトナムチームが勢ぞろい。一緒に飲むことになった。ビールの無い店で何を飲む?なきゃ買ってくればいい。ということで「333」を1ケースかってきてくれた。ということはこれを全部飲まないといけないのね。まあ、いいでしょう。

今日はみんなにつきあいますか。ということで「モッハイバー ヨー」となる。外務省のMr Buはやたら積極的でどんどんビールを注ぐ。朝まで行こう!みたいな意味で「モッハイバーライライ」というらしくやたら盛り上がっていた。

またこちらの教育省のマネージャーのMr Phoはmasaoのお父さんとなり、masaoもまたこの地でも子供となった。SCCのMs Giangの名前が覚えられなかったのだが 「英語でいうとriverよ」というので一気に覚えられた。そして、ちょっとたよりなさそうな好青年Mr thanh。そしてGYPSYQUEENチームという会になる。そこでriverがいろいろスケジュールを教えてくれた。驚くことになんと15分単位でのスケジュールをくれるのだ。それも微妙に時間がかかるところには予備の時間を組み込むなんていう気配りも入っていた。

到底大雑把なスケジュールで動いていると思ったのにこんなに細かく時間わけされているとは思わなかった。日本人と感覚は一緒だ。だとすると今日の夜のステージはなに?とおもうがそれは単になれていないからであろう。きっとベトナム人ともっといろいろ会話してお互いを尊重し合えればいい仕事とができるのではないか?そう思った。こういうときにいろいろな言葉を学ぶ。それが僕らの肉となり血となる。

どうしても車の移動中は酔ってしまうことをおそれてあまり話せない。だからこの時間はとっても貴重だった。24時も近くなりとりあえずシメのphoを食べに行く。広場まででると屋台が数軒残っていてそこで食事。おいしい!日本じゃシメのラーメン。そう考えると健康にいいよね。今日は朝HCMCをでてここまで来て3ステージやって飲んで。長い一日だった。部屋に戻り蚊帳(なつかしい)を吊って就寝。




9/22。5:30。超至近距離でにわとりのなく声で目が覚める、ちょっと怖い。蚊帳で寝たのはいつの頃いらいだろうか?なんとなくいい感じだ。幸いむしさされはなくほっとする。6:30。外に出ると気持ちいい。こんな気持ちのよいのは久しぶりだ。メコンよりも低い位置にホテルがあるのでちょっと上り加減にいくと橋がある。その橋はかなり斜めになっていて足場が悪そうだ。もし、大雨だったら。。。そんな時は水没してしまうんだろうなぁ。この辺。そう思うとぞっとする。

少し歩いてみると、作りかけの橋、メコンをゆくボート。すべてが美しい。さっきの傾斜した橋を子供は大きな荷物を持って器用に渡る。日本だったら親が絶対にあるかせないだろう。それ以前に「こんな橋はあぶない」と行政に訴えるか?幸いここにはそんな行政も予算もない。だからこのままだ。そしてこのままで何も悪いことは無い。落ちたら落ちた人が悪いのだ。という僕は落ちると怖いのでそれ以上先にいけなかった。ちょっと残念。

6:50。昨日のビールでダウン気味のMrBuを最後に載せてバスは出発。近くで朝食。またもやPhoを食べる。Phoといってもいろいろなスタイルがある。みな当然自家製なので画一的な味はない。それぞれだ。これはヘルシーだよなと思う。朝からMACを食べていきる事とこのPhoを食べて生きることでは健康的に絶対に差がでるな。とおもう。毎日食べるとやせるもんですかね。そして出発。バスに乗り小学校へ。この学校は近くとりこわされるという、その代わりに新しい学校を建てようというのがAEFAの考え方のようだ。

この広大な台地の中に無数に広がる学校。そして学校もないところ。それらに建物を建てるだけでも大変だしたいしたものなのに、それぞれの学校運営に息を吹き込むやり方をしているのでそれはそれは時間と手間がかかるのだろう。気の遠くなるような話だ。視察といっても、建物を建てる話半分、運営をどうするかが半分である。僕らが口を挟むことではないので遠くで見ていたがAEFAの方々も役人の方々も真剣だ。いろいろな人がいろいろな支援をアジアでしているがこうして何十時間もバスに乗り、子供たちとふれあい、その世界の未来に何かしようとする日本人がいることは誇らしいことだ。その一助となれば僕らも本望である。

