2003/11/02 いよいよ本番の朝が来た。昨日の移動の疲れも(そうか、昨日の朝にここについたんだ)十分とはいえないが回復している。朝食もメンバーで取れた。いつものように公演の準備は万端だ。会場のモニターの不具合があったため、一足先にMACHA、MASAOに会場入りしてもらい、僕は少し時間をもらって10:30amに会場入りさせてもらった。今回公演に来る前に日本でいろいろ資料をそろえようとして苦労をした。日本ではあまり中国のCDを売っていない。もちろん、最新のものとか古典民謡はあるのだが、「生きた中国の音楽」は探すのに苦労する。今回も中国の友人から聞いたアーチストや曲を探してみたのだが、結局入手できずにWEBで聞いた荒い音源をもとにコードを起こしたりもした。なので、どうしても音源を入手したかったのだ。中国のCDはとにかく安い。 僕は中国で大ヒットしたドラマ「情深深雨蒙蒙」の主演のジャオウエイとレオクーの音源を捜した。日本で探した苦労はどこにいったのか、あっというま(というか一番目立つところにあった)に入手。ついでに女子十二楽坊のライブのVCDやチベットの歌手、韓紅のCDなどを買った。4枚買って57元。日本円にすると750円くらいだ。こんな国で僕らの日本で作ったCDを売ろうと思ってはいけない。これは競争力だ。勝負にならない。もし、中国でCDを出したい人がいるならアドバイスをしよう。全部この国でつくらなければだめだ。録音も製作も流通もね。中国語を覚えていろいろな仲間を増やせばできないことはない。それが中国での音楽のやり方であると思う。そして、以前聞いた話だが、中国では海賊版が多いという。「どれくらい?」と友人に聞くと「4%くらい」という。「そうか4対6ね、半分近く海賊版なんだねぇ」というと「違うよ、4対96.。96が海賊版だよ」という。唖然。でもそういうことらしいので、みんなも驚かないように。それでも成り立っているのだからとやかく言うことはないさ。逆にこのシステムで自分たちが通用するかどうか試してみるのも面白いとおもうよ。人のやっていることなんだから出来ないことはないはずだから。 会場に着くと早くも入り口付近から、MASAOの勢いのあるドラムの音が聞こえてきた。「やってるね〜」頼もしい音につられて楽屋口の中華調のおしゃれな階段の上り、ステージへと向かう。「おつかれさん、どんな感じ?」「いやーばっちりですよー」何がばっちりかわからないがMASAOがこういうときは大体大丈夫なものだ。僕は一安心。実際にほぼ環境は整っており、あとはリハーサルを待つのみとなっている。それから14時までリハーサル時間をもらった。2時間以上のステージの通しRHは結局本番をまるまるやるようなもので結構大変だ。だいたいはしょったりすることもあるがこの公演は曲間や曲のタイム感も含めて完璧にやりたかった。そして、最後の最後まで改良を加えたいので、僕らは本番さながらのRHをはじめた。それがGQ流だ。歌い手は大変だろう。でも、これができないと進歩はない。歌えなきゃ歌えるようになればいい。そして今はそれができている。しのんも強くなったものだと感心。僕は自分では歌っていないのでちょっと気が引ける時もあるけれど、もし僕がボーカルならそれを望むだろう。最後の一瞬に大歓声を受けるために。さあ、みんなで頑張ろう! リハーサルは問題なく終了。若干のミーティング事項を残しつつ、ランチタイム。中国では必ず1,2時間の休憩時間がある。この時間はPAも照明も動かない。だから僕らも大手を振ってランチタイムなのだ。今日のランチはちょっと遠出をして重慶の住宅街の方へ向かった。もちろん一般の日本人観光客がいくエリアではない。なんだかわくわくする。数年後にあるスポーツイベント(何か忘れてしまいました)用のスタジアムの建設現場を横に見てバスはどんどん重慶の奥深くへ。李剛さんの家の近所というレストランに入る。ここでも辛いもののオンパレード。なぜか発汗作用があるせいか体調もよい。辛さになれたメンバーは今日もおいしそうに四川料理を食らう。こうして体がどんどん重慶に同化して行くのがわかる。ホテルに戻ったときにはすでに16:30を過ぎていた。衣装やなんやかんやを用意して17:10に出発。さあ、いよいよ本番だ。 17:40僕らは会場の大きな楽屋に入る。外はだんだん暗くなってきた。会場入りしてもう準備は出来ているのでやることもなく少しの休息をとる。気になるのは来場者がどれだけ来るかだ。こんな大きな会場で人が少なかったら辛い。だって2000人きたって半分しか入っていない状態にみえるわけだ。だいじょうぶかなー。普段心配しても仕方がないことは心配しない主義の僕だがこればかりは天にも祈るおもいだ。時間は18:30を過ぎ会場が始まる。舞台袖からちょこっと顔を出してお客さんに見つからないように会場を見渡す。どんどんはいってくるお客さん、「お願いだ、この流れ止まらないで」そうおもいつつなんとなく人が入っている所を見て気持ちをおちつける。さ、気持ちを集中させよう!