Thailand Tour 1 タイ。ASEAN最大の商業国。アジアのハブ空港。GYPSY QUEENもこの国にはかなり行っている。といってもバンコク乗換えでいろいろな国に行ったという感じまあ、あえていうならば乗り継ぎの合間に市内でタイ料理も食べたことがある。その程度であった。この町で音楽をしたことはない。ASEANの中心にある国なのになぜか僕らにはあまり縁がなかった。そして、とうとう今になってこの国との縁が始まった。2007年。日本とタイの修好120周年を記念して年間の事業が始まった。120年!ものすごい歴史である。インドシナ半島の中心に位置するこの国は日本から4600km、およそ6時間半の距離だ。今まで公演を行っていないせいか、今年に入るまではあまりよく知らなかったし、少なくても6月にジアップカノックポーンが来日して競演するまではモーラムだって知らなかったのだ。今おもうと「タイはモーラムなんだよね。ルクトゥーンという音楽もあるみたいだね」なんて語ってたのが恥ずかしいくらいだ。ジアップとの経験はバンドにとってとても大きく初めてのタイビートを思いっきり叩き込まれた。そして、それをどうすればGYPSYQUEEN流にできるかと試行錯誤した時期でもあった。言葉もたくさん教わった。今では忘れてしまったことも多いが、一緒に行動していると不思議にお互いの文化は近づいてくる。彼女は日本の文化を、そして僕らはタイ東北部の文化を知った。そのときのマネージャー、ウッディとbangkokで会うことになったのも縁から始まったすばらしいことかもしれない。Shinonが電話をすると「みんなに会いたい、迎えに行くよ!」と大歓迎振りを見せてくれた。しかし、その後音信不通。まあ、そこはマイペンライなんだろうけれど、もう僕らもそういうことについていちいち気にしなくなっていた。マイペンライ。いい言葉である。 そして、今ではそこそこの知識がついた。音楽、文化や風習、そう、このころにロイカトンやソンクランという行事も知ったのだ。そうおもうと音楽をきっかけにこんなに知ることができるとはすごいもんだなとおもう。日常の中にあるタイ料理を知っていればなんとなくタイを知った気になっていた(というよりも知らないという認識がなかった)のだが、何にしろこの一年のおかげでたくさんのタイと知り合えたのだ。とはいっても国王はプンミン国王で12月5日が誕生日だということ。1938年まではシャムという名前であったこと。(これは歴史好きな僕にとってかなり惹かれた点でもある)人口は6000万人ちょっとで国土は日本の1.4倍。恥ずかしながらこの辺のこともようやく知り得たこと。まずいぞ自分。もっと世の中に目を広げなければ。今のところはそんな程度。タイのスペシャリストからすると初心者の入り口であろう。アジアで音楽をする以上、タイはとても重要な国だ。ラオスをきっかけにインドシナを見始めた僕らは次に経済成長著しいベトナムに向かった。そして今年2007年「日タイ修好120周年」を記念してGYPSY QUEEN IN CHIANG MAI TOURを実施することになる。この半年でいろいろな知り合いができて、メンバーの興味もタイに向き始めている。そしてこの公演の機会を迎えた。楽しみだ。そしてまだ二次元のタイしか知らない僕ら。このツアーを終えるときにどうなっているか楽しみだ。うまくいくのだろうか楽しい思いができるのか?好きになる?嫌いになる。希望を持つ?失望する?すべては偶然じゃない。この7日間で僕らがどれだけ動いたかでその答えは変わっていくだろう。早朝5時。まだ街は眠っている。昨晩の酒が残っている中準備をしてはぼっーとしてあっという間に6時になった。この時間に起きることのない僕はまだ外が暗いことを知りなんだか不思議な発見をしたような気分。冬の朝って遅いんだね。そうもいってられない、あわてて荷物を用意して家を出る。予定より10分遅れてmasaoが到着する。「いやいやいや、またもや早朝出発ですな」masaoは朝から元気が良い。まあ、快調な出足だ。冬の空気が身を引き締める。高速に向かう途中外堀どおりにでると乗客のまばらなJRとランデブー。今日は金曜日。あと1時間もすればいつもの朝が来る。朝焼けを右の車窓にみて比較的スムーズな高速を飛ばして約1時間。7:10。酒々井に到着。ここでパーキング会社に電話をして空港に車を取りに来てもらう。いつもどおりの行動にmasaoもてきぱきと。うむ、慣れてきている。そして7:40。空港に到着だ。タイ航空は成田の第一ターミナルになる。第二と比べてこじんまりとしているので移動が楽でよい。チェックインカウンターもなんとなく静かでスムーズに進む。まあ、朝早いしね、ここが込んでいたりすると結構最初からあせるもんだ。最初の関門がこのチェックイン。バンドの機材というのはとにかく重い。ハードケースだけで十分に重いのであっという間に規定重量をオーバーしてしまう。初回の中国公演の時には100kgのオーバーでサーチャージを大量に取られたものだ。そんな経験を活かして徹底的に軽量化。そして今回も7人で134kg。楽器をもってこの軽量化。さすがアジアを旅するエコノミーバンドGYPSYQUEEN。無駄なものは何一つ持たない。それもチカラだ。トラブルもなくゲートに進み8:20に到着。出発まであと1時間以上もある。いつもなんやかんやとばたつくのだが今回はまったくもって時間通り動いている。全員でミーティングをして今日の流れを追う。今日は一日移動。そしてチェンマイについてもいろいろな急変があるだろう。なのでベーシックのパターンをみんなの意識に叩き込む。ベーシックが頭に入っていれば臨機応変な対応も可能だ。そうこうしているうちに登場時間へ。33番ゲートからTG643便に乗り込む。今回はタイ航空さんに格別な支援を頂きこのツアーが実現できた。搭乗のときに心の中で一礼を。必ず良い結果を導き出さねばならないと誓う。機内は比較的にすいていて余裕の座席。座ったシートもRECAROの新しいシートで心地よい。インテリアデザインとかもきれいで気持ちいい。9:55テイクオフ。いよいよツアーの始まりだ。成田を飛び立つとやたらゴルフ場が目に付く。なんだか、あまり美しくないな。自分がプレイしているときは楽しいんだけれどね。山肌がザクザク切り取られている眺めは痛々しい。Gucchiさんに肩をたたかれるとドリンクサービス。あ、寝てしまっていたのか。ということでおきぬけのビアシンで乾杯。もうここは海外ということで国内限定のビール断ちからも解放。おきぬけのというか朝からのビールはなんだか目にしみる。しばらくすると懐かしい地形が。そう、渥美半島上空を飛んでいる。この真下は田原市。今年の2月にラオスの歌手アルーナを招聘してコンサートを行ったところだ。みんな元気かなぁ。そういえば前々回のツアーの時に眼下に八丈島をみたらその直後に八丈島に行くことになった。来年も田原市にいけたらいいなとおもう。 Thailand Tour 2 今回のツアー。短期間ながらかなりタイトなものになる。今日Chiang Maiに入り2ないし3公演。それがそもそもきまっていない。そこにはメインの公演である日タイ修好120周年記念コンサートも含まれる。そしてChiang Raiへ移動。ここはローカルなツアーだがここでも1ステージあるのだろうか、行ってみての調整事項になっている。そして翌日はBangkokに戻ってその足でTokyoJoesでコンサート、最後の最後に決まったこのコンサートだがここでも120周年の記念としてコンサートを行うことになっている。そして、翌日の深夜発で成田に戻る。これはハードだ。ちょっとハードすぎ?ま、実際はそんなことないけれどね。飲んで寝過ごして過ごす午前中も半日。早朝にバスに乗り他の町にたどり着くのも半日。駆け抜けていくタイは僕らにどんな景色を見せてくれるのだろうか?まさにAmazing Thailand。こんなあわただしい日本人バンドはまずないと思うが少しでもタイの人々に日本を知ってもらいたいと思う一心である。一眠りして2:45。時計をタイ時間になおす。まだ12:45か先は長い。このレポートを書いたり、タイの書物を読んだりして14:25。ようやく茶色と緑の台地が見えてきた。インドシナにまたやってきた。空の青さが気持ちいい。カンボジアとタイのはざまのコラート大地が真っ黒な山肌を見せてくる。どんどん人々の生活感が感じられてくる。豆粒のようなものが建物で、こまごまと動くものが車で、そして地図を拡大したような台地が真下に広がる。15:05にスワンナプーム国際空港に到着、とアナウンスが入る。今年オープンしたこの新空港。今までのだだっぴろいドンムアン空港よりもさらに大きい空港なんだろうな。アジアの新しいハブ空港を見るのも楽しみだったりする。気体は一度シャム湾にでて180度旋回して空港へ。海がこんなに近いとは知らなかった。そして着陸態勢に。15:02。スワンナプーム国際空港に到着。ものすごく大きな空港だ。外に出るとエアコンが効いているとはいえむっとした空気に包まれる。