GYPSY QUEEN ROAD TO ASIA#28 2011/03/19-2011/03/22 Step by Step 日本の歴史史上最大の大惨事の直後僕らは中国に向かう。 いろいろなことが起き、いろいろな想いが交差する中、僕らが選んだ道は前に進み続けること。
2011/03/19 5:00起床。いつもより遅い便だが地震のこともあり早めに準備。6:00に自宅を出発する。昭和通りのトンネルで携帯が緊急地震情報でけたたましくなる。この音の方が怖い。この時期とにかくいつも揺れている感じで震度3と聞いてもあまりピンとこなくなった。麻痺しているのだろうか?高速に乗ろうにも入口の閉鎖が続きなかなか乗れない。結局高速沿いに30分。そのまま浦安まで来てしまった。やはり世の中少しおかしくなっている。 それでも早く出たせいか7:30に酒々井着。なんとか予定に追い付いた。早く出て良かったなと思う。ここで恒例の朝食をとり8:10成田空港に到着。なんだか成田は久しぶりだ。第二ターミナルに入ると大混雑。連休だから?いや、そうじゃない。原発と地震をおそれて中国人をはじめ外国人が大量に出国しているらしい。僕らの乗るMUも満席と聞いていた。チェックインのための長蛇の列に並ぶ。集合時間を出発の2時間30分前に決めたので余裕がある。「普通に時に館前だったら大変かもね」何事も備えが肝心だ。順番が来てチェックイン。今回は総勢12名。上海で合流するこばじゅんを抜くと11名のツアーだ。 気になる重量は11人で173kgかなり余裕である。手荷物検査も混んでいて9:50出国。あまり余裕もなく搭乗ゲートへ。中華東方航空で行く旅。MU272便の搭乗を待つ。満席のシートは結構狭いが空きの席も見つからない。まあ2時間ちょっとだからね。飛び立つときになかなか機体が持ち上がらずちょっと怖い。一瞬ガクンと落ちてさらに怖い。飛行機はもともと苦手である。現地の情報を整理してみんなとの意識レベルを合わせる。今回の経緯を説明しよう。もともと今回の公演は昨年の11月に開催するということになっていたものだ。ご存知のように反日デモが中国国内で広がり、特に今回は内陸部で多く発生した。そのあおりを受けて開催数日前に中止になったイベントである。 まあ、延期は永遠に延期と思っていたのだが、日中関係の回復により急きょ復活したのである。準備期間があまりにも短く実施するかどうかも考えた。しかし、行かなければ始まらないという考えのもと実施を決定したのが2月下旬。MACHAがスケジュール的に厳しくいつもサポートをしてくれるkyojiにギターを弾いてもらうことになり、リハーサルも順調に進んでいた時だった。そこに東北大地震が起きた。今までに経験したことのない大震災。もちろん、僕もこんな経験はない。首都圏の電車は皆停まり、完全にマヒした東京。そして、ニュースで伝わってくるあまりにもひどすぎる被害状況。そこに原発や停電など次々に緊急事態が襲ってきた。こんなときに、まさに今回こんな時にといわねばいつこんな時が訪れるのだろう?そんな中でのツアーの決行だった。 この判断はかなり悩んだ。中国側は変わりないものの、日本は大変なことになっている。でも数日が過ぎ、何もできない自分があった。何かしたくてもできない。距離もそのレベルにおいてもシロウトがてを出せば二次災害につながってしまう。そして、僕らはtvやインターネットから情報だけ入手する。何もできないなら違うことをしなければいけない。被災を免れたからこそできること。被災者の分まで働くこと、日本を元気にすること。そして、この事実を風化させないムーブメントを作ること。それでもまだ悩んでいた僕らに悪い情報は重なる。この世紀の大災害を受けて、主催の重慶総領事館が実施を見合わせるという判断を下した。 この非常時だからそれは仕方がない。もはや道は4度閉ざされかけていた。でも、そこに1通のメールが来た。「日本週間は貴州大学独自で開催します。Gypsyqueenのコンサートも実施します。そして、冒頭に日本の地震の被害者のために黙とうをささげさせてください。」意外な言葉だった。この時、迷いはすべて吹き飛んだ。思えば僕らは四川地震の被災者を支援するためのチャリティコンサートを行っていた。