衣装に着替えたり歓迎に来てくれた人と写真をとったりとしているうちに会場10分前のベルが鳴る。スタッフの一人が走ってくる。「すごいですよ!チケットSOLDOUTです!」「おー」メンバーから湧き上がる声にならない歓声。これはいけるぞ!と直感的におもった。開始5分前のベルが鳴る。会場のざわめきが大きくなる。メンバーは無口になる。「いきまーす!」メンバー全員で気合を入れてステージ袖に移動する。「我会努力(がんばるよ)」スタッフに笑って話しかけるとガッツポーズで返してくれた。 上手下手に分かれた僕ら。開始一分前。客電が消える。「おー」とざわめきが聞こえる。これは数百人のこえではない。紛れもなく満員の人民大礼堂のどよめきだ。「MASAOいったれー」MASAOが飛び出し、ドラムソロを叩き始める。スモークでその姿がまったくみえない。8カウントでのこりのメンバーが飛び出す。いよいよ重慶公演が始まった。ステージに飛び出すとそこには4階建てのオペラハウスのような客席が漆黒に埋まっていた。そして、何百本ものスティックライトが夜の海にさまようように揺れている。それは意識をもったように僕らの動きに反応する。「重慶の友人たちよ今日は、僕らは日本からきたGYPSYQUEENです。また、重慶にやってきたよ。どうぞよろしく!」へたくそな中国語で会場をありおり一曲目の「Without you」に入る。しのんが飛び出してくると漆黒の海は照明の反射を受けて虹のようなウエーブを繰り返す海へと変わっていた。 今回のコンサートは半数近くの曲を中国語が占めている。実際に自分たちのオリジナルの中国語を計算するとちょうど半分ずつくらいの割合で構成されている。それぞれの曲もすべてオリジナルのアレンジをくわえていていわゆる原曲を原曲のまま演奏して曲のみを聞かせる営業バンドとは異なり「意志のあるアレンジ」を加えている。それが評価をしてもらっている一つの原因でもあるとおもう。以前、上海で始めて「康定情歌」を演奏したときに言われた。「こんなアレンジ聞いたことない!こんなかっこいい康定情歌を中国人はきいたことないよ」その言葉に勇気付けられた僕らは必ず、原曲の解釈をどう僕らなり解釈するかということを考えてリハーサルを繰り返していた。今回も全てにおいてその考え方は生きている。前半は僕らのオリジナルの曲を続けた。中盤からは中国語をまばらに配置する感じで進めた。今回の演奏曲はのべ29曲。約2時間ちょっとのステージ。最後まであきさせないで演奏をするというのは意外に大変である。 みんなも好きな歌手のコンサートに行ったときたまに寝てしまうっていう経験はありませんか?決してたいくつとかじゃないんだけど知らない曲のときは飽きちゃったりするときもあると思います。そういうことを考えると僕らはほとんど知られていないわけでいかに「面白さ=あきない楽しさ」を伝えきれるかということに行き着いてしまうわけだ。今回のコンサートのそんな仕掛けの一つにメンバー紹介があった。これはちょうどしのんの着替えのときにやるのだが、僕が音頭をとって会場との掛け合いをやるというもの、「我愛重慶(重慶を愛している)」「我愛GQ」などの掛け声を会場とのコミュニケーションとしておこなうものだ。これは前回のASEANTOURで結構評判がいいMCタイムだった。なので今回は中国版として実施してみた。結果としてはかなり盛り上がったが、「同じセリフを言って」という意味が伝わらなかったために、僕らが叫んだあと、お客さんが「おー」と歓声を上げるにとどまった。あとからビデオをみてでの反省点だったがこれからはもっと説明をしてからやってみたい。そして、メンバー紹介は始まる。 最初にJUN。お得意の口ドラムで会場を盛り上げる。普段、キーボードは後列なのでここぞとばかり会場をあおる。そして、今回初参加のコーラスHACO彼女の歌う日本語曲はとても美しく、会場から大きな声援を受けた。きっとこれほどの声援を受けることは彼女の歌手人生の中でも初めてであっただろう。緊張の中にも高揚した表情がはっきりと読み取れる。今までたくさんのコーラスのサポートを受けてきた僕らだが100%言い切っていいほど今まで出会った人たちの中でもっともすばらしいといえる歌声だ。そして、過酷なツアーに文句一つ言わず、いや、それとは感じずにここまで来たことにメンバーからも拍手を送りたい。そして、MASAO。今回はただのドラムソロだけではなく、なんと「北国の春」を歌いながらドラムソロをやるという2003年の石原裕次郎「おいらはドラマー」だった。なぜか、彼はこの重慶のプレイはいつになく力を入れている気がする。うーん、なぜだろう、なぜだろう?今晩理由を聞いてみよう。 そして、次は僕とMACHAの番だ。僕らはまちゃにアコースティックギターに持ち替えてもらってオリジナルの中国語曲を造って歌ってみた。これは重慶の歌で「我愛重慶」という曲。メンバー紹介で何をしようか考え抜いた末に思いついた短い曲だ。こんな歌詞を中国語で歌っている。「重慶は とってもいいところ僕は火鍋が大好きさ。