GYPSY QUEEN Road to Asia #25
Favor

2010/03/19-2010/03/23

約束の地にたどり着いた。誰とした約束でもない、自分の心の中と、そして会えずじまいで終わってしまった
重慶ゴジラさんとの中の心の約束だ。
どうしようもないことにとらわれないで、本質を大事にしたい。一期一会を大切にしたい。
この二つをゴジラさんとの別れで僕は取り返しなできない思いを感じた。
でも、それが今の自分に生きている。
それからのGYPSYQUEENに生きているとても重要な分かれ道であったと思う。




2009/03/19
am5:15。小雨にぬれる新聞配達の自転車。傘をさすほどでもないが寒々とした夜明け前。いつもより少し早めに出発する。都内は結構車が出ている。平日の早朝。この時間からもう世の中は仕事は始まっている。うむ、感心。ちょっと車の多い都内を抜け、湾岸にのることには6時。だいぶ明るくなってきた。途中、いつもどおり酒々井で朝食。そして空港まではあっという間で6:50に到着した。ちょっと早めにでたのがよかったな。今回はCAなので第一ターミナル。ちょっとさびしい感じのロビーはむしろ懐かしく思える。時間どおりに全員集合。総勢17名でのツアーが始まる。今回のツアーは一昨年から続けている四川地震のチャリティコンサート。この活動。いろいろな人に支えられてきて今年で3回目を迎えた。規模も大きくなり今年は複数回の実施になりそうな予感。それだけに多くの人々の協力は欠かせないものだ。そんな僕らに協力してくれるOKWaveさんやリーブ21さんのおかげもあって今日、こうしてこの場に立てる。感謝。そして、それを形にしなければならないという思いが湧く。前回のサンプラザ中野くんさんもWingも賛同の声をあげてくれている。ありがたいことだ。

四川地震のチャリティは名前の通りチャリティコンサート。震源地近くに幼稚園を建設しようという上海在住の日本人建築家の迫さんのプロジェクトに共鳴して、募金を幼稚園建設に支援するというものだ。この活動をやっているといろいろな声が聞こえてくる。もちろん、がんばって、協力するよ、募金するよ。という声が大半を占めるがそれでもなぜ中国の支援をするのか?いまさら四川ではないのでは?日本にも幼稚園にかよえないこどもがいるんだから最初にそっちに支援すべきでは?さらにコンサートやるよりもそのお金を募金すれば?という人もいる。考えは人それぞれだし、こういった声があるからこそこの活動は必要だという人もいる。いずれにしても僕らの考えは一つ。僕らの隣国、中国と交流をしたい、そして四川地震の被害は終わったわけではない。まだまだ、復興には時間がかかる。同じアジア人として手を貸すことは別だん理由を述べなくてもいいことであると思う。コンサートをやるのはこのコンサートを通じて、「コンサートをやる」ということを通じて人々の中にいろいろな思いを想起させることですでに目的の半分は達している。そう、思い出させること。そこに大きな目的がある。僕らは日本を代表するトップアーチストではない。募金の額だって中国人の観客の善意で頂くものだ。金額はそう大きくはない。それよりも日本の大きな企業やトップスターのポケットマネーで十分ではないか?それもそうだ。でもそれだけじゃない。僕らはなにかを行動にしたい。自分のできることをできる限りの力で。そうしてこのコンサートは成り立っている。

自分たちの力で中国に貢献したい。正確にいうと僕らの中国でのふるさと、重慶の友人たちのために何かをしたい、そういう思いでスタートした。この輪、どんどん大きくしてしまえ。そう願うのだ。そうなるようにやりきるのだ。準備に至っては現地の友人たち、こばじゅんをはじめとする現地にいる日本人、そしてoneasiaの中国人スタッフリータオに大きく助けられた。まさに日中合作と呼べるだろう。すべてが手作りだから、相手の顔が見える。そんな仕事はやっていて刺激的であり、気持ちよく、そして不安と喜びの繰り返しだった。会場は何度も変わり、その度にリリースが変わる。機材がなかったり、現地で参加してくれるアーチストが変更になったりの繰り返しは時には閉口する。それでも今日に辿り着いた。

たどり着くには忍耐ともうひとつ、経験値が必要だ。「なんとかなる」という経験値。これがなければ心はとっくの昔に折れているね。チェックインで重量だけでなく、楽器のサイズも測られる。こんな仕組みになったの?と聞くと機材が小さいからだそうだ。結構時間がかかったが無事チェックイン完了。初めてのメンバーもいるので自己紹介。ツアーに同行するのはAlcicoのメンバー。新人バンドだがボーカルのemiは見るからに明るい。そして氏神一番さん。2008年の時、初めてのこの企画に二つ返事で乗ってくれた。そして氏神アジワンへ。縁は続く。今回も快く参加を表明してくれた。この3組と現地のアーチスト数組(まだ、わかっていないことが恐ろしい限りではあるが)での公演となる。そしていつも応援してくれる笹川さんにサウンドエンジニアとして千夏、いつもの頼れるSILKのスタッフ。体制は万全だ。8時に税関を抜けあっという間に搭乗時間に。8:55.CA158便は飛び立つ。今回もどんな旅になるのだろうか?帰ってきた時に何を思ってくるのだろうか。楽しみだ。

うとうとしていたらもう飛び立っていた。しばらくは日本の上空。10時になると朝食がでる。何となく和風なトリうどんやきそばみたいなものだった。1044。ようやく海にでる、ここから中国までは海上をゆく。朝も早かったので一眠り。しかしあまりにも寒くて目が覚める。やばいぞ。この寒さ。寝たり起きたりで苦戦して12時過ぎ。上海が見えてきた。広大な開拓地にはきっと次に来るときにはビルが密集しているのだろう。その広さを見るたびに国力のすごさを感じてしまう。一つの森が一つの街に変わる。それが今の中国なのだ。ドスンという感じでタッチダウン。12:20上海に降り立つ。時計を現地に合わせる。まだ、11:20だ。しかし、乗り継ぎ時間が12:10とある。大丈夫?係員にきいてみると問題ないという。そうか。でもこの空港は何しろ広いからね。案の定、予想は当たり結果的には小走りで搭乗ゲートに向かうことになる。この空港では一度出国して、トランジットカウンターからゲートへという流れになる。まず、出国が異常に混んでいてすでに出国時点で12時だった。やばいぞ。急ぎ足でトランジットカウンター。そして荷物検査を受けてゲートへ。C90ゲートははるか先だ。よくあるこの光景。僕らはいつも空港で走っている。

12:40.搭乗時間を過ぎて機内へ。出国で手間取った分だけ遅くなってしまった。上海までの道のりが寒かったせいかちょっと頭が痛い。初日に風邪はやばいぞ。ここは精神力で持ちこたえよう。ポジティブなことばかり考えて気合を入れる。13時。機体は重慶に向けて飛び立つ。すぐに爆睡して14時過ぎに昼食。これも微妙なチキンライスだ。いまいち食欲もなく大半を残して終了。頭が痛いのはさっきのビールのせいだろう。そう思い込む。それにしても日本を出て早半日。中国はでかいと改めて思う。小刻みに揺れ重慶に向かう。分厚い雲で眼下は真っ白で何も見えない。本当に久しぶりの重慶。どんなことになっているのだろうか?15:23重慶江北空港に到着。以前きたときよりもターミナルがきれいになった感じだが小さな空港である。あっというまに出ることができる。そこに待っていたのは劉ちゃん。懐かしい。ほんと4年ぶりである。そして、今回担当してくれる何さん。今まで僕らの知らない若手が育っている。それだけここにきていないということだ。何さんは学生時代に僕らのコンサートを見たといっていた。

