2012/06/14-18
GYPSY QUEEN ROAD TO ASIA#35 -Immaterial-






日中国交正常化40周年事業。前回の順調さが不安な気持ちをを呼び戻す。
そして予感は的中しまた僕らに試練を与える。
繰り返される問いに僕らは答える。何とかなるさ。



2012/06/14-18

「今日は荷造りをしないとな」、そう思いながらメールを開く。すると。。「西寧のイベントがすべて中止になりました。現在飛行機のキャンセル中です」というメールが。来たか。またもや直前の延期。中国では必ず定期的にこの洗礼を受ける。もちろん、理由も状況もまったくみえない。一人旅ではないのでいろいろな人に迷惑がかかる。理由はまだわからない。対策ももちろんない。またもや胃の痛い時間。でもスタートはここからだ。どこまでリカバリーできるかが勝負。タイマーは回り始めた。到着までの時間の間にできることを考え、そして動いていこう。少しだけ予定通りのゴールに近い球を打つのは僕自身なのだ。


2012/06/14 5時起床。今日は暑くなるというがこの時間はすがすがしい。6時に家を出て羽田に向かう。昨日からの変更については何も解決はしていないが、僕らの考え方は伝えてあるのであとはどうなるか、きっと北京についたころには何らかの回答があると思う。
羽田までは空いていて快適に進む。7時。予定通り羽田空港に到着。この駐車場、予約すると3Fを抑えられる。ここだとそのままターミナルに入れるからね。次からそうしよう。チェックインをしようとするとアナウンスがある。「JL23便は機材の変更があり10:50に遅延しています」。

ここでも遅延。幸先はやはりよくなかった。今日は14時から北京でリハーサルがある。 しかし、到着時間は14時だ。間に合わない。ということはリハなし本番。いろいろ鍛えられるね。まあ、ゆっくりと朝ご飯を食べて昨日からの動きをみんなに報告する。報告といっても僕自身わかっていることは少ないがそれでも情報共有は大切だ。

そのあとはとにかく待つしかないので空港で待機。ようやく機内に乗り込んだが今度は北京の管制から受け入れ時間が確定していないということでまた待つ。それでも機内は騒がしく成ることなく、本当に日本人の美徳というかすごい所だな、と思ったりして自分もおとなしく時間を過ごす。

そしてJL23便9:10発は当初の予定を大幅に遅らせてフライト。良かった。到着時間も14時過ぎになるという。飛んでしまえば3時間でつく北京。途中機内食が出るがこれがまた美しいしおいしい。旅のだいご味は食事というが今まで機内食はそこに当てはめてはいなかった。でも飛行機の移動は旅の中で占める要素は大きい。いつもこんな機内食だったらいいのになぁ。と思う。
サービスも食事も日本人向けに最適化できていると感じた。そして毎度のことだが北京上空は揺れる。なんでだろうか?一度も揺れずに降りたことはないね。今回は久しぶりにJALだったので到着ゲートが違う。どう違うか?税関までの距離が短くて楽なのだ。さあ、ここからが勝負だ。

空港をでると映画祭のスタッフが出迎えてくれる。便が遅れているのはすでに承知済。この北京映画祭に出席する方たちもこの便に乗っている。到着後先発チームと合流した一行11名はバスに迎えられ会場に急ぐ。結局ホテルによると間に合わないということでスーツケースのまま会場入りすることになった。

今回は女優でもあり日本映画週間の主催者でもあるコウチュウさんとの出会いから始まる。サンプラザ中野くんにご紹介頂いた出会いからこの話は始まった。当初北京と上海での公演の予定だったが、こちらの公演の都合で北京だけというわがままを聞いてもらった。まあ、しかし、結果的には青海省の急な延期で上海にも行けたのだが、わかったのが昨夜ということでもうどうしようもないというかこの直前でいろいろ変更をしてもらうにはあまりにも申し訳ないということで予定通りの北京のみとする。

これはコンサートというよりも映画祭のアトラクションの一つということなので曲数も5曲と少なめだが、映画関係者との接点も面白いし楽しみにしていた。北京市内は混んでいて、結構時間がかかった。会場は北京TVの目の前のソフィテル。豪華なホテルのパーティルームで行われるのだ。到着するとすでに準備はほぼ終わっており、バンドステージも出来上がっていた。

幸い全体的にスケジュールが押していて20分ほど音を出せるということですぐに会場へ。決められた時間を守らない国ではあるが僕らは予定通りに行きたい。本当に短い時間だが音の確認さえできれば十分だ。いよいよイベントが始まり演奏になる。メインの出演者が遅れたため、急きょ演奏曲を増やすなどといったこともあったが無事にステージを終えた。

