Over the Asian
2003/7/17-07/28 


6 ASEAN Boleh!

広い空港の中僕らだけの時間が始まる。入国したときと一緒だが、たくさんの思い出と経験を得、明日から出会う人へのわくわく感を失った。まあ、それでトントンである。出国のカウンターでドラムのMasaoが倒れた。どうした!貧血らしいが元気とパワーが売りの彼が倒れるとさすがにびっくりである。きっと昨日食べたドリアンがあたったんだろうとみんなは言う。確かにドリアンとビールの相性は相当悪いらしい。でも、ツアー終了後に倒れるなんて律儀なやつだ。のこったSINGAPOREドルがあるのでCafeで時間をつぶす。

僕はいつもその国の通貨を換金せず必ず持って帰る事にしている。何でかって?そりゃ、またくるからさ。そのときのためにとっておくのは僕が再びこの国に来るためのおまじないのようなものだ。

あっという間に時間は過ぎ、登場口に並んだ。まっくらだった空はもう朝になっている。よく晴れた一日が始まる。その空に吸い込まれるように8:07JAL712便はTAKE OFF。僕らは再びタイムマシン乗った。機体はSigaporeに別れを告げるように大きく(本当に一周するくらいの感覚で)旋回し成田に向け飛び立った。時計を日本時間に戻す。日本では9:07となるはずだ。

機内は静か。過酷であったがすばらしいツアーであった。「真夏の東南ASIA」という聞くからにして過酷そうなツアー。そして、それを終えた僕らに何が残ったのだろうか?12日前に戻ればそれも明確にわかることであろうが、すでに今の感覚に慣れてしまってなかなか実感として語ることが出来ない。次の目標はなにか、アジアでどうすべきか、そして日本でどうすべきか。考える時間があればあるほど課題は多い。そして、自分たちのことだけじゃない。アジアのアーチストに何をしてあげられるか。それも今回生まれた課題であるだろう。

ぼくらはどうなる?その答えは明日にある。明日も終わりない旅は続いている。ASIAは想像を超えあまりにもひろい。今回もその中の数ページをめくったにすぎない。明日何をするかできっと次が変わるだろう。(きっとのんびり寝ていられないって事だね)

中国から始まったこのツアー。とうとうASEANエリアまで足を延ばすことが出来た。中国同様僕らの中のASEANが始まった記念すべき年になるかもしれない。ASIA全域を活動拠点とすると宣言した僕らが取る正常の行動でありそのスタートは成功であったと思う。暑さとの戦いであった第7幕はこのへんで幕を閉じよう。

今回もいろいろな人にお世話になった。ASEANという初めてのエリアである分、今まで以上に大勢の人の力を借りたと思うし、それなしでは成り立たなかったことだろう。

いろいろ協力してくれた方々。みなさんのおかげで無事に4カ国横断のツアーができました。心から感謝します。そしてスタッフ、メンバーのみんな、お疲れ様。本当にありがとうございました。

日本国内上空に入った。故郷も近い。

2003/07/28
TOKYO
AKI



後日、お礼のメールがたくさんきた。一緒に公演を創り上げた大使館の方々や現地のスタッフのみなさんたちだ。出会う前とは明らかに違う暖かい言葉ばかりだった。(もちろん、最初から親切にはしていただいたが)仕事とは時に奇妙だ。きっちりやるばかりに感情がかき消される。

それは当然かつ大事なことで不特定多数のビジネスシーンを考えればそれは正攻法である。でも、ステージを一緒に作り上げたアジアの国々の好朋友メンたちからのメールには感情が山ほど織り込まれていた。E-mailとはこんなにも感情を書き表せるものだったのか?

そして、とってもおとなしいマレイシアの藤本さんからのメールの最後にこう書いてあった

Malaysia Boleh!(マレイシアできる!)


これは。。これは公演の時に僕らが会場のお客さんをあおったときの言葉だった。
急にみんなの顔を思い出した。
都内の喫茶店でなんだか涙が止まらなかった。

GYPSY QUEEN Boleh!!





2003/07/17-28
GYPSY QUEEN OVER THE ASIAN TOUR 2003