先日の上海のショウさんもそうだが、こうして僕らのコンサートを見てくれたという人たちに会うことは非常にうれしい。そして、その人たちが日本とかかわりあいになって仕事をしてくれているということはとても重要なことであると思う。16時に空港を出発。市内に向かう。道行く景色が懐かしい。開拓もどんどん進んでいて今まで何もなかったところに町ができていたりする。中国全土でこうした開発は進んでいるのだ。この重慶は大きさにすると北海道と同じ大きさ。人口は3200万人という。山城といわれるくらいに坂の多い町だ。実際山の中にできた町。戦争中はここに臨時政府ができたりして、中国の中心となっていた。しばらく行くと急に思い出した。この道のこの場所で4年前、僕はゴジラさんと電話をしていた「昨日さわぎすぎちゃって腰を痛めてしまって立てないのでコンサートに行けないんですよ」「残念ですね、でも次の機会にはぜひきてくださいね。」「はい。まっていますので、必ずできてくださいね。」ゴジラさんとの会話。でもゴジラさんはその約束を果たしてくれなかった。それが唯一僕のきいたゴジラさんの声だった。

でも、僕らは約束を果たしにきた。ゴジラさんに聞いてもらうために重慶ブルースをここに持ってきた。そんなことを思い出しつつちょっと感慨深くなりつつ、変容した郊外部をゆく。16:25。嘉陵江を超えて市内中心部にはいる。市内にはいるとそこは摩天楼のごとく。曲がりくねった坂道を行き、天の見えないビルの合間を這う。箱根のマラソンの舞台を街にすればこうなるのでは?それが重慶だった。道が絶えず渋滞しているので約束よりもちょっと遅れて重慶総領事館に到着。ビルの37Fに位置する総領事館は初めてだ。急いでバスを降りオフィスに向かう。バスをおりると重慶の香り。刺激的な香りが立ち込める。現地でこばじゅんと合流。ちょっと懐かしいね。総領事館の野田さんにご挨拶する。重慶のことをいろいろ聞いて、総領事館を後に。明日の公演にも来てくれるそうなので楽しんでもらえればと思う。17:20ホテルに向かう。途中、人民大礼堂の前を通る。懐かしい、そしてはじめて止まったヒルトンの横を通過。すべて懐かしい想い出だ。メンバーの気持ちの中に今も鮮明に残っているこの地での記憶。たくさんの人たちが思い出される。2002年、ヒルトンを後にする日。早朝に見送りに来てくれた石割さんの顔を思い出した。

ホテルは大きな公園の横にある静かなホテルだった。部屋もいい感じである。チェックインをしてすぐに集合。夕食にでる。今日は明日のステージに参加してくれる地元の学生たちとも打ち合わせを兼ねて会うことになっていた。場所はもちろん火鍋。以前よくいっていた屋台の火鍋エリアはかなり取り壊されたりしていて、あまりやっていないとのこと。到着するともう入口から山椒の香り漂う。いい感じだ。入口ではすでに到着していたこの学校の先生と出演者が。早速ごあいさつ。学生さんなのでいわゆるプロのシンガーではない。だけれどもここで共演することがきっと彼らにとって「日本」とは何ぞやということをすべて伝えることができる。僕らが国の窓口と思って襟を正して臨みたい。

彼らといろいろな話をした。現地で話す言葉はとても重要で、このコミュニケーションが明日に生きる。そこに懐かしい顔が。ロトンさんだ。もうすっかり会社の中でも地位を確立していてなんとなく頼もしい感じ。そして乾杯が始まる。学生たちと音楽のことや重慶のことを語る。火鍋は最高に辛い。そしてとどめに陳社長が到着。役者はそろった。まるで昨日のことのようにい数年前の話に花が咲き、これからのことを語る。こうして、再会することができる僕らはなんと幸せか?想い出の続きはまだ先がありそうだ。このストーリ、終わることのない、友との連鎖だ。そして、今回一緒に出演する学生と話をする。指導者は王先生。日本語の堪能な先生で生徒たちからの信頼も厚いのがよくわかる。王先生も含めて彼女たちが事前に決めたことが僕らには伝わっていないことを知るととても残念そうであった。思いは一緒かもしれない。事前に「これをやりたい」とおもって日本のアーチストに伝える。しかし、返事はない。そうすると「やりたくないんじゃないかな?」「日本のアーチストは中国の学生となんて一緒にやってくれないんじゃないかな?」と疑心暗鬼する。それは僕等も一緒。「一緒に何かやろう」と伝えても返事がない。「この曲をやるよ」といってもなんの反応もないと別にやりたくないんじゃないか?とおもうだろう。でもそんな憶測はやめよう。相手は自分が思っているほどしけた奴じゃない。僕等と同じ気持ちを持った前に進みたいと思う人たちだ。だから、本人に確認することを大切にしたい。今回もそのいい例だ。学生は歌いたがって曲を送った。僕等は交流しようとしていて曲を送ってダンスを踊ってもらおうとした。でも結果的には通じ合えなかったのでどちらも行き当たりばったりになってしまう。事前に会話をする事が出来ない国ではない。そんなことは昔の話だ。「冷たい日本人バンド」と「やる気のない学生」に変わってしまうまえにやり方を考えなければいけない。

今日この場でお互いを理解し合えたが、この現象は今に始まったことじゃないし、僕らだけのことでもなく一般の社会やそれこそ政治にも表れていることだ。信用できるのは相手と向かい合った時、相手の言葉で相手の気持ちを聞いた時だ。それができるように努力することが結果的にお互いにとってプラスになる。それもものすごく飛躍的ににね。どこまでできるかは別にして明日の流れを確認して解散。今日じっくり話ができて本当によかったと思う。少なくてもお互いの信頼の回復にはとても役立った。バスにのりホテルへ。まだ22時ということで反省会を兼ねて、火鍋のハシゴに行く。どの店も時間的に閉店という感じだったがとりあえず入って交渉。客が来てくれればいつまでも開けている。それがこちらの良いところでもある。二軒目とは思えぬプリプリのコラーゲンたっぷりの鳥の火鍋をたべつつ、今回の課題やあす以降のことを打ち合わせていたらもう12時。ホテルに戻ろう。荷物をかたずけているとあっというまに1時を回る。うん、眠いぞ。長い1日だった。そして、ペースを中国モードにするにはとても良い一日であった。02:30就寝。

2010/03/20
6:30起床、7:30朝食。今日の午前中は観光。僕らはまあいいが初めての人に重慶のよさを伝えたいのでGYPSYQUEENのメンバーもそろって参加する。集合時間にはみな集まっていて8:30出発。ホテルは高台の公演沿いにある。坂を下り、ヒルトンのあたりを通過し、人民大礼堂を超えて重慶の舳先に向かい進む。道の一番端は朝天門。長江と江陵江の合流地点だ。今の時期水が少ないうえに深い霧。河の色もあまり分からない。そして河の反対側にはきれいな劇場ができていた。近代的な建物が景観的にはどうなんだろう?と思うがいつも思うようにここに住んでいる人からすれば便利になって何が悪い。というところだろう。そして、古い町並みを模した建物へ。古き良き中国を表現しているというというのでどんなもんかとおもったがかなりいい感じである。それなりに満足して10:30一旦ホテルへ。機材のチェックをしたりこのレポートを書いたりして1130昼食へ向かう。ホテルの近くの麺を食べる。牛肉麺が6元と安い。そして重慶らしいのがすべてからいこと。普通の味というのが日本でいうと辛口で、辛口はすでに激辛を超えている。ラー油につけてラーメンを食べるようだ。途中爆弾のような山椒を避けつつ慎重に麺を食べる。それでも頭のてっぺんから出てくる汗が辛さのレベルを表示しているようだ。あまり時間もないのでホテルにさくっと戻るとSAKAIから連絡が来て機材が届いていないので14:00集合にしてほしいと連絡が入る。まあ、なんとなく想定していたので別段驚くこともなく1時間の余裕を楽しむ。会場ではSAKAIと千夏が悪戦苦闘しているのだろう。千夏は今回エンジニアとして参加これからサウンドエンジニアの仕事をするうえで中国での現場経験をしてみたいということで参加が決まったチャレンジャだ。

