2012/03/23-29 日中国交正常化40周年事業「武漢・貴州・成都公演」
GYPSY QUEEN ROAD TO ASIA#33  Reproduction



日中国交正常化40周年。その10年前、スタートしたことがどれだけ役に立つのだろうか?
一つの成果を導き出すためにいつもより少し積極的に話を進めてきた今回の旅。
僕らにできることは何か=僕らの存在意義は何かを問う






プロローグ
今年は日中国交正常化40周年を迎える。日本と中国で関連イベントが巷の話題になる。思えば僕らの中国は10年前の国交回復30周年が大きな岐路になったといっていい。そうか、長い十年。そしていろいろなことがあった十年だった。その中でいろいろなことを学び、時には折れそうになった心、そしてそれを一気に生きる意味として知らせてくれるたくさんの仲間、出来事。そんな繰り返しの中今がある。僕らにもこの40周年を祝うイベントの話があった。10年もやっているのだからそれなりの事をしなければいけない。もちろん自信はあるよ。どうすればいいかってことはある程度分かっている。何がよいとされて何が意味がないかってことはね。そして、準備を重ねたある日事件は起こった。名古屋の市長の歴史問題への発言。その情報の正確なことはわからない。ただ、世の中に伝わるのは歴史に対する認識についての言葉が飛び交う。嫌な予感がした。過去何度も経験したこと。一日一日とすぎる中、特段僕らの公演に変化はなかった。しかし、南京のジャパンウイークがキャンセルになったあたりからぼくらの周りもざわざわし始めた。そして、武漢でのサクラウイークは急きょ延期措置となった。もしかして、その影響があったんじゃないか?一瞬心がずしんと沈んだ。もちろん理由はそのせいではないと思う。でも、そんな時期柄の延期だけに多少なりとも心に暗雲は立ち込めた。
みんなが楽しみにしていた。日本も中国も。そして大勢の人が準備に携わっていた。その人たちの思いを考えるともちろん自分もだが、残念で仕方ない。延期であれば仕方がない。もう一度を信じていけばよい。そう思うことにしようと自分に言い聞かせる。
そんな中、ほかの二か所については順調に話が進んでいた。もちろん、恐る恐るではあるが前に向かって動いていた。それでも油断はできないよね。そう思って準備をするのは骨が折れることだ。しかし、転んでもただでは起きないのが僕ら。事前の準備で武漢とはかなり詳細までメールでやりとりをしていて、人間関係もできていた。実施する前からもう仲間になっていた。そんなことが功を奏したのかなんとメインのイベントは延期ではあるが、同じスタッフが武漢の大学で行うイベントを仕切ってくれるというのだ。人と人が一緒に作る素晴らしさ。日本人も中国人もないということは日頃の経験からわかっている。世の中は僕らをためそうとしているのか?そうであればずいぶんいたずら好きだな。持ち上げて、思いっきり落としてそしてまた持ち上げてくれる。ジェットコースターに乗ったように一喜一憂しているうちに出発の前日となる。結果としてすべての公演地でのプログラムは成立することになった。若干規模が変わったことは愛嬌だ。何よりも中国という国の中で一度延期となったものが形をかけて実現されるなんてちょっと前なら考えられなかったし、それは今でも同じことなんだろうと思う。幸運にも僕らは素晴らしいパートナーと出会い、そして準備を一緒に進め、お互いに明日武漢で会うことを心から待ち望んでいる。もうそれだけで僕らがやりたいことは半分以上満たしている。音楽にできることはその音楽の部分を超えて、音楽の現場を作る者同士、すなわち人と人の心を絆をがっちりと組み合わせてくれることでもある。国と国が新しい関係を作っていく基礎はなんだ?それはミクロの世界で共に手を重ねあう人と人に間違いない。それができたこと。それは最高に素晴らしいスタート地点に立てたことに他ならない。さあ、始めようか。また新しい出会いの旅よ。


2012/03/23
小雨交じりの午前。今回は羽田出発ということで11:50に集合となる。羽田の国際線ターミナルはとても空いていてあっという間にチェックインを済ませることができた。最近は国際線も自動チェックイン。そういえば上海でもそうだったな。これって使い方わからないと結構戸惑うんじゃないか?チェックイン後搭乗ゲートで待つ。雨がなんだか寂しい。13:50を若干すぎCA182便は飛び立つ。飛び立ってからずっと揺れている。みんなは冷静(というか何事もないようにしている)だが私は怖い。

どうも飛行機の揺れは慣れないね。去年の夏のトラウマがまだ残っているみたいだ。揺れのおかげで昼食も遅れた。でも食欲がないのでちょうどよかった。ここは寝るしかないと思って極力明るい音楽を大音量で聞いて過ごす。ABBAを聞いて飛んでいることをしばし忘れる。16:50、激しく揺れてなんとか北京首都空港到着。はあ、疲れた。


