GYPSY QUEEN ROAD TO ASIA#27
2010/12/11-2010/12/13
Overseas Japanese


なんとも短い旅。すべてのことが飛躍的に縮小される現代の交通機関のようにあっという間にすべてが過ぎていく。

大切なのはそのスピードについていくこと、そしてその速度で動く社会、人間模様をきちんとした目で見ることだろう。
その中には自分の最も大切にしたかったことが隠されているかもしれない。





2010/12/13
8:30起床。この時間のスタートは楽だ。天気もいい。10:10に家を出て空港へ。羽田の新国際線ターミナルに11:30に到着。パーキングの3Fとターミナルビルは直結されている。

ターミナルはきれいでこじんまりとした設計。吹き抜けが解放感を確保しているので狭さは感じない。今回は荷物も少なくチェックインもすぐに済み税関を抜ける。これもあっという間。4Fのカフェもまだまだ椅子もテーブルも新品ばかりだ。気持ちいいね。なんとなくのんびりモード。

こんなに楽だと海外に行く感じがしないねとみんな言う。プロセス的には国内線の移動とさほど変わらない。こんなんじゃもう成田にはいけないなぁ、なんて思う。世の中どんどん便利になってくるってことだ。




13:00搭乗。13:30MU538便で飛び立つ。
機内はちょっと狭いが3時間弱の旅だ。まあ、最近立ち乗なんてLCCができてきたくらいだからそれよりは十分良い。

今回のツアーはもともとは昨年の11月の公演にさかのぼる。四川地震のチャリティコンサートを開催した時に上海のMAOに会場のアテンドの連絡をした。それは08年にお世話になった北京のMAOのSAM2さん。彼に上海にいい場所ない?と聞いたところMAOができたという。なんという絶好のタイミング!

そして、さらにPAの川南さんからいろいろなイベントのコーディネートやレポートをしているこばじゅんに情報が行き、その頃からこばじゅんが支援していた四川春風幼稚園建設プロジェクトの主宰、迫さんにつながってくる。さらに現地の日本人組織和僑会につながってくる。

僕らはこの迫さんのプロジェクトへの募金への変革を決め、そこから新しい活動を作り上げようと意気投合した。四川地震支援公演は日中友好LOVE ASIA CONCERTと名前を変え、現在にいたっている。

その中で今回上海和僑会が一周年を迎えるということである程度の規模感のあるイベントをやりたいとしていた。そこで声をかけていただいたのが僕らである。だから昨年のコンサートでは御挨拶をしたものの、あまり多くを話す時間がとれずそれはそこまでの関係であった。

ぎりぎりのタイミングではあったが中国公演が軒並み延期の中渡航を決めたのである。ま、ざっと言うとそんな感じで今日ここにたどり着いた。

15:50虹橋空港に到着。羽田から2:50で到着。大阪に新幹線で行くくらいの感じだね。2001年からこの空港にはお世話になってきた。最近ここから20分くらいのところに第二ターミナルができたらしい。

今後は国際線はそこにつくそうなのでここはもうさよならかも。結局国内線に乗り継ぐことも多いので結局また来るかもね。空港内で換金すると1万円で744元くらいだった。今までで最高のレートである。

2002年には1万円で596元くらいまで円安になっていたこともある。気持ちホクホクだが貿易をしている人には頭が痛いかもしれないな。空港には和僑会の當山さんが迎えに来てくれていた。話を聞くとここが12カ国目。世界をまたにかけるという言葉がぴったりの人だ。バンに機材を満載し、万博以降の上海市内に入る。町並みはものすごく整然としている感じがする。きれいになったと思う。

ホテルは空港からさほど離れていない虹橋地区。二号線で移動すれば4駅程度のところになる。明日の会場のMAOにも近く17時にはチェックインできた。ホテルは上海大君麗飯店。4つ星のきれいなホテルである。楽器のメンテをしてすぐに集合。あすの打ち合わせにはいる。ここで以前お会いした永川さん会う。

昨年の11月のコンサートの時の映像を見せてくれた。なんだかものすごく撮影がうまいなと思ったらもともとメディア関係ということで納得。普通あんなかっこよく映像は取れないと思う。

ミーティングルームとなったこの部屋にどんどん人が入ってくる。大勢の人がかかわっているんだなと思う。進行、その時の担当者、Q出しのタイミングなど緻密に進行。ミーティングを聞いているとわかるんだが、これは日本式だ。いや、中国式を日本人がやるとこうなるという表現かも。


