Bor Luem Vientiane 2006/07/14-07/19 Laos Vientiane concert Laos Vientiane 一生知らなかったはずの国。そんな国に僕は魅せられている。中国との出会いとは異なる何か。それは何か、探し出せるだろうか? 中国、アセアンと旅を続けいろいろなことが見えてきた。いいこと、悪いこと、さまざまなことがほんのちょっとだけほかの人よりもわかるようになってきた。それでもアジアは広いし深い。専門家の人たちにはまったく及ばないし、「音楽でできることは何か?」の答え探しすらできていなかった。もちろん、ツアーを始めた頃とは異なっている。その頃掲げた目標はおおよそクリアしたし、今では知識レベルも格段の差がある。だが、上には上がいるもの。今まで見えなかった雲の上の世界がちょっとだけ視力の良くなった僕らには見え始めていた。それはそれは遠く高く。どこまでもつづく天上の螺旋のように続く道だった。 「果たして僕らに登ることができるのだろうか」2005年のアジア情勢をモロに食らった僕らはおのずと弱気になる。アルジャーノンのように見えなかったものが見え始めた僕らは天上の果てしなさと、自ら意思を持つことによる重圧にさいなまれていた。そんな中、僕らのラオス公演はスタートする。日々喜びと悲しみを繰り返すGYPSYQUEENのアジア戦略の中、ずっと握り締めていた糸が僕らを引き寄せてくれる。そう、「GYPSY QUEEN CONCERT IN VIENTIANE2006」の誘いだ。 音楽は常々人がすべてだと思っている。公演を行いお互いに会話をし、時には厳しいことを時には無理なことを会話し続けていた恩人たちからの依頼。今日は好転の日か。できることならば好転、暗転のくりかえしではなくこのまま良き日々を続けたいと思う。そのためにも「やらなきゃ」。反省点は毎回あってそれをクリアせず成功はありえないと思っていた。それでもまわりの人々のやさしさの中でできないことをあきらめていた。優しい笑顔に頼った結果、いい事は何も起きない。それをかみ締めた05年。だからこそ今年の5月の中国ツアーを中止した。確実に変わらなければすすまない。その覚悟が実を結んだのか、それとも偶然だろうか?いずれにしろ僕らの06年はようやくスタートしたのだ。 準備を重ね、さまざまな問題や障害を越え、たくさんの支援をもらい当日にたどり着いた。アクションを起こすことは波風を立てることだ。はなから全部うまくいくなんて思ってもいない。それでも、時折がっくりさせられることもある。飛び上がるくらいにうれしいこともあった。ラオスで待つ人たちの笑顔を思い出してひたすら前だけを見て準備作業をする日々は続く。視線をそらさないですすむことが一番の近道だ。わき目を振ったら多分とまっちゃったかもね。信じられる仲間たちが僕の視線をまっすぐにしてくれる。そうして、たどり着いた。もうこれで大丈夫。そう願う夜を越えて僕らの3回目のラオス公演はスタートする。 Bor Lume Vientiane(ビエンチャンを忘れない)意思を持って何かを興そう。 2006/07/14 暑い。まるでスコールの後のような蒸し暑さの中での昨晩、機材を積み込みを行った。忘れ物をしたら最後、買える物ならいいがそうはいかないものばかり。慎重に準備を重ねる。ツアー向けのリハーサルはほぼ終了した。ラオス用のためだけの曲やいざというときの差し替えの曲を足せば50曲にもなった。これならどんなアクシデントでも大丈夫。たとえ、英語だけで、ラオス語だけで、日本語だけで、バラードだけで。どんなオファにも耐えられるようにした。音楽の世界ではこんなことはありえない。ベストとおもわれるセットリストを構成しそれに忠実にやること。それが定番である。アーチストオリエンテッド。日本のエンタテイメントはそういうものだ。しかし、僕らはアジアに向かう。アジアはいつだってユーザーオリエンテッドだ。観客が喜ぶものを。その準備はほぼ完成した。ほぼというのは現地ではまだ僕らが想像をしえない変更がまっているということ。それらも含めて心の準備はできた。「WHY」はない。僕らが発するのは前向きの「YES」のみだ。 朝が来る。思いっきりの好天だ。日本の天気は関係ないがそれは気持ちの問題。06:00にMasao号が機材を満載して迎えに来る。平日の渋滞を気にして若干早めのスタートで気分も軽い。高速は空いていて8:00。予定通りに酒々井のSAで朝食。夏の日差しが痛い。「今日は暑くなるんだろうね」。そんな会話をしつつ8:45成田に到着。空港に直で入る。今回はチエリーパーキングを利用。ここの特長は車を空港で渡せて、帰国時も空港までもってきてもらえるところ。とっても便利。追加料金もない親切価格。うむ、便利になったもんだ。以前、パーキングにとめて空港入りしたあと、車の中に機材を忘れてパーキングまでとりにいったなんてこともあった。そんなことも防げるし何より精神的に気が楽だ。今回は新しく第一ターミナルに移ったANAで飛び立つ。いつもいろいろお世話になっている日本を代表する青い翼だ。そういえば第一ターミナルにきたのはものすごく久しぶり。ちょっと小さめな感じがした。空港に入るともうみんな勢ぞろいだった。時間にめっちゃくちゃ厳密なGYPSYQUEENは遅刻が許されない。もちろん、しかたがないことはあるけれど団体行動の基本は時間厳守。「ちょっとくらい」はないのだ。きちんと守る人がいるかぎり、約束の時間は約束の時間である。そんなルールの中過酷な旅の第一歩がすぐに始まった。 混雑の中さっそくチェックインへ。スタッフを含めて11人の一行は搭乗の準備にはいる。しかし。。。ものすごい人。。今日は連休前日のためかかなり混んでいる。これだとチェックインが遅くなればなるほど席もばらばらになってしまう。移動中は絶好のミーティング時間。なるべく近くに座りたい。そのためにもとりあえず座席を確保しようと、まずは座席のみのチェックインを試みる。一応聞いてみると搭乗機は満席との事。こりゃたいへんだ。なんとか近めの席を押さえてそれから荷物のチェックインを行う。大混雑の中、荷物の総重量は180kg。9人でこの重量は楽器のことを考えれば格別だ。メンバー一人ひとりが軽量化に勤めた。出発前に個人の荷物も含めて重量チェック。そんなバンドマンはあまりきいたことがない。でも、1kgオーバーすればいくらと費用がかかってしまう以上このチェックは運用上かなり比重の重いことなのである。みんなの軽量化の努力あってのたまもので無事チェックイン完了。搭乗時間も迫っているのでダッシュで搭乗ゲートに向かう。本当ならお茶して出発の気分に、といきたかったが今回は叶わなかった。10:50ぎりぎりにANA953便に搭乗。なぜか汗だく。しかしなかなか飛び立たない。そのうち機内アナウンスで「左翼の油圧系統にオイル漏れがあり。。」と説明がある。ん?それはやばいぞ。急に不安になる。窓から翼を見るが特に壊れては見えない。(あたりまえ?)修理のために30分ほどかかるという。まあいい、安全運転第一だ。しかし、それものびにのびて12:30.すでに1:40の遅れだ。僕らはバンコクで乗継がある。その時間が3時間。余裕はもうあまりない。今日ビエンチャンにはいれないと大変なことになる。不安はよぎる。さらにアナウンス。「部品を調達している。。。」ちょ、ちょっとやばい雰囲気だ。機内で携帯が許可された。 ラオス航空に連絡して現状を伝える。「2時間なら大丈夫ですよ。飛ばせば1時間は短縮しますから」なんとものんきな返事。そして、機内でインターネットをつなぐという初体験もできた。心配げな僕にSさんはこういう「AKIさん大丈夫ですよ、問題が見つかるって事は出発前にわかったってことでしょ。それを直すんだからむしろラッキーってことですよ」どこまでもこのポジティブな考えをもつ人に僕らはいつも助けられる。やっぱり世の中で成功している人は思考回路がポジティブなんだよね。GYPSYQUEENの恩人ともいえるこの人の言葉をきいてぼくもそうだなと妙に納得。気持ちも落ち着いてメールなどをしていると出発のGOサインがでた。「おっ早いね」思ったより早い修理でよかった。アナウンスで電話やメールをやめてください。と放送がありあわただしく片付ける。シートに落ち着いていよいよ出発だ。 13:00.ようやく機体は動き出す。ほっとする一行。2:10の遅れだ。テイクオフ後しばらくすると八丈島が見える。実はこれも不思議な縁で今までもきっとこの上空を飛んでいたに違いないと思う(多分)それでも一度も気づいたことのなかったこの諸島。