GYPSY QUEEN ROAD TO ASIA#30
2011/06/01-2011/06/05
Hanoi Rock



転換期を迎えた気はしない。ただ確実に何かが変わった前回のホーチミンツアー。
チーム全体で全力で臨むことの強さを知る旅となる





2011/06/01

帰国後体調を崩し、修正作業に追われ気付くと出発前日になった。帰国直後に現地での報道を送ってもらったりTamさんの仕事の速さや日本と同じペースで物事を考えるやり方などとても好感が持てた時期であった。他にも5月に行ったコンサートの記事がメディアに乗ったり、いろいろ忙しく過ごす。もちろん、今回はmasaoがフルにたたくのでその辺のリハーサルにも余念がなかった。前回の反省点はその規模間をつかめていなかったことにあった。だからそれを学習した今回は小さなミスも許されない。自分たちを追い込む気持ちで、より精度を上げようとする気持ちで準備をしてきた。

そうして出発の日が来た。ここ数日3月の気候のように寒い。先週の帰りの便のCIが寒くて風邪を引いてしまったので今回はジャケットを持って12時に自宅を出発する。平日の昼間は当然ながら混んでいる。それでも有明から高速に乗ってからは快適で13:25酒々井着。ちょっと早すぎたね。ゆっくり食事をして14;10空港に到着した。搭乗便はCI101便。空港は空いていたがこの便は満席とのことで前回の悪夢がよみがえる。機材はまた737、テレビのついていないあれね。憂鬱になりながらもガラガラの空港を進み、あっという間にゲートをこえ、ここだけ混んでいる感じのチェックインカウンターで待機。ここで待つのも何なのでお茶をしていると時間になる。そして、16:25。まずは台北に向かって飛び立った。比較的のんびりと過ごす。今回はnam君が参加できないので友人のlinh君という人にサポートをお願いしてくれた。どんな人だろうか?パートナー次第でイベントの成否にも影響が出るものだ。まあ、会ってみないとわからないことだ。

そして19:17。予定より20分ほど遅れて台北着。今日はここで乗り継ぎ滞在。以前もこんなことがあったね。空港に荷物を1個200NT$で預けてから市内へ向かう。20:30空港でタクシーにのり桃園のホテルへ。高速道路は日本にそっくりで海外にいる感覚がない。ホテルまではちょうど30分で20:50に到着した。500NT$。だから1500円程度か?チェックイン後は食事に。桃園駅付近に行き物色するがあまり店がない。なんだか懐かしい感じのする台北。途中で見つけた店に入り麺を食べる。僕は鍋焼きウーロンメン。なんだかわかる?まあ、太麺のカルボナーラといった感じだ。結構おいしかった。店員も親切だしいいイメージ。やはり人は人を見てそこのイメージを語る。外国人に接するサービス業の人たちのイメージがその国のイメージを作るんだろうね。ちなみにこの麺が90NT$。コンビニのビールは30NT$。中国と比較するとかなり高めではある。23時ホテルへ。部屋でみんなで確認作業。明日早いので1:00には解散。今日はよく寝よう。

2011/06/02
4:30モーニングコール。眠い。外は真っ暗だ。5:20にロビーに集合すると全員来ていた。今回のメンバーはとにかく時間に正確で余計なストレスがなくていい。予約していたタクシーで空港へ。5:50快適に到着。スタートはいい感じだ。第一ターミナルに着き、ふと思う。「そうだ荷物は第二ターミナルだ。。」急いで取りに向かう。救いはこの2つのターミナルの連絡の良さ。上海の虹橋で痛い目を見ているのでかなり心配であったがピックアップチームは順調に動いてくれて結局6:25.チェックイン開始の時間に無事合流。危なかったが早起きの効能だ。でも今後同じ便を使うことがあれば気を付けないとね。

さくっと6:55。チェックインを済ましてゲートに進む。いい感じのレストランがあったのでここで朝食。台湾人は親切だしお店のつくりもきれいでいいね。そしてCI791便。8:25搭乗が遅れて8:55分搭乗。一路ハノイに向かう。ハノイまでは3時間、眠る間もなくハノイだ。機体が高度を下げてくると田園風景が広がり始める。懐かしいね。10:31.ノイバイ空港に降り立つ。ようやく目的地に着いた。長い道のりだった。ノイバイは小さく狭い空港だ。すぐに荷物を受け取り入国する。それはそれで便利だがきっとそのうち大きな国際空港に変わるんだろう。さあ、いよいよハノイ編のスタートだ。Linhさんはどんな人だろうか?Tamさんが迎えに来るのだろうか?ゲートを超えるとまず見えたのがフンちゃんとそして前回の最終日に異常にもりあがったタムラオだった。

