2012/04/07-10 GYPSY QUEEN ROAD TO ASIA#34 New Mission 1945年までベトナムを制していたグエン王朝の首都フエ。 そこで行われるHUE FESTIVAL2012への参加、そしてベトナム政府観光局日本支局の立ち上げ。 全く別なようでつまりは一緒の起源をもつ。知ることによって変わる何かを作り出していきたい。
2012/04/07 5:00起床。6時に自宅を出る。家の前の桜並木。ニュースでは今日が満開という桜。かえってきたらピークを過ぎているなぁとちょっと残念な気持ちだ。この時間タクシーがあまり来ない時間なのだが今日はタクシーもすぐにつかまりスムーズに6:15上野着。集合時間の6:30のスカイライナーに乗り込み一路成田へ。日暮里でメンバーも乗り込んできて成田に向かう。今日のおさらいをしているとあっという間に成田に7:14着。早いよね。機材がなければ車でなくてもこれでOKなんだよね、と思う。集合場所の第一ターミナル ベトナム航空前に行くとすでに大勢集まりかけていた。今回のツアー久しぶりの大人数。総勢26人のツアーだ。目的は2つ。HUE FESTIVAL2012への参加とベトナム政府観光局日本支局の設立に関するベトナム政府との調印式を行うこと。この二つの(主に2番目だが)行事にメディア関係を中心とする皆さんが集まってくれた。ミュージシャンチームもサンプラザ中野くん、氏神一番さん、GYPSY QUEENの3組での参加の旅だ。まずはメンバー紹介ということで空港内のミーティングルームで結団式。出発前にみんなの顔を知ることは大切だよね。この部屋を押さえてくれた三浦さんに感謝だ。自己紹介のあとは無茶ぶりで中野さんにシメをお願いして出発。こんな時快くしめてくれる中野さんに感謝だ。案外時間もなくちょっとさびしい感じの第一ターミナル内を搭乗ゲートまで進む。そして9:30搭乗。10時にVN301便は一路ホーチミンに飛び立つ。かなり混んでいてほぼ満席状態。景気がいいのか?機内では久しぶりの6時間ということでやることも終え、退屈な時間を過ごす。いつも中国が多いので基本3時間以上のフライトはないので結構6時間は遠い感じだ。フライトが若干遅れたこともあり16:40着。30分の遅延でホーチミンに到着する。 みなれた風景が戻ってきた。そしてこの暑さも。フエへの乗り継ぎだが荷物を一度ピックアップして国際線から一度出国してそして、国内線の担当者に荷物を渡すというちょっと複雑なやり方で進む。結構このやり方微妙じゃないか?と思う。ツアー団の荷物。間違いがあると後から大変なことになるので神経を使いながら対応。数を念入りに確認してVNAのスタッフに渡す。そして出国するとリンさんがまっていてくれた。これは今度ベトナムで行うオーディションの打ち合わせのため。ただ、到着が30分遅れたので本当に時間のない中、空港で打ち合わせをすることになった。そしてなんとナムクーンも来てくれた。このベトナムの若手のトップアーチストといっていいだろう、Nam Cuongは一昨年の日本公演の仲間。そして、今回のオーディションは彼の事務所が仕切ることになる。あわただしい中打ち合わせが行われ、搭乗時間が近づき移送でゲートへ。ここからフエに向かうのだ。16:10搭乗。何とか間に合った。機体は一気に高度を上げ、若干揺れつつ夕刻のフエへ向かって飛び立った。17時過ぎ。機体は高度を下げてくる。フエは僕らも初めての場所。一面の水田が続く中に降りようとしている。そして、17:30。雨のフエに到着。蒸し暑いね。でもこの雨で温度はどんどん下がっていく感じだ。イメージは8月の軽井沢の雨か。夕方の暗さもあってそんなさびしい雨だ。このフエは10世紀ごろにチャンパ王国の首都として栄えたところ。近代史としても1802年から1945年までここがグエン王朝の首都であった由緒正しき町だ。そんなイメージとは程遠い小さな空港ゲートを抜け、若干行き違いはあったものの観光局の車とツアー組の車に分かれて市内へ向かう。この日の歓迎会について2転、3転、いやそれどころじゃない5転くらいして結局個別に夕食を食べることになった。当日になって、しかも間際一時間くらいの間になぜここまで変更ばかりが続くのかと思うと近年のベトナムとの付き合い方とは違うということがよくわかる。ここはハノイはホーチミンではないのだ。