GYPSY QUEEN ROAD TO ASIA 2004
Wired
2004/09/23-09/27 


1初めての出来事


2004/09/23 
9:30。自宅を出る。今日は飛び石連休の初日。交通渋滞など不測の事態にそなえてかなり早めの出発だ。メンバーと合流して車は首都高速を走る。ちょっとは混んでいたものの、特にトラブルもなく成田へ。集合時間よりもかなり早く空港に到着。やはり早めに到着していたShinonと合流し、Air Chinaのチェックインカウンターに向かう。いつも、ぎりぎりのチェックインで全員席がばらばらになったこともあり少しでも早くということで集合時間ももともと早めていたのだ。幸先いいスタート。と思ったが、早すぎてカウンターが開いていない。結局30分ほど待たされてチェックイン。機材のトラブルもなくゲートに進む。この時期にしては思っていたよりもすいている空港。早くついた分、時間をもてあます。

今回の渡航は北京のみの5日間のツアー。長距離移動が定番となっているGYPSY QUEENのツアーにしては簡素なツアーとなった。このところいろいろなことが立て続きにおきて寝る間もままならない生活であった。昨晩、原宿で公演を行い、そのままの感覚で今日のフライト。少しでもこれから起きることのために力を温存しておきたい。14:55,CA926便に搭乗。なかなか動かない機内で待つ。しばらくすると空港が混んでいてフライトができないということで結局一時間遅れてのフライトとなった。「ま、飛ばしていくんじゃないの?」呑気なメンバーがいう。きっとそうだろう。到着時刻はきっと同じに違いない。そういうものだ。眠気に襲われて気づくともう僕らは雲の上にいた。北京まで約3時間。この時間はとっても貴重だ。重ねてきた準備のおさらい。中国語の勉強。そして、演奏曲の構成。ただ、ライブをやるだけならどれほど楽だろうか。でも、僕らはそういうことにはあまり興味がない。最近、好んで食べるスナック菓子「ハバネロ」同様、過激な刺激の中に生きようとする僕らは、見えない何かに挑戦することがもはや当たり前なのだ。

18:30。機内食を食べ終え、時計を北京時間に直す。日本より一時間さかのぼり17:30だ。窓の外は真っ白な空間が広がる。右側にはきっとリャオトン半島があるのだろうか。そんな空を飛び僕らは中国大陸に入る。もうここは中国だ。機体は急に高度を下げ始め、雲を抜け、霧の立ち込める大地が近づいてきた。18:00。緑の平原が姿を現し、着陸態勢に入った機はさらに高度を下げる。うん、なつかしい。5月以来の北京。3ヶ月もみていないと懐かしく感じる。そんな僕らを迎えるようにやさしくタッチダウン。再び北京にたどり着いた。霧と埃で曇った空。排気ガスのにおい。それも気持ちがよいものではないが、旅の始まりには心地よい。

機材とバッグを持ち出国した。空港には懐かしい友人が待っていてくれた。「ひさしぶり!」そんな感激もつかの間、いつまでたってもほかのメンバーが出てこない。出国口までもどってみるとなにやら警備員ともめている。「どうしたの?」事情を聞いてみると、「機材を出国させることはままならん」ということだった。最近はこうしていろいろな高価なものを持ち込み売ってしまう人も多いらしい。でも、僕らは音楽をやりにきただけ。売り物になるなら買い取ってくださいよ。と思えるほど傷だらけの機材。中国ツアーの勲章のようなツアーケースをもって「何でこれを売ろうとおもうの?」と聞きたくなる。結局そこでひと悶着あり、一時的に機材を預けることになった。

「どうしよう」
「どうしようもないね」

「明日取りに来ればいいよ」
「書類必要なんでしょ」

「必要だね」
「どうするの?」
「だれかにもらえばいい」

「だれ」
「・・・あとで考えよう」

相手は空港職員。売り払われることもないだろう。対策を今晩ゆっくりと考えて明日取り戻しにいけばいい。機材がなくなってすっきりと旅行客よろしくの僕らは北京市内に向かう。赤と緑の町並みは健在だ。市内に入りホテルに到着したころにはすでに21:00。ずいぶん時間を食ってしまった。今日は北京電視台の王さんと会う約束になっている。王さんは以前から僕らが北京にいくと必ず予定を合わせて会いに来てくれる方だ。以前は日本にも留学していて日本語もそこそこ話せる。王さんに合流して空港での出来事を報告。いろいろ親身に相談に乗ってくれた。食後、王さんを送った後ミーティング。MIDI音楽学校でのWORKSHOPの打ち合わせだ。台本を読みながらその場で構成をどんどん変えていく。

つぎから次へと変わる内容にShinonはパンク状態。「急にいわれてもわからない!」そうだ、そのとおりだ急に物事が変わればわからなくもなる。でもわからなければいけないのだ。1時間の講義をやるために3時間のリハーサルを行い時計をみると2:00。日本時間では3:00か。おおよその流れがつかめたので今日は解散。明日の朝までもう一度台本を読み直して、最終チェックに入ろう。最後の最後まで中身は変わる。いい物を作るためであれば開始1分前まで原稿を修正する。それが僕らのやり方だ。3:30。いい加減文字が読めなくなってきた。今日はもう寝よう。明日は朝早い。


2004/09/24
5:30起床。7:00朝食。今日は朝から予定が詰まっている。久しぶりに中国式の朝食。普段は大丈夫なのだが今回はちょっときつかった。きゅうりの食べられない僕には「きゅうり三昧」のこのホテルの朝食がうらめしい。だってチャーハンにきゅうりのこま切りが入っているんだよ。ちょっとしょんぼりして8:00にバスに乗り込み出発。明日行われるMIDI音楽学校へ打ち合わせに向かうのだ。MIDI音楽学校は北京の北西に位置する。市内からだと混んでいると1時間ではつかない距離だ。バスに乗り込むと早速明日の公演のためのリハーサルにはいる。この移動時間を有効に使うのが実は一番効率的であったりするのだ。環状線を走り、だんだんのどかな風景になり、「こんなところに学校があるんだろうか?」とおもうような道に入る。でも、そこにあった「迷笛音楽学校」の看板。きっとこの門の奥にキャンバスが広がっているのだろう。