フンちゃんはこれないと思っていたので嬉しかった。本職は映像カメラマンなタムラオは前回同様僕らの行程を映像に残して追いかけてくれている。そしてLinhさんとも対面。見るからに頭のよさそうな彼は日本にも留学経験があり今は日本に関する企業で働いているという好青年だった。会った瞬間に安心。さすがNam君の紹介でもある。僕らのテンションも気温と同時に一気に上がる。バスに乗り込み田園風景を市内に向かう。12時ホテル着。LAKE SIDE HOTELは湖畔に立つ四つ星ホテルで窓の外の湖がきれいだ。


荷物を置いて食事に出発。12:15.Tamさんと再会する。ハノイは政府関係者の来場も多いと聞く。いろいろ気遣いも大変だろう。ちょっと疲れ気味のオーラが出ているが僕らに会うときはいつも笑顔のTamさんだった。食事後リハーサル会場へ。街中にはたくさんの木が植えられていて緑豊かな町といった感じだがピンク紫色をした花が気になった。聞いてみるとバンランという花だそうで日本にはないという。町中に咲いていて華やかな感じだった。

13:40.通りから一本裏に入ったところにリハーサル会場はあった。まさかここがライブ会場じゃないよね。というギャグも言えるくらいな感じ。ここは音楽学校らしく、懐かしい感じのスタジオがあった。ちょっとカビ臭いところもスタジオっぽいね。さっそくリハーサル。H2Qが到着していないのでどうしようかと思ったらプロデューサのハンさんが代わりに歌う。そして歌ってみると結構うまいぞ。そしてしばらくしてH2Q到着。やわらかい笑顔。ホーチミン公演を終えた後だからかなんとなくのんびりした顔である。

GQが新聞に出ていたということでそれを持ってきてくれた。リハーサルハスタート。数曲やった時に「AKI!」と何やら深刻そうな顔をして話しかけてくるH2Q。「なに?」。Linhさんによると今からもう一曲追加してほしいという。メドレーの間に一曲追加したいというのだ。答えはもちろんYesだが少し時間がほしい。

「10分くらい休憩していてくれる?」というと「GQ風にROCKでやってほしいので自由に演奏してほしい」といって控室に消えていった。とりあえず数回聞いてみてイメージをつかんだ後コードに落とす。ちょっとだけだけれどアレンジをしてやってみる。まあ、完ぺきではないが付け焼刃としては十分。まずはOKと思いH2Qを呼び出す。何とかなったができなければその先はない世界。そして、それを当り前のようにこなすことがGQの存在意義でもある。

そして、RHは続きH2Q的にはOKという感じがでて17:10終了。すぐにバスに乗り移動。17:20ホテル着。すぐに集合して17:40から夕食。そして18:30部屋にもどって19:30RH開始。こうして時間を書くとそのめまぐるしさがわかる。働きアリなみのペースだ。そんな機敏な行動の結果でもあり準備は万全ということで早々と今日の作業を終える。さあ、ハノイの町へ。20:50ホテル近くの屋台に向かう。とにかく暑い。ホーチミンほどではないがそれでも暑い。ここではビアハノイを飲む。うまいね。活気にあふれる街は屋台で飲み楽しむグループでいっぱいだ。この元気さがアジアだ。ローカルな屋台なのでメニューが全部ベトナム語。しかも英語もまったく通じない。せめて食べたいものの名前は覚えておこう。ここベトナムではいつもとっても優秀なサポーターがいた。だから直接交渉しなくても話ができることが多かった。その成果なかなか言葉が身に染み込んでこない。

中国では僕ら以外誰もいないことが多いので中国語ができないとどうしようもない。ベトナムではその分音楽に専念できる。が、こんな時は困ることもある。とはいえお酒は万国共通の言語。歌の次に威力を発揮するコミュニケーションツール.machaの仕切りもありいい感じで過ごせた。23:00ホテルにもどる。朝が早かった分今日は早々に解散だ。

