GYPSY QUEEN Road to Asia #22
SAKURA Festival in Vietnam
2009/04/10-2009/04/14
Blue sky in Hanoi
メコン年のツアーが終わってしばらくが過ぎた。この短い期間で三カ国を回ったことはバンドマンにとってかなりハードな旅であったがシェイプされた旅は久し振りに僕らにツアーバンドの面白さを感じさせた。出会った人もこの上ない経験とともに「会いに行きたい人」に変わる。突然帰国して会うことができた諸富さんとも次に向けてのスタートを切った。 シンガポールからは懐かしい友人ジェイソンが来日して一緒に食事をしたりするのも驚きだがそれ以上にちょうど、別方向からシンガポール、タイでの公演の話も出始めている。人のつながりがどんどん大きくなる。困難にぶつかってもひたすら前に進む。その成果が出始めていたころだ。そんな中、ハノイで行われるSAKURA Festival in Vietnamの準備が始まる。 これは日本ベトナム友好協会が主催となって行われるハノイでのイベントでなんとハノイ市内に桜を咲かせようというものだ。その桜は日本から空輸される。桜の木を!そんな壮大な企画にはさらにヨサコイという日本のダンスを表現するにはもってこいのチームが加わり、数百人規模のイベントとなる。 桜、ヨサコイ、そしてGYPSYQUEEN 色合いはちょっと違うがハノイでのこのイベントに音楽の華を添えるべくGYPSYQUEENの参加が決定した。昨年12月のハノイがスルーしたこともあり僕らにとってもリベンジの公演である。そして、最近一緒に組んでいるハノイの、いやベトナムの歌姫、MyLinhと共演。そんな豪華なイベントとなった。 先のツアーが終わって一ヶ月。このイベントのために制作した「ヨサコイハノイ」は実行委員会の人に気に入ってもらってレセプションパーティでも演奏することになったようだ。詳細は行ってからではないと分からないが、実行委員会の手際の良い手配で、過去のツアーでもっとも先の見えた旅となる。 一か月前にホテルが決まり、会場が決まり機材についてのやり取りも決まる。まあ、当たり前なんだけれど当たり前のことが少ないアジアにおいてこの日本的な準備万端のやり方は非常にありがたいことなのである。これは完璧だね。今回はのんびりした旅になるだろう。同じ都市、同じ会場で2公演。そして帰国。いたってシンプルで演奏に集中できる。そんな旅が始まる。 2009/4/10 5:30起床。昨晩ぎりぎりに準備を始めたおかげで寝るのが3時。かなり眠い。ぼっとしているとあっという間に6:00。外は晴れていて暑そうだ。天気予報を見ると24度になるという。今年の桜は好天に恵まれて3週間もった。今週は日々桜吹雪を見ることができてよかったな。そんな桜も今年は見おさめ。帰国したらもう若葉に変わっているだろう。そのフィナーレにハノイで花見か。いつになくサクラを堪能した年になったな、と思う。 6:45、masao、sakaiと合流し出発。護国寺から首都高に乗り成田へ。都内がちょっと混んだくらいで7:30には酒々井PAに到着。ここで恒例の朝食となる。 7:55に出発し空港には8:15着。早い。集合時間は8:30.久しぶりに余裕で到着。ここでチェリーパーキングに車を引き渡す。空港引き渡しは本当に楽だね。今回はベトナム航空で飛ぶので第二ターミナルになる。第一よりも大きい分何だか気持ちが良い。意外にすいているがなぜかベトナム航空のカウンタのみが激混みだった。 メンバー全員集合。といっても今回は二便に分かれることになり、先発組は6人。いつものメンバーのshinon,masao,sakaiにベトナムといえばMaiちゃん、そしてこれもベトナムといえばayu。そして僕だ。しかし、Machaとマネージャーのviviがいないだけで妙に少なく感じる。 そして、今回往路は久々に僕がツアコンということで仕切らなければいけない。うむ、久々だ。みんなからパスポートを集めた。うむ、久々。スタッフは大変なもんだ。きっちりしていないと出来ないね。荷物を預ける。重量は6人で136kgぎりぎりである。 9:15.チェックイン完了。ゲートへ急ぐ。案外時間がなくお茶をする間もなく搭乗ゲートへ。しばらくすると搭乗案内となった。 9:50VN951便に乗り込む。機体はボーイング777-200.機内は空いていてゆっくりと座ることができた。