初日から悪戦苦闘している姿が目に浮かぶ。それにしてもこの二人のおかげで僕らは「激辛すぎるね」なんてのんびりとランチをたべステージに集中できるわけだ。感謝だ。そして、14時に再度集合して出発となる。市内から空港に戻る形でたどり着いたのは重慶南方翻訳学院。ものすごく大きな大学だ。ここの中心にある図書館の中庭が今日の会場だ。会場入りすると予想はしていたが、ベースアンプがないということになっていてひと悶着。ベースアンプだけでなくギターアンプもものすごく小さい。こちらのPAに言わせると「中国では最近は進歩してすべてラインでやるのでアンプはいらないんだ」と恐ろしい理論を展開してくる。そんなことは認められないので、「それはいいアイデアだ。で、ぼくらはアンプを使いたいので用意してほしい」。このせめぎ合いだ。事前にリストをだしてもこうなる。機材はこれでいいねと確認してもこうなる。今回は僕らだけではないので妥協は許されない。ここで調整させないと本番でもこのままだから、こだわる。できるまでやり合う。これがここでのやりかただ。結果的にはギターはアンプを使うということ、ベースはラインで処理するということで決着。次はモニターだ。ここもすべて1系統で流れてくる。そして、音が小さい。いくら言ってもモニターレベルは落ち着かず、みんなを待たせているプレッシャーもあり言い方がきつくなっている。千夏が現地スタッフの中に入ってやりあっている。それでも15:30を過ぎてまったくRHにならない。そろそろ時間的にはぎりぎりだ。16時ようやくまあ音になってきた。バランスは大きな課題だがさっきまでしかめっ面だったPAの責任者もRHの音に合わせて盛り上がってくれている。そう。喧嘩をしに来たのではなくて、新しい何かを生み出そうと来たのだからこれが自然である。お互いを知るためにも立ち上がりのトラブルは決して避けるものではない。18時前陳さんが現れる。機材のことをすごく気にしている。そりゃそうだ。他のだれもがやらないことが自分のやるべきことと考えるいわゆる中国の成功者である彼。身なり、考え方、行動すべてにおいてスマートである。

そんな陳さんからすると不満を隠している僕らに見えたのだろう。でも実際はそうでもなく、メコン関連の厳しい環境からするとここも天国に見えるわけだ。うむ、強くなっているぞ。そしてそんなころ二代目重慶ゴジラさんがいらっしゃった。二代目さんとも今日が初対面となる。ごじらさんの縁でこうしてここにいることができる。ゴジラさんの写真はあとでということでまずはご挨拶だけとする。なんとか音ができたのが18:10。すぐにミーティングに入る。出し物、ダンサー、出演順など。それぞれがその場で確定していくので一つのことに時間がかかる。時間は迫っており、かなりドキドキものである。事前情報が届いていなすぎる。この課題をどう越えればいいのか?それにしても共演を楽しみにしていた学生がかわいそうだ。できる限りのことを進めていこう。時間は19時。図書館の中庭に大勢人が集まってくる。司会者から最初に挨拶をしてほしいといわれる。急だね。まあよくあることだがとりあえず盛り上げてこようとステージに立つ。最初に王先生の挨拶があり次が僕。この場を作ることができた陳さんにも一言コメントをもらう。そしてステージは始まる。Alcicoのメンバーはスタンバイ済みだ。大勢の学生が歓声を上げる。ステージは始まった。重慶での公演は開始された。結局構成はAlcicoの次が地元のバイオリン弾きの学生。そして、GYPSYQUEEN、地元の学生のカラオケ、氏神アジワンという流れになる。僕らの出番はあっという間に来る。楽屋で気持ちを整える。


今日この場に来れたことに感謝。ここをいつまでも忘れさせなかったゴジラさんに感謝。いろいろな環境を整えてくれた仲間たちに感謝。この感謝を返さなければ。このステージが終わるうちにかえしきらねばならない。全力で臨もう。そして1450日もの時間のあとにささげる「重慶ブルース」を重慶の空に伝えよう。いよいよ出番が来た。Alcicoが十分に会場を盛り上げてくれた。そんなこともありステージに上がると重慶の学生たちの声援はすでに最高潮。。ロックナンバー中国語曲、オリジナルの中国語曲、そして重慶ブルースなど合わせて8曲の演奏になる。オリジナルの中国語曲はきちんと意味が伝わっているようで反応も良い。中盤に配置した重慶ブルース。演奏をしていていろいろなことが思い出された。感動はしていないがなぜか目頭が熱くなる。なんだろうか?この気持ち。コーラスを取りにくい。届けに来たって誰にだろう。今はもういない人のために本当に僕らは来たのだろうか。自問自答する。そうだ、確信をもっていえる。僕はゴジラさんに聞いてもらうために来た。どこに行っていいかわからないからここに来れば会えるのだろうと思ってきたんだ。それはまだ会ったことのない人に対しての感謝の気持ちだ。

幾多の課題があり、くじけそうになった僕を2005年にここにつれてきた。そんな小さな種が僕の中に生きる。だから今日ここにいるのだと思った。それは再びここに来させてくれたということでもある。ありがとう。ゴジラさん。後半はロックで押していく。客席にあるゴジラさんの席の写真にお礼の言葉を告げに行く。オリジナルの「ユメノトビラ」意味合いは違うがこの曲もこのツアーを表す曲といってよい。ユメノトビラは一人では開かない。みんなの手を添えて押してゆくものだ。重慶の大勢の人たちと一緒に僕らは次の扉に手をかけようとしているのだ。GYPSYQUEENとして最後の曲はこの曲「康定情歌」。四川の曲であり、ぼくらの最初の中国曲。元をたどれば2001年にモニカが歌って中国各地を沸かした曲。あの時はこの曲の意味すら知らなかった。その曲を探し、アレンジに時間をかけ大切に作り上げた。だからこそ今でも定番の僕らの曲になっている。GYPSYQUEENのステージを終え氏神アジワンの準備。氏神さんとも意気投合をして今の関係に至る。歌舞伎の装束に身を纏う氏神さんもこの主旨に賛同してくれて参加してくれている。いつもみんなの元気を引き出すすごい人だ。学生のカラオケが終わりいよいよ出番。当然のごとく会場はヒートアップしてくる。日本の伝統と日本のROCK。この二つを凝縮するのだから受けないわけはない。

曲はアジワンの新曲の「アイハドコニアル」と「飛んで日本」「オエド」の三曲。Shinonもコーラスに参加して盛り上げる。みんな元気だ。重慶は熱い人の街だ。そんな市民性がよくわかる。演じていてもその厚さは伝わってくる。そして今回のフィナーレ。前回歌った「相信愛」のアンサーソングを作り上げたそれが「希望の道」だ。辛いことがあっても時間はすぐに過ぎ去る。次の希望を目指して僕らは行かなければいけない。そのために勇気がほしい。そんなことを表現した歌に仕上げた。この曲は上海では四川出身のシンガーナナさんが中国語でも歌う。日中両国版のある曲にしたいと思っている。21:10すべてのプログラムが終了して楽屋で。ます最初の一本がおわった。みんなお疲れ。その頃外はすごいことに。学生たちに囲まれてフォトセッションである。ゴジラさんの写真を頂きに二代目さんを探そうと試みるがすでに人を探せる状態ではなくなっていた。でも、みな素晴らしいのは日本語の堪能なこと。そして、礼儀正しいこと。写真を撮るときに「一緒に写真をとっていいですか?」と必ず聞いてくる。日本語で英語で。こうしてきちんと礼儀正しい学生たちで占めるこの大学。すごいぞ。もっと交流する時間もほしいがスケジュールもあり2140バスに戻る。みんなに笑顔が戻ってる。RHの時にはみな不安顔だった。でもこうしてツアーバスに戻った時、みんなの会話が盛り上がっているということは成功の証しだ。