2011/06/03
6時起床。よく眠れた。7;30朝食に向かったが誰もいない。しまった1時間間違えた。ということで8:30過ぎにミーティングのみ参加。9:30ホテルを出発し会場に向かう。今回の会場は越ソ文化宮。文字通りロシアの協力で作られたホールだ。会場に到着するとその立派な構えに驚かされる。ハノイで何度か会場案としてここの名前が出ていた。そうかこういうところだったのかと思う。会場には大きなバナーがあり巨大なGQがいる。っしてH2Q。それを見るだけで気合が入る。ホールに入ると懐かしい面々が握手を求めてくる。ダンサーのチーフ。舞台監督などもうみんな仲間だ。僕らも気兼ねせずその中に入っていき、セットを始める。

サウンドチェックは順調に進み12時に終了。ランチに向かう。すでにかなり食べ過ぎているのであっさりとPhoが食べたいというとNgonの横にあるおいしいPhoの店に連れてきてくれた。フランスの面影を残す建物。普通に来たらここで食事をしようとは思わない場所で絶品のPhoを食す。うむ、本当においしかった。ホテルに戻り午後は15:30に出発という。体調はあまりよくなくとりあえず抗生物質を飲み寝る。

なかなか戻らないのは体力が落ちてるからか?そこに元気の伝道師、笹川さんが到着。今までもたくさんのツアーを見てきてもらった人。もちろん厳しいときが多いツアー。その中でも今回は格別なツアーとなっている。だからこそ見てほしかったので本当に感謝だ。まずはハノイの町を感じようよいうことでみんなで近くのカフェに歩いて向かう。Vivi cafeというなんともタイムリーな名前のカフェを発見してそこでお茶をすることに。僕はカフェスダ一本だがフレッシュジュースがおいしいという。日本と比べてかなり濃厚な味であるらしい。束の間の休憩といった時間だった。笹川さんに元気をもらったね。18時ホテルを出発。夕食を取った後会場へ。

ここで初めてH2Qとステージのアクションの合わせを提案してみた。ダンサーと動きを合わせているのだからそれは簡単なことだ。何よりも一緒にアクションを合わせることによって、より一体感が出ると思った。やらされているのではなくて一緒にステージを作りたい。そういう思いがあった。ROCKのアレンジは僕らは強い。その強みを活かさないとね。ステージ進行の出入りのタイミングもLinh君がばっちり抑えている。そして僕はMCのベトナム語にチャレンジ。今回も挑戦に満ちている。昨日からずっとLinh君に根気よく付き合ってもらっているMCの練習。だからこそへたくそなりにちゃんとやりたい。カンペを見ないで本番でできるようにしていきたい。

昔、ラオスに初めて行ったとき、チャンパーの花の歌を教わった。あの時も真剣に何度も何度も僕の歌を指導してくれるラオスの役人がいた。おかげでコンサートは大成功。そしてものすごく盛り上がることができ、そこから僕らのラオスは始まった。これも一緒だろう。本番ぎりぎりまであきらめなければ悪い結果にはならない。そう信じて、そうLinh君も信じてくれているからこそ頑張ろうと思う。その後もリハーサルは順調に進み23:10終了。いいペースだ。23:30ホテル着。ホテルについてからはまたもや屋台へ。

大変なスケジュール感。しかし氏神さんも今回初参加だがこのベトナムのペースに合わせてくれている。みんなのテンションは高い。チームワークもいい。ホーチミンの壁を乗り越えて今、走力で明日の本番に臨もうとしている。頑張ろう。H2Qのために、僕らのために。今日は学習機能で食べたいものをベトナム語で言えるようになった。これも小さな一歩に代わる。1:30ホテルへ。明日の準備をして2:30就寝。

20011/06/04
7:00起床。足が筋肉痛だ。昨日そんなに動いたかな?外は快晴。今日は時間を間違えずに集合時間にレストランへ向かう。体調はいまいちで何とかしないと焦りも出てくる。8:30にミーティングを兼ねて朝食を済ます。その後昨日のRHのテイクをビデオで確認。あとは僕がMCを覚えればいいところまで持ってこれた。とにかく覚えよう。本番はあと数回やりたいくらいの仕上がりになっている。今日が最終日とはなんとももったいないくらいの気持ちだ。

午後はようやくやってきたフリータイム。ハノイが初めてのメンバーの多いので旧市街に向かう。という僕らもツアー中にフリータイムはほぼないのでホアンキエム湖周辺にいくのは初めてだった。旧市街はとても雰囲気がよくその混とんとした感じはかなりよい。ちょっとおしゃれな感じの店でランチをとる。ダチョウのステージがおいしかったがこれは別にベトナム料理ではないよね?

