GYPSY QUEEN ROAD TO ASIA #12
I Believe
2005/12/27-12/31 


2川外

2005/12/28
公演当日。7:00起床。重慶の朝は霧の中。8:00朝食をすませて9:30にホテルを出発した。会場の四川外語学院は2002年の公演地、西南政法大の隣に位置する。重慶自体が山城と呼ばれる町であるがその中を掻き分けて、登っては下り、くねくねと回りこみバスは進む。道路の悪さがバスを左右に振り続ける。だんだんビルは少なくなり、その分壊れかけた家が多くなる。学生らしき人の数が多くなってきた。煩雑な雰囲気が妙に情緒を感じさせる。それでも、きっと来年にはこの辺も高層ビルが立ち並ぶのだろう。そんな風景を見つつ会場に到着した。ところでこの大学、かなり歴史的な場所であるらしい。当時、国民党が占拠していたこの重慶を追われる時にそれまでの捕虜だった共産党員を全て殺害してしまったという事件があった。そのときの場所がこの外語学院の場所で慰霊の墓地などもあるところだ。烈士墓という地名にさえなっている。

会場に到着する。会場はとてもきれいな会場で1200人収容という規模としては中規模の会場であった。年末でもあり、日々いろいろなイベントがあるようで僕らが到着したときはまだ昨晩の片づけ中であった。ものすごいクラッカーや飾りの残骸は中国のイベントの派手派手しさを物語る。楽屋に荷物を置いてしばらくすると演出公司の人がようやく来た。挨拶をして今回のこちらからの要望を述べる。ここは非常に重要できちんと要望を伝えなければいけない。「メールで送ったとおりで」なんてあいまいなことをいうと痛い目に会う。初めて会話するように一つ一つ必要なものを伝える。実際この人と直接話すのは初めてなわけだし、それが当たり前のルールだ。モニターの位置や数、マイクの本数やスタンドの種類。きちんと伝えれば完璧に用意してくれる人たちだ。時間をかけて確認する事が重要である。

日本的に言えば本来バンドが入るときにはPAが組みあがっていて、というものではあるがこれもまた中国式。集合時間は一緒ということで仕方がない。というかアマリ気にならない。いつものことだ。あせる気持ちも少しはあるがそこは何とか本番には間に合わせてしまうこちらのやり方に準拠。結局、大きな機材がどやどやと入ってきたのは11:30を過ぎたくらいであった。
午前中は演出の打ち合わせや現地の歌手とのコラボレイトの打ち合わせに終始し、結局楽器を出すこともなく時間が過ぎた。

僕らはちょっと早めに昼食をとりに出かけた。せっかく学校に来たので食堂で食事を取りたかった。学校といっても都市の様なもので何から何までそろう。いたるところにある寮は学生の多さを物語る。皆、怒鳴りあっているかのような騒がしい食堂で昼食。また、ここの料理が恐ろしくおいしい!今まで食べた中でもっともおいしい酢豚を食べた。そのほか、重慶ならではの激辛煮物やどれもこれもおいしいものを堪能。もちろん、とても安い。それでいてうまい!うーん、大満足だ。そんな、幸せなランチタイムも終え会場に戻る。会場に戻るといってもひと運動する距離だ。

打ち合わせを行い、あとはリハーサルのみ。しかしまだ天井のライトをつっている最中でサウンドチェックには程遠い。結局会場も寒いということでお茶をしに外にでる。全員で向かおうとするがスタッフの一人が行方不明になり探す。広いホールなので探すといっても一苦労。通常、その場にいない人は置いていかれるものだが、(特にMachaは数回おいていかれている)サスガに中国初参加のスタッフをおいていくのは忍びなく全員で探す。

それでもどこにもいない。おかしい。さらわれたのでは?いろいろな憶測が乱れ飛ぶがとりあえずひとりのスタッフを残してカフェに向かう。しばらくすると一人で彼女は歩いてきた。「チョコが食べたくて買い物に行っていた」という。初中国でそれも超コアなこの場所で一人でチョコを買いに行くパワーにびっくり。そんなに食べたかったのね。そして安心。このあとのいろいろな局面で救われることになるこの強力なスタッフに感謝。

