My sweet home town
2003/10/31-11/04 


4下次再来

楽屋に戻った僕らは主催者や政府関係者との記念写真を取るために再びステージにもどった。会場ではまだ、僕らを待っていてくれる人がたくさんいた。日本語で「サインくださーい」という集団のところに行くと重慶大学の学生だという「来年こそ重慶大学にきてください!」「OK了!もちろんまたくるよ!」そういってしまうとえてしてそうなってしまうものだ。答えは一年後にわかることなので楽しみに取っておこう。

再び楽屋に戻ると、主催の陳社長が笑顔で迎えてくれた。「アーハッハッハーとってもよかったですよ」うそ偽りのない表情。そして、言葉を聴いてほっとした。この言葉を聞くために頑張ったといってもいい。良かった。いつもよりちょっとおしゃれなシルバーのめがねをした陳さん。今日はとっても大変な一日であっただろう。そして長い準備期間の大変さが少しでも報われたことにほっとした。さあ、それでは行きましょうか!重慶火鍋の宴へ!22:30会場を出発しバスは一路宴会場に向かう。バスにはみんな一緒。興奮と賛辞が溢れる車内。まるで一年前の西南政法大学の公演の後のようだ。

今日も長江の川岸のレストランに向かった。時間も遅いので、お客さんも満員というわけではない。屋外の席を選んでいよいよ宴は始まる。なんとも形容しがたい色をしている火鍋。赤ではない、どす黒い色で煮え立つスープは地獄の一丁目といったところか。この鍋にどんどん食材を入れる。というよりも勝手に入れられる。「うわっ」なんだかぬるぬるしたものを鍋に入れられた。べったり血がついている。何か聞くと「うなぎ」だという。煮てしまえば問題はないが生の食材はかなりリアルでちょっと僕は怖い。安心できそうな豚肉とかつくねみたいなものを集中的に食べる「食事保守」の僕はみんなの食べるものを良く観察しながら食べていた。そんなとき「AKI。さあ乾杯だよ」きた!いよいよ始まるか、乾杯の嵐が。でも、今日は覚悟の上だ、思う存分飲み交わそうじゃないか。

まだ、ここに来て2日もたっていない。ほとんどスケジュールが埋まっていたのでゆっくり話すことが出来なかった人たちともこの「お別れの宴」でじっくり話すことができた。それも皮肉なもんだ。石割さんは僕らのために人民大礼堂をかたどったガラスの盾をくれた。本当にいろいろ考えてくれる人だ。昨年の公演ではじめて知り合った石割さんはこの一年の時を過ごし僕らのなかで重慶といったら石割さんという存在になった。そして今日はわすれられない人として僕らの記憶に刷り込まれるのであろう。目の前に座る陳さんとも語る。陳さんに今回のこのスペシャル過ぎる公演のお礼をすると「自分でやるからには誰にもできないことをやりたいですよ」という。「誰にでもできないとおもう音楽をめざす」僕らとフェィズは一致してる。その価値観を共有できる僕らは幸せだとおもう。誰かのために何かをやろうということはたやすいことではない。得てしてお金がかかってしまいそれが自己負担であるならば余計に難しい。でも、ここの人はいとも簡単にそれを成し遂げる。僕らは日銭を稼ぐために中国にきているのではない。大儀とは厳しいものである。それを歯を食いしばって乗り越えたものがきっとこの仲間の笑い声の中に身を投じられる人なのだろう。今はこの夢を持って今をまっすぐに生きる人たちの笑い声だけ聞ければいい。
ここで事件が発生(とはいっても僕らは関係ないが)突然。ドカーンと大きな音がしたかと思うと、自転車にバイクが思いっきり突っ込んだらしく車道に2人の人が倒れている。そのうちの一人が起きだしてきた。そして、よたよたしながらバイクを起こし走り始めた。でもふらふらでまた倒れたのだ。これは明らかに酔っ払いが自転車をはねて逃げようとしているに違いないと思った。そのときすかさずみんなその現場に走りよる。陳さんは携帯電話ですぐに警察に連絡をしていた。遠くの電話ボックスにも通報する人がいた。いつのまにかその酔っ払いは周りの人に取り押さえられていた。2,3分でパトカーが到着する。酔っ払いは連れ去られ、倒された自転車の人も軽症のようだった。ここで日本との差を感じたんだ。こんなにも他人のことを一生懸命にみんなで心配する。見て見ぬふりをしない国。だから、道端でたむろしているヤンキーも、落書きをする子供たちもいない。いたら、注意するだろう。まるで自分の家族のように。みんなが当たり前のように正義を持っている。宴席の横で起きた交通事故。それに対応するみんなの姿を見てうれしくなった。うーん、みんな最高だよ!

