GYPSY QUEEN Road to Asia #26
MAY snow in Beijing

2010/04/30-2010/05/04


2001年4月30日、僕等は初めて中国にたどり着き、5月1日、初めて中国の観客の前で音楽を演じた。
そこから曲がりくねったさまざまな道を通り、時には行き止まりに合い、時には遠まわりをしたり
思いっきりの絶景を見たり、人の愛、優しさ、厳しさ、悲しさをいくつもいくつも眺めてきた。
丸9年の時がたち10年目に入るこの日。同じ北京で、同じイベントに招待される。
運命は創れるものだろうか。
Road to asia。
言葉では表しきれないこの修行にも似た甘美に響く旅は終わらない。




2010/04/30

午前4:40起床、寒い日が続いたが今日から暖かくなると昨晩のニュースで言っていた。天気予報は晴れ。全国的に晴れているので渡航には影響は無いだろう。集合時間は6:30.ゆっくりできるのは羽田出発だから。精神的にも非常に楽である。集合時間の1時間前の5:30自宅を出発、連休の中日ではあるが結構混んでいる。高速に入るとスムーズに流れて6:30少し前に空港着。国際線ターミナルにつき車をパーキングに入れる。近くのP5は露天のパーキング。これでは車が野ざらしだ。そこに停める気にならなかったのでちょっと遠いがP4に停める。国際線利用者は駐車料金も1日1000円ということでリーズナブル。国際線ターミナルまで歩いて向かう。
このターミナル外観同様非常に小さい。まるで地方空港並みだ。レストランもないしね。でもその分チェックインもスムーズである。今回は6人での渡航。重量が気になったがなんと全部で100kgを切った。すごい軽量化だ。6:55チェックイン完了。その頃こばじゅんも空港に到着。総勢7名が揃った。出国もスムーズで7:50に搭乗となる。それにしても小さい。搭乗ゲート自体が3つしかない。きっと今作っている新しい国際線のターミナルに移るまでもう少しだから経費削減でそのまま使っているんだろう。羽田路線が増えれば都内の人間は本当に楽になるなと思う。

搭乗するCA184便に向かうためにバスへ。飛行機も小さなエアバス。本当にこれ?という感じだ。乗り込んでしばらくたってすぐに離陸。8:30CA184便は北京に向かい飛び立つ。風のせいか非常に揺れて気が気でない。羽田からということもあり窓の外の世界は今までの中国への旅とは大きく異なる。いきなり内陸に入り交付上空へ。南アルプスの冠雪がきれいだ。富士山もくっきり見える。やがて日本海に出たころに食事。時間は9:40.北京時間に合わせて1時間前に戻す。北京までは3時間50分。結構遠いぞ。上海は2時間台だからね。北京って遠かったんだ。10:30。少し寝たなとおもって目を覚ますとまだ海の上、ちょうどあと1時間で北京だ。しばらくすると大陸と小島が見えてきた。なぜか高度が低い気がするな。赤茶けた岩だらけの島がよく見える。


今回の旅のいきさつを書こう。
中国に対外演出公司という会社がある。この国には人民共和国文化部という組織があり外国人がこの国で何か公演めいたことをする時にはこの文化部の許可がいる。僕らの中国公演でも最終的に必ずこの文化部の許可がいるわけで各省都ごとに存在する文化部の許可を得なければ何もできない。そして、その中の実行部隊に当たるのが簡単に言えば演出公司だ。これも各都市に設置されていて、それぞれの省での活動の際にはそこで許可を得ることになる。

その大元締めが人民共和国文化部であり対外演出公司である。つい先日、この対外演出公司のタンさんから連絡が来た。彼は04年の公演の時にお世話になった人。若いけれど聡明な感じできちんとした人。同じタイミングで出演していた欧州のバンドがステージ裏でくわえたばこを投げ捨てていたら、ダッシュでかけより煙草の火をこれでもかと踏み消していた。そんな機敏さ、潔癖さが当時非常に気に入った記憶がある。そして、その彼とは翌年の公演の際にもお世話になった。

正確には翌年出演キャンセルになった時というべきか。そして通常ならそこで縁も切れるだろう。でもぼくらの縁はつながっていた。05年の晦日。凍てつく北京で再会した彼はスタッフから大きく成長していた。その年に研修で京都に行ったらしく、日本のきれいさ、食事や環境の良さに感心し、日本が好きになったと言ってくれていた。半年前にいやな思いをしたがこうしてここで会えたことがとてもうれしかったような気がするし、きっともう一度何かを一緒にやることにあるだろうと予感はしていた。そんな予感は的中し僕らはこの政府が主催する大規模イベントに参加することになった。

このイベント自体08年、09年と開催を見送っており、07年以来の開催だという。真っ先にGYPSYQUEENに連絡をくれたらしく、概要はまだこれからだということだった。中国の場合、ここからが大変だ。情報不足、変更、急な依頼。それも半ば覚悟していただその期待はいい方向に外れていく。何回も何回も説明してやっともらえる招聘状もshinonがメールをすると週明けにはメールに添付された形で届いた。最初の時はこのレターをもらうだけでじんましんが出るくらいに苦労したのに。それも画質の悪いFAXで来た昔と比べメール添付である。文化部の印が赤いのが初めて分かったくらいだ。そしてスケジュール、ホテル。すべてがメールでやり取りされた。タンさんという最高の老朋友ができた。それは05年の晦日にあったから他ならないことは明確だ。国内のパートナーと仕事をするよりも迅速な感じで今日送ったメールは必ず翌日には明確な回答が来る。もう、普通なのだ。同じ目線で同じ疑問を持ち、同じ解決方法を探る。そんなこともあり行く前から非常に安心気分になっていた。いや待てよ、ここで油断は禁物だ。何があるか分からない。気を抜いてはだめだ。と周りを引き締めた。「うまく進んでいるよ。今はね」。そう答えることが多かった。実際にまだ今の時点ではどうなるか分からないしね。とんでもないことが待っているかも。