さっきまで冬だった日本からまだ、夏のこの国に来る。というよりも夏ばかりの国だね。大きな空港はそれだけ広いっていうことでとにかくいつまでも歩かされる。今回はここで乗り継ぎなので国内線の乗換え口に向かう。遠い上に搭乗ゲートが一番遠かったりして15:50ゲートにたどり着いた。まだ、出来立てなせいかなんだか殺風景だが免税店とかはもうばっちりできていてすごいなと関心。結局アジア各地に行くためのハブとして使われるわけでここでお茶を飲んだり食事をしたり買い物をしたいということで多額の外貨が支払われるはずだ。タイ経済においても重要な意味のある空港なんだなと思う。そんなときにウッディから電話が来る。なんでも空港に来ていて花束を持っているのできてほしいとのこと。空港に来るならなんで事前にいってくれないの、とおもうが彼なりにサプライズのつもりだったかも、いや、そんなことは考えているはずはない、僕らが来る、歓迎するよ、そして歓迎に来た。いたってシンプルなのかも。いちいち連絡とかしない人なのだ。そうして、shinonが遠い遠い入り口までいって帰って30分。いい暇つぶしにもなったかも知れずさらにこれから飛行機に乗るのにめっちゃでかい花束を持って戻ってきた。うむ、微妙である。さらに僕らの搭乗するTG166便がエンジントラブルで遅延。まあ、飛ぶ前にトラブルがわかるということはいいことだと以前いわれたことがある。その通り、今日はChiang Maiに入るだけだからゆっくりまとう。とはいえ思いっきり遅れて17:50ようやく搭乗。もう夕暮れ、何はともあれChiang Maiに向かう。約570km。1時間ちょっとのフライトだ。飛び立つとすぐに日の暮れは迫ってきた。ミャンマー方向に広がる夕日。空の青と赤く染まる夕日、そして漆黒に染まる雲海。美しい。写真ではきっと表現できない美しさなんだろうと思う。簡単な機内食がでてすぐに高度を下げる。18:51。Chiang Mai国際空港に到着。Bangkokよりも格段に少し安そうな空気。風はアジア独特のしっとり風。それでも今までの中ではしっとり感が少ない感じだ。19:40。空港を出て沖山さんと合流。そして今回ずっと一緒にいてくれる運転手のミーさんと出会う。空港から市内に向かう道はとても情緒的。なんだろう?ラオスのイメージかな?少なくてもベトナムとは異なる。暑くないビエンチャン。そんな感じだろうか?およそ20分で市内へ。城壁の町にたどり着く。中心部から南東に位置するチェンマイプラザホテルが今回の宿舎。入り口を入ると民族音楽のステージみたいなブースもあって面白そうだ。早速チェックインを済ませて再集合。ここで今回の実行委員長、谷口さんと合流する。谷口さんとは出発数日前に日本で初対面。今回のプロデューサである信田先生が急病のために急遽渡航を取りやめたのだが、その信田先生からのご紹介ということで今回のもろもろのお世話をしていただくことになった方だ。メンバーの大半は初対面なのでここでごあいさつ。まずは打ち合わせを、ということで「どこにいこう」となる。土地感もなくお任せでどうせなら翌日ライブをやる会場で、ということでビアヤーマンに向かった。 【ビアヤーマンのメインステージ】 ホテルを出て北東に向かい橋を越えて途中ビアバーが連なる通りを走り(その中にブラッセリーがあった)その先を右にまがりしばらくするとスーパーハイウエイにでる。ここがまた広い通りであった。そこを越えて大きなショッピングモールがある辺りを左折。そこに店はあった。名前は忘れたが近くに大学があるところ。ということで市内からはちょっと遠い場所で歩いていけるところではなかった。谷口さんが「足がないと身動きできませんから」と最初におっしゃっていたことを実感。ちょっとトゥクトゥクを、という場所ではなかった。ビアヤーマンはとても大きなビール工場もかねている店でビールの貯蔵タンク、大きなステージ、吹き抜けのホールといった店。ここでこれから三日間の打ち合わせを行う。ここに来てわかったことや初めて聞くことなど盛りだくさんであった。何よりもみな、超空腹であったので初ChiangMai料理に興味津々。味も最高、ビールも最高、場も盛り上がる。ここでたくさんの情報を得た。まず、日本語の曲で有名な曲は?「北酒場」「昴」だそうだ。ここにくるまでにいろいろ情報を検索したがその情報はなかった。やはり来て見ないとわからないことはあるな、と実感。それにしてもちょっと僕らのバンドとはほど遠い曲でちょっとがっかり、もう少しポップスならなぁとおもう。そこにshinonが連絡を取っていたオーナー登場。流暢な英語で話しかけられる。翌日のステージのためにリハーサルの打ち合わせなどをした後、ステージから呼びかけられる。なんだか呼ばれそうな気配はあったがやたらあおられるのでこれは誰か行かねば、と思う。ここで断ったら男が廃るということで男masaoを投入。いつもの派手なパフォーマンスといきなりその場あわせ、なおかつ勝手にバンドをリードするという絶技でステージを盛りあげる。本当に最高に頼もしいやつだなと思う。特にこういうときに思いっきり力を発揮するのが彼だ。そして23:40。打ち合わせも大方済んでホテルへ。明日からの行程に付いてホテルで再度ミーティングを行い01:30解散。ホテルの部屋でようやく旅の荷物を解く。一日長かった。明日からすべてが始まる。スタートは快調だ始めてのChiangMai公演の成功に向けて今日は早めに就寝。 Thailand Tour 3 2007/12/8。27年前、ジョンレノンが撃たれた日。06:00起床、ひたすら眠い。今日からいよいよ活動が始まる。何かとあわただしくなる前にChiang Maiを知っておこうと午前中にプライベートな予定は押し込んだ。11Fの眺めの良い部屋からの市内の展望。所々に寺院があり、朝もやに煙っている。なかなか幻想的な眺めである。07:30。朝食の為にロビーへ。レストランはオープンエアのガーデン。ちょっとだけ肌寒いが目を覚ますには一番。何よりも風がとても心地いいのだ。朝食時のミーティングで一日は始まる。その日の最後に翌日の確認をして、当日の朝一番でおさらいをする。面倒なことだがこれでたいがいのミスはなくなるもので、特に疲れがたまってきたときに多いうっかりミスを防ぐことにもなる。自分のことは自分で、そしてメンバーにも気を回せる余裕を。それは朝のミーティングから始まる。08:30ロビー集合、このChiang Maiにいる間のパートナーはドライバーのミーさんだ。タイ語しか分からないミーさんとの珍道中かな?まずはこの町を見ておこうということでワットプラシンに向かう、渋滞をしていてもクラクションを鳴らすことのない市民性。のんびりした感じがいいね。到着して早速拝観。大きな仏像になんだか「本場」を感じさせられる。奥に進むとなにやら竹の筒に水を入れて手作りのケーブルで仏像の頭のほうまで筒を運ぶ簡易ケーブルみたいなものがあった。みな、ここで竹筒に水をいれて仏像にかけている。信仰心ということばを感じさせられる。次にワットチェディルアンに。ここは巨大な建造物でその大きさはChiangMai一ではないかとおもう。これらの建造物には必ず象がついていて面白い。建物から象が体を出していたり、頭だけが付いていたり。だんだん日差しが強くなってくる中、僕らはちょっと急ぎ気味で史跡を回る。最後に訪れたのがワットチェンマン。なんだかとてもカラフルなお寺に拍子抜け。おまけにところどころに犬が無防備で寝ている。平和だ。ほのぼのだ。日本だとお寺はみな厳粛なもの、モノトーンの世界と思いがちだがここはそうとは限らない。入り口がスパンコールで飾られていて、なんだかゴージャス。そうだ楽しい天国への入り口のよう。土地や人が変わるとものの捕らえ方も様々である。僕はちょっとこのファンキーなお寺で今回の公演の成功を祈った。そして、みんなが健康に旅を終えられるようにと。その後今日のライブ会場へ。ミーさんからタイ語を例のごとく教わる。サワディカップもここではサワディジャーオ。方言だ。みんな気に入って連発。ミーさんは声がとても高くて声優みたいな声。でも、見た感じはかなり怖い。そのアンバランスに食いついたviviちゃんはタイのニューコンビを組む。毎度ドライバーさんと即仲良くなる力は凄いと思う.11:00ビアヤーマンへ到着。オーナーが出迎えてくれた。 【三人の王様像前で】 ステージにはハコバンのメンバーがきていてすでに準備をはじめていた。一緒にセッションをしたいというので今夜のセットリスト考える。日本で考えてきたものを180度覆すということは良くある。最後の最後でそのシチュエーションにあったものを。それが僕らのスタンスだ。リハをみているとmachaがいう「昨日と全然演奏違いますよ、気合は言っている感じでいいですね」僕らの出現が多少なりともみんなにスパイスを与えたのだとしたらそれはすばらしい。かかわることでプラスに変異する細胞のように僕らは音楽を媒介に成長していくのだ。