My sweet home town
2003/10/31-11/04 


2再会


2003/11/01

バスに乗り込むこと7時間半。もう、朝の9:30だ。長い時間がかかった。この町に来るまで、この顔を再び見るために家を出てからなんと24時間をかけた。長い旅立った。扉の開いたバスの入り口の先には李剛さんが笑っている。「ずいぶん遠かったですねぇ」それが最初の挨拶。僕らの関係はまだ出会って三回目だけれどそれはとても深く親しみのある言葉であった。それは長年の友人が少しばかり離れていて、その再会を祝すように懐かしさと感動が押し寄せた。「好久不見!(ヒサシブリ)」そんな挨拶もそこそこに食事に向かう。あと30分で朝食の時間も終わってしまうのだ。バスの疲れと旅の疲労と、眠気。さらにバス酔いでそれどころではないが、まあ食べておくしかないので朝食へ。でも、席に座ると結構食べられるものである。

今日のこれからの説明がされる。本当は午前中におこなう記者会見が午後に変更になったという。結構、その点を気にしていたのでちょっとほっとする。部屋に入り本当は一眠りしたいところだが会見の準備やなんやかんやであっという間にスタンバイとなる。

記者会見は重慶マリオットホテルの8Fで行われた。地元の新聞、雑誌、TVの記者が集まっている。一瞬メンバーの表情が硬くなるのがわかる。動きもぎこちない。ここで飲まれてはいけない。口火を切る僕が先にこの場をリードしないとメンバーはさらに緊張してしまうだろう。そうおもった僕はとりあえず覚えたての、おおよそ僕の持ちうるレベル程度の数少ない知っている中国語でまくし立てた。僕の中国語はしのんのそれとはことなり非常に一方的だ。文法も発音もあったもんじゃない。きっとかなり聞きづらいだろう。でも、小声で、日本語で、通訳を通して。なんてやり方は僕には向いていない。感情を言葉に乗せてあとは目で会話する。それが一番伝わりやすい。中国にきたからには中国語で話す。当たり前のことを努力していきたいと思った。当然、日本人の話す中国語だ。わかりづらくて当たり前なのでみんなシンとして聞いてくれた。言葉の意味にあわせて記者から笑顔がもれた時に少しほっとした。「あーよかった」だって、なれない中国語でギャグを言ってまじめな顔をされっぱなしだったらへこんじゃうよね。誰でもね。

インタビューでは僕らの経歴や今回の公演のことだけではなく、日本のポップミュージックについてどうおもうか、中国人の好きな歌手は誰かなどが聞かれた。中国はJ−popにとても関心が高い。著名な歌手の名前はかなり中国でも知られている。でも、今の日本の音楽を知っている僕にとっては複雑だ。ご存知のとおり今の日本はCDが売れなくなっている。音楽性よりも一過性のキャラクタが評価されそれは当たり前のように差し替えられ、薄命な歌手が多く生まれている。そして、それを当たり前のように受け入れ、生まれ、去っていくものが多くなったような気がするのだ。最近、昔のヒット曲の焼き直しが売れているという。アレンジ?新しいクリアなサウンド?デジタル化?今から数十年前のものがいいということは良くわかる。僕も大好きだし、影響も大きい。でも、それを今越えられないということはさびしいことだ。ビジネスと割り切れば簡単なことだ。それは誰が割り切るのだろう。もし、割り切れたら幸せになれるのか?幸せとはお金が入ることなのか?ぼくは音楽でお金をもうけたかったのか?ないよりあるほうがいい。でも作品を生み出すことに欲求が無くなったらそこにいる価値はない。新しいことをどんどん推進しているこの国の人たちに対して、ちょっと停滞気味であるわが国の音楽シーンを堂々と語れる力が僕にはなかった。今の日本に対して憧れの目をして聞いてくる彼らには「今のあなたたちの音楽に対する気持ちはすばらしい、中国はもっともっと音楽的に発展していずれアジアの音楽シーンの中心になるよ」そうも言いたかった。でも、言わなかった。今は日本の音楽に追いつこうとがむしゃらになってがんばっている彼らを見守るほうがよい結果が生まれてくるだろう。そういう気がした。