ぼくらは何も無い大地を後にしてHCMCに戻る。行きと同じ時間がかかるわけなので長旅である。きれいな田園地帯を行く。時折見える洋館がまた美しい。3日目にしてようやく日がさしてきた。「暑くないとベトナムきた気がしないよね」などといいつつも実際に日差しが強くなるとかなり暑くて辛い。途中一回休憩を挟み11:40 CAIBEのメコンデルタへ。外に出ただけで日差しが肌を焼く。



メコンに出て水上マーケットをながめ(水上マーケットって本当に川の中の船なのね)島に上陸。いわゆるスーベニアショップを見て回る。お土産にはあまり興味がないのだが、それなりに楽しむ。砂を熱した鍋でポップコーンを作るとかライスペーパーを作っている姿は結構感動的だった。12:30ランチタイム。ベトナム南部の料理を堪能。Masaoはなんでも大好物。どこでも生きていけるね。そしてちょっと急ぎ気味に13時に出発だ。その後HCMCまで2時間の道のり。だんだん車が増えてきて、大きな橋をいくつか越えると通りの両サイドに建物が並び始めた。市内に入ったことはバイクのクラクションの多さで目を閉じていても分かる。15:20。市内中心部のベンタイン市場近くのホテルでお世話になった谷川さんと遠藤さんとお別れ。今回も貴重な経験をさせて頂いたし(実際に自分達だけではきっと一生行く事の出来なかった土地だと思う)僕らなりに何ができるかがまた一つ分かった気がした。

そんな機会を与えてくれたことに感謝だ。本当は今晩のイベントも是非見てほしかったが事前にAEFAに情報が行っていなかった為参加することができないということ。うーん、こういうのって残念です。現地側のスタッフの情報管理についてはもう少し迅速に正確にすることができればこの国のNGOももっと進化していくと思う。その後僕らは10分ほどでホテルに到着。荷物を積み替えて新しいホテルへ移動する。長旅でゆっくりしたい気もするがそうもいかない。次の予定やミーティングなどやることはたくさんある。出来上がった衣装をとりに行き、食事も軽くすませロビーに集合し今日の会場に向かう。



この学校、ものすごくわかりにくい場所だった。タクシー一台も入らないような細い路地を人ごみの中を掻き分けて進む。これ以上タクシーではいけないようで途中で降ろされる。運転手が指差す先には街灯のない路地。本当にこの先に学校なんてあるのか?何度か聞くがここでいいというので納得して降りる。降りちゃうとおしまいだから最後まで粘って車から降りないのも重要な交渉術だ。「じゃいきますか」不安げなshinonをみつつ路地に足を踏み入れる。

いろいろなものを真っ暗中売っているおばさん。子供の騒ぐ声。歩いていると子供が「こっちだよ」と僕の脇を通り過ぎる。まるで何かに吸い込まれていくように曲がりくねった道を進むと以上に騒がしいゲートにでた。そこがTHANG LONG ENGLISH SCHOOLだ。どんなことになるのだろうか。


「学校あったね」あたりまえだがほっとする。入り口にたまる子供達をかきわけ中へ。そしてそこに一歩足を踏み入れると恐ろしい人と熱気が待っていた。100人もはいらないだろう中庭に300人近くの子供が集まりざわついている。ステージと思われるスペースではキレイなピンクの衣装をきた子供達が踊っていた。なんだか凄いぞ。


教室の窓、二階のテラス、あちらこちらから僕らのことを不思議そうに見る子供達。子供といっても小学生ばかりではなく、結構大人もいる。そして、ただでさえ暑いこの街よりもむんとした熱気、子供達の体温だ。予定の20時を過ぎるとスタッフが僕らを呼びにきた。「演奏をおねがいします」楽屋と呼べるようなところではない。どこもかしこも人で埋まっている。

「どうやってステージにいけばいの?」掻き分けていくしかない。「ヨーヨー」人ごみを掻き分けセンターにでるとすでにボルテージはフルだ。最初の歌はFriendshipソング「Chung Ta La Ban」だ。ベトナム語の歌詞で歌うこの歌はアジアの子供達に捧げた歌。みんなで一つの歌を歌うことができればいい。それぞれの国の言葉になっているこの曲のベトナム語版を歌った。Shinonが歌い子供に教える。最初からできることなんて余りなくてそんなことは問題ではない。

