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LAOS TOUR 7

Destination 7
21:30.終了後みんなでおかゆを食べに。最近なんとなく健康的だぞ。でもスパイスを入れすぎたせいかめっちゃ辛くつらかった。基本が辛いということを忘れていました。そのあと会場を簡単にみてバスへ。とにかくパワーがあるというかありとあらゆるものが夜店で売っている。そして広いのだ。「ムエィ?(疲れた)」。さらに数万人の人々の歩く砂埃でこの会場が煙っている。気のせいかのどが痛くなってきた。Shinonののどに影響をするのは良くないので会場を離れる。明日はドラムセットあるといいね。そう願い出発。

23:00ホテルにて反省会。オープンテラスのその席のすぐ先には一本道が。フェスから帰ってくる車でとてもにぎやかで、これも岩月さんによるとこの時期だけと言う。今回のスタッフのサイ、エーちゃんと一緒に飲む。日本とラオスについていろいろ話をした。みんなが目指しているのはこの二つの国のもっとたくさんの交流。経済的にはなかなか形にならない部分もある。文化的にはほとんど知られていない。だからこそ誰かがやらなきゃいけないわけで今日、ここに集まった日本人とラオス人はそれを具現化したいと願っている。それがここにいる理由でもある。力を合わせてやっていこうと思う。こうして飲み交わすラオスの友人に誓い合った夜。
2008/02/20
6:00起床、7:00朝食。このお祭りも最終日を迎える。この日も朝早くからぎっちり予定が組まれている。朝食はいつものメコン沿いの店で。このころになるとメンバー、スタッフ、ラオス側の人々とみな打ち解けた雰囲気でいい感じだ。お店のオーナーの娘が店員をやっていて中国語がわかることをしる。話してみると雲南で中国語を勉強しに行っていたらしい。これはラッキーだ。話しかけると中国語で帰ってきた。なんとなく会話が始まり夜は何が食べたい?とかいろいろ聞かれた。とりあえずガイヤーンとサイウアははずせないね、みたいな感じで盛り上がる。

9:00。食事後、昨日の写真をヴィエンチャンタイムスに送らなければいけないので岩月さんのネットカフェに行くことに。ここ数日、ネット環境がなかったものでみんなで押し寄せる。岩月さんの店はネットカフェとコピーサービスをしている店でこのエリアでは貴重である。日本語フォントも入っているので利便性も高い。1分250kipという料金制。まず、ここ以外ではネットがつながらないと思うのでワットプーにいく人はチェックしておくといい。走行しているうちにソムディが到着したと連絡が入る。約束どおりに来たわけだ。最初エアできたとおもったら昨日の夜にヴィエンチャンをでて今朝パクセーに到着。そしてチャンパサック入りしたという。長旅お疲れ様。せっかく来てもらって悪いがすぐに出発。今日はラオス最南部へ向かう。このエリアにはコンパペンの滝、川いるか、カンボジア国境などが控えている。

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夜のコンサートにちゃんと帰ってこれるだろうかとちょっとだけ心配になるがまあ、大丈夫だろう。僕らが心配することではない。9:40。川を再び渡る。ボートの中では昨日違うステージに出ていたというラオス人シンガーたちと盛り上がる。みんなシャイな人が多いので怪訝そうな顔で最初はみているし、まるで興味なさそうな感じなんだが、一声かけるとみるみるまに笑顔になってくる。一緒に写真をとろうというともう、大盛り上がりだし、あとから「彼女と写真を撮りたい」なんて積極的にいってくるほど。そんな触れ合う時間は僕らにとって本当に大切な時間だし、この旅の大きな目的であり信念である。自分から問いかけてみれば格別な笑顔で返してくれる。こうしてまたヴィエンチャンで彼らに会うこともあるかもしれない。そんな楽しみがまた一つ増えた。