そして、そのまま打ち上げに。場所は陳さんが選んでくれた。選んでくれただけではなく、事前に自分の目で見て確認するので、と一足先に出て行った。すごい人だよね。このフットワーク。何よりも動くことを惜しまない。それがはっきりとした言葉に表れてくる。頼もしい老朋友だ。2230打ち上げ。僕らのお好みを聞いてくれて屋台街へ。いまではあまりなくなったと聞いている。総領事館の野田さんも「まだ、こういうところあったんですね」といっていたので貴重な場所なんだろう。こんな望み通りのことをかなえてくれるのはさすが陳さんという感じだ。初日の乾杯。白酒もうまい。今回の主旨や今までの出来事、そしてこれからのことを話す。王さんはまた学校に来てほしいという。次は校舎の中を見たり学生と交流してほしいという。うれしいことだ。陳さんから明日は家郷を歌ってほしいといわれる。明日じゃなくて今でもOK。そして、みんなでの大合唱で重慶の夜は更ける。思いっきり話して盛り上がって気づけば01:00を回っている。明日はバスで成都までの旅。二日酔いは地獄と分かっているので、名残惜しいがここで解散とする。01:30過ぎ。ホテルに戻る。初日は本当にばたばたであったが何とか完遂できた。支えてくれたみんなに感謝。明日は5:30起きだ。やることがだんだんハイペースになってくる。でも会いたい人、やりたいことがあるのは仕方がないことだ。乾かない衣装以外をスーツケースに入れ02:30就寝。

2010/03/21
5:30目覚ましで起きる。白酒と陳さんの笑い声がまだ頭から消えない。カーテンを開けても外は真っ暗だ。ここで寝てしまうと大変なことになるのでとにかくシャワーを浴びよう。今日もまた夜から一日が始まる。6:30朝食。僕が行く頃には食べ終わっている人も多い。ここにいるのは皆僕らの一行。ホテルにお願いして30分早く朝食をスタートさせてもらったのだ。7時にチェックアウトを終え、7:10出発。重慶滞在もあっという間だった。懐かしく、新しく。ページを更新したように僕らの中の重慶は少しだけ新しくなった。重慶から成都へはいくつかある高速を行くことになる。市内を抜け高速に入るとあとは一直線だ。昔あった重慶の最悪の高速は修繕?廃止?されたようだ。汚職がらみというのでやっぱりね。とおもう。それくらいぼろぼろの道路だった。今は快適。恐れていた分快適さは増す。昨日の音源を確認したり今日の予定を劉ちゃんと相談したりで時間を過ごす。もちろん、中国語の勉強も忘れずにね。10時ドライブインに入る。とにかく移動が多いので体があちらこちら痛い。マッサージに行きたい。昨日もいけなかったしね。幸いかなり順調にきているという。その後の道も快適だった。

菜の花畑が山一面に広がる。すごい景色だ。輸出しているの?と聞くとそうでもないらしい。国内の需要で充分なんだろうか?油を取るといっていたが、その辺の知識が余り無いので良くわからなかった。10:40。あと20kmで成都の看板が出る。直進すれば成都、右折すれば綿陽だ。「この成都にはパンダ基地があって40頭もいるんだよ」と言う話をきいてパンダ基地か。なんだかかっこいいな。とおもう。パンダ満載なんだろう。行ってみたい気もするがパンダって凶暴みたいだからちょっと怖いかもね。本場のパンダは。11時には市内に入る。ちょうど4時間だった。これくらいは快適な旅の部類である。市内は平地でとても開けている感じ。大きなビルが立ち並び重慶のそれとは異なる。そうか、成都はこんな町だったか。以前来た時はほとんどライブハウスと飲み屋しか滞在していなかったので新鮮だ。11:20.町の中心街に到着し、昼食の錦里香に到着。ここで今日の共演者とミーティングになる予定だ。まずは成都の窓口になってくれた王さんにごあいさつ。陳さんの会社は大きくなっていてここ成都でもオフィスがある。そこの窓口である王さんということで今回のもろもろの手配をしてくれた。食事は四川料理。辛いといっても結構上品な店で、そう辛くは無かった。ただ、山椒は激しびれ。これはきついね。日本にはここまで強烈な山椒ってないからお土産に買っていこう。食後、打合せをする。先生と生徒がきたのだがここでも話はすれ違った。彼らはコンサートが決まった時に、一緒にステージに出るために僕らに演奏をしてもらう曲を選曲したそうだ。(もちろん届いていない)。芸術学院ということでこの分野で生きていこうと思っている子達だ。一緒に共演するのを楽しみにしてくれていたようだ。が、仕方ない。とりあえず全員カラオケでお願いね、ということになり、ステージ全体の進行の打ち合わせになった。こういうときは切ないね。これはなんだか特別な出会い。だからこそ少しでも相手のことを理解できる方法を探したい。それは一緒にプレイするということが一番の近道だって事を僕らは良く知っている。

知っているだけに残念な気持ちである。そして、打ち合わせを進めるとやはり同じようにこちらからお願いした最後のセッション曲も伝わっていなかった。わざわざダウンロードサイトまで作って音を落としやすくしたのだが、結果的には開かれることはなかった。日本語の曲はいまさらどうしようとしても無理なので中国語曲の「相信愛」のみをお願いする。歌詞がないといっていたが、ネットで今から落としてプリントアウトするから大丈夫というようなことをいっていた。若干後味が悪いながら仕方がないということで「これからは事前に確認しようね」、といって一度解散。時間を見れば12:50.話に熱中していたせいか結構この店にいたことになる。幸い、ホテルは近い場所で20分ほどで到着した。そこはかなり狭いホテルだった。この時期、成都は大きな博覧会があるということでホテルが取りにくいということだった。その影響もありホテルが変更になった経緯がある。

部屋で荷物を引き出し、準備を整えて14:10出発。すでに先発隊は会場入りしている。本隊は遅れて14:30会場に到着。そこは楽器街の中にあるまさに音楽大学だった。なんとなくのんびりした町並み。バイオリンや二胡が並ぶショップ。豊富な楽器類はなんとなくほっとさせてくれる。「会場になければここで調達すればいいね」。みなポジティブだ。「実験劇場」。何かされそうな名前だが、そんな名前の大学のホールは立派でオケピも付いているしっかりとした会場であった。すでに千夏とSAKAIは仕込みに入っている。急増コンビの割には息が合っていていい感じだ。「状況はどんな感じ?」ときくと後30分ほどでRHができるという。とりあえずここは任せて合間をぬって街中を見る。二胡の教室だろうか?いいメロディが流れてくる。ふと、歴史の世界に迷い込む。ここは四川省の省都。劉備玄徳の街だ。お茶でも飲んでいきたいね。そうはいかずすぐに会場に戻りサウンドチェック。四川省の文化担当の巌さんが窓口。この方、日本語もうまく考え方も新しく、僕らのやろうとしていること、必要としているものを理解してくれた。この会場の手配やらなんやらを仕切ってくれた方、ということで感謝である。この会場を抑えるために重慶の李剛さんは何度もここまで来てくれたという。本当に頭の下がる話だ。その結果が今日でるのだ。何としても頑張らなければ。

