Over the Asian
2003/7/17-07/28 


2 Happy Birthday His Majesty

BRUNEIは豊富な石油と天然ガスの国。国名のネブラ・ブルネイ・ダルサラームは「平和の国」という意味であり、敬虔なイスラム教徒の国をボルキア国王がおさめている。首都であるバンダル・スリ・ブガワンで僕らはそこに飛ぶことになる

2003/07/17
晴。
なんのことはない普通の平日。夏にしては若干涼しいくらいの平日の朝。8:00に自宅を出発する。昨日預けた荷物のおかげでバッグ一つの身軽な格好はいつものとおりの満員の通勤電車にのっても違和感がない。自分の気持ちだけ「僕はこれから旅をするんだよ」と弾んだように感じる。日暮里で乗り換え成田に向かう。8:43のスカイライナー。成田は1時間の距離だ。今回はどうなるんだろうとおもいつつ、見慣れた町並みを車窓に映し旅は始まる。ここはいつも孤独だ。日常の社会とこれから訪れるであろうスペシャルな時間との隙間を埋めるこの1時間。ちょっとだけ長く感じたこの移行期間も9:40、成田第二ターミナル到着で気持ちは切り替わった。さあ、みんなが待っている!

空港ロビーに着くとメンバーはすでにそろっていた。以外にも簡素な手荷物。それでいい。カウンターでチェックインを行う。なんと総重量279kg。減らしたんだけれど機材ばかりはどうしようもない。あと1kgで重量オーバーだー。それでも優遇待遇にての渡航である。関係者の皆さんに感謝。普通フライトまで2時間くらいはあるもので、結構この時間は長い。でも、僕らの場合は機材の受け渡しやら何やらで、いつもぎりぎりまで時間を費やしてしまうことが多い。今日もクアラ・ルンプールでの乗り継ぎ以降の重量超過料金についてひともめあった。まあ、揉め事に慣れきったメンバーはそう、気にしていなかった。気にしなくても自分たちの主張は100%守る。そんなつわものとなってきたメンバーをほっときながらも交渉は続く。結果として、クアラ・ルンプールで乗り継ぎの際に一度出国して処理することになった。クアラでの交渉となると英語だ。どうだろうか。まあ行ってからかんがえてみよう。出国審査を終えて、なんだかこざっぱりとした搭乗口に到着。そして2:00搭乗開始。今回は中国ではない。4カ国を次々とまさにツアーする旅。束になった今回のチケットの記載を見るとそう感じる。全て国際線のチケットだからだ。中国ではその都市その都市がまったく異なった国のような感覚を覚えた。同じ国であるにもかかわらずね。しかし、今回は実際に違う文化を持つ国々に訪問する。きっと10日もすれば僕らは何かをつかむだろう。どう変わっているか楽しみだ。きっと何かを得てくるに違いない。そうおもっているうちに成田を飛び立つ。JAL723便。定刻を10分ほど遅れて12:37分。目指すは最初の訪問地BRUNEIに向かう。半年振りの海外公演の始まりだ。

14:30機内食も食べ終わり時計を現地時間のために1時間遅らせる。とはいってもクアラ・ルンプールまで7時間そのあと、乗り継いで2時間という長距離だ。中国の3時間程度のたびになれた僕らにはちょっとヘビーなたびの始まりではある。とにかく今出来ることは一言でも多くのマレー語を覚えることだ。この時間は実に貴重である。

現地時間17:30。日本時間は18:30一時間遅らせるとこのエリアの時間帯となる。窓の外を見るとマレー半島がうっすらと雲の下に見えてきた。もうすぐ最初の乗り継ぎ地クアラ・ルンプールにつくのだ。高度を下げ半島の中に入ってくると深い、とてつもなく深い緑の森がどこまでもつづく。クアラ・ルンプールのなんとかとかいう映画の舞台にもなった超高層ビルとリゾートアイランドの国。そういうイメージで考えていた僕にとっては新しい発見だった。そうしているうちにもどんどん高度は下がり沿岸部に到達した。そこには赤い屋根と白い壁のいかにもリゾート的な建物が乱立する。薄いブルーの海と赤い屋根。そして深い緑。18:00僕らはMALAYSIAに降り立った。

