GYPSY QUEEN Road to Asia #19
2008/10/31-2008/11/03
Japan China Oneasia Rock concert
We're back


GYPSY QUEEN IN BEIJING2008 TOUR
GYPSY QUEEN Road to Asia #19 we're back
2008/10/31-2008/11/03
Japan China Oneasia Rock concert

10/31
05:30。まだ今日が晴れなのか曇りなのかもわからない早朝。いつものように家を出て空港までの道を行く。この時間、事故でもない限り道はすいている。いつもこんなだったらいいのに。まあ、早起きすればいつでもこういうことなのか。今回は順番に人を拾っていくために高速に乗る時には満員状態に。機材もあり車はなんとなく重い感じだ。首都高に入り京葉道路へ。mrMoonlightを歌おうと思ったらもう江戸川に差し掛かっていたのでやめた。それくらい快適。そして、いつもの酒々井PAで食事。とおもったがちょっと押し気味なのでお弁当をGET。

そんな時短もあり06:50。成田空港第一ターミナルに到着する。外は寒い。そして、妙に静かだ。この時間の出発は一日の幕開けのよう。これからがやがやしてくるのだろう。閑散としたCAのカウンターに進む。今回は21人の大所帯。出国に時間がかかることをまずは心配をしていた。その心配もなんのそのあっという間に通関に進む。重量も余裕でクリア。毎回のことだが、徹底して重量軽減を図るこのバンド。後にも先にもエクセスチャージを払ったことは第一回目のツアー以来一度もないロックバンドは僕らぐらいといえるだろう。その一回目も大量のお土産で重量オーバーしたんだけれどね。


ゲートに進む。搭乗ゲートは空港の端だ。時間があると思っていたらお土産などを買っていたらあっという間に搭乗時間に。

08:40機内へ。久しぶりのCA。座席が極端に狭い気がする。これは席を変えないと。ということで、ほぼ全員が乗り込んだころ合いを見計らい広めの席に移動。足も伸ばせて快適だ。
09:00。CA422便は飛び立つ。久しぶりの中国へ。どんな旅が待っているのか。中国は僕らにどんな歓迎をしてくれるのか?カウンターパンチはもらいたくない。前回の思いを払しょくできるような旅を望む。そしてそうするも結局自分たち次第である。成田を飛び立ちしばらくして機内食。中途半端な時間に食事をしてしまったのでいまいちだったがまずは乾杯の燕京ビールを。うむ、懐かしい。この薄さが何杯でものめてしまうんだよね。ひと寝入りして、気付くともう中国領空だ。機体は高度を下げ始めている。大地が見えてきた。薄茶色の大地。なぜだろうこの懐かしさ。昔見たことのある風景。最近のアセアンの国々に降り立つ時の景色とは違う風景が広がる。帰ってきた。北京にもう一度帰ってくることができた。

時折大きく揺れながらもタッチダウン。13:25 北京首都国際空港に到着した。最初に驚いたこと。むせかえる熱気もオイルのにおいもなく整然とした空港に変わっていた。空港も新しくなっていて以前も大きいけれど無機質というイメージがあった空港がなんだか洗練されている。うむ、変わっている。以前とは全然違う。空港の大きさも中国のだだっ広い空港というよりもバンコクの国際空港の様相。つまり美しいのだ。中国独特の臭さもない。オリンピックでいろいろなことが変わったという。その一つがこの国の玄関の顔と匂いなんだろう。ゲートを抜けるとあの男がいた。

徐軍さんだ。遠くからでもすぐにわかる。めっちゃ懐かしい。そしていつもの笑顔で僕らを迎え入れてくれた。思えば7年前の四月に初めてこの空港で会った徐軍さん。そして今。時は流れても笑顔と僕らの距離は変わらない。今回はリータオさんという人が僕らのツアーに同行してくれる。さっそく挨拶をしてバスに。ほとんどが初中国というメンバー。みんなどう感じているだろう。空港を出てさっそく感じたこと。樹木が白く塗られてない!防虫目的で真っ白になった木が見当たらないのだ。市内に入っても欧米の雰囲気に似てきている。「あまり中国にきたって実感ないですね」と誰かが言う。確かにそうだ。


14:15.バスは王府井に到着しここで換金&昼食。外に出るとごみの少なさにびっくり。空気の綺麗さにさらにびっくり。タクシーも綺麗だ。こういっては申し訳ないが混沌とした中国と再会とおもったぼくは拍子抜け。いやいや、そうではない。これはいいことなのだ。進歩をよくおもわなければ過去の人間になってしまう。思い出を懐かしむより今を楽しもう。とりあえずそれぞれ食事をとおもったが大体みなKFCに入った。なんで北京で?まあ、時間もないし、とにかく広いのでみな近場ですごすのを選択。ま、おいしいしね。中国ならではのお粥のメニューなどもあり少しchinaを感じる一行。

14:50.バスでホテルへ。今日のホテルは天壇飯店。天壇公園の西側に当たる。15:20 ホテル着。きれいなホテルだ。それぞれチェックインしてすぐに集合。国際交流基金に挨拶に行く。さっき来た道を戻るように進み16:30。国際交流基金へ到着。このエリアはなんとも素晴らしい高層ビル。まるでニューヨークの摩天楼のような美しさ。そんな街がいきなり出現し、その中心のビルに国際交流基金はある。オフィスに向かうと佐藤さんが出迎えてくれた。しばらくすると藤田所長がいらっしゃった。思えば2004年。反日の真っ最中に北京で会い、僕らのアコースティックコンサートを見てくれた方だ。


再会は懐かしく、あっという間にあの時に戻った気がした。ここは日本の文化を伝える図書館がある。結構最新の情報もあったりして日本と中国の距離が縮まっていることを肌で感じることができる。センターの中を回りその後一緒に食事へ。近くのいい感じのDEEPな上海料理店へ。そういえば今回初の中華料理だ。ここ数年の情報のない僕らは最近の北京についていろいろ教わる。その国のことはその国に住む人の言葉が重要だ。長らく過ごしたいところであったが、次の予定も待っている。後ろ髪惹かれる思いで別れる。