重慶の新聞 青年報
「GYPSYQUEEN 今晩ロック大礼堂で」という見出しのとおり大礼堂でロックが行われることがニュースとなったようです。




アジアはすばらしい。日本を見て欧米を見てそれを越えようとしている。
今はまだ小さいけれどきっとこの小さな力の終結がなされたときに大きな革命がおきるだろう。クリエイティブな面においては譲らなかった人たちがそのポジションをアジアに受け渡すのだ。きっとそうなるとおもう。だって彼らをみていればわかる。憧れの度合いは僕ら日本人の比ではないのだ。そんなことをおもいつつインタビューも終わった。僕はこうコメントした「僕らは中国が好きだ。だから中国人にも僕らのことを好きになってもらいたい。それはあたりまえのことであるとおもう。まあ僕らはもっと中国語を勉強しないといけないけれどね」そんなはったりトークのおかげか翌日の新聞では「GQのメンバーで一番中国語が得意なのはAKI」と書かれていた。ちょっとむっとしてるしのん。ま、勢いだけなら僕もしのんばりの中国人ということか。

インタビュー後、写真撮影。押し出されるように会場からエレベーターに乗せられて一度部屋に戻る。そして、すぐに連絡が来た。今から会場に行くという。「あーちょっと寝たいなぁ」とは言いたくてもいえない。言われるままバスに乗り会場につく。そこは昨年の思い出の場所。火鍋を食べた後に絢爛豪華なこの会場を見て「うーん、こんなところでコンサートができたらねー」といっていたあの重慶人民大礼堂である。
ここはケ小平が毛沢東の命を受けて建造した建物であり、重慶政府のシンボルとも言える建物だ。何よりもこの会場でロックがやられることは前例がなく、かなりの反対もあったようだ。イメージ的には武道館でBeatlesがコンサートを行ったときの感覚か?大げさなようだが本当にそれほどの事らしい。それも日本人がという枕詞がつき、その重要度、責任の重さはひしひしと伝わってくる。それは失敗することがあれば僕らだけのことではすまなくなる。主催者にも多大な迷惑となるということだ。

今回のこの公演は陳さんとの出会いに全てよる。重慶一番の旅行会社の社長。陳さんは流暢な日本語でおっとりと話す紳士である。この紳士が重慶で一番といえるこの会場で前例なきロックコンサートを主催したのだ。「月色陽光2003GYPSYQUEEN演唱会」として。会場何に入るとその重厚さはさらに増した。4階建ての欄干にはVIPが座りそうな席がステージをぐるっと巻き込むように広がっている。とにかくでかい会場。収容キャパシティは4000人であるという。早速リハーサル。重慶、いや四川省で最高といわれる照明機材とスタッフを使いリハーサルは進む。コンピュータ制御の照明システムは今までのどの会場のものよりすばらしい。というよりも圧倒的なすばらしさを誇る。これは会場の誇りと陳さんの意気込みの形であるとおもう。音響面ではロックには不釣合いな会場のため、ひとつしかないモニター系統に苦慮したがおおよそ問題はなかった。陳さんは「いいかんじですねーきっとうまくいきますよーアァーハッハッハァ」と笑って僕らのところに来る。こんなすばらしい会場だしなんの問題もない。そして完璧なまでに準備を進める陳さん。普通の芸能関係者であっても一つや二つの不備はある。でも陳さんは完璧なのだ。なんで?優秀だから?説明のつかないほどの完璧さに重慶一の旅行社の社長の肩書きが納得できる。すばらしい人に出会ったとなんども心で繰り返さざるにはいられない。

全てが順調に進み、一段落して会場の外に出てみた。そこには大きなGYPSYQUEENを歓迎するバナーが垂れ下がっていた。もう、これは日本にもって帰えれるようなものではない。全てがでかいのだ。観光客のように感心しながら広い人民広場で時を過ごす。太極拳をやる人たちや公園で遊ぶ子供たち。重慶の日常の風景だ。そんな時に石割さんから電話が来た。重慶の日本領事館の領事、石割さん。僕らの昨年のツアーのフィナーレを飾った人。そして、であったときにとっても怖かったのに、時間を共にすごすにつれそのやさしさを垣間見たときにどれだけ僕らが元気づけられたかわからないくらいの「重慶の恩人」である。実は僕らの曲「あなたにあえてよかった」も石割さんとの出会いが最終的な完成につながる一節を作り上げた。そんな石割さんと一年ぶりの対面である。「約束どおり会いにきましたよ!」大礼堂の階段の先から歩いてくる石割さんに僕らは駆け寄った。

