GYPSY QUEEN IN BEIJING2008 TOUR 10/31 そんな時短もあり06:50。成田空港第一ターミナルに到着する。外は寒い。そして、妙に静かだ。この時間の出発は一日の幕開けのよう。これからがやがやしてくるのだろう。閑散としたCAのカウンターに進む。今回は21人の大所帯。出国に時間がかかることをまずは心配をしていた。その心配もなんのそのあっという間に通関に進む。重量も余裕でクリア。毎回のことだが、徹底して重量軽減を図るこのバンド。後にも先にもエクセスチャージを払ったことは第一回目のツアー以来一度もないロックバンドは僕らぐらいといえるだろう。その一回目も大量のお土産で重量オーバーしたんだけれどね。
08:40機内へ。久しぶりのCA。座席が極端に狭い気がする。これは席を変えないと。ということで、ほぼ全員が乗り込んだころ合いを見計らい広めの席に移動。足も伸ばせて快適だ。 時折大きく揺れながらもタッチダウン。13:25 北京首都国際空港に到着した。最初に驚いたこと。むせかえる熱気もオイルのにおいもなく整然とした空港に変わっていた。空港も新しくなっていて以前も大きいけれど無機質というイメージがあった空港がなんだか洗練されている。うむ、変わっている。以前とは全然違う。空港の大きさも中国のだだっ広い空港というよりもバンコクの国際空港の様相。つまり美しいのだ。中国独特の臭さもない。オリンピックでいろいろなことが変わったという。その一つがこの国の玄関の顔と匂いなんだろう。ゲートを抜けるとあの男がいた。 徐軍さんだ。遠くからでもすぐにわかる。めっちゃ懐かしい。そしていつもの笑顔で僕らを迎え入れてくれた。思えば7年前の四月に初めてこの空港で会った徐軍さん。そして今。時は流れても笑顔と僕らの距離は変わらない。今回はリータオさんという人が僕らのツアーに同行してくれる。さっそく挨拶をしてバスに。ほとんどが初中国というメンバー。みんなどう感じているだろう。空港を出てさっそく感じたこと。樹木が白く塗られてない!防虫目的で真っ白になった木が見当たらないのだ。市内に入っても欧米の雰囲気に似てきている。「あまり中国にきたって実感ないですね」と誰かが言う。確かにそうだ。
14:50.バスでホテルへ。今日のホテルは天壇飯店。天壇公園の西側に当たる。15:20 ホテル着。きれいなホテルだ。それぞれチェックインしてすぐに集合。国際交流基金に挨拶に行く。さっき来た道を戻るように進み16:30。国際交流基金へ到着。このエリアはなんとも素晴らしい高層ビル。まるでニューヨークの摩天楼のような美しさ。そんな街がいきなり出現し、その中心のビルに国際交流基金はある。オフィスに向かうと佐藤さんが出迎えてくれた。しばらくすると藤田所長がいらっしゃった。思えば2004年。反日の真っ最中に北京で会い、僕らのアコースティックコンサートを見てくれた方だ。
町は日も暮れて美しいイルミネーションの世界に変わる。日本の不況はなんのその。きらびらやかな照明はとんとここ数年に日本になくなってきたそれだ。これも底力か。がんばれ日本。そうおもう。バスに乗り込みみなさんとお別れ。再会はいつのことだろう。きっと近いうちにくるに違いない。渋滞気味の市内を抜けてホテルへ。19:30、一度部屋に戻り準備。今日はこれからライブなのだ。準備をすべて済ましてすぐにバスに戻るともうみんな集合していた。
会場に入ってみるとそこはいい感じの酒バーだった。ステージを想像していたがステージにのれるのはバンドが一列に並ぶ形。ROCKもOKというのでここを選んだのだがちょっとニュアンスが違う。ここに来る前にBoy&Girlのどちらにするかという話があった。個人的にはなじみのある、そしてステージの広さが想像できるBoy&Grlにしたかったが、会場側からお勧めがあったこともあり、ここに。ということは当然それなりのものがあるとおもった。
