I Wanna be born in china
2002/01/27-2002/02/03 珠海〜上海


12.Never Ending Story

短くも長いツアーが終わった。
もともと北京で収録されるはずだった番組収録。
それが珠海になった時に収録の混乱はある程度覚悟していた。
それも僕らの想像をも越える出来事だったが。

事前情報が全くなく、どこの国のどんな人が何をやるかも分からず参加した今回。
自分たちの演奏には関係のないことであったが、やはり全体構成を知りたがるというのが日本人のくせ。
蓋を開けてみればオーストラリア、ギリシア、中央アフリカ、アメリカ、アゼルバイジャン、マレーシア、モンゴル、ドイツ、
バングラデシュ、スリランカ、イギリス、日本、ロシア、トーゴ、パキスタン、ネパール、イタリア、ルーマニア。。。
きっと僕らがわからない部分もあり、もっとたくさんの人たちが参加していたことだろう。
今思えば素晴らしい交流のチャンス。
そんな人たちと何をどうすればいいのか分からなかった部分が前半の苦痛になった。
音をなかなか出せなかったこともバンドマンとしてのストレスが加わった部分もある。
それを結果的には簡単に乗り越え、今の僕らには「ま、そんなことは行ってから考えればいいんじゃない?」という
考え方が宿っている。
日本的に考えればいいかげんなような気もするが、考えても仕方ない事を考えるのはやめよう。
という事を学んだ。それが良いかどうかはわからない。
それよりもやらねばならない事が沢山見えたのだ。

僕らの目指す中国世界。
目指しはじめた時にはとにかく「中国語の曲を作る」ことを最初の目標としていた。
そして、作ったものを演奏する。
いつしか中国の舞台でも歌いたいな。と思っていた。

そして、幸運にも昨年、第二段階にはいることになる。
努力で補える第一段階とは異なる。
チャンスと運がなければ巡ってこないこの事実にも僕らは恵まれた。
「中国で歌う事」。こんな夢の出来事のこの段階も昨年達成できた。

そして、今回、最終段階が見えたのだ。
これは今回の訪中までまったく分からなかった新発見だった。
三段階目は「中国人にわかるように作って歌う」事だった。これは重要である。
僕らの歌は「中国語」であって「中国歌」ではない。
「中国歌」は独特の作られ方をしている。とても、シンプルなのだ。
覚えやすい詞。
これは四声ある中国ならではの事。
つまりメロディがある曲では四声が分からず歌詞の意味がわからないという事があるらしい。
なので、極力簡単な歌詞にしていかないと意味が伝わらない。
僕らの曲もこれはしのんの発音とかいう事ではなく、歌詞カードがないと意味が伝わらないのだ。
難解な詩。徐軍さんにも哲学的な詩と評された僕らの歌詞。

実際、中国で音楽番組を見ると必ず歌詞がでてくる。
これはカラオケのためでなく、歌詞が出ないと意味がわからないということらしい。
そして,今回を通じてその段階の曲が必要になってきた。
そのためには、もはや自分達だけでは難しい事もわかった。
パートナーが必要かも。
どうなるだろう。
でも、目標は見えた。
僕らの長城は少しだけその輪郭を見せるようになってきた。

今回もいろいろ分からない事で苦労したが、中国という国はつまり分からない事自体が面白いのかも知れない。

能天気のような考え方?でも、これからも前向きに行きたい。
前回は全てが夢だった。掴む物は雲のような世界だった。
観光客のようにカメラが離せなかった。そして今回は少しだが現実が見えた気がする。
もしかしたらほんの少し足跡を残し始めたかも知れない。
砂に消える足跡か?
ならば何度も踏み固めよう。
次は実績になる事を目指して、僕らにできる事の何かを残していくために頑張りたい。

僕らの目指した音楽はビジネスではない。
ビジネスではないと言いきるとそれはそれでアマチュアっぽく感じるかもしれない。
「ビジネスはついてくるもの」そうであるとおもう。
北風と太陽よろしく、いくらやっきになってもどうにもならないことがある。
条件を言うよりも気持ちを言いたい。
それが最初のステップで何ら問題ないのだ。

事実、僕らは日中友好という言葉に支えられ、日中友好によってステップを見出した。
中国に接して喜びを感じることができた。
全ての本質はそこに起因するのだろう。
日中友好は言葉としては重い。そんな重要な事。
でも、誰にでもできる事ではないのではないだろうか。
目の前にいる異国の仲間にまず話し掛けることから始まればいい。
飲み屋でも、旅行でもステージでも。
話すことがない?それじゃ無理かもね。
でも、よくよく考えてみれば一人より二人、二人より大勢がいい事ってあると思う。
その人数が13億人であればなおさらの事だ。
それが一人一人の友好につながり、大それた日常行為に変わる。

そうすれば気づく頃にはキミの友好はキミの手の中にある。

僕が、しのんが、すぎやんが、潤坊がそしてマチャが感じたこの事実だけは忘れ去られないもの。
大切なものを手にできた。
そして、僕が僕らと言える唯一の理由にもなった。

僕らは中国が好きだ。
再び中国の友人に会うためにすること。
まだ見ぬ朋友に会うためにしなければいけない事。
それが明確にわかり形状が見え始めてきた。
楽曲、語学、文化、感情、技術、観念、社会、発信、恩義、主張。。
たくさんのことをこれからまた、はじめたい。
「我会努力!」応援ありがとう!日本の仲間達。
中国の朋友よ!また会いにいくよ。
それまで再見!

第二章は終わる。次は第三章を書かなければ。




We have NEVER ENDING STORY...











−後記−


日本に戻りとある日。飲みに行く。
もちろん、中華料理。
食事をするにも何か出会いを求めている。
期待はしないけどね。
その店で、店員さんにちょっと中国語で話かけた事がきっかけでものすごく盛り上がった。
全ては「自分から相手に歩み寄る」ということから始まるんだ。

僕らと飲みに行こう。そうすればすぐに分かるよ。

ぼくらは決して特殊じゃない。
ただ、たまたま面白い人たちと出会い、面白い人たちと酒を飲み交わす。
その中の一つの戯言として僕らの音楽があり、中国語がある。
大事な事だ。重要な考え方だ。
そうして不思議とドンドン広がるネットワーク。
今日唄った「康定情歌」が中国の何処かで響く日がくるかも。
今日は今日でそんな予感。
嬉しいじゃないですか、日々僕らの物語には「続き」が訪れるのだから。

いつか出会う仲間たちよ。
僕らはいつでもあなたと出会うことを待っている。

ぼくらはみんなつながってる。
境界線のないBORDERの上で。
探しつづけているから。

 
アナタニハエンガアル・・・ 誰かからそう言われた気がした。






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