宴もたけなわ。酔うとギターが弾きたくなる僕は当然のごとくアコースティックギターを持ち出した。ここから中国語曲のオンパレードとなる。周りの人は「なんだこの集団は」と驚くように遠くに円をつくる。そうして深夜まで続く重慶最後の夜。よかった、本当によかった。あなたに会えてよかった。長江を見渡すレストランで公演の余韻にふれる集団。それはコンサートが成功したからというだけではない。出会うことがとてもうれしいと思える仲間たちの時間。この感覚はこの場にいないとわからないことかもしれない。どんな饒舌な弁士でもこの感情は伝えきることはできないだろう。

今回、僕らは本当に中国の中に文化として入り込むことができたと思う。目の前のお客さんにすべてをさらけだしている。不思議なパンダもそのままではみ飽きられる。飽きられないうちに何かをしなくちゃ。ぼくらの遺伝子はそれを察知し、確実に進歩を遂げていると思う。「ニーハオ」中国語を一言話して笑わせていた時代が遠い昔のようだ。それがたった一年前の事とすればぼくらの進歩は今の中国の発展の速度に同期している。


2003/11/03

目が覚める。つらい。記憶も定かでない。今日は移動日だ。それはかなりまずい。この状況で何時間バスにのるのだろうか?憂鬱な朝、ちょっとブルーになりつつ朝食をとりに行くと思わぬ届け物があった。「Beyondの最新のDVD」だった。つい最近の香港公演のDVDで日本では入手できないもの。これを朝早く石割さんが届けてくれたという。「石割さん。。」マジで感動。だって、きっと石割さんも昨日かなり飲んでいるにちがいない。でも、今日は平日。仕事もある。だから朝早くに届けにきてくれたみたいだった。ぼくも社会人の一人してこうありたいと思う。酒を飲んで翌日だらしなくするな。これは鉄則である。自分に渇を入れて朝食。でも、あまり食べられない。午前中は初の自由時間(といっても1時間ちょっと)をとりいよいよ活気に溢れる街。3100万人都市重慶ともお別れだ。ランチでみんなと最後のお別れをする。一年ぶりの仲間たちが今回本当の老朋友になった感じだ。お昼休みを使ってお別れのためだけにまた石割さんがきてくれた。「みんながきてくれて嬉しかったよ」それはそっくりそのままあなたにかえします。そして「また、きます!」これは僕らの約束だ。

2:00pmバスは走り始める。疲れのたまっていたメンバーはここで睡眠時間を取り戻す。さあ、頭を切り替えよう。今晩は成都での公演が待っているのだ。揺れるバスの中でセットリストを考える。何パターンか作り上げる。これで後は会場をみて選べばいい。それだけ準備をして一眠り。体力は少しでも残さないと。

道路のでこぼこのゆれで目が覚める。あっというまに2時間ほど眠ってしまったみたいだ。風景は一転している。レンガつくりの家がポツリと佇む。名もない川のほとりに密集するように集まる家並み。決して裕福にはみえない風情にもどこか牧歌的なのんびりとした装いを感じる。時間の流れがゆっくりとしているかのように。混沌と喧騒にまみれた大都市重慶も中国であればここも中国である。中国は広い。

4:25pm休憩。ドライバーに聞くとあと2時間はかかるという。ん?ライブに間に合うのでしょうか?そうおもうと気が気でない。とりあえずまた寝る。それしかできないからね。そうしてなんどか起きては時計を見てまた寝るということを繰り返し、7:00pmようやく成都に到着。「いや〜疲れましたねぇ」なんて言うまもなく15分で身支度をして会場に向かわなければならない。僕は5分でシャワーを浴びて眠気を覚ましロビーに集合。時間通り全員集まっていることはすごいと思う。うん、すごいぞ。こんなバンドはほかに見たことない。会場は市内の繁華街にあるMUSICHOUSEというところで成都ではもっとも有名なライブハウスである。ここはBeyondのWINGも公演をしているし外国人アーチストが来ると必ずここで演奏するという。老舗中の老舗というわけだ。

バスが会場に着き羅凡さんと再会。思えば2年ぶりくらいだ。そう、そんな昔に僕は羅凡さんと一つの約束をした。「成都でとことん飲んでみたいんですよ」。その約束がよみがえった。羅凡さんの第一声「ようこそ!ころされにきましたね〜」「し、しまった。。」終演後ぼくはどうなるんだろうとどきまきしながらも準備を進めた。会場はライブハウスでアンプ類もかなりいい。PAスタッフも慣れていてさすが成都一といわれるだけのことがあるなと思った。スムーズに進んだのはいいのだが、何せ時間がない。会場には僕らの大きなポスターが貼られていて、21:30STARTと書いてある。でも、もう20時を回っている。結局リハーサルを終えて楽屋に戻って休憩。ホテルに戻る時間はないが、そうだろうとおもって荷物は全部持ってきているからよかった。これも生活の知恵。中国で公演するための知恵だ。開演前に重慶から飛んできた陳社長、そして武漢から飛んできてくれた陳君と合流した。陳君はわざわざ武漢からきたのだ!本当にこの国の人の人に対する優しさは筆舌しがたいものがある。

また、会場では数人の日本人の人と出会えた。ここで活動する日本企業の方たちだ。いつも思うのはどこの国、どこの町でもがんばっている日本人に会う。こういう方たちとの出会いはとても重要だ。だって、日本語で生の情報がもらえるってすばらしい。きっと、またこの街にくれば出会える。そうすれば次は「お久しぶりです」と出会えると思う。だから、出会いはとっても僕らにとって大切なことだ。

