2008/12/25-2008/12/31 
Vietnam Japan International Musical GALA
Millions of Hearts connection
THE 35 ANNIVERSARY OF JAPAN-VIETNAM DIPLOMATIC RELATIONS

 





 

2008/12/25-2008/12/31 
Vietnam Japan International Musical GALA
Millions of Hearts connection
THE 35 ANNIVERSARY OF JAPAN-VIETNAM DIPLOMATIC RELATIONS

2008/12/25.今年最後のツアーの始まりだ。今回は今年一年続いた日本ベトナム外交関係35周年事業の一環としてベトナムのハノイとホーチミンで行われるコンサートである。出演アーチストはベトナムを代表するシンガーとバンドでどちらかというとROCKやポップミュージック中心のイベント。対象も14歳から28歳ということでこれからのベトナムを作っていく若い世代向けに準備されたものだ。

日本からも僕らGYPSYQUEENと二組のシンガーということで、元Yellow Gwnerationの浅見ゆうこちゃとAVEXのシンガー宮脇詩音ちゃんの二人と一緒に参加ということになった。

ちなみに現地での説明でしのんと詩音の差がなかなか伝わりにくかったことを付け加えておこう。渡航までどたばたしながら準備を進める。
記者発表用の原稿や資料をくれといわれるのだが大抵「今すぐほしい」レベルのことばかりで相変わらずやり方はアジアだ。とはいってもこれほど細かいことを事前に聞いてくるということはあまりなかったのでなんとかそれに従い資料を提出。今すぐ歌詞をすべて英語にして送ってくれ、というのにはさすがに参ったけれどね。

出発前日までバタつき今日は出発となる。夕方の便ということもあり、午前中はゆっくりと過ごして14:00自宅を出発。masaoがちょっと遅れたりして、さらに年末の都内は混んでいてどうなるかとおもったが高速道路も千葉に入るとぐんとすいてくる。拍子抜けするほど快適に進み、16:30酒々井到着した。

ここで休憩を取るがなにやらviviの表情がさえない。そういえば、ほんの数分前に「もう一回言って」となにやら緊迫した声で電話をしていた。相手はすでにハノイ入りしているMaiちゃんからだ。Maiちゃんはベトナム人の留学生で日本語堪能の才女。ここの所ずっとGYPSYQUEENの公演をバックアップしてくれている名実とともにviviと二人の強力なマネージメント陣だ。
「どうしたの?」ときくと「まだよくわからないけれどハノイの公演が中止になるかも」という。ん?えっ?言っていることがよくわからない。

中止ってコンサートがということ?なぜ?どういう状況?いくつか返す返す質問をするがviviもこの時点では情報が少なく、とりあえずハノイから速報で「コンサートが中止になる可能性がある」ということらしい。とにかく詳しいことを、ということでその後ずっとmaiちゃんとやり取りをするvivi。

そんなこともあり集合時間の17時をちょっとすぎて成田空港第二ターミナルに到着する。今回は13名の旅団。参加者に説明をしないと、と思うが、説明材料があまりにも少ない。すべてはハノイに入らないとわからないために、中途半端なことしかいえない。
今はただ「とにかく来てくれ」という主催者の言葉を伝えるのみだ。GYPSYQUEENのメンバーの反応はあまりなく「それは大変ですねぇ、まあいってみないとですかねぇ」というところ。アジア慣れしたこのメンバーの対応があまりに普通なのでほかの人はことの重大さを感じずにいたのかもしれない。

まずはゆうこちゃんとマネージャーにきちんと説明しないといけない。とりあえず、現在わかる情報のみを伝え、「後は現地で」となる。あわせてAVEXにも電話。出発の手配から何から何までこなしてくれるviviに感謝。僕らは何もできていない。ただ、状況を把握してそれにあわせたベストな対応をとるだけだ。幸い先行組でmaiちゃんがハノイにいるので最新情報がわかっただけで、きっと普通ならハノイの空港で知ることになっただろう。

ただし、今回は、タイペイで乗り継ぎのため、ハノイまではまだ、20時間くらいかかる。その間、やきもきしなければならないのはある意味辛いらいことだ。

19:50。CIにてタイペイへ向かう。機内では緊急ミーティング。空港についてからもハノイとやり取りをしていろいろなことがわかってくる。サッカーの試合が同じ会場で行われることになった、プロデチューサがつかまらない状態だ。不確定な要素が伝わってくるがそれらはどれもありえないことである。今回はベトナム政府の主催する日越外交関係樹立35周年記念のイベント。現地では政府関係者による記者会見なども予定されているオフィシャルなものである。

僕らがなんとなく海外に行き、ブッキングしてライブをやるのとは規模が違う。TVの中継が入り、ハノイとホーチミンで行われるものであった。すべてがベトナム側での手配であり、日本の外務省もかかわっていないので情報を得るためにはベトナム側に聞くしかない。

まあ、今考えてもどうしようもないよね、ついたらそこで考えよう。そう思うしかなくあっという間にタイペイ市外の明かりが見えてきた。街の明かりはアジアを感じる。22:50.日本時間23:50に空港に着陸。広い空港内を抜けてすぐさまタクシー乗り場へ。およそ5分ほどのホテルに向かう。
ニュー台湾ドルを持っていなかったので苦労したがなんと言っても中国語が通じる国であるということは非常にうれしい。ホテルはシティスィーツホテル。綺麗なホテルで数時間を過ごす。

部屋に入り状況をメンバーに報告。といってもはっきりしたことは明日現地でという状況。
2時前には部屋に戻り就寝。

さあ、どうなる?

 

 

2008/12/26.朝5:00のモーニングコール。昨日はすぐに寝たとはいえまだ外は真っ暗だ。空港の明かりだけが見える夜明け前。6:00にホテルを出発。朝食も時間的に間に合わないのでお弁当をもらった。が、中身を見ると甘いケーキとサラダと超甘いオレンジジュース。微妙だ。

空港にはすぐに到着。7:00にはチェックイン完了。空港税は切り込みされているはずなのに、そうではないとカウンターのお姉さんと格闘。以前もタイで同じことがあったのでかなりもめるが、とりあえず乗れないといけないので、空港税のチケットを買う。この半券があると後から返金するときに確実なので全員分をゲット。いったん解散して搭乗時間まで過ごす。

待合室にスタバがあったのでここにイン。うむ、うまい。なんてうまいんだ。日本じゃそうはおもわないけれど、アジアに来ているときにスタバのコーヒーを飲むと本当にほっとするんだよね。8:25.CI791便に乗りハノイへ。初ハノイであるのに気分が乗らないのは明日からの予定が見えないからか?ここから3時間のフライトだ。時計をさらに一時間前倒しする。タイペイで1時間、ベトナムで1時間の時差は以外に楽だ。

 

時折激しく揺れてちょっと怖い。飛行機はどれくらい揺れると危険なのか?そんなことをきいても教えてくれはしないだろうけれど不安に思うことがある。たとえば航空会社によって揺れが違うとかあるのかな?そうであれば揺れない飛行機に乗りたい。

