MALAYSIAの首都はクアラ・ルンプール。人口2,500万人の細長い国だ。言葉はマレー語であり、ほかにも英語、中国語が通じる。「文法はないに等しい」と言われるマレー語は書き言葉話し言葉が異なるといった僕らにはなかなか理解できない感覚を持つ。 クアラ・ルンプールインターナショナルエアポート。わけあって今回二度目の出国である。税関の前に大使館の藤本さんが出迎えに来てくれていた。空港で藤本さんと会う。とても小柄な藤本さんが空港のゲートのところにちょこんといた。「行きの乗り継ぎは大変でしたか」「いやいや、もう大変でした〜二回目の入国で今回は慣れましたけれど」などと話しているうちに税関を通過。しかし、なかなか全員そろわない。なにやら、ビザ関係でトラぶっているようだ。当初、入国に際して通常のビザのみでパフォーマンスビザは必要ないとのことだった が、空港職員から必要だと止められているメンバーがいた。その場は藤本さんに間に入って通過するが、なにやら不安なスタートだ。思えば、行きにもここでトラぶったわけである。「まあ、二度あることは三度ある。三度もあればなれちゃうから大丈夫でしょう」と理屈に合わない言い訳をしつつも僕らは空港のパーキングへ。積み下ろしも慣れてきてあっというまに機材はバスに詰め込まれた。 空港をでるとその巨大な空港の全容が見えてきた。大きく綺麗な空港である。そこから会場までは30分ほどであった。空港から市内までは1時間ほどかかるらしく、今回の会場はその中間に当たる。ということは今回はクアラ・ルンプール市内にはいけないということか。ほんの少しだけ残念だ。みたかったなぁ。世界一高いツインタワーを。などと思っているうちに到着。今回の会場SUNWAY LAGOON RESORT HOTELだ。 そこは大地を掘り起こして作られた何棟も隣接するリゾート施設がつらなる巨大なテーマパークのようであった。きらびやかなネオンはまるでラスベガスのよう。HOTELの入り口には像やトラや鹿の巨大な銅像が飾られてある。ピラミッド型のショッピングセンターも中央に鎮座し、リゾートHOTEL気分満載だ。僕らのステージはここの15階にあるGRAND LAGOON BALLROOMだ。HOTELのロビーからして超豪華な装飾。きっと政府の偉い人たちが国際会議をやるようなところであるのだろう。そういう雰囲気ただよう高級HOTELであった。 HOTELにつくと伊藤さんが出迎えてくれた。原大使から伊藤さん話を聞かされていた僕らは出会ったときにすぐにわかった。さっそく今日の予定を確認、「到着後すぐにで申し訳ありませんが国営放送の取材があるのですが大丈夫ですか?」と聞かれる。もちろん、大丈夫。ここで「ちょっとやすませてください」とか中途半端なことをいえるほど僕らは偉くない。言われた事はすべてやる。時間通りに。それがGYPSY QUEENだ。本当に荷物を置き、すぐにロビー集合。別フロアーにある取材場に足を運んだ。 基本的に英語インタビューでTVのオンエアの宣伝を行うという。通訳は全て伊藤さんがやってくれた。やはり聞いたとおりすばらしくてきぱきしている。「メンバーで打ち合わせをしている雰囲気でお願いします」と局の人に言われてなんだか中途半端にメンバー同士の会話風景を撮影される。インタビューもリハーサルテイクを取ってなんとなく「これでOK」といわれて採用。いいのかな?まずは無難にこなしたという感じだ。 その後、今回EXISTSというMALAYSIAではトップシェアをいくバンドのマネージャーの山下さんと対面。いろいろ打ち合わせを行う。もちろんEXISTSというのはマレー人だがこの山下さんはメンバーのベーシストの妻の兄。ようは親戚関係ということで今回尽力を尽くしてくださった方だ。「EXISTSボーカルのEZADほか3人のバンド。ここMALAYSIAでは先週までトップチャートにいて今は3位におちてしまったんですよ」と説明してくれる。みな日本が大好きということで今回の競演についても意欲的だという。 僕らの構成がある程度出来上がっているために彼らには途中で3曲ほど演奏してもらうことになった。また、その前後の2曲は一緒に歌おうということにもなった。現場主義だがそれが一番確実だ。実質MALAYSIA音楽界の中核のバンド。そんなバンドとのコラボレーションが明日実現する。そうして、話はどんどん進む。そうでないとなりたたないのだ。本番は明日なのだから。とりあえず、打ち合わせ事項をこなし、なんとなく現状の人間相関図を理解しつつミーティング終了。今日は疲れた。移動は疲れるものだ。でも明日は本番。頑張らなければ。ちょっと早めに2:00就寝。 