二大都市と地方都市との差をこのあとたっぷり感じることになるがここはまだ前哨戦であった。19:15夕食。ミュージシャンチームとツアーチームはわかれたままだ。そして観光局打ち合わせ。ハノイからのメンバーが合流して明日の調印式について打ち合わせを行う。ようやく形が見えてきた。ハノイの仕切りについては想定範囲内で進むがこの時点でまだフエ側の担当者と会えていない。サポートしてくれるスタッフからは問題ないと聞かされるがイベント側責任者と打ち合わせもせず本番に臨むことはかなり危険であるしうまくいったためしがない。不安が残る中打ち合わせは終了する。食後フエフェスティバルの開会式に向かう。ホテルを出てフエ市の中心を流れるホン川の手前で下車。もう、ここからは車で行ける状況でない感じだ。フエはこの川を境に王宮のある町と市街地に分かれている。川の手前はホテルや観光施設のネオンで輝き、真っ暗な川の先にはフェスティバルのせいだろうか、たいまつに飾られた王宮が見える。 僕らは押し合いながら橋を越えて王宮のゲートにたどり着く。そしてそこからは。。。山手線のラッシュアワーのピークのような状態で延々と入口まで歩く。日本だったら完全に規制されているね。というか事故が起こらないことが不思議なくらいだ。僕の後ろにはつぶされないようにviviちゃんが続く。なぜが見知らぬベトナム人学生たちも僕のシャツのつかんで流れに乗ろうとしている。人の足をふみ、倒れこみそうになって前へ前へ進んでようやく宮殿の入り口に。そして、そこから先にさらに進んだ場所にメインステージがあった。強引にパスを見せて検問を抜ける。ふーっ。ここまで30分。最初から見ようと思った開会式は中盤となっていた。それにしてもこの人々のパワーのすごさはたまったもんじゃない。日本と比べることはできないこの力。 エネルギーを感じさせられた。ステージでは王宮の堀を埋めてステージにした形で大掛かりなセットとなっている。「明日はここでやるの?」と聞くとそうだという。でも、ちょっとこの規模感。バンドでやるイメージではない広さだ。ローラースケートでもはかないと様にならないね。かなりの不安を抱えて会場を出る。帰りも行きほどではないが混雑にまみれ元のバスの位置に。みんなぐったりだ。だが、面白いものを見ることができた。ベトナムの力。パワー。そんなものが垣間見れたのは大きな収穫だった。22:00.ホテルに戻りメンバーと合流して明日の公演のリハーサルを行う。0:00一足先に部屋に戻る。明日はダブルヘッダー。最後の準備をしなければ。 2012/04/8 7:00起床。天気は曇り。野外ステージなので雨が気になるね。7:30朝食をすましスーツに着替え8:30出発。常夏のアジアでのスーツはきついね。今日は午前中にベトナム政府観光局の方々と日本支局設立のための覚書の調印を行うことになっている。この調印式が済めば日本におけるベトナム政府観光局の窓口の開設が現実となる。青柳さんと話していたことがようやく現実のものになるのだ。緊張感。いい意味のね。ここまでたどり着くために本当に何度も何度も変更や調整を重ねてきた。到底無理と思った時もあった。いや、それはなかったね。絶対にやろうと思ったことは意地でもやらないと。その気合だけでやってこれた今日。一行は会場となるインドシナパレスホテルへ向かう。格式の高いホテルだ。ロビーで集合し、会場に入ると調印式の準備はすでに整っていた。ベトナム側の窓口のVu namさんや安藤さんと合流し今日の流れを確認する。Tuan局長や調印の相手であるAnh部長も到着したようだ。日本側はサンプラザ中野くんも含め25名。あわただしく文書や進行の確認をしているとベトナム側の会場入りとなりすぐに調印式が始まった。 9:30.定刻を少し過ぎて最初にTuan局長のあいさつが入る。そして青柳さんのあいさつと予定通り進む。正式なサインが交わされ、日本とベトナムをつなぐ組織が正式に立ち上がった。人と人を音楽でつないできた今まで。そしてそれはこれからも変わらない。エンタテイメントで国と国をつなぐことに貢献できることは本当に名誉なことだ。 式典が終わり一行は観光ムード。アーチストチームは別の会場で行われるフエフェスティバルのオープニングパーティ会場に向かう。何よりも時間に真面目な日本人。集合時間の11時に会場につくと誰もいなかった。待つこと30分。ようやく会場入り。