そして湖が一望できるカフェへ。かなり熱いのでばて気味でもある。ココナッツアイスがのどに気持ち良い。その後、思い思いに買い物をしてみんな大満足。ホテルにもどり17:30いよいよ本番に向けて出発だ。会場まわりの装飾は出来上がっている。入り口付近も物々しい雰囲気だ。18時から僕らのサウンドチェックを行っている横でスタッフがバタバタと走り回っている。

この全員で盛り上がる感じが急成長の秘訣なんだろうか。すべてにおいて全員一丸なのだ。僕らも見習わなければいけないところがたくさんある。ドライにやるよりもこうして一体となってやる強さ。これは本当に強い。僕らにもそれはあると思う。ただ、この国の団結力に比べたらまだまだだ。こういう時は一体となって戦うほうが強い。ある意味うらやましいと思う。そして僕らにとって幸せなのは今目の前にいるこのスタッフたちがこの国のエンタメの発展を担っているということだ。変化の時代の証人になれたことに感謝したい。19時にLinh君にせかされて夕食へ。Shinonはヘアメイクに入ったまま出てこないので一足先に行く。

ここでふんちゃんのお母さんもスタッフとして登場。ベトナム人は物怖じしない。てきぱきと仕切っている姿はまるで旧知の友人のようだ。ようやくShinonが戻ってくると完ぺきにベトナム人メイクに仕上がっていた。shinonの髪形はなぜか僕に似ていた。しばらくするとマイちゃんのお母さんが来た。Dinh君のお母さんも一緒。Linh君が「姑さんもきました」となんとも難しい日本語を知っているのですごいね。と盛り上がる。それにしてもこうしてお世話になった人と再会できることは本当に僕らの力になるんだ。テンションも上がってきた。というか最高潮だ。

そして、20時。満員の観客を抱えた文化宮の幕が上がる。ここで結果を残して帰るのだ。イントロダクションのあとH2Qが登場。ホーチミン同様豪華なショウは始まる。僕らもそでにスタンバイ。いいステージにしよう。気負いはない。やりきるだけの気持ちはもう整っている。早くステージに出たい気持ちを抑えてステージを見守る。そして、僕らの出番だ。Linh君と握手を交わしステージへ。H2Qが「GYPSYQUEEN!」と呼び込む。観客からもGYPSYQUEENと声援が来る。ステージは始まった。ホーチミンの経験を活かしてH2Qとの絡みを多少なりとも増やした今回のステージ。きっと終わった時にそれを彼らは学ぶだろう。

ROCKのパフォーマンスについては僕らが一歩先をゆく。それを伝えられればいいし、あとはH2Qがベトナム国内に拡げてくれるだろう。伝道師になれればいい。それが日本人としての使命でもあるのだ。ShinonとH2Qのデュエット「BRAVE」で会場は盛り上がる。日本の大震災を心から心配してくれていた彼女が心を込めて歌うバラード。サビでは日本語で歌うことになって苦労していたH2Q。でもこの日のステージでは完璧な発音で歌いこなしていた。GQのコーナーになり、今回用にI hope soとAlfred&Juliaをメドレーにしたバージョンを披露。このグルーブ感と日本風なバラードの組み合わせは会場にも評判がよかった。

そして、氏神一番登場。歌う曲は「希望の道」。地震の被災者の方への応援歌。そのベトナムバージョンもできたこともあり今回参加してくれた。いつまでも忘れられない大惨事だからこそ伝えていきたい。そして復興への道を世界中の人々に見てほしいと思う。その後一度楽屋に戻り次のブロックまで待機。進行もよく見えているので気持ちも楽だ。さあ、後半戦だ!

