GYPSY QUEEN Road to Asia #24
Remember
2009/10/31-2009/11/3
2009/10/31
しかし同行するGeNeのメンバーがいない。聞いてみると第一ターミナルに行ってしまったみたいだ。おお、早速。まあ、時間的には問題ないのでGQ一行は先にチェックインしてゲートに進む。銀行での換金レートをみると15.19。円高に苦しむ日本経済ではあるがここだけは恩恵に与れる。飛び石連休となる初日の今日。もっと混雑しているかとおもっていたので拍子抜け。それくらい閑散とした状況だった。いつもの喫茶で打ち合わせをして搭乗口に向かう。
10:00中華東方航空に搭乗。といってもあまり並んでいない。これはすいているのかな?と思ったら五月雨式にどんどん人が搭乗してくる。これはやはり中国式?結局フライト時間ぎりぎりにはほとんどの席が埋まり10:30。MU272便で上海に向かう。MUに乗るのは本当に久しぶりだ。南京から大連に飛んだときに乗って以来の機体。ベトナム航空のような豪華さはないがまあ不足はない。ちょっと寒い感じだがまあ冬だしね。熱いよりはいい。
今回のいきさつを簡単に述べよう。今回は、昨年の11月に続き四川大地震のチャリティコンサートを行うことになった。具体的な内容がきまらないまま時間が過ぎていったが、爆風スランプのサンプラザ中野くんさん、そしてビジュアル系のGeNeそして中島満雄が出演表明をしてくれてからとんとん拍子に話は進み今日に至った。僕らも加えてのべ4組のアーチストによる公演が決まった。中国側のアーチストも現地サイドで出演の調整を行いつつだ。日中友好のイベントで開催が決まった蘇州公演、そして、四川大地震チャリティ公演としての上海公演。準備のほうも中国式か。開催まで2週間となった頃からいろいろな人が係わり始め、そして告知やらチャリティのやり方などがきまってくる。
特に上海の公演会場のMAOは今年9月にできたばかりで昨年北京でお世話になった
この方は、偶然この幼稚園プロジェクトの支援先である震源地での支援活動を個別に行っている人でまさに運命がこの広い中国で生きる日本人、そして中国に何かしたいと思っている僕らを引き寄せてくれたようであった。そして、この国のスーパースター一人も上海に来てくれるという。キャストはそろった。いつものツアーよりは少しだけ早くここまで情報を整理できた。これは僕らのスタッフの優秀さか、はたまた中国の進歩だろうか?以前この国で行っていたやり方とは「変わったな」となんとなく感じていた。
四川の情報もいろいろ入ってきた。四川大地震が起きたのが2008年5月12日。すでに一年半のときが過ぎている。そろそろ世の中の関心も消えゆくころだろう。実際にそんな声も聞こえてくる。「なぜ地震のチャリティ?」。それでも現地ではまだ復興は遠いと聞く。最悪の状況を脱していてもこの先長い長い復興との戦いが始まる。のど元を過ぎれば人は感覚を失う。僕ら日本人はなおさらだ。隣国の大きな出来事。それでも僕らはこだわっている。老朋友の近くで起きたこの地震について気にしている。
世界からの援助で小学校の建設はすこぶる進んでいるという。しかし、幼稚園はまだその対象ではない。つまりそういうことだ。目に見えないところでたくさんの苦痛は続いている。そして、来年は重慶にと思う僕らのもう一つの理由。重慶にはまだ果たせない重慶ゴジラさんの面影がある。2005年にゴジラさんと会えなかったことは今でも重くのしかかっている。それにはあえてあえなかった理由が存在したからだ。悔いの残る街重慶でゴジラさんの恩に報いたい。そんな二つの思いが僕らにのしかかっていていつまでも消えない。これらの想いが合わさりこの中国公演は決まった。
自力でできることは限りがある。それならば人々の輪を広げていけばいい。その通り、今回はスタッフや出演アーチスト、そして蘇州・上海サイドの力によるものが多い。その集大成なのだ。 12:00機内食が出始めるとなぜかゆれる機体。うむ、ちょっと気持ち悪い。食事後そろそろ眠くなった頃に着陸態勢に入ったとアナウンスが流れる。時計を見ると13:00だった。そうか、インドシナに飛ぶ便だとあと3時間くらいある。ちょうど寝るにはいいポイントがこの時間だったと思い返す。体を中国タイムに戻していこう。一気に高度を下げて多少翼を左右に揺らし13:30上海蒲東国際空港に着陸する。
およそ3時間。現地時間は時差の1時間を戻して12:30。早いね。あっという間だった。空港に入ると中国のにおいがした。気温27度。微妙に暑い。上海は本当に久しぶり。前回最後にこの空港に来たのは2004年だったか?4年ぶりだ。公演と考えると2002年ぶりだから実に7年ぶりの上海公演になる。
空港内で今回のアテンドの朱さんと会う。13:30このツアーでずっとお世話になるバスに乗り込み空港出発。空港の外に出ると以前来たときの面影はなかった。空港の周りは整備され、僕らが来たときに、高速道路を通行止めにして運ばれてきたリニアのレールの片割れはすでにリニアの走るレールとなり、更に空港から市内への鉄道が作られている。興味深く車窓を眺め蘇州に向かう一行。蘇州までは3時間ちょっとという。朱さんが両替をしてくれる。