結局何をやろうというまもなく僕らの曲に民族色豊かなパーカッションが加わることになった。日本では見たことのない楽器もある。音も独特な感じがする。強烈な打撃音のものはないのだがみな、ヒーリング系の音がするものばかりだった。うむ、いいなぁ。できることならばここでレコーディングしたいくらい。そんな気分である。初めてのかおあわせなのに昨日のmasaoインパクトのおかげで打ち解けることが出来た。まるで一緒にツアーを回っている仲間のようで楽しい。そのうちにセットリストも確定した。GYPSYQUEENの最初の曲はAlfred&Juliaに決めた。ジョンレノンの命日に彼の両親の名前のついた曲を演奏する。Masaoの提案だった。リハーサルを終え会場を出る。「またね」。和気藹々とはこんなことか?さあ、おなかがすいた。ランチはこの町の名物の「カオソイ」だ。13:00カオソイのうまい店といわれるランブーンにいく。なんだか店構えはメッチャ汚い。というか雑然としている。ハエを追い払うために扇風機をフルにかける。それでも、一杯30Bのカオソイは絶品でお変わりするほど。ここではおいしいという言葉を「ラムテテ」というらしい。「アロイ」ではないんだよね。方言の面白さですぐにその言い方になれてしまった。 春巻きもカオソイもガイヤーンもうまい!かなり充電できたと思う。そして、14:00。ホテルにもどり休憩。僕らはマッサージに向かう。一人200Bで1時間は安いじゃないですか。タイ式のマッサージはかなりアクロバットというか全身かちかちの僕にとってはかなり痛かった。そして、ナイトバーザルに向かう。まだまだ出展前ということであまりにぎやか感はなかった。そしてホテルに戻って出発の準備に入る。 Thailand tour 4 時間ってあっというまに過ぎていく。部屋に戻り準備をするとすぐに集合時間だった。ちょっとでも眠りたい。でも、そうもいかない。16:00。とりあえずステージで使う小道具を買いに。まずは国旗だ。タイの国旗はなんとなく2種類。王様関係の黄色いものと通常の国旗の2種ある。これを近くの店でGETして王冠を探しに行く。タイの民族衣装によくある王冠で今回のコンサートの最後の第九の最後にshinonにそれを付けて出てきてもらうというもの。しかし、なかなかみつからない。ロイカトンの飾りは各所にあるのだが。。仕方なく諦めて衣装を探しに行く。これもやはりタイならタイっぽいものを、ということでこちらにきてから探そうということになっていた。ミーさんがいろいろ街中を走ってくれた。いわゆるお土産屋にはまったく興味がないのでかえってミーさんには手間。申し訳ないね。それでもステージに妥協はしたくないので何軒も探しに行くが結局みつからなかった。ちょっと郊外にでたシルクショップのカフェでshinonが衣装を探している間男性陣はのんびりとお茶をする。夕暮れは涼しく、美しい。バタバタと過ごしてきた日々の中、一時の息をつくことが出来た。結局みつからないということで今日のところは諦める。明日があるさ。18:00に夕食を取りに出発。今日はなんと99バーツの焼肉があるというのでそこに行こうということになる。ムーガタというらしいがどんなんだろう。途中象が普通に道に。なんだ。これは。ペット?そんなわけはないと思うが。。よく見ると尻尾に蛍光板をつけている。なんでだろうとおもったけれどすぐに答えを見つけた。「あのライト。自転車と一緒の追突防止ランプね」。象も立派な交通手段なのかとおもうと凄いよね。そうしているうちにムーガタ会場に到着。大きな店内の中心に人が群がっている。あそこに食材があるんだなと思ってなるべくその中心部に向かう。そうするとものすごい状況であった。いろいろな種類の肉や野菜などが大きなパレットに入っていて、それをみんな我先にと取っていく。取りすぎた人が手で肉を戻したりという感じ。いいんかい!とおもいつつ。マイペンライなんだろう。見た目すごいけれど結構おいしくてライブ前にもかかわらずかなり食べまくる。「ビールはやめておこう」というのが大人の記しか。そんな中、ミーさんが次々にいろいろなものを運んでくる。気配りがある男性が多いと本当に思うね。時間はどんどん過ぎてヤーマンに行く時間となった。あわただしく撤収。そして21:00。ヤーマンに向かう。30分ほどで到着するとオーナーが入り口で待っていた。今日はビールの原酒(?)を飲ませてくれるという。とりあえず軽めのビールを一杯頂いていると出番が近づいてきて、ステージからあおりが。昼間のリハで仲良くなったメンバーたちはステージ上から僕らにがんがん視線を送って来る。22:00。出番の時間だ。ここに来ることになって、この場所を探し交渉して今日に至った。オーナーは快く尽くしてくれる。バンドはよそものの僕らを120%の笑顔で迎えてくれる。なるべく人に頼らないようにして、そしていきついたこの小さなコンサートはきっと僕らのアジアでの活動の方法をまた一つ変えてくれるだろう。現地ブッキングを自分たちでする。言葉では簡単だがそんなことをする音楽家は少ない。まして、ギャラをキチンと出してもらうとなるとハードルは高い。でもそれを超えることができたのはスタッフ、メンバーの力だ。「誰もができることをやる」ことは僕らにとってあまり意味のないことだから、この新しい仕組みつくりを大切にしたい。そんな思いを抱いてステージに上がる。 【チェンマイ最初のライブはビアヤーマン】 最初はAlfred&Julia。場所の雰囲気なども考えてやろうとなったのだが正直最初は分からない。分からないことを考えても仕方ないのでまずは素の僕らでいくことにした。僕らはROCKBAND。出せる音もROCKが一番だ。そんなステージは始まった。明日のメインステージのためのテストをかねたこの日のステージは予定を全てこなすことが出来た。サオチェンマイが予想以上に受けること、大音量には慣れていないこと。英語のMCへの反応が少ないこと。総じて日本では分からないことばかりだったので、明日のステージを行う上でのデータになった。僕らの演奏が終わるとハコバンがお礼にと「北酒場」と「スバル」を演奏してくれた。一緒に歌えと言われてちょっと躊躇するshinon。それでもmasaoは全開でツインドラムを展開する。さらにセッションタイムになり、結局は70分くらいのステージになってしまった。ギターバトルはmachaと相手のバンドのギタリストの延々たる掛け合い。通常、完全にアウェの状態でやるセッションは不利だ。アンプや音の出方など、余計な気を使うところが多くなった分だけ、リラックスしたプレイは出来ない。そんなことはまったく感じさせないmachaはさすがだと思う。まあ、彼にとってはあたりまえのことなんだろう。それはmasaoに至ってもそうである。どんなところでもmasaoはmasaoのドラムをたたく。愚直なまでにまっすぐなドラムは評価されないわけがない。という僕はというとこのセッション曲をまったく知らず、タンバリン奏者になりきっていた。ワイヤレスもしまったあとなのでまさか、とおもったがここはタイ。そんなに生易しくなく、演奏中にベースがシールドを抜いて僕に渡してきた。すっかり気を抜いていたので対して弾くこともできなかった。今度セッションをやるときにはもうちょっと気を入れてやろうと反省。そして、僕らの出番は終了してステージを降りる。待ち受けるオーナーと3リットル入りのビアタワー。これ全部飲まないとです。そして、谷口さんが声をかけてくれたのか、現地に駐在する日本人の方々がきてくれた。こうして現地で頑張っている人たちと会うのは同じ日本人として嬉しい。何よりも全部日本語というのが気楽である。場は盛り上がり、日本人、ドイツ人、国連の人、もちろんタイ人とみんなで盛り上がった。明日の本番を控えて飲めないshinonがかわいそうなくらいにおいしいビールであった。時間はどんどんたっていくもので、明日の夜のステージの約束をしたブラッセリーのトックさんのところへ行かねばならない時間になった。業務時間をとうに超えているのにミーさんは待っていてくれる。ありがたい。とりあえずバンドを2つのグループに分け、まずは機材運搬、残りの人はブラッセリーで落としてもらうことに。谷口さんの車とその荷台に分かれて移動。荷台のmachaは寒くて死にそうな雰囲気。タイでも寒いところは寒いんだな。 Thailand tour 5 24:00。川沿いのミュージックバーが建ち並ぶエリアにブラセリーはあった。ここで谷口さんと別れて店内へ。イメージとして川沿いの店というので野外のレストランというイメージがあったが入り口もちゃんとあり、さらに防音もしているなんとなく洋風なお店であった。中に入るとちょうどトックさんが演奏中ということで僕らは奥へ。奥へ進むとお約束の川沿いのテラスが広がっていた。ここもなんともオシャレな雰囲気で河から吹いてくる風を受けてビアラオならぬビアシンを飲めばまた気持ちいいだろう。今日は寒くてとてもそんな気にはなれないが。そうしているうちに機材片付け組みも合流。