会場のステージ自体の音場はあまり良くないがモニターが壊れていたこと以外問題はない。モニターも、もしかしたらうちのSAKAIが壊したんじゃないか?なんて思っていたのであえてそれ以上触れなかった。17:10一度ホテルに戻る。17:30到着。出発が18:30なのでちょうど一時間くらいあるぞ!と思ってダッシュで足裏マッサージに行く。ほんとダッシュ。1時間100元というのでちょっと高いがまあ、外のマッサージに行くほど時間もないのでとりあえずそこに入る。今すぐできるか?ときいたらできる。というので3名でお願い。超熱いお湯の入った桶に足をつけて待つこと5分。なかなか人が来ない。結局10分たってもこないのですっかり気持ち良くなった足湯をやめて、帰ることにした。「時間がないのでまたね」。せっかちな日本人だとおもっただろうなぁ。でも、足湯が気持ちよくでよかった。タダだったしね。その分時間もできたのでゆっくりと準備をする。この時間帯、疲れもあって眠いのだが寝てしまうとだらだらになるので早めにロビーへ。合間に換金。レート1万円で731元。かなりいいね。

18:20ホテルを出発して18:40会場着。すでに人は入り始めている。そこで巌さんに呼ばれる。何か学校からお礼を言われるのかな?とおもったらその反対。結構険悪な雰囲気になっている。どうしたかと聞いてみると「学長は学生と日本人の音楽交流を楽しみにしていた。しかし、学生はカラオケで歌うという。全員カラオケだと困る。」確かに。でも、それは先ほどのミーティングでそれでいいとなったよね。「でも、曲を知らないので演奏は難しいですよ」「知らなくてもいいのでやってくれませんか」曲を知らなくてどう演奏するのよ、と思いつつ。ただ、相手の言っていることには一理ある。僕らも一緒に何かしたいことには変わりない。そして、ここで中止とかにされてしまっては元も子もない。そこでこちらからの妥協案で一曲だけやらせてもらう形でよいか?と相談。実は歌い手の中の一曲「月亮代表我的心」は以前GYPSY QUEENで演奏をしたことがある曲。

今回も構成は違うがネンドさん向けに仕込んでいた曲でもある。これなら今からでもアレンジ可能かもしれないと思ったのだ。しかし。しかしだ。もうあと10分もすればステージが始まる。これから初めて合わせる、しかも音楽学校とはいえ学生ときちんと合わせることができるのか?楽屋に戻り次第「はい、GQ集合!」ということで4人で緊急会議。会議も何もとにかくやるしかない。ということですぐに歌い手の子を呼び説明する。構成を覚えることは難しいので、全て脇からQだしをすることで話がついた。すでにAlcicoの演奏が始まっている中、地下の楽屋で急造のセッションが始まる。まあ、ステージ上で曲を変えることは幾度もあるが、本番10分前に新たな出演者のバックをやるのは初めてだった。それにしても特にこういった追い込まれたときに感じるのだがGYPSYQUEENは強い。この件についても「どうして」とかきいても仕方がないことを一切言わない。そして「できるかなぁ」というようないっても状況が変わるわけでもない泣き言を一切言わない。そうなったらそれでベストを尽くす以外の労力を使わない。そういった意味においてまさにアジアで戦っていけるバンドであると自負できる面である。無理を無理というのは誰にでもできる。僕らは最後の最後までこの言葉を使わないバンドだ。もうこうなると遠慮はゼロ。その子は中国語オンリーの子だったのでいつもやるようにこちらで全部決めて“こうやって”と進行する。

最初は緊張気味(だよねぇ)だったし、曲を僕ら的にロックアレンジしているので、最初は歌えないとかいっていたけれど、「大丈夫、大丈夫」となだめてやってみると結構うまくはまったりしてほっとした。何よりもその子本人が異常に喜んでいて、ああ、この子こんな笑顔をするんだ、と思うくらい打ち解けてくれた。よかったな。こういうことでもなければ距離は変わらぬままだった。学長さんありがとう。これも流れ、全ては縁だ。とにかくやってしまおう。できないことはあまりないはずだ。ということで急造RHを終えたタイミングでAlcicoが帰ってきた。おつかれさま!みんな二日目にしてリラックスした笑顔になってきたな。次は僕等の出番だ。ステージ袖に進む。司会の王さんの呼び込みで出ていくと熱狂的な歓声に迎えられた。四川の人々は熱い。それはステージ最後まで続くことになる。ここでも重慶ブルースについて語る。きっとこれからもそうだろう。全国どこに行ってもこの歌のことを伝え、ゴジラさんを伝え、日本を伝える。その時ばかりは黄色い声はない。聞き入って手拍子をされると昨日のことを思い出した。後半は昨日同様ロックナンバーで飛ばしていく。お客さんが求めているものを感じる。

昨日は不覚にもベースのワイヤレスが外れそうになって、演奏中にばたついたが今日はばっちりテープでガード。オケピの端を小走りで渡りながら弾くmachaを心配しつつステージを盛りあげる。それにしてもお客さんはいい顔をしている。みんな、音楽を全身で楽しんでいるね。もう、日本との境目はないに等しい。GYPSY QUEENを終えるとさっきの子が登場。やはり緊張気味だ。ここは勝負どころだ。とにかく盛り上げよう。緊張のイントロ。きっとこの中国の代表的な曲をこんなアレンジで歌ったことは皆無だろう。いや、さっき2回やった。ステージ中央に彼女を立たせて、後ろからあおり気味に演奏する。笑顔が戻れば安心だ。本当によかったな。一緒にやって。それでこんなにも気分が変わるならね。彼女も僕らもだ。最後はもう自信たっぷりに歌いあげている。きっとこの子は将来歌手になるのだろう。学生時代の彼女の歴史の中に僕らがいるというのも格別だ。そして最後は氏神アジワン。この会場でも氏神さんが登場するだけでざわめきがする。日本のカブキがロックになる。

ここでは奇異に映るのだろう。最高のエンタメ。あっという間に3曲を演奏してグランドフィナーレになる。ここで司会の王さんが「最後の曲です」と紹介。でも、あと3曲。。まあ気にしないで演奏することにする。さらに照明さんが気を利かせたのか、一曲目の後半で全面点灯となった。これじゃフィナーレだよ。でも、このあと2曲あるぞ。。ちょっと流れ的に辛かったがこの四川地震への歌「希望の道」と中国で作られたチャリティソング「相信愛」を全員で歌いきって終了する。終了後ステージに学長さんが来てくれた。最初に会ったときは硬い表情だったけれどいまではとても喜んでいた。この笑顔を見たくていつも音楽をやっているだな。お客さんもスタッフもみな喜んでくれた。そして、ここでも「来年もまたきてください。」といわれる。ありがたい言葉だ。次に来る時は事前の確認をもっとしよう。昨日と今日、ハッキリわかったこと。みんな意欲的に参加したい、ということだ。それならば遠慮はいらない。僕らにはもう一歩の積極性が足りなかったのだ。それは大きな反省となる。

解決できない課題ではないことが幸いだ。22時にホテルに戻り22:20出発。打ち上げ会場へ。この日もアウトドアな場所。ビールが冷えていないのも慣れだね。気にならなくなった。心地いい風と仲間と飲む酒は最高だ。ツアーメンバーでようやくゆっくり話す。こばじゅんも仲間になった。ずっとサポートしてくれている笹川さん、静かだけれど最後まで付き合ってくれる宮城さん。みなこの旅の仲間である。24:10.まだ飲み足りない気もするが明日も早いのでホテルに戻る。明日は上海だ。4か月ぶりの上海。楽しみだ。