成田でのレートが1万円658元だったが朱さんは手数料を抜いて700元にしてくれた。これは超いいレートだ。朱さんは日本語がうまく、行く途中にいろいろな話が聞けた。日本人になじみの深い上海がには日本人だけの名称だって知ってた?中国人は上海がにとはいわないそうだ。実際上海がには陽澄湖という蘇州にある湖が名産のカニ。なので、性格にいうならば陽澄湖ガニまたは蘇州ガニというべき。ほう、それは知らなかったね。「南京マメと上海ガニと天津甘栗、本当にあるのはどれ?」なんてクイズをviviちゃんが日本に送っている。正解は天津甘栗。これは本当にあるらしい。
14:21陽澄湖のサービスエリアで休憩。トイレに行ってびっくり。ものすごくキレイだった。この高速は2001年に上海から南京に向かう途中に乗った高速道路であることは分かっていた。あのときの恐ろしいトイレ。それとは想像もつかないほどきれいになっていた。ここにも中国の発展が見える。これなら普通の旅行者も大丈夫だろう。とするとサービスエリアでたべたあの恐ろしい食事も今では変わっているだろうな、とおもい食べてみたい衝動にかられた。時間がなくて無理だけれどね。
そしてまたバスのたびは続く。蘇州は「呉」の国。近くにある紹興の街が「越」の国というので「呉越ってそんなに近いんだ」となんとなく思う。三国志は大好きでいろいろ文献を読んだが呉越の国については実はあまり知っていなかったので勉強になる。ちなみに日本の呉服はここが起源らしい。蘇州は日本でもなじみの深い場所だ。蘇州夜曲はとても有名(でもこれは日本の占領時代の物語なので実は蘇州人はそんなに好きな歌ではないというか中国人はこの歌を嫌いな人もたくさんいるらしい。なので今回はこの有名な曲を歌わないことにした経緯もある)だし、空海は蘇州にある寒山寺で修行をしていたのは有名な話。水の都で太湖、陽澄湖に囲まれ北京まで続く京杭運河が走る街だ。この運河は1794キロ続く大運河で隋の時代からというからもう本当に古い街であることがうかがえる。
人口は1000万人、市内だけで600万人というから東京よりちょっと少ないというイメージ。ということは大都市である。それでも観光客は年間100万人程度でとなりの上海のついでに来るというパターンが多いようだ。
山糖街
途中写真でも有名な山塘街によってくれた。蘇州というと水郷の町。風情のある夕景にちょっと旅の疲れも癒される。
水郷の町
17:00蘇州飯店に着いた。バスが着くと球ちゃんがいた。懐かしい顔。そう、ずっと以前、秋葉原で一緒に飲んだ蘇州の友人、球ちゃんが待っていた。今回のツアー。すべて彼がきっかけだった。一昨年も蘇州公演の話があった。球ちゃんにいろいろ動いてもらったにも関わらずこちらサイドの問題もあり公演は達成できなかった。そして、こうしてようやく僕らは蘇州の地にたどり着いた。あきらめなかった蘇州、切れなかった僕らの親交。その結果こうして2009年。初めての蘇州に一歩を踏み入れた。
温和な笑顔の球ちゃん「お互い年をとったよね」といいつつ再会を果たした。それが何よりも嬉しいね。蘇州飯店は市内の中心部にあり、まわりにもショッピング街がありにぎやかな所だ。四星のホテルはきれいな内装で派手さはないものの過ごしやすい室内になっている。早速夕食にということで18時にホテルを出る。
いい感じの中華料理屋
地元の人が食べるものを食べたい、というおもいからいつも球ちゃんの会社で食事をしている店に連れて行ってもらう。席に着くと朱さんが「私たちは下で食べているので何かあればいってください」という。僕らはいつも一緒にいたい。ここで一緒に食べようというと会社としてお客さんと一緒に食事をするのはあまり良くないらしい。でもそこは無理を言って同席してもらう。「僕らはいつもそうしたい。いろいろなこと教えて欲しいしね」。それがGYPSYQUEENのやり方だ。
ここで上海ガニを頂く。いや陽澄湖ガニだね。88元というから市場の相場からすると安いとおもうがそれでもカニは高級品。僕はちょっと食べられないので遠慮した。みんなおいしいといって食べている。さらにスッポンが登場。どうやって食べていいか分からないし、だいたいこれを食べるのか?と目をそらす。
これはアヒルね
朱さんがいきなり解体を始めて僕はもう見れない。甲羅の裏側が目に入ってしまいもうだめ。この映像はずっとのこってしまうだろうなぁ。亀は怖い。Shinonは平気でパクパク食べている。他のメンバーもみな。スーパー保守な僕。それでも久しぶりの中華料理はおいしく大満足。蘇州のビール雪花ビールがこの店にはなくサントリーを飲む。ビールの価格もレストランで10元程度。安いよね。19:30にホテルに戻り、20:00今日のライブ会場に向かう。結構遠い場所でそこはまるで別天地だった。
湖のまわりに作られた新興都市は整備され、計画されつくした街だった。洋風のレストランが並びBMWやVWが各所に止められている。ここに中国のイメージはない看板が英語であれば欧州のどこかの街と間違えるところだろう。大混雑のなかライブバーに。この店は欧米人が多くかよいそうなビアバー。でも良く見ると中国人が多い。今までこの手のバーだと欧米人がビール片手に飲んでいて、中華風のライブバーだと暗い中地元の人が飲んでいるというイメージがあった。それはもう過去の話であることに僕らも気づくべきだと思った。ここによたさんも合流。ぼくらはそそくさとステージセッティングを勝手に始める。この辺はメンバーの強いところで誰一人「準備していいですか?」とか「この電源かりていいですか」なんて面倒なことは聞かない。
