2009/8/13.前日震度4で目を覚ました東京の朝。東海地震の不安も抱えつつ出発の朝になる。5:30に起きて6:10に出発。今日は交通渋滞を避けようということになり久々のNEXでの成田入りだ。天候は曇りですこし小雨のまじる蒸し暑い朝。タクシーで自宅から10分。休日ではないがお盆のせいかゆっくりとした人通りの朝だ。池袋の駅も混雑もない。まあ、時間が早いからね。楽器とスーツケースという迷惑ないでたちで駅のホームへ。ほどなくNEXに乗り込み成田に向かう。すいていると思った車内も東京駅でほぼ満席状態。交通情報では西に向かう高速道路が既に60kmの渋滞という。成田に着く直前八丈島付近で地震が起きたという情報を聞く。
島の仲間は大丈夫だろうか。8:15.空港に集合するとみんなきていた。渋滞を避けるために5:10には出発していたshinonは7時には成田についていたという。うむ、十二分に早すぎる。まあ、遅れて走るよりはいいだろう。乗り遅れはすべての失敗につながる。早く着くものがえらい。そう考えるのが得策だ。空港のチェックインも何なく通過。思ったよりもすいている空港にちょっと拍子抜け。おかげでゆっくりと朝食をとる時間も取れた。ゲートに進み10:00.VN951便に搭乗。機内もゆっくりと座れた。いよいよ出発だ。
今回のツアーはかなり前から準備がされた大きなイベントだ。今年はすでにいくつかの行事に参加しているが一年を通して行われるのが「日メコン交流年」である。メコン流域の国5カ国と日本の交流年ということで様々な催しが開かれるが今回もその中のひとつ。ベトナムにおいては最も力の入っている事業と言ってもよいと思う。そんな企画に声をかけられた。
昨年のベトナムフェスティバルで頂いた縁がここにつながっているのだった。
一つのイベントがきっかけで偶然の出会いが生まれた。その後、気ままに風に乗った糸に触れていたら今ではとても強い絆に変わってきた。そんな思いだ。この縁をもとにベトナムの中部都市HoianにおけるJapanFestivalに参加することが決定した。ホイアンは中部の都市として北からフエ、ダナン、ホイアンという並びにある港湾都市である。ベトナムの中でももっとも日本になじみの深い都市で、江戸時代の交易などはこの町がアジアへの入り口だった。そんなこともあり日本橋といわれる橋があるという。写真ではよく見る絵だが実際にみてみるとどうなんだろうか。楽しみだ。何よりも古く美しい街並みが印象的な地区である。世界遺産に登録されて10年の節目を迎える町だ。フェスティバルはこの世界遺産登録10周年を祝ったものとメコン年のイベントとしてのJapan Festivalが併催されたものとなる。日本からもこの関係でなんやかんやで500人くらいの人が参加するらしい。ほとんどがビジネスミッションとして参加することも発展を遂げるベトナムらしさを感じる。今回はこのステージでGYPSY QUEENとMy Linhの共演を行うことになった。名誉なことである。どちらについてもだ。
そんなことでこのイベントを一つのゴールにしてMy Linhとの共作を制作を開始。連絡の行き違い、My
Linhサイドのマネジメントの変更、My Linhの引越しなど乗り越えてようやく完成したのが「Paradise
in your soul」だ。この歌はもともとはBeyondのWingと共演した曲でありテーマも含めてアジアの交流を歌った歌としてはもってこいの曲。コラボとしては申し分のない仕上がりとなった。アジアでのコラボレーションをしていくというテーマにのっとってかかれた曲で最高の仕上がりとなったと思う。そして一行9名はまずはトランジットのためホーチミンに向かう。そういえば今年に入ってからは初めてのホーチミン入りだな。まあ、トランジットだけなのですぐに離れてしまうが一応出国して国内線に乗り換えるのでまあ、ホーチミン入りをしたということになるのかな。また18日には戻ってくるけどね。
この空港はちょっと変わっていて元々あった空港が今では国内線専用となっている。その空港の真横に大きな新しい国際線の空港ができた。したがって二つの建物の間にはきちんとした連絡通路がない。結果的に空港の外を歩いてトランジットしなければならないのだ。幸いまだ雨に降られていないけれど雨降ったらやばいね。経験したくないな、僕は。そんなことを考えつつ機内の時間を過ごす。12時にランチがでてしばらくすると機内の明かりが。眠いところだが今回のツアレポに着手し始める。機体はすでに台湾湾上空を越え、東南アジアの空に入ろうとしている。遠くにちょぼちょぼと浮かぶマッシュルームのようなくもの群れが暑さをものがたる。ひと眠りして目が覚めると15時。機内の照明がついた。すでにニャチャンの東方に位置し、ベトナムももうすぐだ。早朝のけだるさも、食事のシャンパンも抜けた。いよいよツアーの始まりだ。
15:35.機体は突然降下を始める。そうかもうホーチミンだ。こんなに近かったか?と思うほどの快適フライトだった。窓の下にはうねった河が見えてくる。時計を現地時間に戻す。13:40.予定よりかなり早いな。13:45.タンソンニャット空港に到着。成田から5時間20分。久しぶりに戻ってきた。気温は33度という。暑いな。でも、日本と変わりないか。実際に外に出てみても今朝のまったりした日本よりは過ごしやすく感じる。ここで換金。とりあえず手持ちの50ドルを90万ドンに換金。数字を数えるのがなんだか効率的じゃない感じがする。よくベトナムの人は間違えないなと思う。僕らのフライトVN328便は50分遅れて18:40のフライトになっていた。ここホーチミンでの待ち時間は長い。すばやく移動したいところだが大勢での移動のためになかなか進まず16:20にようやくチェックイン。空港に降りて2時間30分もかかった。いつもなら今頃市内で333を飲んでいるね。とはいってもとりあえずあと2時間はある。空港のラウンジにいるのは退屈だ。ということで、空港を出て目の前にあるパクソンに向かう。
ここは昨年マイちゃんのおじさんの家に遊びに行った時に通った所。空港で時間をつぶすにはちょうどいいよね。と思っていた所だったのでよく覚えていた。空港に向かう車とバイクの中を切り抜け道路を横断しパクソンに到着。久々の信号いらずの感触が戻ってくる。今日からしばらくはこの感覚で行かないとどこも渡れなくなる。そして、レストランで軽く食事。machaがタイ料理を食べたいというのでこじゃれたタイフードの店にはいる。ベトナムなんだけれどね。
僕は迷いに迷ってイエローカレーをオーダー。ベトナムだけど。。またこれがかなりおいしい。49000ドンで大満足だ。その後、今晩のバンドの内職作業用にセロテープを探しに。パクソンの上のフロアにちょうどいい感じの文具店があって買い物。他においてあるものもとてもかわいいので思わずラメ入りのボールペンをGET。そんなことをしているうちに時間となり20時、空港へ向かう。空港のセキュリティチェックを抜けて一番奥の11番ゲートで出発の時を待つ。いよいよホイアンへ!といきたい所だが、ここでも遅延となっている。当初17:50のフライトは18:10になり、待っていると更に遅れるとアナウンス。どうしたんだ。とりあえずお茶を飲む。ビールはやめてカフェスダにするが空港内のカフェスダはいまいちの味だった。そして、更に更に遅れること1時間。ようやく搭乗の時間となる。すでにホイアンについていてもいい時間。機材のトラブルというが、なんだか怖いぞ。ちゃんと理由を教えて欲しい。心配だ。でも、以前こんなことを言う人がいた。