クアラ・ルンプールインターナショナルエアポートにつくとすぐに乗り継ぎの手配をしなければならなかった。出国前の打ち合わせが異なっていて、結局僕らの荷物は一度クアラで全て出されてしまうことになったのだ。乗り継ぎだけであれば空港ロビーで過ごす3時間をどうしようか?などと考えていたのだが、一度出国となると話は変わる。時間は限りなく短い。ビザを持っていないのでトランジットのためだけに出国することをイミグレーションで説明する。だいたい乗継をする人が一度出国するなんてありえないことだから相手も理解に苦しむ。僕らは必殺技のコンサートパンフレットを出して説明した。「僕らは明日からのコンサートでBRUNEIに向かう、そのために一度出国したいんだ。そう、24日にはMALAYSIAでもコンサートをやるんだよ」音楽は世界共通の言語。なんとなく理解してくれて(面倒くさそうな顔をされたが)ビザなしで入国させてくれた。そして、荷物をとり再度チェックイン。まったく何をやっているんだか。初めて降り立つこの広い空港で一度入国しまた出国審査に向かう僕ら。まあ中国でのもっとつらい経験があるからそうは気にならないが。BRUNEIロイヤル航空のカウンターに着き、再度荷物をあずける。ここでもひともめ。重量が圧倒的にオーバーしているのだ。それを踏まえてわざわざここで一度出国しているためになんとしてでも超過料金の免除はお願いしたい。なかなかYESといわない係官にとりあえずマレー語で話しかける。「アパカバル(おげんきですか)」なんとなく受けた。次はコンサートの説明だ。僕らがなぜこんなに大きな荷物であるかを説明する。そして世間話。係官はダンスを習っているらしい、その助手の人は24日のコンサートにも来るようだ。いい感じで会話は盛り上がる。結局無料にはならなかったが100kg分の重量超過をなんとなく免除してもらい20kg分をさらにディスカウントしてもらい50ドルにしてもらった。時間も迫るしまあ仕方がない。でもよかったとおもうのはここで多くのネイティブのマレー語に触れられたことだ。いろいろ言葉も教わったし、機内で自分で覚えた言葉の本当の発音もわかってきた。これは50ドル分以上のレッスン料だよ。なんだかマレー人が好きになった瞬間だ。さあ、そうなれば急ごう。時間はもう1時間もない。

僕らは登場口に急ぐ。BRUNEI航空は時間に正確なエアラインだ。21:15 BRUNEI航空BI880便に乗り込む。21:40に飛び立つとすぐに機内食が出た。MALAYSIAまでの便が寒かったのか、久しぶりに英語を使って交渉したため、知恵熱がでたのか急に激しい頭痛がした。寒気もする。でも、今のこの時期に風邪はまずい。ツアーに影響どころかつい最近までの最大の話題であるSARSの疑いとか言われたら全員ストップさせられてしまう。SARSのわけなどまったくないのだがこういうときは弱気になる。食べられない機内食を必死に食べブランケットをもらい、あいているシートを3席使って横になって寝込む。お願いだ。なんとか収まってくれ。旅はこれからなんだ!必死に寝ようとするがこれも激しい揺れでなかなか寝れない。それどころかゆれのおかげで気持ち悪くもなってきた。最悪のコンディションである。転寝をしているうちにガクンと大きなショックを受けた。BRUNEIに到着したのである。よかったちょっとは眠れたかな?時計を見ると23:40ちょうど飛び立って2時間なんと正確な。そしてきっとこの国はそういう国なのだろう。