そのあと登壇者の入場、スピーチなど映画祭のレセプションパーティは進んだ。きれいな会場で食事や進行も素晴らしい。もはや古いイメージはない。これが今のリアルな北京なのだ。パーティの後半でこの映画祭の出展作品の曲、中国語の曲を演奏してステージを締める。間に合ってよかった。そして、終了後いろいろなトラブルが起きた。

荷物をまとめてさあ、ホテルへ!とおもっていたらバスがなかった。そのバスにはみんなのスーツケースが入っていたのでとりあえず到着を待つがいろいろな場所に人を運んでいてかなり遅くなるとのこと。

まあ、とりあえず食事をしようということになり、BTV近くの中華へ。中華しかないけれどね。そこで1時間ほど食事をしていると、「到着したのでもどってください」と電話が。会計をしてホテルに戻るとまだ到着していない??またもやロビーでしばらく待つとようやくバスが到着。

さあ、ホテルへ!!と思ったが何やら様子が違う。そうだ、このバスではないのだ。同じような送迎バスが手配されていて、僕らの荷物の乗ったバスでない違うバスが戻ってきたということだ。それってちょっと考えればわかることだけれど、たしかに「僕らのスーツケースが乗っているバスに戻ってきてほしい」ということまでは言わなかった。これをいわなければだめだった。久々に中国の洗礼を受ける。

結局もう一台を待つことになるがこれは危険だ。「そのバスがいるところまでこのバスで行こう!」ということにしてもう一台のバスを探しに出発。待つよりこちらから行ったほうが早いからね。結局1時間くらいかけて到着したのは刹那海だった。バスはまだ送迎待ちをしていたので結局もしホテルで待っていたら到着はあと2時間以上あとになったということだ。待つより先に行け。ちょっと安心していたが僕らのツアーの流儀を思い出してきた。自分でやらねばだめなのだ。絶対に自分から動くことが重要なんだな。

さあ、ホテルへ!!!荷物も積んでホテルに行こうとした時にガソリンが無くなったのでスタンドへ。ガソリンをいれたのだがいつまでたっても運転手が来ない。どうやらガソリンタンクのふたが合わないようで閉まらないみたいだ。絶句。ありえない、でも現実だ。

すでに12時で眠気もmax。それにしてもサイズも違う蓋でどうして今までつかえていたんだろうというもの。これは閉まるはずはない。そこでmasaoの情備品ガムテープでタンクのふたを抑えることに。かなり無茶を行ったが、結果オーライ。ガソリンタンクのふたはmasaoのガムテープで留められ出発となった。ガソリンだしなぁ。ガムテープとけちゃうんじゃないかなぁ。まあ、今日の所は大丈夫だろう。その後決してゆっくり走るわけでもなく、バスは猛進。ようやく1時に首都機場賓館に到着。

明日の事はまだわからない状況だがとりあえず早朝5:50のバスで空港に向かうことは確定している。余計なことを考えずに今日は休もう。明日になればすべてわかるはずだ。

2012/06/15
5:00起床、寝たのが3時前だったのでかなり眠い。昨日も早かったしね。朝食は間に合わないのでそのままロビーへ。カウンターに弁当らしきものがあった。チェックアウト客が何気なく持って行っているので自分も一つゲット。でも、それが最後の一戸だったのでこの後の人はどうなるんだろうか?そうしているうちに集合時間となる。5:50チェックアウトをして早めにバスの前に並ぶ。乗ろうとする人のほうがマイクロバスのキャパより多いのでこれは木を抜くと危険である。そして、乗り過ごすともう間に合わない。

昨日久々に受けた洗礼で気分は完全に中国ツアーモードになったのでこの辺はばっちりで割り込もうとする人をスーツケースでブロックしてとにかく自分たちの荷物を積み込む。案の定立ち席や乗れない人も出て次のバスとなった。危なかったね。空港までは1kmと書いてあったがぐるぐる回って結局15分かかって6:05第三ターミナルに到着。

到着するとめちゃくちゃ混んでいてもう過ぎ搭乗時間となるところ。これは危険ということで2手にわかれてチェックイン。カウンターのおねえさんに「あそこにいけ」といわれて並んでパスポートを出すと「ここは違うからあそこにいけ」とたらいまわしにされそうになる。いつもぼっ〜としているshinonも「あのカウンターの人にここでチェックインをするようにいわれたんだよ!(という感じで)」強硬にチェックイン。言えば何とかなるもんだ。