たぶん同じ時刻のハノイ便が混んでいたのだろうと思う。まあ本当は僕らもその便の予定だったのだが。 定刻通り10:30にテイクオフ。シャンパンで乾杯。公演の成功を祈る。食事をしてベトナム語を勉強していると睡魔に襲われ気付くと15:20.おお、良く寝たぞ。現地時間に時計を直す。13:20.あと1時間ちょっとで到着だ。機体の外はまだ海の上。何も見えずにぽっかりと小さな雲が連なっている。 14:05着陸態勢をとるために機体は降下を始めた。今回でホーチミン入りは五回目になる。乗り継ぎのために市内には出れないのが残念だがoneasiaVNでがんばっているLinhさんに電話でもしてみよう。14:30ちょうどに着陸。ホーチミンに帰ってきた。 機外にでるとむっとする暑さ、気温は34度という。そして、湿気。すぐにジャケットを脱ぎ、シャツをまくる。春の日本から真夏の気候に一気に飛び越した。国内線に乗り換えるために、隣の空港まで歩いていく。およそ100mくらいの距離だがカートをなぜか乗せ換えて?連絡通路をあるく。短い距離だがスコールがあったらびしょぬれだな、と思いつつ国内線に向かう。ここは以前の空港で、一番最初にベトナムに来たときにはここに到着した記念すべき懐かしい空港である。 そういえば06年、ここからカンボジアに向かう時にmachaのパスポートの残存期間が足りなくてチェックインカウンターでかなり揉めた所だ。あの時は総領事館の坪田さんにお世話になったなぁと思いだす。 混雑している中、チェックインをしているときに職員の対応が悪くてmaiちゃん激怒。「お客様に対する態度が悪い」と怒る。そこらへんの日本人よりも礼儀作法にうるさい。なんとなく、なんでも良しとしてしまう僕らは見習わなくてはいけないことだ。 重量オーバーでちょっと揉めたがとなりのカウンターの係員が「さっきの係員の態度は良くなかった、申し訳ない」ということで若干重量を免除。これでハノイに行ける。古めかしい空港の中、ゲートに向かう。僕らの乗るVN228便はローカル線。それでもほぼ満員である。到着が遅れたため、16:30の出発は15分遅れてテイクオフ。 眼下に広がるsaigonCity。のたうちまわる様なサイゴン河は幾重にも入り乱れ重なりそして街の中に食い込んでいる。どちらが上流か、どちらに流れているのか分からないこの河の風景は圧巻である。 その頃、日本からは第2便が飛び立っている。今回は3便に分かれてハノイで落ち合うことになっている。僕らはその先頭グループだ。飛び立ち間もなく軽食。まだ、揺れているのにいいの?まあいいか?サンドウィッチがおいしい。ベトナムに来た感じだ。 機内ではmaiちゃんと到着後の打ち合わせ。いろいろな人と会わなければいけないし、ぎりぎりに現場での動きまでは把握し切れていない。その辺の確認事項をピックアップ、だんだん気持ちが戦闘モードになってくる。 外は夕暮れの大地とまだ昼間の空に分かれる。その境界線が黄色く染まっている。すでにベトナム中部を通過。ホーチミン、ハノイ間はちょうど2時間。遠回りをしたがもう少しでハノイだ。 機体は徐々に降下をはじめ霧の中を揺れながら行く。ほんのりと明るい街並みが見えてきた。その先にノイバイ空港の明りが見える。ようやくついた。そんな感じだ。到着後、簡素な空港ロビーにでる。出迎えの人が誰もいないで途方に暮れること1時間。主催者の人たちが迎えに来てくれた。 すでにイベントは始まっていて、かなりバタバタしている様子で遅れたことを非常に申し訳なさそうにしている。まあ、普段のツアーのことを考えれば1時間は誤差にもならないので全く気にしなく市内へ。ホテルに到着したのはちょうど21時だった。一日長い移動だった。ホテルには諸富さんがなんとビアラオの差し入れを持ってラオスから来てくれていた。再会もうれしい、さあ、とりあえず一杯、ということで後続の立川先生を待つためにすぐ隣の店でビアハノイを飲む。 その間、会場サイドから電話がきて急遽スケジュールが一部修正。朝8時からのRHが10時からになった。それはありがたいがすでにこの時間。僕らだけではなく各方面に連絡を入れなければいけない。単独行動で無いので急な判断は全体のスケジュールに影響してしまう。その辺の進め方についてsakaiと話す。 その後、入れ違いで結局先生と会えずじまい。24時、ホテルに戻る。明日は早いからね。ホテルの窓からは夜景がきれいだ。明日はどうなるのだろう、荷物を解いて一準備をして就寝。 