空港に降り立つと蒸し暑い風が吹いてきた。そう、ここは赤道に近い常夏の国なのだ。入り口には大野さんと貫山さんが迎えに来てくれた。またBRUNEIの文化スポーツ省の人たちもきてくれた。思いもよらぬ大勢の出迎え。そして、だれかが「GYPSY QUEEN」という声が聞こえた。きっと少しだけ歓迎されてる?そんな気分に頭痛も引っ込む。時間は12時を回っている。こんな時間なのに出迎えに来ていただいて感謝、感謝だ。空港ロビーにでると、さらに大勢の人たちがまってくれていた。なんで解るって?そりゃわかるさ。みんなGYPSY QUEENのポスターを印刷したスタッフ証をぶら下げているからね。そんな人たちの手を借りてたくさんの荷物もあっという間に片付く。バスに乗って10数分。ライトアップされた美しいBRUNEI市内に入り僕らの宿泊先RIVERVIEWHOTELに到着する。BRUNEIでも最高級のこのHOTEL。その最上階の部屋に通される。メンバーで簡単にミーティングを行い解散する。時間はもう1:30。日本時間は2:30。長い一日だ。それぞれ部屋に戻り明日の準備をする。明日も朝方TV出演やらなにやら盛りだくさんだ。こうして部屋でこのレポートを書いていると思い出す。今までのツアーを思いだす。楽なツアーは一つもなかったが全て最高のツアーであったと記憶している。今回もそうでありたい。そうなるために、そうするために明日からの一つ一つの行動に気持ちを入れたい。さあ、もう寝よう。時間は3:00を過ぎてしまった。おやすみなさい。


2003/07/18
朝ものすごく寒くて目がさめた。BRUNEIの冷房は強烈だ。少しすると6:30のモーニングコール。7時から朝食兼ミーティングをレストランで行う。早速の寝不足スタートだが仕方ない。今日はとてもタイトな一日だ。テレビの収録、リハーサルとレセプション。どうなることだろう。これから激しい一日が始まる!8:20ロビーに集合する。昨日よりもスタッフの人数が増えていてびっくり。とってもフレンドリーなBRUNEI人の友達がたくさん出来た。バスに乗りBRUNEI国営放送へ向かう。市内をちょっとはしったところで乱立するモスクにびっくり。どれも白と金色で装飾されとても美しい。そうしているうちに到着。僕らは入り口でパスポートを預けSTUDIOのある棟に向かう。到着するとすでにオンエアは始まっていた。僕らの出演する番組がだ。普通番組出演、特に生放送のときは入念な打ち合わせがある。きっと今日もそうだとおもっていた番組中にプロデューサーがでてきて簡単に説明してくれただけだった。軽視されているわけではない。休日の朝のとても人気のある番組だそうでそこで20分も出演する事は特別な待遇だという。いいのかなぁ?まあ、いいか。だめといっている人は一人もいないのだから。

中国でもない成り行き任せでSTUDIOに呼ばれる。マイクをつけられているうちにマレー語と英語で簡単な説明をされる。なんとなく、ちょっとだけ解る。でもほとんど解らない。しのんは泣きそうになっている。まあ、いいか。そうして番組は始まった。メインのキャスターが次々に質問をしてそれに答えるというものであったが、当初予定していた質問はことごとく異なりその場のしのんの対応になった。で、そういう進行だから僕にも質問が来る。ん??心の準備のまったくない僕だから当然まともな回答なんて無理だ。どうしよう。そうだ!とりあえず自分の覚えたマレー語を言おう。スラマパギ!ブルナイダラサラーム!

受けた、受けを狙っているわけではないがやられっぱなしがきらいな僕はとりあえず一言返して一矢報いた。そのあとあてぶりでMOONLIGHT&SUNSHINEを演奏して終了。終了するとアナウンサーからはてはプロデューサーまでSTUDIOのみんなにサインを求められる。写真をとったり、いろいろ話をした、僕らのCDを事前に良く聞いてくれていて曲を好きになってくれたという。うれしい一言。BRUNEIでもファンが出来たのだからうれしいこの上ない。僕らはTV局をでて、会場に向かった。会場はBRUNEI国王が作ったといわれるテーマパーク。入場料は70円という激安だが施設はディズニーランドに匹敵する。人口55万人のBRUNEIだからきっと乗り物待ちはないんだろうなとおもう。テーマパークの横に大きな屋根が見えてきた。ここが 僕らの公演会場だ。それは写真でみたよりもはるかに豪華な野外劇場である。Jerudong park Amphitheatre。過去にはホイットニーヒューストンやマイケルジャクソンが公演したというステージは限りなく大きく見える。会場の周りにはBorderのジャケットをモチーフとしたコンサートのバナーが張ってあって僕らの公演があるということが一目でわかる。