2003/07/24 6:00起床。窓を開けると真っ暗だ。ここは日の出が遅い。外には昨日ネオンに彩られたテーマパークが深く眠りについている。大きな地の底のようなガーデンパークの中央のプールだけが風に吹かれ微かに光る。朝食のレストランに向かい朝のミーティング。最近は恒例になったかのように朝晩のミーティングを行う。確認事項はいくら繰り返してもいい。ほんのちょっと意思疎通のなさがこういった限界状態の公演ではトラブルを招く。そして、関係者に迷惑をかける。だから、しつこいくらいにメンバーを召集する。「ミュージシャンは朝弱いからねぇ。」と通説のようにつぶやかれる昨今。でも、それはGYPSY QUEENには通じない邪説にすぎない。寝起きが悪ければ集合時間の1時間前におきればいい。それは個人の自由だ。人は絶えず周りの人との連携にて成り立つ。ルールを守れない人は「個人の自由」ではなく、「他人に迷惑」をかけているということなのだ。だからこそ、僕らは時間にだけは厳しい。そして、スタッフが起きている時間はメンバーも必ずおきているというのが暗黙の決まりでもある。スタッフは僕らを甘やかすためにいるのではない。僕らの演奏を支えるためにいるのであって結果としてステージでスポットを浴びるのは僕らだが、その評価は平等である。誰一人欠けても成り立たないから音楽は楽しい。そして厳しい。 9:00。ロビーに集合し会場に向かう。といってもこの大きなHOTELの中の移動である。会場は予想通りのボールルームであった。絢爛豪華なシャンデリア。1500席以上と思われる椅子はみなステージに向かって並べられている。 ステージにはまだ何もなかった。楽器を取りに行ってセッティング。全て自分たちでやるのがアジア流。それでも、マイクがとどかなかったりPAの人がいなくなったりで一向にリハは進まなかった。本番は今晩なのである。途中ドラムセットをいじろうとする人を発見。EXISTSのドラマーと思って握手。「今日はよろしくね」というと照れくさそうにしている。妙に謙虚だなと思ったらその人はEXISTSのドラム担当のスタッフだった。 肝心のEXISTSのメンバーは別な仕事で遅れているという。そんな合間にまだ僕は今日何を歌うか迷っていた。メンバー紹介のときに歌う歌だ。LAOSではチャンパーの花の歌で大喝采をうけた。これは癖になる。そういった気持ちもあってか現場のスタッフにいろいろ聞くのであった。昨日のミーティングのときに8月31日が独立記念日と聞いた僕は独立記念日の歌を歌おうと思った。山下さんに相談したら「それは絶対に喜ばれると思いますよ、日本人がこの歌を知っているということ自体がありえないですからね」といわれる。今日は元副首相も来賓でいらっしゃるのだ。まだ、歴史の浅いこの国にとって独立記念は象徴的だ。そんな国に来たのだから敬意を払って歌いたい。そうおもったのだ。 とりあえず適当な英語でスタッフに聞いてみる。おそろしくぶしつけな質問だ。「独立記念の歌を歌ってくれ」「なぜ?」「いいからうたってほしいのよ」そうして歌ってもらう。それをすぐにまねをする。ギターで音階を拾い、コードを当てはめる。そうすると相手も意味がわかったのだろう。いろいろメロディを教えてくれたりマレー語の発音を教えてくれた。ものすごく強引かつ応急的な作業。それでも今日の公式的なステージで歌うのだ。元副首相の前で。間違ったら怒られるなんておもいもしない。とにかく覚えようという気持ちが僕の脳裏のほとんどを占める。のこりの部分で時間配分。歌うときまでのカウントダウンだ。 そうしているうちにマイクもそろった。よし!とおもったところでランチタイム。遅れてきたEXISTSのメンバーとここでご対面ということであった。伊藤さんと中華料理の店に向かう。中華が大好きなメンバーはなんとなく喜んでいる。同じHOTELの中のレストランにはEXISTSのメンバーが待っていた。「Hello!」勢いよく挨拶をするとちょっとシャイなエザが軽く会釈する。メンバーたちと握手をする。いい感じの人たちだ。まえまえから気になっていたことだが、この国の特長は右手で握手をしたあと、すっと自分の胸を触る習慣があるようだ。なんとなく神聖というかかっこいい気がした。そんな彼がこのバンドのボーカルなのだ。 山下さんのマレー語の通訳を交え打ち合わせは進む。結局彼らのオリジナルだけではなく、僕らとの競演部分が増える形で話は進む。僕らの「MOONLIGHT&SUNSHINE」にもゲストでコーラスとして参加してもらうということにもなった。リハは一回こっきり。きちんとやらねばと思う。メンバーはみな気さくな感じで優しそうであった。これがMALAYSIAの人たちなんだなと思った。 