勝手にあるものを自分の仕様に合わせて準備をする。それがこちらのやり方だ。21:00ステージは始まる。明日のコンサートの調査を兼ねて、そして蘇州人の反応を見るためにさまざまな曲をやる。日本語が受けるのか、中国語が受けるのか?英語は大丈夫か?そんなことをこのステージで見極めるためだ。ステージは40分。セットアップを手伝ってくれたCCBのドラマーのような髪形をした人に「一緒に演奏する?」と聞くとちょっと恥ずかしがりながらも喜んでいた。きっと英語の曲ならいけるだろうとおもってKnockin on heaven doorをすすめた。そうするとすかさず「ガンズアンドローゼズは知っているよ」と答えが返ってきた。そうか、この曲はクラプトンじゃないのね。と思った。最初はGYPSYQUEENのオリジナルをやり次に中国語の曲をやる。
最近のヒット曲なので中国受けするかどうか見たかったがあまりそうでもなかった。ただ、終わった後に次のバンドをみているお客さんをみて思ったのだが、ここのお客さんはそんなに盛り上がらない。でも、じっとステージをみているんだ。そうか、ここのお客さんは新しいもの、自分たちの知らないものに興味があるんだなと感じた。慣れ親しんだものを盛り上がって楽しむよりもまず吸収するためにちゃんと聞きたいのだ。ロックとなれば盛り上がるのが一番と思っている僕らとは感覚が違う。ステージに立って、ノリのよい曲をやっていてあまり盛り上がらないと不安になってしまうことがある。でも、ここではそうではないと確信。
この経験が明日以降非常に役立つことになる。そして今日は中国の雰囲気を見てもらうという意味で観戦に回ってもらい盛り上げてくれたGeNeに感謝。そしてこの場所をセットしてくれた球ちゃんにも感謝だ。短いステージはあっという間。次のハコバンがやっている間に軽く飲む。ハコバンはハロウインの格好をして、欧米人とフィリピン人と中国人の混成ユニットのようだ。ここでもフィリピン人の登場。ベトナムでもタイでもそうだったがフィリピン人のアーチスト性にはいつも目を見張るものがある。22:30会場を後にしてホテルに戻る。23:00。まだまだ早い。そして今日はハロウイン。去年は北京の三里屯だったな。街に出るとすごいぞ。骸骨やら悪魔やらたくさん街にあふれている。 コンビニにビールを買いに行ったらレジにブルーマンがならんでいた。「ブルーマン?」と聞くと「是!」と応えた。ここではブルーマンも中国語なんだな。
警察も出て大混乱になっているそばの店にはいりとりあえず面を頼む。そして、夕食で飲めなかった雪花ビールも堪能。アルコール度2.9%とものすごく薄い。これはたくさん飲める?いや、かえって飲めないかな?結構面白い店で十分堪能してホテルに帰る。会計は一人20元。安い。でも、いつもmachaが行く店と比べちょっとこぎれいなので明日は違う店に行くんだろうな。24時解散。ホテル内の24時間の足裏マッサージに行こうとしたが人がいなかった。服務員を探して聞くと「店はやっているけれど人がいない」とのこと。まあ24時間営業に間違いはないのだが。誰もいないフロントにバラエティ番組の笑い声が響く。今日は早く寝よう。
2009/11/01
6:30起床。天気は曇天。昨日に比べて結構寒い。7:00に朝食をとる。まさに中国のホテルといった朝食だった。8:00にロビー集合。今日の午前中は蘇州観光である。小雨混じりながら蘇州の城門や留円、虎丘といったポイントを回ってもらう。
城門
基本的に観光は好きではないが、その土地を知る重要なポイントでもあるので、積極的に参加。歴史の舞台に触れることができてとても有意義であった。
城門付近
ランチも市内で人気のある面の店へ。
絶品!
お世辞にもきれいな店ではないが面もおいしいし朱さんも僕らの好みを分かってくれたようで嬉しい。
留園にて
その後会場に向かう。どんな会場だろうか?今回の会場は蘇州科学技術学院となる。キャンバスは非常に広大で学校の入り口に着くとすぐ会場のホールが見えてきた。こちらの学校は寮生活をする人が多い。そんなこともあり学校の中にはありとあらゆる生活環境が整っているようだ。ホールの入り口につき、看板を見ると想像していたものとは異なっていた。球ちゃんに聞いてみると今回は蘇州の4つの大學の共同の企画で日中友好の交流コンサートになっているようだ。
大礼堂
いわゆる蘇州市としてのオフィシャルなイベントになっているということだ。会場に入るとステージ全面に掲げられた大きなバナーが見える。ちゃんと印刷されたパンフレットもできていて「準備は問題ありません」という球ちゃんのメールの意味がここで本当に理解できる。
パンフレットもあった
不思議だ中国。時にはすべてを裏切られることもあるが、こうして驚くほどきちんと用意をされていることもある。ハコをあけなければ中身は分からない。そんな玉手箱のごとく中国での出来事は僕らの感情を揺さぶってくれる。早速リハーサルといいたいところだがPAの人が一人ということとあまりシステムを理解していないせいか、だらだらとした進行となる。モニターの位置やマイクの数。電源の確保。まずはそこからであり、これはいつもの中国のやり方である。とにかく待っていたら時間はどんどん過ぎてしまうので、常時あおりながら進める。今目の前にいる人にマイクをくれという。その人がもう一度僕の前に来たときには更に同じことを言う。同じことを4,5回言ってそれでも来ない場合はミキサーのところからマイクを奪ってくる。モニターの位置もすべてが最前面に貼り付けられているのでそれをマイクのところまで持ってきてもらう。とはいってもなかなかもってこないので勝手に配線を解き自分の前にセット。