世界各国のチームが会場入りしてだんだんにぎやかになる。結局12時過ぎに乾杯となってあとはざわざわモードである。主催者のフエ観光局からお礼状を頂いたりしてホテルに戻る。 さあ、スーツはここで脱いであとはフェスモードに切り替えだ。簡単な打ち合わせの後会場に向かう。とりあえずセッティングに時間がかかると思ったのでメンバーのみで向かう。最初、バスが会場に入れないというのでそれは困ると交渉してステージまで行けることになった。しかし、昨日大混雑をしていた道を行くと今度は通行止めのゲートに差し掛かりここからは歩いて行けという。そんなことはしたくないので、運転手さんにゲートを開けてもらう。結局自分でゲートを開けて自分で占めるということで通過。よかったね。車が会場に入ると昨日のステージはすでに解体中であった。ん?僕らのステージは?車が観客席脇を入ると何やらフラッグタワー前に仮設のステージが作られつつあった。「ここ?」と聞くと「ここです」といわれる。昨日の話と違っていたがそれを悪びれる感じでもない。 うむ。まあ、仕方ない。とりあえず車を降り解体中の当初のステージのわき目にステージに上がる。ステージ上にはドラムしかなくアンプがなかった。しばらくするとギターアンプが届いたがベースアンプが届かなかったので聞いてみると「昨日の雨で壊れてしまった」という。なにぃ?と怒っても仕方がないので。「絶対にベースアンプを探してきてください。アンプがないと音は出せない」と告げる。最悪どんな環境でもできる。でもこの規模のステージになってしかもサンプラザ中野君のバックの演奏となるとアンプからの出力は必須だ。とにかくないとダメということをはっきりわかってもらいほかの準備を始めた。すでにリハーサル時間を過ぎている。当初の予定であればもう音が出ていなければいけない時間だがここは我慢も必要だ。中途半端にやって何とかするのではなく、まずはとことん交渉して進めたい。アジアでやるには交渉がとにかく重要なのだ。機材が来ない間はあえて遊んでいた。おかげでちょっと歩き疲れモード。 そして17時。ベースアンプが届いた。Ampegのアンプで出力もばっちり。行ってみるもんだね。そうしてかろうじてRHをやっているとベトナムTVの取材が入った。もっと派手に弾いてくれというのでバラードなんだがオーバーアクションで弾いてみたりした。妙に気に入ってもらえたのでオンエアされているかもね。ステージの横では照明機材と格闘中でまだまだ、始まる気配はない。楽屋もない状況でどうなるのだろうと気をもむ。音が鳴っているので人が集まり始めた。告知不足と昨日のステージの解体中の後ろという環境はあまりよくないがあとは本番を待つのみである。そのころ一つの事件が起きていた。サンプラザ中野くんを迎えに行くバスの運転手が「なんどもいきたくない」とごねているという。日本ではありえないことだがここではありえる。それにしても迎えにいかないとステージは始められない。結局viviちゃんがお金で解決してすんなりともう一度迎えに行ったがこのバスの手配自体フエ政府側の作業である。それを個別にお金を取って迎えに行くなど日本の旅行会社のツアーでやったら信用ガタ落ちであろう。というかこれは犯罪に近い。そのエリアのレベルではないのかもしれない。個人的なことかもしれない。でも観光ビジネスは一期一会。その時に出会った人や出来事でその国の価値を決めてしまう。単に出演者ということではなくて、これからの日本との交流の上でやってはいけないことということを理解してもらいたいと思っている。このことは後日フエ政府側にきちんと報告しようと思った。 そして、数十分。会場側ははやくステージをはじめろと催促をする。しかし移動中の車に僕の衣装が乗っているので始められない。「もう始めてください!」場の雰囲気が緊迫してくるのが分かる。お客さんも待ちくたびれて帰ってしまう人もいる。そして、ステージ後方ではまだムービングの照明を設置中というアンバランス。何度かのあおりを受けるが衣装もきないでステージにでるならここまできて音楽はやっていない。演奏曲を削ってでも自分たちのスタイルを貫きたい。急きょ演奏曲を3曲カット。それでもいいと思っている。納得ができないことは何一つやりたくはない。そしてもう限界かと思った時にようやくバスが見えてきた。そして僕の衣装も。バスが止まるな否や衣装に袖を通しそのままステージにかけ上る。