それにしても混んでいるね。そして7:20搭乗口へ。ぎりぎりだ。これも満席のCAで武漢に出発。ようやくほっとする。呉さんに再び会えるのだ。9:30武漢に到着。北京同様かなり暑いね。空港を出ると王くんと胡さんの二人が迎えに来てくれていた。流暢な日本語。長沙の蓉ちゃんたちもそうだったが本当に中国人大学生のレベルは高い。しかも彼らはそれを謙遜する。「中国の学生レベルはまだまだです。もっと頑張らなければだめです」この向上心こそが大切なことであり、それを身に着けた中国はものすごい国になるだろうと感じる。

ようやく今回のいきさつを聞くことができた。日中関係はいろいろ難しいことが多い。そんな今年は日中の国交正常化40周年ということで多くの人々が隣国と新しい関係を作ろうと動いている。しかし、その弊害もある。今回も日本人コラムニストの人が南京に関する発言をしたことが大きな波紋となったそうだ。それが8日。その後青海省のとなりの甘粛省での講演会で波紋を呼び急きょ中止に。そして、まさに僕らが行く青海民族大学での講演会も中止になった。その翌日の13日。安全性が確保できないこと、国を傷つけられたことは許せないとした政府の見解もあり、ジャパンウイークも延期措置となった。ぼくらの出発の前日の午後の出来事だった。

うむ。うーん、なんだろう。みんな大変だ。準備をしていた人たちみんな大変だ。僕らはもちろんだがこの事業に奔走していた人はたくさんいる。手配から連絡まで本当に大変そうだから僕らが文句を言える立場ではない。まったく僕らに非はないが、これは流れに従うしかない。何よりも心を痛めているのは準備をして待っていた日本を愛する中国の学生たちだろう、いろいろなことを研究して発表の場にしようと思っていた学生も多い。

僕らと違って学生は数年間しかチャンスがない。その大事な時間が自分とは関係ないことで中止や延期させられるのは本当に悲しいことだ。彼らのためにも再開を希望したい。中国と日本の関係を変えるのはこういった小さなことからだ。お互いの国に失望しないこと。僕ら大人では理解できてもピュアな学生はまだまだ弱い。彼らの気持ちを大事にしないで本当の友好はない。

そのためにはいくつもの言葉を飲み込み、行動を変えても実現できることに肩入れしていこう。この事業の最大の主役はお互いを好きになるという気持ちという無形なものを醸成することなのだ。そして、参加者に説明をすることに。日中の関係とは別にツアーに参加した人からすればそれを不満に思うことは当然だ。幸いみな同じ志の持ち主。内容を理解してむしろ励まされたりする。旅の最大の成功要因はその同行者との関係。本当に理解してくれる良きパートナーとの旅は僕らの力を倍増させてくれ、時には折れそうになった心を強く保たせてくれる増強剤になってくれる。夢を持つ大人たちに心から感謝だ。

バスはコンサート会場の湖北大学に到着。1000人程度のホールであった。すでに機材は搬入され、なんと協力してくれる学生が同じTシャツをきて数十人待っていてくれた。「こんにちは!」元気な日本語であいさつされるとなんだか気恥ずかしい。この時には心のもやもやなんて全く消え去っていた。

その後マリオットホテルに到着。とてもきれいなホテルに大満足。12:20に集合してランチに向かう。道中も王くんがいろいろ武漢の事を説明してくれるので非常に詳しくなった。前回の呉さん、林さんもそうだが単に日本語がうまいということではなくそのホスピタリティーが素晴らしい。

もっとわかりやすく言えば人情なんだな。相手のことを大切にしてくれる人たち。それが僕らの武漢人感だ。武漢料理をおいしくいただきホテルに戻って13:45再集合。あわただしくも会場に向かう。会場につくと先発隊のmacha、masao、sakaiの3人がすでに準備を終えていてくれた。そしてスタッフの学生たちにも歓迎を受ける。

今日の進行を確認をしてサウンドチェック。PAについてはかなり危なげで特にマイクのバランスが非常に悪く何度もやり直した。今回のコラボの中国琴との共演においてもとにかく音が聞こえない。マイクセッティングとボリュームのバランスの問題だと思うのだがとにかく聞こえない。これでは演奏にならないが、古い音楽を古い調子でやってもやる意味がないので僕らのスタイルを貫く。

音響の問題はこういった電子楽器ではないものにはつきものだが、マイクピックアップなど今後日本から持って行けるものは持っていきたいと思った。アコギ用のマイクなど使えるものはありそうだからね。そして、ちょっとだけ押し気味にRH終了。ここもきちんと時間通りいきたいので最後はかなり駆け足で終了した。16:10会場をでてホテルで少し休憩をとる。何しろ出発日からとにかく朝が早い&夜が遅い。10分でも寝ておきたかった。あっという間にねて、目覚ましで起きる。うむ、危険だ。寝過ごしたら大変なことになる。

