GYPSY QUEEN ROAD TO ASIA#29
2011/05/18-2011/05/23
Pray



日本GYPSY QUEENとHo Quynh Huongの歴史がはじまる。これから起きることの成功を祈ることはもはや自分たちのためだけじゃない。
そして、先のツアーでの仲間の追悼の想いをこめて僕らは前に進む。





2011/05/18
AM5:00起床。あまり眠れていない日々が続いたせいか頭痛がひどい。用意もそこそこに5:30に出発。幸いに爽やかな朝。まだ町は眠っている。前回、震災の直後の出発で運転中にも余震があり不安なスタートだった。朝日を横目に高速を走る。順調にすすみ7:10酒々井に。ここで恒例の朝食。結構ゆっくりできた。そして8:45空港着。全員集合していた。今回初参加のキーボードチームのサムライとみわちゃん、そして別便で現地集合の和僑会の永川さんとドラムの工藤ちゃん。現地にはすでにナム君がスタンバイしている。そして、遅れてoneasia Projectの渡辺さんも合流する。総勢13名の大所帯だ。

搭乗便は満席とのことでエージェントからは「早めにいかないと乗れないこともあるので」といわれる。そうかチケットを持っていても乗れないことがあるのか。それは大変だ。ということで2時間ちょっと前に集合となったのである。チェックインもスムーズに進み予定通り満席でみんなばらばらだ。今回は最終調整でmasaoのトラブルもあり急きょ半分の曲を工藤ちゃんにサポートしてもらうことになった。直前の変更でもあり進行を含め打ち合わせしたいことは山ほどある。そして、現地サイドとの連絡の変更や調整も含め久しぶりにどたばたのスタートとなった。CI107便。9:40のフライト。最後尾の席ということもあり揺れる&狭いということでベトナム航空の座席の快適さとは異なって辛かった。ベトナム航空がよかったなぁ。まあ手配の関係もあり今回はCIに乗ることになりこれは致し方ない。台北経由ということで3時間狭い座席に我慢をして12:10台北に到着する。ここで1時間ちょっとのトランジット。考え方を変えると途中で体を伸ばす時間ができてよかったななどとむりやりポジティブに考える。そしてCI783便へ。トランジットで13:55発。これは機体も大きく機内もがらがらでゆっくりできた。悪くないね。

さて今回のツアーだが、もともとは昨年のベトナムフェスでのHo Quynh Huongとの出会いから始まった。毎回海外のアーチストと共演する時は楽曲についてはGYPSY QUEEN側が主導権を勝手に持ち、僕らなりのアレンジを行って演奏する。もちろん、事前の確認は取れないので彼らも日本にきてリハーサルを行うまではそのテイクを知らない。ただ、ベトナムのようにカラオケが主流だったり、バンドというと昭和の時代のバックバンド的なものが多い中、わざわざ日本まで来て同じことでは申し訳なかろうと、プラス思考的に考えて、アレンジを勝手に行なわさせてもらうのでプラス思考の賜物とおもってほしい。そして、それは毎回各国のアーチストの関係の中で非常に評判がよかったりするのだ。自分勝手なアレンジをするわけではなく感覚的に1歩半先を見て手を加えたものを。そう考えてアレンジすることにしている。あとは現場で会話をして詳細を修正をし、最終バージョンにもっていくのだ。

そこで気に入ってもらい彼女の行う大規模ツアーのバックの仕事を依頼されたという流れだ。全貌はここに来るまでにはよく分からなかったが、国家的な仕事ということもあり、そしてわざわざ日本からバンドを持ってくるというくらいの大掛かりなものであることは理解していた。本当に大規模であることであるとおもう。数日前に会場の装飾プランを見せてもらったが超豪華。それに見合うプレイをしなければならないと自然に緊張感が増してくる。今回のコンサートはエンタメ要素の高いショウとライブパフォーマンスに分かれる。そのライブの部分を僕らが担当することになった。

曲数は16曲程度なのでそう大変ではない。ただ、これでよい、というゴールはなく、彼女の要望を想像しながらリハーサルを行っていくということはそれなりに大変であった。この複雑な作業のハブの役割をしてくれたのはnam君だった。VYSAの学生とはかれこれ数年間の付き合いでDUCくん、MAIちゃんなどとっても大切な友人もできた。昨年のVYSAの窓口ということで出会ったNam君だが彼もまた非常に優秀で何よりもエンタメに強い。まるで敏腕マネージャーがごとくどんどん話を詰めていってくれるのだ。こういう若い才能があふれるベトナム。すごいぞ。