約束どおりこの地で握手を交わすこの瞬間はとてつもなくうれしい。何さんも一緒に来ていた。彼女は昨年の公演の手配を一手に引き受けてくれた領事館の女性である。重慶の女性はみな美しいといわれるがきっとその代表格に違いないと思うほどの美女だ。ひさしぶりの再会を楽しむ僕らだが、いろいろ世の中の情勢も聞かされた。それは僕らにとってもあまりよくない話であった。昨日、西安の大学で暴動があったという。その原因は大学の学園祭で日本人が中国人を馬鹿にしたような内容の寸劇をやったらしい。そして、それに抗議した学生の輪が広がり、大事になっているという。時に思うことだが、日本人は本当に、本当に本当の厳しさを知らない。ほかの民族のことを侮辱するようなことをしても自分が気にならない分だけわからないのだ。(きっと悪気はないと思う、本人にとってはギャグのひとつくらいなのだろう、それでも相手が傷つくことであればそれは冗談ではすまないのだ。)そういう中途半端なことが今回のように国と国との間の揉め事に発展する。実際に何をどうしたかはわからないので僕にはコメントしようがないのだが、いいかげんにわかるべきだ。この世の中には自分と異なる価値観と意識を持った人が限りなくいて、それぞれ無視してはいけない大きな決まりごとがあるということを。

今回の事件が明日の公演に影響がなければとも思った。もし、クレームを入れる人がいたらどうしよう。もしかしたら「日本人なんて追い出せ!」となるかもしれない。そうしたら僕らはひきさがれるだろうか?それは無理だ。きっと僕らはそれでも音楽で僕らのことを伝えていくだろう。たたき出されたとしても街角でもやろう。こんなことで中国を嫌いになりたくない、僕らが中国を愛しているようにみんなにも僕らを愛してもらいたい。そ
のためには理解が必要だ。僕らには音楽しかない。音楽を手にして理解しあえるような世の中であってほしいと願う。そんなことはないと思いつつも少し考えさせられた一件であった。

ちょっと、不安になりつつも(しのんはかなり不安になっていた)再び会場に戻りリハーサルの続きを行う。今回は2時間ちょっとのワンマンステージ。それだけに準備にも時間がかかる。結局予定を大きく回ってしまい、8:00pm。楽器をもったまま、歓迎の宴席に向かうことになった。場所は長江を超えた対岸の川岸に連なるレストランのひとつだ。大橋を渡り、そのレストラン群を見渡す。重慶の夜景はとても美しくそれは圧倒される。数キロに渡ってずっと続くレストランの灯り。いったい一晩にどれだけの食材と酒が消費されるのか?そんなもし、迷ったら二度と会えないくらいの広いエリアの中の一軒のレストランで宴は始まった。

ひさしぶりの中華。中国の中華にはいわゆる「辛い」と「塩辛い」の区別が明確にある。辛いものは唐辛子、山椒でのピリカラであり、決して塩でむやみに辛くしたものはない。だから、うまい。この料理を日本に持ってくればと思うほどのおいしさだ。そして、強烈に辛い。一口食べただけで頭皮の毛穴から汗が噴出す。なんとなくわかりづらい表現で申し訳ないがとにかく日本では味わったことのない強烈な辛さなのだ。「ハオチー!」リハの疲れも、旅の疲れも強烈な辛さと再会した朋友たちとの会話で全て吹き飛んだ。うん、本当に楽しいぞ。そんな時に輪をかけるように、石割さんから電話が入った。仕事も終わったので合流しようという事になったのだ。不思議な事に、ここ重慶に来ると会いたい人がたくさんいる。寂しい思いをすることはない街なのだ。こんな幸せな事ってないと思う。「だってここは異国だよ」そういうとしのんがこういう「なにいってんの私達の第二のふるさとじゃない」とすかさず言われた。そうだった僕らはアジアのGYPSYQUEEN。そしてここは僕らの中国でのホームタウンであった。

石割さんと合流して昨年からのことを話す。あっという間に一年時間が後戻りする。街の風景が懐かしさに花を添える。ほとんど寝ていない今日の日であってもぼくらは目をらんらんと輝かせてみている。久しぶりの再会の全てを見ておくために。李さんとJUNが漫才ばりのカラオケを歌う。悪酔いしそうな歌声にみんな盛り上がる。そして夜は更けあっという間に夜中。時計の針は深夜を指す。「明日また会いましょう!」帰りはホテルまで陳さんと石割さんたちが総がかりで送ってくれる。石割さんは今回は仕事でもないのにいろいろして頂いて本当に頭が下がる。「じゃあ、明日の朝食で」笑顔でのりのりの石割さんは明日の朝、また来てくれるという。さすがに申し訳ないので「いえ、今回は仕事ではないですし、朝も早いので申し訳ないですよ」と伝えた。石割さんはこういった「仕事だったら朝飯のためだけにわざわざ来ないよ」そんな石割さんが僕らは大好きだ。