歌えなければ教える。そしてみんなで歌えば気持ちいい。出来なかったことが出来た瞬間が一番楽しいし嬉しいはずだ。この嬉しさは子供も大人も皆同じ。共通の思いに変わる。そういうもんだ。あまりの盛り上がりぶりに静かな曲は避けてセットリストを変更。僕らのオリジナル曲もベトナムのポップスもみな盛り上がり大成功だった。最後に子供達の知っている曲「Bon Phuong Troi」をやる。昨日の学校でもそうだったが明るい歌詞なのにメロはもの悲しい。そのまま終われずにアンコールでFriendshipソング「Chung Ta La Ban」をみんなで歌う。

この盛り上がり谷川さんにみてほしかったなぁと思うほど盛り上がった。ステージを終えて楽屋に。英語を話せる子供達や講師の先生がいろいろ話し掛けてくる。みんないい顔をしていた。来てよかったな。子供は理由を問わず元気だ。元気でない子供を作ることはここでは難しい。お金が無くても不足はあってもいきる喜びにみちている。何が無ければ、という欲よりも生きる幸せを感じるのか?日本では元気の無い子供が多くなったといわれる。子供たちから元気をうばってしまうなんて、日本にはいったいどんな空気が漂っているのであろうか?僕が思う子供の姿はここにあった。



その後会場を後にして僕らは市内に戻る。昨日一緒だったriverとSeventeenSaloonというライブバーにいくことになった。昨年あったサイゴン川のほとりの場所から市内に移転していてちょっと戸惑ったが到着。入り口で待ち合わせをするとおもいっきりドレスアップした彼女が待っていた。昨日の姿とは別人のようだ。なんだかおしゃれだぞ。テンションも高くライブハウスのネオンと大音量の音楽に妙にマッチしていた彼女。グループはドイツ人と韓国人そしてベトナム人。ここどこだっけ?そんなグループに僕らも混じる。もちろん目的はライブ。今回もオーナーに打診してステージで数曲やることになった。

その街の最新の流行を知るにはこういったライブバーに来るお客さんを見ておくに越したことはない。どんなビートに反応するのか、どんな音楽を好んでいるのか。日本とそう変わらない物価のこのバーで僕らが最初にやった曲は僕らのオリジナルAlfred&Juliaだ。反応を見ておきたかった。しかし、思いがけずステージにベースがなかったために僕がキーボードでベースを担当することに。Ayuちゃんとツインキーボードだ。今回はマンジーラをたたいたり、キーボードベースだったりいろいろやることになるなぁ。

それでもこのステージはやっとかなければいけないのですぐさまキーボードのスペースへ。そこに立って思ったのだがキーボードってなんだか機材に囲われていて安心するよね。自分のスペースというか、広くていいなと思う。Bassなんてある意味フリースペースなんで逃げ場がないんだよね。そんなことは差し置きアンコールも入れて3曲。ほんの短いライブだがお客さんの受けもよくみんな上機嫌。いつもよりストラップの長いmachaが妙にかっこよかった。

日本でもこのくらい暴れてよいよ。そのあとも散々飲んで会計をすると100万ドン。なに!100万。。。でも一人日本円で1000円でした。24:30ホテルに戻り1:00よりミーティング。明日はいよいよ本番だ。ビデオをみて反省事項などを探る。2:00準次解散。荷物を片付けて3:00就寝。いよいよ来た。



9/23、今日はshinonのバースデーでもある。そういえば重慶や北京で迎えたこともあった。7:00起床。8:00朝食。とりあえず午前中を有効に使おうということで9:00から部屋RHをすることにする。始めてしばらくすると携帯がなる。Van Anhがロビーについたという。「え?アポは今晩でなかったの?」行き違いで今来てしまったらしい。

RHを中断して打ち合わせに向かう。彼女は新聞記者で昨年もコンサートのことを大きく取り扱ってくれた。あわせて現状のベトナムのことなどをいろいろ聞いた。ベトナムは仕事をすぐに変えてしまう人が非常に多い。前に進んでいるという解釈もできるがいちいち担当者が変わるのもどうなんだろうと思う。その後RHに戻り11:00に早めのランチ。14:00に坪田さんが迎えに来てくれて会場へ向かう。