今回は、基本GYPSYQUEEN+αというのが元になっている。Machaの代わりをしゅうじが務めて、そのバックアップに数人が加わることになる。まずはサトル。イキのいいギタリスト。王子様の格好は何はともあれアーチストだ。とにかく前に出る。その姿勢はアーチストとしての素養を兼ね備えている。とはいっても超狭いステージ(横長のスペース?)でのセットは手間取る。ライン出力当たり前の国なので、さくっと準備を進めるがたぶんこういう環境に慣れていないのだろう、ほかの楽器連中は困惑気味だ。出音が想像できないのは厳しい。でも、厳しくてもステージは始まる。だから、最初の一音を出してからいかに短時間でそれなりの音に修正できるかがポイントだし、それがこの世界に生きる秘訣だ。
何かのせいにして饒舌に語ることなく自分でできるようになることを。ある意味非常によい中国でのリハーサルを体験できたとおもう。氏神さんも同様で本来は明日の本番のみであったがここで3曲をトライ。よき感触を得たようだった。この辺はさすがである。小一時間のステージを終えて会場を出る。22:30.女人街の近く2kolegasへ到着。ここにはバスは入れないので10分弱歩くことに。ハードケースをもっての移動はきつい。しばらくもっていると指の感覚がなくなる。左右持替え長柄の移動は苦痛だ。多少邪魔でも現地移動用のソフトケースは必要だなと実感。ここは周りがドライブインシアターになっている。昼間は汚そうだが、夜は妙にイルミネーションで綺麗だ。大きな池があり、その周りに寂れた店が点在する。その一番奥が2kolegasだ。掘っ立て小屋の様相のこのライブハウスはファンキー末吉さんの紹介でアクセスしたところ。
本番前に一生懸命に歌の準備をするのではなく、中国語の発音を繰り返すシンガーとそれを教えるLitaoさん。この姿をみるだけでこのイベントがなんたるかを伝えることができる。彼ら彼女らには感謝。これは押し付けてはできないこと。みんなが同じ気持ちを持たないとできない貴重なことだ。これは必ず北京の朋友たちにも伝わるだろう。僕らは交流したいのだ。このGYPSYQUEENのコンセプトに賛同してくれた若手のシンガーたちに心からの敬意を表したい。
そして、重慶ブルースをやる。この曲は重慶の恩人重慶ゴジラさんにささげるもの。曲ができてから何度か重慶行きを試みたがなかなか実現されなかった。そして、今こうして初めて北京で披露することができた。重慶まではまだ遠い。でも、半分きたじゃないか。この曲を重慶でやること、そしてそのときにはゴジラさんのシートを用意することを関係者の方々に約束した。それは必ず果たさなければいけない僕の大切な目標でもある。 北京の若い人たちにしのんがこの曲の意味を伝える。こんなにも中国を愛した日本人がいることを知ってほしい。僕らはこの歌でそれを伝え続けていかなければならない。それがゴジラさんからの我愛中国のバトンだ。 コンサートは後半へ。最後のセッションでは全員がステージに。自然と盛り上がる。いいキャラが勢ぞろいだ。こうして今回のメインテーマ四川大地震チャリティコンサートは終了した。 売り上げは全額支援にまわすために確保した。たいした金額じゃなくて申し訳ない。もっと告知を徹底していればともおもう。でも何かを誰かが始めないと進まない。僕らを見てもっと僕らよりうまくやろうとおもう人が生まれればそれもよい。実はこの後押しをしたのは伊丹谷くん。以前二人で話していたときに僕は「北京でやりたいけれどなかなか受け入れ先が決まらない」ということを話していた。時はオリンピック前。みんなが北京へ、北京へと色めきだっているときだ。彼はこういった。「AKIさん、とりあえず行かないと。いかないと何も決まらないよ」。その言葉をきいて何かが崩れる音がした。
