GYPSY QUEEN ROAD TO ASIA 2004
Change
2004/04/28-05/03 


5 朋友



2004/05/03

6:30起床。早起きにも慣れた。が、今日も二日酔い。だんだん体力が落ちてきているのか、食事もあまり進まない。帰国日とは言え、今日もステージが待っている。8:15ロビーに集合し、即出発。李先生はすでに僕らの仲間としてshinonの荷物を運んでくれたりしている。バスの中でもいろいろな事を説明してくれた。会場までの間、shinonは3年前の担当者の李さんに電話をする。きっとshinonが中国語で電話をしてくるなんて思ってもいなかっただろう、案の定、かなり激しいリアクションだったとshinonは言う。今回のイベントではミュージカルの担当で今日は会場にこれないという。見てほしかった一人である。ちょっと残念。でも、きっと今回の評判は聞くことだろう。そして「えーあのGYPSY QUEENが?!」と驚いてくれるだろう。今回はそれで十分だ。きっと今のshinonは予測できないよね。そうこうしているうちに9:00。朝陽公園に到着。やはり準備はあまりできていない。9:30になんとなく人も集まりそのままリハーサルに突入。本番は近い。10:00。時間通りにステージが始まる。おりしの強風でよい環境とはいえない。マイクには風による雑音がはいりまくるし、向かい風で髪型はオールバック。それでも「プロモーションビデオとっているみたいだよね」なんて冗談を言いながら演奏を続ける。
 
      強風にあおられる                  会場とのコミュニケーションもばっちり

40分のステージはあっという間だった。昨晩なんども練習したセリフあわせやアジアカップの曲「勝利と奇跡」のお客さんとの掛け合いもうまくいった。shinonのMCはもはや中国人と変わらない。きっと日本の中を探してもこんなにしっかりと中国語でMCのできるロックバンドはないのではないかと思う。演出と言語。この二つが一致するとものすごい力になる。それを実感する。全てを次につなげるために。駆け抜けた練習虫GYPSY QUEEN。海外にいながらミーティングばかりの引きこもり集団の9回目の公演の全てがここで終了。本当にみんなお疲れ様だったね。終了後、主催者がまた飛んでくる。無機質な顔ではない。満面の笑みと握手を差し伸べてきた。「次のときにも声をかけたいんだがきてくれるか?」これは嬉しいよ。すかさず応える。「当然了、因為我喜歓中国!(もちろん!ぼくらは中国が好きだからね)」と応えた。名刺を交換し、きっと彼も僕らの大事な朋友になるのであろうと思った。次にあったときにはハイタッチで再会を喜べる仲になるだろう。よかった。つらい思いをしたメンバーに、ぎりぎりの工程で苦労をかけたスタッフに報いることはこれしかない。本当に良かった。

「みんなお疲れ様!」バスに乗り込み開口一番はこの言葉だった。ちょっと自慢げにね。結果が出ることは嬉しい。それがその場にいる人間の共通の喜びであればなおさらのことだ。さあ、ホテルに戻ろう!あとは日本に帰るだけだ!ホテルにもどり李先生とお別れ。たった3日間なのにまるで別人のように打ち解けてしまった李先生と再会の握手をする。「来年もあえるよ」そう簡単に言い放つ李先生。彼も今日から僕らの大切な朋友の一人になった。そうなるようにお互いが思っている。ちょっと寂しい一瞬だった。さあ、これからが大変だ。ホテルについたとはいえ出発まで1時間もない。荷物を片付けて準備をしたらもう集合だ。まてよ、お土産何も買っていないじゃないか?観光に来たわけではないのだからお土産、お土産と騒ぐ事はない。でも、お世話になった人への感謝の気持ち。それだけでも何か買わないと気がすまない。shinonは「うーうー」言っている。「わかった。食事の前にちょっとだけ超市によりましょう」超市とはスーパーマーケットのことである。ホテルから食事に向かう途中にあった超一に停車。「15分だけね」。15分で何を買うんだ??と思いつつメンバーは足早に店内に消えていった。中国のスーパーはおもしろい、食材から生活雑貨、おもちゃにCDや家電製品。何でもそろうので実は結構日本より便利だったりする。