到着するとすでに先方は待っていた。早速打ち合わせ。その前に昨日の機材没収について話した。僕らは公演の主催者であるこの学校に回収をお願いしようとしたのだ。「なぜ没収されたのか?僕が言ってあげるよ。」学校長助手のジャオさんが快く引き受けてくれた。明日の公演についての打ち合わせはすぐに終わり、会場を下見。教室はまさに教室であった。公演を行う礼堂はレンガつくりの重厚な建物だった。なんとなくいい感じ。明日はがんばろう!11:40。学校を出て空港に着く。「さあ、僕らの機材を返してね」勇んで足を運ぶと税関はもぬけの殻。「今は昼休みだから1時まではむり」と愛想なくいう職員が一人。ジャオさんの予定もあり早く解決しなければならない。でも、相手がいないけんかはけんかにならない「とりあえずご飯食べましょうか」ここで待っていても仕方がないので空港の食堂で食事をすることにした。おかげでいろいろな話ができてよかったのだが、そこにファンキー末吉さんがいきなり現れた。

「なにしてんのー」「ファンキーさんこそどうしたんですか?」世の中は恐ろしく狭い。中国は本当に小さい。明日から日本でのコンサートのために帰国するファンキー末吉さんと僕らはよく偶然の鉢合わせをする。思えば初めて北京で会ったのも、僕らがライブハウスに出たときにたまたま、そこでファンキーさんが飲んでいたときだった。そんなトピックスもあったせいか、あっという間に時間はたち税関が開く時間になる。「書類が足りない」といわれては学校に連絡し、書き換えてもらい、FAXを送ってもらい、「機材のリストと内容が違う」といわれては「これでいいのだ」といいはり悪戦苦闘の結果機材を奪還。ジャオさんのおかげでようやく僕らはバンドマンに戻れた。大幅に遅れたおかげでジャオさんの予定も崩れまくり。帰りに学校まで送り分かれる。こんばんは北京市内のGoROCKというライブハウスでの公演がある。まずは久しぶりの北京でのウオームアップにいいだろう。ホテルにたどり着いたのは結局16時過ぎ。そして、17時には卓教授が現れる。

卓教授は中共中央党校政法部の教授。わかりやすくいうと中国共産党の幹部を育てる学校の先生であり、そこの卒業生は最低でも県レベルの書記長というから、超エリートを育成する学校なのだ。

その先生がなぜ?と思う人も多いと思う。僕らは朋友なのだ。もともと2年前、重慶での公演がきっかけで知り合うことができた。公演終了後も何度も連絡を取り合っていた。そして、前回の中国ツアーの時に北京にいるといわれて連絡をしてみたらいつの間にかとても偉い人になっていたのだ。なぜ、今回あったかというと世間でしきりに言われている「反日の重慶」について話し合うためである。アジアカップを見た人も多いと思うが、重慶での試合は確かに反日の嵐が吹き荒れていた。でも、それは僕らの知っている重慶ではなかった。そして、重慶の人たちもこの日本での報道には驚き、そして悲しんでいた。友人からメールが来る「ごめんなさい、でも一部の人だけの行為で重慶がすべてああいうイメージに捉えられるのは悲しいことだよ」僕もそう思う。もちろんいろいろな人がいる。考え方も異なる。しかし、それをあまりにも超えて「イメージ」つけられた今回のアジアカップは日本と中国に「何ももたらさない」結果となってしまったと思う。そこで、その重慶のイメージを変えていきたいと、卓教授に相談したところ「力になりたい」といってくれたのだ。予定通り卓教授は現れ僕らのアイデアを聞いてくれた。日本が好きな人もいれば嫌いな人もいる。でも、すべてが「反日」といわれるのは遺憾である。だから、何かをやろう。そして一度ついたイメージを本当のものに変えよう。意見は一致した。こうして中国に本当に会話できる朋友がいる僕らは幸せだ。再会を約束して僕らは分かれる。ありがとう。本当に感謝です。

そして、そのころ一本の電話が。ジャオさんからだ。今日のコンサートは中止となりました」「えっ!」さすがにびっくり。なんで今日の今日、それもあと3時間後のコンサートが中止に。。。まあ、仕方がない。中止ということは中止だ。どうしようもない僕らはとりあえず足裏マッサージに向かった。現地のマッサージ師は非常に優秀でとにかくうまい。そして、そこからの情報はとても役立ったりする。明日、話さなければいけない中国語のネイティブの発音チェックにはぴったりだ。ホテルに戻り明日の最終確認を行う。今日の公演はなくなったが、その分明日のリハーサルに注力できる。それはそれでラッキーだ。できないことを語り合っても前に進まないということはこのアジアの旅でおおよそ身についた。だからだれも「どうしましょう」と眉間にしわを寄せていう輩はいない。そんなことを僕に聞いても「まあ、なるがままに」といわれることを知っているからだ。付き合いの長い仲間はやりやすいものだ。

23:00からの打ち合わせは昨日とがらっと変わった構成となり、明日の本番の様相に近づいてきた。みんなも「いい感じになってきている」ことを実感している。2:30解散。ようやく歯車が回り始めた今回のGYPSY QUEENいよいよ明日からだ。1本2.5元(40円)の燕京ビールの大瓶をMasaoと飲み干し3:30就寝。