2009/04/11 6:30起床。昨日から気になっていた天気。窓の外はどんよりしている。7:00朝食、みんなの話題は今日の天気だ。準備を整えて7:30ロビーへ。すでにドライバーは待ってくれている。時間に正確なんだよね。 会場付近は若干混んでいて、8:00会場到着。ステージはすでに組みあがっていてバンドのサウンドチェックなどが始まっている。当初の予定と変わったということでshinon以外は先発組み、shinonのみあとから諸富さんがピックアップに行ってくれるという。ステージは充分な広さだったが、モニターの還りなどはかなり調整が必要に思える。 My Linhが野外はあまり好きでないということが良くわかる環境である。現地のスタッフに入り混じりsakai&諸富さんも加わってのスタンバイ。まだまだ出番は先のようだ。雨が降ってきてなんとなく不安になる。これで雨天中止となったらさすがにしゃれにはならない。一緒にきてくれた人たちみんなに申し訳ない。どうにもならない天気だけにやきもきしながらひたすら待っていた。 その頃MyLinhのマネージャーのHoaiが到着してご対面。まるでMylinhのようなショートヘアの女性である。ここにきてオペラハウスを見ることができないとか、いろいろとお願いしていたことが出来ていないということが発覚。今回は僕らだけではなく間接的にも立川先生やIRC2の糟谷社長などVIPからの依頼事項も含まれており、「できていません」では答えにならないばかりか僕らの信用問題にも関わることだ。 これじゃまずいぞベトナムのエンターテイメント。 そんなやり取りでまるで今新しく話が出てきたがごとく調整をし始めてもらう。一ヶ月前からやり取りしたメールはなんの意味も無いのか?まだまだ仕事のレベルの大きな差を感じざるをえない。 そんな中、Shinonが会場に到着。ステージ上はまだスタンバイ中。なんとか急いでもらってサウンドチェック代わりのRHが始まったのがもう9:40くらいだった。途中masaoがまたもや自前のミキサーをショートさせる事件もあり緊迫感はさらに高まる。 全体の運営にも影響が出るのでさくっと音場を確認して終了。まあ、先のツアーと比べれば楽園だ。これだけの機材があればぶっつけ本番でも問題ない。終了後、10:30ホテルへもどり立川先生と糟谷社長と合流する。 今現在の状況を説明してとりあえず11:30ランチへ。Deewoo Hotelに近いベトナムレストランに行く。久しぶりのベトナム料理だ。外は時折豪雨で気が気じゃない。会場での打ち合わせが押していたSakaiも合流。ようやく天気も晴れてきた。 一度ホテルに戻りミーリンとの打ち合わせに備える。12月にきた時にはいろいろお世話になったものだ。今回はプロデューサのフイタンがホーチミンに行ってしまっているらしく会えないとのこと。変わりにHoaiさんがマネージャとしてついているということだ。 14時。ミーリンと再会。楽曲製作について立川先生を交えて話をする。GYPSYQUEENとMyLinhのコラボの話が続く。アジアでいろいろなアーチストと競演を果たしているがまさにMylinhは別格。そして女王とは思えない人当たりのよさ。きっとこれで成功したんだろうなと思う。そんな中、会場から連絡が入る。 「さっきの豪雨でステージ天井が落ちた」ん?大丈夫だろうか。機材は?まあ、今僕が考えても仕方ないのでそこはSakaiに任せて打ち合わせを進める。それでも意識しなくても公演が流れたら?という不安がよぎる。ステージの屋根が落ちるということは下にある機材やそれこそそのとき誰もいなかったのだろうか?事故はまずい。頼むぞハノイ。また僕らを追い返すなんてことはやめてよね。 そして15:30。打ち合わせが終わったころに第3チームがホテルに到着。これで全員揃った。集合は17時だったのでこの合間を見てホテル横の足裏マッサージに。飛行機の乗り継ぎや移動での立ちっぱなしで結構疲れているかも。ここは1時間8万ドンということで結構リーズナブルな店だと思う。その後17時出発。会場へ向かう。屋根はなくなったが運営には問題ないという情報が入った。 ただ、漏電防止のために一回機材はすべて撤去したそうで、リハーサルのセッティングもすべて一からやり直し手ほしいとのこと。まあいい、それよりも屋根がなくなったので天気が持つかどうか心配だ。「雨が降っても僕の歌は負けないって代々木でラムチューンは言っていたんですよ」とmaiちゃんは僕らを勇気付ける。 