そんなことを思い出した。誰かが動くことが大切なんだと信じてこれからもこの活動は続けていこう。地震の被災は今も続く。今もできることをできる範囲で長く続けることができれば人の心に地震は残る。気持ちの継続をするためにこのコンサート、できる限り続けていきたいとおもった。決して他人事じゃないのだ。コンサートが終わり片付けて次の現場へ。今日は2Kolegasでのステージもあるのだ。Sam2さんとはいろいろ運営面について話ができた。今回の肝は集客だったがそこが芳しくない部分もあった。反省点をとことん突き詰めて次に同じミスをしないようにしていこう。そんな話をしながらホテルへ戻るバスで。 道が渋滞してあちらこちら振り回されたがライブハウス前にたまっていると日本のそれよりも厳しい中国。連行されかねないのでとにかく歩いていなければいけなかったりするのでとにかくMAOの前を離れて移動。 ようやくバスを発見して17:30ホテル到着。ここでちょっと時間がある。この隙にシャワーを。最近アセアンばかりなのでいつも汗をかいていた。こうして中国に来ると寒い時期もあるということが本当に珍しいというか楽である。窓の外には天壇公園が夕闇にぽっかりと浮かび上がる。いい眺めだ。外はどんどん暗くなり出発の18:50の時点では闇が支配していた。そして、バスに乗り込み2Kolegasへ。あまりに眠かったせいか気づくと会場近くに。ここから楽器を運んで小屋に到着。昨日のパーティは今日はないのでなんとなく閑散とした会場だ。まずはサウンドチェックということで数曲を演奏。まあ、音のバランスもいい感じだ。RHを終えて夕食に向かう。今日は忙しくて昼を食べていない。 ということで豪勢に湖南料理を食べにいく。時間は20時を過ぎていて1時間程度しかない。それでも食べておかないとと思い席に着くないなやビールのカンペイの嵐。まあ、よくあることなのでかまわないがあまりしゅうじに飲ませるのは危険である。ステージが飛んだらそれは僕らが埋めなければならない。ちょっとだけセーブさせ気味で変わりにコウイチに飲んでもらう。そして一時間ちょっと。さあ、会場に戻らなければ。今日は22時からの演奏である。この酔った感じが小屋の雰囲気に合う。今日はセットリストにハード目な曲を集めておいた。きっとそれなりに受けるだろう。BTVの王さんが聞いたら耳を押さえたくなる曲ばかりを集める。
ステージによって演奏、演出はまったく異なるので毎回大変なのだがそれに見合った感想が待っているのでこの努力はやめられない。時間になりちょっとお客が少ないがオーナーに聞いてみると「12時過ぎには盛り上がると」といわれ、それを待つのは無理と判断してスタートする。 僕らがステージを終えると次に出る王威とあう。かれは北米でも拠点をもっており、日本を跳び越した形でセールスを提供していくことが今の中国ではありありなんだろう。相当気にいってくれたみたいで、いろいろな話を持ちかけられた。コラボ話とかツアーとかね。うむ、いいぞ。今回の目標の一つ「自ら挑戦する」ことを思い出してきた。会場は夜中になるにつれてヒートアップする。あと1時間いるともっと盛り上がってくるんだろうなと思いつつ、名残惜しくも厳しい寒さの中会場を出てホテルへ。本当はこれからなんだけれどね。北京。 今日も24時になってしまった。今日も有志でプチ打ち上げに。そんなに飲みたい?そうではない。ちょっと言い訳がましいが日中は本当に時間に追われているし、やらなきゃいけないことがたくさんある。そんな中で見えなくなることもたくさんあるんだな。だから、このリラックスした時間に仲間と話がしたいのだ。みんなをリードすることも大切だが組織では会話をすることももっと重要だ。何かひとつでもみんなからの声が聞ければいい。そんな時間を作るのはやはり夜中になってしまうもんだ。ということでまずはギターのしゅうじを捕まえていろいろお話。今回、最も数多くの楽曲を演奏する彼。それは大変だとおもう。代わりのいない立場。きっと初の北京だからもっと遊びにも行きたいだろう。でも、それもままならない楽曲の多さ。大変だけれどきっとこの経験生きるとおもうよ。なので、よい思い出になるためにも少しだけアドバイスをしたりした。