各地で語る地震の被害と忘れてはいけないということ。それは今や日本の、自分の足元のためにある行動でよいと思う。中国側から語りかけられた追悼の言葉。日々形を現してくる大惨事の実情。それを伝えてこよう、そして、日本は大丈夫だということを見せてこよう。出発まであと1日。決心がついた夜だった。 そして、前日を迎え、メールが来ないように、電話が鳴らないように過ごして今朝の出発を迎えたのだ。今回はメンバーの他にプロフェッショナルな仲間が勢ぞろい。和僑会の幹事の永川さん、大学の先生の杉本さん、サウンドエンジニアの千夏、oneasiaPROJECTの幹事直子さん、そしてシンガーの美彗。そこにいつもの6人。そして、上海ではこばじゅんが待ち構える。 現地でたとえ何が起きようとこのメンバーなら戦える。今回は立った四日間の旅。総力戦で駆け抜けていこう。上海につくころにはすっかりと戦闘モードになっていた。そして、14:20、現地時間13:20。降下体制に入った窓からは市内が見える。3か月ぶりの上海。なんだか懐かしい。そして13:30着陸。 さあここから大移動だ。荷物をピックアップしてショウさんと和僑会の黒田さんが待ち構える到着ゲートへ。また会うことができた。ショウさんはかなり貫禄がついてきたね。僕にしてみれば頼れる弟。そして、和僑会の黒田さん。21日のレコーディングの打ち合わせもかねて迎えに来てくれた。バスに乗り込み一路虹橋へ。羽田発ならよかったが結局ターミナルが違うので手間はかかることになる。リニアがこの区間開通すれば早いのだが今はバスで1時間が相場。バスの中でミーティングをしてレコーディングについてはばっちり説明ができた。そうしているうちにあっという間に到着。荷物を降ろしてチェックインに向かう。 そこに忙しそうに電話をしている女性を発見。こばじゅんだ。挨拶もそこそこにチェックインカウンターへ。ここでビックリしたのがそのシステム。なんとパスポートのみでチェックインできるのだ。結局トライしてもできずによくよく聞いてみるとチップの入っているパスポートではなくてはダメとのこと。なんだよ。結局通常のカウンターでチェックインをする。さあいよいよ貴州に向かうのだ。 新しい虹橋空港はとても広い。僕が初めて上海にきたのは古い虹橋空港だったな。時間があったので食事をすることに。きっとこのあとの国内線の食事は期待できない。そう思ってだ。イメージとはちょっと違うが中華風のスペアリブセットを頼む。まあまあだ。欧米化している僕ら。 どうしても美味しいコーヒーが飲みたくなりカフェに。そうしているうちに搭乗時間となった。17:30予定通り上海を飛び立つ。国内線といっても2時間40分も飛ぶ。東京からの距離の倍近いわけだから中国は広い!と改めて思う。機体はまたもや急上昇で飛び立つ。この辺りはまだまだ明るい。18:30夕食はパス。でも、パスして良かったと思う内容だった。19時も過ぎ夕焼けが遠のく。そこからは闇の世界だ。そうして予定通り20:10に貴陽空港に。 中国15都市目にたどりついた。空港は貴州省の省都でもあるわりには小さい空港だった。おかげですぐに空港をでることができた。ゲートを出ると数台のTVカメラが待っていた。地震のあった日本から日中友好のためにきたバンド。ということで注目されている。最初に千羽鶴をもらってびっくり。「日本に起きた大地震の被害者に追悼をささげる。 そして、この時期に貴州に切れくれて本当に感謝する」と旅行局の局長が来ていてお話を伺った。僕は震災翌日の朝日新聞を見せ「日本は復興に向けて頑張っているから大丈夫だ」と伝える。風評被害は大きい。 実際に上海で聞いた話では放射能の除去によいと言われる塩と味噌がほとんど買えないほど買い占められているそうだ。それにしてもの大歓迎でまったく想定外だったので感激だった。中国式の鶴は少し日本と違うことも分かった。かなりの時間を空港で費やしてしまったので急いでバスに。貴州でのアテンドは朱さんと黄さん。しっかりした感じの人で早速インタビューで通訳のお世話になり、ようやくバスについてから自己紹介をした感じだった。「やらないよりやったほうがいい」そんな意味を今日知った。 ここにきて何かをやることすべてがそうだ。特に今回は。