そうするとあわててそのケーブルをまとめにくる。「この場所でいいのか?」そう聞かれて「ここでいいからこの場所から動かさないで。僕は歌うからここにないと困る」。と伝える。こうして何とかサウンドチェックができる状態にもってきた。僕らをサポートしてくれるのは日本語を学ぶ学生さんたち。球ちゃんに聞くとボランティアで協力してくれるのはすべて有志の学生だという。みな、一度も日本にきたことがないのに日本語をきちんと話す。そんな努力家、優秀な存在がここにはたくさんいる。人材不足といわれるがここで日本語を学ぶ中国人学生のほうがよほど日本でも通用するのではないか?そう思うほどきちんとした学生たちで好感度は大。そういった雰囲気もあり順調に気持ち的にはテンションアップとなってきた。
そして、少し予定よりも早くサンプラザ中野くんさんが到着する。サウンドチェック後早速リハーサル。東京では一度も合わせていないのでここではじめての合わせになるが僕らがしっかりしていれば大丈夫な方なので緊迫感を感じつつも無事終了。その後若干の調整を行いバトンをGeNeに渡す。かれらはメイクに3時間かかるのでこのままリハーサル後、本番に向けて準備をするというので僕らのみホテルに戻ることになった。
16:30ホテルに到着する。ここからが忙しい。着替える場所もないステージ裏だったので衣装を着て再び会場に向かう。17:45。食事は大學の食堂でとるということでこれも衣装を着たまま。ちょっと変?しかし、食堂といっても特別個室を用意してもらったので一般の人にさらされることなく食事。昨日のスッポンのようなものは出ないがおいしく食事を取ることができた。そして、会場へ。もうすっかり暗くなっている。会場にはいるともう満員のお客さんであふれていた。ステージに行こうとしたがバックステージの入り口は特にないということでそのまま会場を通ってステージに。まあ、あまり気にすることではない。さあ、いよいよはじまる。幕の下りたステージ裏では大混乱。スタッフが駆け回っている。みんな必死だ。きっとこういうことを経験するのも初めての人も多いのだろう。でも、それは素晴らしい経験だと思う。
流暢な司会が始まり本番だ。しょっぱなのGeNe。彼らにとって最初の中国のステージだ。僕らが2001年に感じたものとは今では環境的にも大きく違う。それでも異国のステージは確実に何かを彼らに残すだろう。ビジュアルロックのパワーに会場は飲み込まれ、始めてみる姿をお客さんは楽しんでいる。以前なら耳をふさがれるであろう音量にも楽しむ余裕があるのは今の学生のしるしだ。世界は次第に共通化している。
そして、僕らの出番になる。幕が上がるぎりぎりまでオケが出なくて苦心したがなんとか間に合った。オープニングのSEが流れ幕は開く。満員の観客たちの期待の歓声が上がる。久しぶりの中国のステージ。楽しまない手はない。
蘇州ステージ
最初にオリジナル曲を続ける。僕らのオリジナル曲は中国語を織り交ぜたものが多い。 「moonlight&Sunshine」は「月色陽光」というタイトルへ。「Fight
it out」は「勝利和奇跡」というタイトルで全編中国語だ。そして「重慶ブルース」。Shinonの中国語で会場の雰囲気は変わる。重慶で会うことができなかった重慶ゴジラさん。彼とのこと、そしてこの歌を僕らが歌う理由を丁寧に伝える。
みんな熱い
観客の反応がかわった。この想い必ず重慶で伝えたい。演奏しながらそう思った。そして次もオリジナルの中国語曲「想イホ」。これは中国語の歌詞がシンプルだがとてもキレイにできた曲。杭州出身のようように翻訳を手伝ってもらった歌で今でも教わっているときを思い出す。あの頃は一生懸命中国語を勉強したものだ。今の僕らはそんなみんなの力の上で成り立っている。そして、今回のツアー用に用意した「誰」シンガポール出身のターニャチュアの曲をカバーしたものだ。ミドルテンポの曲が続き後半は「Alfred&Julia」で観客をあおる。そして四川民謡をロックアレンジした「康定情歌」でGYPSYQUEENのステージを締める。この曲は初期の頃に時間をかけてきっちりアレンジした曲で中国でも評判のよい曲だ。最高だね。蘇州の学生たちの体温がステージをどんどん熱くしてくれる。続いて中島満雄の出番。日本のロックシンガーのパワーを伝えるには彼の歌声が最高だ。
吼える!
「Prayer」「Mekong River」とミドルロックナンバーを続ける。覚えたてのカタカナ中国でも会場をもっていくパワーはさすがだ。
ほとんどが学生。中国の未来だ。
一旦僕らのステージは終わり蘇州のバンド「Red N Roll」の演奏が入る。よたさんがサンプラザ中野くんさんを会場までアテンドしてくれた。次のバンドを見ていた中野さんが思わず「このボーカルうまいね」という。中国のバンドで生きていくためには日本の10倍の人口の中で戦わなければいけない。それだけクオリティは必要なわけだ。がんばってほしいね。次のサンプラザ中野くんさんの出番までクールダウンしているとあっという間にこのバンドの演奏が終わってしまった。「3曲だけなのね」。本番まで状況が読めないのも中国。あわてて準備を整える。中野さんにとっても数年ぶりの中国のステージだろう。まだ、ROCKが普及していない時代。日本人が中国でROCKなんでできなかった時代だ。この蘇州のお客さんをどう盛り上げてくれるのだろうか?幕が開き中野さんが登場する。その瞬間にすでに会場をつかんでいる。さすがだ。パワー中国語と英語を織り交ぜ盛り上げる中野さん。
