和僑の風になれ。音楽を辻手日本を世界に広める。そして世界から日本を拡げる。
そんなことがやりたいと思っていた。
また、途中ではあるがそんな道筋がまた一つ見えてきた





2011/11/25
午前6時。昨晩遅かったのでちょっと辛いが先日のツアーから比べると結構余裕だ。天気もよさそうな普通の金曜日の朝だ。7:05に自宅を出発し、7:45に豊洲から高速へ乗る。特に混むこともなく8:25に酒々井のPAへ。ここで恒例の朝食はなくなったが、時間節約と健康のためだ。いいことだ。ゆっくりと出発して8:45、成田空港第二ターミナルに到着。混んでいるかなと思ったがここもすいていた。集合時間の8:50には勢揃い。チェックインをしてゲートに向かう。フライトは10:55なのだが搭乗時間が10:25になっている。ちょっと早すぎ?と思ったので聞いてみると今日は人数が少ないので集まり次第飛ぶからという。そういうのありなんだな。ほんとかな?

実際に搭乗すると確かにすいている。機材はA330。61Aのシートは広々。CAさんに聞くと今日は120人くらいしか乗っていないという。そして結局予定通り10:55MU272便は飛び立つ。フライト中は譜面と格闘。今回は僕らだけではなく氏神一番さん、サンプラザ中野くん、寺田恵子さんとの共演となる。そのために覚えきれていない譜面を最終チェックしとかないと後でひどい目にあう。ある意味ベトフェスからのリベンジだ。あの時は体調が悪く、つらい思いをした。今回はすべて万全の体制にしておきたいね。 快適なシートはなぜか時間も短く感じる。実際に短いけれどね。13時浦東空港に到着。2:55のフライトだった。

降りてみると日本よりちょっとだけ暖かい感じがした。上海はこのシーズンがいいね。今は上海蟹の季節だしね。まあ、僕は食べないけれど。税関を抜けると今回の現地サポートのウーくんがいた。日本語堪能。というか普通の日本の若者と一緒だ。天津出身なのであまり上海には詳しくないという。13:55空港発。市内も来る度にきれいにそして快適になってくる。15時ホテル着。昨年と同じきれいなホテルだ。ここでサンプラザ中野君と合流。

初めての人もいるので市内へ向かうことにした。とりあえず豫園に行って定番の小龍包。中国人も整列して並んでいるこのお店。聞くと地方からわざわざ食べに来るほどの人気という。実際においしい。ここ豫園は観光名所であり何度か来ているがなんていうんだろう?お店が洗練されてきているというか一言でいうととても清潔になっている気がする。

一行は豫園をでて外灘に。なかなかタクシーがつかまらず結局歩いていくことにした。外灘は最近何度か来たが工事中だったりしてたどり着けなかったところ。2002年に写真を撮った場所に行きたかったので今回いけてラッキーだったりする。川向こうの景色は大きく変わってしまったが、東方明珠だけは変わらない。以前の存在感は薄れたけれどね。

その後南京路に向かい、appleの大きさに驚いたり、やはり上海は大都会なんだなと感じさせられる。もうここには混沌という言葉は似あわなくなってしまった。南京東路で地下鉄に乗りホテルへ。1930に夕食を食べに去年いった店に向かう。つぶれていなくてよかった。取りあえず普通の中華スタートだ。食後21時よりミーティング。上海和僑会の懐かしい面々と再会だ。今回このコンサートに至るまでにたくさんのやり取りがあった。

特に今回は上海和僑会が中心なのでみな、恐ろしく忙しい。コミュニケーション不足も多々あり、本当にどうなるかと思っていた。でも、そこはパワーある集団。最後の最後に追いついてそして今日を迎えた。詳細打ち合わせも終わり予定通りであることを感じてひと段落。時間はまだ22時。みんなで近くの火鍋に行くことにした。ちょっと入りにくい店だがまあいいだろう。店内に入ると、誰かが大暴れした後のような席をかたずけている。どんな飲み方をしたんだ?入口にはナマズが泥の中から顔をのぞかせている。ちょっと怖いぞ。恐ろしい火鍋臭も加わってDEEPさは広がる。ここでこばじゅんと打ち合わせ。じっくり話したかったので有意義な時間となった。火鍋は辛いというか不思議なスパイシーさで微妙だった。

お店をでて24:30.近くのマッサージに向かう。70分60元なので良心的な店だ。店員と仲良くなったのはいいがずっとしゃべりっぱなしだったのでマッサージが気もちよかったかはわからなかったのが残念だが、酒井も開始20分程度で眠りについていたので気持ちよかったのだろう。2時にホテルに戻る。簡単に明日の流れを確認して就寝。3時か。日本だと4時だ。丸一日起きていたんだな。早く寝よう。