今回も国内線の乗り継ぎのため一度出国して再度武漢便に乗り継ぐ。荷物をピックアップしただ、どうにも楽器が出てこない。クレームを入れるとわからないというので、わからないじゃないんだよ、ということをわかってもらったうえで再度探してもらう。非常にひどい北京なまりの係員の中豪語が分かりにくいのでちょっといらっとする。時間はあっという間に過ぎ19時前。もう間に合わないと思って「見つかったら武漢に届けてくれ」と言い出した頃、勝ち誇ったように、「ほら、あったよ」と言われる。後ろを見ると荷物を探してきてくれたおじさんが笑顔で立っていた。ここにきて笑顔でもないがまあ良しとしよう。急いでチェックインをするも武漢便が遅れて20:40のフライトに代わっていた。ちょうど良い感じなのでKFCへ。ここで明日の交流会の準備をする。いろいろ変わったからね。20時を過ぎてゲートに向かうが、ここでさらにディレイして21:35のフライトに代わっていた。まずいぞ。ここまま欠航ってこともあり得るね。まあ、その時は仕方がない。湖北省の林さんに遅れていることを告げ再びお茶をする。今回は非常にのんびりした旅で時間的余裕もたっぷりある。この時間に気持ちを中国モードに変えていこう。21時。搭乗の案内がありこれでなんとか今日中に武漢に行けるとホッとする。またもや小さなB737に乗り込むとほぼ満席の状態だった。21:40武漢に向けて飛び立つ。あと2時間で目的地に到着だ。飛び立つとすぐに機内食。微妙な鳥のヌードルだった。小刻みに揺れて90分。機体は下降を開始する。眼下を見下ろすと街の明かりの中に真っ暗な大河が見える。長江だ。ようやくたどり着いた感のある武漢。23:35、一日をかけて到着する。武漢の空港はとても巨大。あとから聞くとここも日本のODAでできた空港のようだ。そのきれいな空港を出ると湖北省の林さんが待っていた。今回、湖北省のすべての窓口はこの林さんだった。事前の細かいやり取り、丁寧なものの言い回しなどすべてにおいて「できる」女性であった。なので対面するまではもうばりばりのキャリアウーマンか?と思っていたのでその優しそうな雰囲気は意外だった。もちろん、いい意味でね。手際よくに乗り込み武漢空港を出発。市内までは1時間かかるという。その間にいろいろ武漢のことを聞いた。ここ武漢は人口900万人。教育に力を入れている省で中国ではナンバーワンの実績を持つという。長江を境に南と北が分かれていて、昔はここが国境でもあった。三国志で有名な赤壁はこの近くにある。今回の行先の華中科技学院は5万人のマンモス大学。学校の中に26ものレストランを持つことでも有名。長江の大橋を渡り文教地区の武昌にはいる。大学エリアがまとまっているなんて、長沙にも似ているね。ここ武漢は中国を鳥に例えると胃の部分。すなわち中心部にある。そのため各地からの食文化が入り混じっているのが特徴という。林さんは福島に一年間仕事でいたということで本当に流暢な日本語と何よりも日本人の考え方がわかっている人だった。出会えて本当に良かったと思う。そして日にちは変わり1時。ようやくホテルに到着。チェックインして部屋に入るころには1:30になっていた。長旅だね。いろいろ調整しなければいけないことも多く再び集合。明日の進行や急きょやることになったライブの準備をする。即席の部分は多々あるが時間は使いようだ。できる限り明日待ってくれているみんなのために、準備をしてくれた林さんとためにベストを尽くそう。3時を過ぎて一度解散。Masaoとmachaはまだまだ打ち合わせを続けていた。明日はどんなことになるのだろうか。時計を見ると4時だった。日本時間だと5時か。まる一日起きていたということだね。

2012/03/24
6:30起床。ほとんど寝ていない感じだ。でも意外にすっきりした目覚め。7:30レストランで投入と汁なし担担麺を食べる。中国式の朝食だ。8:30にホテルを出発し華中科技学院へ向かう。ホテルから市の中心に向かって15分。巨大な大学に到着。大学の中はとっても雰囲気のある木々に囲まれていて中国の学校教育にかける意気込みが感じられる。会場はその中にある外国語学院で行われる。到着するといきなり歓迎の電子バナー。いろいろ用意してくれたことに感謝。かなり肌寒い中、さっそく準備を始める。今回は交流会メインであるがライブの延期に伴いアコースティックコンサートを行うことにした(機能の夜中に決めた)。曲も今後のために全曲毛色の違う曲を選ぶ。その反応次第で傾向が変わる。そんな思いだった。会場にしだいに学生が集まったころ、何やら見たことのある顔ぶれが会場に来た。声をかけてみると日本人だった。中国に留学をしている学生たちがたまたま、武漢に来ていて今回のプログラムに参加することになったとのことだった。同じ日本人としてこうして中国で何かを見つけようと頑張っている姿は共感できる。もしかするとこの出会いの数年後一緒に何かをやっているなんて容易に想像できるからね。同じ思いのあるものといろいろ話したかったがそろそろはじまるということもあり我慢。そして、9:30ちょっと過ぎたころミニコンサート付交流会が始まった。交流会では僕らのテーマでもあるFace to Faceの交流の今の日本、今の中国をお互い知ろう、というのが大テーマ。それに合わせていろいろな質問を投げかけ、そして聞きたいことがあればそれにこたえるという形で始まった。


こういう企画って結構考えれば考えるほど広がる。その中で上限をきめてタイトな規模感を失わずに最大限できることを具現化する。それも一つの実力なのだ。途中、武漢の音楽学校に生徒が一緒に演奏をしたいといってきた。何ができるの?と聞くとBeyondが弾けるというので急きょ交流会に組み込んだ。キーの確認すらできなかったがぴったり合って思いのほか盛り上がる。いいね、こういうの。きっと学生も楽しかったに違いない。