そうしているうちにあの3月の大震災が起きた。その時はこのツアーもどうなってしまうだろうというくらいの激震であった。しかし、その後ベトナムから寄せられたのが日本応援の歌。僕らのつくった「希望の道」を震災の支援歌としてレコーディングしてくれた。これは自分が作った曲とかそういうことではなく、歌ってくれているのが僕らと共演をしてくれた人たちが中心になってくれている。それが嬉しかった。出会いは永遠の財産。歌い手がなぜこのキャスティング?ということは容易にわかる。

ラムチューンのマネージャーでありお兄さんであるLOCがGYPSYQUEENへのメッセージとして集めてくれたのだろう。歌を聞けば彼らの笑顔が見えてくる。日本頑張れ!そんなメッセージが伝わってくる。H2Qも共同作品BRAVEを震災の被災者の応援のメッセージをこめてうたってくれている。2曲の応援歌。それは交流の果てに生まれたもの以外何物でもない。それがイコール成果であり、今までの実績なんだろうと思う。

そして、渡航まであと2週間とせまった5月6日。突然の訃報が届いた。先の中国ツアーで一緒だったシンガーの美彗が上海で事故で亡くなってしまった。地震の影響、ベトナムの準備、チャリティコンサートの準備、そしてこの事故のこともあり、疲弊し切っていたといってもいいだろう。しかしH2Qには関係ないことだ。彼女も、自分の歌手生命をかけた大本番を目前にしている。出発前日。メンバーの一部は美彗の追悼に向かう。そして今日ベトナムに向けて出発となった。そういった事情も含め疲れ切った体を何とか前に向かせなければならない。まずは体力を回復させなければだ。到着してからの準備をしていると15:55雲の切れ間からHCMCみえてきた。久しぶりだ。半年前と変わらない、切り替えよう。今日から切り替えていこう。

そして、16:20。タンソンヤット国際空港に到着。日本時間だと16:20。丸一日移動でたどり着いた。いよいよ始まる。空港に降り立つととにかく暑い。大丈夫か?最近中国で寒い思いが多いのでこの暑さは刺激的だ。この非日常的な暑さがあの時の自分に戻してくれるに違いない。そうだ、前回のホーチミンのコンサートの時のようなテンションに。空港から出国するとman君が笑顔で迎えてくれた。そしてTamさん。懐かしいぞ。スタッフのフンちゃん、ビデオカメラマンのタムラオなどスタッフを紹介される。本番の準備が大変な時なのに大勢で来てくれて感謝である。僕らは用意されたバンにのりホテルへ。市内は相変わらずバイクまつりだが道がきれいになってきていることは驚きだった。ずっと続いた工事の結果だね。そのせいか市内までもスムーズにいった。

宿泊先のNEW EPOC HOTELに到着。こちらでは「エポホテ」って発音。語尾を発音しないのがベトナリッシュである。部屋に荷物を置き夕食へ。ホテルの最上階のレストランに向かう。今回は前回の反対ですべての仕切りをTAMさんが行う。その行き届いた対応は本当にびっくりである。いろいろ準備状況や本番のことチケットの売れ行きなどを聞かされる。準備は万全といったところだ。食事を終えてそのあとはNam君の地元の友人と飲みに行こうということになった。こういった交流がいろいろ情報源となる。


出かける前に1時間半ほど楽曲の確認をして21:20出発。市内からちょっと離れた屋台街に行く。山積みのドリアンにビビりつつ、いった屋台は地元のお店。ウズラの孵化した卵などちょっと怖いのもあったりするがそれも楽しい。気分もすっかりベトナムモードになり大満足でホテルへ。いよいよ明日からだ。がんばろう!時間を見ればもう24時。ホテルの周りは何もなくコンビニ探索をしたがあきらめて部屋に戻ることにした。日本時間だと2時か。もう寝よう。明日は早い。

2011/05/19
6:00起床。朝のバイクのクラクションで目が覚める。7:00朝食。見晴らしのいいレストランからは遠くにホーチミンの中心部が見える。天気は最高だ。ということは暑くなるね。朝食を兼ねてのミーティング。これは毎回の恒例。今日一日の予定を伝える。両替をすると1万円で200万ドン。1万ドン50円という計算だ。単位を間違えないようにしないとね。8:00にホテルを出発し、ダイアモンドノアールへ。H2Qの会社であり社長はTamさんだ。ホテルから10分ほどでたどり着く。そこは細い路地になっていてベトナムっぽさ満点の場所にある。細い階段を上り2階にいくとそこがスタジオだった。撮影もできるように照明機材なども充実している。しかし防音はしていないようで、本当にここで音を出しても大丈夫なの?といった感じだった。

