GYPSY QUEEN ROAD TO ASIA 2004
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2004/04/28-05/03 


4 3年前の同じ日に


2004/05/01
今日は特別な日。そう、中国のGYPSY QUEENのバースデー。3歳の誕生日。
6:00起床。自分が酒臭い。ちょっとは寝たのか。まずい。今日もステージがある。しかも北京で。6:30朝食。シャワーを浴びても優れない頭。それでも時間はどんどんすぎてゆく。ツアー中の二日酔いほど最悪なものはない。まして公演日となればそれは自己管理能力のなさとしか言いようがない。楽しさと酔いは別物。でも、昨日はたのしかったんだよ〜と自分に言い訳。とりあえず気持ち悪いことを伏せて集合。もちろん言葉も少ない。ホテルを後にして一眠りするとバスは空港の傍にきていた。来年新しくなるという空港に9:00に到着。3度目の重慶もここで終わりだ。今回は大きな成果を持って帰ることができてよかった。背水の陣で望んだこの公演は無事目標をクリアした。そして始めて僕らは次のコマを進めることができる。

空港でのチェックインもスムーズにすみ重慶をあとにする。重慶の好朋友たちともお別れ。でも、なんだか近いうちにまた会える気がしている。みんなの気持ちがそうに違いない。9:35CA4137便。目指すは北京だ。二日酔いもあり、ここで寝ておきたいところだが、遅れているこのツアレポを書く。きっとこの気持ちは明日には変わってしまうだろう。人間って忘れっぽいからね。だから少しの時間でもあればマメにメモをする私。かなりマメだ。窓の外には茶色の大地がみえる。かなり低空であることがわかる。機体は安定飛行をするとすぐに高度を下げた。10:52北京着。再び戻ってきた。北京へ。3年ぶりに戻ってきた。相約北京に出るために。

空港に着くと徐軍さんが来てくれていた。まいどのこの笑顔を見るとなぜかほっとする。しかしとんでもないことがおきてしまった。しのんの携帯に電話が入る。「迷笛音楽節が中止になった。。」「えっ、なんでだよ!」しのんに怒っても仕方がないがとりあえず怒る以外のリアクションはとれない。昨日呂遠先生のコンサートがSARSの関係で中止になったと聞かされていた。だから多少なりともいやな予感はしていた。でも、それがこんなことになるなんて。目的を失ったGYPSY QUEEN凧は行き先を定められずにさまよう。北京4公演中2公演が今消えた。この勢いだと相約北京もどうなるかわからない。リベンジは夢に終わるのか?まあ、暇になったら万里の長城行くかな。

楽観と緊迫が鼓動のように僕の感情を不安定にする。でも、仕方ない。とりあえず、車に乗り込み会食会場へ。今日は卓教授と会う約束をしているのだ。卓先生は一昨年重慶で会っている西南政法大学の副学長さんだ。今回の渡航のことをしのんが中国語で連絡したら、僕らのことを覚えてくれていてた。残念ながら重慶には今いなくて北京に来ているんだという。北京!僕らが重慶の後に北京に向かう話をしたら「それなら是非会いましょう!」ということになったのだ。現職は中共中央党校の教授。スタッフに聞かされる前まで知らなかったのだが、この学校は中国共産党の核となるべく人材育成をする学校だそうだ。ひぇ〜。ここを出た人は最低県の書記。そんな人たちを教える先生。それが卓教授である。まさに雲の上の人。怖くはないだろうか?昨年はとっても優しい感じだった。でも、どうだろう?どんな話になるだろうか。楽しみでもある。14:00ちょっと早めに着いた僕らは卓教授を待つ。緊張半分二日酔い半分で待っていると一昨年の笑顔が現れた「かわっていない!」なんとなく嬉しかった。僕らのことを良く覚えていてくれて早速乾杯だ。乾杯。。ちょっとビールは辛い気がしたがそんなこといっている場合じゃない。北京にきたら燕京ビール。さっそく一杯目の乾杯だ。うーん、おいしい・つらい。笑顔の卓教授は更に違う話題でまた乾杯。そうだこれが中国式。