こういったタイトな移動には別働隊で効率よく動かないといけない。仲良しサークルのようにみんな一緒になんていうことをしていたら多くのチャンスを失ってしまう。かといって、「悪いから」と頼むことを頼めないメンバーでは疲れてしまう。やるべきことをやってそして一言「おつかれ!」。それでいい仲間。そうして再びメンバー全員が集まった。真っ暗な夜空に星がまたたく。オリオン座が見えた。ひときわ赤く輝くもの。それはロイカトンの灯篭だ。蝋燭の熱気で夜空に浮かび上がったその絵はなんともいいようのない美しさだ。「あれさ、落ちたら火事とかなんないのかなぁ」まあ、地元の人が平気なんだからきっと大丈夫なんだろう。しばらくリバーサイドの情緒を楽しんだ後、ホテルに戻ろうということになる。結局トックさんと話をすることはなかったがまあ、お互いの顔をみたからこれでよいだろう。マイペンライだ。それよりもこの寒さでずっと待っていたら体がいかれちゃう。タイで寒い思いをするなんて思ってもいなかったので、体感温度以上に寒く感じたこの夜。25:00ホテルへ。今日のステージの反省会をして部屋に戻ると26:00。明日は若干ゆっくりだが本番の日。体調を整えるために早めに就寝。 2007/12/9。07:00起床、ゆっくり寝れた。起きたら太陽が出ているのは嬉しい。準備をのんびりとして08:30朝食へ。いきなり暑いぞ。しかし、みんなは開口一番「気持ちいい」を連発。ここは暑いのが標準だからね。ガーデンの緑が美しい。こんな朝は何度迎えてもいいもんだ。09:30。今日の進行についてミーティングを行う。恒例の部屋リハだ。今回はやることが多くてみんなぎりぎりの状況での渡航だった。そんなこともあり当初やるときめたことが出来ていなかったり、やりきれないことが多かった。結果もめることになる。ただ、音楽の世界はシビアだ。僕らの事情なんてほんのちょっとも考慮されずに結果だけを見られる。それがビジネスの世界だ。 【重要なミーティングは納得いくまで続く】 その世界に足を突っ込んでいくとしたらやることはやらねばいけない。きめたことは守らなければいけないものだ。みんなが頑張っている中きついことはたくさんある。周りを見ればみんな本当に良く頑張っている。自分もそれに応えたいと思う。自分もみんなと同じようにがんばらないとと思う。コンサートを成功させるために。それは応援してくれた人、バンドの為に時間を費やしてくれた人に対する気持ちの表れでもある。大変なのは音楽をはじめたときに、アジアに向かったときに納得の上である。若干の不足はあったものの、おおよその形は確認できた。こちらに入ってきてから感じたことや演出の中身については最終的にFIXに至らなかったが、総じて細かく打ち合わせを終ることができた。そして11:00。再び町へ。ステージ最後の時に使う演出の王冠を買いに行く。小道具を仕入れたあと「ラーンナハーン」という店でランチ。ここがまたいい感じで川沿いのトラディショナルレストランらしく、静かな時間が過ぎていく。ちょっとゆっくり目のランチを終えて会場を視察。 【昼間はめっちゃ暑い】 ここは三人の王様像前広場といってChiang Maiの中心地だ。休日の夜は歩行者天国になり周りには露店が広がる。ステージのイメージもおおよそ分かったので良かったと思う。ホテルに戻って休む間もなく再集合。もう、今夜は最後まで帰らないので衣装など一式を持って移動。14:00。予定通りに会場着。それにしても暑い。からからしているので厄介ではないが肌をピリピリさせる日差し。アンプは思いっきり熱くなっている。シンガポールの再来?いやシンガポールのほうが蒸し暑かった。また、控え室がないため昨日会ったヤスさんが簡易着替え所を作ってくれた。自分達がステージに専念してしまう以上バックヤードのことを助けてもらうことは本当に助かる。感謝だ。谷口さんが市側に相談してくれて隣接する駐車場スペースを抑えてもらった。このバンが控え室になる。結構大きな車なので居住性はよかったりするんだよね。肝心のステージのリハの方はというと、どうもモニターが定まらない。僕らの楽曲のリハーサルは良いがタイ語の曲については会場とのやり取りも発生するし、なんとかテストしたかった。それでも、状況をみて「これは待っていたらやばい」と思う点にきた時点で断念。結局サウンドチェックのみという感じだった。途中ステージ上のパネル(地面)が落ちたりとハプニングがあったが無事終了。スタッフともいろいろ話をして音の処理は任せることに。タイでも音楽フェスは多くやっているのでそういう意味ではキチンとしている。日本風に全てを完璧に、ってなること自体がアジアでは難しいだろう。マイペンライ。本当にマイペンライである。16:30にホテルに向かう。演出の動きを確認できなかったのが気にかかるが、それ以外はおおよそ見えた。だんだん町に人が出てきた。暑い時には外に出ない。タイ人も暑いのね。ホコ天になるエリアはすでに露店が出始めている。家々に明かりがともり始めるとこの町にも彩りがよみがえる。ホテルで一休みをしてすぐに出発。18時に会場に入る。すでに暗くなった会場周辺。町の中心部だけあっていろいろな催しが行われている。ぼくらは車でステージ衣装に着替えて準備完了。ここまでどんな努力をしようと、どんなに準備不足でも、いかなる体調であってもこれから始まる100分のステージを終えたあとに僕らの評価は決まる。それ以外の要素はない。思いっきりやろう。そうだこれは公式な公演としてはタイで最初のコンサート。がんばろう!4人で気合を入れてまずmasaoがステージに駆け上がる。ドラムの音が鳴り始めるとだんだん人が集まり始めた。ステージはバックヤードも丸見えの広場の真中。スタッフエリアも柵もない。始まる前なのに写真をとろうと人が集まってくる。もう始まるのになぁ、とおもいつつ一緒にパチリ。それが良くなかった。続けざまに4,5人がパチリパチリ。Masaoのドラムのフレーズが終わりに近づいてきた。もう、ステージに上がらなければ。ステージ正面を見ると人がざわざわし始めているのが分かる。それでも遠慮がちなタイ人なのか?あまりステージ前には寄ってこない。遠くで伺っている感じだ。そして19:10。定刻より10分押してステージに上がる。コンサートが始まる。 Thailand tour 6 勢いよくmasaoのリズムで始まったステージ。前半はオリジナルソングを続ける。日本の音楽がインターネットなどにより入っているとはいえそれはごく一部であると思う。実際に今でもタイ語でないと話が通じない人が多い。「最近の人はみんな英語分かるからね」なんていう話を聞くがそれは実感として感じられない。だとすればタイ語オンリでないとだめか?タイ語だけでやるのが良しとされるならば、タイ人のシンガーがやればいい。日本人だからこその面白さを知ってもらい、そして、それだけでなくタイ語でもリラックスし、知っている曲と初めての曲をうまくミックスしたステージになるようにした。 【日タイ修好120周年記念GYPSYQUEEN IN ChiangMai】 前半のミディアムロックを続けた後にアコーステックに行く。ここでもステージの流れで場合によっては曲を増やしたり、削ったりする。この日は削ったパターン。本番前にセットリストを変えてアコースティックを一曲にした。その曲は「サオチェンマイ」「サオ」は娘ということだから「チェンマイの娘」というベタなタイトル。内容もChiang Mai弁を使っていたりしてこの町に根づく歌らしい。最初この曲を友人のソムチャイさんに聞いた。そのときはずいぶんのんびりした歌だなぁと思った。バンドアレンジをしたのだが、どうもしっくりこない。このメロならアコースティックかも、ということでアコ1本ということになった。結果、MCのタイ語に加えてこの曲は大盛り上がり。サオチェンマイが受けているとき不安もでてきた。えてしてこういったスローな曲が受ける会場のときは英語系やロックが受けない。たとえば上海はその逆で、ロック、それも英語や日本語が受けたりするが中国語の民謡的な歌を歌っても反応がなかった記憶がある。それを当てはめればこれは逆のパターン。まあ、憶測は止めておこう。アコースティックタイムの時にはぼくとmasaoはバックステージに降りているのだがここでも写真攻めに会う。そこにヤスさんが登場「みんなおとなしいので気にしないで下さいね」と。確かにロックコンサートとなれば盛り上がるイメージだがここはじっくり聞いている感じであった。みんな静かなんだけれど、ずっとこっちを見て聞いている。「もりあがろうぜ」だけでない所も経験しているのでその点は大丈夫だったし、そんな気遣いをしていただき申し訳ないくらいだ。そして再びステージにあがりメンバー紹介。しかし、僕とmachaのタイ語がこれまた通じない感じがするのだ。簡単な言葉なら反応があるのだが長いのは難しいね。救いはこの部分のトークがメンバー紹介のギミックの部分であったことか。今までどこの国もその国の言葉でメンバー紹介を持っていった。Shinonに比べては話す部分が少ないが、僕らもただ、楽器だけ弾いているわけにもいかない。