2011/11/26
今日も午前中はゆっくりできてランチ集合。まるで夢のようだ。しかしちゃんと8時に朝食。ここで今回の説明をメンバーにもできた。和僑会との関係を去年からつづる。もともと2009年3月に初めて出会い、2010年の12月にゲストで読んでもらった。そして、2011年3月に再開し「和僑の風になれ」のコーラスを収録した。7月には北京で再会しCD化を決めそして今に至る。人と人のつながりは素晴らしく大きな感動と成果を生む。

ただ、時には知り合ったことで悲しみに包まれることもある。僕らと出会い中国と出会い、上海で仕事を始めた美彗が事故で亡くなったのが今年の5月。初めて中国に行ったのが3月だからあまりにも短い時間だった。それでも彼女はビジネスで成功するきっかけをここでつかんだし、大きなステージにも出ることができた。幸せの度合いは秤で測れるものではないが、その時はきっととても充実感にあふれていたのだろう。残された人たちの悲しみを空から見ているかもしれない。そしてきっと今日のこの日。本当は彼女もこのステージに当然乗っていたと思う。再会をした彼女は中国語で僕らに話しかけてきただろう。それを思うと残念で仕方がない。メンバーみんなも同じ気もちだ。追悼の気持ちとして彼女とともにこの場にいることを考えることが僕らにできること。そして安らかに眠りについてほしいと心から思うのだ。

ぼくらにも時間が無尽蔵にあるわけではない。今だからこそできることをできるだけやっていきたいと強く思う。あわてることはないがゆっくりするほど悠長な生き方を選ぶ気はない。なんだか気持ちが引き締る。がんばるよ。僕らが存在する限りかかわった仲間のことも忘れない。そしてそれはいつまでも語り継がれるはずだから。

昼に再度集合して昼食へ。ランチは近くの鳥のおいしい店に行く。イメージ的にはファーストフードだが中国だとこうなるんだなという感じだ。コラーゲンたっぷりで女子には大人気。すっかり満腹状態でホテルに戻ると寺田恵子さんが到着していた。今回、Show-yaのライブを昨日こなして今日入国。夜にライブで明日帰国というもっともハードなスケジュールで参加してくれた寺田さん。せっかく来てくれたのだからいろいろ見てもらいたいがそれにしてもハードだ。夜の本番のためにまずは休憩をしてもらう。そして、あっという間の16時ホテルを出発する。リハーサルは17時から2時間。もちろん、サウンドチェクも含めてである。

リハなし当たり前の僕らだが今回はそうも言えない。最高のステージを見せる人たちだからある程度パーフェクトにしないといけないと思うと戦闘モードにおのずとなってくる。セッティングから入って2時間。何度もいうがタイトであるというかタイトすぎる。今回の会場のMAOは以前の場所から移転して結構大きな通り沿いに映っていた。いい感じ。

ステージも客席も広く、相当入る感じだ。いいね。すぐに準備をしてGYPSYQUEENのリハーサルも奇跡的にできた。まあ、無理と思っていたのでラッキーだね。そして氏神さん、セッション、寺田さん、中野くんと続く。


最高のシンガーたちだからあとは僕らがうまく音を乗せればいい。そして、特に今回初めて上海でのステージを迎える寺田さんにはいい印象で上海でのスタートを切ってほしい。
そんな思いで気合も入る。進行についてはこばじゅんとviviちゃんが司会を担当。わかりきっている二人だから安心だ。その間にもいろいろな準備が進む。バックステージにもゆうきさんがついてくれた。彼は北京などでエンタメの制作をしているという。サバキも安心だ。食事を済ませて会場に戻ればもう本番前だ。あとは大勢のお客さんと和僑そして僕らのノリで決まる。この強烈なコンテンツを生かすも殺すもバンド次第。いい感じじゃないか。盛り上がっていこう!