まあ、気にしても仕方がないのでそのまま準備を始める。空港に到着した時にビデオを回していたタムラオがバイクでドラムセットを持ってきた。この国はなんでもバイクに乗せる。そのうちプロデュサーのタンさんや懐かしいスタッフ陣が集まりH2Qも合流。自分の中のテンションが上がってくるのがわかる。よし、もっと上がってこい。9:10RH開始。最初は緊張気味の初参加メンバーもH2Qの歌にどんどん引き込まれていく。電圧が安定していなくて途中なんどかアンプが落ちたりはするがRHは無難に進行していく。アレンジに不安はあったが想像通り彼女は僕らにGYPSY QUEENなりのバージョンを求めていた。これは来る前から、最初からどっちだろう?と判断がつかなかったという点でもあった。何を求められているのか?その答えが出た。GYPSY QUEENの音楽とH2Qの音楽。その融合が今回のステージの中心に座る。僕らなりのアレンジをもとめられていたのだ。

だから「この曲はGYPSY QUEENはどうやってくれるの?」と嬉しそうにこちらを見る。ただ、申し訳ないことに全曲アレンジするには至らなかった僕らの実力。ありきたりの誰にでもできる演奏で済ます曲も多い。残念だ。彼女の意向を読み切れなかった。相手の考えを感じ取って仕切るのがプロの仕切り屋だとすればぼくらは甘い。演奏はできてあたりまえで、できたあとがスタートなはずなのにそこに手を出せていない曲が半分を占める。これなら渡航費もかからないベトナムのバンドを雇った方がどれだけましか。できない自分たちにストレスをためる。午前中はなんとかこなしランチタイム。このあとの時間にどれだけ修正できるかだ。食事をとりに行く時間は無駄なので弁当でもよかったが連れて行かれるままにバインセオ屋に。以前hienThucとこの店に来たかもしれないね。食事中もいろいろ考える。全部はやりきれないので、どれを修正してそれをスルーするか。相手の要望にこたえられるのはどこまでだろうか。

「午後もRHをやりますか?」とフンちゃんにきかれたので「もちろん」と答える。H2Qは衣装合わせということなのでかえって好都合だ。僕らだけで変化させていかねばと思う。しかし、スタジオに戻るといないはずのH2Qがいた。演奏を始めると歌い始める。ずっと歌いっぱなしの上に、これは僕らの修正RH。それに付き合ってくれる彼女はすごい。というか歌うことをまるで空気を吸うようにこなす歌姫。結局彼女が歌ってくれたおかげで修正箇所も見えやすくなり、ミニアレンジではあるがようやく曲の体裁が整ってきた。ここでこの日はタイムアウト。一度ホテルに戻り1550。会場のLANANHに向かう。ホテルから車で5分程度のところにあり今回のツアーはこのエリアで過ごすのだなと感じる。

会場に入ると屋内スタジアムのようで、すでに音響はおろか照明まで完璧に出来上がっていた。通常のアーチストがこの会場を抑えるのは2,3日とのことだが、今回は一週間抑えているという。それだけで彼女たちの意気込みが伝わる。会場のセットについて監督ともめる。なんとベースとドラム、ギターとキーボードを左右の一番前の張り出しにセットされているのだ。こんな場所で弾かされたらまるで見世物。ベースアンプの位置を修正してもらう。監督の意向もあるようだが僕らはロボットではない。ベースを弾く以上自分のベストのポジションで弾く。他の楽器陣にも伝えた。「納得いく場所にセットしていいよ」と。これは戦いだ。いいステージを見せるために最高の環境をつくらなければならない。だからこそこだわるところはこだわる。

そしてサウンドチェック。なかなかそれぞれの楽器が立ち上がらない。現地のペースを待っていてはだめだ。自分から進めないと無駄な時間が過ぎるだけだ。ステージの広さもありどうしても声は大きくなる。中国式だね。そうしてなんとか夕方音がまともに出せるくらいな環境になった。しばらく休憩をしているとH2QとTamさんが楽屋にやってくる。なにやら深刻な顔をしている。何か変更があるのか?とおもうと僕らを心配してだった。H2Qはいう。「セッティングについて監督が何を言ってもAKIたちは自分たちの一番やりやすいようにやってほしい。どんどんいってほしい。変えてほしいところはないか?監督はベトナムのやり方をするから遠慮しなくてAKIがやりたいようにやってほしいんだ」。そういう彼女。

とりあえず納得いくポジションにできていたので大丈夫だよと答えると本当に大丈夫かという。このコンサートで一番重要なのはGYPSY QUEENとのコラボレーション。だから少しでも妥協してほしくないというのだ。この言葉には発奮された。反面ものすごいプレッシャだ。このコンサート。彼女の人生をかけたコンサートのメインは僕らとの絡みだと言い切る彼女。それに見合うことは僕らはできているのか?いやまだできていない。いえることは「がんばる」それしかない。それでも彼女の気持ちを知れてますます燃え上がってきたことだけは確かだ。