「悪いところが飛び立つ前に先に見つかったんだからよかったわよ」。確かに。経営者になる人はもののとらえ方がすべてポジティブなんだ。その時思ったな。さあ、出発だ。僕らが機内に乗り込むと、同じイベントに向かうと思う人がたくさんいた。この路線に普通に乗ってくる日本人は少ないはずだからすぐにわかる。ちょっと窮屈な座席に身を落としA300はあっという間に滑走路をかけぬけ空に舞う。遅れて良かった事といえば美しいサイゴンの夜景を眺められたことだ。初めてこの地に降りてきたときに広い平原いっぱいに広がる街の明かり、放射線状に延びる街頭に感動したものだ。うん、ポジティブに考えられるようになってきた。
搭乗機は国内線の短いフライトということもあり一気に高度を上げる。夕闇にかすかに反射する雲を切り割き空に出た。機内ではいろいろな打ち合わせで時間が過ぎる。のんびりすることはできないがむしろそのほうが良い。あっという間に僕らはダナンに向けて降下を始めた。荒っぽいといえるほど急角度で高度を落としダナン空港に着陸。これもあっという間だった。何もない広い感じの空港。タラップをおり、移動バスにのりゲートに向かう。ゲートの中は最近の近代化された空港のそれではなく昔懐かしいアジアの空港の装いだった。気温は全然違うけれどウランバートルの空港もこんなイメージだったな。いや、古い広州の空港の雰囲気かも。
アナログな感じの空港で僕らは大量の荷物をピックアップし、バスに乗せて坂場大使主催のレセプションに向かう。もうすでに開始時間を大きく割り込んでいる。僕らのせいではないがそれでも気が焦る。初めてのダナン市内を行く。薄暗い街並みはこじんまりとして懐かしい感じの街路という感じだ。ちょっと前にスコールがあったみたいで、ところどころ冠水していた。聞いてみるとこの町では雨期にはよく冠水するらしく、住んでいる人はあまり気にしていない様子だった。しばらくしてapsaraというレストランにたどりついた。遅れていることもありすぐに中に入り着席。パーティは始まった。ようやく到着だ。長旅におつかれ!だね。レセプションが始まった。最初に坂場大使と松田先生の挨拶を聞く。
出席者の顔ぶれを見ると日越ともにビジネス関係の方々が多いように見える。僕らはエンタテイメントの世界でこのアジアとの関係のほんの一部にしか関わっていない。でも、日本を動かす政府や官僚の人たちはノリや気分だけでは済まされない国の看板をしょってたってこの国で活動している。それは僕らのやっている文化交流というものとは比較にならないほど重いことなんだろう。僕らにできるのはその文化交流というものの中で少しでもここの人の心を動かすことができるかどうかに励むだけだ。小さな貢献ではあると思う。気分で左右されてしまうことだってある。だが、この席に呼ばれている以上、その役目は完遂しなければならない。このレセプションに参加している人たちの笑顔がフェスティバルがおわったあと倍の笑顔になるようにがんばろう。
そんな気持ちに自然とスイッチが入る。会食はあまりに大勢の人に誰が誰だかわからないうちに進む。こういう席の時にはきちんと挨拶をしたいタイプなのでちょっともどかしい。とりあえずはダナン風の料理に舌鼓。久しぶりに飲むベトナムのビールも格別で楽しい会だった。時間は22時を過ぎ、一行はホテルに向かう。今日のホテルはホイアンガーデンリゾートというホテルで会場から10分ほどに建てられたビーチリゾートだ。
そのホテルに向かう途中、日本では見れないくらいに低い位置に月が上がってきたことに気付く。この時間に月が出るんだ。びっくりだね。月は半月で霞がかかり、赤く揺れている。なんだかとっても幻想的だ。日本でみる月とは違う。よく歌の中で「離れていても同じ月を見ているよ」なんている歌詞がある。でも、同じ月でも場所が違えば見え方が違う。同じと思うかどうかは結局人の気持ちしだいなんだなと感じる。今宵、フェスの参加者はみな同じ月を感じているだろうか?ホテルに到着するとちょうど会場チェックを終えたmacha、sakaiと合流。どんな感じ?と聞くと停電がありチェックはあまりできなかったという。まあ、しかたない。明日やればいいだろう。とりあえずチェックインを済ませ、部屋に。この部屋がとても豪華でなんとバスルームはアウトドア。いい感じだ。しかし、そんな余韻に浸ることなく集合。ようやく全員でミーティングとなる。
明日以降の行動を確認したり、やらなければいけない作業をこなす。僕は恐ろしい睡魔でほとんど覚えていない状態。うむ、疲れている。やばいぞ。そして、僕のだらだら感もあり、2時過ぎには打ち合わせも終了。部屋に戻る途中空には満天の星。環境は最高だ。とにかく今日はねよう。3:00就寝。
2009/08/14 Am6:00目が覚める。ちょっとだがよく寝た。窓を開けるとすでにプールで泳いでいる人がいる。きれいに整備された芝生を刈っている作業員の人。みな、朝早い。ここはビーチリゾートだ。昨日遅かったことから朝食を8時にしてもらった。ミーティングを兼ねて朝食。今日から始まるツアーの細かな決め事、スケジュールを確認する。ここのカフェスダはおいしかったな。照りつける太陽の下、部屋に戻り昨日は入れなかったアウトドアバスにはいる。見た感じは超おしゃれだが実際はいってみると今一なので結局それ以降使わなかったけれどね。午前中は今かかりかけの「ソーランベトナム」のアレンジをすることに。machaの部屋からビーチを眺めつつ3人でアレンジ。この光景2006年にもみたような気がする。あの時はムイネーのビーチだった。つくづくリハーサルが好きなバンドである。
窓の外、風にゆれる椰子の葉と室内に流れるソーランの調べ。不思議だ。おかしすぎる。部屋に戻る途中ちょっとビーチにおりてみる。ムイネー、ブンタウとはまた違ったビーチ。プライベートビーチなので誰もいなくてまるでカレンダー撮影の現場のよう。白い砂、遠くに見える陸地。深く青い海。そこにベースを持ちブーツをはいた男が歩いている。さも、滑稽だろう。いや、地元のレストランで演奏するバンドマンという見え方もある。うむ、少し悲しい。部屋に戻りしばし休憩。外はもうかなり暑くなっているのでエアコンで冷やされた部屋は格別である。11:20そろそろミーリンが到着する時間である。masaoとsakaiが出迎えに。行くことになった。もう当然のパフォーマンスではあるがこのバンドは非常にシステム化している。全員でだらだらすることもなければ何でもかんでもみんな一緒と言うことはない。ツアー全体を通してみんながバランスよく全員に対して貢献する姿は理想的だ。この理想を求めて数年間やってきた。今はある程度の完成に近い形になってきた。
「ミーリンくるからshinonステージ前で申し訳ないけれど迎えに行ってよ」なんてセリフは誰からも出てこない。いける人が行く。適材適所One
for Allである。ということで僕も待機。それまでにやらねばいけないことを処理する。もう少しで今回のキャストが集合する。12時を回るともうすぐ到着すると連絡が入り12:15。My
Linhと合流する。4月以来の再会となった。今回彼女は風邪を引いてしまっていて、入り日も一日遅らせた形になった。ベトナムを誇るシンガーでも風邪は引く。それでもまったく大丈夫、という笑顔で僕らに接する彼女。ここに違いが感じられる。まさにスターといった面持ちだ。
すぐにチェックインをして12:30ランチミーティングに。今回の流れなど今しがたまとめておいた資料をもとに説明する。基本はすべてagreeなので問題なく進みランチタイム。前回マネージャーになったばかりのHoaiはとても元気な女性に変わっていた。慣れてきたかな?というかリゾート気分過ぎない?というくらいにハイテンションである。食事はMylinhにいろいろ分けてもらい完食。「これはおいしいから食べろ」といわれて魚を頂く。
全然年下なのにすべてリードされている感じだ。ランチ後、一旦部屋に戻りGYPSY
QUEENチームが先発隊となり会場に向かう。すでに食事の前からmasaoは会場入りしている。残りのメンバは13:40.ホテルを出発する。会場につくとmasaoが呆然と立っている。でも表情でトラブルでないことがわかる。「どう?」と聞くと「まあいい感じで進んでますよ」という割りにはPAから音が出なかった。PAに音を出すようにいうと今度はでっかすぎ。これはまずい。My