曲は「大きなたまねぎの下で」「ランナー」「旅人よ」の3曲だ。爆風のベースは和佐田さん。どうあがいても及びもつかないが中野さんに気持ちよく歌って欲しい。そう思うと必死だね。ベースも。ある意味バックに徹することができる。横でランナーを熱唱する中野さんはかっこよかった。
サンプラザ中野くんさん
自然とあおられてくるのが分かる。お客さんも知っているのかそれとも初めてなのか?そんなことも関係なく盛り上がる。良かった。蘇州の公演。これで成功といえるだろう。そしてフィナーレになる。僕らのテーマソングともいえる「Happy to see you」。GeNeのボーカル大士にも参加してもらって日本側として盛り上げる。
フィナーレ
そして最後「相信愛」を中国側のアーチスト全員を含めて歌う。この曲は四川大地震のときに数々生まれたチャリティソングの一つだ。歌詞を見てこの曲を今回の公演のフィナーレにきめた。中国語の歌詞をもとにイメージした日本語の歌詞も書いた。
日中競演
かなり自分でも気に入っている歌詞が書けたのできっと東京でもやるかもね。そしてコンサートは終わった。目的の日中友好の公演には十分なったとおもうし、スタッフみんなの笑顔がそれを証明してくれている。出演者の顔もみなきれいだ。いい時間を一緒に過ごせる喜び。Happy to see youだ。球ちゃんが「学校関係者も非常に高い評価でした」と伝えてくれる。なんだかほっとする。ステージに出る前の責任は製作サイドだがステージが終わったときの評価はすべて演者側のでき如何による。だからこのイベントのきっかけをくれた球ちゃんの笑顔は何よりも嬉しかった。22:30。会場を出発してホテルへ。時間はまだまだたっぷりある。まずは初日の打ち上げだ。ホテルの近くの五州という店に行く。日曜日ということもありもう営業は終わりという感じだったが行くと空けてくれる。それがまた中国式である。二つの大きな円卓に一行17人が座る。もちろん球ちゃんも一緒だ。感謝の乾杯。喜びの乾杯。再会を誓う乾杯。気持ちいい時間が過ぎる。そして1時。ホテルへ。明日も早いのだ。部屋の荷物を少しだけ片付けて2時就寝。
2009/11/02
蘇州市内からだんだん遠ざかる。町の中心部はさして広くはなく、すぐに郊外のもようとなる。途中火事があったりしてびっくり。もう、あたり一面煙で視界がさえぎられていた。中国で火事を見るのは初めてだな。およそ1時間。9:30に錦渓に到着する。
小舟で水郷を行く
寒いっ。恐ろしく寒くてshinonはバスで待機。他のメンバーで行くことになる。ここで50元の入場料を支払い街中へ。だいたいこの手の観光地は入場料がかかる。その中でも一番安いところを選んでくれたみたいだ。「どこも一緒だもんね」。確かにそうだ。水郷にはいり情緒ある小船で水路を行く。
川からの恵み
ちょっとした観光だがなんとなく地元の人たちと触れ合えてよかった。こういうときの感触というか風や雰囲気が中国っぽい曲を作るときにやくだったりする。その後約1時間。上海に向けてバスは走る。10:50あと14kmで上海と書かれた看板に差し掛かり遠くに上海の摩天楼が見えてきた。圧巻だ。いつの間にかに未来都市に変身していた上海。以前来たとき、この上海の発展を日本人はみたら驚くだろうと書いたと思う。もう、数年前だ。今の上海を見れば日本人は「これは映画のセットでは?」とおもうのではないか?それくらい未来的な都市に発展していた。
上海市内
順調に市内にはいり11:30には豫園に到着。ここでランチを取る。ランチはいたって普通の中華料理。メインはしょうろんぽうでこれが超おいしい。そのときにviviちゃんに「しょうさんは昔GYPSYQUEENのコンサートを重慶でみたっていってたよ」といわれた。なに?なんでもっと先にいってくれないの?ということでしょうさんと話す。しょうさんは中野さんの出迎えからこのツアーに参加した球ちゃんの会社の人。朱さん、しょうさんと二人のサポートで成り立っているツアーだ。「川外の学生だったの?」「そうです、そのときは1年生でした」。おおこれは奇遇である。
やはり陽澄湖とかいてあるシャンハイが二のポスター
というか奇遇を超えた超偶然の出会いだと思わないか?中国でコンサートを行う意味は僕らを通じて日本の音楽や日本そのものについて知って欲しいと思ったり、理解してほしいものであった。日本をよくしらないでただ日本があまり好きじゃないとおもっている若い学生たちに日本を知ってもらう。僕らを通じて知ってもらう。それが初期のころ、中国で音楽をやる理由であったりもした。
実際に「GYPSYQUEENにあったおかげで日本人が好きになった」ということを言われたり、「一度日本に行きたい」、といい始めてくれる人がいたりと本当に小さな一歩だが日中の交流のために役に立ちたいと思っていた。そしてそれが今日も現実となる。
当時の四川外語学院の食堂。超おいしかった!
当時学生だった彼は僕らのコンサートをみてとても素晴らしかったといってくれた。僕等的には2005年の重慶公演はあまり良い出来ではなかったし、それなりに反省点もあった。それでも、それを感じてくれる人、よき思い出として日本人のコンサートを大事に今も覚えてくれる人がいるのであれば、それは本当に僕らの思い、主旨が通じたのではないか。あっという間に2005年のときに逆戻りした。あのときの出来事がみんな思い出される。そういえば帰国後もたくさんの感激のメールを当時の学生たちからもらっていた。なんだかとっても嬉しいね。あの時会った人がここにいる。そしてそれはお互い共通の思い出だ。それが今は蘇州の日本語ガイドをやってるってものすごくすてきじゃない?