町は日も暮れて美しいイルミネーションの世界に変わる。日本の不況はなんのその。きらびらやかな照明はとんとここ数年に日本になくなってきたそれだ。これも底力か。がんばれ日本。そうおもう。バスに乗り込みみなさんとお別れ。再会はいつのことだろう。きっと近いうちにくるに違いない。渋滞気味の市内を抜けてホテルへ。19:30、一度部屋に戻り準備。今日はこれからライブなのだ。準備をすべて済ましてすぐにバスに戻るともうみんな集合していた。


20:00にホテルを出発。30分ほどで懐かしい三里屯へ。ここも道の左側にはユニクロができていたりして様変わり。ちょうどハロウインだったために氏神さんは格好のネタに。写真を取られたり、呼び止められたりもうそれはハーレムのようなもてようだった。そして、20:30SwingBarに到着。さあ、初日の一本目はここだ。ウオームアップ代わりに久しぶりの中国で音をかき鳴らそう。

会場に入ってみるとそこはいい感じの酒バーだった。ステージを想像していたがステージにのれるのはバンドが一列に並ぶ形。ROCKもOKというのでここを選んだのだがちょっとニュアンスが違う。ここに来る前にBoy&Girlのどちらにするかという話があった。個人的にはなじみのある、そしてステージの広さが想像できるBoy&Grlにしたかったが、会場側からお勧めがあったこともあり、ここに。ということは当然それなりのものがあるとおもった。


でも、そこが中国。特に何の告知もなく会場入りすると準備をするようにいわれる。そして、どう考えてもBGMとしてのバンドがやるようなスペース、またはJAZZバンドのスペース的でROCKには不向きである。まあ、今日はしょっぱな。RHの意味合いもあるのでかまわないが会場の選定についてはいつも当日現場の出方しだいという点は相変わらずの課題である。それでも、オーナーがいいかげんだということはなく、いたって普通に準備を始める。スケジュールも詰まっていてのんびりしている余裕はない。表通りからはハロウインの不気味な格好をした人たちが店を行き来している。へんなスフィンクスのような人が妙にフレンドリーに話してくるとおもったら店員であった。中国でハロウインパーティ。イメージできなかったがこれもこの町に来てさほど不思議ではなくなった。

 

今回は、基本GYPSYQUEEN+αというのが元になっている。Machaの代わりをしゅうじが務めて、そのバックアップに数人が加わることになる。まずはサトル。イキのいいギタリスト。王子様の格好は何はともあれアーチストだ。とにかく前に出る。その姿勢はアーチストとしての素養を兼ね備えている。とはいっても超狭いステージ(横長のスペース?)でのセットは手間取る。ライン出力当たり前の国なので、さくっと準備を進めるがたぶんこういう環境に慣れていないのだろう、ほかの楽器連中は困惑気味だ。出音が想像できないのは厳しい。でも、厳しくてもステージは始まる。だから、最初の一音を出してからいかに短時間でそれなりの音に修正できるかがポイントだし、それがこの世界に生きる秘訣だ。


いきなりそれを求めるのは酷かもしれないがそれができないととにかくだめな世界。課題は残しつつもがんばっている姿は未来を感じる。きっと彼らなりにこの環境への不満と、できない自分に対するしたため、そして結果が出たときの達成感が共存して残るだろう。そして、残ったものの中でポジティブな部分が半数を超えていればクリア。次に進める。ネガティブなものが半数を超えればチェック。ここで帰国となる。ウルトラクイズよろしく誰のせいにもできない孤独なアーチストという人生への挑戦でもある。きっと越えてくれるであろう。

何かのせいにして饒舌に語ることなく自分でできるようになることを。ある意味非常によい中国でのリハーサルを体験できたとおもう。氏神さんも同様で本来は明日の本番のみであったがここで3曲をトライ。よき感触を得たようだった。この辺はさすがである。小一時間のステージを終えて会場を出る。22:30.女人街の近く2kolegasへ到着。ここにはバスは入れないので10分弱歩くことに。ハードケースをもっての移動はきつい。しばらくもっていると指の感覚がなくなる。左右持替え長柄の移動は苦痛だ。多少邪魔でも現地移動用のソフトケースは必要だなと実感。ここは周りがドライブインシアターになっている。昼間は汚そうだが、夜は妙にイルミネーションで綺麗だ。大きな池があり、その周りに寂れた店が点在する。その一番奥が2kolegasだ。掘っ立て小屋の様相のこのライブハウスはファンキー末吉さんの紹介でアクセスしたところ。


さすがファンキーさんならではの小屋である。もう、もろ中国のアンダーグラウンドシーンが目に浮かぶ。これはどんな大音量でも大丈夫だなとちょっとうれしくなる。アンプが壊れるくらいでやってやろうとほくそ笑む僕。今日はhelenに呼ばれてパーティに顔を出すことになっていた。到着すると受付でhelenを呼び出す。まだきていないというshinonが連絡するとご飯中とのこと。おいおい。まあ、いいちょっと待つ間に会場を見ておこう。受付がお金を払えというがとりあえず無視して小屋の中へ。イメージしたとおりの感じでもうアンダーです。こりゃいい。外に出て数十分。寒いのでとりあえずバスに戻ることに。バスで待っているとジャンジエがやってきた。Helenの使いでこさせられたみたいだ。約二年ぶりの対面だがまるで先週あっていたかのような感じ。そして、彼らはますます角の取れたアーチストになっていた。最初にあったあの危なさはもうない。話をしてみると、出番が1時になったということでまだ会場入りしていないという。この時点でHelenと会うことを断念。とりあえずジャンジエに内容を伝える。