バスが会場に着き裏口からステージへ。収容4500人のスタジアム。ステージ幅も50mはある感じだ。これは走りがいあるな。そうおもった。会場はすでにセットがされていた。いい感じだ。スタッフも大勢いる。会場の壁には過去にこの会場で公演をしたアーチストたちの写真とCDが飾られている。そして、ぼくらのCDもここに飾られるという。マイケルジャクソンやホイットニーヒューストンと並ぶわけだ。なんたることを!もの珍しさで一通り騒いだ僕らを催促するようにランチに向かうことになる。ここではBRUNEIの名物料理を頂くことになった。BRUNEI料理。それはおいしくはなかったがなんともいえない味がした。癖になりそうな味。懐かしい。

のりのような寒天のような不思議な食べ物。それ自体に味はない。もちろん、すぎやんはそれを完食する。さすがだ。「ニャマン(おいしい)」彼の最初のマレー語である。食事をすませて会場に向かった。会場に着くとリハーサルが待っていた。控え室の気温が20度ステージが35度。楽器は結露でぬれている。滴り落ちるくらいの結露なんて経験がない。外側はふけても楽器のなかが心配だ。エフェクターにもかなり悪いだろう。このうえなく楽器に悪い環境である。メンバーもみな楽器が心配という。楽器がこわれたら大変だ、これからのツアーに影響してしまうことが怖い。とにかく楽器はなるべく楽屋に持ち込まないようにしてそとの気温に慣れさせようということになった。セキュリティの心配もあるがこの会場は大丈夫と現地スタッフが自信を持って言う。まあ、しんじよう。なんと言っても国王のお祝いに泥棒は無縁である国であるとおもうしね。

ステージでのリハは順調に進んだ。若干会場になれない部分を除いてはまあ、まずまずのリハが出来た。それにしても暑い。屋根があるので半分室内といえば室内であるが開かれた会場には容赦なく夏の熱気が吹き込んでくる。よく日本だと地方に言った場合暑くても湿気がなくて過ごしやすいというがここは高温多湿の国。湿った暖かい風がほほを伝う。今回はラマダン明けの特別番組で僕らのコンサートの放映が決まっていた。収録後2時間の番組としてASEANを中心に15カ国で放映されるという。そのためか大勢のクルーとカメラが用意されている。番組のプロデューサーはアジさん。とてもいい感じの人だ。しのんの歌うBRUNEIの歌「ADAIADAI」の発音を丁寧にチェックしてくれている。いつも見る光景だがこういった小さな協力に支えられているのだ。

18:30。リハーサルも終わりHOTELに一度戻る。今日はこの後大使館に行き原大使とお会いするのだ。部屋に戻りほんのちょっとの休憩。30分あれば寝られる。でもやることも多くてあっという間に時間だ過ぎる。ああ、寝れない。タイマーを10分後にかけて一瞬の熟睡。もし、目覚ましがなければ大惨事となってしまうだろうとおもう。19:00に再びロビーに集合。2台の車に分かれて大使館へ向かう。大使館は海沿いの眺めのよさそうな高台にある。緊張して公邸に入ると原大使ご夫妻と大使館の皆さんが迎えてくれた。緊張するメンバーにフランクに話しかける大使にメンバーも自然と慣れてきて会話も弾んだ。僕はメンバーが粗相をしないようにと心配していたが。音楽をやっていて何が素晴らしいかと言うとやはり人との出会いだろう。もちろん、音楽を作りそれを聞いていただいて人に喜んでもらえるという絶対的な音楽の魅力はもちろんだが、それと同じくらいにすばらしいのが出会いである。こうして、この大事な時間を頂いてお会いできた大使から頂いた言葉を僕らは胸に刻みたい。何を言われたかは内緒。アセアンの中のもっとも小さな国の大使館に尊敬できる人が出来たのがうれしい。