次は頑張らないとね。Shinonもキーになる部分をタイ語、それ以外を英語にて進める。ぼくらの稚拙なタイ語と異なり、さすがに日本でレッスンをしてきた成果か、反応がある。努力は裏切らないという。やっぱりやることやらないとだなと反省。しかし、その英語もなかなか理解されないというタイ北部ならではの環境でもあった。後から聞いたのだがやはりここでは英語は良く分からない人が大半とのこと。特に今回の会場はセグメント化されたある程度来場者の基準が見えるコンサートホールでやるのではなく、だれでも聞けるオープンスペースでやったコンサート。もちろん英語力の乏しい人も多いというのだ。もっとものことである。中盤はshinonが衣装を変えてタイ語の曲と僕らの新曲を織り交ぜて進める。やはりタイ語の反応がよい。パーミーなど著名なアーチストの曲を日本風なロックアレンジにして演奏するとお客さんの体が動いてくるような感じがした。そして、今回のコラボレート相手のマイムアン登場。とおもったが、まだ会場についていないとのこと。実際僕らのステージがかなり前倒しになっていたので、彼女が来る時間になっていなかったのだ。あと7,8分。その時間をつながなければ!どうしようとおもったときにヤスさんがステージに上がってくれた。僕らへのインタビューコーナーにしようというもの。いいアイデアだ。それだと退屈しないでみてくれているよね。機転に救われ何とか場を保つ。そして、何事もなかったようにマイムアン登場。 【マイムアン】 2人のデュオだがすばらしい声をしていた。まるでこのChiang Maiの風のように。癒し糸はこういうことですね。と言えそうな気配であった。そのあたりから会場の雰囲気もつかめshinonも切れ始めてくる。いいのりが出てきた。そして最後は僕らが最初に覚えたタイ語曲、「DOREMI」と「SABAI SABAI」だ。やっていくうちにいくつもアレンジをかえたこの二曲は今のところ僕らの中のアレンジの最終形だ。さらに12月ということで「第九」のロックバージョンを、途中からはshinonがようやく買った王冠をつけて「JoyfulJoyful」に展開してさらに「Hey Jude」のエンディングへとつなげる。いろいろな音楽を聞き、感じて公演の最後にはこれを、とおもった選曲だった。全員で挨拶をしてアンコールにもう一曲パーミーの曲を演奏する。哀しい失恋の曲をちょっとおしゃれなコード感で表現。この曲もタイでは有名なせいかお客さんの口元が動いているのが分かる。20:40終了。みんなおつかれさま!タイに行くならタイ語で、とがんばった日々は報われたのではないか?終了後、安細領事にご挨拶をする。この公演を支えてくれた総領事館のみなさんには本当に感謝だ。安細領事からもタイ語にチャレンジしたこと、この日の多々ある催しの中でも盛り上がったことを評価頂いた。その言葉をメンバー、スタッフ全員に伝えたい。ステージが終わるとあっという間に撤収。「お疲れ様!」「ありがとう!」「良かったですよ!」そんな言葉が飛び交う中、暑くないせいか撤去もてきぱきと進む。一度ホテルに戻りたかったがそんな時間もない。そう、今日は打上げだ。実行委員長の谷口さんとそして今日ステージを支えてくれたヤスさん、そして昨日も今日もお付き合い頂いた方々とうちあがっちゃおう! Thailand Tour 7 21:30、一行と向かったのはとてもおしゃれな店。今の日本にはないバブリーな店だった。ここ数日はじめてこの町にきていろいろな表情を見た。今日見るこのゴージャスなChiangMaiもリアルなこの町なんだろう。出会った人もさまざまだ。今までのタイ人に対する認識が大きく変わった。ビアヤーマンであったミュージシャンたちは僕らと同じようにいたって普通の格好をして、普通に情があり、約束したことを守りお互いを尊敬しあってプレイできた。あたりまえのことではあるが、こんなにもスムーズに彼らとプレイできたことは想像の域を超えていた。ではどうおもっていたのか?アバウトなタイ人をイメージして困難な交渉を予想していたのか?アジアで活動するうちに知らず知らずの内に自分をガードすることを身につけてしまい、相手を見る前に判断してしまう固まった自分の意識を恥じた。アジアの進歩は早い。固定観念をもっちゃ絶対にだめだ。打ち上げではいろいろな情報が交換されてChiangMaiを出る日にもかかわらず参考になることばかりであった。これは必ず次につながるだろう。それにしてもこのあとBangkokで合流するユーロンさんの知り合いが多かったり、みんなどこかで繋がっている。ひょんなきっかけで知り合いの名前が出てくるたびに「狭いねぇ」の声が沸きあがる。きっとこうして僕らもどこかで話題に出るのだろう。もちろん、いい話題に出たいもんだ。こちらにきてから連日飲むビールにもなれてきた。本当に普段飲まないとビールの味が苦くなるもんだが、もう昔と一緒。ビールののど越しがうまいと感じるようになる。周りを見渡すと店の奥のスペースはガラス張りになっていてその中ではバンド演奏をやっていた。大体どこの店でもステージがあるようで、音楽人口がとても高いということを感じる。今日も夕方に楽器屋にちょっと寄ってもらったが日本と変わりないアンプや楽器が置いてあった。ChiangMaiだからシステムがちょっと古いんだよね、ということはありえないことを公演当日に知ったわけだ。もっと前から知っていたら気分も楽だったろう。でも、結局は自分の目で確かめることが一番であり、こうしてこのタイ北部の中心地のことを少しだけ知ることが出来たことに感謝したい。打ちあがってしまいたい気持ちを抑えて、移動の準備をする。今日はこのあとも演奏があるのだ。そう、ブラッセリーでトックさんとセッションをやることになっていた。どの曲をやろうということはおおよそ用意しているがどうなるかはわからない。楽器を手にしてカウントをまって始まった曲を演奏すればいい。昨日のビアヤーマンでのセッションのこともあるので今日は思いっきり弾いてやろうと思った。そして23:30ブラッセリーに到着。打上げにきていただいた皆さんも一緒に移動したので大挙して押し寄せる。とりあえずガーデンの方でまたもや乾杯。うまいがやばい。飲みすぎて弾けないようではまずいのでほんの少しだけセーブして出番を待つ。谷口さんと飲みながらいろいろな話をした。しばらくしてさて、どのタイミングで参加しようかとステージのあるほうに行くとすでにmasaoがドラムをたたいている。すばやい。「そろそろやるかね」そんな言葉をmachaにかけてトックさんに合図。トックさんはクラプトン系が好きなようでknockin on the heavens doorを演奏。それにしてもものすごいグルーブ感だ。ChiangMai一のギタリストとみんなが言うのが良くわかる。そこにmachaが参加した。おっと。出遅れ気味の僕もステージに行きベーシストに変わってもらう。そして2曲トックさんとのセッションを楽しむ。音楽をやるのに国境はないとよくいう。それでも、実際はやりかたや進め方で差はあり、なかなか対等なセッションはできない。でも、セッションはお客さんではなく楽器同士の音のぶつけあいだ。やる以上びしっとやりたいし、初めてあわせたけれど申し分ない、そして気持ちよく演奏をすることができた。この勢いで何曲でもやる気でもいたがなにぶん明日が朝早い。音の波とビールのグルーブの中に時計だけはきっちり音を鳴らせている。「またくるよ」そういってトックさんとのステージを降りる。一緒に来てくれた人たちも喜んでくれたし、ChiangMaiの夜としては最高の夜だ。時間は24時をとうに回っている。今日もミーさんは待っていてくれる。なんていう優しさ!はやく戻らなければミーさんに申し訳ない。もっとみんなと飲みたい気持ちを抑えてホテルに帰ることにする。名残惜しい時間はいつまでも続く。たった三日間の滞在が僕らにとって貴重な出会いになったことは言うまでもない。再会を誓って解散。と、そこで車に向かうとなんと車がない。Gucchiさんが荷物一式をもって先にホテルに戻って言ったとの事。足のなくなった僕らは車に便乗させてもらいかえることに。何よりもミーさんと仲良しになったviviちゃんがミーさんにお礼がいえなくて悲しんでいる。そう、僕らの旅は契約関係ではなくて一緒にいたいという気持ちでつながる。アジアを愛してアジアの人を愛して愛されて。それがここにくる大きな理由だ。谷口さんともここでお別れ。音楽のイベントはやったことがないので、とずっとおっしゃっていたのに最後までいろいろ僕らのために動いてくれた。本当にありがとうございました。そして、最後まで付き合ってくれたみんなにもお礼。なんだろう、今までと違うな。優しさにふれられた?みんなの気持ちに触れられた3日間だった。部屋に戻り反省会。大事なことだ。ツアーは後半に向かう。明日からは厳しい移動がまっている。映像を見て反省事項を述べる。といってもかなりお疲れのメンバー。