いよいよ本番。急遽、チベット人の歌手と競演することになったりしたのだが、誰も動揺しない。慣れっこになったGYPSYQUEENは強い。韓紅の曲をしのんと一緒に歌うことになった。コンサートは90分のステージで移動の疲れも見せず、また初めての土地ということも気にせず盛り上がって一気に走り抜けた。ここでは中国語の比率を上げて演奏した。お客さんが目の前に座るこういったライブハウスではコミュニケーションが最重要視される。そのために日本語のミディアムナンバーを削り中国語を増やす。成都のお客さんは熱く僕らはステージを降りてお酒を飲んだり(演奏中ね)かなりはちゃめちゃなステージであったが楽しくできた。もちろん、しのんも堂々としたステージであったと思う。最後にはアンコールもかかり全員で「花心」を大合唱。成都での初めてのステージを終える。

あっという間に終わってしまい名残惜しかった。もっとたくさんいろいろこの町を知りたいと思った。そうだ、次に来るときにはもっと大きな会場もいいかもしれない。成都の町も見てみたい。劉備にも会いに行きたい!そんな盛り上がった気持ちのまま、公演終了後、お客さんの感想を聞いたり、ライブハウスの人と盛り上がったりしつつも大勢の友人たちとの宴ははじまる。というよりもおつかれさま!の一本のビールからなし崩し的に宴会は始まった。こんなに急にきたのにいろいろ準備をしてくれた羅凡さんにお礼が言いたかった。でもお礼を言おうとあけた口にはビールがつぎ込まれた。途中場所を変えて宴は続いたが、正直覚えていない。どこに移動したのだろう?とにかく楽しい記憶はあったが羅凡さんとの数回目の乾杯で僕はその夜の幕を閉じた。

意識朦朧とした中、僕らはホテルに戻り最後のミーティングを行う。VTRを眺めつつ今回の反省をする。これは大事なことだ。あまり覚えていない僕を除けば、みんなはこの会が重要であったことを後から思うであろう。全ては反省からスタート。明日は今日を超える演奏ができるような上昇気流なバンドでありたい。

2003/11/04
5:00am起床寝過ごした。ベッドの上にそのまま寝ていた僕は五つ星のホテルでまたもや布団に入ることができなかった。5:30ロビーへ這い出すように向かう。頭が痛い。忘れ物がないようにみんなの確認をしつつ、空港へ。バスに乗って一秒後、空港到着。ここまでついてきてくれた陳さんと別れていよいよ出国だ。今回は本当に激しく時間を使った。24時間中寝ている時間を削りこれでもかというような過酷なあっという間の4日間。思い出すには近すぎる。でもあまりにいろいろなことがあり東京を出てきたのが遠い昔のようだ。いくつもの物語を抱いて僕らは日本に帰る。「下次再来(またきます)」朝の空港にそう告げた。きっとこの思いはこの土地の誰かに届くはずだ。「歓迎 下次再来(またおいで)」諸葛孔明はそういってくれたかな。そうしてぼくらは7:10CA451便。行きの乗り継ぎの旅とは異なり成田への直行便に乗り込み成都空港を後にした。

安定飛行に入る。時計を一時間戻す。初めてのこの地で僕らは安心したように音楽だけを奏でていた。きっとこの世の中の人々の中で異国でこんなに多くの人と、場所で、これほどの出会いと歓迎を受けることも多くはないと思う。ぼくらはつたえたい。この朋友との出会いが僕らのツアーのある意味全てであるのだ。彼らを通して僕らがある。音は形に過ぎない。形状のない空気のような存在となり彼らの中に溶け込むことが出来て幸せであるのだ。創造を形にすることを助けてくれた朋友に心からの乾杯をしたい。あ、酒はちょっとだめね。機内食でビールを飲んでいる元気印のMASAOにちょっとむかつく。

11:10日本時間12:10機体は高度を下げ始める。第8幕は終わろうとしている。今回は過酷だったか?いや、そうでもないだろう。十二分に楽しめた、そして、新しいステップを踏むことができたツアーであったと思う。レポートを書く僕の隣の席ではしのんがまたもやVTRをみて泣いている。それをちゃかすMASAO。まいどの風景だ。帰国の路はいつも寂しい。切羽詰ってやる事がないからか?あと一日いることができたらと毎回思うのだ。でも、きっとそれがなくなった時にはおしまいなのだろう。ここにいたいという気持ちがあるうちは僕らの旅は終わらない。

朋友のために全ての心を開いて迎え入れてくれる中国人が僕は大好きだ。再見中国。我在来重慶和成都



今回この公演を実施するにあたりご協力いただいた献身的なスタッフの方々。応援団のみなさん。重慶の老朋友。成都の新朋友。そして石割さん、陳さん。心から感謝します。どうもありがとうございました。

旅はいいもんだ。次はどんな出会いがあるだろう。



2003/11/04
GYPSY QUEEN