ここでフリータイムとなり、僕らは男坂を目指した。以前は女坂を登ったがここはもうほんとすごいことになっていて、お正月の初詣状態になっている。すでに遠くの稜線をみるとそうなっており、ここには行かないほうがいいという判断。それにみんなついてきて結局GYPSYQUEEN一行は男坂にチャレンジである。きついぞこっちは。中腹まで登るといわゆる万里の長城の絵としてよく使われる竜のようにくねった長城がよく見える。おまけに言えばそこに張り付く人の群れもよく見える。 「こっちでぇ よかったぁ でしょ」と息が上がりつつ話す僕。そんな仲間たちはどんどん上へ。途中の楼閣で僕はストップ。さらに上に行く人たちを見送る。でも、ここから見てもものすごい傾斜。本当に大丈夫なの?と思う坂を普通に登れるところが中国のすごいところだ。まあ、タイでもラオスでもそうだったけれど安全基準が違うんだよね。自己責任。それが徹底されている。登って落ちても自己責任。恐れるならばいかなければいい。わかり易い当たり前のことだ。日本だったらどうだろう。まずあそこまでは登れないね。 絶対に「危険 立ち入り禁止」と札が立てられてご丁寧に鉄条網があるだろう。世界遺産も景観を台無しにしても安全を優先ということか。これは国によって異なるので何がいいかわからない。実際に事故があれば誰かの責任問題になるだろう。古き遺産を守るのは今の人たちの倫理観に頼るところが大きい。 長城を満喫して元の場所に戻る。待ち合わせ場所はお土産やでここも高額な商品がたくさん売られている。ここで時間を過ごすならばもっとフリーでいたいね。少なくてもGYPSYQUEENの一行はまったくこの手のお土産には興味がない。結局何も買わずに出発。そしてバス乗り場まで戻り昼食会場に向かう。僕らがお土産に興味を示さなかったせいかスタートも早く昼食会場に30分も速く到着してしまった。
うむ、これはどうなんだろうか?時間が無駄なんじゃないか?とおもう。そして、昼食もツアーだから仕方がないのだがよくある中華料理であった。でも、こういうものなのかなと我慢。それでも、出発まであまりにも時間があるので早めに出ようと提案した。何しろこのあとJAMICにいくのである。そこには僕らが行くことを知ったファンの子達がきている。万里の長城用の防寒着よりも着替える時間があるならそうしたい。でも、それはできなかった。ドライバーはすべて時間通りに動いている。仕方ない。その流れに従い駐車場で待つこと20分。ようやくドライバーが戻ってきて出発だ。一時間ほどで市内にもどり12:50。JAMICに到着する。 ここで朱さんと対面。昨日のコンサートでは直接会えなかったのでここが初対面となる。JAMICの中にはいるとそこは日本かと思うくらいにたくさんのCDやDVDが展示されていた。朱さんにここでご挨拶。日本語がとてもうまくて緊張も和らぐ。最初にセンターの概要を紹介してもらいそのあとはここに来ているファンの人たちとの交流であった。みな、日本語を勉強していたり、日本に行きたいと思っている子たちで会話も盛り上がる。常々すごいと思うのは日本に一度もいったことがないのに日本語を流暢に話す人がいることだ。
改めて告知の重要さを感じる。結局、今晩の后海のコンサートに来てくれることに。今日はライブバーなので、そこそこ入場料金も高い。それでいてMAOのような完全な音楽環境はないだろう。そこにきてもらうことはちょっと申し訳ない気がする。でも、ぼくらはバンドマン。演奏を聴いてもらわないとすべてが始まらない。せっかく聞きたいというひとがいるのだからそれに答えられるように、次回以降はもっと事前の準備をしっかりして告知を広めようと思った。