演奏のこと、言語のこと、これからやりたいこと。「大学生と交流してみたいね」「マイムアンとコラボがあまりできなかったから次回はその辺を何とかしたいね」やりたいことは山ほどある。03:30。気づくとねてしまっている。まだまだ盛り上がっているメンバーにごめんとあいさつをして部屋に戻る。明日はChiangRaiだ。 Thailand Tour 8 2007/12/10。06:00起床、まだ真っ暗だ。今日ははじまっていないこの時間、二日酔いの頭を覚ますために水シャワー。死にそうに目が覚める。06:30にようやく朝日が。おはようChiangMai。チェックアウトの準備をして朝食に向かう。さすがに外での食事は寒いので室内で食事。あわただしくミーティングをして07:40ロビー集合。今日は長距離移動が待っている。車に弱い僕はちょっとブルー。集合するとドライバーさんが待っていた。おとなしそうな感じの人でいい人そうだった。この人もミーさんと同様英語がわからないのでタイ語オンリーとなる。Gucchiさんがいないと成り立たない世界である。ミーさんのイメージが忘れられないけれど今日からは気持ちを入れ替えないとね。荷物を積み込み出発。今回はスーツケースは車の上に縛り付けられた。おっ、なんだか旅っぽいぞ。雨の降らない時期だからこれで問題ないのだ。08:00出発。一路ChiangRaiに向かう。ChiangRaiはタイの最も北部に位置する町。ラオス、ミャンマーと国境を分けるゴールデントライアングル。かなり昔は麻薬の取引で有名なところだ。今ではもちろんそんなことはないが僕らにとってもかなり未知の場所といえよう。寝不足とは便利なものでこの長い移動の大半を睡眠に当てることができる。いつもならもう少し余裕があるので車の中で曲を作ったりいろいろなメモをとったりするのだが昨日の疲れもあるせいか爆睡。起こされたらもう11時を回っていた。ChiangMaiからもうかなり遠くにきている。しばらくするとワットロンクンに到着。すでに11:30だった。ここでナガ族の衣装が気に入って購入。微妙な値切り方をして800Bで購入。最後の100Bを値切るのに時間がかかりすぎて結局すぐに出発。でも、民族衣装というものを買いたかったのでよかったとおもう。もうChiangRaiに入っており市の中心部を迂回してコック川沿のリムコックリゾートホテルに到着。静か過ぎる感じでなんだかリフレッシュしそうなホテルだ。まあ、僕らには似合わない言葉だが。12:30に一度チェックインをして昼食をとる。かなり長旅で疲れているのでそのままホテルでの食事にする。結構ここのビュッフェが豪華でおいしかった。でも、カオソイはChiangMaiのほうが圧倒的においしかったな。ここでviviちゃんに異常が。どんなときにも元気な彼女が熱を出してしまった。原因は不明だが一昨日さされた虫のせいかもしれない。虫に刺されたところが思いっきり腫れている。大体人間とは弱いもので自分の体調が悪いと周りにも影響をだすものだ。Viviちゃんはあっさりしているというか、そんなそぶりはまったく見せないでいる。うむ、すごい。見習いたい。そんな悠長なことは言ってられずもし熱が下がらなかったら医者に行かねばということになった。幸いタイは医療大国。心配はないと思うがさすがにここからの旅は断念してホテルで待機となった。13:30ホテル発。ここからは最北部の山道に向かう。道路は決してよいとは言えずかなり揺れる。眠ったり道の悪さに起されたりの連続であったが時折見せる風景は絶品である。余裕があれば降りて撮影をしたいようなところがいくつもあった。道は九十九折のアップダウンの繰り返し。日本だとここにトンネルを掘り、橋をかけまっすぐに目的地に進むのだろう。しかしここはそうではない。昔からの地形の通りに車は走る。モン族の村が見えてきてギアをローにして山道を登る。まさに上るという表現がぴったりの行軍だ。そして16:00。ようやくプーチーファに到着。 【人を寄せ付けない絶壁】 ChiangMaiをでて8時間。たどり着いたこのプーチーファはラオスとの国境の絶壁。断崖である。通常は日の出の時間に人気がある。頂上から望むラオス側に雲海が広がりメコン河の先から朝日が昇るということで早朝のスポットとしても地元タイ人から人気の高い場所である。標高が高いので車を降りた瞬間にぶるっとくる寒さだ。ここからトレッキングタイム。衣装をもった僕らはなんとも滑稽だったろう。あまり観光客のいない登山道をもくもくと歩く。空気がきれいなのが実感としてわかる。広がる空。遠くまで見えるのは空気がきれいな証拠。汗をかいても一瞬の乾いた風が拭い去ってくれる。30分ほどで頂上にたどり着く。うん、美しい。はるか眼下にラオスの村が見える。その先にはメコン河が流れている。タイ側からラオスを見てみたかった。飛行機の上から見ていた連なる山々。それが今目の前に広がる。放射状の雲は気流の早さを感じさせてくれる。 【ピークで撮影会進行中】 ここで写真を撮影しひと時のリフレッシュタイム。みんな窮屈なバスのたびに疲れていたのでちょうどよい運動になったかも知れない。バスのところに戻ったのは17:30を回ったころだった。日はどんどん暮れていく。山岳地帯をおりきったころにはすっかり暗くなっていた。日の暮れの真っ赤に染まる空が美しい。電気もなく小さな明かりがともる民家の中をバンは抜けていく。あまり街灯もない道をばんばん飛ばすドライバー。地元の人は違うな。僕らだったらさすがにこんなに飛ばして走れないね。そして19:00。なんと2時間半で到着。お疲れ様!さっそくチェックインをして食事に行こうとなった。20:00。Viviちゃんと合流し、ナイトバザールへ!名前の通りいたるところで露店が並び歩くのも困難なくらいににぎわっている。民族衣装の原色が映える。カラフルなアクセサリー。そしてそれを売る人たちの目が優しい。決して押し付けて売ろうとかそんな人は誰もいないのだ。かなり寒い中、いろいろな民族楽器などを見る。Masaoがゴングを買い、僕も小さなベルを買った。とっても深い響きでそのうちステージでも披露することであろう。野外レストランに着きそこで山地さんと合流。今回このバスを手配してくれた方で一緒に食事をしようと約束をしていた。ChiangRaiについていろいろ教えてもらう。結局、ホテルに戻るまでいろいろフォロしてくれて本当にお世話になった人だ。そうしているとGucchi氏が地元の友人を連れてきてくれる。なぜ?友人がいるか不思議であるがさすがGucchi氏ナイトバザールのステージの出演交渉をしてきてくれた。ということでビールをセーブしようとしたがアコースティックのステージということで僕の出番はなし。とりあえず寒いのでのむ。 【飛び入りのチェンライ ナイトバザールステージ】 22:00過ぎてステージに向かうと即演奏であった。地元のミュージシャンがやっているのを聞いたがなかなかのクオリティ、澄んだ空気に響く歌声が美しい。僕らもそれに合わせて静かな曲を選曲。山地さんのために日本語のスタンダードナンバーを交えての演奏。本当にミニステージであったがそれなりに反響もあった。何よりも現地にいる日本人の人に喜んでもらえたのがうれしい。23:30。明日も早いのでホテルへ。他に交通手段もないため、トゥクトゥクで帰ることになる。インド人の作っためっちゃ濃い味のバナナクレープを食べながら寒風の中ホテルへ爆走。カーブ曲がれないんじゃないのというスピードで深夜のChiangRaiを駆け抜ける。川向こうのホテル近くはますます静か。というよりも何もない。あわただしかったし強行軍であったけれどここに来てよかった。この町にくるのと来ないのではあとあと僕らのタイに対する気持ちがまたひとつ違うだろう。 【チェンライ ナイトバーザルでご機嫌なメンバー】 この北の町になんとなく北海道のすがすがしさを感じた。なんだかこの町を離れるのが寂しくなった。ホテルに01:00着。ミーティングをさくっとすませて解散。結局荷物を解くまもなく、せっかくのリゾートホテルを満喫することもなく終わってしまった。明日はBangkokに向かう。02:30就寝 Thailand Tour 9 05:00起床、まったくもって夜中だ。虫の鳴く声、ドアを開けると寒気が部屋に流れ込む。今日はゴールデントライアングルを経由してChiangMai空港の14:40の便に乗らねばならない。時間との戦いである。まだ、誰もおきていないかと思ったら外では結構物音がする。どこに行くにしても遠いところなので朝も早いのだろう。06:00荷物を外に出して朝食へ向かう。案の定、この時間にしてはかなり混んでいた。みんな無言での食事、というか余裕がない。06:30出発。なんとか間に合った。朝日と一緒に出発。その通り東の空には白い太陽が昇り始めた。ということはこっちがラオスなわけね。昨日のプーチーファもこっちだね。なんてそんな位置感を確認しつつ田園地帯をゆく。07:45ゴールデントライアングルに到着。ここは対岸がラオス、川の中州を隔ててミャンマーと3つの国の国境である。