昔の呂遠先生の言葉を借りれば「中国人にはいい人も悪い人もたくさんいる。それは日本人も一緒でしょ。いい人も悪い人もいるのはどこの国でも当たり前ですよ」。たくさんの優秀な中国人の朋友に会える僕らはしあわせだと思う。そんな流れの元、今日がある。

11時。中国大陸に入る。海岸線からずっと開拓された田園地帯が続く。ものすごく茶色い。カンボジアのそれとも違うね。高度を落としてゆき、大きく揺れまくりそのまま北京首都空港に着陸。時間は予定通り11:30。気温は19度と日本よりもちょっと暑い感じだ。空港は毎度のことながら広いというよりも広すぎ。荷物をピックアップして空港の外に出るころには到着してから1時間がたっていた。空港を出ると今回のコーディネータ王飛さんが待っていた。日本語を学ぶ彼女。そうか、今回は日本語OKなのね。学生ながらとてもしっかりしているし、話し方ものんびりしている。中国人には珍しいかも。

機材をバンに積み込みホテルに向かう、1年半ぶりの北京の風景は変わっていた。何だろうか、なんとなくだが綺麗になった?大人になった?北京オリンピックで一生懸命着飾った人がその生活に慣れてきたというか、なんとなくしっくりくる街並みになっていた。空港から20分。今回の滞在先の国際竹藤大廈に到着。空港から近いが市内までは遠いってことだよね。まあ、気にすることではないが。ここは望京地区といい韓国人街が広がるエリア。イトーヨーカー堂やMicrosoft等もあり結構栄えている感じだ。早速、ホテルではアポ合戦。「今北京に来たけれど会えない?」事前に連絡をとっても結構変更が多いので当日のアポの方が話が早い。それも中国式だ。チェックイン後14時に再集合。食事に行くかと思ったらそのまま会場下見に向かう。

何の指示もないが一応機材も持っていく。会場の朝陽公園は北京の東北に位置する巨大な公園。ここは毎年この5月の労働節に大規模なコンサートが行われる。公園の中に4つの大きなステージがあり、そこに内外からアーチストが招聘されるというイベントだ。孫南や超級女声でアイドルにのぼり詰めた人など話題のアーチストが出演する。僕らも頑張らねば。約30分。混雑した街道を抜け会場に到着。懐かしいね。ここは05年、僕らのステージがキャンセルになった所だ。あの頃どんな事を思っていたんだろう?そう思って昔のレポートを読み返してみた。



以下引用

「相約北京」の会場で
その後「相約北京」の会場に向かう。北京の北東にあたるこの朝陽公園の特設ステージ。ここはアメリカでいうセントラルパークだ。日本だとどうだろう、ちょっと同じような表現がみあたらないけれど、日比谷公園を10倍大きくしたものみたいな感じだと思う。当初の案であればここでの開会セレモニーを行う予定であった場所だ。複雑な気持ちは確かにある。でも公演というのは一つの形だけではない、こうして僕らの事をフォロしてくれる中国人たちにかこまれてなんの文句を言えるだろう。彼らも真剣に考えできる限りの行動を示してくれる。その中で僕らができることは悔いのない音楽を伝えることなのである。相約北京。文字通りまた次のときにこの北京で会えることを考えていけばいいことだ。  以上ツアレポより引用



おお!かなり大人な発言である。その時から絶対にまた来ると思っていたに違いない。そんな思いも数年がたちこうして参加することができた。面白いもんだ。諦めなければ勝負は終わらない。とことん延長戦を演じてやろう。ゲートをくぐりステージ脇につく。会場につくとなんだかそのままRHができるような感じになっている。それもかなりがっちりできる環境が用意されていた。昔だったら。。。昔の話はもうよそう。すでに違う国なのだ。

「どうぞ準備をしてください」と言われ楽器を持ってきてよかったとホッとする。ステージに設置された機材はほぼ新品のものばかり。アンプは鳴りがいい。音響のバランスなど細かい所をチェックさせてもらった。モニターの出し方などは残念ながらまだまだ日本の方がスムーズだ。それでも機材の環境は素晴らしく文句なしの状態といえる。おおよそサウンドチェックを終え、スタッフとコミュニケーションをとり足早に会場を出る。

この後の大使館のアポが迫っている。ここから市内の中心部に向かうため非常に混んでおり到着したのは17時ちょっとすぎていた。それにしてもこの場所はとても懐かしい。2002年以来だ。大使館では山田公使と大塚さんに対面させてもらった。まずは今回の参加するイベントの紹介と活動の報告をさせてもらう。特に今取り組んでいる案件についていろいろ相談をさせてもらった。日本にいては分からないことがたくさんあるからね。文化交流に非常に理解を示して頂けて本当に来てよかったと思った。