ロビーに集合するとちょうど大使一行が会食へ向かうところだった。そこで呉さんと林さんに再会。3か月前に初めて会った二人が今では顔を見るだけで心が躍る関係になっている。「呉さん、約束通り来たよ!ありがとう」そういうと呉さんは優しい笑顔で迎え入れてくれた。忙しいのに本当にうれしいね。リンさんもメイクばっちりでこの後の会食の準備に奔走している。

こんなすごい人たちに前回フルサポートして頂いたわけだ。17:30にホテルを出て会場に。ざわつき始めている会場を背に楽屋で打ち合わせをする。今回の琴の張さんや歌い手の琴のコミュニケーションが取れていなかったこともあり不安は残る。やはり交流ができていないので同じステージに上がるのは危険だと思う。カラオケと違って生の演奏は歌い手次第でぶれる。形だけの交流では意味は半減するので今後は打ち合わせをする時間を最大限にしたいと思った。

公演は予定通り19時にスタートする。会場のホールは満席。今回は入場券を入手するのにもかなり苦労したと聞いていた。一曲目から盛り上げる。今までの経験を活かして臨んだこの40周年事業。セットリストだけをみると感じないが要所要所にに中国でつかんだ成功の方程式を塗りこんである。日本では受けないことも中国ではありだ。

トークコーナーや僕の歌のコーナーもあったりして盛り上がったがなんといっても湖北民謡をコラボするコーナーが肝だ。キンキンの時のようにコミュニケーションはとれなかったがきっと何かを感じてくれたに違いない。

よく、「何のために中国でやっているの?」ときかれることがある。もちろん、いろいろな理由はあるがその中の一つに「日本人との共演で彼らの人生が変わることがある。それをやる人がいないから僕らがやる」ということも重要な要素であると思う。

人はかかわることで必ず何かを感じ、それがDNAに組み込まれる。その連鎖を引き起こしたい。出会うこと、共同で何かをやることで得た共通のDNAは未来につながる。その接点を人任せにしてはいつまでも変わらないのであれば僕らができる限りのことをやり続けることが一番最初にやるべきことだろう。正しいと思うことは自分でやり続ける。それがGYPSYQUEEN流でもある。

演奏が終わった時に固かった表情が一瞬和らいだ張さん。ありがとう。そして、相信愛での観客と一体となった共演を終えコンサートは終了した。楽屋に帰ると学生スタッフの喜びの声が。「武漢に来てくれてありがとうございました」満面の笑みで日本語でお礼を言われる。武漢に日本のロックバンドが来たのは初めてだと興奮していた。そんな彼らとの出会いもまた意味のあるものだ。

今まで誰も来ていない以上僕らは日本の顔となる。それは内閣総理大臣よりも影響力が強い。それはおごりでも何でもなく自負だ。そして、その自負がある限り自分を過信しない。過信が呼ぶ悲劇をたくさん知っている。すぐ目の前にある落とし穴に陥らないためにも自分たちの行先をきちんと見つめ、まっすぐにそこに向かうことがこの道で迷わずに前に進む方法論だ。

公演のあとも学生たちといろいろな話をした。今回は交流会ができなかったのでその分いろいろなことを聞かれたり話をするようにした。ステージに立っている人をただ見るのではなく、日本人と会話をしたいとみんな思っているからね。「武漢でロックコンサートを初めて見れてうれしいです」。「日本が大好きで将来日本に行きたい」など彼らの思いがたくさん聞ける。

そして、打ち上げへ。僕らの希望もあり街の普通のお店。点心のお店に連れて行ってもらった。今回は呉さんも林さんもイベントの収穫となって動いているためにコンサートを見ることができなかった。とても残念だが、是非打ち上げにと誘っていた。とはいっても難しいかもね、と思っていた矢先に王くんに電話が入る。「今から行くから」との連絡だった。

嬉しいね。忙しい中を抜けて打ち上げに来てくれた。どこまでも律儀なんだろうか。「呉さんありがとう!」心からのお礼を伝える。呉さんはコンサートを見れなかったことを本当に残念そうにしていたでも「これは、次の機会があるということでしょう」と言ってくれた。そして「あなたたちを漢街でごちそうするという約束も今回果たせなかったのでまた武漢にこなければいけないのですよ」と笑顔で言ってくれた。