とはいってものんびりしたもので観光名所となっている。時代が時代ならと思うが今ではゆっくりと時間が流れているエリアだ。まだ、早朝の部類になるだろうこの時間。メコン沿いまで下りると結構肌寒い。 【ゴールデントライアングル 対岸はラオス】 このあたりのメコンは上流でとても流れがきれいだ。これがヴィエンチャン付近にいくといつもみている川の色になり、ベトナムにたどり着くころにはあの茶褐色の色になる。まだ、そのまま飲めるような清流、そして川幅も狭い。「いざとなったらここから河くだりだね」。そんな旅も楽しいかもしれない。そして走ること10分08:10にチェンセンに到着。ここでは朽ちた遺跡ワットパサックに行った。今でこそ世界遺産とか言うが当時は戦いの時代。価値のあるものはすべて奪われ、意味を持つものはすべて壊された。特に信仰の対象となるものは徹底的にだ。 【荒れ果てた遺跡 ワットパサック】 ここも破壊と放置による荒れ方がひどいのだが現在ではきちんと管理事務所も置かれてきれいに整備されている。掃除のおじさんがいて写真をとるのに苦労したがいい感じで撮影もできて09:00出発。一路ChiangMaiを目指す。それにしてもタイの北の果てまで来てしまった。風は冷たく、自分の中のタイではない。新しいタイ。知らなかったタイ。まさにAmazingThailandだなと思う。そういえば日本も南北に長いので四季がありいろいろな表情を見せてくれる。この国も南部に行けば常夏だ。そういう意味では似ているかもね、なんて思う。バンはまたもや爆走し10:30.Gucchiのおなじみの店で休憩。川沿のちょっと奥まったところにあるカフェでとってもいい感じ。体を伸ばすにも丁度良かった。ケーキ35B、カフェ45Bと安くはないがとてもきれいな店でこういう所もタイのよさだ。ホスピタリティがしっかりしている国であると思う。さらにそこから2時間ちょっと。だんだん車が多くなり、緑が建物に変わってきた。何よりも窓の外が暑く感じるようになり、13:15ChiangMai空港に到着。ほぼ予定通りの行程だ。ここでこの町ともさよなら。また、これるかな?今回やりきれなかったことをまた次に活かしたい。そのためにも計画を立てて再び訪れたい町だ。空港もコンパクトなのでチェックインもすばやくできた。重量も問題なし。13:40空港ランチ。いきなり高いぞ。やはり空港はどこでも高いのね。あまり時間のないので14:40。急いでゲートにいくと遅延のお知らせ。結局、15:15TG111乗り込む。約30分のおくれはたいした事はないが今日はスケジュールが盛りだくさんなため心配になる。搭乗するとすぐに飛び立ち約一時間のフライト。今までの行程の整理に集中しているとあっという間に着陸態勢に入った。そして、16:15。BKK着。広大な空港を移動し出国。本当に巨大な空港だ。外はむっとする暑さ。これが今まで知っていたタイだ。市内までの車の交渉に手間取る。結構口で言った値段とシートに書く金額が違うことがあるが、僕らもそのパターンでとりあえず激怒。疲れもたまっていたので思いっきりクレームを良い違うタクシーに交渉。まあ、機材も多く、大きなバスタイプでないと移動できないので選択肢はそう多くない。結局、1100Bで話をつけて市内を目指す。この新しい空港からの道のりは初めてだ。実際に市内に入るとドンムアンのときと同様交通渋滞に。それも半端ではない渋滞。いつもこうらしい。これって環境にとってもわるいきがした。窓を開けると排気ガスでむせる。ChiangMaiと同じ国ということが信じられないくらいだ。約40分ほどでホテル着。すでに18時だ。今日はこのままライブに向かうのでそれなりに準備が必要。用意をして19:10出発。今日の会場TOKYOJOESに向かう。 【バンコクでの会場 TOKYOJOES】 今回の場所はタイ在住のユーロンさんがいろいろ動いて手配してくれた。きちんとしたコンサートにしたいので会場はどこでも良いというわけにもいかず最後の最後まで会場選定に時間がかかった。そこにこのTokyoJoesさんがOKをだしてくれたのだ。オーナーは日本人のJAYさん。話も早く、ぎりぎりではあったが告知など協力をしていただき今日のコンサートとなる。渋滞の道を行き、19:40会場到着。ユーロンさんと再会お礼を言う。さっそくバンコク週報さんの取材を受ける。僕らが何故アジアで音楽をやっているかなんて事を話した。控え室にJAYさんがたくさんの食事とビールを用意してくれていた。今回は本当によくビールを飲んだ!ってこのあとももっと飲むんだろうな。明日の夜中の便で帰るので今日が実質最終日だ。おもいっきりプレイしてBangkokの夜を楽しみたい。21:00。お客さんは満員だ。このツアー最後のステージが始まる。 Thailand Tour 10 会場の客層を見てセットリストを若干変更。そうしてステージは始まった。ノリの良いナンバーを中心に持ってきたのでかなり盛り上がった。ここ大都市Bangkokは日本人が非常に多い。今まで行った国で中国を除けば日本人人口が最も多い国だろう。そういった意味でこの国の中では「日本」が普通に存在する。バンコク週報さんやユーロンさん、そして、JAYさんのおかげもあって多くの日本人と、欧米人が来場者の主な層であった。そのために日本語の曲と洋楽のカバーを織り交ぜてみる。その分タイ語の曲はChiangMaiよりも少なめにしてみた。こういった臨機応変な対応に当たり前のように答えられるメンバーはすばらしいと思う。お客さんの協力もあり1時間弱のステージは盛り上がる。いい感じだった。ありがとう。これですべてのステージを終えた。短期間のツアーはそれだけにタイトだ。どれだけの移動距離だったかわからないがヘビーな旅であったに違いない。最後までスムーズにこれたのはメンバーとスタッフのおかげ。本当に感謝だ。終了後、本当の乾杯。もうこの後にステージはない。いろいろな人と話をする時間ができた。その後ステージはセッションタイム。かなり多くの人たちがそれぞれ楽しんでいた。音楽って本当にすばらしいと思う。 【テンション高まるユーロン氏】 スタッフの酒井Pもギターを持ちだしている「えっ、弾くの?弾いてよ」の言葉にしり込みしていたが本当は弾きたかったみたいだった。終了まもなくウッディが登場。「なんだよ、もう終わっちゃったよ」。不思議なもので6月にあって以来の対面なのに(shinonは往路の空港でちょっと会ったが)ごく普通の会話になっている。今日のステージが見れなかったことをかなり残念に思っていてもう1ステージやってほしいと頼まれる。頼まれるとNOといえない僕だがさすがにメンバーのテンションもさっきのステージですべて使い切ってしまった。これ以上はいいプレイができる状態ではなさそうなので断念。せっかく見てもらうのに中途半端なプレイはできないし、そこでヘタなプレイをすれば台無し。音楽は結果がすべてだから、そこにいたる理由は関係ないのだ。 【今回のツアーの締めくくり】 良いか悪いかだけでの勝負の世界だ。この日はウッディとこれからの仕事の話をする予定のため、後ろ髪引かれる思いでTOKYOJOESを出る。あっという間にきて、あっという間に飛び出す。もっと話をしたかったが、ここはBangkok。またくることもあるだろう。再会を約束して会場を後にした。その後僕らはウッディが良く行く店に移動。彼がチェンネル5のプロデューサーになるということで、何か一緒にやろうという話をした。日本とタイの交流を進めたいという彼のビジョンは僕らと一致している。途中、近くのテーブルから「彼らはだれ?」と聞かれると「僕がプロデュースしている日本人バンドだよ、来年TVにでるよ」という。ちょっとそれは早いんじゃないのと思うけれどまあ、そんなテンポの人なので話半分でいい。ただ、わざわざ空港まで花束を持ってきてくれて、ライブの場にやってきて、こうしてミーティングの時間も作ってくれることには感謝したい。タイ人のネットワークという意味では僕らはまだまだだ。そんな僕らにもタイ人の仲間ができた。23:30を回り明日のこともあるのでそろそろ帰ろうということになる。ウッディはまだまだ行く感じだったが、「明日、アユタヤいくからもうかえるよ」というと「じゃあ僕もお土産をもって行くからアユタヤでランチをしよう」という。本当にきてくれるの?とおもいつつ、アユタヤで大体11時くらいに待ち合わせることにした。 【ウッディと何をやっていこうか】 ユーロンさんは完全に泥酔状態。「マオーマオ」な状況。超酔っ払っているってことだ。それはみな同じかもね、楽しいステージだった。そして一行はホテルへ。02:00ホテルに到着。ChiangRaiをでて長い一日だった。明日はチェックアウトもあるのでまずは荷物をかたずける。荷物もだんだんまとまらなくなりさらにかなり飲んでいたので寝ながら、片付けながら。窓の外はもうさすがに静かな市内である。星一つ見えない夜空。昨日とは打って変わるがこれも同じタイの夜空だ。03:30就寝。