明日は11時には来てくれ。Helenとのコラボについては明日楽屋で話そう。簡単に話せばこの二つ。深夜1時からの本番ということは絶対スタートは遅れるだろうし、結局2時、3時になるだろう。それで11時に彼らがこれるかは疑問であるがそれは彼らが考えること。とにかく11時に待ってるから絶対に寝過ごさないようにと伝えて分かれる。それにしてもジャンジエ。本当にいいやつで、いい出会いであったとおもう。北京なまりの中国語でがんがん話してくる。こっちがわかっているのかどうかは関係ないんだよね。そんな感じがまたいいんだな。それもファンキーさんの紹介で13clubでライブをやったときなんだよね。本当に感謝である。そのファンキーさん、会いたかったがなんと今香港へ。会えずに残念だがまたの機会もあろう。


結局相次ぐ変更でみんなを待たせてしまった。ホテルに戻ったのは24時過ぎ。長い一日だった。元気がある人は呑みに行こうということで10数人を連れ立って近くの飲み屋に。とりわけいい感じの店を探してはいる。店に入っていったのに半分照明が消えているのがまたいい。初日の乾杯。そう、24時も越えて今日はterumaのバースディだ。異国でのバースデーは思い出に残る。彼にとってこれがよい思い出になればとおもう。彼らの決断力はものすごくいい感じで、teruma向けのバースデープレセントを昼間買っていたらしい。言葉もわからないのによく買いにいったな。とおもう。


なんだか妙なセンスのバックル。誰のセンス?まあ、いい。とりあえずterumaにお祝いの一気をたくさんさせてあげて盛り上がった。もっととことん語りたいところだが明日の本番もあり2:00を回った時点で解散。車の一台も通らない寒空のなかホテルに戻る。途中24時間のコンビにで一本2元のビールを買い付け部屋に戻り明日からの準備をする。このホテル四星だけあってなかなか快適だ。熱いシャワーを浴びて気づくと3時を過ぎている。寝なければ。明日も早い。


11/1。7時起床。二日酔いもなく、体調も万全。
昨日さらにもう一軒行かなかったのがよかったなと思う。外は今日も晴天だ。北京というと曇天だったので気の抜けた感じもする。08:00朝食。結構混んでいてみんなで座ることができない。この朝の時間にいろいろ打ち合わせをするもんだがまあ、特に緊急事態は起きていないので大丈夫だろう。今日はメインの公演日。すばやく準備を済ませて9時にロビーに集合する。MAOは鼓楼というエリアにありホテルからは30分ほど。時折渋滞しながらも09:40MAOに到着した。


このエリアはなんとなくおしゃれな感じのゾーン。といいつつも僕の感覚が2年前なのでもうなんともいえないね。ここは違う国になっているんだから。会場にはすでにsam2さんがきていてここでご対面。メールでやり取りしていたのではじめて会うという感じではなかった。とても気さくな人で何よりも日本語でやり取りできるのが楽でいい。ここは北京でももっともしっかりとしたライブハウス。日本の著名アーチストも北京でコンサートというとこの小屋に来る。実際会場を見ると設備的にも北京一であるといってもいいだろう。ここでは連日北京でしのぎを削るバンドが出演しているのだ。


10時よりリハーサルが始まる。やり方は日本のそれと同じ。そうしているとジャンジエの姿が。おお、ちゃんと来ている。それも時間前に。まあ、当たり前のことだが、日本にいるとメールの連絡もなかなかつかなかったりして、本当に大丈夫かとおもうことが多々ある。しかし、大体、こうして現場で顔を合わせるとすべてがうまく進む。この現場主義。中国式の進め方はここに来てしまえばこんなに楽なことはない。そうだそのあたりは2001年のツアーと変わりないことだったのだ。ふとそんなことを思い出していた。RHを終えhelenと打ち合わせ。彼女も昨日の2kolegasでの僕らのとのセッションをとても楽しみにしていたようで昨日会えなかったことを残念がっている。といっても1時からやるといわれてもねぇ。その分今日を楽しもう。


彼女とやるI loveRocknrollの歌う順番などを相談して終了。コンサート自体はRHが押したこともあり13:10スタートとなる。
コンサートは最初に3人の女性シンガーが歌いそしてPeacefulCloverそしてZIYO、最後にGYPSYQUEENと氏神一番さん。終わったら全員のセッションという流れだ。 ソロシンガーたちは一生懸命中国語を話した。Peaceのテルマもそうだ。これは重要なことだとおもう。たぶんあまり通じていない気もするが話そうとおもうことが重要であるとおもう。

 

本番前に一生懸命に歌の準備をするのではなく、中国語の発音を繰り返すシンガーとそれを教えるLitaoさん。この姿をみるだけでこのイベントがなんたるかを伝えることができる。彼ら彼女らには感謝。これは押し付けてはできないこと。みんなが同じ気持ちを持たないとできない貴重なことだ。これは必ず北京の朋友たちにも伝わるだろう。僕らは交流したいのだ。このGYPSYQUEENのコンセプトに賛同してくれた若手のシンガーたちに心からの敬意を表したい。


初めての中国をどう感じるかは3日後にならないとわからないが、きっとそれは彼らの音楽人生の中にひとつの大きなトピックスとして残るのだろう。
なんとなく楽しくなってきた。GYPSYQUEENの出番になりステージに上がる。YPSYQUEENのオリジナルに加え中国語曲をアレンジしたものを数曲。Helenとのコラボあり、そして氏神一番さんとshinonのコラボ。そしてOEDOまでバライエティに富んだ構成。みんなが楽しんでくれているのがわかった。

そして、重慶ブルースをやる。この曲は重慶の恩人重慶ゴジラさんにささげるもの。曲ができてから何度か重慶行きを試みたがなかなか実現されなかった。そして、今こうして初めて北京で披露することができた。重慶まではまだ遠い。でも、半分きたじゃないか。この曲を重慶でやること、そしてそのときにはゴジラさんのシートを用意することを関係者の方々に約束した。それは必ず果たさなければいけない僕の大切な目標でもある。

北京の若い人たちにしのんがこの曲の意味を伝える。こんなにも中国を愛した日本人がいることを知ってほしい。僕らはこの歌でそれを伝え続けていかなければならない。それがゴジラさんからの我愛中国のバトンだ。