だとすれば何をやってもそれは前に進んでいるということ。思いっきり過ごそう。少なくてもこの空港に来てくれたメディアはみな日本の状況を心配している。不安に思っている。その答えの一つを伝えられるのであればそれも一つの役目である。空港から市内に入る。山間の道を行き、そして坂の起伏の激しい通りへ。なんとなく重慶に似ているね。そんな印象だ。 そして、市街部に入るとそのまばゆいネオン。日本が節電中だけに余計にまぶしく思えた。僕らが今まで知らなかった町、貴陽。そこは大都市だった。今回の宿泊するホテルは町の中心部にある錦江鮮花大酒店。最上階の部屋で眺めは抜群だ。部屋に入るとなんと!おり鶴が置かれていた。一人で感激。みんな僕らがどこから来たか、どんな気持ちで来たかを知っているのだろう。そんなきめやかな心使いに感謝である。 かなり遅くなってしまったがここで現地側の窓口だった文さんと合流。どんなひとなんだろう?とおもっていた。そこにいたのはスレンダーな女性。「こんにちは文ともうします。貴州にようこそいらっしゃいました」。その日本語の堪能さは最初の言葉でわかる。見るからに才女、今までずっと中国語でのやり取りだったが日本語でも問題ないという。なんだ。そして、すごい。イメージを裏切られた。 もちろん、いい意味でね。ここでも感じる。「来てみないとわからない。会ってみないとわからない」想像の範囲はしょせん個人の頭の中だけだ。やはり実際に行動してみないとわからないことばかりだ。22:30打ち合わせを兼ねて夕食へ。ここは先ほど空港に来てくれた旅行局の局長がセットしてくれた。貴州ではいろいろなイベントがあるらしく、早速それらへの案内をされる。そして、明日の準備。ほとんどのことが完璧に準備されていて、さらにすばらしいのはだいたいそれ以外の行動はその日暮らしであったが完璧にスケジュールが組まれていることだ。結果として毎朝8時前にはホテルをでる予定となっているがそれもよいだろう。打ち合わせが終わると最初の晩餐。 ここはマオタイ酒の産地。高級酒であるマオタイは日本でも有名。ふと出てきたのがマオタイビール。これが美味しい。今まで中国でこのビールを見たことがなかったのだが、なんというかコクのあるビールなのである。 そして、様々な貴州料理。貴州はだいたい夜22時くらいには店が終わりそのあとは屋台が朝までやっているという習慣らしい。なのでこの時間まで店を開けてもらっていることはあまりないという。局長のおかげである。だんだん楽しくなってきた。実は地震があってからというもの、明るい曲が全く書けなくなっていた。ギターを弾くとなぜかみなマイナーキーな曲。心の状態を表していたのだろうか、しかしここにきて久しぶりに心が晴れた。気分を変え新しい何かを生み出そう。そんな気になってきた。 24時を過ぎホテルへ。そしてミーティング。今日のまとめをする。いろいろな出来事があったが全てプラスなことだ。予想外のことは素晴らしいハプニングばかり。一度消えかけた貴州の公演。明日は待ちに待ったみんなに会える。そう思うとテンションは高い。2時部屋に戻り明日の準備をする。こんなに日本を心配してくれる人たちが今まで知らなかったこの町にたくさんいた。その気持ちに感謝。その言葉に感謝。明日はもっと予想のつかない日にしたい。3時過ぎ。一日は終わる。 2011/03/20 6:00起床。真っ暗だ。緯度の関係もあるね。こんなに広い国でも時間は北京と一緒だ。7時。まだうす暗い中朝食へ。ホテルから会場まで1時間はかかるので結局全ての荷物を持っていくことになる。8時出発。いよいよ貴州大学へ。貴州大学は貴州省の総合大学花渓といわれる地区にある。その中の学部に当たる部門として日本語学院がある。今回メインで動いてくれているのはここの先生で最初は王院長と話今では昨晩あった文先生が責任者として動いてくれている。 貴陽市内は渋滞をしていて抜けるのに時間がかかった。重慶同様坂の多い町なので自転車が見えない。最近の東京は自転車が多いのにな、なんて思う。8:50.予定通り大学に到着する。ここで朝食の帰りだった一部メンバーと合流。会場のセットの関係もあり2班に分かれての宿泊だったが、かなり豪華なホテルだったと聞くと安心できる。メンバー全員で学長へ表敬訪問に向かう。