Linhのくる時間はどんどん迫ってくる。午後の太陽は容赦なく照りつける。日陰にいないとチリチリとした焼ける音が聞こえそうな酷暑である。日本でもこれはないな。この熱さは危険だ。アンプももう触れないくらいの熱さ。そうこうしているうちにMy
Linhが会場についてしまった。僕らのRHもできていないのでとりあえず控え室に入ってもらう。その後、1時間近く待つが音のバランスは改善されない。どうすればいい?対策を考えるがなんともならない。とりあえずどこにどの楽器をつないだかわからなくなっているので日本式のやり方を音響スタッフに教えるsakai。フェーダーの下に差したケーブルの楽器名やマイク名を書く。基本中の基本だがそこから教えることになった。
これも交流の一つだと考えてやり方を伝える。次に会うときにはマスターしておいてほしいな。そうして、なんとかサウンドチェックができるような状態に復帰してきた。外に立っているとサンダルの足の甲がひりひりする。遠くに湧き上がる積乱雲。RHが早いかスコールが早いかだな。あの雲は絶対どっとくる雲だ。持ち時間もあるので見切り発車的に音を出しはじめた。酷暑の中のRH。しかしMy Linhはセーブしながら無難にこなしてくれた。もちろん、GYPSYQUEENも万全の準備ができた。遅れること20分。16:20に終了しホテルに戻る。16:55ホテル到着。その時ポツポツと。そして一気にきた!危ない、あわやのところでこのスコールに見舞われることになったよ。この雨で動きが取れなくなり16:35雨のやんだ涼しい環境の中でミーティング。19:15に会場に向かうことになった。会場に着くとセレモニーが行われるところだった。
実行委員長の松田岩夫先生の挨拶などを聞き一度ホテルへ。時間もあまりないので食事を簡単にすませて再び21:10に出発。「すみません、現在50分押しています」。会場に着くと早速遅延情報が。遅くなるのはかまわないがお客さんが大変だろうなと思う。出番まで時間があるので楽屋で待機。隣の楽屋のリズムコレクションの人たちがとても礼儀正しいので気持ちよく過ごせた。
そして、いよいよ出番となる。今日は前夜祭なのでMyLinhを含めて3曲のみとなる。最初はボンホンチョイだ。当初Wiredを予定していたが会場を見た感じでなかり地元の人が多いことに気づく。それならばベトナム語で始まったほうがいいと思って急遽変更した。日本と異なりあまり異色のももから始まると最後まで自分のペースを失ってしまう人がいる。そんなことを考えまずは相手の手の内に入ろうというやり方だ。やはり、言葉がわかるということは強くて、shinonのたどたどしいベトナム語でのトークも優しい目で見てくれる。そして二曲目は日本メコン年のイメージで書き上げたBlueSkyだ。この曲はベトナム語版もありUnlimitedが昨年末のライブで一緒に歌ってくれた曲でもある。ノリのいい2曲をつづけた後、今日の開会式の最後にMyLinhの登場となる。
このフェスのテーマソングを歌う彼女。何度も書いているがこの「Paradise in your soul」の製作には日越の距離を越えて培った情が存在する。まったく違う文化同士の作業の進め方は当然異なる。それでも完成させなければと双方が努力して仕上げたこの曲。製作過程も含めてフェスティバルのテーマとして最適ではないかと思う。彼女のソウルフルな歌に観客は遅い時間ながらも飲み込まれている。そりゃそうだ。国家的な歌手、大御所ともいえるMyLinhがここで歌っているんだからね。そうして15分たらずの開会式でのステージを終えた。開会式のステージを終えた一行はすぐにバスにのりホテルへ戻る。時間はもう24時前。ちょっと遅いかもね。
それから24時に再集合となりミーティングを行う。微細なところのチェックを行う。今回参加したmidoさんは僕らにレボリューションを求めている。今までの[やればよい]から、更にその先にある何かを一緒につかもうと思ってくれている。ありがたいことだ。大切なことはありがたがることではなくて成果を出してみんなで分かち合うことだ。馴れ合いは不幸な結果を招く。いつでも新人のように新しい気持ちでいたい。いくつになっても1cmでもいいから背を伸ばしたい。
ミーティングを終えて部屋に。明日は5時起きだ。早く寝よう。2:00就寝。2009/8/15。5時起床まだ、まっくらで損をした気分。でもあっという間に明るくなってくる。歯磨きを終えた頃には深く青い空が見えてきた。6時ロビー集合&出発で今日はアー写の撮影となった。イベントとしての予定は組まれているので個人的なことは朝食前にやることにした。撮影場所は昨日、sekiのロケハンをしてきた場所。彼は目が利くというか、ほとんど時間のない中、僕らの撮影もプロデュースもしてロケハンもしてくる。そしてものすごい量を食べる&やせている。ファイトイッパツ若さとはこういうことか。そうして、世界遺産の日本橋付近のRiver
sideや市街地に入っての撮影をこなした。朝から活気があるのはこの国の特長。それがわからなかった分誤算があったようだ。僕らにはわからないことだが自分自身で「あーちがったなぁ」と悔やんでいる。きっとこれも彼にとっては大きな経験値になるだろう。
想像と違ってもまあいいやと思う人は成長しないし信用できない。大きな失敗をしない限り、人は小さな失敗をたくさんしていくべきだ。小さな切り傷はやがて強い皮膚に変わる。僕らも一緒に強くなってきたように。街中の路地や混雑の道路など数箇所の撮影を終えてホテルに。まだ、それでも8時前だ。一日が長くなった気がする。みんなで朝食。うむ、おいしい。いいことだね。そして、準備をして10:30に集合して会場に向かう。ここでmacha、sakaiチームは昨日のこともあり回線チェックに向かう。実際にちゃんと音が出ないとたとえそれがPAの責任でもお客さんからすれば演奏者のミスに聞こえてしまう。そんなことはあってはいけないことでここは念を押す形で午前中入りにした。
この確認をするということが重要なことなのだ。Machaとsakaiが会場で音響の建て直しをやっている頃、その間僕らは会場付近で時間を過ごしていた。ここは世界遺産となった旧市街が連なる町だ。そのほとんどはお土産店となりつつあるが古くから残されたものは保存状態の良い形で残されている。日本橋に差し掛かるとそこはちょっとイメージに思っていたものとは異なっていた。案外小さいというかかなり短い橋であった。この遺産のある街並みもそうだがものすごいインパクトがあったものがある。それは絵画だった。何のことはない。街並みの絵だったり、自然の樹木だったりするのだがその絵が異常な立体感というかリアリティのあるものなのだ。専門家ではないのでこれがいいものなのかはたまだ斬新なのかはわからない。
ただ、僕はその絵の持つ表現力に圧倒され、結構目を奪われたものだ。うだる暑さの中、歩き回ってちょっとばて目。遺産地区から街中に場所を移してマッサージで。ここは楽園であったが残念ながら寝てしまった。もったいない。帰りはすっかり小さくなった足で快適気分。午前中はホテルで待機していたshinonとmasaoと合流して会場に向かう。
13時に会場につくとすでにmachaとsakaiは寛いでいる所だった。「ばっちりですよ」自信満々の笑顔に安心感が漂う。かなり早く終わったようで333を結構飲んでいる感じだった。焼けているのか酔っているのか?まあ、どちらでもいい。こちらのスタッフといろいろ会話してコミュニケーションが生まれたようで思ったより早く準備が済んだといっていた。そして、すぐさまリハーサルを行う。昨日とは天地の差でステージ上の音の周りは回避できている。あとは本番でも同じ音場を確保できるかどうかということだな、と思った。それにしても改めて、教えることの尊さを知る。