機体は降下をはじめ雲の隙間からハノイが見える。一面水田が広がっていて思っていたイメージと違っていた。ベトナムの首都だから、きっとホーチミンよりも栄えているのだろう?ホーチミンが商業の街というから北京と上海の差くらいだとおもった。でも実際にはかなり農作のイメージが強い。1035.急ブレーキをかける機体はようやく停止。ハノイ国際空港に到着だ。

僕らの旅の歴史に新しい街が増えた。すべてはこれからだ。

 

空港ではmaiちゃんが待ち受けていた。

photo by aki

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「いろいろありますがまずはホテルに向かいましょう」一緒にVANの姿もあったがやはり表情がさえない。詳しいことはあとでといいつつバスに乗り込む。市内までは約40分ほど。農村地帯からだんだん都市部に入ってくる。町並みはフランスの面影が強い。ホーチミンでも感じたがそこよりも強い印象だ。

バスの最前列ではvivi/mai/vanがいろいろ状況を話し合っている。そのうちスケジュールが発表された。本来空港で行いはずのインタビューは中止で、明日、別の会場で行うことに。そして、明日予定されていた記者会見も中止となった。

また、コンサートはやはり中止になったようだ。理由はサッカーの試合。詳しいことは知らなかったがアセアンではタイが一位、ベトナムが二位という順位がずっと変わらなかったらしい。そこで今年も同じようにタイに負けて終了という雰囲気だったのがなんとアウエーのタイでベトナムチームが奇跡的に勝ってしまった。そこで急に盛り上がってきた最終戦。それがミーディンスタジアムで28日に行われることになったということだった。もともと、サッカーの試合は負け試合の予想だったので誰もがノーマーク。事実選手もこの最終戦の日に自分の結婚式を入れていた始末(ってありえるの??)そんな中、国中が盛り上がってしまいこのミーディンスタジアムの横にあるミーディンのコンサートホールでの開催は非常に危険であり、中止にしてほしいということになったらしい。「あなたたちのコンサートだけでなく大きな行事すべて中止になったのでしかたがありません」という。とは言ってもそれはベトナム側の事情で僕らの事情ではない。そんなことが許されるのか?そんな仕事があるのだろうか?という思いだ。

 

口にしてしまえばいくらでも攻撃的になってしまうので気持ちを抑える。

 

「ところでVietさんは?」今回のプロデューサであり、ステージ関係をしきる実質的な責任者のVietさん。彼との連絡が出発の日以来つかないのだ。25日の午前中には僕らのインタビュー原稿を早く送ってくれと催促が入った。そして、午後、maiちゃん経由で中止の可能性を伝えられる。その後連絡の取れなくなったプロデューサーの居所を聞くと「つかまらない」という「ゆ。行方不明?!」一瞬言葉に出してしまった衝撃的なこと。

あとあと、状況を聞くとなんとなくはつかめるのだが、とにかく現場の運営母体であるVanの会社とプロデューサのVietさんの間で揉め事があったらしい。うむ、修羅場だ。

僕らの目の前でベトナム側のイベントが崩壊しそうになっている。この事態をどうして行くのか?そうこうしているうちにホテルに到着。

Photo by aki

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DaewoHotelは市内の中心部にある五つ星の高級ホテル。公演を行わないのにこんなによいホテルに泊めてもらって申し訳ない。チェックイン後すぐにランチへ。やっぱりフォーでしょう。ということでちょっといい感じのフォー屋さんへ。

 

photo by Sugimoto

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ベトナムは色使いやデザインなどおしゃれなものが多い。このお店もグリーンに統一されたおしゃれな感じだった。今までホーチミンのフォーしか食べていなかったがハノイのはとてもおいしかった。本当に味が違うんだということを実感。

photo by aki

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ホテルに戻り一行は自由行動にしてGYPSYQUEENのメンバーは日本大使館へ。元々表敬訪問に伺うことになっていたが、結果的には実施中止報告に変わる。大使館では古館一等書記官が出迎えてくれた。ここでいろいろな新事実が発覚。事前に主催者からの情報があまりに少ないこと、明日の記者会見の手配など主催者がまったくいい加減だったことがわかる。

僕らは最大の被害者だが、大使館の方も大変だ。ある意味かかわっている以上僕らも責任を感じてしまう。情報共有とは重要で些細なことでも共有することが望ましい。これからも続くベトナムとの関係だからその点は僕らも注意して行っていきたいと思った。話はいろいろなことに及びこれからのベトナムでの活動などで広がりのあることも話せた。何よりも今までまったく接点がなかったベトナムの日本大使館の方と直接話しができたことはうれしい。どうしてもメールだけだと会話がぎくしゃくしたり、またメールをしてもまったく返事がないなんてことがある。

それはどんな場面でもそうだが立場とか階級を越えて一人の人間としてそういうことは失礼だと思う。それが不愉快なものであれば仕方がないが、僕はどんなときでも頂いたメールに対しては誠意を持って答えていきたいし、それが世の中のルールであると思っている。だからこそ、メールで会話をする前に直接顔を見て話ができたことがうれしい。そしていつしかそれは信頼関係になってくるのだろう。

photo by mai

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長居をしてしまったが、状況把握のための情報交換をたくさんすることができて、およそ今回のいきさつやその背景がわかっただけでもよかった。あたまは切り替える。ホーチミン公演にターゲットを絞っていこう。

 

国によって感覚は違うが今ベトナムにとってサッカーでの勝利は国全体の大きな問題にもなるということ。なんだかすごいな。日本にはそんなパワーあるんだろうか?その当日ハノイに滞在している僕らは残念ながらコンサート会場ではなく街で試合の結果を待つのかもしれない。「サッカー終わったら街はあるけなくなるよ」ベトナム人はみなそう言う。そんな風景見たこともない。

ホテルに戻り僕はもろもろの整理にあたりmachaはライブができる会場を探しに行く。こういうときのGYPSYQUEENは強い。全員が躍起になって何かをやるということはない。それぞれの役割を把握してベストな動きをする。ステージをやるには下見が必要でどこでもやれるわけではない。中国でかなり痛い目を見てきている僕らは下見は必須だ。酒井氏とmachaに任せて残りはホテルへ。

photo by T.Hagiwara

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そして夜はチャイニーズレストランへ。心配をしていても状況は変わらないのでハノイ風チャイニーズを楽しむ。その後同じホテルでファッションショウを主催していたホーチミンの福川さんと合流。まったくの偶然である。市内の焼き鳥屋に行きたいといっていった先は町の路地で食べる屋台の鳥屋だった。

鳥の手がリアルで怖い。座高の低いプラスチックのいすに座り真横をバイクの排気ガスがよぎる。裸電球の下でハノイっ子は盛り上がる。ものすごいパワー。かなり寒くてジャケットしかない僕はちょっと体調悪い感じ。それでもその雰囲気に酔う。

photo by T.hagiwara

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23時を回るとさっきまでおお盛り上がりだったグループがどんどんいなくなってくる。

日本のようにいつまでもだらだら呑んでいるということがないというのもこの国の特長かもしれない。

そんな流れに合わせて僕らも退散。部屋に戻り2:00過ぎに就寝。




2008/12/277:00起床。8:00朝食。昨日から比較的にゆっくりすごしている。これはいつものツアーと違うな。ゆっくりできればいいわけではない。焦りを感じる。