会場は青年文化会館。文字通りHCMCの若者が集うところだ。ホテルから10分もかからないのであっという間に到着。楽屋口から入るとすでに立て込みの仕上げの段階に入っていた。アンプを確認し、ドラムを置く台などを確認してからRHに突入。しかし、これが予想以上に時間がかかった。最初にモニターがステージの端にセットされている。中国でよく見るセッティングだ。PAの機材はあるのだが、まだそれを使いこなすだけの経験がないのだろうか、音は薄く、ハウリやすくなっている。音決めにかなりの時間を要してしまった。



そんなちょっと停滞した雰囲気の中HienThucがきた。やはりアイドルということで存在感がある。自己紹介をすると思いっきり至近距離で覗き込まれてちょっとビックリ。目が青かったので印象的だったがVIVIちゃんに聞くと「カラコンでしょ」とあっさり。なんだ、そうなのね。彼女のヒット曲を僕らなりにROCKアレンジしての演奏でちゃんと歌えるかどうか心配だったが、そこはベトナムの人気歌手。一発でこなして問題なくRHを終了できた。その後も僕らだけのRHを続け結局3時間くらい費やしてしまった。結構疲れた。



一段落したころにshinonへバースデーケーキが到着。坪田さんに用意してもらったこのケーキ。イチゴが満載でとっても見た目カワイイ&おいしかった。いいなあ、祝ってもらえて。なんとなくRHの停滞感もこのケーキで和まされてみんないい雰囲気でホテルへ戻る。一日3回くらいシャワーを浴びないとだめな感じ。体力も奪われる。ホテルのそばのPho24で軽く夕食をとった。

戻ってみるとロビーにタンがきていた。タンは昨年の末に行ったコンサートの主催者VNAHの担当者。僕らが来るということで逢おうと話していたのだ。前回はかなりバトルを展開したが今では旧知の仲。うれしいよね。ここの人たちは本当に約束を守る。もちろん、他人には超厳しく適当なのは仕方がないのだが一度なんらかの関係があるともう親密な友人に変化する。

今日のコンサートにこれないので明日の朝ごはんを一緒に食べようとわざわざ言いに来てくれたのだ。あいにく明日は朝から出てしまうのでだめだったが、明日の車の手配などいろいろしてくれて本当に感謝だ。次に会うときには一緒に飲みたいね。そんないい仲間だ。

そして、うれしいお知らせとして明日のドライバーとしてトンがきてくれることに。HCMCに到着したときから連絡を取っていたが、仕事ということもあり彼にドライバーを頼めるか不安であった。やはり彼に頼みたい。そんな思いが通じてみなテンションアップ。前回からのネットワークは100%生きている。



19:30再び会場入り。すでにイベントは進行している。バンドの演奏は僕らだけのようで一応メインアクトとして迎え入れられる。責任重大である。楽屋で着替えるとまもなくソデに待機するようにと指示がある。そのころにはHienThucもスタンバイしていた。RHのときのかわいさが一転。超ミニのゴールドのスパンコール衣装。す、すごい。髪の毛もアップにしていて、貫禄がある。いやありすぎだ。ベトナムってこういう感じが受けるのか、といまさらながら再認識。

がんばろうとお互いのテンションを高める。会場を見渡すと満員のお客さんだ。いよいよこの時がきた。昨年やりきれなかったステージを今辻褄合わせしよう。MCが入りバンド名が会場に響いた。Please welcome GYPSY QUEEN!


20:00をちょっと回っての出演。ステージに上がると会場のテンションも高まる。一曲目は「SAIGON CITY」この曲は昨年のツアーの時に作った曲。ベトナム人の強さと未来の希望を感じさせるようなROCKナンバー。つづけて「MOONLIGHT&SUNSHNE」と続く。


MCではベトナム語、日本語、英語と取り混ぜて。僕らのライブではどこの国でも通訳をお願いしない。通訳が入るとノリが変わってしまうのとやはり自分たちでできるようにしたいという意味もある。だからこそ毎回のツアーは語学試験のようだし(移動中はずっと勉強だよなぁいつも)、結果として他とは異なったステージができるのではないか?それがGYPSYQUEENのアイデンティティであるのだと思う。そして、「Dear Friends」これも昨年のツアーの時に書いた曲。ベトナムというよりも出会った人たちに感銘を受けて書いた曲だ。