中国式の現場主義とぎりぎりでも何とかする力。日本の緻密な計算をされつくした仕事の仕方。ある意味この二つをミックスした理想のプランニングだ。のびたくんがジャイアンの力を得たような。曹操が劉備の人徳をもったような?そんな強さだ。


ミーティングを終え、僕らなりの課題も与えられ、20時過ぎから市内中心部に移動して和僑会の人々と食事。相当飲む人たちと聞いていた。それは本当だった。

それにしてもパワフル。サッカーの代表選手は有名になると皆海外に出てしまう。そして海外でもまれてさらに研ぎ澄まされてゆく。そんな表現が正しいかもしれない。タフな人たち。そんな集団だ。

みんなの和僑に対する気持ちなども聞けた。今回、この日のために用意した楽曲「和僑の風に乗れ」のテーマは間違っていないことに安心する。この曲は和僑会にささげる歌。

僕自身音楽の和僑ということばを使っていた。21世紀のマルコポーロという表現もしていたかな。海外で活動する日本人。それをもって和僑とするならば僕らはまさにそのものだった。しかし、和僑という言葉はあまり一般的ではなかった。自分たち1人で言っても大きな波は起きなかった。しかし、こうして「和僑」はいたのである。

漂流船が海の中の島にたどり着いたように僕らはそこに降り、仲間を探し始めた。こうして旅立つことには勇気がいる。日本を離れれば厳しいこともある。それでも仲間がいれば乗り切れる。

世界に広がる和僑として語り部となり、時には防人になって和僑の世界を広げていっていきたい。そんなテーマの曲である。完成して人前で歌うのはもちろん今日が初めてだった。その頃ネンドさんも合流して盛り上がる宴席。中国に来てこんなに日本人だけで飲むのは初めてだ。

ネンドさんが振付のアイデアをたくさんくれる。それが面白い。しかし、このダンスみんな踊れるんだろうか?そうしているうちに11時を回りホテルにもどる。明日の公演に向けての準備や急遽の対応となった振付をこれからしなければならない。部屋に戻り作業をする。

振付といってもばかにできないぞ。想いを振付に乗せることは非常に難しいという事は当然知っている。どんなのがいいのだろう?なかなか答えが出ずに煮詰まり、途中気晴らしに羊串を食べに出る。


一本2元。とてつもなく汚い店で少し安心するメンバー。おかしいぞ?「この肉ちょっと腐ってるかも」machaがそう言いつつ食べている。まあ肉は少し腐ったほうがおいしいからね。明日のステージに影響しない程度であれば十分だ。

ホテルに戻り再び振付。飲んだせいかアクションも派手になり完成。明日の朝こばじゅんにやってもらおう。彼女が踊れればOKだ。

2010/12/12
8:00朝食。10:00部屋で最終確認。会場入りしたらた分RHはできないだろう。ここで確認事項は済ませておく。こばじゅんがきてダンスを確認。まあ、酔っ払いができた位だから問題は無いだろう。

ばっちりきまり出発。11:00にはすでにホテル前にスタッフの人たちが来てくれていた。そして、会場へ。和僑会のみなさんには連係プレイというかそれぞれの動きがものすごく速い能力を持っている。


組織的にいえば全員リーダーだな。でもそれは船頭多くてなんとやらであまりいい事例ではない。まるでオールスターズだ、そのほうが表現としてあっているかも。個々には社長さんばかりの集団なのでどうなるのもわかるのだがとにかく早い。みな自分が動く。こうでないと中国ではだめなのかもね。





そのテンポ感はまさに僕らのスタイルなので心地よくその流れに合わせて動く。11:30会場入り。ようやく約束通りMAOに帰ってきた。早速ステージに上がってセットを進める。時間との戦いだ。そんなこともあり、この短時間の中の準備としては非常にうまく進んだと思う。

そういう意味では和僑の歌のリハーサルだけじっくりやった。ステージを下りるとショウさんが来てくれた。2つ前のREPには書いてあったと思うがショウさんは上海での恩人。こうしてきてくれることがうれしい。


13時。若干押し気味で開会。藤岡さんの挨拶から始まるがこれがまた非常にいい話をしている。「個人対個人の信頼関係を作ることが重要」その通りだ。そして小松君のステージ。今や彼も大人気。それはそのはずの甘いフェイス。迫力のあるバンドサウンドだったと思う。