それなのに今回に限ってものすごく晴れ渡った空の下に諸島は群をなして連なっている。で、不思議な縁とは今回のツアーの公式カメラマンとして参加してくれた川口さんの故郷なのだ。さらにこの八丈島でのライブ、という話もでてきてにわか八丈島ブームの自分だったので、このタイミングで八丈島の上空を飛ぶことがもう「縁」以外の何者でもないと思っちゃったのだ。初めて見下ろした八丈島。きっとこの島にくることに違いはないと思った。機体は南西に進路をとり巡航する。15:20.。ようやくランチ。とにかくおなかが空いていた。まずは乾杯。ビールを飲むのも久しぶり。アジアでしかビールは飲まない僕だが、もう出国しているからビールも解禁。食後は最後のラオス語チェック。本当にこの機内の最終チェックは役に立つ。どんどん頭に吸収される。いつもは何かひとつのことに集中することは難しい。でも、ツアーになってしまえばそれ以外のことは考えないように、ラオスで待つ人たちのためだけに時間を使いたい。 初めてのラオスのメンバーもたくさんいる今回のツアー。人に教えながら自分でも覚えていく様はまるで修学旅行だ。一眠りして目が覚めると18:00。地図はベトナムのダナン上空に差し掛かりそろそろインドシナに入る。外はものすごい入道雲。台風の脇を抜けているためにかなり機体も揺れる。そんなときに機長のお詫びの挨拶。出発前も状況を細かく逐一アナウンスしていた。それは銃客にとって安心できることだし、故障はこの人のせいではない。こうしてきちんと言葉で不安をとりさってくれる機長は珍しい。そして、乗客にそれをわびる姿勢もすばらしいと思う。トラブルがあったスタートだがいやな気はまったくしなかった。人ってほんの一言が大事なんだな、って改めて思った。18:30。現地時間に直すと16:30。機体は降下し始める。カンボジア領空をスルーして下降を続ける。まだ,大地は雲に覆われて何も見えない。バンコクまでもうすぐだ。18:00。急に姿を現した大地に迎えられバンコク空港にタッチダウン。夕闇のバンコクは一年ぶり。そして、この広い空港内をダッシュだ。乗り継ぎ時間は1時間を切っている。買い物するなんてとんでもないという感じ。幸い機材は直接ビエンチャンに向かうが乗り換えのチェックインをしなおさなければいけない。去年の感をたどりラオス航空のチケットカウンターに向かう。チケットを発券してもらったときにはもう搭乗は始まっていた。1Fの出発フロアに向かいに持つ検査を受けてロビーへ。搭乗は開始されており、バスに乗って機体へ向かう。「ふぅ〜」毎度の事ながらあわただしさよ。メンバーがなれていることが唯一の救いだ。遠くにタイ航空のジャンボとジャンボの間に小さな飛行機が見える。「あれですよ」川口さんが言う。そんな機体の横にバスは到着しタラップを昇りなんとか乗り込んだ。18:50 QV425便。全員が乗ったところですぐに飛び立った。 ラオス航空のプロペラ機。最近なかなか乗らないこのプロペラ機はものすごくうるさくて会話もままならないくらいだ。特にプロペラのちょっと前の席だったものでものすごい爆音。良いところといえばプロペラ機なので低空を飛ぶせいか、大地が良く見えるところくらい。地面が見えるってなぜか安心する。機内食では待望のビアラオを飲む。ANAでちょっと酔った僕はビアラオはやめようと思ったが、Masaoの飲むビアラオに誘われる。「ちょっとくれる?」。うーむ、おいしい、アジアナンバーワン(自称)のビールだけあるな。と思う。飛び立って食事が出て、片付いたと思ったころすぐに機体は降下を始める。およそ一時間でビエンチャンだからものすごく近い。CAが片付け残した食事をあわてて回収している。あっという間に下降、そして着陸。日本と違うのは着陸の勢いのままでターミナル近くまで進んでしまうこと。(ちょっと怖い)後部のタラップが開き機を降りる。むっとする空気。ジェット燃料の焼けるにおい。そしてワッタイ空港のロゴが懐かしい。一年ぶりのビエンチャン。「カップマービエンチャンレーオ!(ビエンチャンに帰ってきた!)」天気もよくやさしく僕らを出迎えてくれる。空港ロビーに入ると大使館の西村さんが迎えにきてくれていた。再会の挨拶を交わし税関を抜けて荷物をピックアップ。空港自体が小さいのでさくさく作業がすすむ。空港をでてバンに乗り込んでまずはホテルに向かう。昨年来たときよりも舗装化はすすみ、でこぼこ道も消えていた。なんという発展の早さよ。ホテルはノボテルでフランス系のホテルチェーン。中心街よりも空港に近くあっという間に到着した。荷物をチェックインしてロビーにて翌日からの打ち合わせを行う。ここで西村さんと別れる。 ホテルにはなんとノイも出迎えに来てくれていてみんなにオレンジのきれいな花のレイをかけてくれた。本当に気配りのきく人だと思う。ノイとの再会はラオスに来たことを実感させられる。彼女との打ち合わせを行いその後、メンバーミーティング。明日からの行程を確認する。その時点で22:30.今日の一日は長かった。それでもせっかくとおもって「食事に行く人」と聞くとほぼ全員。ということでメコン沿いの野外で夕食となる。ここでもラオス語堪能な川口さんが大活躍。もはやプロカメラマンだけではなく、通訳、ガイドまでやることになった川口さんであったが嫌な顔せずみんなを先導。同じ年の仲間として心強い味方の登場で僕のテンションも高まる。 ホテルを出ると外はもう真っ暗だった。流しのトゥクトゥクを探す。ちょうどすぐに捕まえることができて価格交渉。ビエンチャン市内の物価も上がってきているようでトゥクトゥクで9人で50万キープという事だ。「うーむ、高いなぁ。」日本円で考えれば500円で9人。市内へ全員で移動できるんだからとおもうがその考え方は禁物だ。その場に応じた相場がある。とりあえず45万キープに値切ってメコン沿いへ移動。ここに9人のるのは至難の技で運転席脇にも二人乗ることに。まさに人間満載だ。夜風に吹かれてメコンへ向かう。そういえば今までメコン沿いの屋台にいったことがなかった。というよりも行く時間がなかった。初めていく夜の屋台。それは初めてラオスに来た人と同じワクワク感である。対岸にはタイの家々の明りが見える。雑然と並んだテーブルに座るとキャンドルをくれる。それが唯一の明りだ。そして月明かり。ちょうど満月に近い今日。雲のない夜は月明かりで十分に明るい。みんなでまずはビアラオで乾杯。やはり日本で缶でのむのと違ってうまい!料理は適当に選んで食べるのだがどうも有精卵の卵(もうほとんどひよこ)は食べられなかった。みんなに進められても保守的な僕には無理。初めてラオスに来たIさんは「もう私の中にラオスどんどんはいってきています〜」と興奮気味。今までヨーロッパしか行ったことのない彼女にとってはすべてがカルチャーショックであろう。そしてそれを気に入ってくれる。 GYPSYQUEENのコンサートがなければ一生ラオスなんて来ることがないだろう。それでも、今日ここにいる。それだけで僕らが音楽をアジアでやる価値はある。小さい。本当に小さいことだ。それでもこの胎動がいつか世の中を動かすまで止めない。アジアのこの素晴らしき夕景を一人でも多くの人に伝えて知ってもらう。そんな生き方は格別に面白い。趣のある夕食、なぜか女性陣のみ蚊にさされてしまい、そろそろホテルにという感じになる。会計は38万キープ。これは安い。でも、お店のおばちゃんは大歓迎。「この時間にこの金額が入るなら大喜びですよ」と川口さんは言う。帰りもさっきのトゥクトゥクの青年が待っていてくれてホテルに帰る。Iさんをランサンホテルに送り僕らはノボテルへ。今日も一日長かった。明日からいよいよ始まる。まだまだ体力はある。今できることはやっておいたほうがいい。楽器のチェック、衣装のまとめ、帰り支度(?)メンバーの部屋番号リストや今回会う人のリストそしてお土産リストまで準備してこの日を終える。ここの滞在期間は短い。4日もたてば離れることになる。ちょっとだけSTAYの部屋をすごしやすくセットアップしていたらもう2:30。日本だと4:30。そりゃ眠いわけだ。明日からがんばろう! 2006/07/15 5:00起床。外はまだ真っ暗.。シャワーを浴びて白んできた窓の外を見るとオレンジ色の袈裟をきた僧侶の托鉢の列が。これが托鉢か。写真では良く見るが自分の眼で見るのは初めて。なんだか神聖な感じがした。こういった習慣が日々繰り返される。日本ではありえない風景。しばらくそんな風景をぼーっとしてみていた。異空間である。さあ、ゆっくりもしていられない。準備をさくさくとしてロビーに出る。今日は早朝のメコンで写真をとろうという事で6:00に集合をかけた。