ミーティング後はリハーサルを継続する。毎回毎回モニターが安定していないため、チェックは時間を要する。演奏中でもBGMのチェックをしたりとかとにかくお構いなしだ。でも、時間は過ぎていった。開場すると僕らを訪ねて来た人がいるとよびだされた。見た瞬間わかった。イリアスだった。一番最初にクアラに入ったときのブルネイ航空のスタッフであった。わざわざ見てくれに来た。有難いよね。 ステージ5分前。気合を入れているとスタッフが呼びに来る。「VIPがまだみえていない」ということで開始時間を30分遅らせることになる。VIPとはこの国の元副首相であり、文化に造詣の深い方らしく、今回ご来場いただけることになった。それは有難いことなのだ。でも、まだ来ていないと聞くとちょっと不安だ。あまり遅くなるとあせりも出てステージは得てしてうまくいかないもんだ。「だいじょうぶかなぁ」さっそくしのんは集中できなくなりつつある。そして、20:50。ようやくVIPが会場到着。スタッフによると「この国では遅れることはよくあるので気にしないでください」との事。よし、きにしないでやろう! いよいよ公演は始まる。最初のMCは僕の役目。今回もマレー語である。 「トウァン トウァン ダン プゥォアン プゥォアン スラマ ダタン カミ GYPSY QUEEN」 (ladies&Gentleman please welcome ! we are GYPSY QUEEN) 豪華なスモークが炊かれた雲の上のようなステージに僕らは上がった。今日はEXISTSも一緒だ。久しぶりにロック色の強い構成で望んだ。勢いのある楽曲を数曲続けて前半の山場メンバー紹介のコーナーになった。もはやメンバー紹介はバンドのイメージを伝えるためのいい空間になっている。Masao、Jun、Macha、正美と続く。みんな持ち味を出すだけではなくきちんと計算されたアピールを行っている。もりあがる会場の勢いから間違いなく成功だと思う。その岐路となるのが今回のメンバー紹介になるのだから面白いというかステージは本当に観客に合わせて構成する、ということを再認識する。 僕の出番では「独立記念の歌」を歌った。「スジャトラMALAYSIA」というタイトルの歌だ。「タンガル ティガプロサトウ ブランラパン リマプロトジョ マルデカ マルデカ トゥータラ マルデカ マルデカ マルデカ」といううたで1957年8月31日独立万歳!という歌なのだ。MALAYSIA市民ならみんなが知っているこの歌を僕は思いっきり歌った。会場は大歓声。僕と一緒に歌ってくれる観客の声がなおさら心地良い。この勢いで前半はかなり盛り上がった。そのあとEXISTSとバトンタッチ。彼らが3曲ほど演奏しまたGYPSY QUEENの登場である。 ボーカルのエザにはステージに残ってもらい一緒に歌を歌う。MALAYSIAのトップスターと思えないほどリハーサルでは静かな彼が本番になると一転してエンタティナーに変身。さすがだと思う。ステージはまたGYPSY QUEENだけになり、ロックナンバーを中心に進行する。途中、恒例となってしまった「しのんの衣装換え」タイムではMALAYSIA用に考えた「ボレ作戦」で望んだ。 メンバーが観客をあおる。「MALAYSIA ボレ!」(MALAYSIA、Can(できる)!)と。そして「GYPSY QUEENボレ!」のりのよいお客さんのおかげできっといいVTRがとれたことだろう。しのんがいない分、のこりのメンバーにも気合が入り、会場をあおりまくる。そして、しのんの準備が出来たという合図がくる。しのんを呼び出す。 しのんはMALAYSIAの民族衣装をきて登場した。日本では決して見れないのでこれは貴重だ。そして、マレー語で挨拶して、マレー語の曲「GetaranJiwa」を歌う。会場はひときわ沸いた。LAOS語に続き、あれほど挫折しそうになって覚えたマレー語曲もこれで報われたよね。努力はこの歓声と拍手で報われることをしのんはいつまでも覚えているといいと思う。 ステージは終盤に近づいた。最後のアンコールでもう一度EXISTSが全員そろう。Rasa sayangの時にはしのんはMALAYSIAの国旗を持って会場に下りていってお客さんに挨拶をしてまわった。もちろん、元副首相にもご挨拶。旗はある意味危険だ。取り扱いに注意しないと大変失礼に当たる。国の尊厳にもかかわる。だけれどその国に対して本当に敬意を表したいのなら国旗は使うべきだ。その国の魂を大事にする。そういうことをもっとも直接的に一瞬のうちに表現できるからだ。僕らにはそう時間がない。回りくどいことをするのは苦手。だから僕らの気持ちを正面方伝えるためにこのパフォーマンスは重要であるのだ。 