ミュージカルのような素晴らしいショウ。そこにはバンドの要素が全くない。それはきちんと監督に計算されつくされており、お互いのマイナス要素を生み出さない。それは全体の流れを作るうえでとても重要だ。何一ついらないものはない演出。高度なことであると思う。次のブロックで再びH2Qとの絡みを作る。ダンサーの流れについていこうという作戦。難易度は高い。ミドルの曲から急きょ追加した新曲を含め5曲。新曲は二日間でまあここまでできれば合格点だろう。Honeyはモロにアレンジをした曲。GQサウンドバリバリだがとても気に入ってくれていてうれしい。

お客さんからもGYPSYQUEENコールがでる。もうH2Qバンドファミリーなのだ。そしてまた一度戻ってH2Qのダンスナンバーのあとベトナム民謡のバラードコーナー。ここではmachaのアコギが光る。ピアノとのコンビネーションもいい。一瞬バックステージに戻り最後のセクションを待つ。気持ちが入ってきた。今さらか?いや今まで以上に何か感じたことのないフィナーレを感じている。充実感か?みんなでやりぬけたからか?まだ終わっていないので気を抜いてはいけない。

でも、あと20分後の光景が何となく予測できる時間帯になった。「GYPSYQUEEN!」。H2Qに呼び出されて我に返る。Linhさんが「akiさんでてください!」とせかす。最後の出番がやってきた。一足先にステージに乗ったmachaを追いかけるように出ていくとH2Qが紹介をしてくれた。そのまま弾きまくってバンドの紹介コーナーを構成する。

この最後のGQのメンバー紹介の企画もこちらに来てから急きょやることになったのでHCMCでは多少なりともぎこちなかった。しかし、やることが見えれば修正はできる。付け焼刃とはいえ、結構コンパクトな紹介コーナーを作ることができた。Linh君から合図が出てH2Qのスタンバイが終わったことが伝わる。僕らのコーナーを終えてそして最後の2曲。「Tinh yeu maimai」と「Anh」のフィナーレに突入する。

グリーンの美しいドレスのH2Q。絶対にミスはゆるされないこのバラード。慎重にと思うが慎重に弾いてはH2Q相手には役不足。全力で弾くことにした。このまま死んでもいいと思うほどの気持ちを込めて歌った2曲。それに合わせて気持ちを込めて弾いた2曲。悔いはない。HCMCからHANOIへ。メンバースタッフ全員の全力をかけてH2Qのステージを成功させようという一心で過ごしたこの期間。全員の気持ちは届いた。そのはずさ。コンサートは終わった。


フィナーレはH2Qが花のブランコに乗っての演出。全員がステージにでて観客に感謝のあいさつ。感動的なんだよねココ。H2Qの最高のスタッフ陣が思いを昇華させる場がここにある。思い思いお互いを讃え、最高の笑顔を振りまき名残惜しい時間を過ごす。楽屋に戻る。Linhさんもフンちゃんも最高の笑顔だ。うれしいね。22:40.この会場は全員が同じ気持ちになれている。そして少し冷静になり荷物をかたずける。次のステップに向かうために心を切り替えていく。今は大切な時間。次への道の始まりはこの会場の外に出た瞬間始まる。大成功だからこそ次への道をスタートさせるのだ。場外にでると帰宅客から「GYPSY QUEEN!」と声をかけられる。ここ数年ベトナムでの活動を増やしてきた。これからも増えるだろう。覚えられないとね。そしてもっとがんばらないとね。

23:00打ち上げ会場に。ここで飲むビールはうまい。H2Qはやりきった後のお疲れモード。本当にすごいことをやってのけたよ。今日はゆっくりしてほしい。いや数日お休みをあげてほしいね。24時。H2Qチームと別れてホテルへ戻るバスに乗り込む。「みんな!おつかれ!」。無事終了。最高のツアーメンバーと過ごすことができてよかった。感謝の言葉しか見つからないね。ありがとうみんな。1時。屋台ももうないので部屋に集合。反省会兼打ち上げの続き。そこにハンさんが今日のビデオをもってきてくれた。ベジタリアンでお酒も飲まない彼。きっちり&正確な仕事っぷりは本当に素晴らしい。代わりにRECORDING DATA渡す。僕らの次のステップへの一歩になる素材だ。

みんなでVTRをみる。このステージ、間違いなくベトナムPOPに影響を与えたと思う。H2Q、次が大変だぞ、とちょっと他人事のように思う。この形式をやり始める人が出るだろう。「H2Qのステージのように」。そう言われるようになる。そしてみんな成長していくのだ。日本も昔そうだったように。そして、僕らの心の中にも大きなものを残してくれた。03:10終了。荷物を片付けるために部屋に戻る。体調は結局まったく回復せず最悪だが、気分は最高。でも部屋に戻った途端最悪のほうが優勢になってきた。何も手につかない。こんなことはめったにないが今日はそのめったな日なんだろう。まずいね。今日はもうねるよ。