僕が遅れるわけにはいかないので、5:58分。とりあえず部屋を飛び出す。ノボテルは低層のホテルで4階までしかない。その最上階の部屋が僕らの部屋。格式のある調度品が美しく、フランスの系列の香りあふれるホテルだ。エレベーター前には必ずコンシェルジュがいて、早朝でも笑顔で迎えてくれる。妙にゆっくりとしたエレベーターでロビーに下りるともうみんな集合していた。「さあ、いこう!」ホテルのドアを抜けるといきなり暑い。部屋じゃ分からないけれど外はやはり暑い世界だった。それでも、朝ということで日陰に入ると冷っとするほど。 大通りを越えて路地に入ると寺院があり、その横をさらに抜けるとメコンが横たわっていた。朝焼けが少し残るこの時間。水面も薄い虹色に染まっていた。うーむ、美しい。よくよくみるといろいろなものが結構早いスピードで流れていくのが分かる。ちょっと泳いだら危険な雰囲気。それでもこの命のあるような縦横無尽の流れは人々のすべての源だ。撮影を終えてホテルに戻り朝食。かなり距離を歩いたせいか朝食もうまい。部屋に戻り衣装など持っていけるものをすべて持ってロビーへ。迎えにきてくれていた西村さんと一緒に8:30会場に向かった。会場まではほんの10分ほど。非舗装の道の工事がどんどん進んでいる。きっと次に来るときにはきれいな道になっているんだろうなぁ.とおもう。中国のそれとは異なる。こちらは少しづつ少しづつといった感じだ。会場につくともうスタッフは集合していた。諸富さん、アナンとの久々の再会。諸富さんは帰国後ずっと連絡を取り合ってきた人でこのラオスの中では有名な製作会社の人だ。再会の握手もそこそこに搬入が始まる。搬入口が開いているせいか、室内はかなり暑い。ムシムシした中で搬入作業は続く。赤嶺さんとも合流。今回、いや過去二回の公演をつかさどってくれた赤嶺さんももう任期が切れる。その最後の一大イベントか、最後の最後に大変だ〜。イベントかどちらに転ぶかはステージ次第。一層責任の重みが増す。全体ミーティングを行いそれぞれの作業に入るがステージセットの立ち上がりが遅れその分、午前中に音だしをすることができなかった。結局リハーサルらしきリハーサルも行わず、昼食会会場に向かう。日本大使館での昼食会だ。 大使公邸はメコン河沿いに建っておりここも当然川向こうはタイ、という位置。とてもすばらしい眺めだ。大使との昼食会。おいしい日本料理であった。日本とラオスの認識の、最近のラオス人の傾向などても役に立つことばかりだった。もっとゆっくりしていきたいがそうもいかず、名残惜しくも僕らは会場にもどりリハーサルに参加する。サウンドチェックが終わり流れのリハに入ろうとしたころ14:00過ぎ、大使館の二元さんが迎えにやって来ていよいよ国営放送の出演に向かう。ラオプラザの裏側に位置するラジオ局へ移動する一行。ここでプチアクシデント発生。かけてもらう曲がぜんぜん違うCDになっているという。CDがない!困惑気味の僕らだがそんなこともあるでしょう、とCDを持っていたのだ。備えあれば憂いなしということでギリギリセーフ。なんとか生放送に間に合ってよかった。番組では英語とラオス語で感想を話すイメージだ。こういう時って結構緊張してしまうよね。僕もベースがないと結構気は弱い。 インタビューで覚えたてのラオス語でなんとなく場を盛り上げて終了。急いで会場に戻る。そんなときにスコール発生。もうこっちのスコールは恐ろしい嵐になる。すべてのものがなすすべもなく立ち止まることを余儀なくされる。でも、こんな豪快な雨を体にあびたら気持ちいいんだろうなぁ、なんて思う。ま、服を一着だめにすると思えば簡単ジャン。といいつつ自分はしなかった。小ぶりになったタイミングをみてラジオ局を離れて僕らは会場に。会場ではいろいな準備がされていて僕もほっとした。そしてこのあと浴衣ダンサーズとのご対面だ。今回の一つの目玉でもあるこの浴衣ダンサーズは現地のラオス人9人で構成されたチーム。もちろん、パラパラの経験なんてない。そしてこっちにきて驚いたことがある。ラオスの学校には「体育」の時間がないのだ。だから学生が同じ行動で動くなんて事もまったく経験がない。ということは。。難航は必至と見た。あとはいかに時間までに最善の物を作るかということ。コミュニケーションに時間を割いたりする余裕はないのでいきなり単刀直入に話し合いを始めた。振り付けについてはviviちゃんに任せて僕らはステージ上のリハーサルに戻る。しばらくして進行上ダンサーズの出番となった。みんな一生懸命やっているがなかなか振り付けがうまく合わない。また、立ち位置の説明にも苦慮する。思いがけずに時間がかってしまったが、救いは彼女達の笑顔だ。最初こそ照れていたものの、だんだんいい笑顔が出るようになっていた。まだ合わない部分があるのでとりあえず楽屋へ。赤嶺さんから「励ましに行って」といわれて女の子楽屋に。「みんなだんだんいい感じになってきたよ。心配しなくていい、僕も初めてのことはできないし君達はすばらしい!」そういったらみんなものすごく盛り上がってきたのだ。一緒に何かを作ることはこんなにもすばらしいものなのか、ということをまたもや教わった。 赤嶺さんのアドバイスにも感謝。そう、人は誉めてあげないとね。特に表情が読み取れない外人同士だからこそ声をかけてあげるのはその友情の帯を締めるようなもの。みんなの着ている浴衣に魂を込めよう。ダンサーリハも終わりノイとアレキサンドラがやってきた、やはり貫禄がある。仲がよくないといううわさもあるが本人同士からは感じ取れない。ノイは6月以来、アレキサンドラは03年J−ASEANイベント以来だ。とはいっても共演はしていないから実質初めてといっていい。以前あった16歳の子供は19歳になりその美しさを放っていた。 アレキサンドラは飲み込みが速く、あっという間に僕らのサウンドをつかんでいった。時にビートが理解できていないとなかなか曲には乗れないのだが、その辺はまったく問題なく通過。セッションのRHを始める。今回の見せ所の一つがこの「コプチャイ」である。この曲は本当にすぐにできてしまった曲でイメージが思いっきり頭に浮かぶ曲だ。コプチャイとは日本語の「ありがとう」を意味するラオス語。このフレーズを中心にそれぞれの出演歌手が歌いまわすわけ。感謝の気持ちとこれからへの希望を綴るこの歌を今回のステージの最後に持ってきた。それでも問題は多いわけで事前にラフを録って(きちんとレコーディングする余裕ないし)それを送り「ここに自分でオリジナルのフレーズを作って歌うんだよ」なんていう日本にいて顔を突き合せないとできないような工程を越えなければいけない。うむ、無謀だ。いや無謀じゃない。コンサートの構成上、このキャスティング上、必ず必要な曲なのだ。アレキサンドラとノイを同じステージに出す以上、この二人を一曲の中に収めることは大きな意味がある。ただでさえ、たくさんある作業にもう一つ山を載せてでもこの曲は成し遂げたかった。しかし、会場にきたアレキサンドラはまだこの曲の意図を理解しきれていなくてフレーズを作ってきていなかった。「まずい」。なんと言ってもラオスといえばアレキサンドラ。そのプライドは高い。このプライドはどのプライドだ?できそうにないことを「きいてないわ」と逃げるプライドか?それとも、克服するプライドか?その応えは明日の夜に分かる。そしてこの時点での彼女の判断は「がんばる」だった。 ノイとアレキサンドラの歌う歌のリハを終えてほっと一息。ある意味今日が初あわせであるのだ。2テイクのみ歌って終了とする。ステージではアーチスト同士のバトルだ。ついてこれない人が消えていく世界。GYPSYQUEENのメンバーにもかなりの緊張感があった。Masaoは例によってノイにQだしをされてドラムをたたく。そのノイとのやり取りがみんなを和ます。モニターチェックなどもおおよそ終えることができた。アナンは優秀なエンジニアで僕らの要望を「理解」してくれる。言葉の問題ではなくて、音楽的な部分で言っていることを理解いてくれるエンジニアはまだまだアジアでは少ない。ラオスならアナン。頼りになる男だ。終了後、赤嶺さんとラオスキの店に行く。タイスキではなくラオスキ。ノボテルの大通りをはさんだ反対側の店に入った。ここは入り口は小さいのだけれど、奥に入るとものすごく広くなっている庭園だ。そこで、まずは乾杯。今回もいろいろなことがあってようやくたどり着けたラオス公演。募る話もたくさんある。あまり多くを語らない赤嶺さんだが実施までにいろいろな苦労をしたに違いない。でも、そんなことはまったく口にださない男らしさ。女性に男らしさということがよいかどうか分からないがとにかく見事な手綱捌きだ。