音響のスタッフも古くはARKからの顔見知り。言葉を交わさなくても安心してプレイに専念できる。北京の時からお世話になっているSAM2さんもこの会場にいるだろう。探したが結局会えなかったけれどね。でももしかしたら、打ち上げにひょっこり来るかもしれないね。新しいMAOはロビーも広く何より楽屋が充実している。微妙にDeepな赤に染まる楽屋で待機をしているうちにいよいよ本番の時間となった。一緒に出演する小松君とも久しぶりの再会だね。こちらで頑張っている彼はどんどんたくましくなっている。オープニングのパフォーマンスも終わりいよいよ彼らのステージが始まった。 楽屋にも客席の反応が聞こえてくる。いい感じだ。

バックステージでは精神統一をする中野さん、おちゃめな寺田さん、そわそわぎみの氏神さんと三者三様のスタンバイとなっていた。僕らGYPSY QUEENも淡々と準備をする。GYPSY QUEENで出たらそのまま最後までその勢いで行くんだろうな。今日の企画はかなり盛りだくさんで時間的にもタイトだ。あまり押してしまうと最後の出演者、サンプラザ中野くんガつらくなる。なので全体進行については非常にデリケートになっていた。そんなときに東京和僑会の三浦さんが「時間通りに進めます、任せておいてください」と時間死守を宣言してくれた。

僕らを安心させてくれる。つじつまを合わせてくれる人がいる。こういう時みんなの力が集結する和僑会はほかの何よりも強い。Pray for japanで過酷なスケジュールで戦った仲間は特に強い絆で結ばれているのだ。これはそのまま「和僑の風になれ」につながるね。そんなリアルな歌なんだなと改めて思う。彼らとの心の息遣いを歌詞にしただけだからね。さあ、いよいよ僕らの出番だ。





一年前中国でぼろぼろになっていた時に和僑会のイベントで何とか気持ちを持ち直すことができた。それがなかったら今こうして中国で活動していなかったかもしれない。そして、3月の貴州のあとにいろいろな話をした。レコーディングも行いそこから5月のPray for japanにつながる。この急遽立ち上げたチャリティコンサートにヒントをくれたのは上海和僑会の藤岡さんだった。そしてそれは東京の三浦さんとつながり、今の関係ができた。感謝だけでは語りつくせない気持ち。それをプレイに出せばいい。今日のGYPSY QUEENいつもとはセットを変えて「Alfred&Julia」から行く。お客さんは半分以上日本人だからね。もう一曲目から飛ばしていこうじゃないか。

客席を見ると日本人と中国人。いろいろな顔が見える。持ち時間がそれぞれ30分なので一気に乗り切ろう。Shinonも今年の中で一番調子がいい感じだ。バンドも前回の反省点は解消され流れがよくなっていた。これで課題が一つ消えた、そしまた更に精度を上げていこう。そういえば今日が中国ライブとしては今年最後になるな。あっという間だね。最後に今日リリースとなる「和僑の風になれ」をやる。この歌は和僑のための歌だからみんなにもステージで出てもらうことにした。事前に提案しておいた「we」と「can」と「change」と書かれた旗は和僑のテーマでもあり筒井会長と最初に会った時の言葉でもある。当初、上海に来る前に僕の想像の世界で書いたこの歌にリアルな言葉が追加された

「心の絆をつなぐ仲間が今ここに。君の手は離さない。一人じゃない。言葉を交わせばフレンドリーな君も仲間になる」

という部分は筒井会長と上海のワインバーで飲んだ時にできたものだ。あのときはいろいろな話をした。そしてものすごく感銘を受けたね。だからこそこのメロディは非常に重要な意味を持つ。人を愛し和僑を立ち上げた人たちに贈る「絆」の言葉である。この曲で今年の中国でのGYPSY QUEENのステージは終わる。今年一年いろいろなことがあった。本当にありすぎるくらいにね。それをよく乗り越えてきました。GYPSY QUEEN。お疲れ様。

ステージは続く。氏神さんの登場。本当にこの手のイベントでのインパクトというかパワーは素晴らしい。「飛んで日本」「オエド」と立て続けに歌いそしてあっという間に過ぎ去っていくパフォーマンス。さすがだ。

インターバルを経ていよいよ寺田さん。競演という意味では今回が初めてになる。ベトフェスでのすばらしいステージをみてどうしても参加してほしかった。アジアでは見ないタイプの女性ロックボーカル。その思いに応えてくれてタイトな予定の中の参加。その分満足して帰ってほしい、バンドのメンバーも同じ思いであろう。「のんほ(上海語でニーハオ)」で登場。一曲目は「私は嵐」で始まった。machaのギターもいいね。さすが何でもこなせる強さだ。会場を一瞬で引き込むボーカル。すばらしいとしか言いようがない。そして、続くこの日はアコースティックにバンドを加えたバージョンを3曲。「冷たい月」「限界LOVERS」とつながる。限界のアレンジは非常にかっこよくぼくらGYPSY QUEENが得意とするパターンだ。