 

photo by T.Hagiwara

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9時から観光に行こうということを断り部屋でリハーサル。すでに3日間楽器に触れていない。ホーチミンでの変更の可能性も予想してバリエーションを増やす作業に入る。午前中いっぱいはそんな作業に明け暮れる。外は雨だし何よりも余計なことを考えずステージのことを考えている時間のほうがすごしやすい。

 

お昼はmaiちゃんのお父さんのご招待でみんなでご馳走になる。いろいろ僕らのことを気遣ってくれているのか本当に申し訳ない。一行はホテルから15分ほどにあるmaiちゃんの自宅へ。そこで歓迎を受けることになった。お父さんといってもとても若くて利発そうな方だ。

Photo by T.Hagiwara

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この親あってこの子ありとはよく言ったもので、とてもたのしませてもらった。ウオッカハノイでのカンペイが始まるともう「モッ・ハイ・バー・ゾー」の連発。Maiちゃんの一族が出てきて盛り上がる。

ホーチミンでは親戚の一族とも会ったし、こうして家族ぐるみで僕らにかかわってくれることはとても尊いことだと思う。おいしい食事、たくさんのお酒に囲まれてしばし、ここがどこか忘れるような時間だった。

 

Photo by T.hagiwara

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15時近くになり一度ホテルに戻る。夜はミーリンと会うことになっていた。彼女も今回の急遽の中止を知って気にしてくれたのか一行全員を食事に招待。ありがたい。

 

ひとつの出会いがこんなにも広がってくれてうれしいやら申し訳ないやらだ。指定された店はハノイ市内の焼肉屋。おお、そう来たか、という感じ。到着するとフイタンが出迎えてくれた。懐かしい顔。ベトフェス以来である。そして、アンカンも。ミーリンはステージがあり遅れてくるということでこのメンバーで乾杯。

 

「なぜ、中止になった?」といろいろ聞かれて話をする。この出来事はベトナムでも有名になっており、ありえないことと彼らが僕に謝ってくる。これが当たり前のようなら困るがベトナム人にとっても意外なことであり、またそれを恥ずかしく思うベトナムの友人がいるということが僕らの救いなのかもしれない。

 

誰に文句を言っても仕方がない。でも、「僕らの公演を中止にするんだからベトナムチームは勝ってくれないと困るんだよ」とそれくらいは言わせてくれ。まあまあ、ということでフイタンにビールを飲まされる。そんなときにミーリンが登場。ステージ衣装のまま駆けつけてくれた。

 

photo by T.Hagiwara

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彼女も事情を知っていてまずはそのことについてshinonに慰めの言葉。そして乾杯。そうだ、これは3ヶ月ぶりの再開の日なんだ。この日はこれからの僕らとミーリンの関係について話をした。一緒に組んで何かやりたいという気持ちは双方にある。それではどうすべきか。このあとのライブの後にじっくり話そうということになり、宴は盛り上がる。

 

 

21時。そろそろ僕らはライブの準備に行かねばならない。名残惜しいが再会を約束してミーリンと別れる。「今日はありがとう、次は東京で会いましょう!」というと「その前にハノイのステージで会おう」という。

そうだリベンジにこないとね。ホテルに戻り急遽設定した今日のライブ会場へ。ここはJAZZCLUBというなの旧市街にあるライブハウスだ。萩原さんの紹介であらかじめmachaが視察して機材的に問題ないということで「ちょっとやらせて」と交渉。快く受けてくれたのでミニライブをやることになった。

 

外は相変わらずの雨。朝からずっと降り続いていて寒い。22時。細い道をたどってようやく会場に到着。すでにお客さんはほぼ満員常態でいい感じの飲み屋状態だった。到着後すぐにセッティング。誰が言い出すわけでもなく、自分の準備を始める。電源の供給状態が悪く、なかなかアンプに電源が入らないなどはあったが下見の成果もあり、要領はつかめている。ライブハウス側が「もうやるの?」くらいのタイミングでスタンバイ。ボーカルマイクをもらいライブは始まる。

 

客層は欧米人が大半だ。セットリストと急遽変更して、洋楽のカバーを入れて構成する。内容もロックなものを。ShinonMCとともにハノイ一発目のステージが始まる。会場の規模やお客さんの数ではない。そこに聞いてくれる人がいるならば僕らは演奏を行う。GYPSYQUEENのオリジナルナンバーを2曲。SaigonCityとMoonlight&sunshineを演る。お客さんの反応もいい。

 

 

ここでyukoちゃんにも登場してもらう。ホーチミンのリハにしておくにはちょうどいいということで彼女にも歌ってもらうことになった。そつなく「アリガトウ」を演奏。

 

そしてshinonの再登場ということになるのだが、そこにオーナーがステージにでてきた。何を話すのかと思ったら、ここはジャズバーだからロックはできない、という。「は?」耳を疑う一言。まあ、ロックといってもヘビーメタルではないし、昼間に確認をしてきている。そのための事前確認だし、何よりもお客さんが盛り上がっている。このちょっとふらふらした怪しいおじさんがオーナーのようなのだが、まあ、仕方ないと思いステージを降りようとする。そうすると客席からはブーイングの嵐。僕らにではなく、もっとやれ、というエールのブーイングだ。

 

photo by Sugimoto

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アンコールが会場に鳴り響く。そうか、よかった。少ない曲数だけれどこのハノイの人たちは僕らを歓迎してくれているのだ。楽器の電源を落とすとさらに歓声は高まる。結局、もう一曲やっていいことになり、再度ステージに。音楽をやっていてこの瞬間がうれしい。

 

最後の曲はなぜかメンバー全員音が微妙に大きくなった。僕もフルボリューム。音楽は形式ではない。演る人と聞く人のためにある。だから求められればどこでもどんな状況でも演奏する。それがGYPSYQUEENだ。ステージを降りるといろいろな人が笑顔で見送ってくれた。フイタンもきていて「ここのオーナーはドランカーだから気にするな、息子が「お父さん、なにいってんだよ。。」とステージサイドであわてていたよ」、といたずらっぽい顔で言ってきた。

 

本当にトラブルが多い旅だが、まあこの程度はたいしたことない。しばらくするとこの会場を紹介してくれた人がきて一緒に飲もうという。英国人っぽいが怪しい日本語を話す面白い人だ。とりあえず、この店を離れついていったバーがモロに怪しい。絶対に僕らだけでは来ない。

GYPSYQUEENですら行かない場所。そんなDEEPなエリアだった。一飲みして店を出る。こんなところにこれたのも今日の出会いのおかげである。すべてに感謝だ。タクシーがほとんど来ないような場所なので止めるのに一苦労。それぞれ分乗してホテルに向かう。およそ15分。5万ドン。やはり物価は安いよね。

 

ホテルにもどり解散。それでも僕らの仕事は終わらない。フイタンとサイド待ち合わせをしているからだ。ロビーで待っていると1時過ぎにフイタンが到着。「さっきのバーはオーナーが頭おかしいから気にしないほうがいいよ、ミーリンに話をしたら、頭を抑えていたよ」と笑って話す。まあ、そんなことだろうとおもった。そして、ミーリンとのコラボの話をする。それぞれの思う計画を話し、お互いが持ち帰ることに。