国を代表する機関にこうして日本からきて挨拶に行くことは当然だ。それは毎回思うことである。とは言え、いろいろな人がいろいろな案件を持ってくることも確かでそんな中できちんと話を聞いてくれたことはとてもありがたく、僕らにできることであれば何でもさせてもらいたいと思った。大使館を出てその足で国際交流基金へ。04年から藤田所長にいろいろ懇意にして頂いていたが今年帰任されたということで小島さんにご挨拶。伺う予定の時間よりも押して到着したのにいろいろ話をして頂けた。感謝である。

このエリアは非常にきれいなビルが立ち並ぶ。こんなとこに住めたらいいなぁ、と思うマンションが重なるように立ちはだかっている。家賃も相当高くなっているようだ。こばじゅんが「このあたりに迫さんすんでいますよ」という。さすがだ。僕らは急いでバンへ。予定の時間を過ぎてしまってもドライバーの高さんは笑顔。この国の人はみな優しいよね。ホテルに戻るとすぐに食事。そうだ、今日は昼抜きでおなかがすいていたのだった。明日に備えての打ち合わせを兼ねての夕食。すべてはこれから始まる。なんとなく会場のことはわかった。あとはトラブルさえなければ何の問題もないステージだ。確認事項、言わなくてもわかることをあえて口に出しての確認。初参加の岩渕はビールを飲まずに話を聞いている。勤勉な男だ、見た目はワイルドだが真面目さは大学時代からのお墨付き、任せた以上のことをやる男だから安心して一緒に過ごせる。

そんな彼をホテルに残して20時。僕らはミーティングのため北京市内に戻っていく。ホテルから35元。タクシーにしてはかなりの距離である。イルミネーションきらめく北京市内を抜けていく。この豪華な夜景は否が応でもこの国の現在を見せつけてくれる。発展し、どこまでも可能性があると信じ伸びつつける北京。バブル初期の日本も同じ感じだったか?

20:40そんなおしゃれな街の一角にあるDX!というバーに向かう。内装もおしゃれなバー。日本のそれと変わらない。価格さえ見なければそのまま日本にあってもおかしくない。そこのオーナーでもある深谷さんに北京の景気の話などいろいろな情報をいただいてくる。今まで現地の日本人との交流をする機会がなかったのでこばじゅんの紹介は非常にありがたい。だって同じ日本人。感じあえるものがあるはずだ。よく海外に行くと日本人同士があったりするといやな顔をしたり、現地に住んでいるからといってそれだけの理由で旅行者に知ったようなことをいう人が昔はいた。今ではあまり見かけないが、そんなことで威張っても仕方がない。こうしてフラットに話をしてくれる異国の同胞たちとの交流はどんどん深めていきたいと思った。

23時ホテルに戻る。人気が少なくなった夜。屋台で羊串を食す。一本2元の羊串。結構おいしい。今日は長い一日だった。明日のアポやステージについて打ち合わせをして24時。早々とホテルへ。部屋では岩渕が最後の確認を行っている。そのサポートをすべく全員が見守っている。いい形だ。チームワークで乗り切るのだ。2:00就寝。明日から楽しみだ。

2010/05/01
あの日からまる9年たった。9年前僕らは初めての中国の夜を過ごした翌朝、バスに乗せられて西単に行った。そこで僕らの中国での初めてのステージを経験した。そんな今日がきた。6:00起床。外は晴れており天気予報を見ると30度までなりそうとなんだか暑くなりそうな一日である。TVは今日から始まる万博のことばかり、そうだ、今日から上海万博だね。このTV。見ていると気づいたことがある。日本があまり見えない。アフリカ諸国の人々と主席との会談が非常に目立った。日本が思うほどこの国に日本はない。
8:30会場にむけて出発。9時に会場着。

バスをおりると案の定だ。めちゃ暑いぞ。この日共演するのはカナダ出身のABBAMEMORIALというABBAのカバーバンド。見るからにABBAだ。綺麗なハーモニーはさすがと思う。昔よくきいたなぁ等と思いつつ会場をプラプラする。そんなリハーサルを見ていると出演時間が変わったと連絡が来た。そらきた。まあ、想定の範囲内だ。ということで時間ができたので会場の外に出る。この公演の入口にはスケジュールとともに僕らのパネルも張り出されていた。このイベント、入場10元と安いがその人数が半端ではないので成り立つんだろうね。そんな雑踏の中、人を掻き分けタクシーをとめて朝陽公園の西門近くのスタバへ。

出演時間まで今日会う人のことやこれからの進め方を打ち合わせをする。スタバの料金は日本とそう変わらない。のどかな時間だ。しばらくすると携帯に連絡が入る「モニターの位置が変わるので確認しに戻ってきてください」。ん?モニターの位置ってどうかえるのだろう??まあとりあえず戻ろうということでタクシーへ。人数的に乗れなかったこばじゅんは歩いてくることになった。さすが体育会系女子。会場に戻ると公園におしかけたお客さんの前でABBAMEMORIALが盛り上げている。モニターは変わらずベースアンプの位置が変わっていた。そういうことね。没問題だよ。スタッフに伝えて自分の準備に入る。会場では王飛さんとviviちゃんが仕切ってくれるので僕らはステージに集中できる。ありがたいね。このころから柳の降る量が倍増。空中に舞うこの柳の胞子は口に入ったり目に入ったりで結構厄介だ。北京の人は気にならないのだろうか?狭い楽屋は屋根がないので胞子が吹き溜まりのようなところで渦を巻いている。