40分ほど押してステージは始まった。今回の演奏曲はベトナム語を中心としたもの。 フエはまだ大都市ではないし、英語も話せない人も多い。日本の魅力は氏神さんと中野さんにまかせて僕らは交流をメインとしたベトナム語の曲を中心にやった。また、日本を伝えるという意味で今回参加してくれた大プロデューサ角谷さんのプロデュース作品「夜桜お七」GYPSYQUEEN版を披露。中国では中国語にしたがここでは当然ベトナム語に翻訳してやる。サクラという日本を象徴する花を題材にベトナム語で歌ったのでかなり受けた。 ベトナムの国の花はモモなので今度はモモに関する歌をやってみようとも思った。演奏していると何やら楽屋らしきものが運ばれてくるのが目に映った。運ばれてくるのは大きなテントでそれが移動してくる。「なんだ?」楽屋というのはわかるがもうステージは始まっているのよ。そんなことよりも曲目変更で構成にも影響があるのでステージに集中。急きょの曲変更で構成はバラバラになりつつあったが、なんとか長年のメンバーの「目でサイン」で乗り切り氏神さんにつなぐ。 本当に助かったね。歴戦のメンバーに感謝だ。氏神さんは歌舞伎の装束。みるものに日本を伝えるのにわかりやすい。 そしてサンプラザ中野くん。言葉を超えたパワーは毎度さすがと感心する。環境がよくないことに加え告知不足もあって大変なステージなのにいつもと変わらないテンションでステージを盛り上げてくれた。そしてあっという間のフエフェスティバルJapan music dayは終了した。 19:30.ホテルに戻り夕食、そして21:30オープンエアの地元の飲み屋で打ち上げとなる。ちなみにフエで多いビールがフェスティバルビールという名前。いろいろなビールがあるのが面白いね。まだ二日目の夜ではあるがこれで僕のお役目もほとんど終了。いろいろな課題を残したが解決の糸口はある。忘れないうちに次への教訓としてドキュメントを残していきたい。打ち上げ後ホテルにもどり足裏マッサージへ。アジアの楽しみの一つでもある。 その後メンバーの部屋に戻り反省会をして就寝。お疲れさまな一日であった。 2012/04/09 6:30起床。7:30朝食。この時にようやくこのイベントの仕切りの担当者であるミーチャウさんに会える。イベントが終わってから担当者に会うというのは過去のツアーでも初めてである。そしてそのコミュニケーションの悪さがいろいろな不手際につながったかもしれない。事前の打ち合わせから、歓迎会やバスの手配、告知、ステージの機材や照明、100%の表現ができたとは言えない。しかし、すれはすべて過去だ。過去の事をどう攻めても変えることはできない。「今日からがスタートにしましょう。」そういってこれからの取り組みについて話をした。一緒に物を作るということは成功も失敗も連帯責任である。それをベトナム側にわかってもらえる日が来ればそれは僕らにとっても意味のあることだしそれがGYPSYQUEENのいつもやっていることの最大のテーマなんだろう。僕らを信頼してもらうことができれば次は変わる。信頼される人間になるためにもう一度初心に帰ってフエと向き合ってみたい。ミーチャウさんと話していたため食事も遅れてあわてて荷物をまとめ8時ちょっとすぎて出発。 今日はホイアンへ向かう。およそ150km位ということだが高速道路がないのと山越えをするためにかなり時間はかかる。市内を抜け国道に入る。横の線路がベトナムを南北に縦断する鉄道だ。田園風景が山間の風景となり峠を越える。なんだか気持ち悪いぞ。悪路が続くせいかかなり気分はローである。何とか持ちこたえて休憩。ダナンの山を越えるとベトナム第三の都市が現れる。日差しが強くなり、古都フエから大都市ダナンに衣替えな雰囲気である。バスに酔って気持ち悪いままビーチに到着して少し休憩。 うーんこのままここで寝ていたい雰囲気だ。海岸沿いはリゾートホテルが立ち並び今も建設中だ。この海はまだまだ発展するリゾート地進行形。次に来た時にはどうなっているんだろうと思う。そして、さらに1時間。12時過ぎにようやくホイアンに到着する。ここは2009年にもコンサートを行った場所。あのときはミーリンと共演だった。そういえばサポートキーボードのtakuoはなぜかベトナムツアーでの参加が多い。前回も一緒だったよね。と懐かしい話で盛り上がる。ここホイアンは室町時代朱印船を使って交易を行っていた港町。