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LAOS TOUR 6

Destination 6
2008/02/19
500起床。まだ真っ暗だ。6時朝食、朝早いのが僕らのツアーの特徴だがこの日の出前はちょっと早すぎる。なんとなく寝ぼけた顔であつまる一行。朝食を終えたころようやく日の出。僕らはこの町を一望できる屋上にあがる。そこはパクセー市内が一望できるところ。朝もやの中に町がまだ眠っている。朝日を浴びてなんとなくすがすがしい気分に。「早起きはいいよねぇ」なんて言えるようになってきた。

7:00。カイケオさんに導かれて出発。昨日食事のときにshinonが滝を見たいといっていたせいか、僕らはワットプーではなく近くの滝の名勝に。今にも壊れそうなつり橋を渡ったり、なんといってももうイオンたっぷりの大自然に満足。風も気持ちよくすごしやすい気候も手伝ってか元気がかなり出てきた。その後、パクセー市内でメンバーが一人追加。日本に留学しているエーちゃん。初対面だったがGucchi氏のことは良く知っていた。頼もしい助っ人である。そして、11時街道からメコンへの一本道をたどりメコンの渡し場に到着。

ここには橋がないのでみな、この渡し舟を使うしかないのだがこれがものすごい。船3艘が連結してその上にいたが張られていて車を載せられる仕組みになっている。乗り上げるときもぎりぎりでかなりスリリングだ。きっと年に数回は落ちちゃう車とかあるんだろうな。と思う。無事に乗船を済ますとみんな車を降りてメコンを満喫。青い川には子供たちがはしゃいでいる。ヴィエンチャンであんなにちゃいろだった川に青が戻っている。きれいだ。

10分ほどで川を渡りきり僕らはワットプーに向かい上陸を果たす。そこからは基本的に一本道。本当に何もない道をさらに10分ほど良くと僕らの今日泊まるホテルに到着。ワットプーエリアでは唯一のホテル。でも、期待したものとは異なりかなりDEEP感漂うホテルだった。ここで岩月さん合流。いろいろ今回の準備において動いてもらってた人だ。以前一度ヴィエンチャンであったきり以来なので懐かしさ満点である。

その後県庁のようなところに到着。目の前のメコンビューのレストランにて昼食。岩月さんいわく、食事をちゃんととるのはここしかないとのことだった。そのお店を出たとおりの横断バーナーを見るとGYPSYQUEENへの歓迎の言葉が。日本ではどうなっているかわからない状況だがこうして現地では準備が進んでいたことを理解できるものであった。

12時からランチ。そしてホテルに14時に戻る。荷物を片付けて14:30から打ち合わせ。曲の構成や最終的なセットリストを確認する。1時間もしないうちに出発。いよいよワットプーに向かう。日本を出て3日目。ようやくの目的地である。ゲートをくぐり博物館を左手に僕らのバスは突き進み、参道の手前で止まる。

いよいよ来たぞ。ワットプーの遺跡だ。初めて見るこの世界遺産。参道をたどり宮殿前に着く。驚くべきことにこの遺跡は特に立ち入り禁止などのスペースを持っていない。普通日本の遺跡だと、立ち入り禁止の札がたちロープか柵で区切られているだろう。ものによってはガラス張りだったりすることもある。しかし、この遺跡の建造物には何気なく普通に人が寄りかかり写真をとるもの、商売をするものなど思い思いにすごしているのだ。
その遺跡の多くは崩壊している、または崩壊途中のものが多かった。時の流れで黒く染まったその石は歴史の重さを感じさせる。昔、いったいここはどんな反映をしていたのだろうか、相当な立派なものである。

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そして、それが無造作に転々としているのだ。僕らはさらに参道をたどる。地盤の関係からだろうか、ゆがんだ階段はところどころ崩れ危険なくらいだ。そこをおばあさんたちがよじ登っていった。中腹まで出て振り返るとかなり急峻なのぼりであったことに気づく。遠くに参道が一本に延びる。そうか、ここだったか。ここに来る前にいろいろ検索して風景としては知っていた。でも、この石の重み、山肌を駆け上る風に染み渡るお香のにおい。それはきてみて初めて感じるものだ。写真でみた斜めに倒れかけた神殿は今日にも崩壊をしてもおかしくない状況。これが倒れてしまったらそのほかの遺跡のように「くずれた美学」だけが残るのだろう。それも自然の摂理だ。しかし、この遺跡はなんとしても残っていてほしいと思った。