僕はお茶とCDを買った。ついでにみたかったDVDも買った。24話分入ったDVDが150元。これは安い。中国語のドラマはすべて中国語の字幕が出るのでとっても勉強になるのだ。教科書では飽きてしまう中国語もドラマだと飽きない。まあ、かたよった表現ばかり覚えてしまうきらいはあるが、もっともやる気になる勉強方法である。さあ、のんびりはしていられない。五一労働節を祝う天安門と人民大会堂にはためく真紅の国旗に感動し、唯一の観光らしき天安門広場で写真。撮影後ダッシュでバスに戻り13:30。昼食会場となる平安賓館に到着。うん?ここは一昨年来た気がするな?ここの昼食は典型的北京料理という感じでかなり豪華だった。それでも時間のない僕らは30分もたたないうちに席を立つ。みんな何故かあわてている。そうだ、毎回北京空港では痛い思いをしている。今回も遅れ気味。いやな予感は当たり前だ。15:00。北京首都国際空港到着。そしてカウンターにダッシュ。ついてみると思いのほかすいていた。あまりの静かさにちょっと拍子抜けしたものだ。徐軍さんに聞くと「午前中は発着が多いけれど、午後はすくない」らしい。

チェックインも重量330kgでクリア!よかった!最後の心配も無事クリアして徐軍さんにお別れをして搭乗ゲートに進む。聞き忘れていたことがあった。「徐軍さん、僕らは変われたかな?」「もちろんですよ、びっくりしましたよ」。よかった。ほっとした。徐軍さんと別れて僕らは搭乗口へ。フライトは17:10。今は17:30。CA451は到着が大きく遅れている。成田空港は24時間空港ではないからあまり遅れると北京を飛び立てないこともある。不安ながらこのツアーの記録と帰国後の作業をまとめる。大丈夫かな?と4度目に思ったころようやく搭乗のアナウンスがなった。機内に乗り込むと恐ろしく狭い(小さな)機体であった。しかもぼくらは全員ほぼバラバラ。しかも3列の真ん中の席ばかりである。「なんでなの。」長旅の終わりはせめて話をしながら帰りたいもの。そんな夢を打ち砕く座席と小さい機体。そりゃ満員ですよ。北京、成田ルートがこの機体じゃすぐに満席でしょう。18:10。一時間遅れて飛び立った。

今回もあっという間に過ぎた5日間。5日間に5公演をこなしたGYPSY QUEEN。毎度のことで慣れてしまった感がするがきっとこの予定での公演を耐えてそしてきちんとこなせるのはこのメンバーしかいないんだろうな。と思う。メンバーがそうだからスタッフも自然とそれが当たり前のようになってくる。鋼のようなチームだと思う。機体は安定飛行に入る。窓の外は翼と雲と月明かり。翼に光る月明かりいつでも僕らを照らしている。平凡かつ幻想的な風景だ。機内にはエアコンの「シューッ」っという音だけが流れる。時計の針を一時間進める。朝鮮半島を越えて僕らは日本上空に入った。さよなら。またくるよ。再見中国!ちょっとだけ睡魔に襲われて眠りかけたころ大きく揺れて目が覚めた。21:30。降下姿勢に入った。それから揺れに弱い僕の緊迫は続き、22:07。無事成田空港へタッチダウン。5日前にここをでたのにあっという間に戻った感じだ。

僕らの第9幕はここで幕を閉じる。初回のリベンジを誓った今回、重慶の朋友との再会のため旅立った今回、そして何かひとつ変わらなければいけないと心に誓い望んだ今回。それぞれにその答えが出ていることであろう。人は進歩しなければ気がすまない生き物だ。進まない自分が怖いとおもう臆病な生き物だ。その典型でもある僕らはいつも何かに追われている。それは決して悪い事でも不幸なことでもない。僕らを追いかける何か。それはもしかしたら僕ら自身ではないかと思う。

日本と中国という大きな世界の中で僕らはまだ目に見えないミクロの生物のように歩き回っている。まだ人々の目には映らない僕ら。そんな僕らの軌跡がいつしかこの二つの国の中で意味を持ってくる事があるのではないか。ミクロの世界の僕らの足跡も数を重ね、刻み続けることによりいつしか地表学者の目に留まるかもしれない。「博士、こんなところにこんな足跡があります。あ、こんなところにも!」そんな発見が世紀の発見となるように今、刻もう。刻み続け、いつしか自分たちの道をこうして再び歩いたときにはもっと大きな道筋を残していこう。その道にはたくさんの朋友達が続く。それが今できること。今必要なこと。それから先は誰にもわからない。事実として僕らは9度目のツアーを成功させ、そして未来への約束を取り付けて帰ってきた。さあ、明日からまた何かを。ツアーの終わりは次の始まりである。休息はしばらくお預けだ。


終わりに
今回も本当に多くの人の協力と気持ちに助けられたツアーでした。
人とのふれあい。それが今のGYPSY QUEENを創っている最大の要素であったと思います。
全ての協力してくれた仲間たちに感謝。本当にどうもありがとうございました。


GYPSY QUEEN ROAD TO ASIA 2004
Change
2004/04/28-05/03