ぼくはツアーにいくとよくこの手の曲を書く。それだけ幸せなんだな。ネガティブなツアーの経験は無いに等しい。今回ここにきた理由もこの歌にこめられている。日本語なのでわかる人は少ないし、日本語がわかってもいきなり意味はつかめないだろう。今はそれでいい、これから何度も何度も歌う機会があればそれもわかってもらえるだろうから。

ここでmachaのGuitarsolo、続いて僕の歌「Cho nhau mot nu cuoi」、という展開であったがみんな知らない曲だったということでぼくの所だけ自主辞退。すぐさまmasaoのパートになった。Masaoも日本から持ってきたドラムソロのギミックをやめて(PAさんが複雑なことはできなさそうなので)普通のソロ展開にした。舞台を暖める役目もバッチリで会場のテンションは落ちていない。

ここでアオザイをきたshinonが登場。爆発的な盛り上がりである。歌うのは「OiTinh Yeu」会場も一体となった。続けざま「Uoc gi」これもIntroから会場は盛り上がる。ROCKアレンジをしているので原曲よりも壮大な仕掛けをしたのだがおおよそ受け入れられたようだ。前半の演奏はここまでで、いったんバックステージへ。20分ほどすると再び呼び出される。



スタンバイをしている間shinonは昨日の学校でやったボードで会話シリーズを実施。これが結構盛り上がったりする。「Alfred&Julia」は昨日のライブハウスで受けること間違いなしと実感をつかんだ。よくshinonは日本と海外での演奏では海外のほうがぜんぜんいいといわれていた。それは何故だろうと思ったのだがひとつはMCにあるのではと思った。英語や現地語で話すせいかトーンがちょっと高めになるのである。また、表現がストレートでわかりやすい。そうすると自然に盛り上がった感じもするし、何よりも通りがいい。そして、相手に伝えようとして話すのではっきりコミュニケーションが取れるのだ。



そしてHienThuc登場。ベトナムの正真正銘の歌姫の登場でまさにボーカルバトルの雰囲気が漂う。曲は「Dau co loi lam」。これは偶然以前から坪田さんに聞いていていい曲だったのでROCKアレンジをしていた曲。たまたま、それを歌っている彼女との競演となった。ラッキー。この曲なら大丈夫だ。でも、もしかしたら坪田さんは彼女の出演を知っていた?まあ、なんにしてもおかげでこの曲をかなり余裕を持って準備できたことには変わりない。横で見ていてもそのパワーに圧倒される。



こっちのエンタテイメントのやり方なんだろう、ものすごくエネルギッシュである。食われてしまいそうな勢いを感じた。こういうのり結構好きだな。ステージで自分自身のテンションも高まる。コンサートもあっという間に終盤。最後を飾るのは「あおいうさぎ」である。その有名なドラマはここベトナムでも大ヒットしたらしくそのテーマソング「あおいうさぎ」はHienThucがカバーしているという。それならば日本とベトナムの友好として最後にはこの曲を日本語、ベトナム語で歌おうということになった。この曲も僕らがやるとかなりROCK。Masaoがたたく限りこういう感じになるんだよね。

気持ちいいステージ、気持ちいいお客さん、そして最高のメンバーとともにこのステージを乗り切ったことは忘れやしない。ありがとう。

終了後、関係者にご挨拶。本当にお世話になりました。僕らはホテルに帰り打ち上げへ。みんなとの話題は出会ったすばらしい人たちの話題で持ちきり。こういうのっていいね。マイナス志向の話がない。打ち上げでいやな思いをするなんてばかげているし、打ち上げで人の噂話をしても仕方がない。このツアーで受けた恩恵とそれをどうして返していこうかということに話は盛り上がる。DearFriends。この街から生まれたこの曲がすべてを語る。




9/24
5:00起床。またもや真っ暗な朝。果たして昨晩みんな寝ただろうか?一足先に退散したのでちょっとその後の盛り上がりが気にかかる。6:00集合。およそみんな時間通りに集まる。ほんとこのバンドのメンバーはえらいと思う。絶対に個人のわがままで動かない。具合が悪いだの眠いだの、旅が続けば言うものだしやさしい日本の文化の中では「調子が悪ければ許される」風潮すらある。でも、団体行動にそれはないというのが僕らの持論。相手あっての行動の中ではすべてが自己責任で動く。


