GYPSY QUEEN ROAD TO ASIA 2004
Change
2004/04/28-05/03 


1運命の始まり


なんということ!
北京に行きたいと思っていた。最近とんといっていない。
「来年はね、もう一度北京にいきたいんだよ。そろそろ雪辱を晴らす時期が来ているとおもうんだよね。」
それが現実となる。

そろそろいかないといけないとおもっていた。別に初めてのときの北京が悪いのではない、今の自分たちとあまりにも違う自分達の亡霊がそこにいるだけだ。それは重みになる。僕らのトラウマは時としていきなり僕らの自信を奪いさる。だからこそ。。。いまこそ。。。

運命は偶然。北京に行くだけではない、あの日からちょうど3年。2004年5月1日。再び僕らは北京の地にたつことになる。音楽をやるために再び!まるでドラマじゃん!映画みたいだよ!でも本当なんだ。夢ではない現実。だからきつい結果がまっているかもしれない。しゃれにならないようなね。でも、やるしかない。そう決めて歩き始めたのだからこえなければいけない。

僕らのトラウマ。3年前の北京のことだ。中国語が北京語と広東語があることもわからない僕らは北京とBeijing(北京は中国語でベイジンという)の意味合いもわからず旅立った。それは過酷を越え無謀だった。唯一の幸いはそれすらもわからないこと。判断のつかない無知な僕らはなんとなく中国に向かっていたのだ。そこであった多くの出来事はすべて感動であった。そのときは。そしてアルジャノンとなった僕らは悩む。あのことの僕らって。。。夢のしずくに挫折感がまとわりついて取れない。それが僕らの唯一の劣等感にもなっていた。

だから僕らは北京に行かねば行けなかったのだ。もう一度北京人の前で僕らのイメージを塗り替えたい。好意的に思ってくれる人に心から評価してもらいたい。そう思うことばかりが頭を駆け回っていた。そして、そのときは訪れた。チャンスだ。この限りなく平坦な北京の大地に勢いをつけて駆け抜けてやろう!Destiny。誰もがそう感じる瞬間が訪れることであろう。


僕らの公演がきまって数日。いつものとおり約束どおりの展開となった。全てが急展開で次々と生まれ、そして変わる内容。まずは重慶での公演。これは3年連続となる重慶公演で会場も珊瑚公園露天劇場という5000人収容の野外劇場である。西南政法大学、人民大礼堂と重慶の中心的な会場で公演をおこなってきた僕らにとってこの会場はとても順調かつすばらしい展開である。これも前回お世話になった陳さんの労力と気持ちで実現するものだった。そして今回は大きな冠がある。昨年、重慶滞在中に市外に出たときがあった。そこにあったおおきなスタジアム。「ここは来年アジアカップが行なわれるんですよ」そういった説明を聞いた記憶がある。でもそこで予感はした。なぜ、あのタイミングでスタジアムをみたのか。それは引き合わせであったのだろう。事実、今回はアジアカップ開催のプレイベントのひとつとして重慶になじみに深いGYPSY QUEENが重慶で公演を行なうことになったのだ。「GYPSY QUEEN亜州杯公益演唱会」この身に余る光栄を僕らは心して受けた。重慶から授かった名誉を全うするためにがんばろうと誓った。

北京での公演も次々にきまった。最初は国家一級作曲家の呂遠先生の演唱会だ。一昨年喜納昌吉さんと一緒に出演した国家的コンサートに今年も招聘されたのだ。わかっていることは日程だけ。それでも僕らは快諾した。コンサート会場はきっとどこかにあるだろう。時間もそのうち決まるだろうし、持ち時間も当日までには決まる。何も問題ない。そしてもうひとつ、迷笛音楽節への出演のオファもきた。これは北京にある音楽院の主催するコンサートだが北京の中でも最大級のコンサートとして有名なものでMIDI音楽節という名前で日本でも報道されている。どちらかというとロック色の強いコンサートであり、3日間を通して行なわれるコンサートである。昨年日本のブラフマンというバンドが出演し、生卵を投げられたと一部新聞に取り立たされたことからある種「話題先行」となってしまったコンサ−トである。それでも僕らはそんなことはないとおもっているので快諾。まあ、世の中にはいろいろな人がいる。日本が嫌いな人もいるだろう。そうであれば好きになってもらう努力をすればいい。それだけのことだろう。僕らが伝えたいのは音楽だ。そこに集中して望みたい。