 

来年は確実に何かできるだろう。音楽というものは決してあわててやるものではない。だが、ものに賞味期限があるようにいつまでものんびりやっていてはできることもできなくなるし、できたものも面白みのないものになってしまう。タイミングが一番重要で僕らとミーリンのルーレットは今一番乗っているときなのだ。

 

来年何かができることがお互いのプラスになる。それは再来年ではだめな話であることをフイタンもよくわかっていると思う。ターゲットを決めてこの日のミーティングは終了。メンバー揃ってのミーティングは話が早い。

 

何よりもこの今おかれた状況、ライブをやって飲んで、そしてこのミーティングにみな照準を合わせているのが頼もしい。眠いとか疲れたとか酔ったとかそういったどうでもいいことを言うメンバーではないことが僕の誇りである。一緒にアジアで旅をする仲間として頼もしいパートナーだと改めて思った。

「今日はおつかれさんだったね」「いやいや、ぜんぜんまだまだですよ」masaoが言う。そうだ。まだ何も始まっていない。これからなのだ。

 

2008/12/28.
6:00起床。今日は急遽の移動日となる。当初29日の移動であったが本日の夜サッカーの試合がここであるために、混乱を避けるために早々とホーチミンに移動することになった。まあ、それを知ったのも昨日の夜だったが。6:30に食事を取り7:30に出発。すばらしいホテルのおかげで体調は万全だ。ただ、結局ハノイの街を歩くことはできなかった。 
photo by masao

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まあ、またくればいいか。バスの窓からだけの市内探訪。そして、1時間もするとノイバイ空港に到着。9:50のindochina航空に乗るという。indochina航空?聞いたこともない航空会社だ。

photo by aki

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本当にそんな会社あるの?とおもったらちゃんと空港にバナーも出ている。フム、不思議だ。日本ではわからないことがたくさんありすぎる。

photo by aki

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本来は後続組が到着して、一泊してからホーチミンという予定が今日に前倒しになった。その代わりに必ず後続組がきてからホーチミンに移動したいということを言ったのだがフライトは9:50分。。ぜんぜん間に合わない。チケットも無く到着した後続組はどうするんだと問い詰めるとVANは「では私が待ってチケットを渡します」という。根本的に何故時間のこの時間に設定したか分からない。結局VANだけでは顔がわからないということで酒井氏が残ることに。それがわかるとVANはチケットを酒井氏に預けて先発組に。まあ、二人でいる必要は無いわけだが。何かおかしい。結局後続組でくるAVEXの宮脇詩音はこないことになった。スケジュールが見えない以上仕方が無いことだ。もし、きていたらぞっとする。ハノイに到着して、そこにはすでに僕らの一行の姿が無いとしたら。日本ではありえないこと。日本だったら、この先プロモーターとしての仕事を確実に失うようなことだ。

photo by T.Hagiwata

 

まあ、ここはベトナム。そういってしまえばそれまでではあるが、VANにその辺を問い詰める。彼女自身この不可抗力的なトラブルの対応でここ数日深夜までずっと後処理に回っている。かわいそうではあるがこれはビジネス。甘いことを言っていたら彼女にとってもプラスにならないし、なによりも自分達が痛い目を見る。あえて厳しく追及する。僕らだけならいい。今回はそうではない。それが何故か僕らにとってもプレッシャーになっている。幸いツアーメンバーは誰一人不平は言わないが、明らかにこの進行はおかしい。

きっと嫌いになるね。初めての海外でこんなことがあれば信用をしなくなるだろうし、きっと怖がってもう二度とアジアと仕事はしないだろう.何よりもそれが怖い。人の感情は気まぐれだ。嫌いになったら全てがだめ。でも、この国はそんなことはない。嫌いになってほしくない。タイミングが悪くこんな状況になっているがいいところもたくさんあるのだ。それを知っている僕らは我慢できるが,初めての人にそれを求めるのは甘えだと思う。自分は一生懸命やっているなんて、大学のサークルのようなことをいっていてはこの国は発展しない。とはいえ事を荒立てて更に雰囲気を悪くすることは得策ではなく、酒井氏に出迎えを一任。まるで捨てられていくドナドナのような感じで彼を見送る。

酒井氏としばしお別れのあと、一行はゲートに進みIndochina Airline VP881便に搭乗する。機内にはベトナム人とチェコスロバキアのクルーが乗っていた。よく見ると合弁会社のようで二つの航空会社が合わさったようだ。何故ベトナムと欧州?と思うが結構ベトナム人はロシアに留学をしているし、いろいろ事情は異なるので良く分からない。

 

まあ、無事飛んでくれれば問題ない。9:50ハノイ発。約2時間のフライトの間にホーチミンでの予定を確認。そして11:50。景色を眺める余裕も無くホーチミン着。暑い。とにかく暑い。

 

やはりここはいつでも真夏。いいぞ、いい感じだ。空港をでて見慣れた道を市内に向かう。気持ちを切り替えていこう。途中「ここが会場です」といわれた。停車するわけでもなく、みんなでみるわけでもなく、何気なくバスの通りがかりであったが、その名をきくとPhan Dinh Phung という会場名だった。当初の会場はQuan Khu 7Studiumであったが前のプロデューサとの関係があったためここに変わったという。そうか。それはかまわないが変わったら真っ先に言うべきなのにそこを心得ていないところがまずいのでは?心の中で思った。ホテルにチェックインをした後各種連絡。近くのフォー24で昼食をとる。ハノイとは味が違うんだよね。

今までホーチミンのフォーしか食べたことがなかったので格別においしいと思っていたがハノイの方が僕には口に合う感じだった。でも、このフォーも格別にうまい。ビールを飲みたいところだがこの後の予定を考えてやめておく。やっぱりベトナムではカーフェスダだ(練乳入りアイスコーヒーね)。

 

15時。今回のテーマでもある子供たちの訪問のためにSOS村に向かう。SOS村?僕らがはじめて聞く名前だ。Linhさんから電話が来てこのあとSOS村に行くといったらすぐにわかったのできっと有名なんだろう。市内からおよそ30分弱。ついたのはとっても大きな施設だった。メインの建物の前に大きなクリスマスツリーが飾られてある。

photo by T.Hagiwara

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それを横目に建物の中へ。そこでこのSOS村の長の方とお話。取材もかねているので子供たちとの交流やどう思ったかなどを答えてくれという。言われるままに僕らはそれぞれの施設に向かった。ここはおよし20ほどある家の集合体。それぞれの家にはお母さんがいてそのお母さんが孤児や何かの事情で家に入れない子供たちを育てているという。そのお母さんたちは結婚をせず一生子供たちを育てることに人生を費やすそうだ。子供たちにはすでにこのSOS村を卒業して大学に通うものもいたり、結婚してまたSOS村に今度は支援者として戻ってきたりしているという。なんということなんだろう。