2010/03/22
4時起床。まだ、夜じゃないか。何度か二度寝をして5時に起きる。5:30チェックアウト。まだ暗い、今回三回目の夜出発。そして5:40ホテルを出発。なぜかバスの中でもハイテンション。ナチュラルハイね。それにしてもきちんと時間を守れるアーチストたち。みな、立派だよね。本当にそう思う。市内の通りはまだ夜明け前のきれいな街道。街灯の花のような装飾が印象的だった。ホテルの用意してくれた朝食をたべてひと眠りしていると空港が見えてきた。6:00空港着。ここで劉ちゃんとお別れだ。久しぶりに会い行動を共にした彼女。以前よりもたくましく、しっかりした感じの彼女。会わない時がお互いを成長させる。ぼくらは彼女にどう映ったのだろうか?成長していたか?空港は結構込んでいてチェックインに時間がかかる。

ゲートで劉ちゃんとお別れ。再会の約束は今回も守れるだろうか?また会いにきたい。会いたい人がここにはたくさんいる。空港の待合室。7:15あっという間に搭乗時間になる。7:45フライト。上海までは2時間半。そう考えると遠いよね。途中、昨日のビデオをチェックしていると隣の中国人と仲良くなる。眉山から来たということでこれから上海、蘇州、杭州の旅行に行くそうだ。成都にいつ来るのか?と聞かれたので来年かな?というと友人を連れて見にきてくれるという。ずっと中国語だったので頭はフル回転。おかげであっという間に上海につく。機体が一気に降下し10:15タッチダウン。もどった上海はとても寒かった。広い空港を出て11:15市街に向かう。途中万博会場の間近を通る。数日留守にしていたこばじゅんが「すごい!もうこんなにできてる!」と驚きの声を上げる。そんなにすごいのか?一夜城じゃないだろうな。でも、あり得るね。そして橋を渡り市街地に入り田子坊に到着。ここは最近注目のスポットで入り口付近には地下鉄が急ピッチで工事中。ここにはとてもハイセンスなお店が並ぶ。

新しいものではなくて昔からあった建物をスケルトンにして改装。そしておしゃれな装飾を施している町だ。なんとなく日本の原宿の路地ににているね。ここを大規模にすると新天地みたいな感じになるのかな?と思う。ここで昼食。ここでは火鍋ということはなく日本的なランチをいただく。普通においしいね。その後ホテルへ。今回はラマダプラザホテル。五角場に立つホテルでとてもきれいな広いホテルだった。リータオの手配のおかげで部屋もアップグレードしてくれることに。しばらく手続きでバタバタする。そんなチェックインの後、一瞬抜けてホテルの前にあるマッサージへ。全身か足かまよったけれどまずは足裏マッサージを選んだ。これが本当に快適で足が1サイズ小さくなる。ここもこばじゅんが料金交渉をしてくれて1時間100元を60元に。viviちゃんといい、リータオといい頼もしい女性が多い。ホテルに戻るともうコンシュルジュの取材は始まろうとしていた。

部屋にもどり着替えてロビーへ。衣装を着ての取材なので氏神さんももちろんフルメイク。高級ホテルのロビーに歌舞伎のいでたちの人がいるって微妙だ。それからすれば僕らはいたって普通に見える。取材ではこの地震のチャリティについて聞かれた。僕らのやりたいこと、目指しているところ。伝わればよいね。取材が若干押し、そのあとに控える毎日新聞の取材は移動のバスの中でということで。17時、ホテルを出て会場に向かう。バスの中、ずっとこのツアーの話をしていた。今回、中国全土で展開していこうときめたこのチャリティツアー。それは大変なことになるだろう。どこまでできるのか、その先には何があるのか?まったく想像がつかない。でもきっと何か新しいものがきっと見えるに違いない。越えて見ればそれは紆余曲折した僕らの足取りがよく見渡せるだろう。そんな話をしているうちに会場に到着。「現場Bar」。中国のアンダーグラウンドな香りがプンプンする。そうだ北京の13clubもこんな感じだったな。

今日はライブハウス。昨日までのものとは異なるステージだ。ここはオーナーが協力的で実施することになった場所。こうして少しづつでも現地のネットワークを作っていくことは重要だ。会場でサウンドチェックをするがなかなか進まない。あまりRH時間もない。それでも今日初めて会わせるネンドさんとnanaちゃんの曲がある。最低限、そのRHは必要なのでちょっと焦り気味になる。セッティングを見直す間に引き続き毎日新聞の取材。そこに一台のタクシーがとまり僕の名前を呼ぶ人がいた「おお!ショウさんじゃない!」。前回蘇州のツアーの時の上海のアテンドをしてくれた彼である。その時に実は彼が学生時代の2005年に重慶の四川外国語学院で僕らのコンサートを見たということが発覚して盛り上がった彼だ。今回も上海に来ることは伝えていたが、彼も仕事でどうなるか分からないようだったので会えないかもと思っていたのでびっくりだ。

「よくきたね、ありがとう!」「約束したじゃないですか」普通に約束を守ってくれる僕らの友人だ。彼も新しい仲間。どんどん増えていく中国の友人たちである。そうしているうちにネンドさんとNanaちゃんも到着。Nanaちゃんは雰囲気的に日本人っぽいので最初はわからなかったが紹介されて気づく。それくらいに普通に日本語で話せる才女だ。ネンドさんとnanaちゃんとの共演は4曲。それはそのままやれば問題ない。一回RHで合わせれば大丈夫だ。課題はセッション曲。パート割と中国語の歌詞の確認をしなければならない。そう、「希望の道」の中国語訳をnanaちゃんがやってくれることになったのだ。ただ、なぜか彼女は日本語バージョンの方を覚えてきたと言っていた。ここでどうしようかとおもうがやはり支援ソングなので日中両国語でやりたい。

「大丈夫だから中国語で歌って」。まるで昨日の再来のように今度は僕が難問をするりと言う。でも、きっとそのほうがいい。そのほうがいい結果になる。ということでまたまたハードルを高くしてしまった。時間が迫っているのにごめんね。とりあえずステージで一回通す。nanaちゃんもロックバンドバージョンの「家郷」を歌うのは初めて。最初はとにかく歌いにくそうだった。「自分の声が聞こえなくて」。モニターの調子もあるが大抵バンドでやるとシンガーからはそう言われる。特に普段カラオケや歌謡曲チックな演奏を前にしている人からするとmasaoのドラムは小さくても爆音。四川人が辛くないというものを日本人が食べると激辛に似ている。だからこそテイクを変えない。僕らのサウンドで歌ってもらう。

その少しづつのすり合わせがコラボであり、相手が通常やっていることをやるのなら僕らが演奏する意味合いはないからだ。普通にやるのは簡単だからね。いざとなればすぐにそのテイクは作れる。ギリギリまではプラスに作用するように進める。それでもさすがシンガー。2テイク目にはノリもロックっぽくなってきた。「最後はオクターブ上まで張り上げるとかっこいいよ。」とアドバイスするとハイトーンでシャウトできるようになった。やってみるとこれがかっこいい。「また一人ロッカーの道に引きづり込んでしまったな。。」なんとなくうれしい。そうこうしているうちに開場時間になり、お客さんも入り始めてしまった。入口がフリーになってしまっていてどんどん入れるようになってしまっている。とはいえ、いまさらお客さんに出てもらうわけにはいかなくこれ以上ステージ上でやっているのもネタバレなのでリハーサルをやめて楽屋で合わせることにした。