学内は広く日本の大学の規模とはまったく異なる。ここに5万人の学生がいるということでそれこそ警察から劇場まである大学だ。 町だね。まるで。その本部に当たる建物に到着。陳学長にご挨拶だ。通訳には王院長があたってくれた。王院長ともここであうのが初めて。ものすごく流暢な日本語でまたびっくり。みんなすごいぞ。 応接に通され学長からは最初に地震の被害についての追悼の言葉。そして、僕らの公演に対する祝辞。そして、日本と中国は難しいこともたくさんあるがこれからは力を合わせて良い二国間の関係を作っていくべきだと言ってくれた。すべて「うん、うん」と聞いてしまう。僕らもこの公演にかける思いを伝えた。「日本と中国ではなく日本人と中国人。同じ人間同士での交流に壁はない。そして、知らない関係は難しい環境を作りがちだ。だから僕らを通して日本を知ってもらい、そして僕らもここで見たこと、聞いたことを日本につたえる」それが本心だった。学長からはミャオ族の民芸品をプレゼントされた。みな大喜び。そして、予定を大きくオーバーして部屋を後に。 コンサートも見に来てくれるというので後での再会を約束して僕らは一度学外にでる。なんだかうれしくなってきた。初めて会う学長はとても素晴らしい人であった。いろいろな心配がふきとんだ気持ちになれた。ここでセッティングチームは会場に、残りは花渓公園に向かう。貴州にきて何も見ていないのでは話もできない。自分の目でどんな町か見ておきたかった。この公演は蒋介石が一時滞在した建物がある場所で天然の公園になっている。何気なく歩いているとおじいさんたちが楽器を演奏している。そこに朱さんがはしってゆき(朱さんはよく走る)なんと明日僕らのやる曲を演奏してもらった。 もちろん、しのんはその曲を歌える。それに中国人のおじさんたちはびっくり。こんな街角でも日中友好はすぐに始まる。歌の力。言葉の力を感じる瞬間だ。僕らがバンドマンとしってまたびっくり。貴州に日本人バンドなんて来たことがないからね。今晩のコンサートはみにくるという。そしてしばらく散策して再び大学へ。ここで学食で貴州ラーメンを食する。 ラーメンというよりもフォーに近いね。ここも抜群の辛さの豆板醤が決め手。思わずせき込む辛さでうまい。セッティングの状況を聞くと全く問題ないという。すべてそろっていると聞いて安心。今までの中国とは違うことを感じる。というか当たり前のことなのだ。その当たり前が今目の前にあるということは僕らもそれなりの覚悟で演じなければならない。中国だからではなく真剣勝負が迫っている。 14時からリハーサル。音響は千夏が仕切っている。いつの間にか立派なエンジニア担っていた彼女は重慶と時とまったく違っていた。いいな、若いと成長がよく見える。そんな安心もありリハーサルは順調に進んだ。今回のテーマはコラボレーション。一緒に作る楽しさを伝えたい。だから僕らは違った曲を違ったメンバーで共演したいと申し入れていた。この申し入れも完璧に伝わっており最初はミャオ族の女性、そして日本語学科の女性、そして英語学科の女性と3人がしのんとからむことになる。ミャオ族は声が高い。僕らのロックのリズムにも負けていないハイトーン。これってほんと貴重な経験だと思う。ロックに中国の少数民族の民謡をはめる。すごい。もっともっとできるんじゃないかとわくわくする。だんだん気持ち良くなっていった。 16時に予定通りRHを終える。そのあとは学生バンドのRHだった。少し残って話をする。なんと!ラオス人のバンドがいた。面白いので「sabaidee」と語りかけるとびっくりしている。しのんがラオス語の歌を即興で歌うと「GYPSYQUEEN!」とびっくりした顔で言う。3年前のVientianeのNational culture Hallのコンサートを見たことがあるという。なんて偶然!なんて狭いアジア!心臓がドキドキする。この出会いは何なんだ!彼の友達だろうか、他のラオス人も寄ってきた。中国で出会うラオス人バンド。このドラマになりそうな偶然に気持ちがたちあがっている。みんなこの出会いに目をうるませている。きれいな交流だ。僕も涙が出そうになる。 こんなに純粋な交流の先に日中の関係は必ず良くなると感じる。どんどん会うのだ。たくさんの中国人と日本人がどんどん会って会話して明日を創るのだ。