コンサートは後半へ。最後のセッションでは全員がステージに。自然と盛り上がる。いいキャラが勢ぞろいだ。こうして今回のメインテーマ四川大地震チャリティコンサートは終了した。 売り上げは全額支援にまわすために確保した。たいした金額じゃなくて申し訳ない。もっと告知を徹底していればともおもう。でも何かを誰かが始めないと進まない。僕らを見てもっと僕らよりうまくやろうとおもう人が生まれればそれもよい。実はこの後押しをしたのは伊丹谷くん。以前二人で話していたときに僕は「北京でやりたいけれどなかなか受け入れ先が決まらない」ということを話していた。時はオリンピック前。みんなが北京へ、北京へと色めきだっているときだ。彼はこういった。「AKIさん、とりあえず行かないと。いかないと何も決まらないよ」。その言葉をきいて何かが崩れる音がした。


なんだったのだ。いつしか保守的に、打算的に考えるようになっていた。一番大切なことを見失っていた。もし、本当に僕らが「何か力になりたい」と思っているならば行動できるはずだと。その言葉を受けて僕は動き始めた。本当はこの場に彼と一緒にいたらもっと強く感じただろう。ぼくらはやるのだ。

そんなことを思い出した。誰かが動くことが大切なんだと信じてこれからもこの活動は続けていこう。地震の被災は今も続く。今もできることをできる範囲で長く続けることができれば人の心に地震は残る。気持ちの継続をするためにこのコンサート、できる限り続けていきたいとおもった。決して他人事じゃないのだ。コンサートが終わり片付けて次の現場へ。今日は2Kolegasでのステージもあるのだ。Sam2さんとはいろいろ運営面について話ができた。今回の肝は集客だったがそこが芳しくない部分もあった。反省点をとことん突き詰めて次に同じミスをしないようにしていこう。そんな話をしながらホテルへ戻るバスで。 道が渋滞してあちらこちら振り回されたがライブハウス前にたまっていると日本のそれよりも厳しい中国。連行されかねないのでとにかく歩いていなければいけなかったりするのでとにかくMAOの前を離れて移動。

ようやくバスを発見して17:30ホテル到着。ここでちょっと時間がある。この隙にシャワーを。最近アセアンばかりなのでいつも汗をかいていた。こうして中国に来ると寒い時期もあるということが本当に珍しいというか楽である。窓の外には天壇公園が夕闇にぽっかりと浮かび上がる。いい眺めだ。外はどんどん暗くなり出発の18:50の時点では闇が支配していた。そして、バスに乗り込み2Kolegasへ。あまりに眠かったせいか気づくと会場近くに。ここから楽器を運んで小屋に到着。昨日のパーティは今日はないのでなんとなく閑散とした会場だ。まずはサウンドチェックということで数曲を演奏。まあ、音のバランスもいい感じだ。RHを終えて夕食に向かう。今日は忙しくて昼を食べていない。

ということで豪勢に湖南料理を食べにいく。時間は20時を過ぎていて1時間程度しかない。それでも食べておかないとと思い席に着くないなやビールのカンペイの嵐。まあ、よくあることなのでかまわないがあまりしゅうじに飲ませるのは危険である。ステージが飛んだらそれは僕らが埋めなければならない。ちょっとだけセーブさせ気味で変わりにコウイチに飲んでもらう。そして一時間ちょっと。さあ、会場に戻らなければ。今日は22時からの演奏である。この酔った感じが小屋の雰囲気に合う。今日はセットリストにハード目な曲を集めておいた。きっとそれなりに受けるだろう。BTVの王さんが聞いたら耳を押さえたくなる曲ばかりを集める。

 

ステージによって演奏、演出はまったく異なるので毎回大変なのだがそれに見合った感想が待っているのでこの努力はやめられない。時間になりちょっとお客が少ないがオーナーに聞いてみると「12時過ぎには盛り上がると」といわれ、それを待つのは無理と判断してスタートする。
とにかくボリュームはいつもの倍くらいにセット。軽くひずむくらいのセッティグにしてみた。残響よりもパワーで。そんな会場のイメージにあわせた音をセットする。演奏自体はちょっとお酒も入り、勢いはとまらない。

僕らがステージを終えると次に出る王威とあう。かれは北米でも拠点をもっており、日本を跳び越した形でセールスを提供していくことが今の中国ではありありなんだろう。相当気にいってくれたみたいで、いろいろな話を持ちかけられた。コラボ話とかツアーとかね。うむ、いいぞ。今回の目標の一つ「自ら挑戦する」ことを思い出してきた。会場は夜中になるにつれてヒートアップする。あと1時間いるともっと盛り上がってくるんだろうなと思いつつ、名残惜しくも厳しい寒さの中会場を出てホテルへ。本当はこれからなんだけれどね。北京。

今日も24時になってしまった。今日も有志でプチ打ち上げに。そんなに飲みたい?そうではない。ちょっと言い訳がましいが日中は本当に時間に追われているし、やらなきゃいけないことがたくさんある。そんな中で見えなくなることもたくさんあるんだな。だから、このリラックスした時間に仲間と話がしたいのだ。みんなをリードすることも大切だが組織では会話をすることももっと重要だ。何かひとつでもみんなからの声が聞ければいい。そんな時間を作るのはやはり夜中になってしまうもんだ。ということでまずはギターのしゅうじを捕まえていろいろお話。今回、最も数多くの楽曲を演奏する彼。それは大変だとおもう。代わりのいない立場。きっと初の北京だからもっと遊びにも行きたいだろう。でも、それもままならない楽曲の多さ。大変だけれどきっとこの経験生きるとおもうよ。なので、よい思い出になるためにも少しだけアドバイスをしたりした。