今までいろいろな支援の形を見てきたがここのお母さんほど本質的な支援は見たことがなかった。いわゆる子供たちの本当のお母さんになるということ。それはすばらしいことというか、僕には到底まねのできない行為だ。その愛の気持ちに感激。そして、子供たちの明るさも納得だ。この愛のある生活はきっと普通の子供と一緒、ある意味それ以上のものがあるのだろうとおもう。だからこの村の子供たちはみな元気だ。決して暗くないし、それがポーズでもない。

たくさんの家があるので統制は難しい。それぞれの家がひとつの社会となって存在している。家の中に入ると子供たちと一緒に歌を歌ったり、machaが伴奏をしたりして楽しむ。

 

photo by T.Hagiwara

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途中インタビューをされるがもうその目の前にいる子供たちのことだけを話し続けた。何よりもこんな施設があることを自分はぜんぜん知らなかったし、こんなに悲壮感のない「SOS」村なんて本当に素敵なことだ。子の村はベトナム国内で10箇所くらいにあるという。いつかほかの施設にも行ってみたい。そして、次にくるときにはほかの人にも紹介したいね。

photo by T.Hagiwara

そんなことをしていたらあっという間に暗くなった。時間も18時近くになっている。僕らが戻ろうとするとしのんは一人の男の子に連れさらわれるし、yukoちゃんはべったり子供に抱きつかれてなかなかバスに乗れないし、という状況。しのんはその子の家に連れて行かれて一緒にピアノを弾いたという。音楽ってすごいよね。

photo by T.Hagiwara

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音だけで会話できるんだ。きっとその子にとってしのんに遊んでもらったことずっと覚えていると思う。それが僕らができる支援なんだなっておもった。そしてこの村のことを伝えること。それが重要な役目だと感じた。みんなもっと興味を持ってくれ。どんな感想でもいいから一度行ってみるといい。それがよいと感じても別にと感じてもいい。

 

何かを感じてもらうことがきっと彼らのためになるんだと。名残惜しくもSOS村をでた一行。市内に戻り食事に向かうのだが道は何故かすいてきた。そうだ。今日は例のサッカーの試合。タイとベトナムの最終戦である。僕らの公演を中止にした試合。聞くところによるとオフィシャルな大きなイベントは軒並み中止であるらしい。

 

photo by T.hagiwara

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バスの半数を占めるベトナム人チームはすでにボルテージが上がっている。「ヴィエトナムボーディック!(ベトナム勝利!)」バスの中ではすでに試合は始まったようなもんだ。ホーチミンにしては異常に車の少ない中時折人だかり(バイクだかり)があるところはみな街頭に大きなTVがあった。レストランについてもほとんどお客さんがいない。とおりを隔ててバイクの群れが見えてその先には大きな液晶TVがあった。試合が始まり僕らはそこそこもりあがり食事。ベトナム人は立ち上がって大声援。なんてすごいの。ようやくわかった。今日はコンサートなんてできないってこと。ここホーチミンでそうならばハノイは大変なことになっているのだろう。

サッカーを応援しなければ非国民くらいの勢いだ。バスにつながっているTVをなんとドライバーがはずしてレストランの中に。そしてこのレストランも観戦場に変わる。そんなこんなで落ち着かない夕食。忘れてはいけないがここで最終合流チームも到着して全員が揃った。食後帰りのバスの中でサッカーも佳境。ロスタイムとなりなんとそのロスタイムでのPKでベトナム勝利。。。。

 

Photo by T.Hagiwara

Photo by T.Hagiwara

そこから。。。

 

もう大変です。ここは昭和の暴走族時代かと思うくらい街は騒乱で麻痺。道という道に国旗をもったバイカーがあふれ道を封鎖して絶叫を上げる。これは歴史的瞬間なんだ。タイにベトナムが勝つということは単にサッカーゲームのことだけじゃない。そういったパワーも含め、炸裂するベトナム人チーム。もちろん僕らもね。VANも盛り上がっていた。さっきまでの表情とは180度違っている。

photo by T.Hagiwara

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「でもあなたは今盛り上がっちゃだめでしょう」といいたいところだし日本人なら絶対にわきまえる。それほど多くのトラブルを生んでいるわけだからね。それも、関係なく盛り上がる彼女。まあ、今日は特別なのかもしれないということで見て見ぬふり。通常の倍以上時間をかけてホテルに到着。すでに2130を回っていた。

 

ホテルに一度荷物を置き、最終参加メンバーをねぎらいにオペラハウスの横のバーへ。そこからの眺めも最高だ。ベトナムのパワーを思いっきり感じる。その後メンバー全員揃ったので状況説明とミーティング。24時近くまでじっくり話をして明日以降のスタンスを整える。やることはやっとかないとね。騒ぎの中に真っ先に飛び出していきたい気持ちを抑えてミーティング。この時間は重要だ。

24時。レストランの終わりにあわせてホテルへ。まだまだバイクの群れは続いている。このまま朝まで変わらないのだろう。ベトナムにとってこれは大きな歴史の一ページなのだ。地元民の盛り上がりを見れたことを喜びとしよう。2:00就寝。いよいよ明日は会場入りだ。



2008/12/29。

7:00起床。昨夜は途中まで外の大騒ぎで寝れなかったが結構熟睡できた。9時食事前にVANを呼んでミーティング。午後からの下見を午前中にしてもらう。9:30朝食。メンバーに今日の予定を連絡、10:30会場に向かう。

到着した会場は規模はそこそこだったが現地スタッフが事前情報をまったく持っていないことに閉口。僕らが事前に送ったセットリストやセッティング図すら持っていない状況だった。

photo by aki

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ステージ自体は問題ないが機材の中にピアノがない。聞いてみると「キーボードがある」という。でも、それは求めていないし、一番最初にグランドピアノということでにーにょのパートを割り振った経緯もある。そして、それにあわせて選曲をした。ここは絶対に譲れないので「ピアノをよういして」と伝える。今からは無理だというので「絶対に用意しなければいけない。」と強くいう。結果何とかすることになったがハノイが無くなっていらついていた分、強気の交渉が良い結果に繋がった。

photo by aki

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まあ、きたのはアップライトピアノだったがここは我慢しよう。それにしても無いって言っていたんだけれどね。照明についても演出シーンを説明して説明。今回の全体のサウンドプロデューサに酒井氏がなったこともあり、細かな指示が出せる。モニター環境についても酒井氏のオペレーションもありまったく問題なくなった。

機材があっても使い方を理解していないスタッフが多い中、それを教えるということも重要な役割だ。事実、エンジニア達は酒井氏の生徒がごとく真剣に話を聞いて作業していた。お互い教えあってステージを作る。僕らは演奏するだけだが、スタッフは仕事の仕方を伝達する。それがとても意味のあることであり、大切にしていきたい交流の形である。

photo by T.Hagiwara

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演出関係の打ち合わせをしつつ、フィナーレのコラボについても打ち合わせ。このコラボについてもまったく現地アーチストサイドに話が伝わっていなかったが、unlimitedが参加したいと言ってきてボーカルとギターに参加してもらうことになった。バンドマン同士は話がらくだ。このバンド妙に凄くてベースは7弦(どうひくの??)ギターもいわゆる超早弾きの純正様式美メタルで、ベトナムでは最注目株のバンドだ。翌日、Shinonの指導のもとベトナム語の歌詞も作成したコラボ曲「blue sky」のパート決め。Yukoちゃんにも入ってもらい進行。