そうだ、満足が出来なければ次がある。満腹になるよりも次の一皿に楽しみをとっておこうではないか。1時。ホテルに戻る。武漢の夜は早い。そして明日の予定もどんどん決まった。呉さんの配慮で開会式に席を作ってもらえることになりそこに参加しそのあとの省長主催の昼食会に呼ばれることになった。林さんはその変更手配でこの時間でも仕事中。忙しいのにさらに仕事を増やしてしまって申し訳ない。それに報いるためにも何かプレゼントを明日持っていきたいと思った。

2012/06/16
6時起床、7時朝食。早いがここ二日と比べるとゆっくりモード。今日帰国の村田さん、渋谷さんを見送りに8時にロビーへ。初参加のお二人だったが本当にタイトな予定の中ついてきてくれて感謝だ。

自分もすぐに部屋に戻り出発の準備。8:20に再度ロビー集合し出発だ。開会式の会場は昨年できたばかりの辛亥革命博物館。中国の発祥はここ武漢にある武昌で起きた武昌蜂起がきっかけとなって辛亥革命となりその結果中華人民共和国が生まれる。この博物館はそこに至るまでの中国の歴史、特に義和団の変や孫文の生い立ちについて展示されたものであった。とても見ごたえのある博物館である。今日の会場はこの博物館のホールで行われる。

王湖北省長、丹羽大使列席の下で始まったこの式典は武漢の力と今後の発展を予見される。総領事館もできるというからすごいね。大塚さんもフル稼働で準備に奔走しており大使館の力の入れようを感じた。そして何よりも一連の延期騒動に巻き込まれず無事開催できたことをうれしくおもう。会場をでて王湖北省長主催の食事会へ。広大な敷地を持つホテルのパーティルームに向かった。

今回、正装を用意していなかったのでなんだか場違いな感じではある。会場に集まった時に呉さんからこのパーティで一言挨拶をしてほしいと頼まれる、それはうれしいお申し出なのでyesと即答。そしてせっかくなので一曲曲をプレゼントしたいと告げると快諾してくれた。お礼をしたいと思っていたのでよかった。

いよいよパーティルームに入るとかなりの人数が一堂に会しフルコースをごちそうになる。うむ、おいしいぞ。おいしい料理に気を取られつつ王省長、丹羽大使の挨拶が終わった後すぐに指名された。もう少し後だと思っていたので少しあわてたが中国語で挨拶をさせてもらった。日本語できちんと挨拶をして通訳をしてもらってもよかったが、ここは中国。中途半端な言葉よりも話す意義を伝えたい。この国の言葉で話すことが僕らの第一義である。

稚拙であったと思うがお話をさせてもらい一曲プレゼント。曲は「黄鶴楼」。短い時間だがサプライズ企画として楽しんでもらえたと思う。その後省長にご挨拶、山田公使に丹羽大使をご紹介していただくなど充実した時間を過ごせた。中国語で話歌ったのがよかったのか、王省長も気さくに話をしてくれた。嬉しいね。

そして14時。僕らは空港に向かう。途中時間が少しあったので漢街によりお茶をしたりして空港に向かう。そして空港へ。15時天河空港着。この武漢の仲間ともお別れだ。最後まで付き合ってくれた王くん、胡ちゃん本当にありがとう。そしてまた必ず会おう。16:30フライト。青海省に行く代わりに北京へ。当然何かが起きるだろう。このまま帰ることは僕らにはあり得ない。そしてまたくるぜ!武漢!

北京まではちょうど二時間の空の旅。内陸を飛ぶのではるか下に山々や田園風景がわかる。北京に近づくころ焼き畑が見られた。ずいぶん煙がおおいな、とおもっていたら後から聞いた話だが大規模な火災だったという。うむ、自然の力とは恐ろしいものだなぁと実感。

そして、若干揺れつつ北京に戻ってきた。なんでいつも揺れるんだろう。時間はすでに18:30。いい感じの夕景となる。今回唯一戻ってよかったことはなんと一昨日、早朝出発のせいか、サングラスをホテルに忘れてしまっていたのでした。

商売道具を忘れるとはなんということ!よくmasaoに注意しているのに面目ない。結果武漢ではフリーの時間を楽しむ村田さんに1200元でグラスカバーを買ってきてもらいそれをメガネにはめてなんとかしのいだ。そしてある意味貴重なライブだったな。きっとめったに見ない黒いサングラスとなったがみんなからガラが悪いと評判良くないのでもう出番はないかも。ということで超貴重な写真になったわけだ。