しばらくの休憩ののち再び会場へ。学生の長蛇の列を見て安心する。楽屋口にもたくさんの学生がたまっていて、一緒に写真と撮ろうと捕まる。みんな礼儀正しくいい学生だ。日本語学科ではないのだろう「アンガト」と片言の日本語で笑顔を見せる。いいね。この笑顔。楽屋でスタンバイをしていると毎日新聞の鈴木さんがきた。彼女はものすごくネイティブな中国語を話す。今回もこの交流コンサートの取材に来てくれた。感謝だ。ステージでは四川地震や今回の地震のビデオを放映している。キャンドルライトが飾られる。 みんな今日は日本人である僕らのために準備してくれているんだ。そう思うとコンサート以上の何かを感じる。スタッフサイドに聞いてみると学生が本当に積極的に動いてくれていてすごく助かるときいた。今回はコンサート、交流会のほかにも抽選会を行う。その抽選系の回収やポストカードのプレゼント、日本で働きたい人のための留学案内などいろいろなものを配る。 それらすべてが日本を伝えることにつながる。かなり複雑な作業で日本を飛び立つ前に本当にできるのだろうか?記名式のチケットなんて回収できるのか?と話していた。でも、その答えは簡単だ。彼らは出来る。心配をしていても解決にならない、こうして現地で実践すれば答えは簡単に入手できるし、その答えはえてして理想的な答えだ。むしろ、それを分析するのが大変なくらいだ。1000枚用意したチケットは全て配り終え、会場には入れない人には残念だが配ることができなかった。そして、予定通り19時にコンサートは始まる。 最初に学生たちによるセレモニーが行われる。緩やかなダンスだった。そして学長の挨拶、重慶総領事館の挨拶そして、oneasia Projectを代表してviviちゃんの挨拶。その後会場は一分間の黙とう。これらは僕ら日本人から言い出したことではない。全て貴州側の計らいなのだ。 黙とうをしているといろいろなことを思い浮かべる。今は東北の人々のことを考える。親戚、家族。突然の天災によって一瞬のうちに全てが変わってしまった強引な力。偶然そこにいたために被災してしまったこと。そして僕らのように幸いまぬがれることができてここにいること。それらすべてを亡くなった方々の魂に注ごう。残された人を守るのは僕ら生き残った者の使命であると。いつもと同様、いやそれ以上に気合が入る。 オープニングSEが流れる。本番の始まりだ。そでのスタッフに合図をしてステージへ。一曲目「勝利と奇跡」から満員の観客は盛り上がる。日本人のROCKに貴州の学生が反応する。何度やってもどこでやってもこの瞬間がくるまでは不安なものだ。前半3曲はロックなビートで攻める。今回、machaの代わりに参加したKyojiのギターもさえる。どんどん前に行きギターソロの度に歓声がわく。今回も彼は非常に苦労した。ギリギリまで修正の連続だった。だからこそ今日は楽しんでほしい。 曲は「重慶ブルース」へ。この曲は重慶ゴジラさんの残した遺作だ。重慶を愛した日本人のことをしのんがMCで伝える。きちんと説明をして歌わなければただのブルース。でも、伝わってこそ意味のある曲だ。丁寧に中国語で語り伝える。しっかり伝わったのだろうか、みんな静かに聞いてくれた。ゴジラさんのことを貴州でも伝えることができてよかった。そして、GYPSYQUEENのオリジナルの中国語曲。「シャンニー」。これも歌詞を説明する。この手のミドルバラードはとても人気があるね。定番の一曲になった。そして、ステージは変わりメンバー紹介。 今回oneasia Projectに参加した美彗がsuperflyを歌う。パワフルなボーカルは中国人観客にもわかる。自分で来ることを選んだ彼女。いい経験というにはありあまる経験だろうね。気持ち良さそうな感覚がにじみ出ていた。そしてメンバー紹介になる。これはリハーサルから何度も繰り返した部分。ただ演奏してもつまらないのでそれなりに考えた。それがうまくはまった時は僕らもうれしい。Kyojiのソロのあとは僕の歌。 もちろんBeyondの歌だ。会場が大合唱になり、一瞬のボーカル気分になる。ドラムのmasaoのリズムに合わせてkyoujiとアクションを合わせる。お笑い部門とShinonに言われるがここで会場の温度を高めるのがこのコーナの役割。