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そこでのやり取りが面白かったのが、が最後の部分はやはり日本語にしたいということでボーカルに日本語をおしえていた。でもなかなかしっくりこない。歌詞は「あなたに会いにゆこう」というパートでこの歌詞をおぼえさせるのに「ゆこうはyuko」と覚えさせた。これが効果をそうして完璧に。うむ、覚えるというプロセスは面白いもんだ。

 

話は戻りHo Ngoc Haと共演するという話もあり曲を準備していったがカラオケでないと歌えない?という理由で中止。ベトナムのトップシンガーといえどもクチパクが通用したりするようでスタッフは「彼女は歌手ではないから歌はだめなんだよ」といっていた。そんなこともあり僕らはunlimitedとの共演に集中する。

 

はじめてあった現場のプロデューサ(僕はミスタービーンと呼んでいる)も最初は怪訝そうだったし、僕は文句を言いまくったが、最後は僕のステージアクションの真似とかし始めて仲良くなる。一緒にステージを作る仲間が固まった。この彼も26日からこのプロジェクトに参加したという。みな,環境は一緒だ。「明日、楽しみにしているよ」。そう伝えて会場を後にする。

 

ホテルにもどり先ほどのセッティング図をコピーしてVANに。そして、14時、遅めのランチに出発。BANH XEO MUOI XIEMというバインセオの有名な店だ。ここは各種いろいろな味のバインセオが食べられる。ビール!といきたいところだが、もう本番モードなのでカフェスダで。食後、大学での演奏があるということでホテルに戻り準備をする。

 

17時に出発するので16時にメンバー集合をかける。セットリストも決めていないから、そこで決めようと思っていた。しかし、16時に集合した時点で「大学の公演は変更になりました」とmaiちゃんから電話。理由は僕らが35周年事業できているために政府の許可をとらないといけないのではと大学側がしり込みしたからだという。そんなことないのにね。でも失敗したとおもった。いつもならやると決まったら、メイン会場の下見の後に大学にちょっとでも行っておこうよ、となったはずだし、行っていればいろいろ話をしたりしてこうはならなかっただろう。この感覚よくわかるのだ。

相手からすると僕らは政府招待のVIP。ちょっとしたことでトラブルがおきたら大変だし、日本人のROCKバンドというだけでかなり警戒される。何かあったら大変だからと思うのは日本の企業の考え方と同じ。むしろ、これらの国々はその点は日本より慎重なところがある。きっと、ぼくらのステージシステムを揃えられないというのが理由でもあるんだろうけれど、下見にいって「これで充分だよ」と担当者に一言いってあげていればきっとフレンドリーに出来たろうし、うまく話はすすんだろう。いつもはそうしていた。でも、それを怠ったためではないかもしれない。

 

もともと今回はテーマが大きい。国の事業だ。だとしてもやらないよりやったほうがいいと思う僕らと、日本からの招待客に失礼があってはいけないと思う現地との温度差があったわけだ。まあ、それはいい。

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その後新聞の取材。「ハノイ公演が中止になったことについてどう思うか?」と聞かれたので思ったとおりに答えた。

 

大学でのイベントがなくなったおかげでこの日は全員でHienThucと会うことができた。到着したお店はバインセオ屋さん。それもかなりいい感じ。「昼もだけど。。」と思いつつ、前回会ったときに「バインセオ食べてないから食べたい」と彼女に言ったのを思い出した。

 

 

photo by Sugimoto

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きっと気を使ってだろう。そんなこともおぼえていてくれたのねと感謝。昼間の店とはちがってここのバインセオはなんだか異常に大きかった。そして、えび生春巻きの山。もしかしてすごく贅沢なことしていない?と思う。明日の公演にHienThucもゲストとして出てくれることになり話は盛り上がる。たいした打ち合わせが必要でないのはもう一度一緒にやっているからだと思う。

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これって重要だ。初めてやるんじゃこんなにも急に、そして軽くは決めていない、ていうかきまんない。これも日本での経験からくるものだよね、と感謝。20時過ぎにレストランを出る。HienThucのお母さんともご挨拶。なんだかいい仲間になってきたなと思う。しとしと雨の降る中、渋滞を切り抜けバスはホテルへ戻る。

 

道は大渋滞。結局1時間近くかかった。21時。ホテルに戻りGYPSYQUEEN一行はホーチミンで話題のライブハウスセブンティーンサルーンへ。今日のライブの打診をするためだ。タクシーで3万ドンの距離。到着するとドアガールが「何名?」と尋ねてくるので「マネージャーいる?」と。マネージャーに対面して僕らが日本のバンドであること、ここで数曲演奏したいがいいか?などと聞く。「いつ?」、「いまから」。ストレートだ。

 

いきなりなお願いではあるが思いがけず歓迎してもらえた。去年もここによってやっているのだが、スタッフが覚えていてくれたみたいだ。ということで問題もなくステージに上がることに。ステージではフィリピンバンドがハードコア系のサウンドで盛り上がっている。楽器を持っていかなかったがハコバンのものを借りて4曲演奏する。

 

ここでは何の制限もないのでおもいきりROCKのナンバーで攻める。会場での受けもよく気持ちいいね。ようやくここにきてテンポを思い出した。アンコールがかかるがステージを降りて飲むことに。マネージャーから差し入れのフルーツなどが届く。ハコバンからも好評で握手を交わす。音を出してなんぼのバンドマン。最初はこの人たち何?とおもっていたマネージャーの今の笑顔がすべての証だ。

 

気持ちよかった。やはり自分達でやらねばだめだ。ほかの国でもそうしていた。それを思いだした。自分たちでやるときりがない、広がらないこともある。それでも、自分たちで作ったものは格別な味わいであると僕らは知っている。帰りはホテルまで15000ドン。23時いつものバーに集合し反省会となる。

 

今日は良かった。この勢いで明日につなげよう。こんな苦境に思えることもみんなの表情は明るい。余計なことは考えることはない不安を探して顔にしわを作るよりも今回の集大成のために、気を使っていていろいろ動いてくれている大切な人たちのために集中している。みんなの気持ちが一つになったままここまで来れた明日は必ず成功する。

 

絶対なんてありえない言葉は使いたくないけれど明日は絶対に成功させるよ。

 

24時過ぎ。ホテルに戻る。昨夜とは打って変わっての静けさだ。


2008/12/30。7:00起床。9:00朝食。昨日からテンションは上がっている。全員が行っても仕方ないので機材の確認と昨日お願いしたことの確認のため、10時に先発隊出発。僕は事務作業があり、後続組になった。

先発隊はmacha、酒井氏、masaoの3名。全員で動けるバンドは強いが更にそれを超えて全員で動かないことができるバンドは強い。10:30先発隊を見送り僕はサイゴンの関係者へのチケット渡しやら諸準備を行う。ここにきてようやくばたついてきた。

 