それに応えるのは明日のステージでしかない。日本ではビールを飲まない僕もこの日はビアラオ三昧。うまい。この湿気と暑さ。冷えたビアラオのうまさはここビエンチャンで飲むのは一番の正統的呑み方であろう。明日のことを考えちょっとだけ控えめに呑む。呑まなくても楽しい宴はある。21:00過ぎ。一日遅れでラオス入りしたJUNも加えて盛り上がる。BMIの斎藤さん、ラオスの恩人の八木沢さんも加わり入り乱れ状態へ。ノイの歌が始まれば宴席はミニコンサート状態。店員もノイの歌に聞きほれている。かくも楽しいビエンチャンの夜。終了後一同はホテルへ。もう一軒行きたい気持ちを押さえる。そこで今日は終わりではない。今日のRHの問題点の洗い出し、変更点の確認などを行う。特にセットリストの変更は今日中に全員で確認が必要だ。決めたことは必ず遂行する。そのためにも冷静になってもう一度メンバーでの読み合わせの確認を行った。今回のツアーへのいきさつや、今日会った人たちがどんな人かを説明する。時計を見れば1:00を回っている。明日のステージ、どう振舞えばよいかを話して解散。明日も早い。 2006/07/16 7:00起床。一昨日、昨日はかなり早起きだったが今日はまあまあの寝坊ができた。昨日の変更点のおさらいをさくっとメモにまとめて朝食へ。朝の時間はメンバーの調子を見る意味でも重要だ。本番当日なのでゆっくりめの出発。ホテルを10:00スタートにしてもらった。10:00。西村さんが迎えにきてくれ一行はいざ会場へ!10:10会場着。会場内はまだ暑いが控え室は空調がきちんと効いていて快適だ。リハーサルに入ると曲の変更が入る。洋楽のうち一曲がどうも「ラオス人のリズム的にあわないのでは?」ということだった。確かにその曲はレゲエのビートを使っているのではじめてこの手の音楽を聞く人にはノリにくいリズム。結局誰もが分かりやすい16ビートの曲に変更した。 当日の変更もいとわないメンバーに感謝。変更した曲もOKがでて順調に進む。ここで嬉しいことが一つ。今日も13時から浴衣ダンサーズのリハーサルだったが彼女達の要望で11時からにして欲しいといわれたそうだ。自分達はできる!そう思ってリハーサルを少しでも早めてきっちりやりたい!そんな気持ちを起こしてくれたのならもうその時点でこの曲の意味・目的は達成されたようなもんだ。ものすごく嬉しかった。人は強制だけでは本質は動かない。日本人とラオス人がはじめて知り合って、同じ目標で音楽を作るために時間を割いて集まる。時には事務的だったりする関係はしかたがない。面識もない人と距離を縮めるのは容易ではない。でも、この浴衣ダンサーたちはそれを半日で成し遂げた。 あっというまに9人のラオス人、3人の日本人が一つのチームになっていた。同じ目標を掲げているのだからお互いに意見を言い合って前に進む。うーん、ぼくもダンサーに加わりたかった。 そんな心地よい前倒しにバンドメンバーは全員YES。ダンスも昨日とは見違える出来となっていてビックリ。家でやってきたんだろうね。完成度を疑問視していた赤嶺さんもこれにはOKサイン。バンド側もおのずと盛り上がることになる。そんなこんなで午前中は終了。リハーサルを前倒ししたためちょっとランチの時間が押したが、せっかくのビエンチャン。弁当ではさびしいということで街中に出てレストランを探す。あいにくの日曜ということでどこもやっていない。ここは観光地ではないのだ。捜し歩いて結局クアラオに入ることにした。このクアラオレストラン。始めてラオスにきたときに連れて行ってもらったラオス料理の店だ。赤い古代米のカオニャオが印象的な店でそれ以降たべたカオニャオがみんな白くて、ここのが特別だったとあとから知る。体によさそうな料理はみんなおいしくてはじめての人たちも大満足であったと思う。ランチタイムもそこそこに会場に戻る。それにしても暑い。フレッシュジュースの色彩がまぶしい。ギラギラの太陽に照らされて妙にうまそうだ。道端には欧米のバックバッカー達があちこちにたまっている。彼らはこの国の何に誘われてくるのだろうか?時間があれば彼らとも話をしてみたいと思った。10分ほど歩いて会場に戻るとアレキサンドラもノイもすでにきていた。いよいよリハーサルも佳境に入る。14:30スルーRHに入る。本番仕様で構成どおりに全体を流すので途中でストップはできない。準備にも気持ちが入る。暑さのせいか疲れもたまっている。なんともだるいが本番までテンションをおとさないようにしたい。「ビエンチャン音頭」はかなりの出来に仕上がった。アコースティックコーナーもいい味を出している。リハーサルも終盤。「コプチャイ」にやってきた。 やはりアレキサンドラは若干の不安を抱えていた。大丈夫か?そんな思いが少し残る中、17:20終了。とりあえずお疲れ様。会場まではフリーだ。足裏マッサージにいこうとおもったがそんな時間はなかった。楽屋でいろいろな準備に追われる。会場に投げ込むフリスビーにサインしたりポストカードにサインをしているとあっという間だった。夕食のハンバーガーが届いた。ものすごくビッグサイズで超おなか一杯。食べ過ぎると眠くなりそうなボリュームにびっくり。スタッフからいろいろな情報が入る。「スコールがやみました」こちらの人は交通手段がバイクなためにスコールがあると道がぐちゃぐちゃになってしまうために、結構来場数を左右する。「開場10分前です」その間に気持ちを落ち着けてスタートを待つメンバー。今日までのすべてと明日からのすべてがこのあとの2時間ですべて決まるのだから。19:00開場。このコンサートを楽しみにしていたお客さんたちがホールに流れ込んできた。 僕らはいつになくリラックスしていた。心地よい緊張感だけ残る。今回はいろいろな試みがたくさん組み込まれている。それは目で見える部分だけではなくて楽曲のアレンジ方法や進行全般に仕掛けを施した。目に見えない部分での試みは終了後僕らにとってとても重要なデータとなる。今後アジアで活動するためにいろいろな検証は必要でそんな意識をもったステージでもあった。もちろん、完成度はもっともっと高めるべきであると思う。まだ不十分な個所は多い。でも、今出来る最善を尽くすことは出来る。 場内アナウンスが声を荒げる。お客さんの歓迎の歓声が聞こえる。メンバーで円陣を組んで気持ちを一つにする。ステージにスタンバイ。緞帳の先には満員のお客さんが待っている。 幕が開いた。最初からお客さんの動きはいい。ふと目にとまったのがGYPSYQUEENと書かれたボード。明らかに手作り。すごいね。ジャニーズみたい。気分は高まる。オープニングの[Forevervientiane]から[change]へつなぐ。最初に日本のポップを聞いて欲しかった。そしてあの名曲[what a wonderful world]を壮大なアレンジを施して演奏する。イントロにしのんがラオス語で挨拶をする。もう三回目の今回。通訳がいないと始まらないというわけには行かない。日常会話はできなくてもステージからラオス語で気持ちを伝えることは出来る。東京でラオス人のペンサイさんに時間をかけて教わったラオス語は満員のお客さんからの拍手で報われた。こんな拍手を受けたらそりゃレッスンも楽しいことだろう。曲はスタンダードのものをアレンジしていてなんといってもこの曲の美しいメロディを際立たせたい。それを活かす工夫をいろいろしてみての結果のアレンジで僕もお気に入り。つづいてGYPSYQUEENのテーマ曲とも言うべき[moonlight&sunshine]にはいる。前半に場をあっためてという役割から一気にここまで飛ばしてきた。つづく[メンバー紹介]ではミスターコイマックラオこと僕が会場とのコミュニケーションを深める。赤嶺さんから言われた一つのポイントだ。 そして、前半の山場。[ビエンチャン音頭]の時間となる。今回新企画として立ち上げたこのビエンチャン音頭は何もかも常識を逸している企画だった。もちろん、たくさんの予算と時間があれば出来なくはない。しかし、そんな余裕のない僕らはぎりぎりのタイミングで作業を進めた。昨日から今日にかけて見違えるほどの成長ではあるが本番はどうだろうか?不安はないわけではない。しかし、紹介をして飛び出してきたviviちゃん、そして9人の浴衣ダンサーはまさに「浴衣ダンサーズ」に変身していた。みんな真正面をみている。これなら大丈夫。不安な人は大体前を見ない。前を見れるということはよくも悪くも後悔なくこのステージに上がった人だ。このビエンチャン音頭。思いがけず大成功に終わる。観客と一体になりたいという一つの目標点でもあった。きっとお客さんも喜んだに違いない。