そうだその通り。雨なんてふきとばしてやろう!そんな気持ちで会場に向かう。ステージ脇まで行くとお客さんはすでに入っていてスタートを待つばかりになっている。楽器をもし置きっぱなしにしていたらすでにアウトだったと思うといつも自分の荷物を持って歩く習慣が生きた感じがする。 セッティングは諸富さんSakaiの懸命なる作業でほとんど遅れることなくスタートできた。舞台を支える人たちの努力は尊い。ステージ袖にミーリンも到着する。僕らはステージに飛び出した。 ステージは「Saigon City」から始まる。ホーチミンに初めて到着して感じたベトナム人のパワーを歌った曲だ。この曲はこのステージのオープニングにぴったりだ。今回は45分のステージ。なので少ない曲の中で構成を作らなければいけない。前半はアジアチックに、中盤はROCKにという構成とした。 ハノイではなかなかROCKBANDを見る環境がないと前回の渡航で感じた。きっと、ROCKを求めている若者もいるだろう。そんな気がしたんだ。まあ、みる方も慣れていないと思うので、どんな反響があるか分からない。それでもふつふつと湧き出すような、何か新しい感覚を感じてもらえればいい。そんな気持ちでセットリストを作成した。 僕らの定番ともなったベトナム語曲「ボンホンチョイ」も観客と絡めて盛り上がる。いい感じでステージが進むといきなりMCが。なんだか迷子のお知らせらしい。ノリは止まってしまったが次はバラードだしよかったかもね。一息置くことになり落ち着いて「ユメノトビラ」へ。この曲はやればやる程バンドの中でしっくりいってくる気がしている。前回のビエンチャンあたりからのこの曲のテイクは我ながらすごくいいのでは?と思う。 そして、今回の新曲「Light your fire」と「フロイト」を2曲続ける。最近ユメノトビラのプロモートもありアルバムの曲を中心にずっとやってきたが、そろそろ新曲を、という声を受けて今回は2曲持ってきた。ともに乗りを重視したライブ向き楽曲。 フロイトは精神学者のフロイトの理論をテーマに作ってみた。日本ではまだ未公開なのでそのうちに披露できるだろう。観客に目を落とすとみんなのにこにこした顔がよく見える。ちょっと盛り上がるのは恥ずかしいのか、コールすると答えるといった感じ。 でも、僕らはよく分かっている。この状況でみんなはすごく楽しんでいることを。欧米のそれのように思いっきり表現をするわけでもない。それでもいいものと悪いものを判断して自分たちなりに評価をしてくれる。そういう人たちなのだ。そして、「ALFRED&JULIA」でGYPSYQUEENとしてのステージを締める。ミーリンを呼び込み1曲彼女の曲をカラオケで、そして「Paradise in your soul」で再び僕らはステージ上に。 ミーリンとのコラボ゙作品を演奏することになる。彼女の独特のフェイクには翻弄されるがそれもまた楽しい。ステージの上でこうして共演することはこのイベントの主旨にマッチしているだろう。GYPSY QUEEN with My Linhが出来上がったのだ。そして、最高潮のうちにステージは終わった。 みんなの笑顔、一時どうなるかと思ったが無事終えられた安堵感。そうゆっくりもしていられない。このあとはDaeWooHotelでレセプションがある。汗を拭く間もなく、大混雑の会場を抜けバスに戻りレセプション会場へ向かう。時間がまだ早かったのと、とにかく汗だくなのでホテルに一瞬帰ってもらう。10分間。ここで着替えて整えてレセプション会場へ。本当にばたばたであるがこれが流れならば問題ない。 パーティ会場は大混雑。まずは実行委員を取り仕切る藤澤さんを探して挨拶。みんなかなりお疲れのようだ。そうだよね。イベントって結局当日はもうろうとしているうちにあっという間に過ぎてしまう。それが運営サイドの大変なところだと思う。 この日は関係者がみなこの会場に集まるということ、僕らの明日以降の予定を確認するということもありかなり慌しく時間が過ぎる。それでも話したい人と話し、お礼を言いたい人にお礼を告げ、旧友には「久しぶりだね」と肩をたたく。ミーリンが到着し、藤澤さんに挨拶。そして壇上で簡単な挨拶をしてくれた。疲れているのにいやな顔一つみせないミーリンはプロフェッショナルだ。 大使館の古舘さんと再会。相星公使をご紹介して頂く。とても気さくな人だった。ほか出演者の南川しのぶさんと話したりする。