12時の出発時間はあっという間に。会場に着くと照明もすでに入っていてベトナム人シンガーがリハーサル中だった。みな、とてもいい歌声をしている。しばらく眺めていて、まだ出番は遠そうなのでランチタイム。Machaに聞くとおよそ電源系統は問題ないそうだ。

 

photo by Sugimoto

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14時過ぎ、リハーサルの始まった僕らを会場に残しviviは支払い関係の打ち合わせに。その間もリハーサルは進む。GYPSYQUEENはOK。ゆうこちゃんもOKだった。ホテルにもどり衣装を調えて18時に出発という段取りになる。その間も事務方はいろいろな作業に没頭していた。

 

合間に新聞の取材を一件。毎回ホーチミン入りすると取材をしてくれるVAN ANHの取材だった。「なぜ、あなたたちの曲のSaigonCityを演奏しないの?すばらしい曲なのに」ときかれた。「理由はわからないけれどこの曲はやらないでほしいといわれたからさ」。この点についてはいまだに理由がわからない。Saigonというのが街の正式名称ではないから?まあ、拘っても仕方がないのでやらないだけだが楽しみにしていた人がいたとするとちょっともったいないな、とおもった。この曲はサイゴンに生きる人たちの元気なパワーを感じて書いた夢と希望の曲だからね。

 

そうしているうちに出発時間。結局この時間を過ぎても過ぎても打ち合わせは終わらず先発隊としてほかのメンバーには先に行ってもらうことへ。僕はちょっと遅れた第二便に乗った。会場に到着するとすでにお客さんも入っていた。ただしアリーナが全てVTV(ベトナムテレビ)に押さえられてカメラしかないのでなんだかスカスカ感がある。

 

photo by T.Hagiwara
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公開放送的な感じでまるでビートルズの日本武道館の公演のようだ。そういえばモンゴルもこんな感じだったかもね。今日は生放送で全国に放送される。生放送で大丈夫なんだろうか?まあ、大丈夫だろう。僕らが粗相しない限りね。生放送って本当にあっという間に、という感じですでに始まろうとしている。

 

司会者が登場。まるで歌謡ショウの雰囲気だ。楽屋でなんとなく和気あいあいで待っているとプロデューサーが血相を変えて入ってくる。「1番目の歌手がきていないのでみんなステージにでてくれ。で、ちょっと話してつないでくれ」。えっ、そういわれましても。。まだ着替えも半分の時の乱入。ミスタービーンも血相をかけている。こちらの意思とは関係なくステージに引っ張り出され質問コーナーに。

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的外れなことを言わないように景気づけでベトナム語であおってみる。なんとか反応があった。よし今日はベトナム語使うぞ。ちょっとの時間だったが無事お役目をおえてステージを降りる。 

生放送ってこの国だと危険じゃないの、の予感的中の巻きである。そして遅刻歌手が到着。事なきを得た。その後yukoのステージである。今回初参加、初アジアライブ。どんな思いなんだろう。でも僕らが1回目の時と明らかに違うとおもうね。グローバルな時代になったもんだ。予定の3曲を歌い終わり楽屋では歓迎の嵐。

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Yukoちゃんおつかれさま。ハノイがなくなちゃった分ステージは少なかったけれど、SOS村ではとびきり新鮮な体験ができたと思う。これからもアジアを愛していてほしいな。

 

そして、Ho Ngoc Ha、Ho Quynh huongと続く。いずれもベトナムを代表するシンガーたちだ。Ho Quynh huongはものすごくパワーがあって怖いくらいのライブ派。あれはすごいよ。踊りはマイケルジャクソンのスリラーなみ(ちょっと懐かしい)。その勢いに食われてしまいそうだ。

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そしてGYPSYQUEENの出番である。オープニングのSEが流れる。ステージに上がると歓声が迎えてくれる。Machaのイントロから始まり一曲目Without youは久しぶりのROCK曲。この曲を一曲目にするということは今回の方向性がモロに見える。ROCKで押し通す。それが今回の構成のテーマだった。続けてMoonlight&sunshine、そしてI hope soと続く。

 

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この曲をやることになりにーにょは苦労していた。その成果が出ればいいと思っていた。そしてすばらしいピアノを聞かせてくれた。良かったな。最後の一音を弾き終わってまるで自分のことのようにほっとした。満足だ。

http://jp.youtube.com/watch?v=McYjQaNtH9A

I hope so の動画

 

当初はこのあと4曲続くはずだが、なぜかステージを二回に分断されたので一度バックステージに。僕らのあとにunlimitedが演奏。そして最後に改めて僕らが登場して5曲くらいやるという構成になった。(きまったのも言われたのも当日ね)。

 

後半はGYPSYQUEENオリジナル曲が続く。今までの海外の公演は何かと現地の言葉と楽曲のアレンジで勝負してきた。それが評価された。今回もそれは変わらない。それぞれの文化をリスペクトしていきたい。それでも僕らのオリジナルソングを良いと言ってくれた人たちのために僕らはアルバムの曲を歌うのである。

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なんだか今までとちょっとばかり考えが変わった?進歩した?気がした。スタンドのお客さんも最後の方はみなアリーナに降りてきていて一緒に盛り上がる。日本語でも問題ない。日本とベトナムが一体となっている、それを実感できた瞬間。準備に関してはいろいろあったがコンサートだけとればなんの問題ない良いステージができた。

 

お客さんの反応を見ればそれが確信できる。最高の思いだ。そうだったクリスマスに出発してまだクリスマスプレゼントを受け取っていなかった。バンドのメンバーにはこれが今年の最高のプレゼントになったかもね。Shinonがベトナムの国旗をもって会場に現れると盛り上がっていたお客さんのボルテージがさらに上がる。

 

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昨日のサッカーの勝利もあり、最高の年末を迎えるベトナム。その締めくくりのコンサートになったと思う。最後はコラボ曲の「BlueSky」をunlimitedのボーカルとshinon、yukoちゃんが歌う。これは2009年メコン年のために書いた曲。「僕らの空を広げよう、大きな翼に乗って」ということがテーマの曲。すでにベトナム語版があるのでその歌詞を渡して歌ってもらった。

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この曲、できることならインドシナのアーチストたちみんなで歌えるようにしたい。すでにラオスではアルーナが歌詞を書き始めている。5ヶ国語でレコーディングできたらどんなにすばらしいことだろう。そして、最後の最後にHienThucが登場。すでにコンサートの終了時間は大きく過ぎている。それでも残ってくれているお客さんに豪華なプレゼントだ。

 

一緒に歌う曲はもちろん「Happy to see you」この言葉、最近僕らの中でのはやり言葉だ。Mylinhも別れ際に言っていた。そして、HienThucもそうだった。みんなの中で共通の経験が生まれそれがいつまでも続いていく。時間を共存するというすばらしさがこの曲に力を与えてくれる。日本でのレコーディングよりもさらにパワフルに歌うHienThucとshinon。

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この曲、来年まで歌い続けていってほしいと思う。そして、再会するときにまた、同じ言葉を交わすのだろう。

 

 

コンサートは終わった。最後の最後で予定通りのそれも最高の終わり方ができた。すべてが悪いことばかりじゃない。途中であきらめないことが勝利の秘訣だ。暗雲が立ち込めても必ずその後には青い空が来る。それはみんな経験で知っていることだ。だから人は忍耐強くなり、同じ状況なら嘆くよりも期待しよう。