氏神さんのアドバイスも的確である。この厳しい音楽界で長らく生きていくということはそれなりの術が必要だ。夜中の北京の汚いただの飲み屋。そんな中で氏神一番さんの生き様を垣間見る。そうしてほとほと酔った一行はホテルへ。昨日よりもさらに寒い。風邪をひかないようにしないとね。コンビニでお土産をいつまでも買っている一行を置いていき先にホテルへ。それでも部屋に戻ったのはもう2:30。明日は万里の長城にいく。そして、JAMICにいき、夜は后海でのライブ。寝不足はつらいぞ。早く寝よう。


11/2。05:30。まだ外は暗くめっちゃ寒い。 ちょっと二日酔いの残る中、準備を整えてレストランへ。6:30から始まるレストランは僕らの一行が一番のりだった。そのままロビーに集合して7:00出発。今日は万里の長城に向かう。この時期紅葉シーズンということでかなり込んでいると聞く。そうか中国にも紅葉シーズンってあるんだなと思う。今日はいわゆるオプショナルツアーではじめての観光めいた日。まあ、いいじゃないですか、半日くらいみんなに「中国にきた!」といえる時間を作りましょうということで午前中をオフにした。結局ほとんどのメンバーが参加したのでオフィシャルな行事に近くなったけれどね。ということでバスに乗り込むとすぐに寝てしまって気づくともうあとちょっとのところまできていた。


モンゴルまで続く列車と道路が交わるポイントのところまできていて、「あ、あと10分くらいだな」と04年のときを思い出した。大体この記憶は確かなものでおよそ10分程度で駐車場エリアに。道にははるか下方にバスを止めた団体さんがどんどん登ってくる。これはつらいんじゃないか?ちょっとびびる僕。どこまで上にいけるかとおもいつつ、結局一番上の駐車場にとめることができた。さすが。といってもここから八達嶺の入り口まではもう一登り。お土産屋が連なる建物の急坂を登るといきなり最後尾になってしまった。ライバルは氏神さんと酒井さん。ミュージシャンは不健康なのである。さらに中国人の子供たちの団体に追いつかれその輪に飲み込まれる。遠くでshinonが勝ち誇った顔でこっちを見るので少し意地になりダッシュ。何とか追いついた。

 

ここでフリータイムとなり、僕らは男坂を目指した。以前は女坂を登ったがここはもうほんとすごいことになっていて、お正月の初詣状態になっている。すでに遠くの稜線をみるとそうなっており、ここには行かないほうがいいという判断。それにみんなついてきて結局GYPSYQUEEN一行は男坂にチャレンジである。きついぞこっちは。中腹まで登るといわゆる万里の長城の絵としてよく使われる竜のようにくねった長城がよく見える。おまけに言えばそこに張り付く人の群れもよく見える。

「こっちでぇ よかったぁ でしょ」と息が上がりつつ話す僕。そんな仲間たちはどんどん上へ。途中の楼閣で僕はストップ。さらに上に行く人たちを見送る。でも、ここから見てもものすごい傾斜。本当に大丈夫なの?と思う坂を普通に登れるところが中国のすごいところだ。まあ、タイでもラオスでもそうだったけれど安全基準が違うんだよね。自己責任。それが徹底されている。登って落ちても自己責任。恐れるならばいかなければいい。わかり易い当たり前のことだ。日本だったらどうだろう。まずあそこまでは登れないね。

絶対に「危険 立ち入り禁止」と札が立てられてご丁寧に鉄条網があるだろう。世界遺産も景観を台無しにしても安全を優先ということか。これは国によって異なるので何がいいかわからない。実際に事故があれば誰かの責任問題になるだろう。古き遺産を守るのは今の人たちの倫理観に頼るところが大きい。

長城を満喫して元の場所に戻る。待ち合わせ場所はお土産やでここも高額な商品がたくさん売られている。ここで時間を過ごすならばもっとフリーでいたいね。少なくてもGYPSYQUEENの一行はまったくこの手のお土産には興味がない。結局何も買わずに出発。そしてバス乗り場まで戻り昼食会場に向かう。僕らがお土産に興味を示さなかったせいかスタートも早く昼食会場に30分も速く到着してしまった。

 

うむ、これはどうなんだろうか?時間が無駄なんじゃないか?とおもう。そして、昼食もツアーだから仕方がないのだがよくある中華料理であった。でも、こういうものなのかなと我慢。それでも、出発まであまりにも時間があるので早めに出ようと提案した。何しろこのあとJAMICにいくのである。そこには僕らが行くことを知ったファンの子達がきている。万里の長城用の防寒着よりも着替える時間があるならそうしたい。でも、それはできなかった。ドライバーはすべて時間通りに動いている。仕方ない。その流れに従い駐車場で待つこと20分。ようやくドライバーが戻ってきて出発だ。一時間ほどで市内にもどり12:50。JAMICに到着する。

ここで朱さんと対面。昨日のコンサートでは直接会えなかったのでここが初対面となる。JAMICの中にはいるとそこは日本かと思うくらいにたくさんのCDやDVDが展示されていた。朱さんにここでご挨拶。日本語がとてもうまくて緊張も和らぐ。最初にセンターの概要を紹介してもらいそのあとはここに来ているファンの人たちとの交流であった。みな、日本語を勉強していたり、日本に行きたいと思っている子たちで会話も盛り上がる。常々すごいと思うのは日本に一度もいったことがないのに日本語を流暢に話す人がいることだ。


その中に非常に日本語がうまい人が。完璧な発音。と思ったらよくよく聞くと日本人の黒木さんという方だった。きりっとした顔つきはこちらの俳優さんかと思ったくらい。「日本語うまいですね」なんて当たり前のことを言ったりして和む。こちらで日本語の先生をやっているようだ。こういう人たちが日本の印象を作り、次の世代につないでいく。非常に重要なことだと思う。話をしていて残念だったのがここにきているほとんどの人が昨日のコンサートのことを知らなかったこと。「見に行きたかった!」という声が飛び交う。

改めて告知の重要さを感じる。結局、今晩の后海のコンサートに来てくれることに。今日はライブバーなので、そこそこ入場料金も高い。それでいてMAOのような完全な音楽環境はないだろう。そこにきてもらうことはちょっと申し訳ない気がする。でも、ぼくらはバンドマン。演奏を聴いてもらわないとすべてが始まらない。せっかく聞きたいというひとがいるのだからそれに答えられるように、次回以降はもっと事前の準備をしっかりして告知を広めようと思った。