空から舞い降りるその白い胞子はまるで五月の雪のようだ。北京に降る五月の雪。毎年夏の訪れに欠かせない迷惑かつ綺麗な風物詩だ。最初に来た時にもこの不思議に舞う胞子に驚いたものだ。出番まで楽屋で柳をつぶしたりして待機しているとスタッフが呼びに来る。いよいよだね。やっと帰ってきた北京。08年にもきたが何か釈然としない忘れ物のようなものを感じていた。それを今日リセットすることができる。気温は30度を超えたという。炎天下に負けずお客さんの待つステージに上る。お客さんの反応はいい。ここにはもう反日は存在しない。日本人が語りかける子供のような中国語にみな反応している。今回は日本語はROCKで。中国語は原曲をアレンジしてというセットを組み上げた。唯一中国語オリジナルのバラードを除けば盛り上がれるステージだろう。

重慶のアジアカップ向けに作った「勝利と奇跡」からコンサートは始まる。思いっきりバラードなシャンニーは歌詞の意味をshinonが説明する。各地区でもそうだがこの曲の歌詞をお客さんはしっかり理解してくれた。それは観客のリアクションでわかる。続くROCKナンバーでも機材の出力は申し分ない。重いサウンドが会場に響く。最高だね。こうして初日のステージを終えた。「非常好!」制作スタッフに見送られて楽屋を出る。みんな笑顔だ。この瞬間が何よりも充実感を感じるものだ。

バンに戻り12:30ホテルへ。王さんもはじめて生の僕らの演奏を見てすごく喜んでくれている。ホテルで食事を取った後JAMICの朱さんと会う。会えるかどうかわからなかったがわざわざホテルに来てくれるという。彼とも1年半ぶりの再会だった。前回の時はまだ顔を合わせる前に一緒に組んで、もっといろいろなことがやりたいと思っていた。今回はそんな意味で相談をさせてもらう機会になったと思う。朱さんは日本語がとてもうまく、まったく普通の調子で会話ができる。僕らも肝心のきちんとした話や細かいディティールについては日本語のほうがやりやすい。そんなこともあり充実した打ち合わせができた。

その後故宮に向かう。よく来ている北京だが故宮に入るのは9年ぶりである。まあ、さくっと回ってもまる半日かかるからね。普段ならこんな時間のあるツアーはありえない。せっかく連れて行ってくれるということなのでここぞとばかり参加する。故宮の裏口から最後は天安門に出るルートをゆく。2001年のときは初めてだったので中国のことを何も知らずに来て、ただただ長い距離を歩いたに過ぎなかった。今では中国に対する興味も深く、いろいろな出来事を知った上で回ることができる。たとえば宮殿の名前の中国語の横には必ずモンゴル文字の痕跡が。「元」の支配下であったことを示している。一つ一つとってもおもしろいな。やはりきちんと全部見ようと思ったら一日では足りないくらいの予定である。「ここは前来ましたよ」とMASAOは言う。

そりゃそうだ。別に建物が変わるわけはない。あっという間に3時間弱。ようやく故宮をでる。石畳をずっと歩いたのでブーツがすれて足がかなり痛くテンションダウン。そして、天安門に出てからがこれがまた長い。ひたすら長〜い天安門広場の先のさらに先の前門あたりにバンが来ているのでそこまで行かねばならない。おかげで歩きながらいろいろな話ができたということもあるのでよかったかもだけれどね。17:30ホテルに戻り18:30から打ち合わせ。頭を切り替えて今日のステージの反省を明日に活かそう。

そして19時。老朋友徐軍さんと再会。場所はイトーヨーカ堂の中にある重慶火鍋の店。超おいしいらしい。今回は奥さんのフショウさんも参加。もちろん可愛い子供も。ほんとかわいくてこの子は本当に美人になるね。徐軍さんも僕等が最初に中国に来た時からの親友。翌年のTV番組にはなんとこの徐軍夫妻のフルサポートで実現できた。そんなエンタメな関係。僕らの中国での恩人だ。もう一度始めようとしている僕等の計画について徐軍さん相談。音楽の計画、ビジネスの計画。北京でパートナーシップを、組むなら彼は外せない。僕らは本当に人に恵まれていて北京には徐軍さん、重慶には陳さん、蘭州にはタイガーがいる。蘇州には球ちゃん、そして上海にはショウさんがいる。中国全土、どこで何をしようともこの強力なパートナーたちと組んで活動ができる。なんたって本当に頼りになるんだよね。それを紹介してくれたのが善老師。素晴らしき朋友たち。つわもの達だ。この重慶火鍋の店。重慶のものを上品にした感じのこの店、とっても美味しかった。アヒルの腸は病みつきになりそうだね。

たくさんの約束をして徐軍さんと別れる。ごちそうしてもらって感謝。東京で借りを返さないとね。22時、僕らは再び市内へ。ここ北京でのいろいろなエンタメ活動を仕切っている三好さんを紹介してもらう。

お店は朝陽公園の西側だろうか?ジパングというバーを経営している方だ。この方にもいろいろGYPSYQUEENの活動を説明。すでにかなりのネットワークを持つ日本人社会を今まで知らなかったのは僕らの目が見えなかったからか?それとも急激にそうなってきているからなのか?こばじゅんのネットワークの広さにはビックリだね。そして、帰りにボロボロになった足をいたわるためにマッサージ。1時間60元とかなり安いのはこれもこばじゅんの値引き交渉のおかげである。普通のビルの一室にあるこのマッサージ。絶対にひとりでふらっと入れる感じではない。それでもものすごく気持ちよく不覚にも寝てしまった。ハッと気づくと終わっていた。

