My sweet home town
2003/10/31-11/04 


1入蜀

2003年秋。
僕等にとって今出しうる限りの力作「Wired」のリリースが行われた頃、ぼくらは再び中国に戻ることになった。ASEANツアーのあと、さまざまな案件が浮いては消え、消えては浮いてきた。もしかしてそのすべてが現実となったときにはたった一ヶ月で1,2年は暮らしていけるようなすばらしい企画の数々だった。でも、それも多くは消えて行き、予定調和のように現実的な案件が残り今に至っている。そして、その現実的なもの、それが重慶での公演となった。

昨年のツアーで数多くの出会いがあった。それらはすべて均等にすばらしく序列なんてつけることのできない事だ。それはつい先日のASEANツアーでも同様である。ただ、重慶がほかと少し違ったのはその結びつきの糸の多さであった。スタッフの人が来日し、また別の関係者も来日し、現地でドラムを借りたバンドも来日し、火鍋を食べに行くとそこの人も知り合いだったり。。この一年、帰国後も数多くの重慶に遭遇した。それは「重慶はよいところであった」という思いで話ではなく今でも息をし続けている「記憶」であった。
今回のキーマンのそんな中の一人だった。陳さん。超インテリチックの見た目は紳士たる風貌である。そんな彼と老酒を飲み交わした夜。ぼくらの重慶は確定したのだろう。というのはそれはかなり前の出来事であり、本当にそうなるとは誰一人思っていなかったからだ。それだけ希望的な出来事であった。世の中、飲んだ時にした約束を守るおひとよしがまだ存在するのか?いるのだ。それはただのお人よしではなく賢者というものであろう。見習うべき賢者の住まう町。そうだ、そこは劉備玄徳の町でもあった。諸葛孔明の作り上げた論説を知っていればきっと僕等の行為も方程式に連なるべきことなのだろう。古書を引き出すよりも今の書を書き記そう。偉大なる朋友たちと作りあげる重慶へ二度目の旅である。玄関は成都。中国に向かい2年半。入蜀を果たす時が来た。

10/31(fri)快晴
良く晴れた一日のスタート。今回は今までとちょっと違っている。MASAO号に便乗して空港に向かうために9:30に出発をした。平日の午前は街も人通りが多い。普段この時間にはここにいない自分がいるというのもへんだ。高速は特に混むこともなく、順調過ぎるほどに12:10に成田空港に到着する。空港でいろいろ荷物の整理をしているとメンバーが集まってきた。いつものように荷物を預ける。普通の旅行者とことなるのは僕らがバンドであるということ。大体50kgは重量オーバーをする(それでも本当にバンドとしては少ない数字だと思う。最小限といっていいだろう)僕のベースだけでも15kgはあるのだ。カウンターにいつものごとくお願いをして重量を負けてもらいチェックイン完了。いつになく順調。それもそのはず。今回はスーツケースをもたないんだ。本当に最小限の荷物で旅をするようにしないといけない見本なのだ。14:55Air China926便に乗り込む。なんやかんやで15:25にTAKEOFF.8回目のツアーはいよいよスタートだ。今回は北京で一度入国して、そこから国内線に乗り換える。本来ならそのままバッグも移せればいいのだがなぜか一度バッグをおろさなければいけないみたいだ。まあ、国内線にのるのだから仕方がないかと思う。最終的に成都につくのが23時ころ。重慶には3時くらいだという。超長い旅の始まりだ。機内では今までできなかったMCの準備をかなり一生懸命する。なかなか普段だと集中して出来ないものだが、僕らのツアーでは飛行機の中はいつも受験勉強がごとく真剣だ。少しでも自分たちをつたえようと、一生懸命になってみんな勉強している。ある意味不思議な集団であるとおもう。17:15けっこうあっさりとした夕食を終える。あと20分足らずで北京だ。窓の外はすでに夕闇が迫っている。眼下にはグレーの大地が広がる。もう、大陸の中に入ったのだ。17:35北京首都空港に到着。そう、何度かめの北京。昨年の9月以来の北京に降り立ったのだ。