朱さんも今回の公演の意義を強く感じていただけて、継続する方向で話が進んでいった。中国は僕らにとって大きなブランクがあり、それは初めてと大差ないくらいのブランクだ。この進歩の早い国で2年のときを越えることはすさまじい浦島太郎状態だ。もう一度はじめるために丁寧にもう一度組み立て始めよう。一度で結果が出ないのもそれでよい、次はもっとよくなるだろう。交流をしながらみんなの顔を、目をみて感じた。応援してくれる中国のファンのためにも次の機会を作ることが僕らの役目でもあるんだなと。時間はどんどん過ぎ14時を回った。会話は途切れずにいたがここで中断しホテルへ戻ることに。きっと、彼らとは次の機会に、もしかしたら本当に今晩来てくれるかも。そんな未来を残してバスに乗り込む。休日の午後はかなり渋滞。結局15時ちょっと前にホテル着。

さあ、ここが唯一のフリータイムである。寝ておきたいという気持ちもあるがまずはマッサージに行こう、そして買い物かな?ということで紅橋市場に向かう。歩いて十分くらいの距離である。先にマッサージと思ったが適当な店が見つからなかったのでショッピングへ。結構以前と比べると高くなっているが相変わらず勢いのあるおばちゃんたちとの価格交渉は体力勝負。値切り、値切られというバトルであっという間に時間が来る。とりあえず買いたいものだけ買って(けっこう買うきのないものも買わされたりする)店を出てホテルの隣の小さなホテルのマッサージへ。ここは1時間50元。値上がりした北京の中では格安だ。しかし、誰も英語すらわからない店なので、一行はかなり混乱。一緒に行った6名から僕に矢継ぎ早に質問が来る。それに答えつつ僕の隣には南京から来たおじさんが超南京なまりで話しかけてくる。それもマシンガンのように。わからない。その人の中国語をマッサージのお姉さんが北京語に直してぼくにつたえてくれる。どういうことなんじゃい。しかも強烈に効く足裏マッサージの中でやられるのだからたまったもんじゃない。

足は超リラックスしたが頭の中はフル回転。そんな感じだった。ほかの部屋からは「足裏なのに全身マッサージされている」とか「みんな起きてますか?」とか声が飛び交う。ちょっと離れた個室にいた僕はよくわからなかったが結局途中でみんな寝てしまったみたい。それほど気持ちいいマッサージであった。これで50元は本当に安いよね。できれば毎日通いたいくらいだ。足のむくみが取れいい感じになってホテルへ。部屋に戻って一息つくともう集合時間。

17:30.天壇公園南門に位置するシャブシャブ屋へ向かう。ここは以前来たことがありものすごく安く、ものすごくおいしかった記憶がある。そう。かなり楽しみ。もう北京の大衆食堂という感じでまさに狙ったとおりのお店である。ここで全員の晩餐。そういえばこうしてひとつのテーブルに全員着くのははじめてかも。そこそこ飲んで食べて北京の食を満喫。バスに戻りそのままライブ会場へ向かう。この慌しい感じ。なんだかいいぞ。

19:30.后海に着く。ここは初めてきたのだが、なんだかおしゃれな人造湖があり、その周りにバーが並んでいる地域だ。オリンピックに向けてかなり手を入れられたようで確かに外国人が喜ぶような町並みになっている。ここでスタバを発見。Viviちゃんがカフェモカを飲みた〜い。の一言でみなスタバへ。確かにうまい。心が和む。この寒空にはばっちりな味でした。今日の会場は甲丁坊。どんなところかとおもうとこの湖畔沿いにある総ガラス張りのおしゃれなカフェだった。一階と二階にステージがありそれぞれ歌手が歌を歌うような場所だ。見たときに一瞬不安になる。このステージサイズ。どう考えてもドラムきついんじゃないか?そしてよく見るとアンプがない。たいていこういうときはこのままアンプなしとなってしまう。ぼくらは何とかできるがサウンド的にもPeaceはこのままではかわいそうだ。


とりあえず二階を見てみるともっとおしゃれな感じでなんだかブランデーをゆらつかせているお客さんも。ここでROCKはないだろうとおもう。ただ、その件については事前に十分確認済みだ。僕らはロックバンドなので機材がないとできない。そしてrockをやっていい雰囲気なのかどうかを何度もきいた。お店からはROCKでOKという返事をもらっていたので安心していたのだがここに来てこれではたまらない。こんなところで最後のステージはできない。策は3つ。何とか機材を探してもらう。場所を変える。中止する。このどれかだ。

中途半端にやるならばやらないほうがいい。それでもGYPSYQUEENの公演に NOはない。 僕らなりに作り上げたスケジュールではこの夜の公演は締めくくりでもある。そのためにPeaceを昨晩温存しておいた。だからこそやらないという選択肢はないわけだ。だとすればなんとかやる場所を確保しなければいけない。それもちゃんとした場所を。それは僕らの責任でもある。そこで思いついたのがboy&Girlだった。

Boy&Girlとは今回、何か縁を感じていたのだ。最初出演意向を伝えると会場側のスケジュール的にNGだったので結果的にSwingBarを選択した経緯がある。しかし、訪中前日の夜に連絡があり「GYPSYQUEENを受け入れる」と回答があった。しかし、先に決まったほうを優先すべきということでいったん申し出を断っている。次の接触は当日。ingbarにいくためにboy&Girlの前を通ったら「日本人バンドだろう?こっちだよ」とboy&Girlに連れ込まれそうになった。ハロウインということもあり、単に客引きされたと思ったので「ちがうちがう!」と振り切ってきた。そして、その数時間後、僕らのコンサートを見に来たサイさんの話によると「Boy&Girlに電話をして今日GYPSYQUEENのコンサートは何時からあるのか、と聞いたらバンドから出演をキャンセルされてしまったがもしあなたがバンドと知り合いならGYPSYQUEENに出演するように行ってくれ」といわれた。というエピソードもここまではすべて31日の夜中のことだ。