そのころOneasiaVNのLinhさん登場。奥さんを連れての登場だ。この前会ったのは昨年の8月。今度子供が生まれるとのことでみんなに冷やかされる。温和な笑顔はみんなを和ませてくれる。大切な仲間だ。休憩時間に会場付近を散歩。このLANANHというエリア自体がアミューズメントスペースになっており、レストランなども並んでいる地区だ。その中心にこの屋内スタジアムがあり4000人収容できるという。いい場所だね。今まで知らなかった。

そして、H2Qを交えてゲネに入る。17時開始。Qだしのタイミングや入れ替えのタイミング、初めて見るダンサーとの絡みも含めてRHは進む。舞台効果はすごい。コンサートの全貌が見えたのはここに来てからのことだがものすごいセットである。最近の欧米のアーチストのショウがごとく7回のコスチュームチェンジを含め、特別効果の嵐、入り乱れるダンサーたち、そしてバンドといったエンタテイメントだ。こんな内容のものをベトナムで見たことがない。まさしく今のベトナムでは最先端、最高峰のものに間違いない。ここまできているのかベトナム。それともH2Qが新しい時代を作り始めるという第一歩なのか。そしてプレッシャーはますます大きくなる。納得いくまでということで結局22時。バンド側のRHは終わる。H2Qはまだまだステージで歌っている。いったい何時間歌い続けるのか。彼女からあふれる気迫に圧倒され、日本であったときとは明らかにパワーアップしている姿にただただ感激し、「成功のために何でもやろう!」という気にさせられる。そんなオーラのあるシンガーにめぐり合えたことに感謝だ。

22:30僕らのみ先にホテルへ。気が引けるが役割をきちんとこなせればいい。Linhさんとの再会でもあるので一緒にPhoを食べに行く。ベトナムの夜食はやはりPho。ヘルシーだよね。そして333.これでベトナムはOKだ。24時。ホテルへ戻る。今日の反省会をして部屋に戻る。快適な部屋。いい感じだ。メールチェックをするとラオスからメールが。すばらしいプランの打診だった。なぜかベトナムにいるときに新しい話が舞い込むことが多いね、以前もそんなことがあった気がする。これも明日の朝みんなに話そう。

2011/05/20
6:30起床。今朝もクラクションの音がうるさく目が覚める。8:00食事、今日の予定を説明。長い一日になることを伝える。とはいえみな元気だ。H2Q効果であろうか。気迫はたっぷりな感じだ。9:00ホテルを出発。フンちゃんが今日も元気良く迎えてくれる「aki!AreyouOK」、うん、元気出るよ。会場入りして9:50から午前中のRH。とにかく恐ろしく蒸し暑い上に照明の暑さでとんでもないことになっている。危険な現場だ。今日は空調が入るかなと思っていたがその期待も外れてステージにスタンバイするだけで暑い。昨日もろもろトラブルがあったが今日は解消されていて、RHに集中。暑さを除けばベストの環境だ。一通り進行を確認してランチに向かう。

06年にきた「Ngon」という店。統一会堂すぐのいい感じの店だ。ぼくらが暑い暑いというからだろうか。空調の利いたVIPルームを用意してくれた。ここでもおいしいフォーを食する。午後は政府の検閲のステージ。本番同様のステージということで衣装を着て臨む。エアコン効いていればいいなぁと思う。が会場に再び到着すると搬入口は今朝と同じく全開で扉は開いており、上半身裸のスタッフが談笑している。だめだな。エアコンは諦めよう。控室に入ると僕らの控え室と政府関係者の控え室は一緒ということでここでも交流。最長老ということで永川さんが対応をしてくれた。こういう相手がえらい人の時は本当に助かる。

それにしても検閲を受けたうえでステージがあるというのはブルネイの王室コンサート以来だろうか?早速ステージにあがり会場の審査員に一礼をしてスタート。みんな衣装でといわれていたがH2Qは普通の格好だった。ということで僕も後半はジャケットを脱いで暑さをしのぐ。GYPSY QUEENのコーナの検閲もあったが無事通過。ここを通過しないとステージができないのだから緊張ものである。途中、ストップがかかったりして思ったより時間を食ってしまったが無事終了。暑さとの戦いである。しかし、今日はこのあとがある。DVDの収録のためのフル本番同様のものをやる予定になっているのだ。休憩中、食事をどうするかと聞かれたのでホテルで取りたいとお願いする。簡単でいいのでそのぶん時間が欲しい。ということで17時に会場を出てそのままホテルへ。とにかく恐ろしく汗をかいたしメンバーも一刻も早くホテルに戻りたかった。