うーむ、恐ろしく眠い。このままここに寝たい気分。そうもいかないので気合を入れて「せーの」で起きてホテルへ。1時過ぎにホテルへ戻る。この時間は車も少なくあっという間だった。今日は収穫が多かったな。タイムマシンはリセットされ大好きな中国に完全に戻った。失われた時間も今では意味があるとさえ思える。アセアンに向かったことは僕らに大きな経験を与えてくれた。中国に戻ってきた時にも、気がかりだったあの頃のことも今日で払しょくできた。明日からもがんばろう。過去は終わり未来を作るためにステージに集中していこう。2:30就寝。
2010/05/02
6:00起床、7:00食事。岩渕はほぼ徹夜で準備をしていたという。MACHAのトラはそれはそれはプレッシャーなのだろう。8:00ロビー集合。バンに乗り会場へ。昨日開始が遅くなったこともあり、今日もそうなるだろうと思うがここはお任せモードで会場へ。不思議なことに今日はまだ柳も降ってこない。そういえば夜もなくなるんだよね。Shinonは歌っていると口に入ってきてむせてしまったと言っていた。これ食べちゃうのはやだなぁと思う。今日はチリから来たフラメンコと一緒のステージ。フラメンコダンサーってカッコイイ。本場のダンサーを見たのは初めてだったのでリハーサルを純粋に楽しまさせてもらう。そこにこっちに向かって手を振っているダンディな人がいた。なんと老リー登場!2004年のツアーの時、僕らのバスのドライバーを務めてから北京にくるとずっとサポートしてくれた老朋友の一人だ。

05年の反日の時にもライブハウスまでわざわざ応援に駆けつけてくれた。仕事を超えた親友だ。この人、政府関係のドライバーを束ねていて偉い人なんだろう。僕らが演出公司のタンさんとまだ連絡がつかない、と言ったらいきなり直接電話をかけてタンさんにつないでくれた。彼にあったことでどれだけ元気になったかわからない。今回も参加者リストを見て僕らの名前を発見してくれてわざわざ来てくれたのだ。彼はチリチームのドライバーだという。「なんで日本チームじゃないの?」と聞くと彼は大きな車担当らしく10人以下は違う人になるという。「だから来年は10人以上でこい」と笑いながら言っていた。そんなこともありテンションアップ。


11:30からのステージは気持ちも入りいいステージになったと思う。岩渕も二日目でようやく慣れてきたようでギタープレイに抑揚が出てきた。いい感じだ。みな、いい顔になってきている。

昼前にホテルに戻るとリータオの友人が携帯と地図を持ってきてくれていた。僕は地図で大喜び。viviちゃんも携帯に大喜び。そしてyokosoJapanの柏木さんと一緒に柳降る中、近くのSPACafeへ。スタバみたいなチェーンで北京市内いたるところで目にする店だ。話を聞くと日本と中国の間で活動される人たちの苦労や今の中国の勢いが分かる。いい時間だ。その後ランチへ。午後はようやくオフタイムということで秀水に向かう。ここは先日の交流基金や大使館近くのエリア。今回はなぜかこの辺が多いね。コバジュンの家も近いという。久しぶりにゆっくりとした午後。夜はBTVの王さんと会食だ。ホテルに登場した王さんは颯爽とした感じ。市内に家を5軒もち、車も毎回違う外車で乗りつける。まさにエリートである。

王さんとの出会いも長い。2002年呂遠さんの作品コンサートに出演するために呂遠作品を覚えなければいけない。そして、その曲は誰も知らなかったし、譜面も恐ろしくアバウト&画質が悪くかなり追い込まれた状況だった。その頃ヨタさんの知り合いであった王さんとshinonが連絡をとり歌を教わることから僕らのストーリーは始まる。柏の駅で待ち合わせして初対面の二人が路上で中国の唱歌を練習する。これは今思うとすごいよね。あの頃はすべてがチャレンジだったからどんなことでもやってのけた。そしてそれが今でも大事に残っている。人と人と交流の記憶はなかなか消えるものでもない。

一緒に日本で中華料理に行ったり、04年に北京のBARにライブを見に来てくれたり、05年大晦日に落ち込んでいる時、雪の中を京胡を持ってきて和ませてくれり僕らの北京には絶えず登場している人。そしてBTVの文芸担当でもあり著書もたくさんもつ。最新作にはshinonにもコメントをしてほしいということで実際に王さんの本へのコメントをshinonが書いて載せてもらっている。それをやっている人、それが王さんである。王さんが御馳走してくれるというので「老北京ジャージャー麺に行きたい」というと「そんな安いものはよくない」、と言われ別の場所へ。僕もそんなセリフ言ってみたいゼ。いい感じの火鍋屋があったが看板だけですでに閉店。結局少し歩いてイトーヨーカー堂の中にあるレストランへ。ちょっと遠かった。しかしそれが大当たり。非常に綺麗かつおいしい店だった。王さんからはBTVで何かドキュメンタリーができないか考えてみるという。

僕らの構想に対して100%のエールを送ってくれる。思えばもう8年の仲。語りつくせないほどの歴史を持つ朋友だ。ホテルに戻りひと整理。写真やこのレポも。テレビをつけると万博の模様がまだ続いている。谷村新司さんが歌っている。後日聞いた話だが、この場面でなぜ日本人の彼が歌っているか、を解説していたという。まだまだ気にしなければならない所があるんだなと思う。なんでも安心するにはまだまだ早いということだろう。気にすることはない。きをつければいい。1:00就寝。いよいよ明日が最終日だ。