トンとの久しぶりの再開。うれしいね。あの笑顔が返ってきた。およそ昨年ベトナムで会った人すべてにあったことになる。これって僕らは本当に幸せなんだな。「また会おう」を実践できるなんてね。そんなことだから打ち上げ翌日の早朝でもテンションアップ。いい感じだ。6:15ホテルを出発。

今日はブンタウに向かう。さすがにこのタイミングで食事はできないと見越していたので初日の経験を活かしてしばらくしてから食事をしようということになる。VIVIちゃんがトンに説明する。「みんなもうちょっとするとおなかがすくのでおいしそうなお店があったらそこで一緒に朝ごはんね」うむ、高度なベトナム語だ。こんな会話到底できない。それでもVIVIちゃんと意思疎通が抜群のトン。予定通りバイク祭りの市内を越え8:00.街道沿いのフエ式のphoの店に連れて行ってくれる。今回、何度もPhoを食べたがここのPhoは格別にうまかった。フエ式ということでちょっと辛め。それが二日酔いの胃に丁度いい。テーブルにみんなそろって本当に長年旅をしてきた仲間のように特に気を遣うこともなく、普通に食事をしている。もちろんトンも一緒に。



この風景忘れられないシーンになるね。そしてしめに定番のミルクタップリのアイスコーヒー。価格も8人で146000ドン。これは極楽だ。店を出て今日は15時までに空港に戻らなければいけないことを告げる。OKサインをだすトン。そして一路とばしてブンタウへ。助手席にはmasao。なぜかこの名コンビの会話も面白い。いつも通訳をするshinonは後部座席で睡眠中。道案内にもっとも適していないmasaoがこのときばかりは名ナビゲーターに変わる。8:40。転寝から目を覚ますと「もうすぐビーチだよ」とトンに言われる。

そして数分後ブンタウの街に入りその景色は思いっきりリゾートに模様を変えた。広がる海!青い海はどこまでも青く白い砂は透き通るほど白い。遠くに見えるタンカーが美観を損ねる感じだがここは石油の基地でもあるので仕方がない。それでも、ビーチ旅情を満喫するには十分である。砂浜まで降りるとやはりめっちゃ暑い。遠くで地引網をやっているのですかさず見に行くと小さな小魚のみ。ちょっと残念。あまりの暑さに長時間は耐えられず、木陰のカフェ(というよりも露天売店)でお茶をする。

こうしたのんびりとした時間ってツアー中に皆無なのでみんなもリフレッシュできるだろう。当然だが地元の人しかいなくて、トンは普通に会話をし始める。なぜか、それに混じる僕ら。ベトナム人の素朴さ、人のよさを感じる一瞬だ。以外に静かな街中を越えてそろそろランチだ。最後はたっぷりえびを食べようということで海沿いのレストランでエビ(トム)を10kg購入。それでも16万ドンだから1000円ちょっと。感覚狂うよね。その店でそのまま調理してもらう。水槽には海蛇とかいて「これはうまいよ、どう?」と勧められる。当然NO。そのほかなんだかいろいろな模様のある貝みたいなものも進められたがこれもNO。食に関してはスーパー保守なんです。でも、みんなは食べたかったかな?

ハエがやたら寄ってくるんだけれどトンがなにやら香水のようなものをテーブルにたらしたらみんないなくなった。何の液体だろうか?そのあと店員にとがめられていたので(ここにたらさないでよ、みたいな)きっとかなり強い液体なんだろう。まあ、おかげですっきりとしたテーブルでみんなトムを無心に食べ始めた。なんだか甘くてすごく新鮮。ベトナムのいいところってこういうリゾートにもあると思う。12:30になり、そろそろ出発だ。遅れることは許されない。飛行機は待ってくれないしね。

さしたる心配をすることもなくガンガンに飛ばしたトンのおかげで14:40に空港に到着。ちょっと早すぎるくらいだ。そこからmachaのみ帰国。便の関係もあり彼だけこのあと台北に一泊して帰国となるのだ。初めてのお使い状態machaは心配気味。でも、なんだかタイペイのガイドブックとかを手にしている。無事帰れますように。みんなで見送り僕らは市内に戻る。