そういった縁を強く感じて、もしやこのピンチは接触のとき?と思いLitaoさんにBoyGirlに電話をしてもらう。その場ではマネージャーがいなくて後でかけ直すとのことだった。しかし、電話に出た先方の話だけを聞くと、31日に店の前を通ったGYPSYQUEEN一行に声をかけたが、「日本人じゃない」と言われて無視をされたのでオーナーは怒っている。ということだった。まあ、確かに振り切ったがそれは誤解だ。釈明しておかないとね。そして、なんとか話をまとめたい。


Litaoさんが「甲丁坊キャンセルしましょうか?」というので「Boy&Girlが確定してからにして」と抑える。慎重な判断をしないと命取りになる。お店にはJAMICで会った子達がきている。きっとチャージも高い店なのに見てみたい!という気持ちでわざわざ来ているのだ。この子達のケアもしないといけない。そして、10数分。再度電話をしてみるとマネージャーにつながりとりあえずBoy&Girlでのステージを30分のみ抑えてくれるとのことになった。要は一バンド分の時間をくれるってことね。確かに当日の話であればそれでも十分考慮してくれた結果だろう。僕らはそれを2つに分けなければならない。セッティングも込みであるからかなり厳しい。でも、確かboy&Girlのステージはかなりいい感じだった記憶がある。それならばすぐにYesを選ぶべきだろう。

「Litaoさん、移動しよう。甲丁坊はキャンセルね。」決めたらすぐに移動だ。3里屯までは近くはない。全員に撤収を指示して移動。一応お店の人には謝っておく。そして、JAMICの子達にも事情を話す。「ごめんね、ここではできない。これから三里屯でやるよ」どうしていいかわからない彼らのために「よかったら一緒にバスに乗っていこう!」と提案。みんな喜んでくれた。この現場感覚が中国のよいところ。きっと彼らも一緒に会話できることを喜んでくれるだろう。僕らも生きた中国語の学ぶチャンスだ。Litaoさんにも説明して許可をとる。


バスに戻る道。Litaoさんは何度も僕に謝った。「私がちゃんと確認しておけばよかったのに本当にごめんなさい。私はだめです。」と。でも、そんなことはない。会場の機材のことは会場しかわからないし、大丈夫だといった店の人が無責任であってLitaoさんはまったく悪くない。それよりも予定を次々に変更している僕らのほうが申し訳ないくらいだ。そして、そのときふと昼間のことを思い出した。ランチのとき、結局仕切りがうまくいかずに僕らはバスのところで待たされたのだがそのときのガイドさんはたとえ話なのだろうけれど「中国人は悪くても決してあやまりません。たとえば私が悪くてもあやまることはしません、それが中国です」といっていた。


脈絡のない話だがそんなことをなぜ言うのかな?とおもった。中国人すべてが悪いことをしても誤らないなんていうことはない。現にこのLitaoさんは自分が悪くなくても迷惑をかけたという思いで僕らに謝っている。この人は正真正銘中国人だし、僕らが普段感じるように自分の責任と物事のよしあしを見極めて日本人の僕らと同じように物事を考え、悪いと思ったときには謝る。昼間のガイドさんの話だけ聞くと「なんて中国人は傲慢なんだ」とおもうかもしれない。でも、決してそんなことはない。自分に非がなくてもみんなが困っているとまるで自分のことのように悪いと思い誤り、何とか打開しようとするすばらしい中国人が目の前にいる。何でも物事を決め付けて考えるのはよくない。たくさんの人をひとつの考えで表現するのはよくない。僕の周りにいる中国人の朋友はすべてみなすばらしい人たちだ。


お互いのことを考えお互いを理解しようとする。もちろん、アバウトなのは日本人も同じだ。なんだか、昼間の話がちょっと腑に落ちなかったので、それをこうして目に見える形で払拭してくれたLitaoさんには心から感謝をしたい。

バスは30分ほどかけて三里屯に到着。すでに21:30を回っていた。機材をもって会場に向かう。そこには徐軍さんが待っていた。もう会えないと思っていたのですごくうれしかったね。なんとなく頼もしい。開口一番「AKIさん、出演時間を延長してもらいました。」お〜さすが徐軍さんいいところで出てきていいところでいい仕事をする人だ。こんな僕らを支えてくれている人たちが中国にいることを本当に思い出した。Boy&Girlにはいってみると昔のステージとは違う綺麗なステージだった。昔の混沌としたステージも好きだが、ここは美しく進歩している。そして、ステージで歌っている張さんがマネージャーでもありステージをすべて仕切っている人だった。


「あ、あの人だ」。初日、僕らに声をかけたのはこの人だった。きっと無視をされて怒っていたのだろう。でも、こうして最終日に快く迎えてくれた。この恩は音で返さなければ。22:15.ステージは始まる。最初にGYPSYQUEENが演奏する。一般の人もいるだろうということも考え(まあ、みんな一般だが英語とかもわからない一般の中国人のお客さんという意味ね)中国語、英語、そしてオリジナルという構成にする。このステージぎりぎりの曲変更にようやくしゅうじも慣れてきた気がする。


演奏はお客さんのためにやるのだから、そのお客さんの状況を見て楽曲を決めるべきだ。あらかじめ、僕らの公演とわかって集まっているオーディエンスであってもそうだ。日本ならよいのだが海外では客層によって受ける受けないの前に通じる、通じないの壁がある。それを見極めてステージに立つということを感じてもらえれば彼に今回参加してもらったお礼として何かを返すことができるだろう。この旅の最後の曲を終え、ステージを降りる。

 