2010/05/03
6:30起床.最近この時間が多いね。以前も話したが太陽が出た後に起きることができる幸せに感謝。7:30朝食。ここで昨日を振り返りスタートの遅れを鑑みて出発時間を遅らせてもらう。それにしても今日もいい天気だ。暑くなりそうな予感。そういえばまたもやこの時間は柳も舞っていない。「北京の人は気にならないの?」と素朴な質問を王さんになげかけると「みんないやですよ」とあっさり返ってきた。だよね。それは当たり前か。でも、マスクとかで予防している人はあまり見ないんだよね。今日のステージはROCKな日。カナダ、イギリス、日本のバンドの共演だ。なんとなく気持ちも高ぶる。最初はカナダのバンド。ちょっとマッチョ系でR&Bを聞かせてくれる。いいね。ステージの音響も低音がずんずん響く感じだ。

そしてイングランドからは「MERODRAMAS」。このバンドものすごくかっこよくて感激。草食系っぽいところがブリティッシュな感じをさらに強調する。元来ブリティッシュ好きなぼくにとってこの手のサウンドはドンピシャである。ビートルズを思わせるコーラスワークも美しい。マネージャーに話を聞くとベトナムでも公演をやっているみたいでアジアに関心が高いという。いつか日本でもできたらいいな。そして最後に僕らの出番だ。他のバンドがいいパフォーマンスをするので自然と気持ちも入ってきた。オーディエンスも昨日よりもかなり多くなっている。ここはROCKで押し通そう。北京のみんなが待っている。

ライブ向きを想定して作った新曲Camonではかなりいいパフォーマンスができた。簡単な日本語を使おうと思って作ったので日本語を少し勉強した人であればサビは理解できる。そんな曲作りもありだね。康定情歌ではmasaoのドラムパフォーマンスが受ける。かなりベタだけれどね。でもこんなプレイ彼しかやらなんだろうな。そう思うとすごい。そしてステージは終了。手ごたえがあった。反応もわかった。おつかれさま!ステージを降りるとさっき出た2組のアーチストから「R&R!」と声をかけられる。この多国籍チームのあっという間に一つになる。音楽って不思議だ。ステージをやる前よりも強く、気持ちの入った言葉で「一緒にやりたいね」とお互いが言葉を交わす。

2時間前に初めてすれ違った人が今はパートナーになろうとしている。うん、いい感じだ。その後CCTVのインタビューがあった。このステージはCCTVの収録もありどこかで放送されるようだ。こういう素材、どんな風に紹介されるか一度見てみたいものだが今回に限らず現地でのオンエア分を入手したことがない。まあ、環境を考えれば入手しにくい映像素材ではあるが、できることなら見てみたいね。そして、一度ホテルへ。ここで北京の情報誌「tokotoko」の大西編集長と合流。そしてインタビュー。


よく「人に自分たちのことを説明すると客観的に自分たちが見えてくる」というが本当にその通りである。インタビューで語る言葉に自分が納得しながら言葉を発している。そうなんだ。日中の音楽による交流の意義、役割などを話していく。取材も終わり、そのままランチも一緒にということでレストランへ。またメニューは一緒かなとおもっていたら中身が変わっていた。ラッキー。ケーキがあったのですかずGET!といいたいところではあったがなんとスイカのトッピングをみて断念。ケーキにスイカなんて。。ありえない。。

午後は再び会場に戻り最後のステージへ。司会の女の子が妙にフレンドリになってきた。このステージには共演者として「ボリビアの美少女楽隊」と書いてあった。しかし、違う人がスタンバイしている。北欧系のグランジっぽいトリオバンドでイレズミとかしている。「話が違うじゃないか」。結局来なかったそうである。まあボリビアは今いろいろ大変な時であるしね。楽屋はますます柳降る。口に入ったりベースのケースに忍び込む柳。どうにもならないくらいでイライラするね。

その頃、ステージではもう一人のカナダ人「ジョウジ」が歌っている。彼は全編中国語で押し通す。これは反応が良かった。すごいね。中国人からすると白人の話す中国語はとっても不思議な響きなんだろう。いろいろな人の所を渡り歩く彼にとってはコミュニケーションが最も重視される。だからその国の言葉を大切にするんだね。僕らと似ているね。

そして僕らの出番となる。早いものでこれがこのツアー最終ステージだ。いくぞ、と気合を入れた後、開始直前に持ち時間が変わり急きょセットリスト変更。組み直してちょうどスタンバイ。うまく時間が流れている。お客さんは今までの中で最も多い感じだ。しかも天気が少し曇ってきたこともあってすごしやすい。4度目のステージで4人一体となった感じがする。最初から飛ばしていき、中国語曲「家郷」やオリジナルのロック曲「フロイト」なども新たに加えてステージを構成する。他の外人バンド(ジョージを除き)と違うのはやはりshinonが中国語で話すことだろう。歌詞の意味やエピソード。多くの中国人が英語を話すようになってきたとは言え、それはほんの一握りだ。ほとんどは中国語でないと伝わらない。だからこそこういったスペースでの公演は中国語でできるかどうかが分かれ道になる。ジョージが受けているのもそういった理由だろう。

それがよかろうと何だろうとお客さんが喜んでくれればいい。それが絶対だ。ユーザーオリエンテッドな考えは音楽でも同様。その方程式で盛り上げてステージは終了。もっとやりたいくらいだったね。お疲れ様。メンバーのみんなありがとう。スタッフのみんな、ありがとう!気持ちよくステージの急な階段を下りるとみんなの笑顔が待っていた。写真撮影にサイン。楽屋だから外からは入ってこれない。ここにいる人はみなこのイベントを作ってきてくれたスタッフだ。うれしいね。制作の責任者からもお礼を言われる。「来年も来てほしい」と固い握手を求めてくる。ありがとう。きっとそうなるよ。また北京に来るよ。これで05年の厄も払われただろう。