ステージの袖を見るともうすべてが終わったかのように盛り上がっているダンサーたち。一緒に何かを作り上げることの尊さと、完成したときの感激。それを味わって欲しかったので僕も満足だ。リハーサルでは大変だった。どうしていいか分からないとき、パラパラという日本のダンスのリズムがつかめていなくていやになったときもあるだろう。手を振ってもどうしても左右が合わない。早いビートに体がついていけない。いろいろな課題があったが彼女達は自分達で考え自分達で意識して本番までに完成形を仕上げてきた。まだまだ足りない部分は今後の課題にすればいい。今回がんばった皆に感謝と絶賛を送りたい。 一瞬の興奮のあとはメンバーの出番だ。Machaの代役を見事にこなしたsatoshiは得意のギタースタイルで会場をあおる。彼にしてみればこういった演出の入ったステージはなかなかないと思う。日本でのステージというのはあまりこういったファニーなステージはない。どちらかというときっちりやるのが通常だ。それでもいやな顔せず面白がってプレイをする彼は見ていてかっこいい。今回一番大変な準備となったがそれをこのみんなの声援で昇華させてもらえればと思った。キーボードJUNはこれも本番前(最終RH終了後)急遽「一休さん(おぼうさんのアニメね)」の歌詞をとりいれたらという赤嶺さんのアイデアでメンバー紹介に取り入れた.これがバカ受け。最後にこんなスパイスを加えてくれる赤嶺さんとそれを難なくこなすメンバーは見ていてわくわくする。Masaoはクラッシックの音楽に乗せてドラムソロを展開する。これもただのソロでは面白くない、と考えてきた彼の努力。会場の手拍子と一緒に盛り上がった。 そして、今回も新調したピンクのシンをきたshinonが登場。会場もざわつく。ラオスの名曲[クラパサン]をポップアレンジして歌うと会場のボルテージもさらにアップ。続いて中盤の要となるオリジナル曲に入る。[未了][paradise in your soul]の2曲はGYPSYQUEENのミディアムバラード。日本の音楽をきちんと伝えることも大切であり、自分達の最新アレンジで紹介。そして折り返しの後半の頭はアコースティックギターとコーラスのみによるコーナーだ。今回ゲストとして参加してくれたyukariさん。声量タップリの歌声はアコースティックになると美しさも増す。やはり実力のある人は違うね。[bor luem vientiane]を歌い始めるとまたもや大きな歓声が。この曲にはエピソードがあって、当初この曲を違う曲と間違えて全然違う曲をカバーしていた僕らだった。出発2週間前、発音チェックをかねてペンサイさんに聞いたら「その曲違いますよ。それはバナナの歌です」と言われた。「が〜ん」。しゃれだと思ったくらいだ。かくして10時間以上かけてアレンジした[Bor luem vienchanならずバナナの歌]はお蔵入り。テンションも下がった。一度は演奏を断念したがshinonが珍しく?すばやく譜面にしてきて、やり直す方向に。再び曲を聴きなおし、アコースティックという形で仕上げることが出来た。やけにならずにやってよかったな、とおもった。そんな事情があったなんて誰も分からないわけですが結果として大受けをしたのでよかったと思う。 続いて[みあげてごらん夜の星を]。日本人なら誰もが知っている曲。今回は日本の有名な曲を歌う必要があった。たくさんの候補曲の中からこの曲が選ばれたのはそのメロディの美しさからかもしれない。メロディを活かすためにこの曲もギターのみの演奏とする。音楽でアレンジは重要でそれで曲は変わり、輝く。でも時には天然素材の美しさだけで通じることもある。それがまさにこの曲なのだろう。そしてゲスト第一弾。アレキサンドラの登場だ。国際的な行事となればまず彼女。対外的なラオスナンバーワンのシンガーとの共演となる。昨日のリハーサルからコミュニケーションは充分取れている。[yaak ja book]はラオスらしい、そして彼女らしい曲。中間分のバイオリンソロはアレキサンドラの魅力をうまく活かしてる。そして日本のヒット曲[endless story]を日本語で歌う。ここで気づいたのだがラオス人の日本語はかわいいということ。というのも日本語をはなしていても言葉の各所に「にゃ」という発音がはいるのだ。これはラオス語の特長だ。たとえば「にゃん」は「何?」を指す。「きんニャン」は「何を食べる」と言う意味なのだ。ノイが良くいう「ノー」も日本語だと「ね〜」だし、なんとなくかわいいよね。 アレキサンドラの歌も時々「ニャー」発音が加わり効いていてなんだかほほえましかった。しのんとのトーク(あたりまえのように言うけれど、英語とラオス語の混じったMCである。これって結構大変なことなんじゃないかなと思う)でもりあげてもらって再びGYPSYQUEENオリジナル曲[far away]。そしてノイの出番だ。ノイとはすでに日本とラオスで3回共演している。お互いに余計なことを言わなくても通じ合える関係になっているのでステージでも安定している。リハーサルでもいつものとおりmasaoにキューだしするノイをみてjunが笑う。ノイは強い女なのである。[dreams of rainbow]のイントロのキンのメロディから一転してバンドバージョンになる。音の強弱で曲を際立たせる。そんなアレンジの曲に仕上げた。きっとラオスの人たちはこんなバージョンは聞いたことがないだろう。ビートの利いたこのバージョンはノイもかなり気に入ってくれた。そんなこともあり次また日本に来るときにはGYPSYQUEENのバックでやりたいと何度も言ってきた。もちろん僕らもOKよ。 [vientiane]は前回の公演のテーマソングであり、今回もコンサート終盤につなぐ曲として貴重な場面で採用。1番をノイが歌い、2番をsinonが歌う。このコラボレートは僕らにとっても自信作だ。この歌をもっと多くのラオス人に知って欲しいとおもう。そしてコンサートもフィナーレを迎える。[kophchai]。この曲は僕自身今回のコンサートにおける最大の勝負曲だ。ラオス語で「ありがとう」という言葉をテーマに出演者が歌い継ぐこの曲でこの歌詞でコンサートは終わる。歌詞の一部をご紹介「この時迎えた瞬間。俺ちょっと泣きそうで皆の笑顔に見とれてI love you。このライブ作ってくれたみんなに言わせて頂戴。愛をこめたこの一言。コプチャイ。コプチャイ」。これが僕の思うこの公演のすべてだ。そして、なんといっても「さすがっ」とおもったのがアレキサンドラ。あれほどリハで苦しんで最後まで仕上がっていなかったのに本番ではばっちり。というかもう自分の曲のように抑揚を持って歌い上げた。さすがだね。ナンバーワンということはこういうことか。まるで彼女の曲を全員で歌ったかのような感じになる。ちょっと嬉しい。 終了後、仕掛けの花吹雪が舞う中、10年以上前の公演で演奏した曲[world anthem]を演奏。Shinonは日本とラオスの国旗を持ち、会場の観客席に下りて感謝の御礼を伝えに行く。この会場にいる皆に感謝だ。ステージに戻り[Hey Jude]を歌うと会場も一斉に手拍子を。Beatlesってほんと偉大だ。その勢いでノイ、アレキサンドラを呼び出して[イエンサバイサオナ]。最初、アレキサンドラはこの手の曲を(ラオス的な曲を)歌うのがいやなんじゃないか?という憶測が出た。でも、そんなことはないと思う。もし、そうだとしてもGYPSYQUEENのポップアレンジバージョンはきっと気に入ってくれるはず。そう信じて一緒に歌ってもらうことにした。世の中バランスや遠慮も大事だけれど音楽は違う。真剣勝負だから、ますは自分が思ったことをストレートにぶつける。それで拒否されたらそれでいい。憶測だけでモノを考えてはいけない世界だ。それに同じ曲でも環境、アレンジでまったく別物になるのが音楽の面白さ。最後のグランドフィナーレで彼女が出ないなんてことがあったら一大事。でも、そんな心配はなく、見事にセンターにノイ、sinon、アレキサンドラと歌姫が並ぶことになった。浴衣ダンサーズもラオスの伝統の踊りを舞いながらステージに出てくる。 総勢18人の出演者で一杯となったステージは終了した。終了後、情報文化省の大臣と日本大使から花束を頂く。会場のお客さんもずっと見ていてくれる。いいコンサートになったかな?あとからいろいろな人にきいてみよう。すべての人に満足してもらえるものを。それを目指して準備を重ねたコンサートだからそんな風に喜んで欲しい。終了後、ポストカードにサインをしたりしてまだまだ盛り上がり状態。