この国は王政である。新聞を見てもTVをみてもこの国の人たちは国王を見ている。それはとても幸せな証であるのだろう。この国はとても裕福である。それゆえ犯罪も少ない。貧困が犯罪を生むとは言い切れないが確率を言えばやはり裕福のほうが幸せであるのかもしれない。それを証明するようにこの国の人はとても表情が豊かである。日本的にいえばおぼっちゃんという表現が合うのかもしれない。でも、もし、この国の人たちに大地の恵みがなくなったときに今のこの国の若者は大丈夫だろうか。きっと政府もそれを考えていることだとおもうので、僕が心配することではないけれど、それほどみんな明るいのだ。HOTELに帰る途中、とてもにぎやかなとおりに出た。夜中にもかかわらず国王57歳を祝うアーケードは若者で溢れかえっている。

この国はお酒を飲まない。自分を失わさせるものは不浄とおもうのだ。それは僕もそうおもう。お酒がなくてもこれだけ若者は屈託もなく楽しんでいる。車を降りてその中に入っていくと今朝のTV番組のおかげか大勢の人が集まってきた。サインを求められるうちにどんどん集まってくるので逃げることにした。屋台ではサービスでいろいろなものをくれたのでちょっとだけもらって車にダッシュ。窓の外にはBRUNEIの若者が手を振ってくれている。明日は頑張らなければ。

23:30HOTELにもどり明日のミーティングを行う。今日のリハーサルはかなり課題が残った部分がある。それを明日の検閲までに修正しなければいけない。いつもおもうことだが指摘は批判ではない。かなりきつい事をいう。それはやはり言う方も言われる方もきつい。それでも指摘されたことを受け入れられない人は成長できない。換えることの出来ないメンバーだからこそ相手のことを考えて言い合えるようにしたい。自分の弱みを改善できなくて一番損をするのは本人だからだ。僕らはそういうグループでありたい。この大幅な修正点を元に明日に望むことになる。部屋に戻ってからも個々で確認点を再度考えるということにした。もう、準備不足はいえる段階じゃない。早めにミーティングを終えて午前1:30解散する。今日も遅くなってしまったが部屋に戻ってからも盛りだくさん。このレポートにもそのときに書かないと気持ちが変わってしまうので、毎回その日に書くことにしている。2:30就寝。明日はいよいよ本番だ頑張りたい。


2003/07/19
6:00起床。朝食前の洗濯タイム。最小限の荷物で望む僕らには家事も多い、3日に一回の洗濯が必要とされるのだ。7:00に朝食。しのんは電話インタビューのため部屋で待機なのでほかのメンバーで食事兼ミーティングを行う。今日は長い一日になるだろう。朝HOTELを出て戻ればBRUNEIの公演が終わってるということだ。忘れ物は出来ない。8:00ロビーに集合。電話インタビューを終えてしのんが戻ってきた。BRUNEIのHOTELでラジオ番組の電話インタビューを英語で受け答えするということは容易ではない。でも、やらなければ次がなくなるだけだ。だからNOとはいわずに取り組んでいる。そしてそれは次への一歩に確実になっている。大野さんが「ラジオ聞きましたよ、ちゃんと受け答えしているじゃないですかハハハハ」と笑ってあらわれた。

そうか、よかった好評みたいだ。番組の名前はFM95.9 PILIHAN NETWORKSのULTIMATE CHOICEという番組らしい。バスに乗り込み会場に向かう。晴天の痛いくらいの日差しを受けて僕らは会場に向かう。さあ、今日の出来次第で流れが作れるだろう!がんばろう!