部屋に戻りシャワーを浴び一段落するころにオーダーしておいたケンタ到着。うむ、美味だ。世界共通の味。欧米化の僕ら。しばし休憩タイム、メールチェックなど限られた時間で作業をする。ちょうど以前から進めていたマレーシアのアーチストとのコラボの話の返事が来ていた。パートナーはhajimeさん。2003年からのお付き合いで今はベトナムにも行ったり来たりということで近いところにいるのだがなかなか会えないでいる人だ。彼を通じてマレーシアの話は広がりかけている。再会できればそれは幸せなことだ。

そんなメールのやり取りをしているとすぐに19時となり再びホテルを出発する。このあとはDVD用の撮影。エアコンついているかなぁ。思いは一つ。そして会場に到着。やはり期待は裏切られ、外気温より高いままの会場であった。残念。簡単なサウンドチェックを行い、いよいよスタートだ。僕ら的には本番を2回こなせるということで最終確認にもなる。とはいえ映像として残ってしまうので、それなりに動きも求められる。

収録がスタートする。用意されていた花火やLEDの嵐。すごいね。最新の技術を導入しているといっていい演出だった。そして僕らの出番。気合いを入れてステージ袖にスタンバイ。熱気あふれるバックステージはダンサーがかけまわりスタッフの罵声と歓喜の声で満ち溢れている。オープニングの仕掛けがうまくいかないと途中でストップ。指示を出すのはH2Q自身だ。この特効はそれなりの費用がかかる。でも、完璧を目指す彼女には予算は関係ない。何度も繰り返すプロ根性。こんな歌手がベトナムにいるのだ。そして、H2Qの紹介でステージに上がる。手を振った先に観客はいないが満員のスタジアムを想像して臨む。前半は6曲。僕らのとのコラボを想定したかのようにROCKなナンバーから始まる。監督からは「もっと派手に動け」と指示が出る。

求められているのはROCKバンドと歌手の融合。日本では当たり前だがベトナムでバンドはまだまだアンダーグラウンド。メジャーなのは作詞家、作曲家が作ったものをハウスバンドが演奏して、それに乗り歌う歌手たちだ。H2Qもそのポジションにありいまやベトナムのトップアーチストとなった。そして、彼女が次に目指す方向性の一つとしてGYPSYQUEENとのコラボ。いわゆるバンド形式のシンガーというスタンスだ。

僕らのブロックはスムーズに進み、次のショウタイムに移る。楽屋に戻るとフンちゃんが水を持ってくる。冷やしたお絞り片手に「AKI、are you ok?」と。そしてnam君もやってくる。「次の次の曲で終わるのでスタンバイしてください」。見事なディレクターぶりだ。僕らは大丈夫と思っていても万全を期すために早め早めのスタンバイをかけさせる。僕らがあおられている。これも今までのアジアにはなかったことだ。そしてバックステージに。このブロックではメドレーで4曲となる。ここでドラムはmasaoから変わり、工藤ちゃん登場。今回は本当にいきなり参加してもらうことになり直線の準備でも本当に迷惑をかけた。しかし、いやな顔せず、そして現場での変更もばっちり応えてくれた。

仕事を超えた対応をしてくれて本当に感謝だ。だからこそいい舞台にしたい。くせのない正確なリズムのおかげで安心してベースが弾けた。このブロックは演出効果も多く、僕らの動きを含め本番に課題を残した。立ち位置がダンサーとぶつかったり、動きようがなかったり、また花道にH2Qが移動したときの置いて行かれ感などかなり埋めなければいけないことがでてきた。そして、また楽屋へ。ここでもnam君はスタンバイをせかす。とはいえ恐ろしい暑さ。ちょっとでもここにいたいが敏腕ディレクターに連れられてステージ袖へ。水をかぶったりダンサーとの絡みなどまるでミュージカルを見るようであった。

そして第三ブロックへ。ここではベトナムの民謡を日本人バンドと演奏するという面白さも含め、オーソドックスなナンバーを演奏。この曲がコード進行的になかなか理解し切れず苦労した曲だった。こちらに来てからサックスとの絡みも出たりしてコードを変更。緊張感のある進行となる。そして一曲DJを挟んで急きょメンバー紹介コーナーをつくることになり、ここでも、ミニアレンジをしてバンドの時間となる。