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川を渡りトゥクトゥクに満載の若者チームと分かれる。それにしてもトゥクトゥクで10時間以上。。。僕には耐えられないことだ。バスはどんどん南下してゆく。樹林地帯を抜けて平原のようなところに出て11:35.コンバペンの滝にでた。そこは創造をはるかに超えた名瀑。アジアのナイアガラといっても過言ではない。川のコバルトブルーに光る激流はいつまで見ていても飽きない荘厳さ。

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ボキャブラリが少なく、「すごいよね?」を連発するしかない。それほどのスケールであった。川べりに降りるとその勢いはさらに増し、冗談でも水に入りたいとは思わない圧力だった。そして、ランチは滝のそばのオープンレストラン。ここも快適な空間である。となりにインド大使館チームがいてとりあえず乾杯。

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昨日のステージも見ていてくれたらしく、今日も応援してくれるという。インドか。今まで意識していなかった南アジアの大国だ。どんな文化でどんな生活なのか想像もつかないが今日の出会いが何か意識の始まりになったかもしれない。ここでこの地方独特のラオラオの回しのみが始まる。薬草のようなものをつけたラオラオで健康に良いそうだが、酒の濃さはラオラオのままである。若干二日酔いが残る中ではあるがここは回避できないので思い切り飲む。ビアラオをチェイサーにして飲むラオラオはきついが一緒に飲んでくれる人たちのためにもここはぐいっと。その後民族楽器をみたりみやげ物をみたりした。またもやviviちゃんの恐ろしい値引き交渉にエーちゃんも唖然。メンバーも唖然。さすがである。みんなが気に入ったテンガローハット。中でも一番気に入って買っていたのがソムディ。彼自身初めて南部にきたみたいで結構喜んでいた。

帰りにバスに戻るとカイケオさんがサイを呼び出した。何かと思うと写真を撮ろうという。なんだか打ち解けてきたよね。さらにみんなでとったあとにshinonと3人でとろうという。最初怖かったカイケオさんの笑顔が見れることがうれしい。そして14:35.出発だ。ここに来ていろいろな人たちといろいろな話をしてきた。今までもアジアの国々でたくさんのスペシャルな経験と出会いをしてきた。それらに共通していえることはここにこないとわからないことである。理屈には通らないかもしれないが、ここにこないと伝わらない。それが事実なのだ。

今までこのアジアのことを少しでも多くの日本人に伝えたいと思ってきた。もちろん伝えることに努力は惜しまないし、それが理由でアジアを好きになってくれたひとや旅行に来てくれた人も多い。でも、最終的に僕の心の中の中心にあるアジアにくる一番の理由。一番響く部分はここにいないとわからない。カイケオさんの笑顔、肩を抱くしぐさ。その交流がきっと日本にとってラオスにとって、みんなにとって、そして僕にとって一番なのだと確信を持っていえるのだ。わかるかなぁ。わかんないだろうなぁ。でも、ぼくはこれが一番大切で一番すばらしいことだと思っているのだよ。

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デジタルでない意見で申し訳ないがデジタルに割り切れない部分をここで見つけているんだ。しばらくすると大きなリゾート地に差し掛かる。ここはスパなのだがその環境がまたすばらしい。メコンの流れと数十センチほどのところに広がるオールグリーンの敷地。そこにコテージが点在する。メコンの緩やかな流れと緑のフィールド。絶妙のコントラストでこれはもう日本人OLとかが知ったら大賑わいになるだろうという感じの場所だ。

当然日本人はまだ誰も知らないくらいの場所。このラオス南部は未開発の観光資源があふれている。結構時間がたってしまい、結局カンボジア国境までは達せなかった。「国境またいで写真とっちゃたりする?」とい野望は断念。まあ、明日タイとの国境に陸路で越えるからそのときにすればいいか、みたいな感じだ。チャンパサックに戻る途中サイといろいろ話す。日本に行きたいという彼。もともとタイで映像を勉強していたのでその才能はある。語学も日本語をもう少し覚えれば大丈夫だろう。ラオス人カメラマンとして日本で活動するのも悪くない。日本には師匠もいるわけだしね。