いろいろな人にお礼をしたりビエンチャンタイムスのインタビューに答えたりとあっという間に時間は過ぎる。片付けにはいっているスタッフに御礼を言いながら僕も片付けに。ステージそででサポートしてくれた現地スタッフには本当に感謝だ。中も外も充実したコンサートだった。結局23:00になってなんとか会場を出ることが出来、Satoshiとmasaoに楽器をホテルに移動してもらって(コプチャイ)先に打ち上げ会場に行く。今日の打上げは歴代4人の日本人会の会長さんがあつまっての主催。とても緊張だ。今まで八木沢さんにはいろいろお世話になったのだがなかなか接点がなくて日本人会の人たちとの交流が出来ていなかった。でも、僕らとしてはその地でがんばっている日本人会の人たちとの交流はとても重要だと思っていてある意味僕らがこうして公演に来ることと同じ事であると思う。異国で日本を伝えること、日本のためにがんばっている人との交流はきっと話が合うと思った。会場からほんの5分ほどの店にはもう夜中ということでお客も少なかった。「ここにいるのかな?」ちょっと怪訝な表情ではいっていくと2Fに通された。個室があってすでにノイ一家が盛り上がっている。このときに初めてあう工藤さん、鈴木さん、森さん、そして恩人の八木沢さんを加えて歴代の日本人会長ということだった。なにぶん、インターネットやメールで情報を集めることができても生の声は大切だ。工藤さんは「何でも聞いてくれていいですよ」と笑顔でいう。これは心強い!打上げにはどんどん人がやってきて満員状態の大宴会になった。赤嶺さんも遅れてきていよいよ宴会スタート。結果的にはノイの歌やなぜか僕も歌わされたり、メコンオーキッドの諸富さんまでが歌うことになり大変な盛り上がりとなったのでした。セッションが始まると疲れも吹き飛びいつ終わるかもしれない宴は続く。僕は歴代会長にいろいろなラオスの話を聞かせてもらった。今、ここにいないと入手できない情報もある。とても勉強になった夜だった。気づくと2:00。楽しい宴はあっという間だ。ここで日本人会のみなさんとわかれてホテルに帰る。夜中だというのに出店みたいなものが数軒やっている。はたしてお客は来るのだろうか?ホテルに戻り今日は解散。明日も早い。3:30就寝。ここ数ヶ月の集大成の夜だった。 2006/07/17 07:00起床。ちょっと二日酔い。ビアラオが利いたか。それでも今日は朝からスケジュールで一杯だ。8:00いつものように朝食をかねてミーティング。今日は子供達とあったり、メコンオーキッドとの今後の話をしたり、ライブをやったりとかなりハード。スタートもすばやく9:30にホテルを出発して10:00前に指定のニャイズレストランに到着。どんなところかと思ったらグリーンのきれいなガーデンレストランでもし、東京でこんな店あったら、隠れ家レストランランキングNo.1にもなりかねない素敵なレストランであった。僕らのほうが先に会場についたようでそこはひっそりしていた。「いい感じだよね」なんて話しているとバスが到着。同じオレンジ色のTシャツを着た子供達がきた。約30名の子供達はパクセ州の山奥からきている子達だ。ビエンチャンに来ること自体が初めてでもちろん、ロックコンサートなんて見たことない。昨日は日本人のライブを始めてみた。天と地がひっくり返るくらいの出来事に違いない。そんな子供達を招待したのが日本のNGO、AEFAさんだアジアの学校建設の支援をしているということで、今回は子供達に歌を、というテーマでジョイントとなった。日本からは佐藤さん、石原さんがいらしていた。そして、ラオス側の引率JENNY。オーストラリア生まれの陽気な人だ。さっそくぼくらは歌を教えようと試みる。それでも最初は本当に恥ずかしがって声が出てこない。 見つめると視線をそらされるくらいだ。シャイな彼らも僕らが歌を歌い始めるとだんだん元気になってきた。その子供達のひとみは美しい。謙虚な仏教国の子供達。決して自分から前に出ることのない奥ゆかしさは日本人のもつ美徳に似ている。とはいっても子供。だんだん盛り上がってきた。子供達と一緒になんと日本語の歌を歌い始めた。最初は一行づつ。一言一言を追って練習。このころになるともうメンバーはどんどん子供達の輪に入っていって即席音楽教師となっていた。機材もセットもない場所で僕らはアコースティックギターと生の声だけで交流をする。それでも充分なんだろう。豪華な機材は子供達をさらに遠慮させるだけ。青空の下で一緒にただ歌を歌う。そんな簡単なことだけれどそれはとっても貴重であり有意義な時間だった。昨日のライブで子供達に人気のあったビエンチャン音頭もやってみる。みんなばらばらだが、それぞれが楽しそうにビエンチャン音頭に合わせて踊る。楽しいじゃないの。歌はお金がなくても言葉が通じなくてもいつでもだれでも歌うことが出来る。僕らが彼らの言葉が分からないのと、彼らが僕らの言葉を分からないのは対等だ。どっちがいい悪いなんて優劣はない。そして言葉で話せない彼らとも僕は音楽を通じて会話することが出来る。音楽ってすばらしい。そう思うよ。久しぶりに忘れていた何かを思い出すことが出来た。僕らは子供達にお土産を持っていった。それは買ってきたものではなくて「みんなが使っているもの」をもってくるようにメンバーに話していた。飾り物よりも現実的につかえるものを。そう思ったからだ。そしてもう一つ、何かを買って渡すということはしなかった。もちろん、多少のお金をだして、何かを買うこともできる。でも、僕らはバンドマン。そのときだけの支援はかえって迷惑なんじゃないか?と思ったからだ。音楽を伝えて楽しんでもらうことが僕らの本業。だから、この場でも音楽で彼らと交流をした。それで充分でそれ以外は違う人の仕事かもしれない。僕らのミッションをきちんとやることが軸足のぶれない僕らの音楽であると思った。それでも家にあった愛用のボールペンやキティちゃんのタオルなどみんな思い思いのものを子供達にプレゼントする。子供達からは名産の織物をもらったりしてかえって恐縮してしまう一面も。そんな和やかな雰囲気で時が進んでいった。特に感じたことが子供達の礼儀正しさ。ある子供に僕がペンをプレゼントしようとしたら「もうもらったよ」と笑顔で小さなペンをみせてくれた。だまっていたら違うものをもらえたりするのに子供ながら本当に純真だな。と思う。なんでももらっちゃえ。とおもう子供達ではないのだ。そんな子供達の気持ちが何か思いっきり僕の心を揺さぶった。 名残惜しくもパクセの子供達と別れた一行は昼食会の会場に向かう。今日は応援にきてくれたSさんとKeyboardのJUNの帰国日なのだ。一度ホテルに戻った一行は再び市内の中心地にもどり「sabaidee cafe」に向かった。なんとそこにノイも登場。ノイママがバーシーを巻いてくれた。この儀式は本当に気持ちが安らかになる。一緒にランチ、と思ったがすぐさまノイは仕事の為に戻っていった。なんというレスポンスの良さと気配りよ。ある意味尊敬に値するシンガーだ。ラオスのランチはのんびりしていてオーダーして30分も立たないと出てこない。すっかり最後のビアラオを呑み尽くしたJUNはスモーキングタイム。Sさんとも今回の短くもいろいろな出来事のあったツアーを振り返る。音楽をやっているとどうしても目先のことしか見えなくなってしまいがちだ。だけれどこうして一緒にモノを作り上げてきた人たちの意見や感想は重要。それは自分では見えない何かを必ず教えてくれる。今回も教わることがたくさんあった。短い時間だったが名残惜しくお別れ。といっても東京で会えるんだけれどなんだか寂しいよね。その後、メコンオーキッドの諸富さんとスポンサー関連の打合せをした。今後僕らが進む道であろうインドシナツアーについてだ。ラオスを中心としてベトナム、カンボジア。そしてタイと音楽の輪を広げていきたい。 そんな第一歩だった。今日の予定はめまぐるしく、その後すぐにホテルに戻る。ここにはラオスのメジャーレーベルindeemusicのトップアーチストTingとAlunaがきていた。今回のNational Culture Hallでは共演はならなかったが、次回の日本でのコンサートに出演することになっている紛れもないラオポップ界のスターだ。彼女達と会話をしているうちにノイの会話力の高さ、アレキサンドラの社交性を強く感じた。きっとこの彼女達も海外を知ることによっていろいろ成長するに違いない。いまはほんの原石なのだ。今日のパーティで一緒に共演することになっていて、その打合せを兼ねての顔合わせ。いい雰囲気で終え後の合流を約束した。17:40。その後再び諸富さんと合流。メコン沿いで食事をということで車に分乗して向かう。