交流会の後半はアコースティックライブ。結局6曲演奏してアコではあったがちゃんとコンサートの形ができた。今回は本当にどうなることかと思っていたがまずまずのスタートが切れてほっとした。終了後みんなと写真撮影。時間を見るともう12時。2時間ちょっとやっていたが中身も盛りだくさんだったらとても短く感じた。その後会場を出てランチ。大学内の食堂とは思えないきちんとしたレストランであった。ここで学長とご挨拶。同じテーブルでいろいろ話をした。そして湖北省の呉さんともご挨拶。ものすごく日本語がうまくてここが中国であることを忘れさせる。日本にいたときは福島にいたそうで、そんなこともあり今回の震災被害については心を痛めていて、多くの義捐金などを送ってくれたそうだ。いつも思うがこういった中国からの善意はあまり世に出ていないと思う。中国から日本に研修や留学できた人たちが日本を好きになり、そして震災で壊された日本のためにと多くの手をさし述べている。僕らはそれを知らずに日本で中国との交流をしている。特段アピールすることではないのだろうけれど、昨今の日中関係を考えればこういった中国からの恩というものはもっと広がっていいんじゃないか?と思う。それをだれもやらないなら僕らがやるしかないか。できるかな、まあ、やれるだけやってみよう。前回の長沙の三一重機もそうだった。福島を救ったポンプ車を送ってくれた中国企業が長沙にある。それをどれだけの日本人が知っているだろうか?この武漢で日本を大切に思い汗を流して義捐金を送っている人がいることをどれだけの人が知っているだろうか?それは知らしめていかねばならない。宴席は盛り上がり13:45。留学生チームとわかれて僕らは市内へ。呉さんと林さんに連れられて湖北省博物館へ向かう。ここは2400年前のお墓が出土した博物館となっており、ものすごい規模のものだった。また、その当時の楽器が見つかり、レプリカだが実際にその演奏を聞かせてくれる劇場まである。丸々2時間をかけて先人たちの生活を紹介してくれた。歴史好きの僕にはたまらないね。その後東湖のそばにある漢街へ向かう。

ここは中国のベニスと呼べるような運河沿いに広がる新しい街。ゴミひとつない通りにたくさんの人があふれている。本当に変わったな。そして、今回初めて来た武漢のイメージがあっという間に変わったよ。もっとDEEPな街を想像していたけれど、普通に日本で週末に遊びに行くような街並みと豊富な商品。これがリアルな中国なんだ。「今の開発ラッシュはあと五年続きます。その時はもっと素晴らしい街になっています」と呉さんは言う。その言葉は本当だろう。街の活気がそれを実証している。17:30、漢街をでて夕食会へ。今日は日本商工会のみなさんと湖南料理を食べに行くことになっていた。なぜ湖南?というと前回の長沙で偶然お会いした向井さんと本当にここで再会できたからだ。湖南がつないだ縁だからね。武漢での日本企業のことや中国での過ごし方をいろいろ聞く。どれも興味ある話だし、とても共感できてうれしくなる。何よりもこうしてここに来ることで新しい出会いと仲間ができる。それが格別にうれしいね。日本人として日中友好コンサートをやりに来た僕らだからその土地で頑張っている人たちと出会い、情報交換できればいい。時にはそんなみんなの応援団でもいい。それが人と人をつなぐことで何も中国人と日本人に限ったことではない。辛い料理を食べつつ会話は盛り上がった。そのお店は有名なお店でとにかく辛い。そして白酒。禁酒中の僕は飲めなかったがほかのメンバーが担当。それにしても中国で働く日本人パワーはすさまじくあっという間に白酒が3本空く。よかった。。飲めなくて。。21:00ホテルに戻る。まだ早いので足裏マッサージへ。80元で70分。安いよね。リラックスしてホテルへ。このホテルはLANがつながるのでもろもろやることも多く事務作業モード。寝れたのは2時だった。

2012/03/25
07:00起床。寝不足気味は毎度のことだが気候がいいのでそんなに苦にならない。08:30、朝食兼ミーテイングで今日の動きを確認する。今日はあわただしくも移動日だ。09:30にチェックアウトをして出発。今日も林さんが同行してくれることになった。休日なのに本当にありがたいね。バスで黄鶴楼へ向かい10時に到着。長江のほとりに立つここは過去何度も改築されているので建物自体は古くない。中はコンクリートだったりして大阪城を思い出す。

林さんの流暢な日本語の説明で時代の感覚や建造の歴史がよくわかった。思えばいつも観光なんてほとんどできていないのでこうしてじっくり町の史跡を歩けることがとてもうれしい。カートに乗ってあっという間に一回りをしてきた。うむ、満足。そして空港へ。本当にあっという間の滞在だった。それでも妙に充実感というかまるで古い友人のように感じられるここの人々。呉さんや林さんに会えたことが僕らにとっても最も大切な出来事だったんじゃないだろうか?お役人として付き合ってくれるのではなく、心から時間を共にしてくれることが分かる。だからこそ僕らにできることはこれからもずっと続けていかねばならないと思った。そして、恩返しに来ないといけないという気持ちにもなった。13:00。空港でランチをとる。林さんともここでお別れ。楽しい時間はあっという間に過ぎる。13:50 出国、ああ、まだ帰りたくないな。そうだ、必ずまたここにこよう。そしてその時はRockのコンサートを披露しようじゃないか。14:45貴州に向け中華南方航空に搭乗。気持ちを切り替える。機内では揺れる&満席の中貴州の交流会の準備をする。寝ている間はない。16:10貴州着。一年前の場所に戻ってきた。約束通り戻ってきた。空港には日本語学科の学生2人が迎えに来てくれていた。最近本当に思うのだが本当にこちらの学生は礼儀正しい。日本が忘れかけている美しさを彼女たちから感じ取る。空港から貴州大学まで40分程度。きれいなそして広大な菜の花畑を横目で見ながらバスは行く。いいね、目に優しい色だよね。そして、山間を抜けるといきなり貴州大学のある花渓についた。橋を渡りすぐに貴州大学に到着。空港から近かったんだね。今回はここのホテルに泊まることにしたので二日間ずっとこの界隈で過ごすことになる。懐かしい風景。宿舎の前に到着すると文先生が待っていた。懐かしいね。そう、去年の3月。本当に僕らの元気のきっかけにもなったかもしれない出会いだったよね。そして、この一年のすべてのスタートはここからだったんだ。そうおもうと感慨深い。昨年実施後からずっと連絡を取り合っていたこともあり本当の老友人のような関係。そして、だからこそできるのだろう、今回は貴州の楽器とコラボレートすることになっていた。そして、その人が僕らのアテンドのキンキンだった。一石二鳥とはこのことか。一緒に演奏をする前にコミュニケーションからということで食事中いろいろなことをヒアリングする。貴州料理を食べながらいろいろな情報を得る。東京を出る前の情報なんてもう古い。日進月歩というがまあ、現場主義ということだろう。話も盛り上がりつつ今日はこのあと19時から交流会があるためにサクッと出発。交流会会場に向かう。この道もなんだか懐かしい。昨年、みんなにとっても評判だったおいしいチマキを売っているコンビニがなくなっていてちょっと残念。そこは小奇麗なレストランに変わっていた。学内を10分ほど歩くと外語学院が見えてきた。今日の交流会はここでやることになる。会場に入ると既に学生たちが待っていてみんなに見つめられながら準備を行う。うむ、なんとも小恥ずかしい。舞台裏を見られるのは恥ずかしいものだ。そんなこともあり準備不足も否めず交流会に突入。中身は書かないが学生たちと本当に知りたい事、関心のあることについて話ができたと思う。そして、夢ハンカチにみんなの夢を書いてもらう。富士山であつまったみんなの夢を焼こうという企画面白いね。一人一人一生懸命書いている姿はうらやましくもある。