その後みんなの党で活躍している山田太郎さんの講演会に。これ本名だそうです。そしていよいよ僕らの出番となる。



今回は50分のセットだったのでいろいろな要素を凝縮して構成をしてみた。最初は「PRAY」。ソリッドなロックナンバーから入り2曲目に「康定情歌」を。中国語の歌は中国でやる以上重要であったりする。









その次が「重慶ブルース」。僕らがなぜこの活動をやっているかという問いに対するアンサーでもある。あの時重慶ゴジラさんの心の支えが僕らをステージに押し上げてくれた。今でもその気持ちが変わっていない。4曲目は久しぶりに洋楽を。そしてトークコーナー。ここでは僕らの活動を紹介したりする。きちんと伝えないとなぜ僕らがこの場にいるかわからなくなる。結構重要なポイントと位置付けていた。

そして、本日のゲストの迫さん、ネンド大介さんが登場。ネンドさんは歌と芸つき。やはり芸人は面白い。しぐさ一つ一つが面白いってステージでも笑いっぱなしになった。ここでTKから残り時間の合図が。どう考えても押している。


結局「Cam on」をハーフにして「Alfred&Julia」は外すことにした。これはステージに上がる前ならなんとかなるが本番中の変更は結構厳しい。でも時間オーバーは絶対にしたくないのでリカバリー策を考える。

結局GYPSY QUEENとしての締めくくりの歌「ユメノトビラ」もオケを手動でフェードアウトするという荒技でクリア。


「和僑の風になれ」もハーフサイズに抑えて何とか持ち時間を死守した。和僑会の歌は初披露なので当然歌も初披露。しかも前半は僕のパートなのできちんと歌わないとなので終わった時にはほっとした。

特にこの曲は歌詞が重要なので間違えることはできない。それは楽器で言うコードミスに等しい。反応も良くとりあえずやり遂げた感はあった。何度も延期された中国に結果として今年中に来れたことは本当に僕らにとってプラスになる。

よかった。上海和僑会のみんなに感謝だ。

イベントもフィナーレに近づき最後に全員で「和僑の風になれ」を歌うことになる。


関係者にステージに上がってもらって上海和僑会一周年の記念を祝う。会場の明かりがつきみんなの顔が見える。みな笑顔だ。うれしそうな顔はすぐにわかる。なんだか僕も嬉しかった。

ステージとお客さんは基本的にはみな初対面。当然距離もある。でも、今日はこの和僑をテーマに会場が一つになっている。このとてつもないパワーに圧倒され、またそのパワーを吸収して僕らは歌う。



みんなのエネルギーを感じたステージ。本当にパワフルな和僑達。ありがとう。みんなが一体感になれたステージだった。

終わった後妙に爽快な気持ちになった。優しい気持ち?自分の居場所を探せたような気持。ここは戦いの場ではなく共存の場であることだからかもしれない。

ゲストで呼ばれて盛り上げようというものではなく、自分たちも含めたみんなのイベントのような気になった。

そうだテーマは「オープンマインド、フレンドリー、ハートフル」。この3つのポリシーを掲げた組織であればそうなることも当然かもしれない。心地よい居場所があったステージだった。


片づけをして打ち上げに。ここでショウさんは帰るので来年の再会を約束。本当に来てくれてありがとう。

ぼくらは以前Wingといった店に直行する。ここで打ち上げ。なんだか懐かしいね。

会場は広く1フロアすべて和僑会で埋め尽くされていた。後から気づいたことだがここには上海だけではなくて各地の和僑会の人々も参加している。絆は太く保たれている。当然盛り上がる。120人はいたんじゃないか?そこでもいろいろな人と話すことができた。まさにオープンマインドだと思った。

みんなが会社の名刺で会話することなく個人と個人でつながっていく。これも藤岡さんが言っていた言葉だ。その通りその連鎖が大きく広がっていずれ世界を飲み込むだろう。華僑が数十年前に作ったシステムを和僑が後を追う。そんな面白いことになればいいと思う。


しばらくすると和僑会の全体の会長が登場した。とても気さくな感じでそれだけ見てもこの組織の柔軟性が分かる。「和僑の風に乗れ」も非常に喜んでもらえた。

いろいろな席で交流をする。「なんで私たちの気持ちをわかるんですか?」と聞かれたりもした。

それは僕らも和僑だからと答える。そうなんだ。この詩は和僑のみんなに対しての詩でもあるが僕ら自身を歌った歌でもある。だから同じ気持ちなんだ。

笑顔で永川さんが来る。「できる?」という。ここで「和僑の風になれ」をやれるか?ということだ。もちろんNoといわない日本人バンドGYPSY QUEENの答えはYESだ。