そして、shinonを再び紹介する。「天亮了」はこの地方でおきたケーブルカー事故を題材にされた曲。なじみ深い曲である。そして、今日のメインともいえる「桂花解放幸福来」。 ミャオ族の民謡をROCKアレンジして演奏する。リハーサルでもそうだがこの民謡歌手がROCKを歌った時のパワーはすさまじい。そして、気持ち良さそうに初めて触れるビートにのっている。観客もここが最高潮か。そして立て続けに「Alfred&Julia」「Cam On」と日本語のROCKを続ける。音楽に国境はない。それを体感できる瞬間だ。そして、最後は四川民謡「康定情歌」。もう毎度のパフォーマンスで最高潮にもりあがり終了。 全員のスタンディングオベーションの中演奏を終える。良かった。きて良かった。迷って迷って、自問自答してそれでいくつかの決断をして選んだ道。本当に良かった。僕らは前に進んでいく。きっとこれからもずっとそうだろう。この経験が記憶にある限り僕らはその道を行く。 そのあとshinonのインタビューがあり一旦楽屋に。学生たちのステージだ。ラオスのバンドはなんだかビリティッシュっぽくてよかったU2サウンド?そんな方向性だ。そして、再び出番になる。 最後のフィナーレは2曲。「BlueSky」は日本語学科の学生と日本語で歌う。流暢な日本語で普通に日本人が日本語で歌っているようだ。そしてこのコンサートの最後はこの曲「相信愛」。Shinonが言う。「この曲は四川地震のチャリティのためにいつも私たちが中国で歌っている曲です。でも今日はこの曲を日本の東北地震の被災者に向けて歌わせて下さい。そしてみんなも一緒に歌ってくれますか?」一段大きな拍手が起き、今回の最後のプログラムが始まる。 そして、演奏が始まるとなんと後ろからキャンドルをもった学生たちが。聞いてないよ!やばい。こんな気遣いをされるとまともに演奏ができなくなる。会場が総立ちになり、そして貴賓席の学長に向かいお礼の目線をおくり、フィナーレを迎えた。ありがとう。貴州大学。 ありがとう中国の新しい友人たちよ。ここに来る前までは「今回行かなかったらもう行くことがないかもしれない」とおもっていた。しかし、それは簡単に覆った。「また必ず会いに来るよ」。またひとつ会いたい人が増えた。 その後抽選会。直子さんの慣れた司会でテンポよく進む。楽しいよね。こういう企画。最後に締めのお礼として急きょ「但願人長久」を演奏。誰もが知っているこの曲で公演は終了した。ありがとう!おつかれさま!時間は22:00。3時間のコンサートであった。 楽屋で片づけをしていると呼び出される。みんなで写真撮影だ。日本語で中国語で英語で語りかけてくる学生たち。みんな笑顔だ。この世界、みなこの状態になっていけばいい。半年前の出来事は今はもうない。少なくてもここで出会ったみんなはもう僕らの友人だ。他人は裏切っても友人は裏切らない。音楽によってまたたくさんの友人が増えた。さあ、市内まで帰らないといけない。「素晴らしいコンサートをありがとうございました。」文さんも本当にうれしそうだ。よかった。一番この準備に奔走してくれた彼女が喜んでくれることは僕らにとって大きなご褒美のように感じる。明日の朝は交流会なので文さんとはここで別れる。22:48大学を出発。みんなお疲れ! 大学からの帰り。ここにきてからまだ一日しかたっていないのに時間の流れの速さ、詰め込まれた予定を振り返る。バスの車窓から見える街並みにぼっとするもの。今日の興奮をそのまま継続しているもの。疲れて寝ているもの。思い思いの時間が過ぎる。22:30ホテル着。朱さんの好意でバスを待たせてくれているので15分で再集合。今日の夕食は貴州料理。「酸湯魚」という文字通り酸味のある火鍋だという。 お店はすでに閉店。夜が早いからね。でも、そこを開けてもらって酒宴は始まる。どんな鍋かと思うとやばい。大きなナマズのぶつ切りが出てきた。そしてそれを一気に鍋に。ここで私は終わってました。かなり怖い。重慶の火鍋のナマズも怖いがその大きさが倍くらいの貴州のナマズ。 黄さんは「これは新鮮な天然ナマズですよ〜」と嬉しそうに言う。まあ、masaoに食べてもらおう。それにしてもビールが美味しいね。