気温はかなり低く5度くらいである。小さなコーヒーショップで飲むコーヒーは妙にうまい。お店では今中国で流行っているポップスが大音量でかけられている。台湾出身の歌手で有名な映画のテーマソングらしい。日本的にいうと歌謡POPな曲だ。「この曲カバーすると受けるよ」そんなアドバイスもくれる。確かにそうだ。イメージがわく曲。まさにGYPSY QUEENの音楽の傾向と類似している。アジアでの流行はこういった歌謡ポップが多いのだ。

16:00。会場に戻りリハーサル開始。予定より3時間遅れてのスタート。しばらく出かけていた僕らを待っていたようだが、「どこに行ってたんだ?」という問答もなくリハーサルは進む。今回もモニターについては苦労した。バランスがどうしても取れない。こういうことは毎回だが、その限られた条件の中でベストを尽くさねばいけない。聞こえないならば聞こえるようにしてもらう中国語力が必要だ。本番の最中でも修正をしてもらえるような阿吽の呼吸をわかってもらわねばいけない。おおよその感覚をつかむ程度のリハーサルであったがこれも仕方がない。もう少し時間が欲しかったがちょっと早めの17:30過ぎに終了する。

ちょっと早めに終わったのには理由がある。すでにお客さんが会場に入り始めているのだ。指定席でないために早い者勝ちのこの会場。入場制限はしているはずなのだがもう100人くらいは入っている。以前もこういう事があった。こういうときにフルにリハーサルをしてしまうと、公演の時の最後の方にお客さんは帰ってしまうのだ。「だって、さっき聞いたから」そんな理由である。だから人が入ってしまったときはネタばらしをしないほうがいい。リハーサルはささっと終わらせておいたほうがいいのだ。

片付けをしていると国際交流基金の栗山さんと渡邊さんがきてくれた。今回、いろいろお世話になった方達だ。こちらの暦に合わせての勤務なのであさってまで仕事があるという。うーん、大変だ。でも、そのおかげで今回も公演に立ち会ってもらえた。開演少し前に商工クラブの吉川さんも到着。相当渋滞していたそうでひやひやモノだったらしい。市内からとっても遠いので申し訳ない。そうこうしているうちに定刻に近づいた。準備は遅れても行事にはきちんとつじつまが合う。それが中国のよさ。19:30。開演だ。


一曲目。いつもの通りMasaoからのスタートだ。このドラムソロでまずは会場の温度を上げる。続いてぼくとMacha、Junが飛び出す。会場も満員。派手なスモークと歓声で割れんばかりだ。客席も盛り上がる。とっても元気なお客さんたちで嬉しい。Shinonが登場して一曲目「勝利和奇跡」で始まる。この曲は昨年のアジアカップのときに書いた曲だ。それまでの友好ムードからアジアカップを境にいろいろ日中関係が壊れ始めた。でも、僕らは何一つ変わらない。「サッカーは戦い。ゲームとしての戦い、お互いが全力でぶつかり合いその勇気をたたえあおう」そんなテーマの曲からコンサートは始まる。




今回は日本語課の学生が多いので日本語を多用した、それでも、日本語がまったくわからない学生のほうが多いのでバランスをとりつつ実施。このバランスが微妙である。それでも、今回はメインの曲に持ってきた「MOONLIGHT&SUNSHINE」「ユメノトビラ」は日中両国語で演奏した。特に「ユメノトビラ」の中国語版は初披露。少し緊張したが、中国語で飛び出した1フレーズから大きな拍手がでて良かったと思う。言葉はとても重要でまだまだ、遠い道のりだが完璧にマスターする事ができればいいと思っている。

メンバー紹介の演出も手を加えてメンバー全員の参加型にした。みんななれたもので、中国語を話すようになってきた。中国語でギャグを飛ばすのは難しいがそれにもチャレンジ。
そして、この重慶のために書いた曲「我愛重慶2005」は今の僕らの気持ちそのものだ。コミカルに動くMasaoとJunのサポートもあり大盛況。そして、日本ではめったにない僕の歌も披露。「老鼠愛大米」を歌う。