通常はそこからが大変で準備をばたばたするのだがここは違った。気づくとネンドさんが隣の部屋に行き「これから演奏するのでちょっとよろしくおねがいしますね。」と暗黙の許可を取る。音響の所の部屋を勝手に開けて操作しようとする。店員が来たら説明してOKを取る。芸人なのに人一倍フットワークが軽い。

そしてすでにこばじゅんが歌詞のコピーを手配してる。「こんなところで急にやっていいの?」と聞く人はいない。やるのだ。やらなければ始まらないのだ。ダンサーはすでに臨戦態勢だ。

そんな勢いに押されて、最初はギター一本かなと思っていたが僕も自然とベースを準備し始めた。やるならちゃんとやる。それが聞きたいと言ってくれる人に対する礼儀だ。そしてもちろん盛り上がった。



みんなが歌ってくれたこの曲はすでに和僑会のものになった気がした。会長のうれし泣き。しのんがつられて泣いている。これはやばいので見ないようにする。幸せの瞬間。終わりたくない瞬間だった。

そしてお開き。タクシーに分乗してホテルへ。雨の降る中、みんなが僕らのタクシーを止めてくれたり運転手に場所を伝えたりとだれが言い出すわけでもなく動いてくれる。本当に何から何まで仕切ってもらってる感じがする。

アテンドについてくれたのは日本からの留学生のトビッコ(本名ではない)。彼はまだ大学三年生だという。それでも中国語をきちんと話す。こんな優秀な学生が日本に戻ってきたら日本は助かるね。きっとこの厳しい就職戦線でも勝ち残れるのだろう。

ホテルに到着しとりあえず僕らは機材と着替えをして再び街中へ。ついた所はおしゃれなジャズバー。おいしくワインを頂き、この上海和僑会のイベントの成功を祝う。

最初はあまり話をしなかった藤岡さんとも気さくに話せる関係になれた。そういうこと一つ一つがうれしいことだ。そこに僕らの音楽の起源がある。そして次のことに気持ちは切り替わり素晴らしい未来の約束をいくつもした。

途中からこばじゅんに呼ばれて会長とはなすことになった。会長は今香港に住んでいるすでにビジネスにもお金的にも名誉的にも成功をしている人。その人がこの組織に力を入れてるのは後進のために活動の基礎を作ってあげたいということだという。

無償の愛。僕が目指していた到底たどり着けないだろうと思っていた高みにこの人はいる。そうか、がんばればこうなれるんだ。時代を超えて何かをやろうとしている人、やり遂げている人と話せる時間は貴重な時間だった。

今回「和僑の風に乗れ」を書くときに3つのお題をいただいたが結果的には一つこなせなかった歌詞がある。それは「フレンドリー」だった。

他の二つはすぐにイメージできたけれど、どうしても「フレンドリー」を含む詩が書けなかった僕が今日は書ける。ここにいるみんなのことを思い出せば言葉をメロディーに乗せられる。

「和僑の風になれ」はその和僑の人々の魂を込め、今本当の歌になった。


宴も終りに近づき僕らはホテルにもどった。すぐさま反省会。近くの店で語る。今日のことは今日中に話して履歴を作りたい。そして、部屋にもどり恒例のビデオチェック。これも毎度のことだね。課題を洗い出すも激しい睡魔が。時計を見ると3時を過ぎていた。明日は6:30時出発。解散して部屋に戻る。とにかく寝よう。

今回はPCを出しても何もチェックできなかった。あ、足裏マッサージもいけなかったな。あっという間のツアー。ツアーというには短すぎる二日間。そこにすべてを効率的に凝縮したってことになる。そう思えば大満足だ。

2010/12/13

5:30起床。というよりもうとうとしただけのように思える。あばれたくなるようなメザマシの爆音を消す。ここで起きないと大変なことになる。一気に電気をすべて点けて超熱いシャワーを浴びる。ちょっとやけどかも。窓の外はまだ夜のままだ。これはよく僕らのツアーにみる風景だね。

食事も取れずに6:30ロビー集合。若干二日酔いで頭が痛い。空港までタクシーで移動することになる。なかなかタクシーがつかまらない。乗車拒否を余裕でするので結構時間がかかった。空は雨。最近のツアーは雨が多いね。何とかホテルの人がタクシーを止めてくれて6:40ホテルを出発。