積もる話もたくさんあり語りつくせないが大学ホテルチームの帰りの関係もあり2時前に解散。 僕らは徒歩でホテルに戻る。屋台村が魅力的でならなかったが明日も8時には出発するし何と言っても学生との交流会。酒臭い体でいったら日本人み酒好きだとおもわれる。明日までが本番と思って我慢する。良かった一日だった。来てよかった。明日も早い。 2011/03/21 6:00起床。8:00出発。9時ちょっと前に大学に到着。今日は寒い。貴州は夏涼しく冬温かいというしかし今日はかなり冷え込んでいる。 交流会は9:20に始まった。僕らがついたときはすでに学生は全員集合。最初はみなぎこちなくてあまり質問もできない感じだったので伝えたいことをこちらからどんどん話す。 そうするとだんだん雰囲気も和んできて積極的に手を挙げる学生が増えてきた。みんなお互いに興味津津。しかも貴陽には日本人が10人しかいない。そうおもうとここにいるのは貴重な日本パンダ。おのずといい雰囲気に盛り上がってくる。 文さんがみんなで千羽鶴を折りましょう。といってくれる。うれしいよね。そしてみんな折り紙を用意していてくれた。こうなるともう机上のトークは終了。メンバースタッフみんなが学生の中で一緒に折り紙を、そしていろいろな話を始める。みな共通なのは日本は強い国だから大丈夫。必ず復活する勤勉な国という。そう思ってくれていたのか。うれしいよ。日本への応援の言葉の数々はこれをどう伝えていくべきかあまりにも重い任務のようで考えさせられる。僕らには伝える義務があるんだと思う。 予定を大きく過ぎて11:40終了。12時からは学長と総領事との会食があるので市内のレストランに向かう。そこは非常にきれいなお店で格調高い中華料理が運ばれてくる。マオタイワインは中国のワインの中では格別の美味。今まで知らなかったことが悔やまれる。日本のワイン好きな人にはこれを進めよう。会食中いろいろな方と話すことができた。領事館の山崎さんともようやく話ができた。 今回の一件についていろいろアドバイスを頂いた。こちらにいないとわからないことばかりなので本当に感謝である。瀬野総領事ともご挨拶。今までの中国での活動を説明する。重慶は僕らの中国での故郷だ。これからも続いていく中国での活動。そのために理解してほしいこともたくさんある。そんな和やかの場も時間となり再び大学へ。14:00から貴州大学主催の日本週間の開幕式に出席する。王院長がアテンドしてくれる。昨日のコンサートも非常に楽しんでくれていたのでものすごく仲良くなれた。 式典は最前列の席で緊張。時間が若干おしたので記念写真を撮るころにはバスに向かわなければならなかった。この日は開幕式の後に文化部の長官と会うことになっていたが時間の関係で会うことができなかった。 こちらの事情なので本当に申し訳なかった。文さんのせいではないのに彼女はしきりに謝る。そこが彼女の素晴らしいとことだね。完璧な人だ。バスにのりこみお別れ。本当にありがとう。 バスは悪路を飛ばして空港に向かう。そして16:00空港に到着。ここで黄さんともお別れ。なんだかたった二日間なのにみんな名残惜しい。でも、これでお別れじゃない。また来る約束をすればそれで気が楽になる。 空港では貴州の奇岩風景がよく見えるラーメン屋で食事。そうして17:40.MU5342便で上海に向かう。ありがとう貴州。また来る。必ずくると約束したからね。 上海までの2時間。小雨交じりの夜だった。眠りたいところだがやることもたくさんある。今日はこれからレコーディングなのだ。移動から準備まで、ボッとしてたら間に合わないし、そうなれば計画にミスがあったといわざるを得ない。だから完璧にこなせるように準備をする。20:00上海着。ショウさんが待っている。ここからスタートボタンは押された。急いでバスに乗り込む。疲れが見えるメンバー。でも、ここは機敏に動かないといけない。 バスにのるとすでにホテルのルームキーが用意されていた。大体チェックインで無駄な時間を使い、いろいろなことにしわ寄せが来ていた。これを解消。さすがわが弟分、ショウさんだ。21:00ホテル着。上海駅前のホテルは都会的。部屋も最上階ですごい眺めだ。荷物を部屋に入れすぐに集合。そしてみんなの待つ漢院へ向かう。ここでトラブル発生。