このあと16:00にはANAの大竹さんに会いに行くことになっている。大竹さんも昨年のコンサートの時に知り合った方だ。場所はメインストリートに聳え立つオフィスビルの16階。身なりの汚いバンドマンの来る感じではないのでいささかみんな緊張気味。そんな僕らを一年ぶりに大竹さんは迎えてくれた。いろいろHCMCのことを教わる。これが本当に役に立つのだ。明日帰国するのだけれど今回聞いた話はこれからに大いに役立つ情報だ。

一通りの予定をおえて僕らは2組に分かれる。エステ組みとベンタイン市場組。僕は楽器を見たりしたかったので迷わず市場組へ。小さな商店という感じで楽器屋がありいろいろな民族楽器をためさせてもらう。弦楽器はその音の鳴りについて経験値が必要なのでNG。本当はパーカッションのようなものがあればとおもったがなかなか見つからなかった。そういえばベトナム独特の楽器ってなんだろう?考えてみると思い浮かばなかったりする。ラオスやタイは比較的打楽器系で表現するものはあったんだけれどベトナムについては良くわかっていない。その辺も今後調べて行きたいね。ホテルにもどるとSCCからTシャツが届いていた。

一昨日riverが「Tシャツ今はないから戻ったら届けるよ」と口約束で届けるといっていたもの。本当にきちんとしているよね。約束をきちんと守るベトナム人。いいなぁ。



20時。全員集合で最後の夕食を。今回いけなかったバインセオの店に行こうということになった。昨年、谷川さんに連れて行ってもらったところである。意外にも僕らの泊まっているホテルから一直線の所にあることに気づく。店に入るとなんだかきれいになっているし客席も拡張していた。きっと儲かっているんだろうね。メニューも日本語表記になっていた。去年はなかったのにすごいな。

バインセオはベトナム式お好み焼きで結構あっさり味。飲むビールはSaigon Beer。本当の打ち上げ。でもmachaがいないだけでなんだかちょっとさびしい気持ちになる。それはみんな一緒みたい。バンドって一人がいなくなるとものすごく不安定になるもの。それは演奏面だけじゃなくていろいろな面に現れる。

その後ホテル近くのバーで飲み21:30ホテルに戻った。そうしたらトンがバイクできていた。今日の夕食を一緒に誘ったのだが、仕事でこれなかったようでまあ仕方がないとおもっていたんだけれどなんと挨拶にきてくれたのだ。「夕食に一緒にいけなくてスミマセン」。どこまでも日本人、いやよきころの日本人的なんだろうか。別れを惜しみつつトンを見送る。バイクにまたがるとあっという間にバイク祭りの波に消えていった。

また会いにこよう。みんなそう思ったに違いない。部屋に戻りミーティング。すでにツアーの後のことを考え始めなければいけない。日本でやらねばいけないこと、そしてほんのちょっと明日の連絡を終え業務終了。最後の宴席となる。今日はのんじゃう?

9/25。6:00起床、荷物を整理して大急ぎで朝食へ。なんとか予定通りに準備ができてほっとする。ゆっくりと食事。フランスパンおいしいんだよね。ベトナムって。でも、ラオスもパンはおいしかったな。歴史的にみてもフランスの文化の影響が多いせいなんだろう。


8:00チェックアウト。このホテルにもさよなら。結構立地もよく便利なホテルだった。部屋も白で統一されていて美しい。坪田さんがきてくれたので一昨日のお礼と昨日の報告をする。坪田さんと一緒に仕事をしているニューさんはブンタウあたりならバイクで行くということを聞いてびっくり。さすがですそのパワー。

また、コンサートの反応もきいてみた。お客さんはかなり盛り上がったようで面目は保てた感じだ。報道関係も新聞2誌、とHTVで放送されたとのこと。それは良かった。でも現物やVTRは取ってなかったそうでちょっと残念。今まで露出したものがあればプロモーション的に役立つんだよなぁ。という打算も含めて考える。コンサートが終わるといきなり現実モードになっていろいろなことを考え始めるものだ。

今後のことをいろいろ話してる間に出発の時間となりバンに荷物を積み込み空港へ。この道のりも慣れてきた。なぜかDearFriendsの歌詞が頭をめぐる。今回の旅でこの曲のすべてが検証された気持ちで満足だ。8:40あっさり過ぎるほど無事に空港着。ヘンガップライ!また来るよ。空港のロビーに入る前にもう一度HCMCの方を見てそうつぶやいた。