今日のパーティ会場のon the rock barのすぐ側にあるこの川床はもうメコン河にせり出した感じのテラス。ピンクのテーブルがなんとなく欧州っぽい。 すぐに夕闇がせまり、ランプに明かりがつく。なんともいえないノスタルジックな風情だ。対岸が近い。ゆっくりとした流れが音を立てずにたえず進んでいく。このままずっとここにいたらさぞかし心地よいだろうね。そんなこともいってられない。おいしい食事とメコンオーキッドのスタッフたちとの宴も終え会場に向かう。そこは名前の通りロックバーで、以前行ったコプチャイドゥとは趣の異なった店だった。ステージもちゃんとあり、ライブをやるために作られている。機材を搬入してセッティング。ちょっと遅れたせいもあり赤嶺さん一行はすでについている。そして、今回も大使館の方々がコンサートも見ずに会場の外で誘導などの対応をしてくれた。そういった人たちはなかなか会うことができずいつも御礼が出来なかったと思うことが多い。今回はこうして会えてよかった。本当にコンサートを作るには大勢の力が必要なのだ。時間も押しているので早速ライブになった。 僕らは洋楽のカバーを演奏。そして、Aluna、Ting、noiと次々にボーカルが変わる。それぞれ個性のあるシンガーたちの共演となった。今回ゲストコーラスで参加してくれたyukariさんもなんと[RocknRoll]を絶唱。これにはラオス人もビックリ。ぼくもビックリ。Alunaはエモーショナルなボーカルスタイルできっと歌いこんだらいい歌をうたうんだろうなとおもった。Tingは一転してアイドル路線。というか日本人と間違うような今風の女の子だ。この子達が日本でどんなステージを繰り広げるかはお楽しみ。是非、みんなに見にきて欲しいと思う。ライブ終了後、場所を移し格式あるセタパレスのバーに。一転して静かな雰囲気にmasaoは緊張気味だ。赤嶺さんには本当にいろいろお世話になってしまった。日本に戻るのでむしろ近くなったといえる、でも、このビエンチャンで会えないのはとても残念だ、そしてなんと二元さんも今月一杯で離任ということで03年。初めてきたときに思いっきり意気投合した人たちがほとんどいなくなってしまうさびしさが押し寄せてきた。僕らはこれからもここに来るだろう。そして、新しい人たちと出会い、新しい何かを生み出していくに違いない。でも、いつの時にもそんな僕らのきっかけを作ってくれた人を忘れない。僕らにはそういう人がたくさんいる。北京にも重慶にも、そしてここビエンチャンにも、そしてもちろん東京にも。アジアに広がる仲間達の輪をこれからも広げていきたいと思った。そう、これはお別れではない新しい始まりの始まりだ。明日の朝早い赤嶺さんと別れて一行はホテルへ。24:00ホテルへ部屋でVTR。これも恒例となった。数時間前のステージをみていろいろ語る。みんながんばったとおもう。Sinonのラオス語は今回おもいっきり上達した気がする。それが高評価に繋がった。話は盛り上がり脱線してまた盛り上がる。それにしても眠い。耐え切れずに部屋に戻る。02:00長くも充実の一日が終わった。 2006/07/18 7:30起床。昨日は熟睡できた。たっぷり眠ったかも。窓の外は相変わらず静かだ。今日は帰国日。とはいえフライトは夕方で結局成田につくのは明日の早朝になる。ということで今日も一日タップリ時間がある。なかなかこういうことはないGYPSYQUEENなので、今日は一日いろいろ今まで出来なかったことに時間を使いたい。9:00に朝食を食べた後さっそくスポンサー企業との打ち合わせだ。これも僕らの状況や公演を行うにはどれくらいの費用がかかるかということの紹介。もちろん、どうなるか分からないことだがいろいろな企業にメッセージを残さないと何も始まらない。今まではしたことがないこの活動。それだけ真剣にこの国々で何かをやり遂げたいのだ。その後11:00に工藤さんの事務所に伺う。大きな犬がいてビックリ。それもとても人になついていてかわいい犬だ。工藤さんからはラオス史についていろいろ教わることが出来た。まだ、歴史はそんなに深くない国だ。この国はきっともうすぐ注目されるだろう。どう考えてもこんなにすばらしい国がこんなにも知られていないことが驚きだ。その後昼食を食べようということで市内の中華へ。ここがめっちゃおいしい。いつも通りがかっていた道沿いの店だが、ラオス通には評判のお店らしい。僕らも久しぶりの中華を堪能した。食後、別行動をしていた一団とパトゥーサイで合流。ラオスの凱旋門である。この威風堂々とした門構えに感動。 ラオスにきたことが良く分かる写真ということで撮影会となった。その後も工藤さんの車に全員が乗り込んで移動を続ける。タットルアンの金色の輝きは目の奥に焼きつくような金色だ。どれも立派な建物で国民が仏教をいかに大切にしているかを感じ取れる。かなり時間も押したのでホテルに戻る。工藤さんはそこまで見送りにきてくれた。昨日、初めてあったのに本当に申し訳ない。ホテルに戻ったのが14:45。出発が15:00。実は僕自身まったく荷物の整理がされていない。やばいぞ。僕はちょっとあせった。おまけにお土産らしきものは何一つ買っていない。でも、時間がない。過ごしやすい部屋にした分だけ忘れ物のないようにとにかく荷物をスーツケースにつめてロビーへ。はぁ。間にあった。すでに機材はトラックに詰まれている。僕のケースが最後だ。こりゃ「おみやげ。。」なんていえる雰囲気ではないなぁ。そういえば、もう赤嶺さんは先に飛び立ってしまったあと。僕らよりも一足先に日本に帰る。不思議な感じだ。二元さんがライブの記事の乗ったvientiane timesを持ってきてくれた。本当に良く気の利く人だとおもう。感謝。二元さんに皆さんのコンサートの感想などを聞きながら空港に向かってバスは走る。あっけないほどにすぐに空港についた。うーん、なんだかさびしい。駆け抜けた5日間。もうお別れなのだ。空港につくとすぐにチェックイン。空港の職員も僕らのことを覚えていてくれていてとてもフレンドリーだ。なんなくチェックインを終えてさあ、お土産を買いに!とおもったがノイ登場。ノイとノイママが空港まできてくれていて、お別れの挨拶をしにきてくれた。本当に日本人以上にマメで気配りの利く子だと思う。 再会を約束して、さあ!お土産を!と思ったが、またもやそうはさせてくれない。チケットの裏書が違うのでこのチケットではダメだ、と搭乗手続きのあとにも関わらず急にもめはじめた姿を発見したのだ。見てしまったら、加わらなければ。。揉め事の輪に入ってチケットを良く見ると確かにチケットの裏には消したあとが。これは今回の公演が決まったときに一番最初に出したリストと実際にツアー確定後に参加が決定した人の名前が異なっていたためだとすぐに分かった。今回参加してメンバーの名前が薄っすらとあった。それでも申請の変更もしてあり、往路ではまったく問題なかったのに何故今?と思う。まあ、今見つけたからということだろうけれどね。結局「チケットを買いなおして日本で清算しろ、お金は戻ってくるから」といわれたので猛烈に反発。ここでいい負けたらしゃれにならない。一悶着の結果、東京のラオス航空さんに連絡してもらい一件落着。ヒヤヒヤモノだった。他のメンバーは出発ゲートにすでに移動。ここでお土産を買うのは断念。というのもTingも見送りにきてくれていたからだ。昨日ライブ終了後、挨拶もなく帰ったのでちょっと怒っておいたいきさつがある。国とか習慣とか関係なくて人と人が付き合っていくのには礼儀が重要だ。特に自分が主催したものではなく他の人が主催しているものに参加するときには挨拶があって当たりまえ。また、演奏だってメンバーの事前準備があってのこと。そんなメンバーに一言もなく帰るということは礼を欠く。二度と会わない人ならいいが(よくはないが)次のONEASIA CONCERTで日本に来ることになっていることもあり、ちょっと厳しく言っておいたのだった。そこでむくれてしまう人もいるし、それはそれで仕方がないと思った。そんなこともあってかお詫びをかねて来ていた。少し嬉しかった。気持ちが通じたのであればお互いのプラスになったはずだ。いいたい事はきちんと言うことが重要であると常々思う。僕が騒動に巻き込まれている間に他のメンバーとは会話したらしく、最後に僕のところに来た。別にそう怒ることでもなく、「日本で待ってるよ」と友好的なお別れ。別に女性に甘いのではないのでそこのところを誤解のないように。ということであわただしくも出国ゲートに向かった。最後の最後のトラブルで心配をかけた二元さん。いつも笑顔で対応してくれてありがとう。