なぜか余分な荷物がある。誰かが間違えたのか。常々言っている。ツアー中は自分の荷物は自分で。人の荷物は持たない。それは優しさではない。トラブルの種だ。おかげでこの上海で困っている人がいる。絶対にしてはいけないミスだ。ショウさんにも対応を手伝ってもらい朝一で警察に届けることに。申し訳ない。 そして、僕らは市の中心部。漢院へ。いい感じの建物だった。そこには3か月前の懐かしい和僑会のみんなが待ってくれていた。ここで「和僑の風に乗れ」のコーラスパートをレコーディングする。 和僑の声を入れることはこの曲を本物にするために必要なことなのだ。精神的にね。その精神的のためにここまできた。収録はかなり盛り上がり終了。打ち上げへ。 これで全行程終了。今日は飲むぞ。宴席の中、みんな日本の地震についていろいろな思いがある。未曽有の事だから仕方がない。僕らがやるべきことは?それを僕も自問する。音楽をやるうえで何度も繰り返す自問。でも、その答えは出ていた。自分の選んだ選択肢は間違いではない。そう思って進むしかない。停まっても景色は何も変わらない。だからみんなで手を合わせて進んでいきたい。そう思う。そして数時間。僕らは反省会をやるために2:00にお店を出る。もっといろいろ語りたいし名残惜しい。 それでも今日中にやらなければいけない反省会。今日の事は今日やらないと明日は来ないというのがGYPSYQUEEN流。ホテルはさすがに真っ暗で何もかえるものがない。部屋でビデオをみて反省事項を上げていく。完璧なんてない世界だし、気づきがあれば反映させる。今日の最高は明日の課題に代わる。貴州大学の学長からプレゼントされた白酒を飲む。杉本さんがどこからかつまみを持ってきてくれた。この時間、どこに売っていたのだろう。いつも、本当に気配りに感謝。時間は4:30を回った。ここでも話は尽きないが今日は限界。部屋に戻り6時に目覚ましをセットして寝る。 2011/03/22 6:00目覚ましがなるが起きれない。結局だらだらして7時。朝食はあきらめ片づけをする。8:30。なんとかロビーへ。そこに警察から帰ってきたショウさんとviviちゃんが到着。面倒をかけて申し訳ない。出発時間になっても来ないメンバーが2名。まずいね。ツアーの大勢のメンバーで時間を共有することは人の時間を占有することでもある。わがままは許されないことだ。そうして40分も遅れて出発。 幸い渋滞にはまらず10時に空港へ。ショウさんはこれも計算済み?おかげでチェックインもスムーズに進んだ。搭乗ゲートにつき12:00MU521便にて上海を出発する。機内はかなりすいている。この時期日本に来る人は少ないのだろう。もろもろとりまとめ事項をチェックして過ごす。 第3章8幕はここで閉じることになる。 今回もハードな旅だった。反日デモの影響を受けてぼろぼろになった昨年後半の活動。すべてを覆す位な激震であった。 それでも、耐えられたのは現地で受け入れてくれる人たちの無念がわかったからだ。そして、僕らは継続した。その答えが今回かもしれない。初めての貴州。今回行かないともう行く機会がないからと急き立てた自分たち。でもどうだろうか?もう一度貴州に行くという約束は決して口約束ではない。何も知らなかった町で心を通わせる友ができた。僕らを待ってくれている人ができた。 たった4日間で景色は大きく変わった。これが僕らのエネルギーの元であると再認識した旅であったかもしれない。どんなに旅をしても何度知っていても新しい衝撃は必ずある。経験値なんてたいしたことないし、中国の事なんてまだまだ全然わかっていない。もっとよく知るために、もっとよくするために一歩づつ進んでいこう。今日の歩みを思い出せばそれは僕らに行くべき道であったと自信をもっていえるだろう。上海からは近い。すでに日本領空。15:00を過ぎ機体は降下を始める。2時間ちょっとなんてあっという間だ。15:35成田着。 みんなお疲れ様!空港で解散式。地震で揺れ、節電の空港は薄暗い。現実の中で生きなければいけない。今回の経験を力にこの国を立て直すためにも僕らが出来ることをこれから続けていこう。 GYPSY QUEEN ROAD TO ASIA#28 2011/03/19-2011/03/22 Step by Step