 

毒は一度吐くと後から汚く見える。後悔しないために自分のバッファを多くもとう。そんな大人なことはいつまでもできないとおもっていたけれど今回はできた気がする。そして、それができたからこそ訪れたチーム一体となった成果であったと思う。

 

メンバー、スタッフ、同行してくれたみんなに本当に感謝だ。楽屋に戻るとこの短くもいろいろあったツアーをねぎらう仲間たち、そしてベトナム側のスタッフの笑顔があった。知らないベトナム人が次々と訪れる。Unlimitedのメンバーも笑顔で顔をだす。

 

photo by Sugimoto

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公演も終了し、撤去しなければいけないが、この時間は代えがたい時間だ。HienThucが最後に挨拶をしてくれた。今回のいろいろな問題点。それを改めて彼女がベトナム人を代表して謝るのだ。彼女には何も関係ないし、いろいろ気を使って、ステージまでゲストで出てくれて感謝の言葉しかない。そんな彼女の気持ちの優しさに嫌なことなんてすべて吹き飛んだよ。

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名残惜しい別れ、linhさんの笑顔、Giangの喜びよう。みんなの笑顔が僕らに力をくれる。会場をでてホテルに戻る。

 

ツアーも今日で終わり。ホテルに戻ればすでに12時近く。もうやっている店はない。打ち上げはunlimitedに誘われているということでついていくとOperaHouse横の中華だった。メンバーといきなり打解けるmasao。やはりハードロックは世界共通なのだろう。メタルの割にはコーラとかを飲んでいていわゆる「うぉー」という感じではない。反面、日本チームは飲みまくる。

 

いろいろな交流ができ、そしてそれはただの飲み会ではなく再会の約束をすることができた次につながる出会いであった。この街でいろいろな人と出会ってきた。そして今こうしてこの街に根付いている音楽家との接点が広がった。

2時近くになりそろそろ終わらないとこのまま朝になる恐れがあるのでチェックをする。当然たべまくりの飲みまくりの僕らが払うべきとこっそりと会計をしようとするとすかさず彼らのマネージャーとリーダーが走ってきて、「ここはこちらが払うからきにしないで」という。「こっちが多いから払うよ」というとマネージャが支払おうとする僕を制止するように間に入ってきて「いやこっちがさそったから」というのだ。

まるで日本のサラリーマン社会のような支払い風景。結局「では日本でご馳走するよ」ということで解決。なんだか感激したね。ご馳走してもらったことじゃないよ。そういう気遣いをする人たちであるということ、そういうベトナムのアーチストと知り合うことができたということ。ある意味へたな日本人バンドマンよりよほど律儀で規則正しい。

photo by aki

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この国ではそれが音楽家のあるべき姿なのかもしれない。みんないたって綺麗なのだ。考え方がね。気持ちよくホテルに向かう帰り道。何故か彼らも店をでて同じ方向に向かう。ホテルの前まで送ってくれたのだ。

そして、お別れ。再会を約束する。Happy to see you!彼らともこの言葉で別れることができた。部屋に戻り恒例のビデオ反省会。もう眠くてあまり記憶にない夜。それでも、最後にみんなで集まって話すことができた。

4時前に部屋に戻る。目覚ましをセットしてとにかく寝る。ありがとう。みんな。



photo by T.Hagiwara

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2008/12/31。目覚ましが何度かなる。

 

 

 

まずい、二度寝したらおきられない。6:00なんとか起床。起きるとズキンと見事に二日酔いである。これで帰るのはきついなぁと憂鬱に。窓を思いっきり開けてドンコイ通りの喧騒を見る。2008年最後の日。個々では普通に暑い一日に過ぎない。7:00朝食。もちろんあまり食べられず、自分なりのヘルシーメニューに。

こういう時のPhoは格別だ。8:00ロビーに集合。なんとなくみんなまったりとした中、最後に出てきたのがmasaoということでこの流れもいつものお約束通りだ。8時出発予定だったが、バスが遅れてちょっと緊張する。

photo by Aki

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ここでmaiちゃんとは一時お別れ。本当にこの困難なツアーを乗り切ってくれた。突発性の事故のような今回の出来事。仕方がないといったらそうなのだが、それに立ち向かうmai&viviコンビのパワーは真似できないくらいのものであった。本当に脱帽だし、おかげで僕も一人のバンドマンとしてコンサートを前向きに楽しむことができた。

Photo by Aki

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それらの源は彼女たちにあったといっても過言ではないだろう。Xin Cam on!。

そうしているうちにようやく8:36、バスが到着。いよいよ出発だ。どうなるかと思ってきた今回のベトナム。オフィシャルなイベントだけに準備も最も完璧と思われ、気を抜いていた部分もあっただろう。そんな隙を見せた僕らに思いっきりパンチをいれてくれたベトナム。

もう目が覚めたよ。十分に注してこれからも進もう。今回のツアーで出た結果は「どんなことがあっても前に進もう」だ。市内の渋滞をぬけ空港には9:15に到着。ついてみれば余裕のスケジュールだ。チェックインして換金などしているとVANから連絡が入る。

彼女と別れの言葉を交わす。「もう一度私たちにチャンスを」そういう彼女の目は本心であるだろうと思いたい。

一行はゲートに向かい10時過ぎに搭乗口へ。もうすぐこのたびが終わりそして今年も終わる。11:05CI782便にて台北に向かう。台北に向かう機内。Yukoちゃんと話しながら向かう。恐ろしい睡魔でかなりねてしまった。お陰でタイペイまでの距離が短く感じた。

目が醒めたのは物凄い揺れのお陰だ。何度乗ってもだめだね。この揺れ。タイペイに降りておよそ一時間のトランジットがある。もう、ここは台湾でNTドルが流通している。まあ、ドルも使えるので問題はない。

旅の終わりは何故か寂しい。みんながそうなのか、言葉少ない。しばらくすると館内放送があり搭乗の時間となる。CI106にて最後の目的地、成田に向かう。

機内は若干余裕がありゆっくりと。昨日のビデオを改めてみる。今回のツアーもこれでおわりだ。第二章10幕はここで閉じることになる。これからどうなっていくのだろう、僕らのツアーもきりがよく第二フェーズを終えた。起承転結という言葉があるとすればこれから僕らはどのような形に形態を変えていくのだろうか?変化に望むことは厳しいことだ。それに耐えうる体力はついたのだろうか?

ぼくらの空は広がり始めている。転じていくために。そして、やはり「待ってくれている人のところへ」僕らは向かうのだ。

ありがとう、全ての関係者のみんな。

言葉にしきれない感謝の気持ちをどう表現しよう。

表現しきれない分だけ形に表そう。

Happy to see you。あなたにあえてよかった。

photo by T.Hagiwara

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GYPSY QUEEN Road to Asia #20
Happy to see you
2008/12/25-2008/12/31 

Photo by T.Hagiwara、Sugimoto、Aki

 


viviはみた!
スタッフviviの鋭い視点でツアーを読む