そうだ、ここにいるみんなの未来は夢に満ち溢れている。いつまでもそうであってほしいと僕は願った。あっという間の二時間が過ぎ交流会も終了。このプログラムを取り入れるときはどれだけの反応があるかと思っていたけれど思いのほか好評だし、なによりも僕らがみんなの事を理解するに十分な活動だ。ム白僕らが勉強になっているという感じでもある。ずっとやっていきたいね。終了後、琵琶を持ってきたキンキンとリハーサル。緊張もあってなかなか思うように合わせられない。琵琶独特の譜面と元の曲の構成や休符など実際に合わせるとかなり異なるので苦心する。それでもステージは明日。まだまだ時間は山ほどある。1時間ほどしてなんとなく骨格はできた。あとは寮に戻って自分でおさらいをしてもらい、明日改めて朝やろう、ということで終了。よかったな。なんとなくGYPSYQUEENに琵琶が入った感じがしてきた。結構いいかもね。人の喜ぶことをすることはとても楽しい。そして、それは自分にとっても楽しいことであったりする。

ホテルに戻り打ち合わせ。交流会の反省会。そして、明日の公演の打ち合わせ。特にキンキンの琵琶の入れどころなどを細かく調整する。喧々諤々とする部分もある。適当に和気藹藹とやりたいわけじゃない。やる以上責任がある。日中関係のね。本当にそう思うんだ。このステージ一つで日本を好きになったり嫌いになったりする人がいる。だからこそ見た全員に日本を好きになってもらう。そうでなければ来た意味がない。深夜2時半。ようやく最終調整ができた時点で解散。それでも、masaoたちは詳細の確認を続けていた。今日眠らないことが明日の美酒に変わればそれでいいのさ。一足先に部屋に戻り僕は僕のやるべきことをやる。3:30就寝。


2012/03/26
07:00起床。ちょっと寝不足か?だらだらと起きる。08:00にロビーに集合して学生食堂へ。ここで麺を頂く。鶏がらスープだがちょっと調味料を間違えると激辛。でも、キンキンは普通に食べている。やはり辛いものに強いのね。今日はコンサート。その前に開会式に出席する。昨年あった貴州大学の先生たちとの再会は懐かしいものだった。粛々と式典は進み終了。すぐに部屋に戻りキンキンの特訓の成果を見る。昨晩頑張ったのだろう。かなりバンドと合うようになってきた。

これならいけるね。そう確信した。日本式のリズム遊びの所も体で覚えてもらう。中国ではあまり使わないリズムを彼女が会得することに意味がある。そして、それがここから広がることは「仁先生」になった気持ちで心地よい。何となくいい雰囲気が流れてきて昼食へ。そして、部屋で一休みしてすぐに会場に向かう。14時からリハーサル。去年と同じ場所に戻ってきた。スタンバイすると何やら学生が近寄ってくる。去年一緒にコンサートをしたという学生だった。ちょっと記憶が薄かったがなんとなく思い出してきた。そして、今回のアンプは彼らのものを使うという。そのアンプが素晴らしい。というかほぼ新品。ギターアンプも新品のメサブギ。これってかなり高いやつなんだよね。ベースアンプもAshdownのいい奴を持ってきてくれた。本当に変わってきたもので貴州大学の寮に住んでいる学生がこんないいアンプを持っている。あるところにはあるんだなと思う。彼の名前は若くん。坊主頭にNYの帽子。印象深い。日本語はわからないようで英語と中国語で会話する。去年のコンサートがとても刺激的でベースを一生懸命練習しているという。