ことあるにつれて乾杯を交わす。今日はとても美しい奥さんと一緒だった。「前回は違ったが今回はプライベートなので妻をつれてきた」と言う。僕らもだんだんペースが出てきた。もちろん僕も飲みモードに突入。不思議と二日酔いも消えてきて楽しいランチビールは続く。中国に来ていつも思うことだが、とてつもなく偉い人だが会ってみるとみんな本当に気さくだ。共通して言えるのはとっても気を使うこと。ある意味相手を良く見ているのであると思う。だからそれが見方によれば警戒しているようにも感じるのだろう。でも、一度お互いを理解することができれば2年ぶりでも好朋友だ。会えてよかった。そんな北京最初のランチだった。卓教授を見送り僕らは市内へ向かう。どっと酔いがまわってきてバスの中でもくらくらする。

15:00。新橋飯店にチェックイン。とりあえずほんのちょっとの休憩時間。この後16:30には文化局から迎えに来る。ステージ衣装に着替えていかねばならない。もちろん、どんな環境なんていうことはまったくわからない。ただ、この期間全ての公共イベントが中止になっているにもかかわらず、そんなことお構いなしの政府のイベントであることは確かだ。酔いを醒ますために熱いシャワーを浴びた。あっという間に寝てしまったらしい。MASAOに起こされて準備をする。ぎりぎり16:30ロビーに集合。さあ、今日は「あの」相約北京だ。どうなるか楽しみだ。バスに乗り込むと今回の僕らの担当である李さんがいた。とても無愛想だ。なんでも16:15にホテル出発という事らしく。早い時間から待っていたそうだ。2,3時間の遅れを気にしない中国と15分の遅れに怒る中国。まあ、結果的に会場に向かっているのだからよいか。

会場は朝陽公園という場所だった。北京から東に30分くらいのところだった。途中3年前の公演地保利劇院の前を通った。一同「なつかしい」を連発。辛かった思い出も懐かしさに変わると気にならなくなるもんだ。結局17時過ぎに到着。公園とは名ばかりの強大なエリアだった。入場制限をしてメリーゴーランドや観覧車のある公園なんて見たことない。そして、厳重な検問を超えてこの政府ご用達のバスはステージに近づいていく。イメージとは大きく異なりかなり大きめのステージが会場内にいくつも立てられている。それぞれはかなりの距離があり、演奏の音が邪魔に鳴らないように工夫されているのであろう。立派だ。中国の進歩がここでもわかる。3年前のものとは完全にそれが異なる。リハーサルを待っていると暇なせいか李さんがいろいろ話しかけてきてくれた。「3年前にきただろう、そのときに担当したのは僕だよ、君たちの事はよく覚えているよ」そういい始めた。確かにそういわれてみるとなんとなくそんな気がする。ただ、ぎりぎりだったあのころの記憶は定かでない。shinonに「白い衣装を着ていただろう」という。そうだ、そのとおり、一昨年は白のジャケットをshinonは着ていた。この偶然の出会いにバスの中は盛り上がる。幸先がいいぞ。そう思った。

19:00。リハーサルが始まる。機材は良いものがそろっている。今回の窓口の王さんやTANさんといろいろ話をする。僕らのイベントが中止になったことを告げた。そこでもう一言「明日の夜とあさっての午前あいているんだけれどこのイベントに出してくれないか」なんという厚かましさ、でも本音である。考えてくれるといわれメンバーに報告「いいステージやればオファーはくるさ」みんなにも気合が入ってくる。リハーサルの時にヒトモメおきた。僕らの前のフランスのバンドがなにやらモニターがわるいとかでもめているのだ。確かに最高の環境ではない。でも、どんな環境でもあるものの中でベストの音を出すのが大事なのではないか?ステージでふてくされても音が良くなることはない。あげくにステージでタバコをすい始める始末。そして、ここで怒ったのが主催者。「ノースモーキング!」と大声でいうと、そのミュージシャンはだらしなくタバコをステージ裏に捨てた。何たる事。そこに主催者はもうダッシュで走っていってタバコの火を消していた。「やったな」僕はそう思った。そんなことをされて許すような中国ではない。むしろこれを許したら僕は軽蔑する。僕のほれ込んだ決断の早い中国。そう、彼らはすばらしき統率力を持った人たちなのだ。「きっとこの人たち出番なくなるかもよ」とっさにそう思った。まあ、人のことは人のこと。彼らの次にステージに上がる僕ら。今は心の準備が大事だ。

時間は過ぎ20時を超えた。4人組のダンスユニットが終わったあと僕らはステージに出た。サウンドは決して悪くない。後は自分の力があれば何とかなる。すっかり暗くなった会場。観客は数千人。後からきくと2000人はきていたらしい。スタンディングのお客さんは僕らが出て行くだけで盛り上がっている。とっても若い層の客はロックにも慣れている感じだ。いよいよだ。重慶でやったこと。そして3年前のこと。新しい地図を描くために僕らは全力で望む。一曲目はあえて「花心」3年前の勝負曲。今は歌も話も演出も違うだろう。さあいこう!
                     