「RocknRoll」では会場を巻き込んで盛り上がる。shinonも参考になるだろう。この曲でここまで持っていくのは彼女くらいなんじゃないか? はじめてみる上海の人たちを魅了してステージを終える。ここまで完璧に予定通りで進む。音楽をやっているとノリで時間が延びてしまう人がいる。でも、それは絶対に良くない。単なる身勝手であると思う。だからこそ、想定をしてきちんとしたタイム管理をしたい。それが本当にみんなが楽しめることであると思う。そんな大人な進行の中完璧にこなす仲間とのステージは本当に心地よい。

そして、最後にサンプラザ中野くん。もう登場からボルテージは上がりっぱなしだ。「大きなたまねぎの下で」から始まり次に地震の支援ソング「tomoshibi」を歌う。これは中国版をBeyondのwingも歌ってくれている。今日のコンサートにもこれそうだったが香港でのステージが決まってしまい参加できなかった。彼の気持ちを形にするためにも次の機会に競演できるようにしたい。日本人と中国人によるバンドを作ることは40周年に向けての僕の夢だ。どこからどこまでが日本とか中国ではなくみんな一緒。まさにoneasiaなチームが作れればいい。それは次回にとっておこう。

そして、後半は定番。「旅人よ」、「ランナー」と続く。誰もが知っているヒット曲を持っている強さを痛感させられる。東京と変わらない盛り上がりだ。世界20箇所に広がる和僑会。きっと加速度的に増えるだろう。その創生期にあたる今、ここに関われることは非常に幸せだ。ステージが終わり最後のセッションになる。酸欠でかなり苦しい環境だがもう少しだ。

楽曲「希望の道」は東日本大震災支援で歌っている日本語は氏神さん、中国語はwing、ベトナム語はLamTruongが歌ってくれている。それぞれアプローチも異なるこの曲をもっと伝えていきたいと思う。「tomoshibi」同様wingがこれなかったので競演はなかったがきっと近いうちに実現することだろう。今日は日本人ボーカル4人による競演。そして最後の最後、「和僑の風になれ」でコンサートは締めくくられる。筒井会長もステージに上がってきた。今回の幹事の増井さんの顔も見える。藤岡さん。いい顔をしていたね。

いろいろな思いの中で次に向かって前に進んでいこう。僕らも音楽の和僑だ。日本を世界に伝え、世界を日本に伝える。次の時代のために、次の日本のために何かをする年になってきた。今やらなければいつやる?そんな思いを共有する仲間とのステージ、そしてそれに共感してくれるみんなに助けられて完成したステージ。この場を作ってくれたみんなに感謝だ。

バックステージに戻るとみんなの笑顔がまっていた。ライブはうまくいっただろうか?それを評価してくれるのは和僑会の人々だ。それはみんなの笑顔でわかる。まあ合格点をもらえたのかなと。上海で開かれるアジア大会の最後を締めるこのライブ。有終の美を飾りたかったのでなんとなく肩の荷が下りたという感じだ。交流の場となった楽屋は次につながる話もいろいろ生まれていった。こうして人と人の連鎖で新しいことが次々に起きてくる。楽しいね。そして、時間は12時近くなっている。急いでホテルに戻り打ち上げへ。

今日は火鍋打ち上げだ。かなりぐったりぎみだったが会場につく頃には復活。四川の火鍋と比べればちょうど良い感じの辛さ。もはや四川と湖南の激カラを体験している僕らに怖い辛さはない。大混雑の中、乾杯。中野さんも寺田さんも氏神さんも喜んでくれている。それが何よりだ。会場があまりにも混雑しているのでいろいろな人と会話できなかったのが残念であるがそれ はまたの機会にとっておこう。和僑会も拡大しており、アジアだけでなく北米でも立ち上がってきた。アセアン諸国にも広がっている。シンガポールやインドネシアにいく日も近いだろう。そして、そのときにはまたスペシャルな仲間に声をかけて準備をしていこうと思う。

会場を出るときにもみんなに見送ってもらった。再会を約束。そう、必ずまた会いに来るよ。この連鎖が続くまでね。深夜の道はすいている。ホテルに戻ってさてもう一杯という感じで町へ。しかし、さすがの上海でもこの時間になると全滅であった。さらにマッサージもすでに終了していてだめ。マッサージ屋の扉をたたいたら開いていたので勝手に中に入っていったが、奥から寝巻きの子が眠そうに出て きたのでやめておいた。まあ、3時過ぎているからね。「中心部にいこうか!」という話も出たが結局コンビニで買い物をしてホテルの部屋に。恒例のビデオ反省会だ。