演歌っぽい人かと思ったけれど全然そうではなくて意外だった。 宴もたけなわ。最後に「ヨサコイハノイ」が演奏される。今回の参加に際して藤澤さんと「このイベントを表すような曲があったらいい」という話の中から生まれたこの曲。リズムをアジアチックな解釈にして演奏し、踊る。生の踊りをこの曲に乗せたのを見るのは当然初めてなのでその勢いに感激。ヨサコイってこんなにパワフルなんだ。それが最初の印象だった。 知らないことを一つまた知る。それはいつでも素晴らしいサプライズだ。ここに八丈太鼓があったらさらにさらにかっこよかっただろう。実現したかったなぁ。タクピーがいたら感動してくれただろうなぁ。急な作業にも対応してくれた彼にも感謝だ。日本のBS11のインタビューが急遽入り、取材を終えたミーリンと立川先生と糟谷社長は会場を出た。僕らは最後に主催の方々にご挨拶をして会場を離れる。 実行委員会はこれからミーティングだという。大変だ。その努力が報われるように僕らも役割を果たそう。ホテルに戻る途中のレストランを見つけそこで再び乾杯。ベトナム語オンリーの店員にワインリストをもらうのに手間取ったりバタバタではあったがそれも最高の勉強。いつでもどこでも学ぶ。大事だよね。このアウトドアのレストランはとてもいい感じだった。恵比寿あたりにあったら繁盛しそうな店だな。23時。お客さんも誰もいなくて店員も帰りたそうだったのでホテルへ戻る。 メンバーは昨日の「いつものみせ」へ。ここでは音楽談義。諸富さんとこれからの夢を語る。ぼくらがどうしていけばいいか。それは幾重にも広がる可能性だ。大変なことは承知だ。それを承知でアジアで音楽を始めた。だから考えることをやめなきゃ終わらない未来がある。そうであれば考え続けよう。バンドメンバーもスタッフも一緒だ。一緒に何かを作ることそのプロセスが一番重要であり、いつまでもそういったバンドであり続けたいと思う。 24時を回りホテルにもどる。今日の音源をチェック。明日への課題を考えよう。明日も同じ会場。時間も観客も異なれば中身も変える。何度もセットリストを組み直して明日に備える。みんなの気持ちにこたえるために僕ができることは考えることだ。2時就寝。 2009/11/12 6時。いつものクラクションの音で目が覚める。雨の音が聞こえたので気が気でならずに起きて窓の外を見たがそれは気のせいだった。ほっとしてまたベットへ。気が張っているせいかまた寝る気にもならずすぐに起きる。 荒れ放題の部屋を片付けてシャワーを浴びるとあっという間に時間がたっていた。ちなみにこの部屋のバスルームはガラス張りでいい眺めを味わえる。ホテルの11Fだからのぞかれる心配もないしね。 そして朝食。今日は当初朝7時から(はやっ)リハーサルだったが、昨日、会場の屋根が落ちたことによる再調整と、外務省のVIPが来訪することもあってリハーサル時間を大幅に変更し会場入りが1030に伸びたのだ。「変更が多くすみません」というスタッフの方の言葉にむしろ感謝である。 そんなこともあり久しぶりにゆっくりなのだ。ミーティング兼朝食を終えて10:30ホテル出発。今日も時間前にmaiちゃんとバスは到着。僕らもおのずと時間厳守になってくる。道路は恐ろしく混んでいて会場まで通常の倍。ほとんど隙間なく流れる車。その隙間を縫うバイク。そのさらに隙間を抜けていく人々。前後左右に頭を向けた車列の写真を撮ればここがどちら向きの車線か知ることは難しいだろう。 これをパワーと一言で片づけるのは安易だがまあ、そうなのだ。このパワー。隙があればどんどん前に進む。それがこの国の源なのだ。会場入りしステージ袖までも長かった。30秒で歩く道を5分ほどかけて歩く。Masaoは途中でお客さんにつかまっている。 ようやくステージに辿り着くと「ヨサコイハノイ」をやっていた。やはり大きなステージでみるこの踊りはGOOD!壮大だね。観客は完全にあふれていてもう道路もすべて客席になり動きが止まっている。これはすごいぞ。何千人いるんだ。出番を待つ気もはやる。 そんな盛り上がりも絶好調の中、出演時間の変更のお知らせが。「なんで??」と聞く。「あまりにも混雑しているので危険であるという理由でイベントが一時中断することになりました。」とのこと。またもやである。混みすぎて事故を恐れる当局。そういえば昨年の12月もサッカーの騒乱を避けるために中止になった。盛り上がることはいいことだが絶対に事故は避けなければいけない。 当然だが僕らの出番の直前でやめなくてもね。