できないことは悪いことではない。伝えてあげないほうがよろしくない。こうしてお互いがもたれかかるようにして生きていくのが人なのだ。まるで金八先生のような台詞だが本当にそう思うのだ。15:30ホテルに戻る。雲ゆきは悪くない。今日は天気持つかな?スコールだとしたら本番前に過ぎてくれと願うばかりだ。ここで昼を食べ損なったメンバーのために行きつけの店に行く。すでに常連。オーダーしなくてもつまみが出てくる。「これお金とられるわけ?」「あ、サービスですよ。」店員がごとくmachaは言う。ホテルの前のきれいとはいえないお店だがなんとなくこのお店自体がGYPSYQUEENっぽい。
そして17:30再度集合、夕食へ向かう。今日は岐阜の方々と旧市街の店に行く事になっている。行く途中、朝撮影したところや昼の暑い盛りに行った旧市街を見る。不思議なものであの時間帯はもう絶対に来たくないね、などと思うが夕方の光がやさしい世界を創り出すとそれはそれでいい雰囲気になってしまう。うん、かなりいい感じだ。そんな町を歩いているとミーリンと合流。なにやらお土産を買っている。彼女たちにとってもホイアンはわくわくする待ちなのだろう。なんだかほっとした気分だ。
不思議な気分にさせるノスタルジックな町のレストランはそんな旧市街のど真ん中にあり、建物自体が遺産のようなつくりであった。重厚なつくりは映画のセットにそのままなりそうな雰囲気。いい感じだ。食事をしているといきなり停電になった。これもそれらしくて趣があるかも。そうでもないか。真っ暗な中、慣れた手つきでキャンドルをもってくる店員。良くあるみたいだね。窓の外には闇に支配される町。すこしづつそれらの中からポツリポツリとライトの明かりがともる。この店も自家発電が作動し、お店の中は普段の姿に。ほんのちょっとのサプライズだった。それでも町はまだほとんどが真っ暗ない状態だ。
僕らの食事中、ずっとあいさつ回りをしてくれていたviviちゃんとshinonが戻ってきた。適材適所といえばそうだが食事の時間もそこそに全体のためにやるべきことを当たり前のようにやってくれることはありがたいという言葉だけではすまない感謝。でも、今はありがとうとだけ言っておこう。お店を出るとポツポツと雫が。空には真っ黒な雲。やばいね。これは来るよ。小走りでバスに向かう。ぎりぎりセーフでバスに乗り込む。ホテルに戻る途中から雨が降り出して今日も間一髪だった。
そうして19:30.ホテルに戻り今日のステージの準備をする。途中連絡が入り、停電のおかげでスタートが遅れているそうだ。結局21時にホテルをでるのでも間に合うということでそれまでフリーとなる。ステージに集中したいがやることもたくさんあるので部屋でこまごまとしたことをやる。半分オープンハウスになっているので洗濯物もばっちり乾いている。部屋の調度品はとても上品な感じで一仕事できそうな気分だ。時間はあるようでなくて、あっという間に集合時間が迫ってしまった。遅れないようにとロビーに向かい出発。結局全体が押したのでMyLinhと一緒に会場に行くことになる。それにしてもかなり押していて心配である。大トリのMyLinhは何時の出演になってしまうのか。その不安は的中し、更に30分ほど押しているような感じだった。僕らが会場に着くとリズムコレクションのステージだった。ということは相当押していることになる。
とりあえず楽屋入りして準備をする。楽屋のテーブルが冷たくて気持ちいい。メンバー全員そろって最後の確認。時間が押しているために一曲急遽カットする。スタッフの人からはそんなことは言えるわけもないので、僕らサイドで削ることにした。そのまま構成を再確認。そしていよいよ本番だ。ステージ袖に向かいステージを仕切っている吉川さんに出方の説明などをする。オープニングSEと共にステージに飛び出す。気の利いたことはいえないがこんなに遅くまで残ってくれている人たちのために心からの挨拶だ。一曲目は「saigon
city」から。この曲はベトナムにきて初めて作った曲だが歌詞の中身が本当にこの国のイメージにマッチしていると思う。さあ、飛ばしていくぞ!今回の僕らなりの目玉。それは今回このステージ用にリハーサルを繰り返した「mot
minh」だ。これはこの国でとても有名な曲でMy Linhもカバーしている曲だ。
歌いだしから観客から歓声が上がる。Shinonのベトナム語はまずまず通じているようだ、ベトナム語で歌をきちんと歌うのは本当に難しい。アジアで音楽をやる以上、ベトナムにきてベトナム語で歌うことは当たり前のことだ。たとえどんなに難しい発音であろうとも、やる以上そこがベーシックなラインになる。ちょっとやってみた。ちょっと通じたでは話にならない。まあ、ベースシストの僕はその辺甘えもありにわかベトナム語ではあるが。。しかし、ボーカルは違う。中途半端では伝わらないからこそ完璧を目指すプレッシャーは大きなものだと思うがこうしてステージに立って理解されたときその努力は実る。それは誰もが経験できるものではない唯我独尊のものである。それが成立したときに成立させた人だけがわかる恍惚がある。ある意味うらやましいものだ。そして、そこから後半はテンポの良い曲を続ける。ROCKの浸透していないこの国にROCKを伝えたい。
それもいきなり飛び離れたものではなく半歩先を行くROCKを紹介したい。そんな気持ちで演奏した。Shinonの呼び込みで後半はmy Linhが登場する。GYPSY QUEENのノリのよい曲終わりであったためにMy Linhがステージそでからmasaoにリズムを要求する。彼女が出てくれば11時を回っていようとお客さんは盛り上がる。My Linhとのコラボは三曲。最後の「Paradise in your soul」はバラード系とは思えないほどの彼女のあおりでステージはあっという間に終わった。GYPSY QUEENとMyLinhのコラボレーションはここに幕を閉じた。
最後に実行委員長の松田先生を急遽ステージに呼び出しサプライズ挨拶。この先生がいたおかげで僕らもたくさんの縁を頂いた。長い時間をかけて準備されたこのイベントの最後でステージの上で一緒に笑って入れることを本当に感謝したい。ステージを降りると喜びの声に満ち溢れていた。CD販売コーナーに行くとうれしいことにかなりの人気である。CDといっても日本価格だからマキシで10ドル。普通のアルバムで20ドル。ここではありえない高額商品だ。それでも、売れている。CDのあまり売れない国での販売は予想外にうれしく感じるものだ。売り子と化したviviちゃんmidiさん、ありがとう。全員野球っていうんだな。こういうの。
お礼を述べて僕らはバスに乗り込む。今回は準備段階から相当大変であったと思う。あまりにものやり取りに「スタッフのひといやになってしまうんじゃないかなぁ」と心配するほどだ。だからこそ完遂できれうれしい。帰りのバスでスタッフの人が「ホイアンはハノイやホーチミンと違って夜が早い。この時間まで人が残っているなんてめったにありません。私のふるさとのフエからも学生が来ていましたが遅くなるので最後まで入れなかったのでみなさんのステージがみれなかったこと残念です」。そうか、確かに23時にステージでは日本でもなかなか難しいだろう。それでは次はフエにいってコンサートをやればいい。今回見逃した人に見てもらう場を探しに行けばいいのだ。
24時過ぎホテルに到着。25時。部屋に集まり反省会。およそOKだが100%ではない。だから記憶から消えないうちに思い出し次につなげよう。いろいろ課題点を出して2:30。解散する。今日は一日長かった。3:30就寝本当にみんなお疲れ様。2009/08/16。6:30起床。なんで早いかって?今日はMy