                        豪華なステージと巨大バナー

「ニーメンハオ!」。僕らのステージは予想以上に盛り上がり終わった。ステージを降りるとスタッフが笑みで迎えてくれる。「ヘンハオ」この言葉にも3年前とは違う、本当の気持ちが込められているはずだ。そして主催者に言われる。「あさっての昼にまたここでやってくれないか?時間は40分くらいだけれどいいかな?」演奏を見てもらい受けるオファはいつでも嬉しい。もちろんOKだ!頭の片隅にそれはさっきのバンドのステージでは?とちょっと思ったりした。結果として僕らは又ステージにでる機会をもらった。よかった!楽屋代わりのバスに戻りメンバーに追加予定を報告する。勢いが出てきた。

一行は文化局の招待で夕食会場に向かう。「この雰囲気だよね」shinonはいう。政府の行事の場合、完全に全行程を文化局が管理する。どこに行くのも何を食べるのもだ。懐かしい雰囲気がバスの中によみがえった。23:00。長い夕食後、僕らはホテルに戻る。今日はミーティング。明日のことあさってのこと。だんだん見えてくる予定をメンバーに告げる。そして重慶の反省会。記憶にあるうちに次への手立てを打っておく。大事なことだ。3時間近くのミーティングは明日のステージ構成、MCなどにも及ぶ。北京に来たら飲みにでも行きたい気持ちを抑えて僕らは明日を見る。のみたいなら観光でまたくればいいさ。2:00終了。これで時間が追いついてきた。あとは明日とあさって結果を残すだけだ。2:30就寝。



2004/05/02
6:30起床きっと遅れるに違いないとおもっていても文化局の集合時間は絶対だ。7:00に朝食をとり7:30にホテルを出発。今日は北京の下町に当たる竜壇公園が会場である。町並みがだんだんとごちゃごちゃしてきてなんだか下町という風情になってきた。龍の派手な看板が見えてきてそこが今日の会場であった。8:00に会場に着くとやはりステージだけがありがらんとして誰もいなかった。「またここでまつのかなー」と不安げなshinonをよそにメンバーは機材を下ろす。shinonをバスに残して僕らは早速ステージをチェックする。今日はこの会場で僕らとボツワナの人たちがステージを行うらしい。なんだか民族衣装を着た人たちが大量にこっちにやってきた。しばし視線を奪われる。そしてステージにドラムが到着。アンプがないのできいてみると「用意していない」という返事が来た。「なんとかできないか?」うーん、なんとかねぇ、まあ、やりましょうか。。幸いワイヤレスもあるしラインで出してもらえれば何とかなるだろう。

もちろんゴネればアンプの一つや二つ出てくるのだが、ちょっと疲れているせいかそこまでパワーもなく、この場はラインで回避する。何だってできるさ。会場の準備が進むと北京テレビやCCTVのスタッフが集まってきた。ライブ後にはインタビューがあるというのでなんとなく気合も入ってくる。アンプのないステージはちょっと寂しいがあっという間に開演時間になりステージが始まった。さっきまでバスで寝ていたshinonだがそんなことも感じさせず40分のステージをこなす。今回は昨晩のミーティングで決めた「会場とのコミュニケーション」をテーマにおいてみた。「観客との会話がもっと必要だよね。」そんなスタッフのアイデアからだった。実際に試してみると、観客との掛け合いがことのほかうまくいった。やっていても僕らも楽しい。こんなことだったら重慶でもやればよかった。進歩はいつも後悔の連続である。あっというまに盛り上がるステージ。寒さのせいか汗もそんなにかくこともなく体力もばっちりだ。最後まで途切れなく場も盛り上げ、自分達の役目は果たせたと思う。
  