2011/06/05
6:30起床。ほとんど寝れていないのでキツイ朝。無理やり起きて窓を開けるといきなり熱気が伝わってくる。7:30に朝食に行くとmasaoとサムライが先に来ていた。今回のツアー、禁酒中のmasaoがとにかく朝食一番乗りだった。酒を飲まないということは健康に良いということを実証してくれる。そして、二日酔いの僕。まずいね。8:30の集合時間には全員そろっていた。忘れ物を持ってきてくれたタムラオ。そしてLinh君とも今日でお別れだ。空港に向かう道。なんとなくHanoi市内がわかるようになってきた。次はいつくるのだろうか?どんな会場でやろうか?空港までの約1時間、そんなことを考えて過ごす。大きな橋を越え市内から抜け出すと街道はいきなり田園風景だ。ノイバイ空港に到着。荷物を降ろしチェックインへ。重量も予定通りで登場口に向かう。ここでLinh君ともお別れ。本当にいろいろ御世話になった。こんなにも短い期間でこんなにも信頼関係を作ることができたということは本当にすばらしいことだと思う。

10時前なので買い物をしていつものカフェに集合。カフェスダもここでしばらく飲み納め。店の照明の暗さもあるかもしれないがなんだかみんな寂しそうだ。そして11:35.CI792便で台北へ飛び立つ。Xin Cam on Ho Quynh huong.帰りの分は結構すいていた。ここで帰国後の報告資料やtodoをまとめる。記憶の新しいうちにやることをやっておきたい。およそ3時間のフライトで台北へ。台北はもう慣れたものでトランジットのためのターミナルの移動などもスムーズに行く。ターミナル間はトレインで行くのだが結構便利。日本でも導入してほしいね。そして、ゲートに進み16:35.CI106便にて成田へ向かう。これは前回のホーチミンツアーでも同じ便だったよね。搭乗後、なかなか移動しない。どうしたのか?と思っているうちに転寝をしてしまい、そのままなんとなく飛び立つところをかすかながら覚えている。目が覚めると、もうすでに空の上にいた。

第三章10幕はここで閉じることになる。
起承転結で言えば第三フェーズが過ぎたことになる。しかしこれは「転」であったのか?次から「結」のフェーズになるのか?そうではない。これは単に言葉あわせだ。きっと「起」や「承」を意識したときはそうであったのだろう。そう考えたかったのだろう。そして「転」のフェーズになったときに思えば前回あたりからその考え方は変わってきた。まだまだぜんぜん「転」ではないということ。今回のツアーを振り返ればその内容のハードさもあったがいろいろなことを考えさせられる旅であった。ポジティブな意味においてだが、この旅に求めていたものは結局自分が音楽に何を求めているかの答えにも等しいと思った。

人は生き続けることが許されるから歩みを止めない。それは生きていく事が出来なかった人への祈りを続けること、共に歩めなかった仲間の鎮魂の旅でもある。誰もが何もかも許されるわけではない世の中。生きることさえ保証はされていない世の中。先のツアーでともに旅をした若いシンガー渡部美彗に祈りをささげ、そしてその分も含めて次に進もうと思う。生きている限り何かをして進まなければならないのでありそれは僕らにとって音楽であるのだ。仲間を失うことは悲しい。共に歩むというこの尊いことがどれだけ重要かは失った時にわかる。

この悲しみは言葉では表せない。だからこそ前に。だからこそ時を前に進めるためにアクションを起こしていかねばいけないと思った。生きていくことに対する意義。それは僕が音楽に求めていることであるかもしれない。チャリティを始めたのもそういった理由かもしれない。やるなら絶対に形にしたい。気持ちだけでは足りないと思う心からとにかく形にすることにこだわる。いいときも悪いときもある。ただ、そうしているうちにつながった新しい世界。一年前には思いもしなかった関係が今ここに広がる。改めて思う。まだまだ先は長い。またまだたくさんのやることがある。
今日のやりきった気持ちが明日の足りないに変われる自分でありたい。

GYPSY QUEEN ROAD TO ASIA#30
2011/06/01-2011/06/05
Hanoi Rock