まあ、とりあえずここにいてもしかたないので一度ホテルに戻ることに。今日、ラオスに帰国しなければいけない諸富さんは「ぎりぎりまでここでスタンバイして復旧させます」といってくれてSakaiと会場に残ることになった。 僕らがどうということよりもこの二人に感謝の方が大きい。「どうなるんだろう?」口にしても仕方がないので誰もそうは言わないが不安の表情は隠せない。これで中止になったらテンションは落ちるよね。 あと20分で僕らの出番であったし、たくさんのベトナムの友人や口コミで学生が集まってくれていた。そんなみんなに申し訳ない。Maiちゃん一家は20人くらいで来てくれていたみたいだしね。ホテルに戻る道もまたまた大混雑。会場付近は混雑のために交通規制が敷かれた。もう戻ることはできない状況に。 それでも湧き出すように人人人。ものすごい人出だ。イベントとしては超大成功であろう。一切のステージプログラムを12時から14時の間中止することが決まった。実行委員会で打ち合わせをしているsakaiから連絡が入る。「対応はすべて任せたのでジャッジしてね」そう伝えてあとは彼に任せる。 当初ミーリンのプロデューサのアンクアンと14時にミーティング予定だったがそれを15時に変更してもらうことに。したがって立川先生にも変更を通知。何度も変更ばかりで申し訳ない。 ホテルにようやく辿り着いたらmaiちゃん一家が先回りして来てくれた。前回から大変お世話になっているファミリだ。結局ここまで戻るのに時間がかかったのでホテルにいれたのは20分ほど。そして13時。再度出発だ。ステージはようやく再開のためにセットアップを始めたと聞く。 よしがんばるぞ!気合を入れなおそう! 現場ではsakaiと諸富さんがスタンバイして時間どおりに動かすべく準備を進めている。会場に到着すると14:15スタートといわれる。15分遅れのスタートは誤差の範囲だ。遅れを解消すべく曲数を削る。曲を削るのは演出感を再構築しなければいけないので本来やりたくはないことだがイベント全体の中で僕らだけが勝手にすることは出来ない。全体運営と僕らのサウンドの最大公約数を探す。 他の出演者は出演自体もなくなってしまったものもあるという。楽屋も大混乱なのでぎりぎりまでバスに待機して会場に。 ステージに向かう時に帰路につく諸富さんとすれ違う。もうビエンチャンに帰る飛行機のぎりぎりのタイミング。最後まで音響の復旧とセットアップをしてくれた。「ありがとう!また会いましょう!」「ヴィエンチャンであいましょう!」そう約束して別れる。 会場は炎天下の中。復旧したステージの屋根の日陰の部分を出るとベースがすぐに熱くなっていくのがわかる。弦も暑さで緩んでくる、チューニングが不安定になる厳しい環境だ。けっして良いとはいえないがそれでもみんなに助けられて、みんなに作られてステージに乗せてもらう。その責任を果たす番だ。 構成も勢いのあるナンバーに集中させる。当初の予定とは全く異なるがこの現状を計算してベストな選択であると思う。さあ、ハノイっ子に日本のROCKを聞いてもらうのだ。ステージに上がると客席に日傘が目立った。 そういえば、昨年の9月。東京のベトナムフェスティバルでは台風に見舞われ連日の雨。あの時も雨の中、客席は傘であふれていた。今日も同じだ。会場は傘であふれている。 それが熱いか寒いかの差はあるが。ステージは「Saigon City」で始まった。どこで止められるか分からない位のステージなので飛ばしていく。空を見上げれば真っ青な空が宇宙の入り口まで続いている。Blue Sky in Hanoi。そんな今のこの場所にばっちりマッチした曲「Sea Line」を続ける。この曲、普段最後によくやる曲だが今日は2曲目に持ってきた。これも会場のノリをキープする意味もある。そして、今回の最も新しい曲「Freud」につなぐ。 昨日よりも若い人が目立つ客席。入場制限もあり混乱は避けられて気持ちよく見てもらえることが出来ただろう。後半はベトナム語のナンバー「Do coi loi lam」をやる。これはHienTHucの曲でいつもshinonは彼女と共演していた。 今日は全編shinonバージョンだ。ちょっと不安そうであったがそんな心配は一瞬の内に吹き飛ぶ。観客との大合唱。HienThucがいなくてもShinon一人でもそれができるようになった。曲の歌詞もMCもベトナム語だがお客さんは理解してくれている。