今回北京に戻ったので泊まったホテルに行き忘れ物をピックアップという次第になったのである。しかも空港から市内への帰り道なので面倒なことにもならずあっさりと行ってもらえることになった。そして、Shinonもファイルを忘れたというので(これも商売道具)取りに行ったのだがなんと部屋番号を忘れるとう残念な結果で見つからずじまい。僕のサングラスだけピックアップして市内に戻ったのだった。一緒にいってくれた久保田さんには本当に手間をかけてしまったと思う。

ホテルは建国門通りの京倫飯店。日航ホテル系列のホテルで移動しやすい場所にあってGOOD!さっそく荷物を置き夕食に向かう。渡辺さんの希望で三里屯へ向かう。地下鉄に乗りついで地上に出たのだがサッカーの試合が工人であったのかとにかくすごい人の波が逆行している。この出口の所には保利劇院があり2001年の中国初公演のホールでもあった。懐かしさ半分だがあまりの混雑ぶりでそれどころではない、恐ろしい人の波を逆に行く。20分ほど歩くとだいぶ先からクラクションを鳴らす音がずっと続いていた。道の混雑はさらに増してきて先日のフエフェスティバル並みのことになったらどうしようと想いつつとにかく前に進む。

すると交差点で大事故発見。警察官や人の叫び声、罵声の中警官に押し出されてその場を早足で通過させられる。カメラ取り上げられるかと思ったよ。交差点では車の大破した跡、それも明らかに人によって壊された形式の破壊の跡とクラクションがずっと鳴り響く。その前で人工呼吸を施されている男性と警官に取り押さえられている男性。うむ、理由はわからないが良くないぞ。サッカーは楽しむものだしやっているのは選手。見に来た人が我を失ってどうする?

いずれにしてもこの事故(事件?)のおかげで週末の繁華街は大渋滞。結局数キロにわたり北京の東側の繁華街は大渋滞となってしまっていた。その後も歩いて22時過ぎにようやく三里屯に到着。ここは懐かしい店がたくさんある。BOY&GIRLは以前のまま。JAZZYAもそのままだった。変わったことと言えばバーストリートの反対側の開発が進み非常にきれいな街並みになっていたこと。

そして、ちょっと雑音につかれていた僕らはイタリアンレストランに入る。いい感じのお店でその中でやっていたバンドにはちょっと閉口したが久しぶりに欧米系の食事を堪能。味も最高で大満足で三里屯を後にした。

帰りはちょっと歩くのも大変だったのでタクシーを捕まえる。何人もの白タクが声をかけてくるがホテルまで50元とか高いことを言っているので無視をして結局流しのタクシーをGET。ホテルまで15元だった。全員がホテルに戻ったところで一度解散。買い物組とマッサージ組に分かれもちろんマッサージ組に参加。疲れ切ったからだと足に最高のご褒美であった。

1時から始めたので終了時間が2:30と真夜中になった。タクシーとまるかなぁとおもっていたら思いのほかたくさん走っていて10元ほどでホテルに戻り就寝。今日はいろいろなことがあったぁと思う。

2012/06/17
今日は完全オフ。北京で完全オフは珍しい。ということで万里の長城へ。もう何度目だろう。確か2004年の反日の真っ最中にいった万里の長城はすいていたなぁと思いだした。ゆっくり目で7時起床。10時にホテルを出発して刹那海に向かう。ここは数年前にできた観光名所。リータオに連れて行ってもらったなぁ。あの時買った赤く光る角はどこに行ったのだろうか。

いろいろ写真を撮ったりしてのんびりと過ごす。そして、昼食後12時に万里の長城に向けて出発。大体朝一は観光バスで混むので時間をづらすのがよい。おかげで一時間ちょっとで到着。前回来た時はかなりばてたここ。今回はどれだけ体力が回復しているか試したい所でもあった。驚いたのが入口までの道がものすごく綺麗になっている事。トイレもきれいだし道幅も広くなっている。世界的な観光地になってきたということだ。ケンタッキーやサブウエイが参道にあるって不思議な感じがした。

ここでも撮影タイム。メンバーは女坂で撮影、笹川さんたちは男坂でどこまで行けるかチャレンジとなった。15時にゲートで待ち合わせると帰りはケーブルカーで帰ってきたそうで楽しかった様子で何よりだった。途中ケンタでお茶をしてバスに戻り北京市内に戻る。市内に入ると多少混んだが予定通り17:30に到着。うむ、今日のスケジュール管理は完ぺきだ。その後北京テレビの王さんと待ち合わせをしてある19時までは休憩となる。