次々に繰り出されるオーダーにも追いつきこなす。ここは戦いだ。そしてコンサートの締めくくりの2曲「Tinh yeu mai mai」と「Anh」のバラードになる。この2曲を聴くためにコンサートに来るといっても過言でない曲だ。バラードをしっとりとではなくて荘大に聞かせる演奏をしなければならない。歌とバンドが一つになった時にのみその力は発揮される。楽器と声のバトルだ。そしてグランドフィナーレ。宙高く昇るH2Q。舞台の幕はここで閉じた。監督のチェックが入りバンド側はここでOKがでて楽屋に。時間はすでに24:30を過ぎている。疲れた。でもまだ本番は明日なのだ。H2Qが楽屋に来る。

このあとも彼女は取り直しカットがあるらしく僕らを見送って別れることに。細部にこだわる姿はこの国に来て初めてな気がする。そして、それに応えようと思う。01:00過ぎ、ホテルにもドル。とりあえずみんなで町中へ。もうどこの店もやっていないのでやたいへ。いろいろな課題やそれなりの満足感あふれる場だ。結局かなりもりあがってしまいホテルに戻ったのは3:30.いい店を見つけたとmachaがいう。きっと明日も来る気がするね。4:30就寝。

2011/05/21
7:00起床。8時食事ミーティング。昨晩遅かったが今日は会場入りが遅いのでゆっくりできる。10時にホーチミンでイベントプロデュースをしている平櫛さんと会う。こちらのエンタメ環境を聞かせてもらう。なかなか厳しい環境らしい。滞在中またあえればと約束をして部屋に戻るとなんと以前ホーチミンの総領事をされていた塩崎さんからメールがきていた。おお、懐かしい!この五月で日本に帰任されたという。GYPSYQUEENのコンサートに来てくださるとのことだったので今日ホーチミンでコンサートです!とお伝えした。さすがにベトナムまではこれないと思うが、このベトナムでチャンスのきっかけを作っていただいた方だ。そして、このタイミングでメールをいただけたのは縁を思い出さずに入られない。はじめてホーチミンで会ったこと、印象的なパーティでLamTruongと競演することになったこと。なんとなくすごく懐かしい気持ちになった。

午後、ランチミーティングへ。場所は由緒正しきベトナム料理店。いずれもとてもきれいなお店ばかりでむさくるしいG!のメンバーにはもったいないところばかり。おこげのお皿を壊して給仕するというパフォーマンスもさることながらこれがおいしい。なんという料理だろうか、名前がわからないのが残念だ。途中Tamさんが打ち合わせのためにつかれきった顔で登場。相当大変なんだろう。それでも、僕らは話をしなければならない。大変なところお願いしにくいこともお願いする。ステージを完璧にやるには必要なことはすべてフィルターを通さずいう。でもきっとNam君のことだからうまく伝えてくれているだろう。結局昼食を早めに終えて1時間だけ会場で音響関係の修正作業をさせてもらうことになった。

15時から1時間。それ以上は全体進行に迷惑がかかるので時間ジャストに終えなければならない。みんながデザートを食べている際にTシャツを買いにいく。とにかく暑いので着替えがなくなりそうな勢いだ。Nam君が「Tシャツ買ったらあらわないのですか?ホコリとかついていますよ」と。おお、Nam君の上品さが出た瞬間だ。そして、レストランに戻るともうみんなも食べ終わってバンの前に集まっていたのでそのまま出発。会場に到着するとますます暑くなっている。そんなことを気にしている場合ではないのでここで大急ぎで確認、そして出発。走り回っている。そんな気分だ。ホテルに戻り着替えてメールチェックをしているともう出発。17:30にホテルを出る。

夕暮れの市内はバイク祭り。移動時間がかかる。18時過ぎ。LANANHに到着。いい感じの夕暮れだ。ここで夕食をとりそのまま歩いて会場に。18:30にスタンバイとなる。バックステージは本番前でごった返しになっている。セットしておいたアンプの位置がまったく変わっていたので自分で元に戻す。アジアでのツアーの特徴だが自分で何でもやる、が鉄則。自分がベストの状況で弾けるように環境を自分自身で整備するのだ。モニターの位置も変わっているので戻していると音響スタッフが来て直してくれる。ちゃんと行動にあらわして示せば対応してくれる。それが日本との差だな。日本なら、「それはわかっているでしょう」となる部分がほぼ100%ない。でも、それがアジアのスタンダードなのだ。

19:30.すれ違うH2Qの顔つきが変わっていた。近寄りがたいオーラ。日本チームもそれぞれのポジションで動いているので僕らメンバーも孤独だ。みんながそれぞれのセクションで動くからこそこの困難なツアーが実現に変わる。ありがたい。その分僕らもステージで汗をかこう。20時をちょっとまわり10分押しとnam君から告げられたがいきなりオープニングが始まってしまった。