楽屋はスペース的にはとても広くてよかったがめっちゃ暗い。それがまたアンダーグラウンドを醸し出している。ここのオーナーの飼っている大きな犬が自由に歩き回る。トイレはそんなに恐ろしくはなかったが、それなりにDeepだ。しかも楽屋の先にあるので普通のお客さんが楽屋を通り抜けて行く仕組みになっている。まあ、気にすることではないが衣装をなめるのはやめてくれ。犬君。すでにかなり押していてスタンバイのAlcicoがステージにでたのは20:40だった。Alcicoを送り出しながらも「希望の道」のRHは続く。ステージの音が筒抜けの中、machaのアコギでnanaちゃん、ねんどさんと合わせる。昨日もこんなことしていたな。つくづく現場処理が多いバンドだ。一応名誉のために言っておくが決して段取りが悪いわけではない。現地側が悪いわけでもない。中国にはよくあることだが、最終的にベストなものを作れればいいのだ。もちろん、ある程度あきらめたり、決めていないからといってカットすることは可能だ。むしろ決めたことを決めた通りにやりたいタイプの僕はこのなし崩しなやり方は好みではない。それでもなぜギリギリの行動をとるかというと「お客さんが喜んでくれるから」。それに尽きる。きっちり完璧なものをやらないと批判をされてしまう日本と異なり(基本は中国も一緒だが)ここではやることに意義がある部分も多い。

そして、異国からきている僕らである以上「機会の喪失」は最もしてはいけない行為であるといえる。「次ね」。いや次は無い。今できなければ次は無いのだ。ゴジラさんのことで痛い思いをしている僕ら。このことは他のアジアツアーでも痛い思いをしている。だから僕らはツアーにでれば「全部yes」なのだ。それで辛いこともあるがとびっきりのうれしい結果もある。どちらかといえば後者の経験が多いわけでその方針を採用し続けているのだ。真剣勝負の突貫工事は相手との距離も一気に縮める。ネンドさんともすでに古い仲間のようになってきた。共通の目標を持ったときに人は強くなれる。そうしているうちに、Alcicoのこのツアーの最後のステージが終わり楽屋に戻ってきた。おつかれさま!初の中国ツアー、いろいろな経験をしただろう。これからの活動に活かしてくれればと思う。そしてすぐに僕らの出番。上海での公演は何度目になるだろう。最初は上海図書館のホールだった。その時Wingに出会い、今の関係の礎になっている。会場規模もオーディエンスも昨日までとは異なる。今日は今日の音を出そう。セットリストを変えてロックンロールなこの曲「without you」でスタートだ。狭いステージを縦横に使うためにmachaはスピーカー台へ上る。ギター弾きながらここまで動けるのは大したもんだ。3日続けてのステージ。それも大移動の繰り返しではあってもshinonはshinonの歌を歌う。

観客の前でいつでも自分のベストをキープすることはシンガーは特に難しい。それができて初めてアジアのシンガーになれる。masaoはいつも通り、いやいつもより多く頭でシンバルをたたき喝采を浴びる。こうしてツアーのファイナルは終わった。重慶ブルースを歌い続けたツアー。次のツアーもそうだろう。その次も。僕らの音楽の在り方がこのツアーのコンセプトにあるのだ。そして、nanaちゃんが登場。「家郷」と「日不落」の2曲。MCがとてもうまい。まあ中国人だから当たり前か。会場をもりあげ、ぼくらも引っ張られる。いい笑顔で歌ってくれて僕らも楽しい。そしてネンドさん登場。まくしたてるMC。そしてバックの演奏がいるんだろうか?とおもうほど激しく芸を見せるプレイ。まずい、ネンドさんをみているとおかしくて演奏できなくなる。あえて見ないようにするが、ふと見るとステージ上にチャイナドレスのおばさんが。ネンドさんの着替え後の姿だった。エンタメに徹したステージはさすがにワハハ本舗。いい芸人だね。そして、その勢いのまま最後に氏神さんが登場。そのいでたちは上海でも受ける。

登場と同時に会場の温度を上げてくれる。最後の曲「オエド」ではAicicoのエミちゃんとスタイリストのクミちゃんがダンサーとして登場。大したリハをしていないのにばっちりもりあげてくれる。そして、最後のセッション。全員がステージに。狭いステージなのでもう満載だ。「Blue sky」「希望の道」「相信愛」の3曲をやる。上海はネンドさんnanaちゃんが入るのでさっき編成を組みなおした形で実施。「希望の道」も中国語になり変わっていく。アレンジももう少し変えていくだろう。次のツアーまでには完成形を作りたい。「相信愛」ではみんながつぎつぎに募金箱にお金をいれてくれた。この小さな善意の積み重ね。このイベントの主旨が伝わり、賛同してくれた一つの形。今回もこの会場のみんなの気持ちを伝えていきたい。2240終了。おつかれ〜。募金も集まった。日本円にすると6万円くらいだろう。小さな6万円かもしれない。でも僕らには重みのある6万円だ。募金をするときのみんなの気持ちいい顔。みんなの気持ちの詰まった貴重なお金だ。これをさっそく「春風幼稚園建設プロジェクト」に寄付しよう。いつかこの幼稚園に行けるように。そこに通う子供たちに会いに行けるようにね。

ライブ終了後、ホテルにもどり10分でロビー集合。これはタイトだぞ。幸い部屋が豪華なので、とりあえず衣装やらなんやらをすべてあちこちに広げて再集合。歩いて行くというので近いのかな、とおもったら急ぎ足で15分という。ちょっと。。遠すぎませんか?事前に確認していなかったのが悪いのだがステージを終えた後すぐにこの移動はちょっとみんな辛すぎる。でも仕方がないので移動。重慶だったらこんなことはないと思うがここは上海でなので仕方がない。重慶の、陳さんのありがたみを身にしみる結果となった。そしてみんなと乾杯。主旨に賛同してくれたアーチストたち、同行してくれたスタッフのみんな、そして会場に来てくれた人々。内輪の会だ。今日はたっぷり語ろう。幾重にも重なる「乾杯」の数だけhappyはある。厳しい分だけ団結できた旅。この続きはすぐに待っている。ここでも笹川さんが格別な気遣いを見せてくれる。大社長にして老朋友。いつも不手際のある僕を正してくれる大切な友人だ。ポジティブな姿勢はその元気な声にある。今回も何度も笹川さんに元気をもらった。打ち上げ会場に食事がほとんどないのでこばじゅんとviviちゃんが買い出しに。彼女たちが一番走り回って疲れているはずなのに本当に頭が下がる。数十分するとなんと羊串を大量に買ってきてくれた。

どこにあったの?とおもう。しばらくするとそのお店のおばさんもきた。「串を引き取りに来たんだって」。確かに。でも、そこで買ってもってくるってすごいよね。超おいしかったので「おばちゃんの店に行くよ」。おばちゃんをみると大体店の雰囲気がわかる。2時近くになり一旦締める。ここで解散。行く人は二次会にいくよ、といったら全員参加だった。まあ、ここで帰る手はないよね。ということでにさっきの羊串屋に向かう。ものの2,3分の場所で店構えも期待通り。最初からここでよかったんじゃない?そして二次会。乾杯は続く。かなり飲んだ。かなり語った。千夏が泣いている。きっとうれし涙だろう。よく頑張ったよね。きっとこれからやりたいこと、やらねばいけないことがたくさん見つかった旅だったろう。かばんにはいらないくらいのたくさんの課題と希望を全部日本に持ち帰ってくれ。もっと貪欲に。貪欲であればあるほど千夏の未来は開けるはずだ。

お疲れ様。みんなごちゃまぜになっての宴。だれが日本からきてだれが現地にいるのかわからなくなってきた。気づけば3:30.ホテルに戻ろう。外は小雨が降っていた。タクシーでホテルへ。みんなお疲れだったね。そして、恒例のGQ反省会になる。sakaiの部屋に集合しVTRをチェック。でもあまりにもの疲れか目がよく見えない。コバジュンからかりたSDカードのデータをPCに落とせない。うむ、疲れがピークに来ているぞ。不覚にも寝てしまい、目が覚めるとみんな部屋にかえるタイミングだった。机の上には羊串やらいろいろなものがある。「これってどうしよう。。」sakaiの言葉も聞こえないふりをしてみな部屋を後に。