いいんじゃないか、こういう関係。かいがいしくアンプの場所を変えてくれたり落ちそうになるベースをちゃんと固定してくれたりとよく気の利く学生だった。そんな環境もありリハーサルも満足いく形で進んだ。何よりもいい音の出るアンプで個人的に大満足。ステージではいよいよキンキンの出番になったリハーサル前に漢民族の伝統的な衣装を披露。やはり似合うね。彼女自身は漢民族ではなく布衣族という。リハ前に駆け付けてくれた千夏が音響を仕切ってくれたおかげでロックサウンドと琵琶の演奏という非常に難しい音サバキも完璧にやってくれた。この力は大きいね。いつの間にか千夏が地元の音響スタッフを仕切っている。彼女も3度目のツアー。日本国内での経験もついて頼もしいエンジニアになっていた。貴州民謡をアレンジした曲は昨年も演奏している有名曲。今年もシーシーが参加。ちょっと大人っぽくなっているぞ。背も伸びたか?まるで昔からの仲間のような再会はいつでも気持ちいいものだ。息もぴったり合ってリハーサル終了。17:20一度ホテルに戻り本番の準備をする。18時から学長との夕食だったがほかの行事がかなり遅れているらしく、とりあえず僕らだけ夕食へ。終わりくらいに学長が来たのでご挨拶だけでホテルに戻る。ほかのゲストにも僕らの事を紹介してくれて、さらに「来年は新キャンバスができるのでそこに来てほしい」と一年越しのオファ。なんだかここもホームタウンのような気持になってくる。コンサートは19時スタートだったがVIPの方々の食事も遅れるだろうとと想像しつつ会場へ。だんだん気持ちが盛り上がってくる。ステージ始まり直前。みんなで気持ちを一つにする。このコンサートが成功しますように。そして今ここにいないミサトの魂が再びここに戻ってこれるように。僕らのものだけではないステージが始まる。


司会者は本当に素晴らしい声をもつ男性。TBSラジオの中村尚登さんばりの低音はすぐにでも日本にスカウトしたい感じ。呼び込まれて貴州のステージが始まる。

今回は日本を表現する意味で演歌をロックアレンジして演奏した。ただこの表現はそう正しくない。そもそも中国で演歌はわからない。音楽は音楽。そのメロディ回しが違うだけで日本人には伝わるが歌詞の意味が分からない外国人にはメロディが日本風な歌としか伝わらないだろう。その前提が分かったうえで僕らは日本のアイデンティティとして演奏した。中国で中国の民族音楽をROCKにした。


そのスタイルを置き換えて僕らは日本民族的音楽を僕らなりのアレンジで伝える。そんな方程式を今回持って行ったのだ。思いのほか好評で気を良くする。90分のステージはいろいろなテストも含め実りあるものだった。Shinonの着替えの時の僕の歌も今回は余興ではなくきちんと歌った。Machaとmasaoもコーラスで参加。日本でのリハーサルでもかなりここに時間を費やした。ちゃんとやってみよう。そこからの始まりだったが、まあまあなんとかできたかな?


そしてステージトークショウではviviちゃん登場。プレゼントなどもあり大盛り上がり。コンサートの中の企画としてとても面白いのでこれからにGYPSYのコンサートには必須のコンテンツかもと思った。そして貴州民謡。日中の合作は歌だけでなく楽器もコラボをしてまさに共同制作となった。一緒にいい音を出す瞬間は本当に価値のあるものだ。それまで緊張ばかりしていたキンキンが演奏途中で見せた笑顔は見違えるほどきれいなものだった。幸せ溢れる彼女の顔を見てこの交流の大切さを知る。そしてその尊さを知る。もっとやっていこう、そんな気にさせる瞬間だね。公演は無事終了。そしていつもの記念写真。興奮した学生たちは中国語、英語、日本語で話しかけてくる。アンプを貸してくれた若くんがの見に行こうと誘ってくれる。それも面白いね。と快諾。ホテルに荷物を置きに行き22:10。ロビー集合する。バンド関係の学生たちと学校の外の場末の飲み屋へ。なんともアンダーグラウンドだがここはもう僕らの仲間の店。怖いことは何もない。たまたま若くんが誕生日ということでみんなでお祝いをする。「かれはGYPSYの曲演奏できるんだって」。ドレッドヘアのギタリストは僕らのファンで是非一緒に演奏したいという。うれしい事じゃないか?来年は一緒に演奏しよう。そしてその場で一曲演奏しようということになりドレッドくんのギターでBeyondを歌う。

いつまでも終わりのない夜。お酒が飲めない辛さだがGYPSYの豪傑たちがことごとく学生に飲ませて盛り上げてくれる。キンキンもとても盛り上がっている。不思議な空間だね。今なんで僕らはここにいるのだろう。こんなに打ち解けているバンドマン達がみんな中国人であり、そしてその真ん中に僕らがいてお互いを尊敬しあっている。Beyondを生で見たことのない学生は目をキラキラさせている。ピュアな彼らはこれからのこの国を担う大切な若者だ。最初、この店に入るのを躊躇していた僕はすっかりこの雰囲気が気に入っていた。01:00。名残惜しくもホテル戻る、まだまだいけそうな彼らだがツアー中の僕らが持たないかもね。会計をしようとすると「こっちが誘ったから」と若くんが支払いをしようとする。大の大人が学生におごってもらったとなるとそれはよくない。会計カウンターで押し問答。一度払ったお金を取り戻し若くんに無理やりつかませて、viviちゃんが支払いをすることに。「今日は誕生日だから」といったかどうかはわからないが若くんは泣いていた。それをなだめるviviちゃん。帰り道viviちゃんに手をつないでもらって大学に帰る若くん。とても素晴らしい誕生日になったことだろう。もう、門限を過ぎていたのでキンキンを先生の寮まで送り僕らもホテルへ。良かったな。素晴らしい一日だった。コンサートもそして、彼らとの貴重な時間もすべてだ。


2012/03/27
09:30ロビー集合して今日も朝食を食べに学食へ。今日から応援団も加わり総勢10名となって何となくにぎやかだ。10:00講演会の為にいらっしゃっている総領事にご挨拶。本当は話を聞いていきたいところだがスケジュール的に間に合わないためにご挨拶だけで失礼させていただく。ホテルに戻り荷物を積めて出発。あっという間だったな。文先生とお別れの挨拶。また来年も会えることが当たり前のように僕らは再会を約束してバスに。文先生が「学生はみんなGYPSYQUEENのファンですから来年も来てくださいね」の言葉がうれしい。バスはこのあたりの古い街並みのある青岩に向かう。小さな花渓の町を抜けお花畑の続くのどかな風景を行く。気づくと寝てしまっていた。11時過ぎに到着。ここでしばし散策を楽しむ。