Linhが一足早く帰るということでお見送りをしなければならない。どうも「明日は早いからあえないのでここでご挨拶を」ということが通じない僕らは全員集合となる。二日酔いで若干頭が痛い中、7:30ロビーに集合。なかなかこないのでレストランに行ってみるとまだ食事中であった。で、よくよく話を聞くと乗る便は僕らと同じだが早い時間にダナンにでて打ち合わせがあるということで早く出発するということだった。なんだよ。Hoaiがいいところでぼけてくれた。ということでとりあえずみな戦闘モードなので部屋に集合して今晩のリハーサルとなる。
おかげで今日も朝食前にいろいろできた。9:00朝食。Viviちゃんはフォーばかり食べている。食事を終えてチェックアウトは9:50.ばたばたしながら10:10出発だ。ダナンまでの道は結構揺れてつらかった。10:40に空港に着くがとにかくだるい。冷や汗が出るのは自律神経からか?なんとか回復できるように静かに過ごす。狭い空港なのであっという間にチェックイン。そこでMyLinhとも再合流した。MyLinhとは思い起こせば昨年の代々木で会い、音楽を通じて何かをやろうということを現実のものにできると知り僕らに音楽の喜びを再認識させてくれた。そして年末にハノイで思わぬトラブルで打ちのめされている時には彼女の笑顔に救われ、再びハノイで会い、共にベトナムでのステージを遂げることができた。そして、今は意思を持って一緒に作品に取り組んでいる。出会ってからの時間を考えれば圧倒的に短いプロセス。作業だけがどんどん進んでしまうというその急な角度の陰に隠れていた「お互いをよく分かっていない」というギャップをこのホイアンの町が埋めてくれた。MyLinhの笑顔は今はスターの笑顔ではなくファミリーの笑顔に感じるようになった。
12:15発のVN315便に乗り込みハノイヘ向かう。ホイアンのコンサートはあっという間だったな。灼熱の太陽といっていいだろうこの暑さ。この国で一番暑いところで一番暑い時期にコンサートをやるのよ。とMyLinhは言っていたがその通りだった。そこでよくできた、なんて言葉じゃ絶対に伝えきれないだろう。そんな暑さなんだ。昼間のリハーサルではチリチリしてるのよ。体が。
そして、収穫の一つに「ホイアンの歌」ができたということだろうか?(くだらない歌ですが)。
機体はいつの間にか滑走路を駆け出し空に舞う。記憶はいつしか薄れカンボジアへの充電のためかすぐに眠ることができた。機体が大きく揺れて目が覚める。窓の外にはハノイの田園風景が映る。13:15あっという間にノイバイ空港に着陸した。完全に寝ていた。寝ぼけながら空港でMy Linhと別れる。彼女は別れ際に「see you soon!」といって出て行った。その言葉が嬉しい。Hoaiも出会って一番かわいい笑顔で手を振って帰っていった。仲間になった瞬間だ。これからもこの国を代表する彼女にたくさんのお願いをするだろう。彼女くらいの大物でないとできないこともある。
きっと日本とベトナムの文化交流の関係を飛躍的に変える立役者の一人なんだと思う。そのために僕らはどんどん彼女との交流を深めていくだろう。一行は国際線ターミナルに移動して食事をとる。4月に帰国したときにうっていた搭乗ゲートのコブラ酒はなぜか見つからなかった。レストランでミーティングをかねて食事。カフェスダとパスタをたべる。欧米化だ。頭は切り替わってすでにクメール語が支配する。ハノイの空港でパスタを食べながらクメール語の歌をつぶやくshinon。不思議な風景だな。搭乗時間になってゲートに進むがなかなかオープンにならない。結局16:30位に搭乗した。
ここからカンボジアへはずっと海の上を飛ぶ。意外な感じだった。どうするんだろう、と思っていたところ途中方向を90度変えて内陸にはいっていった。ラオス上空をとぶ。チャンパサック付近と思われるが良くわからない。日本からバンコクに行く便は必ずパクセー上空を飛ぶ。この便はちょっと違うみたいだ。眼下にはうねるメコンが横たわる。厚い雲をかき分ければ川と密林だけの世界だ。そうして、雲の中を抜け、深い緑を超えてSiem Reupに到着した。タラップを降りてターミナルに向かう。めちゃくちゃきれいな空港だ。カンボジアのイメージは絶対に変わると思うな。はじめてここに来た人は。
そして、アンコールワットの町はものすごいサプライズを用意していてくれた。みたことのある顔がある。頼りになるあの男が笑いながら立っている。そう!ミスターパーフェクト!なんでここにいるの?!
「ガハハハハ!」笑いながら手を広げて立つ男に思わず抱きついた。
機内で考えていた。今日はアコースティックのステージ。どうなるだろうか?会場の設備も集客も微妙と聞いている。どっちに持っていけばよいか。そんなアウエイ気分が一瞬のうちにホームに変わる。
だってパーフェクトがいれば大丈夫だ。「メニーメニー」懐かしい英語だ。会いたい人にまた会えた。そんな感動は後から来るメンバーにも感染する。みな、パーフェクトを見つけるなり走り出した。再会というには絶好のタイミング過ぎる。そして、そのほかにもたくさんのスタッフが迎えにきてくれていた。大使館の鎌田さんにも再会できた。丸山公使が異動されたことをきいてちょっとさびしかった。また、会いたかったなぁ。それにしてもカンボジアってこういう国なんだよね。来る前の不安はみな消え去る。最高のホスピタリティは美しい空港にも表現されている。カンボジアはサプライズの国だ。
前回、初めてプノンペンに来たときもそうじゃないか。気分は上々。心の余裕が全員にチャージされた頃会場に到着。いきなりステージチェックにサウンドチェックをする。音響はあまりよくない。すぐにわかる。なにしろ音響設備たるものがない。もちろんモニターもない状況だ。それでも問題はない。僕らはどんな所でもぼくらの音を出す。僕らが伝えたいことをどんな状況でも伝える。それが僕らがやるべきたった一つのことだ。今日はエアの混乱もあり、松田先生もカンボジア入りを断念。便の遅れで到着していないチームもたくさんある。ベトナムの酷暑での疲れがないとは言えない。環境的には精神的な部分も含めてみな厳しさを感じているに違いない。そんな中でやるJapan
Festival。だからこそ不安は捨て去り僕らの気分を笑顔で満たしていこう。
マイナスなことは言っても変わるわけではないし、ここにスムーズにこれたことをよしとしよう。
もともとは野外にある大きなステージでの演奏であった。規模感はかなり違う。でも、そんなことは今となってはどうでもいいことでこの目の前に用意されたステージで何ができるかが重要なことだ。室内会場に変わったJapan Festival控え室に通されて準備をしていると会場に一般のお客さんが入ってくる。思ったよりもかなりたくさんのお客さんで満席になっている。みんなカンボジア人だ。一般の人が少ないんじゃないか?と思っていたので意外だなと思うが「ま、パーフェクトいるしね」の一言で済ましてしまうメンバー。カンボジアには絶対的な信頼を置いているから誰も気にしないのだ。そこでステージ構成を組みなおす。今朝までの計画であればしっとりとした感じで構成をして最後のアラピアで盛り上げようという構成だった。
ただ、諸般のトラブルもあったし、若いカンボジア人が大勢聞いている。これは先行逃げ切り型にかえたほうがいいんじゃないか?そう思うとすぐにメンバーを招集。僕の話そうとしているクメール語を教える。みんなで言葉を発するのだ。バックの4人全員でステージでしゃべる。これは重要な演出だ。演奏も変える。ソフトな演奏よりもハード目にしていこう。プノンペンの経験からカンボジア人のノリのポイントはわかっていた。20分ほど押して20:20.僕らの出番が来た。このツアー最後のステージだ。ステージに上がるや否や観客をあおる。前方はVIP席で後方は一般の席になっている。まずは後方のおきゃくさんをどこで総立ちにさせてしまうかだ。そのためにもみんなの温度を上げなきゃ行けない。へたくそなクメール語を連発するこの日本人バンドにお客さんたちはすっかりリラックスしてくれたようで一曲目から手拍子の嵐となった。