会場に着くとすでにセットは出来ていた。午前中はゲネプロだ。全体の進行に合わせて演奏を行う。若干のミスやPAのトラブルはあったが、大きな問題はなかった。あるとすれば結露したワイヤレスが突然作動しなくなったことくらいだ。リハを終えてまたもやアジさんからのチェックを受けるしのん。教えてくれる人がいるのは有難いことだ。リハを終えて休憩(お祈りのために2:30までの時間は休息の時間となる。これはムスリムの風習である)きゅうりいっぱいの弁当に僕は涙。たべられないのでしかたない。もし、この世にきゅうりしかなかったらどうするだろう。やっぱり食べられるようになるのかな?でも、今日は無理だ。この世は食材に溢れている。13:30クリスタルFMのインタビューに向かう。14:00から収録開始。ここではインターネットでSTUDIOの中が見れるようになっている。番組の収録中にもどんどんメッセージが入ってくる。チャットで参加できるラジオ番組なんて進んでいるなとおもう。こういったものを日本も取り入れるとよいのになとおもう。

収録は盛り上がり結局40分ほどの生出演となった。曲もかけてもらい今日の公演の準備はばっちりだろう。そのあと会場に戻る。15:00内務省の検閲を行う。ほどよくすすんだが最後の段階でトラブルはおきた。15:45国王の歌がNGになった。それは歌詞の表記からだった。でも、この曲は僕らの曲を現地のアーチストにBRUNEIに合うように修正してもらった曲。それなのになぜだめなのか?しかも歌詞を直しても許可に2週間かかるという。この曲をやるためにBRUNEIに来たそしてそれをやるために手はずを整えたつもりであったが最後の最後で判断は覆った。おかしな話だ。とりあえず結論はかわらなかった。仕方がない、誰もがそうおもう。でも、楽曲を作るものにとって仕方がないという言葉はない。「いやだなー、せっかく作ってきたのに。。」つい愚痴がこぼれる。こまった。この曲を作るために費やした時間が一瞬にして消えてしまう。英訳もマレー語訳も。そして、公演のテーマも。しばらく凍りついた時間が過ぎる。まあ、仕方がないとようやく気持ちに整理がつきかけたころに、内務省の人にまた、呼び出された。もう一度演奏してほしいという。国王を表現する歌詞に問題があるからということでインストルメンタルで出来ないかということだった。曲自体は評価してもらえたようだ。でもねぇ。音楽は歌詞だ。それでも内務省の役人達も妥協点を見出してくれたのだろう。見ず知らずの日本人に対して国の役人が気を使って考慮してくれている。呼び出されていわれる。「来年はこの歌詞をPerfectにすればとてもすばらしい歌だから是非、来年演奏してほしい」責任者にそういわれた。次という言葉が得てして存在しないことは良くわかっているがそういわれてはほかにどうすることも出来ない。これは受け止めるしかないのだ。そこまで考えてくれた事も理解すべきであろう。なんといっても僕らは突然現れた異民族なのだ。「ありがとうございます。がんばります」大番狂わせの検閲もなんとか無事に終了して本番も迫ってきた。