武漢といい今回はこういう時間があって嬉しいね。茶館でお茶をしていよいよ出発という時にツアーメンバーの金野さんがいないことに気付く。さっそく捜索隊。ここで迷ってしまうとどうしようもない。てきぱきと3方向に捜索隊を出す。本隊はまよってしまうので先にバスで待つことになる。ここで待つか、最初の入り口で待つか。そんな中、宮城さんが金野さんと遭遇して発見される。一件落着。ちょっと焦ったけれどよかった。そんなこともあり13:10バスは空港に向かって走り始めた。金野さんに迷ったいきさつを聞く。最初にみんなの行方が分からなくなり最初の所に戻ったがすでにバスはないので、こまってタクシにのって貴州大学に行こうとした。しかし、中国語もわからなかったのでどうなるかと思ったら運転手が貴州大学の知り合いがいてそこに電話をして、その相手からさらに日本語学科のこの連絡先を聞き出し、さらにそこからキンキンに話をつなげて無事所在が分かったという。タクシーの運転手の劇的機転といえばそれまでだが、ぼくらはよく思い当たる節がある。この国はとにかくネットワーク社会。つながりが最重要な国だ。だから、ドライバーは非常にいろいろなことを知っている。以前もツアー中にタクシーに忘れたカメラが戻ってきたり、機材をタクシーの運転手が届けてくれたことがあった。盗難や遭難ということも100%なくはない。でも、この国の人は基本的に親切で当たり前だが日本人と同じように人の苦しみが分かる人たちだ。困っている日本人がいたら助けてくれる。そんな当たり前のことだったが、まあ、見事な旅の思い出になったに違いない。そして、今までよりもちょっと中国が好きになってくれたら幸いだ。14:00、一行は天河空港に到着。ここできんきんもお別れと思っていた。そこでトラブルがまたもや発生。今度はぼくらのチケットが登録されていないという。そんなことはない。さらにビザが必要だという。これもそんなことはありえない。猛然と抗議する。しかしらちが明かずCAのカウンターへ。事情を説明しても押し問答しかならない状況だがそこで文先生に電話をした。文先生は冷静に「航空会社の人に変わってもらえますか?」というので変わる。その1分後。僕らのチケットは発券された。なんで?恐るべし文先生。どんな交渉をしたのだろうか?いずれにしても僕らの航空券には手書きのパスポート番号の記載とCAの印鑑を押してもらい無事搭乗できることになったのである。ほっとした。きんきんはとても申し訳なさそうな顔をしてみんなに謝る。君が誤ることではないというと「一緒にいてちゃんとできませんでした、ごめんなさい」と謝る。いい子だね。気にしないでと慰めきんきんともお別れ。思えばまだまる2日も一緒にいない彼女。それでも、同じステージに立った仲間との別れは毎度別れがたい。一悶着あった後はお腹がすく。空港の地下のKFCでまたもや欧米の味を堪能。そして、16:55.CA4436便にて成都へ向かう。貴州の奇岩の山々を見下ろしテイクオフ。今回もかなり揺れて怖いね。最近なんだか世界の風が強くなったんじゃないか?機内食のそこそこに資料の整理をしつつ着陸を待つ。街の明かりが見えてきた。成都は大都会だ。街の明かりがまばゆい。18:10成都着。またここに戻ってきた。空港には弟、ショウさんが出迎えに来てくれていた。

今回のすべての企画のスタートは彼からだった。かれが僕らの公演のためにこの広い成都の大学をいろいろヒアリングしてくれて、その中でもっとも積極的だった西華大学での公演となった。そして、それが日本文化祭の行事として広がっていったのだ。

ショウさんはこの日結婚届を出す日だったそうで、今日くらい奥さんといなくていいのか?というと「奥さんとはこれから何十年と一緒にいます。でもAKIとはこの二日間しかあえませんから」という。泣かせてくれるじゃないか弟よ!2005年に僕らの重慶でのコンサートを見てくれた彼。2009年に蘇州で偶然再会した彼。そして、上海でも公演の度に会いそして今日を迎えている。僕らのツアーの中でたくさんの出演をしているショウさんだった。西華大学に到着。ものすごいキャンバスで正門から入りホテルに着くまで10分弱はかかるという広大な土地。

5万人の学生を抱え、ほとんどが寮生活をしているという。なんなんだ、この中国の教育に対する熱心さは。こんな素晴らしい環境で学んだ学生たち。一生懸命日本語で交流をする彼ら。一生懸命中国語で答える僕ら。この逆転状況がたまらない。チェックインをしてすぐに夕食へ。ここで尹先生とご対面。ここまでの準備は彼女が一手に引き受けて進めてくれた。流暢な日本語はさすが。ここが日本のように思えてくるね。夕食はもちろん四川料理。辛くないというものを用意してくれたが十分辛かった。

そして超美味である。四川料理、最高。夕食兼ミーティングを行い20:30終了。お店を出て超市で買い物をしてホテルに戻る。何しろホテルに自動販売機があるわけではないので、買い出しは一苦労である。21:30ホテルに戻って明日の準備をおさらいする。この繰り返しからこうして精度を高めていくんだ。深夜0時を回り解散。今日は移動もありかなり疲れたね。いよいよ明日がこのツアーの締めくくりの公演となる。がんばろう。02:00就寝。