北京はあいかわらずのだだっぴろい空港と排気ガスで曇った室内が出迎えてくれた。「きたー」っていう感じがする。そして、今回も乗り継ぎだけにかかわらず、僕らの老朋友徐軍さんが出迎えに来てくれた。なんだか懐かしい。久しぶりの朋友との再会。僕らを中国へ導いてくれた友人とあうことで元気も出るものだ。北京空港の混雑した中、僕らを国内線のカウンターに連れて行ってくれる。本当は僕らがこういうことをぜんぶ把握しなければとも思う。CAの国内線が全てF、Gカウンターでおこなわれる。どの便ということではなく全て一括なのだ。よく荷物を間違えないな、とおもうけれどきっと間違えることもあるんだろうな。とも思う。機材の超過もありぎりぎりになってしまった。ここで徐軍さんとわかれ僕らは成都便のゲート37に向かう。これも広い空港を小走りで進む。なんでいつもこうなの。北京は僕らのスポーツクラブのようだ。そうしてゲートにたどり着き、乗り込もうとすると、「まだ」といわれる。「うん?なんで19時搭乗でしょ?」まあ、おくれることも良くあるので結果オーライでベンチに座って待つことにした。しばらくするとゲートにカミが張り出される。何か不吉な予感がしてみにいくと「飛行機が遅れていて9時過ぎにまた連絡する」というようなことが書いてあった。僕の稚拙な中国語解釈が間違えであってほしいとしのんに確認する「なんてかいてあるの」「そのとおりです。残念ながら」下から見上げるような落ち込んだしのんの目には僕の中国語の成長が物語っていた。いや、こんなことわかってもうれしくないぞ。とはいえ仕方がない。良く聞くとまだ成都を飛び立っていないようだ。「だから何時に来るかわからない。」そりゃそうだ。「だから今日飛ぶかどうかもわからない。」そりゃそうだ。。。で!とばなかったらどうするのよ。。

「飛ばなかったら北京にホテルがとってあるのでそれは心配しなくていい。」ああ、よかった。いや、よくない!明日午前中に記者会見あるのよ。仕方がないから食事をすることにする。どんなときにもお腹はすくものだ。空港になる定食やでの食事。そういえばもともと北京は通過のためだからこうやって食事ができるのもいいなと思ったりもする。空港価格でちょっと高くて40元。でも、ひさびさなのでおいしい。これからのことを考える。どうせ北京に止まるなら早いほうがいいなぁ。そうだ、ファンキーさんに電話してみようか。せっかくならこれから三里屯にいってどこかライブをやらせてくれるところでライブをやっちゃうという手もある。BOY&GIRLSにいって小東(この店のオーナー、三里屯では一流のライブハウス)に会いに行くのもいいなぁ。こうなったら仕方がないから前向きに考えるしかない。ファンキーさんに電話をする。中国人の人がでて「ファンキーは在日本だよ」といわれる。残念!そうしていると放送で成都から飛び立ったという放送が入る。そうか、北京の夜は消えたか。ちょっと残念。こんなハプニングはGQにはつき物なのだ。でもいったい何時になることやら。時間は21:30ただひたすら次の情報を待ちながらこのレポートを書く。時間があるからシンセンの伊丹谷さんに電話でもしてみよう。彼から聞いた携帯の電話にかけるとすぐにつかまった。今までメールではなんどもやり取りをしていたが話すのははじめてであった。初対面とはおもえないとっても好意的な言葉に本気にうれしく感じた。同じアジアを目指すものの点と点。それが線になった日。それはいみじくも僕らが途方にくれていた今、このときなのだ。「北京にとまることになったら言ってくれれば探しますよ」「24時間電話に出ますのでいつでも電話をください」そんな言葉をかけてくれる彼はきっと僕らと同じ血が流れている。アジア人の血が。かならずいつか出会うであろう。そして、お互い酒を飲み交わし語るだろう。明日のアジアのことを。そのきっかけの日となったのだ。ありがとう!このでんわで僕らは気楽になったものだよ。