最初の曲はぼくらの曲「moonlight&sunshie」。GYPSYQUEENのテーマソング的な曲だ。この曲は僕らの原点でもあり2001年に初めて中国公演を開始したときの最初の一曲目でもある。この曲を長らく演奏できることに感謝。そして、二曲目は日本の名曲を聞かせようということで「スキヤキ」をやる。ただ、日本で有名なわけではなくこの曲はカンボジア人から必ずリクエストの来る非常にポピュラーな日本の歌なのだ。スローな曲ながらお客さんの受けはよい。そして今回のツアー用に準備した「Mouse
love rice」。2005年重慶はで中国語版を歌ったな。今回はクメール語と英語バージョンを披露する。これもこの国では大ヒットした曲なんだ。そして、最後は「アラピア」。僕らも立ち上がって歌う。
音楽は楽しむもので見ているよりも参加したほうが楽しいに決まっている。
最初から熱の高かったおきゃくさんと一体となったフィナーレの曲だ。ステージには今回一緒に行動を共にしているリズムコレクションのメンバーも上がってくれた。嬉しいよね。こういうの。遠慮は要らない。どんどん絡んでくれ。音楽は楽しいのが一番でそれ以外はどうでもいいんだ。そんな気持ちでこのツアー最後のステージを終えた。カンボジアでのステージを降りるとパーフェクトが一層喜んでくれて待っていてくれた。いろいろな人を紹介してくれる。まるで娘の入学式のように写真を取りまくってくれている。普通の感覚ではわからないかもしれないが僕らは彼とそういう付き合いをしているんだ、と思う。別に何の利益供与もない、むしろまったくメリットはない。でもなぜかこういう付き合いになる。なぜ?ぼくらは彼が大好きなんだ。大好きだから大好きな人との関係を大事にする。これはきっと伝わるものなんだ。
「相手を好きになること」。振りかけられるスパイスはそれくらいだが最高の仕上がりを見せる人間関係の隠し味だ。実際に彼のおかげで今日のハイテンションが約束されたことは言うまでもない。気持ちはこれほどに人の行動を左右するってことなんだな。きっと。ステージではクロージングの挨拶となる。
篠原大使のスピーチ。なんとすべてクメール語だ。すごい。すごすぎる。この国を愛し、国のために動き、国のために希望を創る。それも自分の出身国ではない国のために。僕らもそこまで達したいね。一つしかない愛ならば占有されてしまうが、もっと成長して大きな愛をもてるようになりたい。そして、今回もっとも大変だった事務局の青柳さんも満面の笑顔であった。一番身近なところで見ていて、そのプレッシャーがどれほどのものかを感じていた僕は青柳さんが喜んでくれることがとても重要なことのひとつでもあった。なんだか僕らの肩の荷も下りた気持ちだ。特に後半は想像を超えるプレッシャーだったに違いない。ステージが盛り上がればきっと喜んでもらえる。うん、よかった。そして、今日こそは一緒に飲みたいな。そう思った。
終演後、荷物を整えホテルへ。今日のホテルはLe Meridien ANGKOR。アンコールワットに最も近いホテルだ。公演のあった文化ビレッジから6号線を行きアンコールワット方面に向かう。ホテルに到着すると22時だった。まだまだこれからじゃないか。久しぶりに早い仕事終わりに感激する。ホテルは素晴らしく、また日本語のスタッフが多数いてまるで日本のようであった。案内、室内。いたるところに日本がある。豪華というか秘めた気品を感じるホテルだ。
たった一泊ではもったいないね。みんな思っているだろう。そして、ホテルをでてトゥクトゥクを探す。料金交渉をして1台8ドルというので1台1ドルにしてくれといったらさすがに帰りかけられた。ちょっと値切りすぎかなとおもったので「一人1ドルで3人で3ドル」で交渉。OKとういうことなので3台に分かれて乗り込み中心部まで行く。当てはないが行けば何でもあるだろう。ソックホテルに到着し青柳さんの仕事終了を待つ。まだまだやることは山積みなようで声をかけるのも申し訳ない感じだ。先発隊がいい感じの店を探してきたのでまずはその店に向かう。お店はタイ料理だった。
いよいよ打ち上げ。明日は深夜便で帰国するチームとホーチミンで打ち合わせチームに分かれるので今日が全員で最後の夜。アンコールビールで乾杯だ。いろいろなことがあったが無事乗り切れたのは9人の総合力の成果。細かいところはこれから修正していけばよいし、今回も新しい発見があった。それをすべて飲み込んで次につなげられればいい。しばらくしてようやく青柳さんが合流。お疲れ様でした。本当にお疲れ様であったと思う。思えば2007年の9月に総領事館の坪田さんに青柳さんを紹介されてから2年がたった。いろいろなことをご一緒させてもらって改めて人の縁の素晴らしさ、大切さということを感じる。しばらくするとさっきのトゥクトゥクのドライバーが僕らを探して店に来た。
さっき別れるときに「1時間位したら帰るよ」といっていたので探しにきたようだ。まあ、僕ら一行は目立つのですぐに探し出されてしまう。「あと1時間くらい」といったら迎えにきてくれたのだ。でも最終日なので今日はshinonもビール解禁。楽しい席は続く。トムヤンクンがおいしい。辛いんだけれど、タイのそれとはちょっと違う味付けのような気がする。マイルドな激辛ってかんじだな。またきたらこの店にくるね。6号線とアンコールワットへの交差点の角の店なのでカンボジアに行く人がいればお勧めするよ。しばらくしてまたドライバーが来た「さっきあと1時間といったがそうすると12:40になってしまうので12:30に来てもいいですか?」。うむ。この細かさ。この礼儀正しさ。みんな知らないだろう。この国の礼儀正しき紳士たちのことを。
物静かなこの国のひとたちが僕は大好きだ。信用できる人、信用できない人はどこの国にもいる。それは日本も同じだ。押しなべて見ればこの国の人たちはみな素晴らしいホスピタリティを持つやさしき民族だ。ますますビールがうまく感じる。そうしてツアーのエピソード、楽しい話、嬉しかった話。場は暖色に包まれて宴は終わる。迎えに来ちゃったからね。ちょうど12:30だった。ホテルに戻る。夜風は寒いくらいに気持ちいい。部屋に戻り1時に再集合。このツアー最後の反省会だ。この反省会を超えれば次へ向けての話に変わる。もう、僕らの次はスタートしている。飲み明かしたい気持ちを抑えて2時、部屋に戻る。明日の朝は早朝撮影なのだ。
2009/08/17.4時起床。まだ、昨日が続いている。目を覚ますために熱いシャワーを浴びるが目が開かない。疲れもピークか。それでも遅れるわけにはいけない。ベットに戻るとそのまま寝てしまいそうなのでばたばたと片付けなどをして体を起こす。5時ロビー集合。今日はアンコールワットの日の出を見に行く一行に混じって早朝撮影をするのだ。ホテルから10分くらいでアンコールワットへ。途中の道は夜中の道。車を止めてもそとは真っ暗で懐中電灯がないと歩けない。なんか富士山の日の出に行くような感じだな。それにしてもこの恐ろしい蒸し暑さは体に良くない。うっすらとアンコールワットは姿を現す。かすかに五つの尖塔が浮かぶ。まだ、よく見えない。この寺院。とても有名だからいまさら説明は必要ないとおもうので簡単に述べよう。
12世紀に作られなんどかの繁栄、荒廃を繰り返し近代においてはカンボジア内戦の舞台にもなったところだ。それだけに貴重な仏像はかなり破壊されたが国際的世論の注目もあり、修復が進みそれは今も続いている。東西1500メートル、南北1300メートルという広大な敷地にある寺院である。西が正面にあたりぼくらもこの西の参道から寺院にはいる。それ以外の門はあまり知られていないし有名な写真はだいたいこちら側からだ。構造は三重の回廊の中心に尖塔が東西南北それぞれと、それと中央にそびえる尖塔。これら五つの塔が象徴的なビジュアルイメージを作っている。まあ、そんなかんじで分かるだろうか?