司会者が遅延を理解していなかったんだね。まあ、とりあえず始まった。H2QとGYPSY QUEENのショウがスタートした。ステージ袖に進むと昨日のDVDの収録同様ものすごい花火と熱気が吹き込んでくる。ソデに控えるダンサーたちのテンションも高い。冷静にTamさんがやってくる。貫禄満点だね。楽屋に戻ろうとするとnam君に見つかりここで待機するように言われる。うろうろ出歩いているshinonをみると「shinonは楽屋に!」と。まるで犬に「ハウス!」というがごとく指示が飛ぶ。いいねぇ。みんな真剣勝負なんだ。それではこのテンションに僕らも乗ろうではないか。

ステージが始まり僕らがH2Qに呼び出され昨日の収録同様に、いや昨日の収録に魂をさらにこめた形でステージへ進む。4000人のスタジアムが満席になっている。このH2Qが生み出す確実にベトナムの音楽ショウの転換点に当事者として参加できることに武者震いがする。盛り上がりどころ、自分が楽しむところ、静かに決めるところ、そして全霊の託して弾きまくるバラード。

3時間に及ぶコンサートは終了した。フィナーレでプロデューサのハンさんがステージにかけよりH2Qを抱きしめる。感動的だ。舞台監督が笑顔で僕のところに寄ってくる。「GYPSYQUEENは最高!」何より者ほめ言葉だ。心からの充実感がにじみ出るH2Qをみて僕もうれしかった。自分のすべてをかけたステージ。本番が始まるまで怖かったに違いない。うまくいくか、人は来てくれるか、喜んでもらえるか、そしてそれがどう伝わっていくか。物事の中心にいればそれはいつも不安との戦いだ。答えが出た一瞬だけ最高の喜びをもらえるがそれ以外は厳しいことばかり。なんとなく割の合わない気もするがその一瞬の頂点に達する喜びを知ってしまうと人はそれを繰り返し求めるようになる。その気持ちわかるだけに彼女の安どの表情にこころからの「おめでとう!」を伝えたかった。

楽屋に戻ってメンバーとも成功の充実感を味わう。H2Qも楽屋に来てくれて僕らをねぎらってくれた。「この成功はGYPSY QUEENのおかげ!」といってくれる彼女に素直に感謝したい。この数日間。熱気の中でこの楽屋にある冷やされたお絞りと水に御世話になった。それも今日で終わりだ。楽器を持ってバスに乗り打ち上げ会場に。ここではメインのスタッフとH2Q一族と成功の乾杯を交わす。初参加の工藤ちゃん、みわちゃん、侍。みんながんばった。

大変なことは承知の上のツアーだからこれは修行。いつもそう思っている。それをわかってもらえたか?修行は修行でも最高の快楽の伴う修行であることを。24:30ホテルにもどりnam君ともお別れ。本当にありがとう。彼のおかげで今回は何ども危機を乗り切った。そして、僕らはいつもの店に向かう。到着するとなんとnam君もいた。しかも僕らと別れた後、犬にかまれたということでかなり痛そうだった。そして、カメラマン兼ローディのタムラオ。仕事中の怖い顔はなくただただ元気のある酔っ払いに変わる。

ここで合流してよかった。なんかタムラオが最高の友人に変わったんだからね。2:30.もう人もまばらの屋台で騒ぐ僕ら。コンサートの成功で風向きがすべて変わりつつある。今回はいろいろなことが起きた。おきすぎた。それでも「終わりよければすべてよし」。ともに戦った仲間と手をとり合わせよう。長く生きているとそれくらいの余裕は必要だ。4時ホテルに戻る。

2011/05/22
8時起床。軽く二日酔い。午前中は資料整理、メール整理とこれからの予定を考える時間でもある。もう一眠りしたいところだが。1130リンさんとHienThucがくる。一緒にランチをしようと約束していた。彼女は「希望の道」のベトナム語版を歌ってくれたアーチストの一人。この曲は日本の震災のためにベトナムのアーチストが無償でレコーディングをしてくれた曲。素晴らしい仕上がりでyoutubeにもアップした。参加した大半が来日経験のあるシンガーだ。FaceToFaceは大きな壁といとも簡単に超えるのだ。まずはお礼。日本のためにありがとう!と。彼女も「FUKUSHIMA」は知っていた。そういえば昨日タクシーの運転手も日本人とわかると「FUKUSHIMA」といっていた。今や世界的に有名な知名だ。