万里の長城でも苦なく行けたので良かったがやはり暑いし疲れるよね。部屋に戻っていろいろ整理してみる。本当ならばこの時間、青海省でコンサートだったなあと思うと不思議な感じがする。再度の開催があることを祈るしかないけれどね。そして18:50.ロビーに向かうと王さんが来てくれていた。 GYPSYQUEENに最初に中国民謡を教えてくれたのは柏の駅前であった。2002年のことである。その後、北京に帰国し、BTVのプロデューサとして活躍しているときにもずっと北京にくると王さんと会っていた。本当の老朋友である。ホテルからタクシーに分乗してレストラン近くに行く。

先発隊で到着した僕ら。しかし、後続組がなかなか来なくてかなり待っていたらなんと歩いてきた。最近北京のタクシーもなかなかつかまらないようだ。とにかく北京は広い。結構疲れるよ。ようやくレストランに到着後、早速乾杯。ここは日本語と中国語共に進歩する勉強会のようなものだ。王さんと懐かしい話や最近の話など盛りだくさんである。その後、昨日武漢でご挨拶をさせて頂いた田村さんにも合流してもらった。新野さんもご紹介していただく。北京でもいろいろと縁が増えるのはうれしいことだ。

何もなかったはずの北京が充実してきてよかったなと思う。田村さんは日本経済会の方でいろいろなことを教わった。「音楽と経済は異なると思うが、本質は一緒である」。そんな話をさせてもらった。僕ら音楽をやるだけではいけなくて、日中のいろいろな関係の中、その潤滑油としての務めを果たさなければいけないこともある。音楽は無形でビジネスは有形であると思っていたが田村さんの言葉を借りるとビジネスも無形であるという。日本式ビジネスの特長は「丁寧かつ周到」ということをきいてハッとさせられた。

僕らの音楽も同様でどう中国に入っていくかを丁寧に考え検証し用意周到で臨む。その結果が今の姿になっているよね。一緒なんだな、本当に勉強になった会食であった。今日はまだまだ終わらない。ホテルに戻りしばらくするとwingが登場。もともと今日北京に戻る予定のwingだったので青海にいる予定の僕らとは会えない予定だった。

結果的に僕らの予定が変わったので再会を果たす。相変わらずのナイスガイ。話も盛り上がり今年の40周年で何かできればねと盛り上がる。そして有名ならではの悩みもあるようで「BEYONDのWINGは過去のものなので自分は今を生きたいから新しいチャレンジをしていきたい」という彼の気持ちの葛藤と強さも感じることができた。

中国での成功を収めきった彼がいまさら新しいことを行うということはリスクを負うことでもある。でも彼は前に進みたいんだ、という。それならばぜひ協力しようじゃないか!具体的にはなっていないが中国国内で、そして日本で彼とやれる場があれば是非チャレンジしたいと思った。

ちなみにWingが連れてきてくれた店にはノンアルコールの燕京ビールがあった。とうとう中国もノンアルコール時代か?ちょっと甘めのビールだがこれは僕にとってうれしいニュースだった。wingとの会話も盛り上がりかなり激しくみな酔ってきた。そんな時、ここでも音楽の持つ力を知ることになる。中国の飲み屋の店員はだいたいにして無愛想だったりするが、僕らと飲んでいる中国人がBeyondのwingと分かったみたいで急に愛想がよくなる。それは僕らに対してもだ。

それまでビールを頼んでも無表情に運んできた店員が急に「再来碑酒!(ビールもう一本)」というと笑顔でダッシュで持ってきてくれるのだ。この人の感覚というところがきっと音楽やエンタテイメントに作り出すことができる魔法の技。同じビールを頼むのもこの感情次第でお互いが笑顔になれそして、もっとオーダーしようという気になり、サービスをしようという気にある。飲み屋で飲むという最小単位の経済活動の中でこの無形の「気持ち」ということが大きく作用されるのだ。

中国全土でwingと一緒に日本と中国の交流をテーマとして公演をやったらもっと中国に日本を伝えられるだろう。国民的スターが日本人と一緒に活動をして、日本をよい!といえば彼のファンである人、彼を好意的に受け突人も日本に対して肯定的なイメージを持つだろう。

その時の僕らの態度次第で日本はその地に広まり、根付く。良い日本人、理想的な日本人を演じるには時には大変ではあるがそれは日本人としての使命であり二つの国の関係良化に貢献できるのならばなんて素敵なことだろうか。

今年はまだまだ長い。次のチャンスを目指して今からこの日中合作のコラボレーションを進めて見るのもいい。夢は広がりながらもこの場はお開きとして02:00ホテルへもどりwingと別れる。再会の日は近いだろう。そして、それは新しい取り組みのスタートにもなるのだろう。ありがとうwing!