暗闇の中、環濠を越えて寺院内部に入る。ここまでくると薄明かりでなお神秘的な寺院が姿の全容を現す。神秘的だ。なんという力強さだ。しばし感動。日のでは5:50.あと20分くらいだ。遠くの東の空がほんの少し赤く感じるが今は雨季。残念ながら日の出は拝めそうにない。僕らはこの尖塔を望む聖池付近で撮影のスタンバイ。あまりにもの湿気にsekiは悩む。このときは知らなかったが後からきいたらこのときにカメラ一台壊れてしまったらしい。蒸し暑さの中撮影は終了しすぐにホテルに戻る。暑かったな。ちょっとぐったりだ。この遺跡の不運な歴史をなんとなく肌で感じた。
ラオスのワットプーと非常に似た構造であることもわかった。クメール王国の時代の建造物と考えれば当然なんだろう。そんなときに思ってしまうのはその修復作業の差である。ここアンコールワットは世界に見守られ大規模な修復が続いている。寺院内はきれいに清掃されていて、ごみの山なんてみつからない。反面ワットプーは整備がされず崩壊するのをただ待つようなものであった。多少の修復保全作業は行われているがこことは比べ物にならない。同じ世界遺産であってもその注目度でこんなにも変わるのか。ラオスを愛するものとして、なんとか世の中にワットプーにも注目して欲しい。
何をすればいいのだろう。知り合いたちと熱く語ることもビアラオを飲んで騒ぐこともそんなことでは、何も変えることはできない。もっと社会にラオスの崩壊しつつある世界遺産を知ってもらい支援の目を向けさせるために自分ができることはまだまだ足りなさ過ぎる。もっと自分に力があればと悔しい思いだ。ホテルに戻る途中ガイドさんが内戦の時の話をしてくれた。なんとなくタブーのように扱われる話ではあるがそのリアルな話には考えさせられるものがある。この国にはこの国の考え方と歴史がある。それをきちんと受け止めて、理解していきたい。戦争は絶対にだめという彼の言葉は自身が戦争に行った人からしか出ない重い言葉であったと思う。カンボジアにはタイとの紛争が今も時折生じる。
陸の国境のない日本にはわからない話だ。7時朝食。今日も朝から食事がおいしい。8:15再びロビー集合。これからタプローム、アンコールトムに向かう。もちろん撮影のためだ。なので、本当は軽装で、といきたい所だが衣装を着ていく。この蒸し暑さでの皮パンはきついのよ。遺跡群はみなTVや雑誌で見てきたものでその場にくるとその空気の漂いも含め感動と一言ではすまない何かがある。
でも、これは行ってみないとわからないのでまあ一度は行ったほうがいい。ここも素晴らしい彫刻と荒廃と自然の驚異の中たくさんの遺跡が点在していた。この寺院をすべて回ると一週間では足りないだろうな。時間が許せば少なくても2,3日欲しいと思う。遺跡を見た後はランチ。あまりにもの暑さで食欲減退。ろくに食べずに12:40ホテルに戻る。シャワーを浴びて準備を整え14:00チェックアウト。このホテル本当に素晴らしかった。また来る機会があればここにとまりたいね。でも、もう少しゆっくりしたいかな。チェックアウト後はようやく唯一の自由時間となる。
僕らは数人でオールドマーケットに。すっかり疲れたので足裏マッサージに向かう。1時間6ドルでまあまあだった。帰りにはトゥクトゥクで街並みを見ながらホテルに戻る。いい感じの街並みにのんびりした気分。こういう時間あまりないからね。そして15:40.ホテルにもどる。スパ組、散策組と合流して空港へ向かう。一度アンコールワット方面に向かい空港までの一直線の道を行く。ホテルから空港までは20分という近さであっという間についてしまった。16:40.きれいな空港でチェックインもすぐにおわる。今回同行したたくさんのみなさんにお礼を述べる。
いろいろなトラブルはあったが無事事故もなく、そしてJapanFestivalを成し遂げたことでこのベトナム・カンボジアツアーは成功であったといえよう。青柳さん本当にお疲れ様でした。そして、それに同行したぼくらGYPSY
QUEENも大きな成果を持って帰ることができた。夕焼けで真っ赤に染まる空港で搭乗機VN828に乗り込む。テイクオフをして町を旋回するように飛んでいく。アンコールワットが小さく見える。空から見ると小さいな。よく見なければ気づかない大きさだ。19:10.約1時間でホーチミンに到着。ここで僕ら滞在組と帰国組に分かれる。荷物をピックアップするのも5人のみ。半分の荷物しか取り出さないのが少しさびしい感じだ。
僕ら5人はメンバーと別れ市内へ。ツアーの終わりは次の始まり。その次を確定させるためにこの1日を費やすことになった。ホテルに30分程度で到着し、荷物を部屋に。そしてロビーに降りると懐かしい顔が待っていた。Lam TurongのマネージャーのLoc。UnlimitedのボーカルのBOBOとマネージャーのBIBI、そしてLinhさん。なんとも豪華な面々と食事に行く。
LOCとは明日のminhThuの打ち合わせを行う。準備してもらいたいものなど、入念に準備。そしてBOBOとBIBIとはこれからの共同作業についての話でもりあがる。次を目指してミーティング互いに一緒に公演ができればという思いは一緒である。ベトナムではまだ自由に公演ができるというところまでは行っていない。大規模なものは政府の管轄になりプロデューサが勝手にイベントを行えるわけでもないという現状だ。
ホーチミンよりもハノイ。すべてはハノイできまる。その暗黙のルールを彼らは良く心得ている。その中で自分たちにできることをやる。LamTurongはそのためか米国での活動が多い。MinhThuも今晩ウクライナでの公演から帰国するという。おのずと海外に目を向けていかなければいけない現状があることは意外に知られていないことだったりする。日本での活動についてバックアップすることを約束。MyLinhについてもそうだが日本でプロモーションを行う機会が少ない彼らにとってはoneasiaは一つの出先機関として重宝される。近い将来。本当に近い時期に彼らがもっとアジアを渡り歩ける時期が来るだろう。そのときにはホーチミンに居を置くLinhさんの出番だ。ベトナムと日本のエンタテイメントを結ぶ一つの約束が交わされる。食事を終えて23時ホテルへ。ホーチミンにはじめてきたmidoさん、sekiを歓迎するために町にでるもすでに24時を回っており店はほとんどがクローズ。これから食事という気にもならずホテルの部屋でツアー中の撮影した写真をチェック。
サイゴンビアと共にツアー最終日を過ごす。1:30解散。今朝はアンコールワットで朝を迎えた。そして、ホーチミンの夜。町のバイクも少なくなったこの時間。長い一日が終わる。2009/08/18。9:00起床。久しぶりに良く寝た。何よりも演奏のない朝。気楽に目を覚ます。このホテルはネット環境がすごくよくアンコールワットでメールがつながらなかった分たくさんの情報が入ってくる。10時に朝食をとり朝から強い日差しの市内に一瞬でて12時のチェックアウトの準備をする。今日も一日最後までやることは満載だ。ロビーで待つと福川さんが登場。こちらのファッションビルZENの社長であり、ぼくらのサイゴンの最も古い友人である。福川さんとは今回もホイアンで会うことができ、そして今日はここホーチミンで合流した。一緒にバインセオを食べに行く。ベトナム料理というのは本当にヘルシーでこのバインセオも太る要素がない女性にはもってこいの料理。食事をしながら最近の町の事情をヒアリング。そのあとZENに向かう。ここはこの町一番の先端ファッションの集まる店。日本人が飛びつきそうな斬新なデザインのウエアがたくさんおいてある。お茶でもしようということになり五階のカフェに行く。