そうこうしているうちにフライトは決まり22:30に機内に乗り込む。3時間の遅れ。まあ、良くあることだ。それよりも今日重慶にいけることがうれしい。機体はめっちゃ小さく心なしか急いでいるようにも思える。オイル交換したのかなー、点検は大丈夫なんだろうか?心配性の自分だからかなり気になる。滑走路でもノンストップでテイクオフとなる。いよいよ心配だ。そんな、僕の不安をよそに高度をどんどん上げ安定飛行にうつる。ほかのメンバーは誰一人心配していない。のんきなメンバーだ。スチュワーデスさんもかわりない。本当は何かを隠しているのでは?不安の募るなか機体は中原を飛び続ける。夜窓をのぞくと時折、城壁のような正方形に囲まれた街がはるか下方に広がっている。しばらくするとまた似たような地形が現れる。2000年前のその時代ここは戦火に包まれていた。この街から街の間でいくつもの戦いがあったのだろう。その上空をまるでTVの映像を見るように飛ぶ。中国の旧都市の上空を成都に向かっているのだ。そんなことをおもいつつ、眠いような怖いような時間が過ぎる。僕は夜の飛行機がきらいだ。だって、周りに何があるかわからない。それだけで十分不安なのだが、それ以上にこの小さな機体が怖い。揺れる揺れる。きしむ。うーん、旅に向いていないのかもと思ったりもする。そんな気合も薄れうとうとし始めたころ下降し続けた機体は最後にどすんと落ちて1:10am成都に降り立つ。手荒い歓迎である。なにはともあれ、入蜀。劉備の街についたのだ。


僕らにとって13都市目の中国。深夜の空港は静かで乗客も少ないことからあっという間に入国を済まし、2:00am重慶に向けて出発する。ここからはバスのたびだ。所要時間はおよそ5時間という。うーん、到着は7時!まあ、寝て過ごすしかない。ほこりと霧にまみれた成都空港をあとにぼくらは重慶に向かう。5:00am途中のパーキングエリアにとまる振動で目が覚めた。そろそろつくころか?バスで寝ている体勢が悪いせいか体が痛い。話を聞くとまだ半分もきていないという「でも7時につく予定じゃ?」そんなことを聞いても意味がないことを知っていても寝起きの僕はまだ頭の中が日本らしい。予定は未定の中国であったことをすぐに思い出した。話を聞くとやはりここまでの間、霧が深くなおかつ急カーブの連続で時間がかかったみたいだった。高速道路とは名前ばかりで10年以上前に出来たこの街道はトンネルが少ない。ということは起伏が大きい。今の中国の力ならきっとこの道路は一本のスーパートンネルでつながるのであろう。でも、まだ投資されていないのか、はたまた不要と思われているのか、このみちの整備は進んでいない。(あとから聞いた話だが最近の重慶〜成都間はエアのシャトル便が40分で就航しているらしく、この道路の重要性はすくないとのことだった)7:00amまた、目が覚める。あさもやのなか太陽が昇りつつある。太陽の黒点が良く見えた。当初の到着時間も過ぎた。いつになることやら。まあ、時間がたてばつくだろう。みんなそうおもっている。

重慶の市内に入ると懐かしさがただよう。山城とはよく言ったもので本当に山肌に住宅がへばりついている感じだ。中国と言えば自転車だが、この坂だらけの街で自転車は自殺行為だ。実際乗っている人もまったくといっていいほどにいない。昨年見た風景がなぜか大きく変わっている。はっきりと廃墟であったところが今では高層ビルになっていたりした。どれだけのスピードでまわっているのか、とても移り変わりが速い街である。中国では1年間を空けたらその街のことは語れなくなるだろう。それほど豹変する町並み。国力?人民力?活気とは変化であるのだ。見覚えのある街角と坂の中の細いカーブ、そう、ひしめく高層ビルの間を潜り抜け僕らの滞在する重慶マリオットが見えてきた。恐ろしいほどの高層ビル。それ超豪華な五つ星ホテル。となりには雑居ビルが構える風景はある意味懐かしさを覚える。このギャップが重慶なんだ。そうしてバスは速度を落としようやくメータはゼロになった。扉が開く。重慶の蒸し暑い空気が社内に立ち込める。到着。そして懐かしい顔が目の前に飛び込んできた。