7:00に紅橋空港に着く。ん?虹橋の新しいターミナル?寝ぼけ調子で荷物を下ろす。でも、ここが判断ミス。痛恨の判断ミスだ。出国ターミナルを間違えてしまったのだ。ターミナル1と2は距離的に結構遠い。歩いてではとてもいけない距離。

ターミナル2で降りてしまった僕らは急いでシャトルバスへ。時間は7:10分。8:55のフライトだからもうチェックインは始まっている。シャトルバスの乗り場にタクシーがいたのでターミナル1までいくらか?と聞いてみると80元で行くという。

この眠いところそんな冗談言ってるとぶっ飛ばすぞと思いつつ、結局7:30発のシャトルにのり7:50に第1ターミナルへ。こういったボンミスは注意したいね。

結果として急いでチェックインをして事なきを得た。あとはのんびりですぐにゲートに到着。特急だったこの旅のまとめをしているうちに時間になり8:25MU537便に搭乗。飛び立った瞬間は眠っていてわからなかった。

10時前。日本時間はもうすぐ11時。食事で起きる。さすがにビールは飲めないなとおもったらmachaもそうだった。時間的にはそろそろ日本。機内食もなぜか和風。急に揺れてちょっと怖かったりするが、あとは羽田への到着を待つばかりだ。一気に通り過ぎた。そんな感じの旅だった。


第3章7幕はここで閉じることになる。立て続けに消えた中国での公演。それは政治に左右される僕らの公演形式の弱みでもある。辛いことは延期になったことではない。一緒に作ってきた人たちの努力が分かるから、そこに水を差すことがこの上なく辛い。

それは日本人スタッフも中国人スタッフもだ。僕らの公演を行うために準備を進めてきてくれた中国側の学生たち。彼らが支出したものが誰が責任を取って穴埋めをするのか?日本を好きな中国人と中国が好きな日本人が一緒に新しい創造を始めようとしているときに何故に世論はそれをいたずらに騒ぎ立てて阻止しようとするのか?そこにどんな答えがあるのか?そこには何もない。



評論者が持論を繰り広げ、ことさら大きく事象を語り、話は拡大されていく。「その日は中学生はみんな学校に行っていましたよ。政府から学校に行く指示も徹底されていました。デモに参加した人で学校に通っている中学生はこの街にはいないのですが、日本の報道ではいることになっているんですね。不思議ですね」現地の友人は言う。

そこに住んでいる人にすら不可解な報道を見て思う。これは現実ではないと。でも、誰がその現実を伝える?誰もいないなら僕らがやらなければ。声は小さくても、現地で見て、会話をして、お互いの状況を照らし合わせてそれを僕らが日本で語ろう。


みんな新しい関係を望んでいる。それは政治家でもないし、反政治家でもなくただの市民だ。ただの人たちは仲間を求めているんだ。普通に生活をしたいんだ。簡単なこと、それを伝えていきたい。それが音楽の世界のOverseas Japaneseとしての役割だ。

公演が延期になった地の朋友たち。必ずいくよ。僕らは全くめげていないし、残念に思っていない。そして中国に失望もしていない。

主催者にもなんのマイナスなイメージもない。否定をする時間があるのであればそれは前に進むための時間に費やそう。ぼくらはそう暇では無いのだ。

そんな思いで上海に向かった。今年のうちにこの国を見ておこうと。街は普通に平和で発展を続け、夜中に屋台で酔っ払っているメンバーと中国人の酔っ払いが盛り上がる。何ら半年前と変わらない中国がそこにあった。

僕らが言い続ける「音楽で日本と中国の関係を大切にしていこう」、「中国を愛する人で何かをやろう」。同様なことをすでに実践している人たちから熱い想いを山ほど貰って帰国となったのだ。

こんなにもらっちゃ返しきれないよ。と思う。僕らは表現者だ。この和僑人たちの想いをもっと世界に伝えなきゃ。もちろん、日本でも伝えなきゃいけない。


「和僑の風になれ」は日本でも歌っていこう。

和僑という言葉を拡げよう。

大切に思える仲間が増え、また会いに行きたい人が増えた。

ありがとう。僕らの気持ちを支えてくれてありがとう。



12:30.羽田に到着。30分もしないうちに僕は帰路へ車を走らせている。変わった。すべての仕組みも変わってきている。

帰宅後、今回の旅の写真を見る。出会ったばかりなのに無性に懐かしい。

みんなの顔がとても優しく見えた。


僕らも和僑を名乗っていいですか?









GYPSY QUEEN ROAD TO ASIA#27
2010/12/11-2010/12/13
Overseas Japanese