さあ、ここが唯一のフリータイムである。寝ておきたいという気持ちもあるがまずはマッサージに行こう、そして買い物かな?ということで紅橋市場に向かう。歩いて十分くらいの距離である。先にマッサージと思ったが適当な店が見つからなかったのでショッピングへ。結構以前と比べると高くなっているが相変わらず勢いのあるおばちゃんたちとの価格交渉は体力勝負。値切り、値切られというバトルであっという間に時間が来る。とりあえず買いたいものだけ買って(けっこう買うきのないものも買わされたりする)店を出てホテルの隣の小さなホテルのマッサージへ。ここは1時間50元。値上がりした北京の中では格安だ。しかし、誰も英語すらわからない店なので、一行はかなり混乱。一緒に行った6名から僕に矢継ぎ早に質問が来る。それに答えつつ僕の隣には南京から来たおじさんが超南京なまりで話しかけてくる。それもマシンガンのように。わからない。その人の中国語をマッサージのお姉さんが北京語に直してぼくにつたえてくれる。どういうことなんじゃい。しかも強烈に効く足裏マッサージの中でやられるのだからたまったもんじゃない。 足は超リラックスしたが頭の中はフル回転。そんな感じだった。ほかの部屋からは「足裏なのに全身マッサージされている」とか「みんな起きてますか?」とか声が飛び交う。ちょっと離れた個室にいた僕はよくわからなかったが結局途中でみんな寝てしまったみたい。それほど気持ちいいマッサージであった。これで50元は本当に安いよね。できれば毎日通いたいくらいだ。足のむくみが取れいい感じになってホテルへ。部屋に戻って一息つくともう集合時間。 17:30.天壇公園南門に位置するシャブシャブ屋へ向かう。ここは以前来たことがありものすごく安く、ものすごくおいしかった記憶がある。そう。かなり楽しみ。もう北京の大衆食堂という感じでまさに狙ったとおりのお店である。ここで全員の晩餐。そういえばこうしてひとつのテーブルに全員着くのははじめてかも。そこそこ飲んで食べて北京の食を満喫。バスに戻りそのままライブ会場へ向かう。この慌しい感じ。なんだかいいぞ。 19:30.后海に着く。ここは初めてきたのだが、なんだかおしゃれな人造湖があり、その周りにバーが並んでいる地域だ。オリンピックに向けてかなり手を入れられたようで確かに外国人が喜ぶような町並みになっている。ここでスタバを発見。Viviちゃんがカフェモカを飲みた〜い。の一言でみなスタバへ。確かにうまい。心が和む。この寒空にはばっちりな味でした。今日の会場は甲丁坊。どんなところかとおもうとこの湖畔沿いにある総ガラス張りのおしゃれなカフェだった。一階と二階にステージがありそれぞれ歌手が歌を歌うような場所だ。見たときに一瞬不安になる。このステージサイズ。どう考えてもドラムきついんじゃないか?そしてよく見るとアンプがない。たいていこういうときはこのままアンプなしとなってしまう。ぼくらは何とかできるがサウンド的にもPeaceはこのままではかわいそうだ。
中途半端にやるならばやらないほうがいい。それでもGYPSYQUEENの公演に NOはない。 僕らなりに作り上げたスケジュールではこの夜の公演は締めくくりでもある。そのためにPeaceを昨晩温存しておいた。だからこそやらないという選択肢はないわけだ。だとすればなんとかやる場所を確保しなければいけない。それもちゃんとした場所を。それは僕らの責任でもある。そこで思いついたのがboy&Girlだった。 Boy&Girlとは今回、何か縁を感じていたのだ。最初出演意向を伝えると会場側のスケジュール的にNGだったので結果的にSwingBarを選択した経緯がある。しかし、訪中前日の夜に連絡があり「GYPSYQUEENを受け入れる」と回答があった。しかし、先に決まったほうを優先すべきということでいったん申し出を断っている。次の接触は当日。ingbarにいくためにboy&Girlの前を通ったら「日本人バンドだろう?こっちだよ」とboy&Girlに連れ込まれそうになった。ハロウインということもあり、単に客引きされたと思ったので「ちがうちがう!」と振り切ってきた。