そして、一同恒例のmasao部屋に集合しようということになった。しかしなかなかmachaが来ない。帰ってないはずはない時間だがそんなときにmachaから電話が入る。なんでもタクシーの運転手にぼられそうになり、何度も同じところを回り24元払えと言われているらしい。何?!大体15元くらいの距離なのにおかしい。まあ、といっても差額の9元は110円くらい。目くじらを立てることではないがその、「まあいいや」、で支払う日本人が次のターゲットを日本人にというイメージに増幅させてしまう。ぼったくりというのはどこの世界でもいてこんなに中国が発展してきているといってもまだまだたくさんの危険要素がある。ましてや深夜3時。だからこそ自分自身で気を付けることと無意味なお金は払わないということに気を付けたい。

そしてようやく全員集合できて乾杯。僕も水で乾杯。話は尽きないが4時に先に部屋に戻る。何もない予定がこんなにもフルに楽しい一日になって嬉しく思う。そして深夜05:30。目が覚めて夕食の時の田村さんとの話とwingの話がなんだか一致したような気がしてメモを作り始める。夜中に何をやっているのだかと思うがアイデアがあふれるときは寝てもいられない。寝れたのは明るくなってからだった。

2012/06/18
07:00起床、1時間くらい寝れたか?08:00朝食をとり「昨日夜中に企画書書いてしまったよ」などと話しつつ09:00にマサオ部屋で集合してリハーサルを行う。来月に出演するインターネットTVの番組で共演する時東あみさんとのステージの意識合わせだ。そして、今回のツアーの反省。進行やMC、実際にやってみて改善点など記憶の新しいうちに解決する。
できなかったことは次でできるようにしなければ意味がない。シビアにやらなければこのシビアな世界で生き残れないから真剣かつ重要な時間だ。

かなり眠くて朦朧としながらなんとか作業を終え11:00終了。部屋に戻り荷物を詰めて11:50ロビー集合で昼食に向かう。遠出するのもなんなので近くの点心へ。みんながスイカジュースを飲んでいるのでスイカ臭でちょっとブルーになったこともありスタバでリフレッシュ。欧米系な私。

13:30にホテルに戻りとっても滑舌のいい運転手さんと合流して空港へ向かう。この運転手さん、とてもいい人で本当に気持ちいい人にあたると移動も楽しくなるね。14:20空港第三ターミナル着。市内から1時間かからなかったな。なぜか空港がすいていてスムーズにチェックインができた。とはいえ広いゲート。搭乗まで20分はかかるのでとりあえず出発ゲートまで進む。マッサージができなかったのが心残りだがちょっとのんびりしてから機内に乗り込む。

16:05搭乗。ここまでは予定通りだが空港が慢性的に混んでいるためになかなか飛び立てない。定刻の16:40を大きく過ぎて17:25ようやく帰国の途に。JAL24便は羽田へと飛び立つ。飛び立つと夕闇が急激に迫ってきて夜が訪れる。いつもよりも揺れは少ないのはなんでだろう。行きの便で機長が言っていたが雲をさけて飛んでいるとコメントしていた。そんなことなのかもしれない。

JALだけ?そんなことはないよね。でもそれもホスピタリティなんだと思う。気のせいで単に安定して飛べただけかもしれないけれどね。そんなことで機内でも快適に過ごせた。機内食もおいしい。最近は実は機内食はほとんど手を付けないのに今回は往復共に完食してしまった。しばらくするとアナウンスで21:15分到着が告げられる。もう日本の上空だ。

第4章5幕はここで閉じることになる。
中国ならではの事ではあるが、突然の変更に対してどう対処できるか。その分得たものの数は多い。公演を行うためのツアーであるがそれがなくなった時の対応力に「仕方ない」はない。そのときの気持ちの揺れ方を含め中国に対してどう対処すべきかは十分に習ったはずだ。

一人の発言でいろいろなことが起きてしまうこの時代はそれなりの対処方法を習得しておこう。

形なき音楽ができる事は、現地で待つ人たちの気持ちを大切にすること、それがすべてを変えていくきっかけになるはずだ。その先には思い描いていた笑顔が待っていると確信している。

そして、自分たちの役割を僕らは脱せずまっすぐに進む。混沌とした人々の意向が渦巻く中であっても空を飛ぶが如く僕らは着地点にまっすぐ降りていく。風に飛ばされやすいのが欠点だが一瞬のうちに心の中に入っていく事ができる事も利点でありルートを外さなければその距離は万里にも届く。




湖北省のみなさん、関係者のみなさんに心からの感謝を!

そしてまだ見ぬ友よ、出会える日まで!









GYPSY QUEEN ROAD TO ASIA#35 -Immaterial-