彼らと話していて出る言葉はみんな未来への「希望」の心の現われだ。すばらしいことではないか。話を聞いているだけで自然とうれしくなる。

超ポジティブな仲間との会話は本当にわくわくするものだ。16時過ぎ。岩月さんから電話が入る。「今どこですか?ワットプーに入るには大渋滞なのでもし、渡し舟に乗れなかったら先に船で渡ってきてくれればバイクでピストン輸送しますよ」。その気遣いに感謝。本当によく気のつく人だと思う。そんな話もありちょっと不安では会ったが僕らの前の車(カイケオさん)の先導のおかげでなんなく渋滞を突破。渡し舟も専用の船を押さえてくれていて、さらにワットプー側にわたっても反対車線を爆走するということで17:30にはホテルに到着した。さすが政府の先導である。「カイケオさんかっこい?」きっとこうしてviviちゃんにお酒を注がれることであろう。シートン大使がすでに到着されているということでステージの荷物を積み込み再びレストランへ。18:30.五日目にして大使と再会だ。この日は大使が夕食会を催してくれた。

周りはすべてラオス政府関係者。遺跡関係の人やチャンパサック県の人たちでそれらに囲まれた形で僕らがいることになる。とても不思議だがほとんどの人たちの仲良くなっていたので特に違和感はなく自然と盛り上がることができた。大使の格別の配慮にも感謝だが、何よりもこの場に呼んでいただいた恩に報いるにはこのステージを成功させることが一番だ。飲みたい気持ちを抑え(とはいいつつちょっとは飲まないとね)ステージの準備に入る。

?結局、レストランを出たのは19:30過ぎ。会場に着いたのは20時を過ぎたころだった。すでに岩月さんが夕方機材の確認をしてくれていたのでドラムがあるかないか、などの基本的な部分は解決していた。あとはサウンドチェックだがステージ前に簡単に20分ほどで、と話していた。しかし、そこはあまかった。ワットプーの遺跡の入り口まで長蛇の車列。そして、会場内は道はあってないようなものという感じ。到底ステージまでたどり着かないと思った。でも、そこは心強い関係者のおかげでどんどん、中に入る。人を掻き分けついにマイクロバスはステージ裏に横付け。これはすごい。日本人には到底できない積極さだ。おかげでぼくらも万全な体制で望むことができる。

さっそくステージにあがってセットをと思うが超満員のステージ。とてもじゃないけれどサウンドチェック、ましてリハーサルなんてできない。Masaoが機材をセットしにステージに上がるだけで歓声が上がる。確実にやるためだけならリハーサルもいいが、この空気を読めないやつにはなりたくない。メンバーに相談してリハなしで望むことにする。だれだってリハはやっておきたい。でもこの状況を当事者として考えればできないのは仕方がない。だれもが文句を言わず、後は自分の力量でこなすことだけを考える。言い訳はしない。最高のものを見せてもりあがってもらい、日本という国の音楽をしってもらい、僕らがこの国を愛しているということを伝えればいいのだ。

音楽家の役目はすべてそこに集約される。広大な広場がすべて観客で埋まった。「どれだけいるの?」と聞くと「5000人から2万人くらいでしょうね」と帰ってくる。その差はなに?とおもうがこれは数え切れる数ではないことがステージの袖から見てもわかる。スタッフも大変だビデオの設置、カメラポジションの確保。指示をしなくてもみな自分の役割をこなす。エーちゃんは僕らのセットのサポートを。ソムディはshinonの警護を。バックステージでラインチェックを行いいよいよ本番だ。MCの人が観客を盛り上げる。

ビアラオのスポンサードによるこの巨大なステージは2ヶ月前からこちらではTVで宣伝されていたという。僕らが知らない間にいろいろなことが行われてそして今日に至った。力を出すときはいまだ。たくさんのありがとうを音に変えてみんなに返していこう。そしてステージは始まった。

シートン大使とご一緒に最強のメンバー達
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