言葉の重要性はいつも言っていることだが本当に肝になる部分。 言葉に毎回苦しめられて最後に助けられる。その繰り返しだ。 最後は「ボンホンチョイ」。この曲から僕らのベトナムが始まった。そしてハノイでもこの曲で終わる。ステージを降りるスロープの先にはみんなの笑顔が広がる。そして、汗まみれでなんだかこの2日間にかなり逞しくなったSakaiがそこにいる。ありがとう。2日間のステージはここで終わり。ありがとう、みんな本当にありがとう。 ステージを降りた僕らはMaiちゃんの笑顔に迎えられて楽屋へ。「取材なので早く」せかされてすぐにBS11の取材。そしてすぐにバスへ。会場を抜けていく道でサクラの木の前で写真を撮っている大勢のベトナム人たち。このイベントの主旨は伝わっている。日本の文化はちゃんと伝わっている。 ホテルにつくと15:10.すでにアンクアンは到着していて立川先生と糟谷社長と打ち合わせをしていた。その後アンクアンとミーリンのレコーディングについて打ち合わせ。立川先生や糟谷社長にアドバイスをもらいつつ中身を決める。そして、ミーティング後、17時フィナーレに参加するために再び会場へ向かう。ここも大渋滞。17:30に会場に着くとviviちゃんから「もう始まっているので早く!走ってきて下さい」と連絡が来る。30分押しているというので遅らせて会場に向かったが甘かった。 とにかくダッシュでステージへ。すでにフィナーレ始まっている。「ヨサコイハノイ」が響き渡るステージに駆け上がりなんとかギリギリ間に合った。「GYPSYQUEENおそいよ」笑顔で藤澤さんが言う。それにしても凄いイベントだった。しばし余韻を楽しんでホテルに戻る。今日は何往復したんだろうか?19:30.着替えて打ち上げへ向かう。偶然、昨日の夜飲んだ場所だったのですぐに到着できた。 ものすごい人数でこのイベントの規模が分かる。まずは藤澤さんにお礼、そして筒井さんにごあいさつ。学生スタッフたちが「GYPSYQUEEN ありがとうございます!」と日本語で言ってくれる。うれしいね。また、仲間が増えた。会いたい人がまたたくさん増えた。 そこに先日まで日本のベトナム大使館にいたルオン公使が来てくれた。今はベトナム外務省に戻っているという。「あした一緒に食事をしましょう」とわざわざ言いに来てくれたのだ。その後一行はホテルに戻りバーで飲み直す。 そこに立川先生と糟谷社長も合流し全員で飲む。23時解散。メンバーは恒例の部屋ビデオ反省会へ。明日も早いのだが諸富さんの差し入れのビアラオがあるのでみんなで飲むことに。24時、部屋に戻る。明日は久し振りのOFF。ハロン湾に向かう。 2009/04/13 6:30起床、7:30朝食、8:30出発。今日はハロン湾へ向かう、二日酔いで若干辛い。しかしバスは快適。この差はでかい。月曜日ということもあり当然渋滞に巻き込まれる。旧市街方面に向かいオペラハウスをみてから市外へ。 大きな大河、ホン河をこえてハノイを脱出する。この河は雲南省から流れ出ている河で水の色が赤いので「紅」「河」といわれている河だ。メコンのそれとは異なる。当然禅僧の被害も受けており、僕らがわたる橋の先にみえた橋は一部分だけ装飾されている不思議な橋だった。聞いてみると大半は戦争で破壊されたがそれを復旧して使っているとのこと。架け替えるのではなく、復旧するというところがたくましさだ。 その頃から意識を失い、気づくと休憩所に到着する所だった。「あとどれくらいでハロン湾ですか?」と聞くと90分というのでやはり到着は予定通り12時なんだろう。時間を持て余していたので通り過ぎる看板でベトナム語を覚えることに。 一つ覚えると楽しくなるのが語学だ。おかげで街道沿いには車の修理屋と洗車屋、フォーのレストランと何故か床屋が多い事がわかった。海岸線に近くなりしばらくすると奇岩が遠くに見え始めてくる。もうすぐハロン湾だ。このハロン。中国語で書くと「龍が下りる」と書く。 文字通り龍の棲み家。そんな感じだ。ここでバスを降りて船に乗り込む。船がめっぽう苦手な僕は恐る恐る乗り込む。風はあるが、エンジンの煙が立ち込めてむせ返るようだ。港を出てしばらく行くと気持ちいい風に変わった。うむ、いいもんだ。なんだか優雅だね。 遠くの奇岩が近づいてくる。奇岩が入り組む入江。遠い昔は難攻不落の港だったのだろうなと思う。さらに奥のほうに進んでゆくともう迷路のよう。そこでランチを食べたりして十分堪能したツアーは14:30で終了。 その後ハノイに戻ることになる。