18:30夕食はビッグマック。そとは次第に暗くなり屋台も出始めた。まだ、お客は誰もいないが事前に並ぶ習慣がないこの国は問題ないのであろう。19:00メイクルームもにわかに活気付いてきた。しのんのメイクは島倉千代子のようだった。なんだか怖い。開演まであと一時間、だんだん騒がしくなる会場周りは気持ちをもり立てる。さあ、一発目だ!がんばろう!メンバーで円陣を組み呼び込みを待つ。司会者の声に会場が反応している。いよいよステージの始まりだ。通常のステージとは異なるのは今日はロイヤルファミリーがいらっしゃっているので全員で登場してきっちりお辞儀をしてからセッティングにはいる。ロックコンサートにしては珍しい風景だが、この国ではそういうものだ。そんな雰囲気に触れること自体が僕らにとっての喜びに変わっている。
観客はとても乗りのいい人たちだった。戒律の厳しいイスラム教徒だからといって楽しみがないわけではない。ルールを守って生きるということに忠実であってそれは別に制約があるということではない。とかく自由が暴力のようにまかりとおる日本では解らないことだろう。という僕もわからなかった。ちょっと煙たかったイスラム教。でも、今は違う。この国に来てすぐにわかった。人は知らないということで偏見や壁を作る。でもそうおもう前にその相手と直接会話できる力がほしい。そうでありたいとおもう。そんな、イスラムに対して敬服をし始めた僕らにとってこのステージはわくわくであった。いいステージにしたい。日本人がここでコンサートをやるのはもちろん始めてであるという。この国では王族の許可なしでは公演は出来ないのだ。そして、僕らはその許可を得てなおかつ目前にカウィ殿下をはじめロイヤルファミリーの前で演奏をすることになる。ホスト役として大使も最前列にいらっしゃっている。

気合は本当に入りまくっている。20:00。定刻どおり司会者の挨拶が入る。明日帰任される原大使のスピーチを聞く。大使は僕らのことはいろいろ話してくれていた。このBRUNEIを離れるにあたりいろいろな想いがある中このコンサートをよき思い出にしてくれようとしてくれている。がんばらなきゃ。人は誰かのためにという目標があればさらに頑張れるものだ。今の僕らもそうだ。大使のスピーチの最後に一言だけ日本語で「さよなら」ということばがでてきた。英語の中でたった一つだけの日本語。なんだか泣けてくる。日本語ってこんなに切ない響きなの?そうおもった。今まで中国語の響きに魅せられてきたりしたが、自分たちの持つ言語がこんなに切ない響きを持つ言葉だとは気づかなかった。うーん、勉強になった。そんな大使のスピーチも終わり拍手に見送られ壇上から降りる。さあ、いよいよコンサートの始まりだ!コンサートは僕らの前に3組のBRUNEIのアーチストが演奏する。それぞれ一曲づつ演奏してもらった公演をもり立てるといった流れだ。そして、いよいよ僕らの出番がやってきた。楽屋からステージそでに移動する。熱気で溢れるステージサイド。
「Please welcome to GYPSY QUEEN」。ASEANでの最初のコンサートは始まった。
「アパ カバル スラママラム サヤ ダタン ダリ ジュプヌ カミGYPSY QUEEN スラマブックナラ」
(おげんきですか こんばんは 私たちは日本からきたGYPSY QUEENです。よろしく!)
オープニングはいつも僕の役目だ。観客をあおってステージは始まる。2時間のステージはあっという間だった。最初は戸惑いがちの観客もしのんのマレー語のMCを境に手拍子をするようになってきた。どんな国でもどんな慣習でもその国のその人たちのわかる言葉で話せば反応はある。それは僕らにとって一番重視すべきことなんだ。途中今回のテーマでもある日本ASEAN年のテーマソングを現地のアーチストと競演する。そして、BRUNEIに伝わる有名な曲ADAIADAIを演奏すると殿下も口ずさんでいるようだった。音楽って偉大だよな〜と改めておもう。後半はマレー語のRasa Sayangをやる。これは6分くらいになるロングバージョンへのアレンジだ。問題の曲「Happy Birthday His Majesty」についてはインストルメンタルで演奏してキーボードがメロディをひいて演奏となった。僕はオフマイクで(聞こえないように)思いっきり歌った。
It starts with a prayer in the land of peace.A prince was born and distined to rule and tolead〜
GYPSY QUEEN初の英語曲は短命に終わった。