彼女は東京と福島の距離感がわからないので放射能の心配をしてくれる。やさしいよね。そんな彼女は今日も近くでライブがあるというので僕らも見に行くと約束した。「きてくれるならホテルにいくわ」。わざわざホテルまで僕らを迎えに来てくれるという。そんな、シンガーに迎えに来てもらってはと思いつつ甘えさせてもらい再会を約束して別れた。ちなみにホテルからこのレロイ広場のフエ料理店まで徒歩10分。でも、そんな距離でもタクシーを使う。H2Qらしいね。その後みんなと合流するために15時にドンコイへ。懐かしいね。マッサージ1時間7ドル。足が小さくなった気がする。そして夜はトンとリバーと食事をするためにパレスホテルで待ち合わせをする。ここのカフェは高くてカフェスダが7万ドンだった。日本と変わらない物価だ。

そこにトン登場、奥さんと一緒だった。足を悪くして最近はドライバーはできないのだが、僕らのベトナムでできた仲間だ。そしてリバー。彼女とは子供たちのチャリティをやるためにホーチミンから6時間!メコンデルタをたどってと着いたチャービンまでいって小学校でコンサートをやったときのNGO関係者。それ以来なぜか気が合い旧友と化している。いろいろなときに知り合ってそして今まで付き合いが続いている仲間。それがまたここに来たくなる理由にもなっている。そしてこれからもだ。食事は前回福川さんときた焼肉へ。今ここに福川さんがいないのが残念。

店に着くとすでに平櫛さんは到着していて宴会はスタート。ここの焼肉はとてもおいしい。いろいろな仲間が入り混じってすごす時間は至福のとき。そして、楽しい宴席もつかの間。20時。ホテルに戻らなければならない。Hien Thucが迎えに来るのだ。タクシーに分乗してホテルに戻るとHien Thucもまもなく到着。一緒に歩いて会場に向かった。まっしろなアオザイ姿の彼女はまさにアイドルだ。今日はただのライブではなくてTV番組の収録ということでそんなときにわざわざ迎えに来てくれるなんてね。本当にありが

たい。ステージではベトナムスタイルの歌謡ショウをやっていた。ベトナムのショウは何組もの歌手が次々に出てきて歌うというもの。昔の日本もそうだったかも。彼女の出番は後ろのほうだったので今日帰国しなければいけないチームは結局出演時間に間に合わず、途中で帰ることになった。みんな残念がっていたが仕方ない。ここで残留組とお別れ。

そんな帰国組が帰った5分後にHien Thucは登場した。うむ、残念だ。彼女のステージはアイドルばりばりの笑顔で観客を魅了していた。終了後、楽屋であいさつ。再会を約束してホテルにもどり23時から反省会をおこなう。VTRのチェックは次のハノイに活きるはずだ。眠い目をこすり1:30ようやく一通りチェックを終え終了。今日の作業を終える。明日は早いので荷物は今日中に整理してということで部屋では荷物と大格闘。なぜか行きには余裕だったケースに荷物が入りきらない?。それにしても今日はいろいろな人にあった。そして次にくるときにもまた出会うのだろう。すべての感謝をみんなに。

2011/05/23
5:00起床。6:00食事。若干二日酔いだが禁酒中のmasaoが元気すぎて違和感がある。荷物整理して7:30ロビーへ。空港に向かう。ここにもTamさん夫妻がきてくれた。昨日もきっと遅かったに違いないがこうして来てくれることに感謝。そしてハノイでのスケジュールなども聞き次に備えることになる。空港につき8:30チェックイン。空港もすいていて時間も余裕だ。そして10:50フライト。CI782便でまたもや台北に向かう。3時間づつで乗り継ぐ今回のフライト。時間的にはもったいないが体は楽だ。台北まではもろもろ整理の時間としてチェックやら作業やらですごす。あっという間だ。15:15台北乗継。合間に飲むアイスコーヒー200円。国際価格である。16:10に再び搭乗して16:35。CI106便にて成田へ向かう。機内は異常に寒くちょっと辛かったな。そうしているうちに日本領空へ。あっという間だ。そして20:21成田着。日本は雨模様、そして節電モードの高速を走り帰路に着く。

第三章9幕はここで閉じることになる。困難な道はその難度に違いはあれど、必ず生きていく中で何度も何度もぶち当たる。そこで降りるのも、乗り越えるのも、ほんの少しのことですべてが変わっていく。共に進む仲間がいれば乗り越えられる壁。そしてその先にはまた次の壁と、そして越えた者だけが見れる、少しだけ自分の思い描いた世界が広がってゆく。力を合わせていけばまた次の壁もこえられるのではないか。そう思う気持ちがすべてをクリアにしていくこともある。大変なことは覚悟の上で進むRoad to asia。またすぐにそのチャンスはやってくる。ハノイで何を残せるか。とっておきの楽しみはまだみていない。

GYPSY QUEEN ROAD TO ASIA#29
2011/05/19-2011/05/23
Pray