これは最近の中国でめっちゃくちゃはやっている曲。歌詞的には「鼠がお米が大好きなようにボクは君のことが大好き」というテーマの曲で深い意味はないのだがそれなりにいいメロディで歌っていても楽しい。もともとこの曲を歌うことになったのもこの主催者達との宴席がきっかけだった。「AKIこれ歌ったらものすごく盛り上がるよ、うたわなきゃだめよ」そういわれてチャレンジした。うーん、大変だった。が、よかったと思う。会場で大合唱というタイプの曲で歌詞が伝わったかどうか心配であるがみんな知っている曲だし、盛り上がったのでまあよしとしよう。




Shinonも二度の着替えをして派手に会場をあおっていった。学生歌手との共演もあり2時間のコンサートはあっという間であった。最後のほうで僕がBeyondのマークでもある手形を示すとお客さんも同じ手形で応えてきた。改めてBeyondの偉大さを感じる。この広い中華圏でのかれらの名声はものすごいものがある。

公演も最終の曲となった。「但願人長久」。いつもどおり会場と一体となったステージは繰り広げられた。一年半ぶりの重慶は変わっていなかった。進歩の跡だけくっきりと見せ付けてくれた重慶。僕らも進歩していかねばならない。今回はどれだけ進歩したのだろうか?そのスピードは中国のそれと同じテンポであっただろうか?努力をすることは当たり前のことであって相対論として人のそれとくらべて下回ってしまえばそれは意味がない。自己満足ではなく世の中の標準と比較して、上を行く努力を続けて生きたい。それが賞賛をあびる唯一の手段であるのだと思う。


公演は終わった。楽屋に戻ると大勢の人がいる。ん?なんで楽屋にみんなはいってこれるの?汗を拭くまもなくサイン。サイン。サイン。そしてお客さんの生の声を聞く。みな、コンサートに満足してくれている。「去年も一昨年もきたよ」そういってくれる人が何人もいる。そうか、こうして待ってくれている人がいるから僕らは来るんだ。これは想定ではなく事実だ。生の声として「またきてほしい」と言われることに感謝だ。

一人のお客さんがこういってきた。「中国でこうして今活動してくれるのはGYPSY QUEENだけ、来年もきっときてほしい」理由はとにかくここにこなければこの言葉は聴けなかった。きっとこういう言葉を聴きたくて来るんだよね。

いつまでも途切れない波もスタッフのフォローのおかげでようやく一段落。会場にもどると総領事館の高橋領事が来てくれていた。初対面なので挨拶をする。コンサートをどう思ってくれただろうか?「重慶の人とのコミュニケーションを重視していきたい」ということを告げる。とても、コンサートを気に入ってくれたようで一安心。こうして重慶にいる日本人の人たちにも理解してもらうことはとても重要である。今までなかなか時間がなかったり、誰にアクセスすればよいかわからずすれ違いがあった人たちも沢山いる。その人たち全てと話をする事ができればと思う。

今回も完璧ではないだろう。でも、また次のときに、そしてその次のときにとどんどん人の和が広がればよい。中国人、日本人、皆一緒だ。アジア人として生きる僕らの共通言語は音楽であると思っている。みんなが楽しめるものができればそこには僕らの目指すものがある。




22時も過ぎ打ち上げに向かう。一度ホテルに戻りたかったがそんな時間もなく打ち上げ会場に到着。場所は当然火なべ。重慶にきたら火なべだ。いつも火なべを食べる長江沿いの店は今は工事中のために全て閉店しているという。「この次に来るときはまたあそこにいきましょう」そう。きっと次回はまた川べりで野外で火なべだ。陳社長をはじめすばらしい老朋友達に囲まれての火なべ。



今回の公演に向かっていろいろな努力をしてくれた人たちと飲み交わす酒は格別にうまい。食材も格別だ、日本じゃありえないような不思議な食材がどんどん鍋に入る。どぼどぼ入る。それを食す。おいしい。辛い。恐ろしく辛い。でも、うまい!そしていつもよりかなり早く白酒が到着。これは危険だ。でも、断れない。乾杯の螺旋は続き、いつしか僕は僕でなくなっていた。