2012/03/28

7:00起床。昨日の晩寒かったのか体調悪し。気を付けないとね。今日の本番が終われば風邪もWelcomeだ。8:00にロビーに集合して朝食へ。ここも大学内のマンモス食堂に行く。中身は全部中華。朝から激辛はきついのでなんとなくやさしそうな麺を選ぶ。中国はどこでも麺が本当においしい。ただ、学校が広いのでどこに行くにも時間がかかるのが難点だ。ホテルに戻り9:20。交流会場に向かう。10分ほどで着いて(それでも学校内なんだけれどね)4階の教室へ。エレベータとかはないので全部階段で機材が重い。到着した教室ではここもすでに満員の学生が待っていてくれた。ここまでアテンドしてくれているのはみな学生。ここの学生は本当に礼儀正しく、ユン先生の教育がいいのか本当にすばらしいとしか言いようがない。司会や通訳をしてくれる学生は特に日本語がうまく、一度も日本に来たことがないなんて信じられない感じだ。

交流会は終始楽しく進んだ。夢ハンカチにもいろいろな思いを日本語で、中国語で書いてくれる。みんなの夢がかなえばいいね。終了後記念写真をとろうとしたけれど、終わった瞬間に席を立つのがこちらの流儀。あっという間にいなくなってしまったところは中国らしいね。そして、ランチへ向かう。昨日とおなじ四川料理のお店だ。昼から辛いぞ。たった一人いる日本人先生との交流もできて満足だ。昼食を終え、パンダ基地観光組みとお別れ。いいなぁ。パンダ基地は58元で入場できるらしい。ただ、パンダを抱っこすると1200元とのことなので、どんな需要なんだと思う。まあ、高いのはわかる気がするが。僕らはホテルに戻り機材を持って会場へ。遠いのでこの移動もバスで行くことに。会場は学生センターで日本の体育館くらいの場所だった。体育館なので音場は決してよいとはいえない。それでも朝ご飯も食べずに機材を確認しにいってくれて、そして昼ごはん食べずにサウンドチェックをしてくれている千夏のおかげでリハができる体裁になっていた。本当にありがとうね。

サウンドチェックも順調に進みいよいよコラボのリハーサル。イケメン風の男の子と、普通に東京にいそうな女の子。成都は都会だからか?あまり苦労することなくリハーサルを終えることができた。16:30に終了しホテルに戻りすぐに出発。この後は副学長主催の夕食会ということで「絶対に遅れてはだめ」とユン先生に厳しく言われる。いつの間にか皆、ユン先生の迫力にすっかり言うことを聞くようになっていた。すごい。この食事会も大学内にある接待所の個室で行われた。英語を話しカナダ留学で日本人の親友ができたこともあり日本が大好きだ、と言ってくれた。やはり学生時代の思いはいつまでも残るということだと思う。今日もきっと数十年後の人々の思いを作る場になればいい。かなり話も盛り上がりちょっと押し気味で会場へ。コンサートは予定通り19:00のスタートだ。すでにお客さんは満員。最後列はみんな立ち見になっている。どれだけ入るか気になっていたので違った驚きだ。おのずとテンションも高まる。このツアーもここで最後。思いっきりやろう!司会者がスタンバイをし、幕の外では開会の言葉が始まる。学長のあいさつ、重慶総領事館の山崎さんのあいさつが続きいよいよ僕らの出番だ。SEでWe Will Rock Youが流れ出すと会場のテンションは一気に盛り上がる。本当に最近の中国の学生のノリはすさまじい。RocknRollのナンバーからステージは始まった。

今日も90分ほどのステージだが貴州とはセットリストを変えて望んだ。成都なら四川の歌をいれたりとか、ユン先生のリクエストもあったりしたので貴州とは別な進行になる。途中のshinonの着替えの時のバンドチームのコーナーではBeyondをうたった。国民的な歌手の歌は本当に受けがいいね。貴州ではやらなかった交流コーナーでのじゃんけん大会は思いのほか盛り上がった。みんな日本のことを知りたがっている。もっとたくさんの日本を感じたいと思っている。だから僕らだけではなくもっとたくさんの人が交流をしていけばいいと思う。もちろん、それは簡単じゃない。

簡単ならみんなやっているからね。いろいろな障害はあるものだがやはり一番の決め手は、会いたいと思う人がいるかどうかなんだろうと思う。幸い、一つのきっかけをもとに僕らには会いたいと思う中国の朋友がたくさんできた。そこを綴ってきて今まで来たし、それはこれからも続くだろう。今回もまたたくさんの絆ができたと思う。それも加速度的に増えてきているということがわかる。交流は大勢とすればいいものでもない。ちゃんと相手の顔を見てちゃんと話をしないとテレビの映像と何ら変わりない。Face to Faceの大切さはどれだけ心を入れ込むことができるかにもよると思う。それが今回はまたできたんだなと思うね。

ステージ終盤は定番の中国曲をGYPSYQUEENアレンジをしたナンバーで突き進む。最高潮に盛り上がりステージは終了した。最後に会場に全員であいさつ。そのあとはみんながステージに上がって着ての交流、いつも見る場面。そして実に気持ちの良い場面となる。

終了後荷物をまとめホテルへ。ショウさんがばつぐんのタイミングでバスを回してくれる。みんなおつかれさま!6泊のツアーに付き合ってくれた皆さんにも感謝だ。21:30にホテル着。ユン先生の指導で21:50ホテル出発、うむタイトかつ素早い行動である。打ち上げはBBQに行きましょうというのでわくわくしていた。学校を出てしばらく走るといわゆる町の飲み屋の前に止まる。「重慶式ね」、そんな雰囲気だと思ったがお店の看板に何やら怪しい文字が「兔」と書いてある。これは。。。う。うさぎぃ〜!ウサギをたべてしまうなんてなんということだ。BBQと聞いてわくわくモードが一気にローテンションに。しかもお店を見ると何やらウサの顔を焼いたものがたくさんあったような気がした。まあ、ちょっと残念だが僕がうさぎ年であることを伝えたうえで席に着く。気を取り直して乾杯。僕らのコンサートをきっかけに日本文化祭を開いてくれたユン先生、成都でのコーディネートを一手に引き受けてくれたショウさん、そしてツアーに参加してくれた応援団のみなさんと過酷な準備に耐えて一緒に成功を作り出してくれたメンバーに乾杯!