これは事実だ。しょうさんは僕らとの再会を喜んでくれている。それで十分だ。昨日のステージもものすごく楽しんでくれたみたいだ。「はやく言ってよ!!」ぼくは嬉しくなって彼の肩を抱く。彼はとびきりの笑顔を返してくれる。この再会があるからやめられない。この出会いがあるから僕は再びこの国に来たのだと確信できた。しょうさんは年は若いけれどしっかりした日本語で僕らをサポートしてくれる。蘇州海外旅遊有限公司という会社。少なくても球ちゃん、朱さん、しょうさん。この三人のガイドしか知らないがみな日本語は堪能だし、なんと言っても性格もいいし、頭も切れる。ものすごい力がこうしてここにあることを知れてうれしかった。比較的ゆっくりと食事をして出発。豫園の前にはお土産売りが大集合。なんだかあやしいスライムみたいなものをすすめられる。なんとなくいいね、この辺は昔のままだ。13:00出発。地下トンネルで川を越えまさに大発展中のエリアへ。
ここは昔は畑だったところ。そこにテレビ塔がたった後、どんどん発展していくことになる。ここに2003年の写真があるが今は面影もない。
2003年当時
きっと昔の新宿の高層ビル街もそうだったんだろうな。とにかく今はビルで満杯という感じだ。実際にそばに行くと整理された未来都市の様相となる。整備された広い歩道。天高く突き上げる高層ビル。それぞれのビルのデザインはことなり共通性はない。それぞれが主張しているのでバランスは良くない。が、全体で眺めてみるとそのゴージャスな景観はこの国の発展を物語っている。
上海環球金融中心。世界一の高さを誇る
現在上海市内では4000か所の工事がおこなわれている。来年の万博でこの町は世界に知られることになる。租界時代だったころ、そして2010年の主役として名乗りを上げる準備をしているのだ。ぼくらは世界最高の高さを誇るビル。上海環球金融中心に向かう。ここで上海側のコーディネータこばじゅんさんと合流する予定だ。ビル風に吹かれ寒くてちょっとつらい中、はやめにこばじゅんさんがきてくれた。助かった。何せこの整備された年には不釣り合いのロックバンドマンがたっている。風景になじんでいないのはよくわかる。こばじゅんさんと挨拶をしてまずは打ち合わせ。このビルのレストランでミーティングを行う。蘇州の進め方とは180度異なる進め方だ。一つ一つ確認をしていくのは日本式か。まずはこのタワーに登らせてもらうことに。特別な配慮で100階まで行けることになった。100階だよ。高いところは苦手だがいかない手はない。まるでディズニーランドのアトラクションに乗るがごとくいい感じのエレベーターホールからエレベーターで100階に昇る。ゴージャスだ。そして、エレベータにのる。す。すごいスピードだ。最初94階に到着する。ここも展望台になっている。これ作った人どうやってこんなところに鉄骨積んだんだろうか?ありえない。だって地面の自動車がまるで衛星写真を撮ったように豆粒みたいになっている。そして、ここが終点ではない。ぼくらは別のエレベータにのり世界最高地点である100階に。エレベーターを降りるとSF映画を見ているような空間にでた。すごいぞ。こわいぞ。地面がガラス張りになっていて真下を見ると気持ちが悪いので遠くを見る。上海の町が一望である。鳥はこんな視線でみているんだな。
まさに上海一望
鳥もこんなに高いところには来ないかな。真下にはさっきまでいた94階の展望台が見える。そこまでも6階分の空間なので十分怖い。遠くを見ると街のところどころに万博会場の建設現場がある。きっと次に来るときにはここにもさらにたくさんの施設ができているんだろうな。世界一のビル。上海に行くならいくことをすすめるね。ちょっと日本的な感覚では分からないくらいすごいよ。そして一行はホテルへ。 虹口地区にあるホテル。この辺は日本人がいだったところだ。傾きかけた陽にテレビ塔がシルエットで美しい。ここでwingと対面。ようやく会えた。
再会!
約5年ぶりの再会だった。彼は全く変わらずあの優しい笑顔で僕らを迎えてくれた。時折日本語を交えて話すwing。サンプラザ中野くんさんも加わりしばし懐かしの話題へ。いいやつだな。心が豊かなんだな。そうおもった。今回、僕らのコンサートがあるということでわざわざ上海まできてくれた。わざわざである。そして、歌はいろいろ事情もあり歌えないがステージにでてチャリティに協力してくれるという。彼の新しいCDをオークションにしてくれるということだ。本当にありがたい。そして頼もしい応援を得た気分だ。僕らにここまでできるだろうか?たとえばwingが大阪に来たとしよう。そのとき僕らは日本に来てくれた友人のためにそこまでいけるだろうか?いや、いつでも行こう、そうできるように気持ちを持とう。その気持ちが重要なのだ。
17時に会場に向かう。「Wingどうする?」と聞くと一緒に行くという。面倒くさいことを言わない彼の姿勢には本当に好感が持てる以外言葉が見つからない。一行17名にwingが加わり18名。少しづつ人が増えてくるのはうれしい。市内を突き抜け会場にむかう。上海のMAOはちょうど上海の南西部にある。ホテルからは真反対なので結局40分くらいかかった。上海市内のど真ん中を突っ切るのでその眺めは美しい。上海という町の内臓部分を駆け巡るように張り巡っている幹線道路にたくさんの車のネオンが光る。夕焼けの赤い日差しがよりエモーショナルな影を落とす。会場付近にくるとすっかり夜となり、寒さもきつくなる。バスを降りて会場そばのレストランへ。ここで夕食である。
上海のレストランで
そして、インタビューもありかなり盛りだくさんな時間であった。ここで合流したのがMAOのsam2さん、わはは本舗のねんどさん、俳優の小松さんである。そしてこばじゅんさんの紹介で本日のお手伝いをしてくれる女性3名とコンシュルジュの取材の高橋さん。一気ににぎやかな感じになったぞ。みんなおもいっきり頼もしい人たちだ。インタビューでは今回の主旨や僕らのやりたいことを述べる。あっという間に時間になり19時会場入りする。北京のMAO同様クールなつくりでいい感じだ。音響もみただけでばっちりであるとわかる。楽屋に行くとファンキーさんに紹介してもらった勝山さんにも会えた。八王子のファンキーさんのお店を作った方なのでまずはご挨拶。それにしてもいろいろな人と会うことのできた上海。いいぞ上海。