会場には立ち上がるお客も出てもりあがった。ぼくらもまるで50m走をするようにステージをはしりまくる。限界まで走ってみよう。そうおもって望んだライブだからこうやって盛り上がって感激だ。おもしろかったのは立ち上がって盛り上がる観客が出ると横に座っているほかの客が座らせようとするところだ。そういうところに国民の礼儀正しさというか行儀のよさが見え隠れする。コンサートというものはきっちりきくのだ。中国の都市でもそういうことがあった。元来コンサートで盛り上がるという風習は欧米から来たのだろう。アジアにはなかった文化なのかもしれない。日本だってそうだよね。だから音楽に乗れればかっこいいなんて考え方は捨てたほうがいい。どう楽しもうと音楽は自由なのだ。もしろん、ぼくらは盛り上がりたいから盛り上がるけどね。2時間のコンサートはあっという間だった。観客に挨拶をして楽屋にもどる。恐ろしい量の汗をかいている。そういえばこんなに汗をかくなんてあまり経験がない。

楽屋口にはファンらしき人がたまっていた。その中に特に笑顔でこっちをみているひとがいた。それがジャックだった。ジャックは僕らがBRUNEIに行くことが決まったときにメールをくれたBRUNEIの最初の僕らのファン。遠く離れたこの地でこういう出会いがあることがうれしい。そうこうしているとスタッフに呼ばれて殿下主催の打ち上げになる。

殿下と直接話すことになる僕らはちょっと緊張。「サヤ ラサ グミラ ダパ(ト)ブルジュムパ ドンカヌ チェク」(お目にかかれて光栄です)とりあえずマレー語で挨拶をする。かろうじて通じたのか殿下はとても喜んでくれて握手を求めてくれた。通じなくてもいい、そういうことを僕らがマレー語で言おうとしていることはわかるだろうし、口にしなければ初めて会った同士、気持ちが通じるわけはない。だから思ったことは全て口にするのだ。原大使も喜んでくれている。僕にとってはそれがうれしかった。BRUNEIでの最後の思い出の一つになればとおもい僕らは頑張った。それが少しでも大使の思い出となってくれれば幸いだと。そうなってくれてうれしい。「そういうことは考えないで自分たちの音楽に集中してがんばってくださいね」そういわれた言葉は忘れられないだろう。また、会いたい人が出来た。僕らにはそれが最高のご褒美だ。ふっときのぬけた瞬間、僕は急に気が遠くなった。なんだかたってられない。目の前が真っ暗になった。

やばい。こんなときにこの場を離れられないとおもった。絶対にまずい。みんなが僕らのために来てくれているのに中座はできない。でも、それも限界で立っていられずに楽屋に駆け込んだ。そのあとは覚えていないのだが始めてのことなので自分でもわけが解らなかった。酸欠?うーん、なんだかいやだなあ。でも、そのあともずっと気分はさえなかった。それでも、パーティは続いている。行かなければ失礼にあたる。公演を終えた後にメンバーがいなければ申し訳ない。それどころか殿下に対して無礼になるだろう。それこそ台無しだ。とりあえず、会場に足を運ぶ。つらい。でもそれが責任を果たすということだろう。それが出来ない人はここにいる権利を持たない人だ。パーティーも終了しスタッフのみんなに挨拶をする。GYPSY QUEENのロゴのあるスタッフ証にサインをせがまれる。みんないい感じの人たちだ。敬虔なイスラム教徒のすばらしき人々。今まで僕らはしらなすぎたことだ。もっと知らなければ、理解しなければ。そうおもった。

そして、最後にぼくらのCDはこのBRUNEI王室専用のパーティルームに飾られた。場所もホイットニーヒューストンと並んで飾られることになった。王族に認められたアーチストしか飾られないプレート。名誉なことだ。またこの国に訪れたい。心からそうおもう。24:00会場を後にする。普段と違うのは打ち上げでお酒がないことだ。でも、意外。酒がなくても楽しめるし充実感は変わらない。当たり前のことのようだが、そんなことにいまさら感激する僕らであった。HOTELに戻り解散。部屋でVTRを見るも疲れて途中で断念。ようやくベッドにつけるのは3:00を回ったころだった。長い一日。ASEANでの最初の公演。テレマカシ、ブルネイダラサラーム。


BRUNEIで会ったJACKと一緒にホテルで!(しのんの横がJACKです)




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