一行はカウンターに向かう。拍子抜けするように簡単に通関。毎回重量オーバーギリギリでカウンターとのバトルがあったのにあっさり。これは意外にラッキーであった。時間があまったのでカフェへ。まだ、出来立ての空港はショップも少なくなんとなく殺風景だ。きっと今度来るときにはいろいろなお店が出来てくるのだろう。カフェオレをオーダーすると一杯3ドル。しまった、もうここは国際標準価格なのだ。そうこうしているうちに搭乗時間が迫る。

搭乗機の到着が遅れたため特に案内もなく搭乗も遅れる。結局30分遅れての離陸。乗り継ぎ大丈夫なのだろうか?まあ、何とかなるだろう。この便もほぼ満席だったのでみんなでぎっしり。疲れもあるけれどいろいろ事務処理をしなければいけないのでゆっくり寝てもいられない。幸い結構ゆれるので僕は到底眠り気になれずいろいろチマチマした作業を進める。このレポートもこうして書いている。後からではわからない思いもあるしね。機内食のこのデザートちょっとあますぎるんじゃ?みたいな。機体は急に高度を落としていく。もうすぐ台北だ。1434台北着。台北時間1534。時計を一時間進める。こうして次に飛び立つときには日本時間に戻すわけだ。時差二時間はそう気にならないもんだとおもう。僕らの便が遅れたせいで搭乗も遅れる。

結局16:30CI106で成田へ。大きく遅れて最後の出発を迎える。ここから成田までは3時間。なんだか今日は一日機内にいる感じである。再び高度を上げ食事の時間。以前は機内食をおいしいと思って完食していたが最近はちょっとそうでもなくなってきた。僕の前の席の白髪の人が酒を飲みすぎて「お一人様3本までなので」とパーサーに断られている。うむ、かっこ悪いぞ。どこの世界でも過ぎたるは良くないのだ。人の振り見て我が振りなおせ、公共の場所でのマナーには気をつけないとね。だんだん、日本が近づいてきた。気づくともう国内だ。でもあと1時間弱。日本も広い。機体は少しづつ高度を下げて九十九里上空へ。

帰ってきた。いつもこの海岸線を越えるときにそう思う。20:54。成田着。みんなお疲れ様だったね。ありがとう!



いい旅だった。でも、ちょっとだけ満腹感がない。
足りないのは何だろう?達成感?やることは十分できたとおもう。自分自身の達成感はある。世界の達成感?それがまだたりないのか?何が必要で何をすればいいのか、行きがかり上出会ってしまったこのアジアに何をしたらいいのか。まだ、自分のことさえ完璧にできないのに何故かそんなことを考えるようになる。

昨年から大きく変わったと最初に言ったけれど実は何が変わったのか良く分からない部分もあった。ただ忙しい、ただ多くの人と接触して何かがおきそうだ。その何かを求めて今年は動いてきた。そしてその何かは「世の中に関わる」ってことなのかなと少し感じてきた。自分のできる範囲というスタンスに変わりはない。ちょっとだけレンズの幅を広くして音楽を中心とする世界をもう少し見たくなった。

今回出会った多くの人々。みんなと僕らは「音」によって結ばれた。ならばその「音」の延長線で何が生まれるかそこまで見てやろう。それが今回の旅の中で最も大きな変革であった気がする。

でも、困ったな。これで簡単にうまくいった、なんて喜んでいられなくなった。第二章第六幕。昨年から生まれた遺伝子は確実に動き始めた。ベトナムという国を日本から、ベトナムの中から再認識できた。かな?音楽だけでは図りきれない何かを考えつつ楽しいことが一番大事なのでそれモ大切にしていきたい。



今回も本当にたくさんの人の支援で成り立ったこのツアー。Dear Friends ありがとう。それぞれの人の気持ちに応えられるようなものを求め続けて駆け抜けた6日間。エンジンは快調に回り続ける、行く先を探せば順調なドライブが見込めるだろう。そのためにも整備と準備を忘れずに行こう。






GYPSY QUEEN ROAD TO ASIA 2007
Dear Friends
2007/9/20-9/25



Photo by Vivi/Aki



viviはみた!
スタッフviviの鋭い視点でツアーを読む