今すぐに修復しないと。でも、それをする力は僕にはない。音楽で何ができるのか考えるのだ。もっと考えれば何かきっかけがつかめるかもしれない。次の世代にこの遺跡をどうのこしていくことができるのか、ずっとそんなことを考えていた。途中、咲き乱れる白い花を見つけた。神殿に上がるメインの階段の両脇にその木はあった。「これがチャムパの花だよ」そう教わってよく見ると、そうだみなれたチャンパの花だ。そうか、こんなに幹のしっかりした木に咲く花なんだね。イメージとまったく違うのでちょっと驚きだ。

この遺跡ができたのがおよそ800年前。きっとこの花はそのときからずっとあったんだろう。文明が栄えて壊され眠りまた注目され、それらの長い時間をこの木はみていたんだなとおもうと感慨深い。一つ一つのものがすべて印象的で結局戻らなければいけない時間に間に合わず最後の神殿までいけなかったのが残念であるがもう、おもいっきりこのイマジネーションを受け取った僕ら。ここにこないとわからない「気」を感じたのだった。

17:00。遺跡からもどってステージの打ち合わせに入る。打ち合わせといってもまだステージがぜんぜんできていない。本番まであと3時間でだいじょうぶなのか?紹介されたクルーと挨拶をする。その一人が「ペット」だった。ん?ペット?そう、インディレコードの社長だ。社長がなぜここでPAのセットをしているかわからなかったがようは何でもやらなきゃいけないんだろう。

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ステージにあがり内容をチェックするとドラムセットのボルト関係が一切ないことに気づく。「今日あるセットはこれだけであとは明日しか届かない」。届かないったってあなた、タムやシンバルがあってもそのスタンド類が一切なくてどうしてステージができるのか?わらっちゃう出来事だ。どこからか借りいくことはできないのか?とりあえず探してもらうことにする。このままでステージをやってほしいといわれたがそれは無理だ。何でもかんでも必要という贅沢なバンドではない。でも、最低限の事ができずにステージにたてばそれは完璧なものができなくなる。それを聞かされるお客さんだって納得しないだろう。僕らは無理を言っているんじゃない。でも、結果的には無理なことなんだろう。ここにくるまでの交通手段を考えるとあと3時間でできることは限られている。この時間まで、これで良いと思っている音響スタッフに腹が立った。

今回、いろいろなラオス人にあい、その努力や上昇志向に感激した。でも、こうしてどうにでもなれ、とおもっているラオス人がいることも確かだ。エンタテイメント産業に従事しながらそんなこともわからないスタッフに失望した。とはいえ、コンサートは音響スタッフのためにやるわけではない。僕らはもっと大きな大儀の中ここに来ている。どうすればベストな選択がとれるか急遽考えることに。ここにいても仕方がないのでとりあえずホテルに戻る。やるとすればアコースティックセットしかないが、そのためにはアレンジも変わってくる。今回、この地でやるためにパクセーの曲を用意してきたがアコースティックという前提では考えていなかったのでここは何とか立て直さないといけない。基本的にはドラムがなければ中止というスタンスだが打開策を考える。

18:30夕食にでかける。昼食と同じ場所だった。ここに今回のワットプー遺跡の保護責任者という役人の人が来ていて、今日はこの人の主催する食事会であった。会場の情報はすでに届いていて、最初に不備について詫びられた。その言葉には本当に残念だという気持ちがこめられていて、それでも、できればこのお祭りで楽しみにしている人に何か演奏をしてほしいと頼まれる。

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この場で杓子定規に断れるはずもなく僕らのできる最善を尽くすと約束。一曲でもいいので観客の前に出てほしいといわれる。音楽をやる上でこの上うれしいことはなく、なんとか、4,5曲できるようなスタンバイをすると約束。まあ、何とかなるだろう。本番まであと2時間弱だ。食事を終えて会場にいくと今度はタムが増えていた。しかしつなぐパイプやスタンドは一切なし。ここで今日のドラム入り演奏は明日に持ち込まれた。セットリストを急遽変えてスタンバイに入る。

30分ほど遅れて20:30僕らは最初のステージに立つ。パクセーの曲、日本の伝統曲、僕らのオリジナル曲を取り混ぜての演奏。理解してくれただろうか?shinonのMCは妙に受けた。発音が異なるためか。まあ、幼児がしゃべってROCKをやっていると思えば興味深いものだ。終了後カイケオさんがとても喜んでいた。この笑顔と昨日の会ったときの怖さはもうリンクしていない。別のような印象である。今日やってよかったな、と思う。音楽は主張の場、発行の場、共有の場。だからこそ聞いてもらって何ぼということなんだろう。

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ラオスでは珍しいアコースティックスタイルで。

これ以降すべてphoto by Xayです。

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