今日参加してくれる中国人シンガーシャンチーらしき人がいるのでshinonに「あのこがシャンチーかな?」というとそのこがいきなり「私がシャンチーです、よろしくおねがいします。」と日本語で言ってきてビックリ。前評判だと環境問題に意識があるシンガーということでちょっと静かな雰囲気の子かな、とおもっていたので超びっくりであった。とっても元気な上海っ子。そんな感じである。そうこうしているうちに開場時間になる。準備が遅れていて20分おし。最初に震災地のビデオを20分みるということでコンサートが始まったのは20:50であった。
いよいよ始まる
最初から50分おしにちょっと不安になる。何しろあまり遅いとお客さんの帰りの足もあり不安なのだ。
流暢な中国語を話すねんど大介さん
GeNeはここ上海でも非常に評判がよかった。上海では今ビジュアル系の熱が高い。言葉を越えて新しい音楽がここでもはやってきているのだ。
GeNe うむ、かっこいいぞ
彼らのステージは非常にうまくできていてきっちりし30分でプログラムを終える。いいながれだ。そしてシャンチー(鐘荘)の登場だ。クリアな声、リバーブをフルに使ったスタイルはとても良かった。才能あるね。
鐘荘 ちょっとプロぐれっぽくてヨイ
でも、これはPAも優秀でないと難しいバンドだな。ボーカルのリバーブ一つうまくいかないと台無しだ。それでも、MAOのオペレーションは完ぺきでそれもあり非常にいい演奏であったように思う。そして、僕らの出番だ。幕がないので飛び込みでのプレイになる。実際リハーサルもやっていないのでまあ、ぶっつけだ。
macha
今日はセットリストを少し変える。昨日やったターニャのカバーは今日はやめてオリジナルの日本語を増やす。上海ではもう日本はあたりまえなので、僕らが中国語のカバーをやることに退屈を感じてしまうだろう。
幼稚園プロジェクトの迫さん
なので、中国語はアレンジをきちんとした曲のみにしてあとは日本語とオリジナルの中国語の曲の構成にした。上海の観客はロックに慣れている感じがして、のりも日本とあまり変わらない気がした。
久々の上海!ノリも変わってきたのが分かる
重慶ブルースではちゃんと歌詞の意味を中国語で伝える。その意味を理解してくれたお客さんからは格別の拍手がもらえる。楽曲では中国語のカバーをはずしても意志を伝えるには言葉が必要だ。僕らもそういうスタイルに変わりつつある。
masao
盛り上がる部分とちゃんと聞いてもらう部分。この二つをこれからも大事にしていきたい。
aki
GYPSYQUEENの次は中島満雄。彼の正統派ロックスタイルは蘇州よりも上海の受けがよいのかもしれない。ハードなボーカルスタイルは抜群の受け。何度もいうが音楽は国境を越えるのだ。
mitsuo
最後を飾るサンプラザ中野くんさんはもう、どこの国でも一緒である。確立された個性で突っ走るので僕らもついつい乗せられる。ランナーの中国語版。なんだかぴったりだ。英語と中国語を混ぜたトークもめっちゃおもしろい。そう、ものすごいリード。
サンプラザ中野くんさん
そうしてあっという間のステージが終わった。最後は出演者全員でセッション。「Happy to see you」、「相信愛」。共にこの旅を象徴する曲だ。
Happytoseeyouはベトナムフェスのテーマソングでもあるが旅をして人との出会いを書いている。まさに中国ツアーのときに最初のバージョンは出来上がった。かなり昔のことである。でも、不思議でそんな今でさえも、想像して書いた歌詞の相手の人の顔が浮かぶ。こんな歌を歌い続けることができるなんて幸せなことだと思う。
全員チャリティのTシャツを着て
短いツアーもこれで終わる。最後にちょっとだけ残念だったことはセッションの時にシャンチーを呼び入れなかった事。最初聞いていた情報で彼女は参加しないと聞いていたので声をかけなかったのだ。後から聞くと彼女もステージ袖にいたという。それはさすがに勝手にはでてこれないよね。僕らが呼び出してあげないと。ここはノーマークだったので失敗だった。もうしわけない。終演後、sinonと写真をうれしそうに取っている彼女を見て更にその思いは強くなる。気付かなくてごめん。事前の準備も必要だが中国は最後の最後に面と顔を見合せて話をすることも重要。そこでもう一度決めごとを確認することも重要。そんなことを感じさせられた。
Finale
ステージ終了後、朱さん、しょうさんもものすごく喜んでくれていた。今回ツアーに同行してくれて、ずっとステージを見守っていてくれた笹川さんも「大成功じゃない、おめでとうございます!」と言ってくれる。本当にこの言葉一つで疲れも吹き飛ぶ。ツアーの仲間が喜んでくれることがとてもうれしい。そして感謝だ。 各自片づけを進めバスに乗り込む。なかなか全員がそろわず30分ほどバスの中で待機。その後打ち上げに直接行くか一度ホテルに帰るかやり取りがあったがドライバーがもう帰りたいということでホテルへ。まあ、朝8時からだから十分に予定勤務時間を大幅に超えている。普通じゃ考えられないことだ。ドライバーだってツアーメンバーだ。感謝の気持ちを忘れずにいたい。
24:00ホテル着。ここで荷物を下ろしすぐロビー集合。打ち上げ会場に向かうためにネンドさんがタクシーをあつめてくれていた。ものすごく寒くなっていてこの時間のタクシーを探すのも大変な作業。芸人なので話すこともすべて面白い。今回ほんといい出会いになったと思う。打ち上げ会場につくとこばじゅんさん組そしてMAO組も勢ぞろい。おお!よかったSam2さんもきていた。お礼を言いたかったのでほんといい会になりそうだ。みんなで打ち上げとなる。中野さんとWINGと今回のチャリティについて話をする。チャリティの意味、意義。たくさんの話ができてよかった。WINGは自分の人生を修行だという。そして音楽はそれを具現化するためのツールだという。この考え方は僕も全く一緒だった。