今日は昨日約束したルオンさんとの食事会、その後ホテルに戻り空港へという結構タイトなスケジュールだ。だんだん太陽の傾いてきた夕刻。沈む夕陽に水牛のいる水田が続く。いつの時代かわからない幻想的な風景が広がる。これも今のハノイだ。 一本道をひたすら走るがハノイ市内に近づくにつれ道は混みはじめ渋滞に。ルオンさんとの約束の時間も近い。とりあえず電話をしてみてなんとか6時までに指定の店に来て欲しいとのこと。どんな店?と聞くと蛇料理の店らしい。「げっ」いきなりブルーになる僕。 ダメなんですよ、そっち系。どうしようかと思っていても仕方が無い。とにかく見ないように、触らないようにと決心する。しかしその後渋滞は解消せず結局ルオンさんに電話をして「次の機会」ということになった。今日会えずに残念だが昨日も会えたし、またここに戻ってくる気がした。結局市内に到着したのは日の暮れた18:30過ぎだった。 ネオンに埋もれる旧市街は情緒的であった。また、戻ってきたいな。そんな気持ちにさせる街だった。 ここで全員と合流。最後の晩餐会場をsakaiと立川先生が探しに行ってきてくれた。ホテルからちょっとのDEPというベトナムレストラン、そこで決定だ。タクシーに乗ってみると1メータの距離だった。ベトナムの場合タクシー1メータは12000ドン。日本円で70円程度だから安いよね。ここで今日の行動をみんなで話す。オペラハウス系でセレブなランチの立川先生チーム、そしてハロン湾でシーフードの僕ら。 そしてSakaiはなんと。コブラ料理を1万円で食べたということだった。なんでもバイクタクシーに乗せられていった店がコブラ料理で2人分で1万円だったということ。あきらかにぼったくりだ。それにしても今日もしルオンさんと行ったら彼は昼も夜も蛇ってことだね。うむ、それはそれで面白い話かもしれない。まあ、話題の的も彼でニックネームがこぶらくん。スタジオも東京コブラと改名する運びとなる。 食後、21時ちょっと前にホテルに戻ると予定通りにバスも到着。このバスのドライバー本当に正確で時間に一切遅れない。すばらしいよね。これって性格だよなぁ。と思う。ここでsakai改めコブラ君と別れる。彼は明日からタイ、ラオスとプロモートで一人現地に向かうのだ。 一人抜けるだけでなんとなく寂しい車内。バスは21:45にノイバイ空港に到着。いよいよハノイともお別れだ。チェックインをしているとmaiちゃんも合流。お父さんや親戚一同がみんな見送りに来てくれているので一緒にお茶をすることに。 ひょんなことからベトナムに接することになり、いろいろなことがあって今日ここにいる。一生会うはずも無い人とこうしてカフェスダを飲んでいる。縁というものはまっこと不思議なものだと思う。名残惜しさの中、ゲートに進み僕らは日本に向かう。日にちも変わった14日00:05分VN954便は成田に向けて飛び立った。短かったけれど体力をかなり使った旅だった。 第3章2幕はここで閉じることになる。いつものことではあるが今回もたくさんの人のお世話になって成り立ったツアーだった。主催の実行委員会の方々。本当におめでとうございます。これは快挙ですよ。努力が報われたのではないかな?そう思う出来だった。ツアーも精鋭9人+先生&社長。 絶妙のバランスでみんなが助け合いここまでこれた。助け合いって物質的じゃないこともたくさんある。今回はこの物質的じゃないところだけではなく、本当の物質的な部分でのチームワークが良い結果を生み出したのだろう。これは日本で後方支援をしてくれているタクピーなども含まれる全員の勝利だ。この人と人のつながりの輪は非常に強い。3本の矢ならぬ9本の矢。そういいきれるほどに全員一丸となって超えた旅だった。 うまくいったのか?それは回りの評価が答えを出すだろう。また新しい世界に、大きく広がる世界に僕らは飛び出すチケットを手にした。そのときまでさらにパワーアップして迎えられるように今日も何か一つ新しい気持ちを持ってはじめよう。少し眠ったが体が痛い。もう機体は日本上空を飛んでいる。春の日本に帰ってきた。そして、また旅立つのさ。 Blue Sky in Hanoi GYPSY QUEEN Road to Asia #22 2009/04/10-2009/04/14 Photo by aki,vivi.sakai
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