名残惜しくもゲートを抜ける。次に会うのは東京だ。僕のビエンチャン物語もこれで幕を閉じた。背中を引っ張られるような気がした。 登場口にいくともう乗り込みは始まっていた。滑走路にはQV415便が止まっている。ちょっと小走りで向かう。青空にくっきりと際立つ機体のロゴ。この白いボディに書かれたLAO AIRLINEの文字はシンプルで美しいといつも思う。16:30。予定通り機は飛び立った。急旋回してビエンチャン市を眼下に見る。今までと違うことはどこに何があったか、ということが今回理解できたこと。「あそこがホテルで、ほらあのへんが昨日飲んだところだよ」そんな説明を3回目にしてようやくできるようになった。まだまだ僕らはラオス初心者だ。もっともっと知らなければいけないし、知ることがたくさんあるのは嬉しいことだ。再びここに来るのはいつのことか。近いうちにまた戻ってくるだろう。プロペラの音で会話も出来ないくらいの中、時間を惜しんで川口さんから受け取った今回の撮影画像データを見る。なんと15GBくらいある!この写真をたどっていくと今回の僕らの足跡のすべてがわかるような感じだ。そう、ほんの数日前のことでもあるが、それらのすべての行いがこの画像の中に収まっている。公演だけではない写真が欲しかった。ツアーって演奏シーンだけ切り取っても面白くない。旅の始まりから旅の終わりまで。その中での表情の変化や一つの小さな物語がきっとその画像を見る人に伝わるに違いない。だから写真を撮ってというよりも「一緒に旅をして」という気持ちが強かった。それは実はめっちゃ大変なこと。仕事でステージだけ「いい写真撮ってね」というのはある意味楽であろう。プロならそれは日常のことだ。でも、僕らの求めているのはツアーメンバーとしての写真。だから、ツアー中ずっと密着なのである。そんな中、通訳やはたまたガイドまでかってでてくれた川口さんに感謝。その思いは一枚一枚の画像の中にしっかりと焼きついている。ものすごい量をみているうちに機体は下降を始める。もうすぐバンコクだ。バンコクでの移動や乗り継ぎがあるのでその準備を頭でしておかないといけない。モードを切り替える。 17:40。バンコクに着陸。タイムウオッチは回り始めた。このバンコクで乗り継ぎなのだが、ツアーでコンサートを見てくれた人たちとバンコク市内で合流することになった。食事をしてから帰国しましょう。というお誘い.そのために一行は急遽出国をすることになった。すでに18時を回っている。19時までに市内のセンチュリーパークホテルにつかねばならない。とりあえず出国して市内への足を確保する。バーツがないといけないので両替。サイフにはバーツやらキープやら混在していてよく分からなくなる。とりあえず、9人なのでバンを押さえ価格交渉。一人100バーツで手を打ってもらいいざ市内へ。ここでも川口さんが大活躍。なんとタイ語も話せる彼は運転手にどんどん指示を出す。「この辺懐かしいよね〜」などといいながら市内へ。そろそろかなぁと思っていたらいきなりホテルに到着した。どこにいるのか探そうとしたがそんな心配もなく小峰さんが立っていた。「なんて準備がいいんだろう」と思った。扉を開けて「おつかれさまでした〜」と挨拶。でも、雰囲気が違う。「このままレストランまで行きましょう」といきなり乗り込み9人で一杯一杯のバンにさらに3人追加してレストランへ。運転手さんもなんだかよくわからないけれど、ボーペニャンということでレストランまでいってもらうことになった。うん、これでいいのだ。それにしても今回はラオスでジープに8人で乗ったりバンに12人で乗ったり体も密着ツアーとなったなぁ。と思う。「タイスキを食べましょう」ということで本場のタイスキ!と思ったが入ったのはシーフードレストラン。ラオスとは異なる刺激臭がする。そうだ、ここはタイ料理。激からの風が目に染みる。辛いものは得意中の得意のGYPSYQUEENなのでみんな大喜び。そして、最後の晩餐となった。通された席にはすでに渡辺社長がおり、同席させてもらうことになった。コンサートをとても気に入ってくれてmasaoを「ジョージ川口の再来だ」と絶賛。ジョージ川口先生と比べられたらmasaoも幸せものだ。めっちゃ大きなシャコや(ちょっと怖い)エビやトムヤンクンなどタイ料理の数々。きゅうりののったチャーハンが食べられなかったが(そういえばビエンチャンの今日のランチも最後にチャーハンがでてきて、そこにきゅうりが埋まっていたので食べられなかった。なんだかきゅうりづいている日)とにかくたくさんのおいしい料理で超満腹。ツアーの話も尽きない食事会、時間もいい時間となった。20:40空港に向かうためにそれぞれタクシーを止めて移動。高速から見る夜景はとてもきれいだった。日系企業のカンバンが乱立する空港までの道。この国もどんどん発展してゆく。Iさんと今後のプロジェクトについて語る。夢は広がる。昨日子供達に言った。「ほら、手を広げてみよう。もっと大きく。この君の手と手の間に君の夢はあるんだよ。だからもっと大きく広げて」そうして子供達は両手を目一杯広げ、一列に並んでいた子供達はサークルになった。輪と輪がつながった。それは「和」の現れだ。エアコンの良く利いたタクシーの中、僕らGYPSYQUEENの夢も少し広がった。この夢を現実にするのが僕の役割であろう。3台に別れた僕らはおおよそ同じようなタイミングで空港に到着しチェックイン。一安心。そうだ、結局お土産が。。今朝からお土産、お土産とそればかり言っていて結局何も買えてない。お世話になった人たちへのせめてもの感謝の気持ちだからなんとかしなければ。ダッシュで出国して、広大な空港のショッピングでようやく買い物をする。「高いなぁ。味気ないなぁ」もうちょっと余裕があればビエンチャンで素敵なものを買えたのにと思うのちょっと残念。みなさんごめんなさい。搭乗の時間はすぐに来て、ようやく入ったカフェにも10分程度。それでも久しぶりにおいしいコーヒーを飲んだ気分だ。22:40。ANA954に乗り込む。ほぼ満席の状態だが、幸い近くにみんな座れた。まだ、テンションが高く疲れを感じていない。旅の終わりの寂しさがなぜかテンションを高める。離陸。ツアーは終わった。 飛び立って乾杯をした後、意識を失って気づけば3:07。灯りがつく。日本時間に時計を直すともう5:07だ。シートの前面の液晶が奄美大島上空を指す。もう日本の空だ。東の空がピンクに染まる。朝焼けってもっと赤いものだと思っていた。885kmのスピードで37,000フィート上空を飛ぶぼくら。日本で一番最初の今日の日の出を見たって感じかな? なんだか、ラオスでの出来事が数日前のような気がしてきた。ほんの数十時間前のことなのに。いろいろなことを今回も感じることが出来た。そう、今回は今まで以上に良くこの国を見ることが出来た。この国のよさはその礼儀正しさに始まる。礼を重んじる文化は日本に共通する。誰もが知らない町、一度訪れると誰もが離れたくなくなる町。それがビエンチャンだ。「一度知ったら忘れられないよ」ととこの国に住む日本人は言う。それが何かと言葉で言えといわれてもおぼろげなものだ。「AKIは何故ラオスがすきなの?」「。。。」その答えを言葉にするにはもう少し時間がかかりそうだ。それがこの国の魅力なのだから。第二章第四幕は新しい風を僕らの中に吹かせた。復活の息吹であることに間違いはない。 06:45。定刻どおり成田着。かなりゆれたせいか寝不足である。機外に出るとすっと寒気が体にまとった。外は雨、夏といっても日本とラオスでは比べ物にならない。眠い目をこすりメンバー全員無事出国。解散式は妙にすがすがしかった。今回、全員で戦ったツアー。そんな気がする。全員が全員の持ち場をきちんとこなして、僕らは前に進んだ。ラグビーのスクラムのように全員の力の結晶だ。強靭な精神力で乗り切ってくれたメンバーやスタッフに感謝。もちろん、ツアーメンバーだけではない。この公演を行うに当たって本当に多くの人の協力があった。時には困難な局面に、時にはかなりやばく。それでも乗り切ったのは「待ってくれている」お客さんたちがいたからであろう。ビエンチャンで出会った笑顔は忘れられない。それが僕の、いや僕らのDNAに確実に組み込まれて、再びこの地へ向かおうとする。それは定めなのだろうか?一度知ったらやめられない何か、それは魅力とかそういうことではなくて僕らの生きている証だ。 KOBJAI lailai GYPSY QUEEN ROAD TO ASIA 2006 Bor Luem Vientiane 2006/07/14-19 Photo by M.Kawaguchi/Vivi |