僕らの後はpeaceに任せた。今までは自分たちだけだったが今回は仲間がいる。僕らだけではないツアーもこれが初めてだ。最後はみんなで盛り上がろう。数曲の後、張さんが徐軍さんの所にきてなにやら耳打ちをしている。セッティングに手間取ったりして時間がオーバーしているようだった。次の曲を聞き、最後の一曲に入ろうとしているpeaceにNGのサインを出す。最後だからもう一曲やらせてあげたかったが、ここは約束。それを優先してしまえばいきなり時間を空けてくれた張さんやその時間を引き延ばしてくれた徐軍さんに迷惑をかけてしまう。申し訳ないがここでとめさせてもらう。そして、彼らは音を止めた。


きっと最後にやってしまいたかっただろう。それでも彼らの理性が音を止めた。これで彼らには次の一歩が生まれた。どんなときにも自分の環境を理解して判断できるバンドマンになっていた。僕は彼らを尊敬した。コンサート終了後、マネージャーの張さんは最大級の賛辞をくれた。最初、懐疑心から出演について前向きでなかった人がたった一時間でこの笑顔に変わる。音楽をやっていてよかったと思う瞬間でもある。再会を約束して僕らは三里屯を離れた。

23:50。バスに乗り込みホテルへ。明日仕事のある徐軍さんも打ち上げに来てくれるという。ありがたいことだ。バスには上海からきたmika。なつかしのゆかりちゃん&彼氏。杉本さんの友人のサイさんなどどんどん人数が増えてくる。にぎやかなバスになってきた。24:30。ホテルに戻り最後の打ち上げに。店は?探したけれどなかなかない。結局毎日飲んでいるいつもの店に。さあ、今日はのみましょう。


これからの話、感謝の言葉、苦言、学んだことや驚いたこと、そして仲間たちとの絆すべてが参加したみんなへの感謝の表現だ。このハードなGYPSYQUEEN流ツアーに付き合ってくれて感謝の言葉以外何ものもない。氏神さんに「AKIはほんとライブ好きだよね」と言われる。まあ、好きなんだな。音楽が。でも、そういわれることはとてもうれしいことである。すべてが凝縮したツアーの打ち上げとなる。2:30。店を出てホテルへ。そして部屋打ち上げに。いつもと違うのはいつもならメンバーだけでビデオをみて反省会を行って打ちあがるのだが今回はなんだかイキがいい。白酒にやられた夜。思い思いに話は盛り上がった。しゅうじが「僕は今回がんばりましたよ〜」という。そうだよくがんばった。これからもがんばれ。才能を伸ばすには場数を踏むことが一番だ。酒の飲みすぎは注意だけれどね。


酔いもまわって、3時を過ぎて部屋に戻るとそのままダウン。目が覚めるとそのまま寝てしまったせいかベッドの上に倒れていた。。昨日のままだった。
今日は11月3日。朝の五時半。シンと静まり返っている中、廊下から人の声が聞こえる。まさか。。そう、打ち上げから部屋に戻る足音だ。ということは徹夜で飲んでいたのね。すごい。。みんなはどうしたのだろうか?とにかく眠い。頭の痛さをシャワーで消し去ろうとするがかえって痛くなる始末。まあ、二日酔いってことだ。06:20ロビーに集合。今日は遅れることは許されない。ロビーにはすでに数名あつまっていた。

しゅうじはヨロヨロしながらロビーへ。最近健康志向のmasaoは早々とロビーで待っていた。チェックアウトをして06:41ホテルを出発。みんなお疲れだね。この朝のバス。何度となくこの便に乗るために北京の市内を走った。そうだ、最初のツアーのときは朝の5時に天津をでて北京空港に向かったっけ。そのときも右側から照らされる朝日が妙にまぶしかった。うとうとしているともう空港に。07:20空港着。新しくなった空港でチェックインをしてlitaoさんと別れる。
また北京でも会いたい人ができた。それがうれしい。再会を約束して分かれる。Litaoさんをshinonが「通訳」と紹介すると「いいえ友達です」と答える場面があった。そうだ、僕らはもう老朋友だ。綺麗な空港で出発までの時間を過ごす。そして、9:30CA955便は飛び立つ。席はばらばらで僕は一人。眠さもあるがなぜか目がさえて眠れない。 この3泊4日の弾丸ツアーともよべる旅。思い起こせばいろいろな出会いがあった。


カフェインというバンドのメンバーとの交流。久しぶりに会ったアールリーとの交流。ZIYOとはもっと話して飲みに行きたかった。王さんとも食事をしたかったね。MIDIの校長とも今回は会えなかったし、WINGは今頃シンガポール。ファンキーさんもそこに一緒にいる。まだまだ、やりたいことは山ほどある。
来る前は久しぶりの中国にとまどった、一度遠ざかった縁が戻ってくるとは思わなかった。しかし、ここに実際にきてすべての縁の糸はつながったまま生きていたことを知る。


GYPSYQUEENがアジアに向かい始めた原点がこの町であった。アジアに挫折しかかったのもこの町。そして、再びここから何かが始まる気がした。もはや日本と比較にならないほど発展をしている中国を見れたことが僕にとって大きな成果の一つでもある。さあ、これから考えよう。この世界の大国とどう渡り合っていくかを。そして忘れてはいけないこの大地震の記憶を音楽によっていつまでも伝え、そしてバンドマンの僕らにできる何かをしていくことを。第二章9幕はここで閉じることになる。


終わってみれば多少の差異はあっても思う心は一緒。お世話になった人たち、また会いに行きたくなった人たちに囲まれて僕らのたびは続く。機体は日本の領空となり九十九里浜が眼下に広がる。かなり大きく揺れて僕らをまた日本のリズムに戻す。13:45。成田空港に到着。あまった元を換金しに行く人たち。でも、いい忘れていた。その国のお金を持っているともう一度そこに行くことができる。そんなおまじないを僕らは信じていると。ありがとう。一緒に旅した仲間たち。出会った新しい仲間たち。
一緒に何かを始めよう。

GYPSY QUEEN Road to Asia #19
We're Back
2008/10/31-2008/11/03 

Photo by vivi,,sugimoto,aki




viviはみた!
スタッフviviの鋭い視点でツアーを読む