会場を後にするころには18時をまわっていた。すでに夕方だ。ホテルに戻る前に四川大地震の被災地に幼稚園を建設するプロジェクトを行っている迫さんのオフィスに行く。ステージが全て終わったので若干気が抜けている。それでも僕等は限られた時間の中動かなければならない。悠長に事を進める時間は無いのだ。場所は先日きたDX!の近くで最先端の北京を感じさせる一角。ここにオフィスはあった。白で統一されたいい感じのオフィス。到着すると日本人よりも日本人っぽいという巨さんが最初にあらわれる。この建設プロジェクトの担当をしているという。ものすごく日本語がうまいと思ったら日本に住んでいたという。普通に日本語を話す優秀なスタッフだ。迫さんといろいろこれからについて話す。前回のときはあまりじっくりと話ができなかったので今日は会えてよかった。

何度も危機に陥りながら踏ん張り続けている様は僕らに共通する。力を合わせていこうと話し合う。日本人同士でも同じことで会って話さないと真意が伝わらないことは多い。タイトな中、会えてよかったと思う。迫さんの事務所を19時に出発。バンでホテルに帰る。僕には気がかりなことがあった。こちらに来てからタンさんと会っていない。主催者として忙しいのはわかるのだが招聘した当人と会えないというのは不自然だ。「会いたくないんじゃない?」。いや、そんなことは無いと思う。でも会ってみないとそれがどうなのか憶測の域を出ない。

だからこそ確信を持つためにも何としても会いたかった。今回は多くの成果を残した。しかし一番の目的はタンさんと作っていく「これからのこと」だった。その話のために来たといっても過言ではない。そして、その返事がないこと3日間。焦りは蓄積されてゆく。もろもろの行動が押したこともありホテルには19:30に到着。タンさんからはホテルのshinonの部屋に連絡がくることになっている。でももう出なければいけない時間。会食は近くの韓国人街なのでとりあえず携帯で連絡を取ることにして出発する。

ホテルからタクシーで1メータ位の場所で立派な門というかこのエリアに入る口がある。そして暗闇の中そびえたつビルの中を抜けて到着。うむ、絶対一人では帰れない。そしてここに住んでいなければ絶対にこれないような場所だった。周りを見るとほとんど住んでいる人たちは韓国人のような気がする。完全なコミュニティが形成されているといっていいだろう。その後、タンさんとのアポは今日は断念し明日に切り替えることに。すでに21時近くになりこの時間に忙しい状態の彼がここまで来ることは不可能に近いし考えられない。とりあえず明日の12時にアポを取りたいという形になったが本当に12時にホテルに来れるか?ということに関しては不明瞭であった。微妙である。不安だ。

宴席はおいしい韓国料理で盛り上がる。今日、ようやく打ち上げ解禁の岩渕も楽しそうだ。公演が終わるまで気を抜けないのであまり個人的には話ができなかったが、今日、こうして話ができることもよき事だ。今日はフェリシモさん、マリアージュさんの社長さんとの会。いろいろなお話を聞く。やはりこちらでやっていくというのは並大抵ではできない。日本からこちらに来てやるには何でも自分でやること、そして気持ちを保つことが重要だ。

タフな日本人がたくさんいることに今回は気づかせてもらった。がんばっている日本人とたくさん会えたことが大きな収穫だったかもね。ホテルに戻り恒例の反省会。部屋に集まりビデオの確認と今回の反省会を始める。足りなかったこと、こうすればよかったことなどはたくさんある。それは後からでは記憶も意識も変わる。今洗い出さなければベストの次を生みだすことができない。今回チーム一丸で乗り切れたことに心から感謝。初参加の岩渕もプレッシャーに潰されずがんばった。そして、この場を作ってくれたスタッフに感謝。感謝の宴はよいものだ。かなり酔って解散。たぶん2時くらいか?

2010/05/04
6:00起床。かなり二日酔いだ、大体何時に寝たかもわからない。7:00朝食。今日は打ち合わせチームとご褒美の観光チームに分かれmasaoと岩渕は天壇公園に向かう事になった。8:00masao出発。タンさんに連絡をしてホテルまで来てもらうのではなくてこちらから演出公司に行くと伝える。当たり前のことである。こちらからアポをとっているのだから。10:30のアポをもらい一安心。行けば会えることになった。その後部屋にてミーティング。これから話すこと、確認事項を共有する。情報だけでなく意識を共有することは非常に大切だ。10時にホテルを出発する。

演出公司までそこそこ混んでいてジャストくらいに着くと思ったがここで事件発生。タクシーが止まった所は移転予定先の演出公司で今はまだここには入居していないとのこと。かんばんは出ているのに。。これはまずい。連絡を取りつつ向かうがすでに約束の時間は過ぎている。


アポは10:30から11:00までだったがすでに10:40近い。なんとか行き方を確認して向かう。「あった、あった」。目印のホテルを発見して、その先に無事到着していたこばじゅんを発見。やっときたぞ。って感じだね。そこは昔ながらの建物であった。重厚な建物だ。そんな雰囲気の中、エレベーターもない4Fにオフィスはあった。応接に通され待っているとタンさんが来た。心配はその笑顔で一瞬に消えた。慌ただしく応接室に入ってきた彼は、忙しくてここ数日まったく動けず申し訳ないと謝っていた。三日間ほとんど寝ていないようなことを言っていた。そんなに疲れていても、再会の喜びにあふれた顔がうれしかった。今回、僕らを招聘してくれたのは彼であり、当然といえば当然だがコミュニケーションがとれない中で不安は大きくなっていた。