そして、その数時間後、僕らのコンサートを見に来たサイさんの話によると「Boy&Girlに電話をして今日GYPSYQUEENのコンサートは何時からあるのか、と聞いたらバンドから出演をキャンセルされてしまったがもしあなたがバンドと知り合いならGYPSYQUEENに出演するように行ってくれ」といわれた。というエピソードもここまではすべて31日の夜中のことだ。 そういった縁を強く感じて、もしやこのピンチは接触のとき?と思いLitaoさんにBoyGirlに電話をしてもらう。その場ではマネージャーがいなくて後でかけ直すとのことだった。しかし、電話に出た先方の話だけを聞くと、31日に店の前を通ったGYPSYQUEEN一行に声をかけたが、「日本人じゃない」と言われて無視をされたのでオーナーは怒っている。ということだった。まあ、確かに振り切ったがそれは誤解だ。釈明しておかないとね。そして、なんとか話をまとめたい。
「Litaoさん、移動しよう。甲丁坊はキャンセルね。」決めたらすぐに移動だ。3里屯までは近くはない。全員に撤収を指示して移動。一応お店の人には謝っておく。そして、JAMICの子達にも事情を話す。「ごめんね、ここではできない。これから三里屯でやるよ」どうしていいかわからない彼らのために「よかったら一緒にバスに乗っていこう!」と提案。みんな喜んでくれた。この現場感覚が中国のよいところ。きっと彼らも一緒に会話できることを喜んでくれるだろう。僕らも生きた中国語の学ぶチャンスだ。Litaoさんにも説明して許可をとる。
バスは30分ほどかけて三里屯に到着。すでに21:30を回っていた。機材をもって会場に向かう。そこには徐軍さんが待っていた。もう会えないと思っていたのですごくうれしかったね。なんとなく頼もしい。開口一番「AKIさん、出演時間を延長してもらいました。」お〜さすが徐軍さんいいところで出てきていいところでいい仕事をする人だ。こんな僕らを支えてくれている人たちが中国にいることを本当に思い出した。Boy&Girlにはいってみると昔のステージとは違う綺麗なステージだった。昔の混沌としたステージも好きだが、ここは美しく進歩している。そして、ステージで歌っている張さんがマネージャーでもありステージをすべて仕切っている人だった。
僕らの後はpeaceに任せた。今までは自分たちだけだったが今回は仲間がいる。僕らだけではないツアーもこれが初めてだ。最後はみんなで盛り上がろう。数曲の後、張さんが徐軍さんの所にきてなにやら耳打ちをしている。セッティングに手間取ったりして時間がオーバーしているようだった。次の曲を聞き、最後の一曲に入ろうとしているpeaceにNGのサインを出す。最後だからもう一曲やらせてあげたかったが、ここは約束。それを優先してしまえばいきなり時間を空けてくれた張さんやその時間を引き延ばしてくれた徐軍さんに迷惑をかけてしまう。申し訳ないがここでとめさせてもらう。そして、彼らは音を止めた。
23:50。バスに乗り込みホテルへ。明日仕事のある徐軍さんも打ち上げに来てくれるという。ありがたいことだ。バスには上海からきたmika。なつかしのゆかりちゃん&彼氏。杉本さんの友人のサイさんなどどんどん人数が増えてくる。にぎやかなバスになってきた。24:30。ホテルに戻り最後の打ち上げに。店は?探したけれどなかなかない。結局毎日飲んでいるいつもの店に。さあ、今日はのみましょう。
しゅうじはヨロヨロしながらロビーへ。最近健康志向のmasaoは早々とロビーで待っていた。チェックアウトをして06:41ホテルを出発。みんなお疲れだね。この朝のバス。何度となくこの便に乗るために北京の市内を走った。そうだ、最初のツアーのときは朝の5時に天津をでて北京空港に向かったっけ。そのときも右側から照らされる朝日が妙にまぶしかった。うとうとしているともう空港に。07:20空港着。新しくなった空港でチェックインをしてlitaoさんと別れる。
GYPSY QUEEN Road to Asia #19 Photo by vivi,,sugimoto,aki |