完璧に一緒。ほんとなんだ。すごく嬉しかったよ。その言葉を彼から聞けたとき。同じ考えで生きている人がいるんだってね。だから彼とは話が合うのか?とても意味のある時間。5年の時を超えてまるでさっきまでしていた会話の続きが始まったように僕らの時計は再び動き始める。僕らはみんなみんな覚えている。これからWingとやること。いろいろ広がると思う。そして意味のあることになるだろう。
それは僕らだけじゃない。今日こうしてこの場にいる無償の協力をしてくれる人、心から一緒に何かやることに意義を感じてくれる人でスタートするプロジェクトだ。できそうにもない理想論を飲んだ時に交わすのは好きではない。意味のあること、実現できることを話し合う僕ら。打ちあがりたい気持ちよりも今日は話すことを選んだ。今日の会話は僕らの新しい始まりを示してくれる重要な出来事であった。時はエンドレス。3時を過ぎて東京組は帰路につく。さらに寒空の夜明け前。さすがにホテルまで20分程度でたどり着く。4時前にホテルにつき解散。素晴らしい夜、最高の3日間だった。
2009/11/03
さむいっ
言いたいことはたくさんあってなかなかまとまらないが主旨は一つ。ぼくらはアジアのために行動を起こす。その輪を広げていき、どんどん大きなム−ブメントを起こす。アジアの中の日本が本当の意味でアジアの中にいるために。その一点だけでやってきた。小さくても一つ一つのステージに気付きがあり出会いの偶然の喜びを見つける。だからこうしてやってこれたんだな。自分で話していて自分で納得した。12時。チェックアウトの時間になる。Wingも一緒にワイタンでランチを食べることに。上海の混雑した道を行く。
どこもかしこも工事中
以前上海で歩いた道はすべて工事中だ。来年に向けてすべてが動いている。そんな感じだね。渋滞を抜けランチ会場に。ここはいわゆる中華っぽい店。もっと普通の店が良かったがまあこんなものか。このランチの合間も現地の雑誌BROSのインタビューが入った。Viviちゃんパワーはすごくてどんどん取材を持ってくる。この活動が広がることはとてもいいことだし、知ってもらわないと支援の輪は広がらない。大歓迎である。Wingともそろそろお別れだ。久しぶりの再会、そしてコンサート、打ち上げでは意味のある話がたくさんできた。ランチの間にリータオに間に入ってもらいこれからのことを話す。中国でものを語るには中国人でなければ進まない部分もある。それをリータオがフォローしてくれた。
panda
13:00ランチを終えて川沿いのお茶屋へ。ここでもまさかwingが日本人と一緒にいるとは思わない店員たち。でも、それは数分で崩れた。「あなた?葉世栄?」。次の瞬間店員は走り出した。みんなに伝えるためだ。スーパースターの突然の来訪に仕事も忘れる服務員。結局僕らがバスに向かっても撮影は続いていた。そしてwingとも本当にお別れだ。再会の握手を交わす。今日の約束は形の見える約束だ。以前の希望的観測だけじゃない。お互いに時を経て一緒にできそうなことが見えてきた。この短期間に彼にはいろいろなことを教わった。
友よ
ありがとう。友よ。スーツケースを引いて去っていくwingを見送りつつ僕らは蒲東空港に向かう。上海の大きなループ状の橋を越えて市外に出て行く。日差しが暖かい。。。
うとうとしてしまって気づくと朱さんの声が聞こえる。「はい、つきましたよ、ちょうど3:10分ですね」。そう、彼は3:10に着くといっていた。ドンピシャだね。空港に着くとにぎやかな人であふれる中、カートを集めて荷物の積み出し。チェックインカウンターに向かう。ちょっと早く着いたせいか誰もいない。これはラッキーだ。荷物を並べてチェックイン。時間があればマッサージにいけるかもと淡い期待をしつつバッグを預ける。しかし、この係員が恐ろしくスローで朱さんですら「この人は遅すぎる」という。ということは相当遅いわけ。結局30分くらい時間を使ってしまった。
いよいよ帰国
一行16名。成田を出たときと同じ面子になり出国に向かう。朱さんともここでお別れだ。ありがとう。また一つ中国を好きになれた気がする。それはあなたのおかげかもしれない。空港内にはいるとそこはもう中国と日本の間。いつもながらにさびしいある意味無駄な時間を浪費する。夕日がまぶしい。旅の途中に見える夕日はきれいで美しいのに帰国のときの夕日はいつも同じ、ドラマのエンディングのようで切ない。シュムリアップの夕日も同じ感じだったからこの感覚に間違いはない。16:25の搭乗予定が若干遅れつつも僕らは機内へ。機体が中国から離れる頃にはすっかり眠くなっていた。あっという間だね。4日間だしね。短い時間に起きた出来事の感想は凝縮されてやっと回想録に変わる。うん、よかった。機体が安定飛行に入り僕は若干空席があったのでのんびりと席に着く。
第3章4幕はここで閉じることになる。24回目になった今回のツアー。回数を重ねると同じことの繰り返しということもあるのだろうが今回もそんな期待は裏切られ新鮮なものであった。より多くの出会い、より多くのつながり。支援の言葉が結ぶ人間関係の絆の力には不可能を可能にする力がある。そして、よみがえった旧友との再会。僕らはすべて覚えていた、あの頃のこと、あの頃のきもち。だからこそ、まるで昨日まで一緒にいた仲間のようにともに行動し、そして別れて行った。この記憶は僕らの中でまた一つメモリされる。そして次の再会まで忘れることはないだろう。同じところに数日前まで他人だった新しい仲間がいる。そして、明日の朝、一緒にいないことが寂しい。そう思える私の友よ。不思議だな。四日前まではあまり知らなかったじゃないか。今でさえそう知っているわけではない仲間が大切な存在になったりする。そんな仲間たちと何かをしたい。その衝動は尽きない。時計を日本時間に戻す。たった1時間の時差は誤差の範囲だ。機体はすでに房総半島に入った。上海から2時間ちょっとのフライトだ。そして、21:04。MU271便は夜の成田に降りた。
16人の仲間たち。別れ際の握手は今までで一番力が入っていた。それが僕らのツアーの成功と、新しき仲間たちの絆の強さそのものだと感じた。素晴らしき友人よ、感謝だ。
そして、僕らの中国は再び始まる。
我一定再来中国!
Remember
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