でも、それは一瞬で消える。直接本人と会うことで疑問は一つしかない事実に変わる。
会うことの重要さ。

いつも感じることだ。彼とのミーティングは非常に有意義であり意味のあるものであった。今回のステージの評判が良かったのか、それがすでに伝わっていたのか?どんどん話が広がっていく。時間にして30分足らずだが今回のツアーの中で大切な一つの打ち合わせを満額回答で終えることができてほっとした。うん、ものすごくほっとしたね。昨日からの肩の荷が一気に下りた感じだよ。会いに行ってよかった。常日頃会いに行かなくちゃといっているにも関わらずタンさんについてはずっと「きてくれ、待っている」だった。会いたい人が会いに行く。当たり前のことだけれど忘れていたかも。まだまだ、ぼくらにはわからないことや足りないことがたくさんある。だから行動しなければね。気が抜けてそのままホテルへ。

ランチに合わせてmasaoも帰ってきた。天壇の感想とタンとのミーティングの報告をし合いつつ食事。そして、今回最後のインタビュへ向かう。13時。ロビーにコンシュルジュの川口さんはすでに到着していた。コンシュルジュさんは上海でもお世話になった媒体で今回も取材をしてくれることになった。いろいろ話せた。全てが終わった後だからちょっとだけ余裕をもって話せた気がする。さあ、これであとは帰国するのみだ!ロビーでダラダラしているとラオリーが出てきて「チェックアウトをしてください」。とせかされる。なんだ、まだ大丈夫なんじゃない?とりあえず、荷物を持ってロビー集合。チェックアウトをしてしまったので空港に行くしかないのだがここで老北京でジャージャー麺を食べようということに。ラオリーが面倒みよく僕等の荷物をバンに積み込み、ドアまで締めてくれる。老北京の場所は僕しかわからないということで「AKIはここ」と助手席に乗せられる。うれしいね。なんでここまでしてくれるんだろう。愛すべき友人だからか?そうだ。それ以外に理由はない。僕等は単なる老朋友なんだ。ここで老リーともお別れ。最後の握手が一番固い。また、会おう!友よ!お別れ気分モード。バンに乗って3分程度で老北京着。ここは05年天壇近くの同じ店に来て以来はまっている店。文字通り、古い北京の街に来た感じのする店だ。


店員はみな元気で当たり前だが僕らはお客として歓迎されている。

05年。僕らが店に入った時「日本人はその狭い席でいいよ」と突き放された。
すべてがしぼんだ。夢も希望も中国への気持ちも。
小さなことだけれど人はそんな些細なことで折れてしまう。



そして、今では普通のお客に接するように歓迎してくれる。あたりまえもうれしいんだよ。この気持ちは分からないかもね。僕らに興味をもってまわりにきてくれる。オーダーすると笑顔で食べ物をとりわけたりしてくれる。この対応が今の中国なんだなと思う。大雨の時はいつまでも続かない。いつか晴れ間になる。今がその時なのだろう。乾杯。冷え切った燕京ビールでツアーの成功を祝おう。さあ、そろそろ帰らなければ。ここでこばじゅんともお別れだ。でもあまりそんな気がしない。今回ずっと一緒にいたおかげで本当に一緒のチームになれた。だから「またね」でいい。14:40出発。空港に向かう。王さんにCDを渡すとすごく喜んでくれた。いつか日本にきたらみんなでサポートをしてあげよう。

そして、15:10空港に到着、ここで王さんともお別れだ。ありがとうね。そして最初の6名に戻り僕らはチェックイン。帰りも6人で121kgと軽量だった。案外空港内はすいていて搭乗ゲートにてゆっくりとお茶をする時間もあった。1655、CA183便へ搭乗。17:30のフライト予定だが天候不良で離陸に時間がかかった。Takeoffからかなり揺れた。

第3章6幕はここで閉じることになる。今回は久しぶりに北京単発ということでもしかしたら暇を持て余すかもなんて考えていた。そうなることはあまりないが05年の北京は苦労したし、実はあまりいい思い出がない場所でもなくはなかった。しかし今回それを払しょくできたと思う。苦手意識はいつまでも続く。だからこそあえて飛び込んで記憶を変えてやろう。きっと次からはもっと良くなる。


北京に降る五月の雪は幻想的だった。北京の風物詩ともいえるが決して気持ちいいものではない。季節が変わるために必要なことであればそれは昆虫の脱皮に似ている。僕等も一皮むけていくのだろうか。そうなるべきなんだろう。夜のフライトはあっという間でもう日本領空に入ってきた。いろいろ整理をしていると3時間はあっという間だ。


僕等はようやく帰ってきたのか?日本にじゃない。中国にだ。離れたと思ったら一周りしてもう一度この中国に帰ってきたんだな。そう感じた。
21:50予定を少し遅れて羽田に到着。
いつもの成田とは風景が違うから違和感があるね。それもまた慣れていくことだろう。
これからも学び続けよう。

世の中はいつでも新しく変化している。
みんなありがとう。


GYPSY QUEEN ROAD TO ASIA#26
2010/04/30-05/04
MAY snow in Beijing