さあ、予定もすべて決まった。5日間で3本の公演。気合が入る。でも、そんな生易しい予定が許されるわけではない。予想通り、さらに公演は決まってきた。2001年に初めて中国の公演に呼ばれた「あの」相約北京。この公演に呼ばれたのだ!不思議なものだ。この公演が僕らのトラウマになっていた。これを払拭しようと望んだ今回。でも、同じものに出れるなんて!!!人は希望は多い。それでも子供じゃないんだからそこまでは無理だろうと思っていた。大体同じイベントが今回あるなんて事も知らなかった。ここのところのミラクルGYPSY QUEENだって。。。。でも起きたのだ。今年も開催されること、それに出演すること。

もう出発まで数日のときに決まった案件。今ではこの急激さももう慣れた。初回は蕁麻疹がでた。今ではやってやるぞ!という気合しか生まれない。運命の時はつじつま合わせのようにめぐってくる。それも5月1日。3年前西単の広場で感じた感動と挫折を時を越えて今年の同じ日に朝陽公演野外劇場でむかえる。最初に言う言葉は決まっている。「ニーメンハオ」だ。そこで僕らの新しい幕開けが始まる。いや新しいスタートがきれる。そう実感した。いまから楽しみだ。メンバーの顔つきも変わり渡航のカウントダウンは足早にやってくる。



2004/04/28
6:00。平日の朝の都内はこれほど静かなのかと思う。昨日の嵐のような天気は消え、穏やかな朝だ。
空気も心なしかさわやか。そうだ、もうゴールデンウイーク、明日からは大型連休に入るのだ。そんな世の中よりも一足早く僕らは動き出す。MASAOの車で出発。都内を抜けるまでちょっと混雑したがそのあとはスムーズに成田へ。7:30成田空港に到着する。フライトの便はCA452便。9:30の出発だからそう時間もない。旅なれたせいか荷物もかなりすくなく、特に問題もなくチェックイン。それでも、かなり混雑した空港の中で時間がかかり結局フライトも遅れる。ゲートからバスにのって機体へ向かう。「成田なのになぁ」とおもいつつも搭乗。B737は思いのほかせまい。そして満席。予定時刻になっても土産を買っている最後の搭乗者しのんを待ち10:30一時間遅れで機は飛び立つ。さあどんな旅になるのだろうか。

ゆれる機内、狭いシート。昼食を食べつつまずは恒例の乾杯。およそ一時間ほどで日本を離れ朝鮮半島に突入。時計を一時間遅らせ中国時間にセット。海岸線にそって広がる景色は美しい。この大地にももうすぐ来る事があるだろう。アジアのGYPSY QUEENとして韓国にも行くときが近い将来ある気がするのだ。いや、あるべきだろう。「みんなハングルを勉強しよう」今は2,3言しか話せない僕ら。でもあっという間に話せるようになるさ。努力をするだけでいいんだから。

12:00。日本時間だと13:00。まったりとした空間、なんだか空調がわるくて暑い。疲れもあってか寝たいけれどなかなか寝れない。ここまでくると気持ちはすべてを忘れ去って中国モードに突入する。話さなきゃいけないMC原稿やまだ覚え切れていない曲の歌詞やコードなどたくさんあるので暫し学習タイム。実は機内での勉強は思いのほか頭に入ってくる。12:48。北京はなかなか姿をあらわさない。一寸先も見えない霧の中だ。一瞬、前回のこと思い出した。これで降りることができなかったらどうしよう。そんなことを考えているといきなり眼下に広大な農地が広がった。機体は一気に降下する。そんなに急がなくてもいいよ。北京はもうすぐだ。12:51。ドスンとおちてタッチダウン。愛想のない着陸。これも北京流の歓迎か?眠気もあっさりと覚めた。そして、北京首都国際空港に降り立つ。何度目だろう、それでも5ヶ月ぶりの北京だ。北京のにおいは相変わらずジェット燃料のにおいで立ち込めている。極端に空気の悪い環境。でも、それも懐かしさになるから不思議だ。

今回は一度この北京首都空港にたちより、給油をしてから成都に向かう。機材をおろさなくてよいから抜群に快適だ。いつもはここで機材をおろして出国して。。なんてことを繰り返しているわけだからね。同じ国内の移動というのは本当に楽だと実感。