2007/12/12 05:00起床。頭がいたい。窓を開けても夜は続く。目の前のファランボーン駅もまだ眠っている。今日は帰国日。そしてその前にアユタヤにも行くことになっている。かなりハードだったりする一日。昨日の夜におおよそ荷物を詰めていたので忘れ物がないかを確認して06:30朝食に向かう。Masaoと食事をするがなかなかみんなが来ない。とおもったら別の朝食会場にいた。そっちの方が豪華だった。たぶん僕らのところは中国人の団体客がいたので間違われたのかもしれない。07:00ロビー集合。荷物はそのままでいいでしょう、みたいな交渉がうまくいって出発。徒歩で駅まで歩く。朝日を浴びた駅はきれいだ。ここが始発でChiangMaiに行くこともできる。始発駅は終着駅でもあり、ここで幾多のストーリーが生まれているんだろうなと思う。07:30チケットを購入。一人135B二等エアコン特急だ。安い席もあったがまあ、体調と体力を考えゆったりを選択。出発まで1時間あるのでケンタッキーでお茶を飲む。08:00にホームへ向かおうとすると音楽が流れてきてみんな立ち止まっている。なんとなくも僕らも合わせて立ち止まる。国王の肖像画のほうを見て立ち止まる人々を見てこの国の秩序を見た。真実もの、慕うものがあることはすばらしいことだしそれが力にもなる。とても美しい心。なんとなく気持ちいい感じがした。駅のホームは日本とは異なる。よく海外の映画ででてくるような低いホームだ。列車が来ると列車に登るって感じだ。異国情緒溢れる駅になんとなく満足していると列車がやってくる。乗り込むと、まあ、それなりに年季の入った座席。それでもシートも柔らかく快適モードだ。0830 9号でアユタヤへ。「ウッデイは?」とshinonに聞くと昨晩、夜中に電話が来て今日来れないとの事。なんだ?まあいいか。マイペンライだ。列車はほぼ予定通りに走り09:50アユタヤ着。この駅も雑然としていい感じだ。鉄道が好きな人は是非いくといいかも。そこからはトゥクトゥクを手配。 【よく見ると懐かしくかわいらしいトゥクトゥク】 交渉して一人200Bで2時間回ってもらうことにした。最初はワットチャイワッタナーラーム。ここはどうしても見たかった場所のひとつ。アユタヤ王朝の荒れ果てた寺院が象徴的だ。入場料30Bを払って中に入ろうとすると写真料を払えという。Gucchiさんとカメラとshinonのいでたちがなんだか商業的な撮影と思われたのだろう。たしかにそうなんだが、中に入ろうとしたときにいきなり言われたので払わないという。じゃ写真とれないと。といわれたので、とらないよ。という。まあ、風景を撮るのはかまわないのでいわゆる観光を堪能。トゥクトゥクのドライバーが気を利かせて撮影のできるところにつれてきてくれた。そこはワッタマハタートの遺跡だった。 荒れた上に地盤の沈下だろうか、建造物が不自然に曲がっていて不思議な感じだった。銅像の頭部はすべては破壊されつくしている。なんとも迫力のある場所だ。一通りアユタヤ市内をまわり11:45 バンを押さえてBangkokへ。快適な旅だ。最後の行程を終えてのんびりしているとウッデイから電話。「今アユタヤだけれどどこにいるのか?」「えっ?!?」なんだか話が食い違っているぞ。 【ワットチャイワッタナーラーム】 Thailand Tour 11 ウッディと電話で話すと「朝一ではいけないがその前に話した通りアユタヤで会おう」といっていたそうだ。どうも昨晩のshinonとのやり取りでこれない、という所だけshinonが聞き取ってしまったようだ。彼のタイグリッシュもわかりにくいので仕方がないがちょっと申し訳ない。ま、でも僕らはもうすぐBangkok。それでも「マイペンライ」。とりあえずBangkokに戻ってもらって落ち合おうということになった。市内に入って渋滞はあったものの、スムーズに13:30ホテル着、荷物を一へやに移してウッディ指定のレストランに向かう。しかし、ここで超大渋滞に見舞われる。まったく進まない道。特に市内を横断するルートのために、大渋滞なのだ。場所はチェンネル5のそばのシーフードレストランらしい。ここでご馳走をしてくれるという。アユタヤまできてもらって、それをすっぽかしているのになんとも優しい。というか申し訳ない。大幅に遅れて14:50到着。当然、そこでもウッディは待っていた。最後の晩餐というかランチということで乾杯。本当にみんなお疲れ様。そこからはウッディん独壇場で仕事の話を含めて大いに盛り上がった。16:30。いいかげん笑い疲れてホテルへ。ありがとう。また会おう!そういって分かれた。そこから約1時間でホテル到着。この渋滞での移動は本当に疲れる。買い物をする時間も今回はろくになかった。それでも少しの時間で町にでて買い物。アユタヤから運転してくれているママさんドライバにこのまま空港まで頼んだ。ランチも付き合わせてしまったし、ちょっとBangkokまでと思ったら一日仕事になってしまったんだよね。まあ、一緒に盛り上がったし良いかな?そして、18:00ホテル発。間に合うかな?なんて心配をしたが18:40空港着。ちょっと肩透かしくらいな感じだ。空港に着きさっそくチェックインここもスムーズでトータル148kgはちょっとオーバー気味だがツアーの機材を含めてなのでものすごい軽量化だと思う。19:05チェックイン完了。完璧だ。完璧すぎて時間が空きすぎるのでとりあえずマッサージへ。これが30分450B。恐ろしく高い。市内なら2時間分ではないか。それでも時間があるのでお願いをする。ものすごく気持ちが良くて旅でむくんだ足が小さくなった。靴がぶかぶか。気持ちいいもんだ。その後全員で集合して乾杯。搭乗時間ぎりぎりまで過ごす。そして21:55。TG640便に搭乗。いよいよ帰国だ。機内に乗り込み気づくと寝てしまっていた。目が覚めたのが飛び立って町の明かりが遠くに見える頃。こんなことははじめてである。疲れていたのか、安心してか、眼下にBangkokのネオンをみる。その後また深い睡眠へ。食事で起こされる。眠い目をこすりつつちゃんと食事。TGの機内食は本当においしいね。完食である。ツアーのまとめもしなければ。遅れていたレポートを綴る。今回の総括としてはどうだったのか。今回は、本当に多くの日本人の方々の協力で成り立ったと思う。今までももちろんそうなのだが、一際その印象が深い。これもタイの社会の特長なのではとおもう。そして出会ったタイ人の印象。これはもう「やさしさ、温和」そのものだった。クラクションをならさない、大声を出さない、揉め事をおこさない。お礼を言ったときの優しい笑顔はもう一度この国に来たいとおもわせるまさに「微笑みの国」であった。世の中はいろいろなことが起きるし、いい人ばかりじゃない。でも、僕らのおもった印象はきっと多くの旅人が思うことなんだろう。僕らのツアーも円熟期を迎えている。第二章第七幕。限界にチャレンジして自分たちの機動力が見えた旅。それをささえる強力なツアーメンバーの生み出した賜物といえるだろう。往路よりも気流の関係か、スムーズに飛ぶ。まっくらな機内にぼくのライトだけが灯る。少し寝ることにしよう。ドリンクサービスで目が覚める。時間はもう3:48。あっという間だった。いつもは大体ツアレポを書いたり、旅の話をしたりビデオをみたりしてほとんど眠れなくてむしろ困っていた。それだけ、疲れた?まあ、中身の濃かったからね。時計を日本時間に戻す。日本時間ではもう6:00近く。ということは。今はもう日本の領空ということ。あっという間のフライトだ。位置的にももうすぐ千葉に入る。06:09。町の明かりが見えてきた。まだ日の出前。前回、ベトナムからの帰りのときはもっと明るかったから今回はかなり早いんだなと感じる。そして6:11。まだ、夜の明けぬ成田に到着。この日の一番便?静かな空港に降り立つ。雨が降っている。雨なんて久しぶりだ。扉が開くと寒気が吹き込んでくる。そうだ日本は普通に12月だ。6:55。空港を出る一日が始まる。 ここで旅のレポートは終わり。本当にあっという間に駆け回ったAmazingTHAILAND。公演をささえてくれたスタッフそしてかかわったすべての人にお礼を言いたい。そして最後の最後で渡航を断念された恩師、信田先生、おかげさまでChiangMaiで多くの人に助けてもらい公演が成功しました。ありがとうございました。GYPSYQUEENのみんな。最高にタフなメンバーに感謝。こんなハードな旅でパフォーマンスをきちっとできるのはあなたたちしかおりません。脱帽です。ひとつの旅の終わりは次の旅の始まり。おおよそ不可能はない。限りなく頭を使えば、そうそうできないことはない。一歩を踏み出せばまた違う答えが返ってくるはずだ。これからも気持ちをONにして前に進んでいきたい。 Thailand。また行きたくなる国。天使の国。ありがとう。 GYPSY QUEEN Road to Asia #17 Amazing THAILAND 2007/12/07-2007/12/13 Photo by Gucchi |