ステージ下をしのんが走り回っているころ、ステージ上ではEXISTSのメンバーが日本の国旗を持って高く振り続けていた。しのんがステージに戻ると、同じ大きさのこの二つの国の国旗がそれぞれ違う国民によって互いに対等に振られている。ステージ中央でたなびくこの姿は演奏している僕らも圧巻。なんだかすごいシーンを見てしまったと思った。当事者でありながらこれはすごいことなのだと鳥肌が立つ。「もっと高く振れ!誇り高く腕がちぎれるくらいに!」そうして、ステージは終わった。いつまでも拍手は続く。「スラマティンガル ジュンパラギ」(さよならまたあおう) 楽屋に戻るとたくさんのスタッフがいた。「MALAYSIA人が盛り上がるのってはじめてみました。特にムスリムの女性が盛り上がっている姿は本当に初めてです。ありがとうございました。」そういわれると照れくさいが嬉しい。 そして、大半を占めるのはしのんのマレー語に対する評価であった。みんながみんな喜んでいる。日本人だから日本語で通しても、なんて思った頃も一瞬あった。でも頑張ってよかった。公演後も片付けながら写真撮影をしたりサインをしたりという時間でなかなか終了しなかった。 このあとは大使館の方々との打ち上げだ。ちょっと一息ついてすぐに会場に向かった。MALAYSIA大使館の川上公使と伊藤さんと一緒にいろいろ話をさせてもらった。ここでもしのんの語学の評価、そしてMALAYSIA人に受けそうなパフォーマンスの数々を評価していただけた。初めてのMALAYSIA。人懐っこい笑顔で溢れるこの民族を今まで知らなかった。また来たい!と直感的に思った。次に来たときにはEXISTSとももっと仲良くなれるだろう。そのためにはマレー語も勉強しないとね。今、MALAYSIAは東方政策として日本に見習おうという風潮があるらしい。でも本当に日本は見習うべき国であろうか?もちろん、今の日本経済はすばらしい。でも少し失速気味のわが国を本当にこの瞳輝くまじめな彼らが実際に見たとき、それは魔法の玉手箱で終わってしまうのではないか?夢の夢。現実は厳しい。そうおもわれないように僕ら日本人はもっと頑張らなければいけないと思う。 この日もいろいろな方を紹介いただいた。メインスポンサーのPAMAJA代表ラーマンさんはとても日本語うまい方だった。「マタキテクダサイネ、カンゲイシマス」嬉しい一言だ。また、MALAYSIA在住の日本人の方たちとも会話が出来た。この国で本当に頑張っている僕らの同胞は本当に日本とこの国をつないでいる。今回、この企画の中で交流を持った僕らであるが、MALAYSIA在住の方は日々交流と友好を行っているわけだ。ぼくらも決して一過性で終わらないようにしたい。あっという間に時間はどんどん過ぎる。名残惜しい会は幕を閉じ、僕らは部屋に戻った。恒例のVTRをみて反省。楽しいステージだからこそ反省点が必要だ。それを明日のステージにつなげるために。疲れのせいか、一人、二人と倒れていく。僕も最後まで見れなかった。「ごめん。明日もう一度見るよ」といって部屋にかえらさせてもらう。倒れそうなくらいねむい中、荷物を整理し、3:00就寝。明日は超早いのだ。 2003/07/25 6:00起床7:30出発。あっという間にMALAYSIAを飛び立つ日が来た。まだ、真っ暗な中出発の準備をしてチェックアウト。だれもいないロビーはことさらさびしい。この国に来てほとんどの時間をこのHOTELの中で過ごした僕らにとってもちょっとだけ物足りなさが残る。 藤本さんもきてくれて送迎のバスも到着した。ここでお別れだ。短かったけれどいろいろお世話になった藤本さんに名残惜しくも別れをつげる。「また、あいましょう!次はクアラの市内で!」そう約束して別れる。バスが走り出すと車内は無言。疲れと眠さと寂しさと。みんななんとなくボーッとHOTELのほうを見ていると藤本さんが手を振ってくれていた。「うれしいよね」しのんがぽつりと言う。 そしてなんと彼女は小さい体で飛び跳ねて見送ってくれたのだ。なんだかとても感激した。早朝の誰もいないHOTELのエントランスで飛び跳ねる藤本さん。忘れられない瞬間。おとなしい雰囲気をかもし出す人だけれどとっても情熱的な人。今回もいい出会いができたと思う。また会いたいと思う人が一人増えた。 ちょっと目をつぶるといつの間にか寝ていたのか空港到着。チェックインもなれたもので特に問題もなくなんなく通過した。さあ、次の公演地に向かおう。SINGAPOREエアSQ105便。 10:30のフライトで最後の公演地Singaporeに向かう。どんな国が待っているのだろうか。答えは1時間後にわかる。 |