まだまだ、目指すところは先の先ではあるが今回は本当にみんな良くがんばった。中野さん、寺田さんのマネージャともかなり盛り上がった感じになった。特に初日に中野さんが「中国にもパワースポットがあってそれは湖南省にあるらしい」的なことを行ったときに僕らは仰天だったな。だって僕らも先週初めて聞いた地名、張家界という世界遺産の名前を中野さんから聞くなんてね。「それって張家界!ですよね!先日そこで行われる音楽祭に行かないかと打診されましたよ」と興奮気味に話してしまったことも懐かしいがまだ昨日のことだ。

「まさに運命的な発言だよね」とみんなで盛り上がる。こういう縁がつながるときはあっという間に何かが進んでいく。「一緒に行きましょう!」当然盛り上がる。そして、4時も過ぎたころに黒田さんもアイスクリーム持参で登場。今回のステージ再度のプロデューサである。準備期間中、忙しい中、いろいろ調整をしてくれて本当に感謝だ。このまま朝まで!と行きたいところだが睡魔も限界に。このままいると確実に朝になると思ったのでとりあえず中締めをする。 すでに5時だ。明日はゆっくりだが一度解散。ふらふらになりながら部屋に戻る。6時前就寝。よかった本当に良かった。ここにみんなを連れてきて本当に良かった。

2011/11/27
ゆっくりの朝。こんなことは過去のツアーでもめったにない。超嬉しい。荷物の片付けやレポートを書いたりして11時に昨日いけなかったマッサージに向かう。ここは基本1時間40元。かなりの安さだと思う。一昨日も来たのだが妙に気に入られてずっとおしゃべりタイムだけになる従業員がいる。

そして、その彼と話しているとこれもまた恐ろしくびっくり。なんと湖南省の人だって!このめぐり合わせ!狭すぎだよ今回も!ということで毛主席の生家のことやもちろん張家界、そして李白のことなどを語る。なんといっても先週行ってきたばかりなので湖南省に対する知識はばっちりだ。びびちゃんがQQのアドレスも交換し早速交流。またここに来そうな予感満載だ。12:30にホテルに戻りロビー集合。昼はどこに行こうか迷ったがなんとなくKFCに。相変わらず欧米化した僕ら。ちょっと辛めのチキンがおいしくてね。

でも33元もするということはまだまだ高級品なんだなと思う。途中ショッピング中の寺田さんと遭遇。早速真っ赤なベストを買っていた。妙に似合っていた。あまり時間もなくスタバ経由でホテルにもどる。


いよいよこの弾丸ツアーも終わりが近い。14時にロビー集合し黒田さんと14:20にホテルで別れて空港へ。空港まではウー君が一緒に来てくれた。本当にあっという間の三日間だったな。1505空港着。ちょっと込んでいたが無事1540チェックイン、ここでウー君ともお別れ。僕らの姿が見えなくなるまで手を振ってくれている。いいやつだ。日本にきたらご馳走してあげよう。こうしてまたひとつ新しい絆が広がったんだなと思う。買い物をしてそれぞれ集合となるが、搭乗時間16:15になってもゲートは開かず結局一時間遅れでMU271便はテイクオフ。

機内も混んでいて更になぜか僕だけが遠く後ろの席に離れていた。まあ、ゆっくりしていこう。ツアーのまとめや映像チェックをする。昨日のことがよみがえるね。そして、そんな座席配置にも理由があった。偶然隣の席の方は中国でいろいろ活動されている方。いつどこから何が始まるかまったくわからないよ。意気投合。帰りの機内でさえ、こんなサプライズをくれた。仕込まれていた様な気になるのも不思議じゃない。また、楽しみが一つ広がったね。


第四章2幕はここで閉じることになる。ほんの2週間前に終えた前回の反省を持って望んだ今回。完璧とは行かないがかなりの修正ができた僕らはいまだ進化の過程にある。寺田さんの歌の歌詞を借りれば「限界まであきらめない」なんだろうか。それを実践することは難しいことだがなんとかなっている現状が明日を創り出す。今年は本当にいろいろなことがあった。世の中もGYPSYQUEENにとっても自分個人にとってもだ。忘れられない一年になったことは間違いない。辛い事が多い今年もこのツアーのおかげでよい思い出が勝ち越すことができた。以降何度も思い出されるだろう今年2011年の印象はどう記されていくことだろうか。

次のステップが見えてきた今年。次に何が必要かが定まってきた今年。限りがあるできる事のリミッターをはずして次に進もう。NoといわないGYPSY QUEENは健在だ。来年もすべてYesといい続けよう。そのくらいのことと思える仲間と共に。

22:20。約1時間遅れて成田に到着。そんなに疲れはない。来年に向けた宿題をたくさん持って帰路に着く。みんなお疲れさま。本当にありがとう。







GYPSY QUEEN ROAD TO ASIA#32
2011/11/25-2011/11/27
All together