空港の入国審査を受けていると空港のスタッフの一人がGYPSY QUEENを知っていた。これにはびっくり。ちょっとは中国で知られてきたのか?そんなことはまだないとおもうけれどそれはそれでうれしい。そんなことひとつで人は気分を変えられる。空港では1時間ちょっと待つことになった。ここでもギターを取り出して曲の確認。食材は骨以外全て使い切る中国。時間は全て音楽に投じるGYPSY QUEEN。なんだか似ているね。再び機内に乗り込み14:10。成都へ。高度もそんなに高くなく中原がよく見渡せる。曹操の国から劉備の国へ。飛行機では2時間の距離。およそ1800年前はここはまさに歴史の舞台。日本では弥生時代。そうおもうとこの国の奥深さがわかると思う。二度目の食事を取り(昼食?)しばらくすると降下を始める。成都は近い。

16:30。成都に到着。外は暑い、夏の空が広がる。この空港はまだ古くそんなに大きくない。おかげでスムーズに空港から出ることができた。「マッテタヨー」出迎えに来てくれた金髪李剛さんと再会、うん、なつかしい。この笑顔をまた見ることができてうれしい。ちょっと興奮気味の一行は手際よく荷物を積み込み17:10に出発。ここからは前回8時間近くもかかった高速道路の旅だ。今回は昼間ということもあり町の景色がよく見える。比較的な平坦なこの町は盆地の中にある。もともと蜀の国として有名であるが成都と名前を改めてからは1000年くらいという。重慶が特別区として独立してからは四川省の省都としてそして三国志のふるさととして有名な町である。

緑が多く見え始め、中国独特のレンガで造られた民家が点在する景色。美しい田園風景。胡弓が似合いそうな車窓は次第にまばらになり、車内の揺れに比例して曲がりくねった道は山間に入ってゆく。道はすこぶる悪く、とても寝れる雰囲気ではない。工事の連続のこの高速道路は中国国内でも3本の指に入る悪路だ。それでも、たいして気にもせず僕らは時間を過ごす。過去の経験地として「まあ5時間たてばつくよ」という頭がある。思った通り22:10。ぼくらは重慶に到着する。

ホテルにつくと陳さんが待っていてくれた。なんと陳さんも金髪。ん?重慶のはやり?そして陳君やたくさんの老朋友と再会を果たす一行。心から嬉しい再会。こういう経験をできることが幸せなのだろう。そして、なんと石割さんもきてくれていた。公務で果てしなく忙しい時期。きっと、今日はあえないだろうと思う僕らの感覚をいつも裏切ってくれる。そして、すぐにお別れ。本当に顔を見に来てくれたのだ。それだけで感激はやまない。

僕らは一旦荷物を部屋に置き夕食に向かう。もちろん火鍋だ。もうすでに何度となくいった長江沿いのバンドに向かう。1kmほど続くレストラン街はいつまでも喧騒の中にある。活気があるという言葉がぴったりのこの場所で懐かしい人たちの再会のときを過ごす。白酒を飲み交わしながら明日からの予定を話す。全てが現場主義であるからこの「到着後のミーティング」は出発前の数十時間に及ぶ準備に匹敵する内容を持つ。新聞で紹介されていたこと、雑誌広告が出ていたこと、そして毎日のようにヘビーローテーションでオンエアされているラジオスポットのこと。不安は一瞬に消え去り期待感に変わる。「チケットはすでに6000枚出ていますよ。大変なことになるかもしれないですよ」主催者はいつも僕らと反対の感想を持つ。もちろん、トラブルを起こすことは大嫌いだが、たまには入り切れないお客さんを見てみたい気もするものだ。打ち合わせ兼再会の時は終わりに近づく。明日は記者会見や表敬訪問が目白押しだ。といいつつも進められた白酒を胃の中に押し込む。そして、久しぶりの火鍋。この半端ではない辛さはきっと食べてみないと絶対にわからないと思うのでとりあえず「味わったことのない辛さ」という表現にしよう。そして、このレポートを読んだ人がもし重慶の火鍋を重慶で食べることがあったら、今の僕の気持ちが伝わるはずだ。それほど恐ろしい味だ。間違いなく一度は食べておかないといけない味であるといえる(僕は)。もちろん、それが大好きなGYPSY QUEENはすさまじくたくましい。宴もあっという間に時間を重ね、ホテルに戻ればすでに3時を超えていた。初日なのにまずい。きっと明日に残りそうな酒。でも、幸せの白酒なら良いだろう。明日からの成功への祝い酒だ。
4:00就寝。日本時間だと5時だからほぼ丸一日の行程である。
明日から何が起きるのであろうか、僕らは変われるのだろうか。