重慶が大好きあなたもそうでしょ。重慶が大好きみんなどうおもう?」という曲だ。ここのなかで「火鍋」のところを「三国演義」「長江」と変え最後には「重慶人」とした。最初はこの「重慶人」というフレーズはなかったんだがここにきて、みんなとのふれあいで僕が一番すきなのは何よりも重慶の人なんだ。とおもったからだ。 メンバーみんながステージ最前列に均等に並んで歌い始める。JUNが「火鍋」のボードを掲げると歓声と笑い声が響く。よし、うけたぞ!見事に盛り上がってメンバー紹介は会場と僕らの距離を近づけてくれた。再びしのんを呼び出して中盤戦に入る。ここではしのんはチャイナドレスのような上着を羽織って登場する。これも受けた。ステージ展開のためにアコースティックコーナーをはさみしっとりとした後後半戦に入る。この部分だけ現地の司会者に入ってもらい会場のお客さんに質問をもらってこたえたりした。これは今日のリハーサルの後に決まったことだ。石割さんから「もう一つ何かお客さんとの対話が出来ることを考えたほうがいいよ」とアドバイスをもらったからだ。きっともりあがる公演だからこそステージがステージだけになってはいけない。現地の人たちといかにコミュニケートできるかが覚えてもらえることだとおもうし、みんなもそのほうが楽しいでしょう。そのとおりある。予想通り「質問がある人」と聞くと大勢が手を挙げるだけではなくステージにこようとしているので、「二人だけ、二人だけ!」と止めたくらいの盛り上がりだった。 後半は僕も歌う。しのんの2度目の着替えのためにBeyondの海活天空を歌うのだ。ちゃんと歌うのはASEAN公演以来である。ちょっと不安げに歌い始めると有名な曲のせいか大歓声が沸いた。これで十分安心。途中、花束をたくさんもらってベースを弾くか花束をもっているか迷った上に花束を持ったままBASSを弾くという愚挙を。まあ、何とか弾けたので良かった。ステージは後半になりGYPSYQUEENのロックナンバーがメドレーで続く。お客さんとのコミュニケーションもばっちりだ。自分でいうのもおかしいが、こんなにも楽しく満喫できるステージはあまりないとおもう。だって、僕らは中国で公演をやっているんだ。それもこちらから一方的に音楽を押し付けるのではなく、一つ一つお客さんと会話をしているかのように演奏をしお客さんと一緒に時間を楽しんでいる。この上なく楽しい時間に違いないのだ。終盤に僕らが中国に来るきっかけとなった「翼を広げて」「MOONLIGHT&SUNSHINE」をつづけた。翼を広げての前にはしのんが歌詞を中国語で朗読した。次回、またここでコンサートを行なう時には僕らのオリジナル曲をみんなに歌ってほしい。そういう想いからしっかりと歌詞を伝えたかったのだ。 コンサートタイトルでもあるMOONLIGHT&SUNSHINE(月色陽光)で公演の一つのピークを迎えた気がした。公演の最後が近づいてくる。ここ四川の民謡「康定情歌」のイントロが始まると歓声はさらに大きくなる。公演も終わりのときが来る。このコンサートを実現させてくれた演出公司、陳さんの会社にお礼を言う。そのまま最後の曲「至少還有イ尓」にはいると会場全員の大合唱となった。これは最近の中国の大ヒットでいろいろな人が歌っている曲だ。全ての曲が終わり会場に挨拶をする。客電がつき、別れを惜しんでいるとアンコールの大合唱が始まった。いつだったか、中国にはアンコールという習慣がないと聞かされた。それを鵜呑みにしていた時代もあった。でも、そんなことはない。日本も中国もすでに変わらないのだ。そのアンコールにこたえて僕らは「但願人長久」を演る。 立ち上がってはいけない歴史的な大礼堂でお客さんはステージ下に集まってくる。警備員の制止も聞かず前に集まる。僕らもステージ最前面に飛び出して、もはやほとんど演奏できなくなっていた。盛り上がりきったお客さんとのハイタッチの嵐にさらされていた。JUNとMASAOがサウンドを支えているから大丈夫と判断した僕は右へ左へとお客さんとハイタッチの連続。「好不好(いいかんじかい?)」と聞くと皆が口々に「好!好!(最高!)」と答えてくれる。僕の聞きたかった答えがここにある。 GYPSYQUEENの音楽で最高に喜んでもらえたら。そうおもって作ったステージは後数分で終わる。キーボードのブレイクの時には我慢できずJUNも飛び出してくる。フィナーレはしのんが大きな中国国旗をもってステージを駆け回る時。全てのお客さんの目に「ありがとう」ということばを僕は読み取った。そういっていたかな?たぶん、そういっていたとおもう。僕もそうおもったからね。「みんなありがとう!」ってね。いつまでも鳴り止まない歓声の中僕らはバックステージに戻った。中国国旗をもってもどってきたしのんは今回も泣いていた。 今出せる全てを出し切った。みんなありがとう。協力してくれたみんな本当にありがとう! 2時間15分のステージは終わった。疲れるという言葉を忘れていた。いつまでもこの時間が続けばいいとおもった。謝謝!大家! |