僕はカフェスダ。みんなはチェーを頼む。チェーというのはベトナムならではのスイーツで飲むというか食べるというか不思議なものである。基本はココナッツ風味だが多彩なアレンジがしてあり、お店ごとに味が異なる。日本にもあったら絶対にはやりそうな気がするベトナムならではのスイーツである。
その後ニューワールドホテルに移動。ここでMinh Thuとミーティングだ。今日はバンドマンというよりも完全にイベンターモードである。ニューワールドホテルのロビー。そういえばここは一番最初にベトナムについて到着したホテルでもある。ここのロビーで当時の塩崎総領事と会ったっけ。懐かしい場所だ。窓の外は緑の公園で人々が思い思いに過ごしている。バイクの波の相変わらずだ。
そこにMinhThuとLocそしてお母さんの3人で現れた。初めてあうMinhThuだが、なんとなく日本人顔をした感じの子であった。ウクライナの音楽祭から帰ってきたばかりで疲れているかな?とおもったがその辺はプロフェッショナル。疲れを見せずにスムーズにミーティングは進む。当初予定していたことはすべて順調に話が進み終了。いろいろ取材をしているうちに日本語でも歌を歌いたい、楽曲のアレンジをしてほしいという話が出てきた。もともと今回は彼女のバックも務めることになるので、出来上がったものをカバーするだけでは面白くない。ある意味いい話であった。反面、それだけのグレイドを要求されるわけで僕らにとっては試されることにもなる。
16:30ミーティングが終了し東京での再会を約束して席を立つ。信頼できるパートナーであると確信した。人は直接会えばおよそわかる。なんとなくわからないな、と思う人には警戒すべきだし、信用できる人は大体わかる。
これからが楽しみな人たちだ。そして、慌しくその足でドンコイに向かう。12月以来でなんとなく行ってみたかった場所だ。ここで若干のショッピング。18:00にホテルに戻りチェックアウトをしてホテルの隣のアイスクリーム屋でWiFiにつないで待つこと30分。linhさんが迎えに来た。これからHienThucとの打ち合わせになる。HienThucは今日もステージだそうで、その前の時間を空けてくれた。指定された店に行くとマッシュルームポットと書いてあった。楽しみだ。レストランの入り口では豪快にマツタケが焼かれている期待感大。2階に上がるとHien Thucが待っていた。見るからに華やかな彼女はすぐにわかる。彼女との打ち合わせも食事を交えながら順調に進む。過去3度も競演経験があるので僕らも彼女も要領を得ていて確認事項が中心であった。
画像をもらったり音源の説明を受けたりして時間があっという間に過ぎる。中身の濃いミーティング&おいしい料理だった。帰りに入り口まで送ってくれる彼女にはお店のお客さんたちが次々に声をかける。それを笑顔で交わす彼女はスターであった。名残惜しいが僕らは今日帰らなければならない。店を出てタクシーに乗り込み僕らはホテルに向かう。ホテルから空港へはさっき連絡をとって急遽来てくれることになったトンが送ってくれることになっていた。
「HienThucいい感じだよね」そんな会話をしていると20分ほどでホテルに到着。すでにトンは待っていてくれた。「お〜ひさしぶり!」本当に久しぶりの再会だ。06年に始まった出会いは今も続いている。路上でとりあえず乾杯。「ん?すぐにいかなくて大丈夫?」と聞くと「時間は大丈夫だから」というので安心する。ドライバーが言うことには間違いはない。21:30を過ぎそろそろ出発。結局車はトンのではなく一緒にいたジョーの車だった。
たぶんいきなりviviちゃんに「きて」と言われて車の手配がつかなかったんだろう。そこで友達を連れてきてということらしい。何にしても今では心強いホーチミンの友人だ。空港まではあっという間。空港までの道の工事が終わったせいか、渋滞がなければ30分はかからない。22:10タンソンニャット空港でトンと別れる。また会おう。僕らの別れは感傷的ではない。必ずすぐに会う気でいるからだ。23:00チェックイン。意外と混んでいたのでてこずったが無事税関も越えて搭乗ゲートへ。この搭乗口はちょっとさびしいイメージだな。毎回帰るときはここからだからね。
疲労感いっぱいの僕もそろそろエンジンが切れる頃。VN951に乗り込んであっという間に睡魔に襲われる。これは寝れそうだね。そして、24:05。定刻どおり僕らは日本に向けて飛び立った。一週間足らずの旅はここで終わりだ。第3章3幕はここで閉じることになる。今回世界遺産に行って見たものは人類が作って崩壊してしまったもの。そんなものばかりであった。そしてそこで肌で感じたのは今を生きる人々との出会いの喜びだった。生きている今だからこそ。そんな気持ちが強くなる。「何かをやろう」。遺跡のパワーか、元気をもらった感じだ。どんな建造物もいつしか朽ち果てる。数千年、ものを残すことも重要であるが今をどう生き抜いていくかということが大切なんだと感じさせられる。
各地で会う懐かしい顔はみなここ数年の「若い酒」のごとく鮮明な味で僕らを刺激してくれる。それがたまらないんだな。いつも言っているけれど会いたい人がそこにいる。そんなことを世の中の人みんなが共感できれば良い。もっと旅をしよう。もっと人と触れあおう。そしてたくさん会話しよう。その中には遺産に負けない宝物が潜んでいるに違いない。僕らの音楽は遺産にはならないが、目の前の人たちの体温を上げる役目くらいはできた。少し熱っぽい目をしてこの日本人バンドの曲を楽しむ人たちがいることが僕らGYPSY
QUEENにとっては重要な財産なのだ。
歴史好きな僕にはたまらないこの世界遺産の旅を通じて、音楽は遺産になってはいけないと深く感じたのである。
今、目の前にいる人に捧げる歌を作り続けていこう。それは最高に楽しいことだ。
穏やかな気持ちで眠りにつく。そして、あっという間だ。目が覚めると朝食の時間だった。結局夕食は食べずじまいだったんだ。うむ、珍しい。ここはもう日本の上空になるのか。時計を日本時間に戻す。日本時間午前7時。8月19日の一日は始まっている。機体は高度を下げ、懐かしい風景が広がってくる。7:55曇り空の中、成田に着陸する。帰ってきた。ありがとう。すべての運営スタッフのみなさん、ツアーメンバーそしてたくさんのベトナムの友人とカンボジアの友人。コンサートにきて日本を知ってくれたお客さん。ぼくらまた近いうちに会いに行くよ。
World Heritage
GYPSY QUEEN Road to Asia #23
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