日本橋という屋根のついた橋が有名で昔ながらの町並み自体が世界遺産に登録された古い街並みが特長の町だ。 ここでゆったりとランチ。参加者のみんなからいろいろな話が聞けた。この第一次ツアー団。当なるかと思ったが非常に良かったね。僕らとはある程度別行動でベトナムの魅力を感じてもらう。観光地や食事、そしてイベント参加などで今のベトナムを知ることができる。そんなツアー団は今後もどんどん考えていきたいね。ここでナムくんもお別れ。今回、本当に難しい調整を事前、当日とフォロしてくれた。日本語が話せるだけではなく彼には自分で判断できる力がある。こういったインテリジェンスをもった素晴らしい若いベトナム人がどんどん増えている。それはすごい事でもあり、日本人もしっかりしなければという気にさせてくれる。本当にありがとう。そしてまた東京で会おう。ナムくんと別れて一行は足裏マッサージへ。この日差しの強い中歩くと良くないので日の高いうちにマッサージで疲れをほぐし16時過ぎに旧市街に向かう。この特徴的なベトナムの町並みはすべてが撮影ポイントのよう。こんな所に住んだらいいなと思う。 世の雑踏をわすれるならばこんな所がよい。全員が合流して今回まだ食べていないフォーを食べてから空港へ。すっかり暗くなったがダナンのホテル群は昼間のごとくの明るさだ。1時間弱でダナン空港へ。つい最近新しくなった空港はものすごくきれい。前回来た時に地方の駅の待合室的なコンパクトな空港だったのでびっくりだった。お店もたくさんあるので早めに空港についてここで食事もできるね。便利になったもんだ。空港ではダナンの観光局のヒューさんが待ってくれていた。昨日の調印の報告と今後の進め方を相談。いろいろな策がでて盛り上がりつつもフライト時間が迫り打ち合わせは終了。 それにしても本当にタイトなスケジュールである。そしてダナンを後にホーチミンに戻る。幸い全く揺れることなく快適な旅であった。ホーチミンで乗り換えが面倒だがここでも荷物を一度ピックアップして空港職員に渡すというやり方で通過。もう少し改善が必要だね。普通の人はこの荷物の受け渡しシステムはとても心配になると思う。徒歩で移動してタンソンニャット空港の国際線カウンターに到着しチェックイン。いよいよ短いこの旅も終わる。 ホーチミン滞在組と別れ帰国組は出国ゲートへ。そしてちょっと古くなった感じのする空港内で時間をつぶし00:20日本に向けて飛び立った。幸い復路は若干の座席の余裕があり寝れそうな雰囲気だ。メモを一まとめしてとにかく眠らなければ。 2012/04/10 04:00時目が覚める。ちょっとは寝れたね。この充実感、たまらない。特に帰りはほとんど揺れなかった(と思う)。もう日本の領空に入っている。そして朝食。外は明るくなりだした。普通の一日がもうすぐ始まろうとしている。中央の席なので外は見れないがもう千葉に入っていると思う。そして、若干早く7:25成田着。あっという間の弾丸ツアーは終了した。解散式をしてそれぞれ帰路に。僕は行きと同じようにスカイライナーで東京に戻る。疲れたな。窓から見える景色にまだ桜が残っていた。そうかたった4日しかたっていなかったんだな。なんだか物凄く長かった気がした。第四章4幕はここで閉じることになる。 今回はフエフェスティバルへの出演と観光局の設立調印式といった2つの出来事が重なった。一見別々なようでも目的は一つだ。日本をアジアに、アジアを日本に。僕らの音楽で日本に関心を持ってもらい、そして理解してもらうこと、そして、ベトナムの事を日本に紹介する窓口を作って日本からベトナムへの世界を広げてもらうこと。そのどちらのほんの小さなきっかけで実現する事ができる。でもそのきっかというものがやっかいで誰しもがその窓をくぐるわけではない。言葉や習慣や考え方の差など時には面倒であり、時にはそこまでする価値がなかったり、時には努力してもたどり着かなかったというさまざまな障害がある。僕らにとってはそのナビゲータとしてやれることが増え、スムーズなコミュニケーションのきっかけを作る役割となればそれは本望だ。今回改めて感じたのはすべてがコミュニケーションによって決まるということ。足りなければ届かない。足りていれば次のステップが待っている。やり方はわかっている。取り組みは始まっている。 2012/04/07-10 GYPSY QUEEN ROAD TO ASIA#34 New Mission