終わった充実感はたっぷりあった。そしてウサギの肉もおいしかった。ごめんウサちゃん。宴席は盛り上がりここでも次の新しい話が出てきた。こうしていろいろな町で新しい関係が生まれる。いいよね。もっと広がればいい。12時を過ぎていったん解散に。明日は会えないということでユン先生ともお別れ。本当にありがとうございました!一行は兔臭くなってバスに乗り込みホテルへ。ホテルでは恒例の反省会をということでいつものmasao部屋に集合する。ツアーの映像を見ながら長いようで短かったこの数日を振り帰る。武漢、貴州、成都。とても濃い旅だったね。睡魔に襲われつつなんとか映像を見終わり中締め。まだまだ飲む気満々のメンバーを置いてフラフラになりながら部屋に戻る。02:30か。いい一日だった。

4/7アップ分

2012/03/29
8:00起床、昨年末から禁酒のためか二日酔いをせず起きることができる。これは非常に最終日を充実させる意味でよい感じだ。残務整理に追われる。このレポートもなかなか追いつかない。そんなことをしている間に気付くとなんだか部屋が暗い。部屋の外がざわついている。停電になったようだ。フロントに聞いてみると停電は大学内全部でどうしようもないという。シャワーは浴びれるだろうか?恐る恐るシャワーをひねるとお湯が出るので出ているうちに浴びてしまおう。それでもドライヤーが使えないことに気づきちょっとブルーになる。10時にロビーに降りるとショウさんが待っていた。

昨日来ないといっていたユン先生も来ていた。なんだかおしゃれしている。みんなで記念撮影をして今日は日本文化祭ということなので学生たちの模擬店を見に行くことに。昨日のコンサートのあとなのでみんなメンバーをよく知ってくれていて和気あいあいとした感じになった。メイド喫茶に居酒屋などなんだか懐かしい学園祭風景だ。「いらっしゃいませ」という居酒屋ブースの子に「へい!よろこんで!」と教えてあげたりメイド喫茶の子にポーズを教えてあげてそれなりに貢献してきた。時間はほとんどなく10:20。大学を出発。

疲れていたのだろうか、バスに乗ってみんなに手を振った後、不覚にも寝てしまった。いつも帰りの道をよく覚えて帰るので(そうすると次に来た時に風景で思い出すからね)疲れている自分にビックリである。もう郊外に出たところで目が覚める。11時だった。結構混んでいるね、とショウさんと話しながらしばらくすると空港が見えてきた。今も建設中のこの空港。もっと大きなものになるみたいだ。デザインがなんとなく鎧のように見えるな。11:30空港着。そしてチェックイン。隣のカウンターではまたもや大もめになっている。ショウさんいわく成都は欠航便が多いらしく、この人たちは昨日の夜欠航、そして今日も飛ばないということで大暴れ中だという。僕らのツアー中だったら2日足止め食らったら大変だよね。最近検査が厳しいらしく初めてスーツケースの中の電池がチェックされた。まあ、バンドマンのスーツケースといったら配線と電池などが詰まっていてエックス線を通すとさぞかし危険なものに感じるのだろう。12時チェックイン。ここで弟ともお別れだ。今回のストーリーの始まりはショウさんからだった。ありがとう!そして、僕らはゲートに進み、12:30予定通り搭乗。旅もここで終わりだ。なかなか飛び立たなかったが一時間後の13:30テイクオフ。ありがとう四川省。ありがとうパンダ。ありがとううさちゃん。飛び立ってから北京に向かうこのCA421便。とにかく揺れた。なんだか最近本当に北京ルートは揺れる。いやだなぁ。本当に激しく揺れて眠ることもできずに15:50北京に到着した。フライトが遅れたので乗継も大急ぎ。2時間の待ち時間がほとんどなくそのまま乗継便のロビーに向かう。途中masaoが荷物を忘れるなどひと騒動あったがまあ、なんとななるだろうととりあえずCA183便に搭乗。今回ほとんどノーミスのmasaoが最後にやらかしたところでこのツアーは終了となる。北京発17:45一週間ぶりに日本に帰る。ちょうど座席がよく前が広くて快適だ。このA321-200のシートナンバー16。これもラッキーだね。あとは揺れないことを願おう。第四章3幕はここで閉じることになる。40周年事業ということもあり準備に時間をかけた。その間にいろいろなことが起きても僕らは最近揺るがなくなったと思う。神経が太くなったのか?そうでもないね。たぶん何か、なんていうんだろう。中国を信じ始めたんだろうと思う。まだまだたくさんの大変なことがある。それでも必ずと言っていいほど僕らの向かった先には、僕らのたどり着く行先には最高の新しい友と忘れられない老朋友が待っている。だから行くんだな。風がどんなに強くても吹き飛ばされないだけの記憶の中の想像図さえあれば僕らはいける。このやり方をこれからも続け点を線にそして線を面にしていこう。22時。少し遅れたが僕らは見慣れた大都会東京にたどり着く。きれいな夜景だ。こんなに明るかったんだな。一年前は真っ暗だったこの国がまた光を取り戻しつつある。

2012/03/23-29 日中国交正常化40周年事業「武漢・貴州・成都公演」
GYPSY QUEEN ROAD TO ASIA#33  Reproduction