    竜壇公園のステージ                  北京TVのインタビュー

ステージを終えると新聞とTVの取材がまっていた。そうだ、一昨年もこんな感じだったな。いろいろなことを思い出す。相変わらずネイティブの質問には答えられない自分だが、いいたいことはなんとなく言えるようになって来た。日本語、英語、中国語入り混じった回答を通訳の人が北京語に直すといった変形だが、それもコミュニケーション。日本語一辺倒で話すよりもよい。ここは北京だからね。インタビューも終わり次のステージを見ているとさっそく李先生にあおられぼくらは会場を出発する。ホテルに一度戻りランチを食べに行く。今日のランチは火鍋。北京の火鍋がどれほどのものか、とおもい一同は興味津々。「たれは」ときかれると「もちろん辛いやつを!」と頼む。実際に食べてみると重慶の辛さはまったくなく、重慶火鍋で育った僕らの舌は物足りなかった。だけれどそのぶんめっちゃおいしかったことも事実だ。いろいろな味をこの国ではいっぺんに味わえる。そりゃそうだ、北京の重慶の間には日本が何個も入ってしまうくらいの距離がある。ある意味別世界を同じ国内で体験できるのだ。食生活ひとつとってもこんなにも違いがあるなんてと思った。
14:30。満腹状態でホテルに戻りミーティング。睡魔が襲うがまずはミーティングだ。今日のステージのVTRを見つつ振り返る。いろいろまだ未確定の部分や甘い部分が露呈する。「明日のステージには生かそう」最後の最後まで修正を続ける。結局17時過ぎまでかかり明日の最終確認をする。そしてこんばんは呂遠先生と会食。公演が急に中止になったため、呂遠先生も悪いと思っているのであろう。僕ら一行を招待してくれての食事会だ。会場は北京の西のはずれにあるホテル。途中昨年の公演会場の西単文化広場や燕京飯店、CCTVなど思い出深い建物を見ながらバスは行く。レストランにつき呂遠先生を待つこと数十分。遅れて登場した呂遠先生はこの公演のため日本からきた歌手の方と一緒に来た。

直前の公演中止のため、エアのキャンセルもできずとりあえず中国に来た日本の歌手のためにいろいろ案内をしているとの事だった。本当に大変だと思う。呂遠先生はまず最初に政府から出た書類を見せてくれた。「これが政府からきた通達です。中央がだめということを私には覆すことはできない」そのとおりだ。これは仕方ないと思う。ついているかどうかだけでたまたま僕らはほかの公演があった。それだけだ。ちょっと雰囲気も落ちがちであったが次の公演の話などをして食事をする。食後僕らにはまだ仕事が残っている。今晩は三里屯でのライブがある。場所はまだわからなかったがバスの中で徐軍さんが発表。

「今日はこれからパワーハウスにいきます」そう、初回のツアーでshinonが復活の兆しを見せたパワーハウス。翌年ファンキー末吉さんと偶然の出会いをしたパワーハウス。


ぼくらはまたパワーハウスに戻ってきた。到着すると懐かしさ一杯の雰囲気。相変わらずのライブバーで内部はとてもうるさく話ができる状況ではなかった。ステージに出ているバンドが時たま日本の曲を歌っていたりした。北京では日本の音楽もそこそこ入ってきているらしい。これは3年前と大きく違う点だと思う。僕らの名前が呼ばれてステージにたつ。一曲目は「花心」だ。ここで歌ったこの曲をもう一度ここで歌う。気持ちがいいものだ。二曲目は僕がBeyondの曲を歌った。さすがのBeyond。ここでも大うけ。そしてshinonに再びバトンタッチ。こうして思い出のステージを終えることができた。

三年前の道はこれで全て歩きなおした。3年前の同じ5月1日に北京市内の大きな野外ステージに立ち3年前の同じ5月2日にこのパワーハウスで演奏をした。違いは語ることなかろう。これでよい、これからは新しく歩くことができる。もう、過去は昔。新しい僕らと新しく付き合ってくれる仲間達がいる。今回の大きなもうひとつの目的をここで果たすことができて本当に嬉しい。謝謝!徐軍さん。乾杯を重ね、ほどほど酔って僕らは店を後にする。

shinonは現地のバンドとすっかり仲良くなったみたいだ。こういうところで交流が持てることは嬉しいよね。23:30出発。僕らにはまだやることがある。明日の最終調整だ。ホテルに戻り再度部屋に集まる。セリフが増えた。明日なのに。今回は話すことが多い。でもそれが未来につながる糸であるならば離さずたどり寄せよう。そこに答えが見つかるまで。2:00。ミーテング終了。一瞬で眠りにつく。