2010/03/23
8:00.モーニングコールで起こされる。「もう八時か」このツアーで初めての時間。昨日は最後どうなったのだろうか。sakaiの「これどうしよう。。」の言葉の後の記憶が定かでない。荷物の散乱具合からして、部屋に戻ってバタンキューってやつだな。朝食をとらずにゆっくりと片付け。昨日ビデオみていたけれどあまり記憶ないなぁ。とおもいつつ片づけをする。9:30集合。すでに全員集まっていた。sakaiとmasao以外は集合。そしてすぐに出発となる。今日はあいにくの小雨模様。晴れていれば写真を撮りたかったので残念である。10:30.テレビ塔近くでフリータイム。ここからの外灘の景色はとてもきれいだ。お店も何もかもきれいになっている。スタバのコーヒーがなんとなく落ち着く。11:40出発。市外にでる。さよなら上海。またくるよ。

そして12:20空港着。これで今回のツアーも終了だね。そう思いながらチェックインしているとショウさんが現れた。「おお!またあえたね。」彼は彼の仕事で今晩お客さんを迎え入れる仕事があるのだがちょっと早めに来てくれたという。「見送るって約束したでしょ」。そう、彼は約束を守る男だ。うれしいね。ほんと。いい感じで別れを惜しんでいるとここで事件発生。それも重大事件。なんと!ツアーメンバーの一人のチケットの便名が異なっていた。それも一人だけ。。いきさつを話すと長くなるので割愛するが、要は手配の段階でいろいろな変更が入り最終的にでてきたチケットにミスがあったということだ。しかし、発券されたものはこちらで確認の義務がある。それを怠ったのはこちらの責任だ。しまった、とおもった。

最悪だね。まずいね。名前のアルファベットに気を取られて便名までのチェックが行きとどいていなかった。すかさずCAのカウンターに交渉。しかし、満席という。「ビジネスクラスは無いの?」「ない」「ファーストクラスは?」「ない」「ほんとかよ」。無愛想にないといわれると頭に来る。同時に東京側でも座席の確認をするがやはりシステムでみても空席は無いとのこと。万事休すだ。万策尽きて大変申し訳ないが一人だけ遅い便で帰国してもらうことをAlcico側に伝える。今回のホストはGYPSY QUEENなのでミスがあればすべて僕らの責任だ。本当に申し訳ない。

そのときショウさんがいきなり言いだした。「大丈夫。僕が彼と一緒にいます。あと3時間だから一緒に食事をしてチェックインも僕が手伝うので心配しないで。僕のお客さんはもっとあとだから大丈夫」。今回、全然旅行の手配をしていないのに、初対面の人なのに彼は笑顔でそう言ってくれた。その笑顔は空気の重くなりきった僕らをどれだけ助けてくれたことか。ここは大変申し訳ないが、僕にはそれ以上の策はない。その言葉に甘えさせてもらおう。1人残ることになったメンバーは海外経験も豊富ということだがツアーの責任上、「では一人でお願いします」なんて、そんなことでは許されない。ショウさんには申し訳ないが助けてもらおう。「ショウさんありがとう、これで食事でもしていてくれると助かるよ」と言ってそっとお金を渡そうとした。そうするとかれは拒絶した「そんなのいらないよ。僕たちは友達だからあたりまえ。akiさんの友達だから僕が食事を御馳走して時間をつぶすから大丈夫」。そんな言葉が出てくるとは思っていなかった。頭が真っ白になった。友達とはどういうことだろう。僕はこの中国に来てものすごく大事なものをもらったのかもしれない。お金で買えない大切なもの。かたちだけではない、心の友。うれしすぎて涙が出る。本当だよ。本当にうれしいことなんだよ。この国ではいろいろなことがあるけれどきっとこれがすべて。だから僕はこの国を愛するようになったんだ。

でも、こちらの義務も果たさないと、と思う。それでも、ショウさんはまったくお金を受け取ってくれない。わかった。ここは甘えよう。でも次は返させてもらうよ。もらってばかりは好きじゃない。また、君に会いに来た時は一緒に何かをやろう。このツアーの最後の最後で僕等はとんでもないミスをした。しかし、そのミスを埋めてくれたのは中国にできた心から信頼できる友だった。感謝。僕の友達が上海にいくなら、彼を紹介しよう。この信頼できる最高のツアーコンダクターを。結果的に一人残されるメンバーも快く理解してくれた。「一人で本でも読んでいるので大丈夫ですよ、気にしないで下さい」。嫌みの一言でもあってもおかしくないのに。そして、彼らの事務所の和田さんも同様だった。いくらでも文句を言っていいはず。まあしかたがないけれどね。と言い放ってもいいはず。でも、そうではなかった。Alcicoのメンバーも許してくれた。気持ちのいいメンバーと過ごせた5日間。今回の成功はこのみんなの団結感から生まれたんだな。改めてそう思った。また彼らと旅をしたくなった。そして、こんなイージミスは二度としないと。このチャリティコンサートに賛同して参加してくれたみんなとこれからどうしていこうか。僕のやるべき大きな目標がまた一つ見えた。

そして、出国。ここでショウさんともお別れだ。何度もいうが彼は仕事ではない。友人として僕らのサポートをしてくれているのだ。うん、楽しかったな。よかった。いいツアーだった。広い空港をゲートにすすみ、搭乗を待つ。14時。僕らは上海を飛び立った。カウンターが言うように本当に満席。シートに座ると一気に疲れが出てきた。第3章5幕はここで閉じることになる。25回目になった今回のツアー。何だ25回記念ではないか。海外のステージも100回を超えた。でも、まだまだ知らないことややり方を変えていかねばいけないことはたくさん見つかった。新しい気づきもある。いつまでも初心者な僕らであるがその姿勢は保っておこう。人に説明するよりもされた方が知識になる。今はまだ見ぬ中国全土人々との出会いのチャンスを探していきたい。

今回もたくさんの人のお世話になった。開催に向けて最初に大学と話をしてくれた李剛さん、現地で走り回ってくれた陳社長、ツアー中お世話になった劉ちゃん、魯さん。若手の陳さんは大丈夫だったかな?そして何さん。大学の王先生にはまた会いたいね。約束したしね。もちろん学生たちにもね。きっと数年後「翻訳学院でGYPSYQUEENのコンサートみましたよ」という人が出てくるだろう。それはこれからも続くだろう。

そして重慶ゴジラさん。約束守ったよ。

ゴジラさんを愛する重慶のみなさんともようやくここで会えた。野田さんとはきっと何かできるに違いない。成都の王さん、巌さんも準備万端で迎えてくれた。共演した学生たち。きっといい経験になっただろう。別れ際に「日本に行ってみたい」。そう言ってくれてうれしかったな。上海であったこばじゅんネットワークの人々にも今回も助けられた。パワフルな日本人がたくさんいるのだ。ショウさんともこれで老朋友になったな。そしてそして、もちろん17名のツアーメンバーにもお礼を言いたいね。このハードスケジュール、文句も言わずについてきてくれてありがとう。

人の縁。人は人との出会いで何かを始める。何かをやれば変わる。たくさんの気持ちをもらったおかげで出発前よりも気持ちが裕福になった気がする。少し寝て、食事。気づけばあと1時間ちょっと。眼下の雲はなんとなく日本の冬を感じる。

桜は咲いたか。春は来たか。
一足先に中国で春をみてきた。心にもたくさんの桜が咲いた。

このイメージを忘れないようにしよう。ポジティブに次の壁に食らいついてやろう。みんなありがとう。新しい友よ、懐かしい友よ。そしてゴジラさんありがとう。




縁は続いていく。また僕らはこの地に戻ってくる。





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GYPSY QUEEN Road to Asia #25