重慶公演5
- Post by: AKI
- On: 3月 31/10
- With コメントはまだありません
2010/03/21
5:30目覚ましで起きる。白酒と陳さんの笑い声がまだ頭から消えない。
カーテンを開けても外は真っ暗だ。ここで寝てしまうと大変なことになるのでとにかくシャワーを浴びよう。
今日もまた夜から一日が始まる。
6:30朝食。僕が行く頃には食べ終わっている人も多い。
ここにいるのは皆僕らの一行。ホテルにお願いして30分早く朝食をスタートさせてもらったのだ。
7時にチェックアウトを終え、7:10出発。重慶滞在もあっという間だった。
懐かしく、新しく。ページを更新したように僕らの中の重慶は少しだけ新しくなった。
重慶から成都へはいくつかある高速を行くことになる。市内を抜け高速に入るとあとは一直線だ。
昔あった重慶の最悪の高速は修繕?廃止?されたようだ。汚職がらみというのでやっぱりね。とおもう。
それくらいぼろぼろの道路だった。
今は快適。恐れていた分快適さは増す。昨日の音源を確認したり今日の予定を劉ちゃんと相談したりで時間を過ごす。
もちろん、中国語の勉強も忘れずにね。10時ドライブインに入る。
とにかく移動が多いので体があちらこちら痛い。マッサージに行きたい。
昨日もいけなかったしね。
幸いかなり順調にきているという。その後の道も快適だった。
菜の花畑が山一面に広がる。すごい景色だ。輸出しているの?と聞くとそうでもないらしい。
国内の需要で充分なんだろうか?油を取るといっていたが、その辺の知識が余り無いので良くわからなかった。
10:40。あと20kmで成都の看板が出る。直進すれば成都、右折すれば綿陽だ。
「この成都にはパンダ基地があって40頭もいるんだよ」と言う話をきいてパンダ基地か。なんだかかっこいいな。とおもう。
パンダ満載なんだろう。行ってみたい気もするがパンダって凶暴みたいだからちょっと怖いかもね。
本場のパンダは。
11時には市内に入る。ちょうど4時間だった。
これくらいは快適な旅の部類である。市内は平地でとても開けている感じ。
大きなビルが立ち並び重慶のそれとは異なる。
そうか、成都はこんな町だったか。以前来た時はほとんどライブハウスと飲み屋しか滞在していなかったので新鮮だ。
11:20.町の中心街に到着し、昼食の錦里香に到着。
ここで今日の共演者とミーティングになる予定だ。
まずは成都の窓口になってくれた王さんにごあいさつ。陳さんの会社は大きくなっていてここ成都でもオフィスがある。
そこの窓口である王さんということで今回のもろもろの手配をしてくれた。
食事は四川料理。辛いといっても結構上品な店で、そう辛くは無かった。
ただ、山椒は激しびれ。これはきついね。
日本にはここまで強烈な山椒ってないからお土産に買っていこう。
食後、打合せをする。先生と生徒がきたのだがここでも話はすれ違った。
彼らはコンサートが決まった時に、一緒にステージに出るために僕らに演奏をしてもらう曲を選曲したそうだ。(もちろん届いていない)。
芸術学院ということでこの分野で生きていこうと思っている子達だ。一緒に共演するのを楽しみにしてくれていたようだ。
が、仕方ない。とりあえず全員カラオケでお願いね、ということになり、ステージ全体の進行の打ち合わせになった。
こういうときは切ないね。これはなんだか特別な出会い。
だからこそ少しでも相手のことを理解できる方法を探したい。
それは一緒にプレイするということが一番の近道だって事を僕らは良く知っている。
知っているだけに残念な気持ちである。
そして、打ち合わせを進めるとやはり同じようにこちらからお願いした最後のセッション曲も伝わっていなかった。
わざわざダウンロードサイトまで作って音を落としやすくしたのだが、結果的には開かれることはなかった。
日本語の曲はいまさらどうしようとしても無理なので中国語曲の「相信愛」のみをお願いする。
歌詞がないといっていたが、ネットで今から落としてプリントアウトするから大丈夫というようなことをいっていた。
若干後味が悪いながら仕方がないということで「これからは事前に確認しようね」、といって一度解散。
時間を見れば12:50.話に熱中していたせいか結構この店にいたことになる。
幸い、ホテルは近い場所で20分ほどで到着した。
そこはかなり狭いホテルだった。
この時期、成都は大きな博覧会があるということでホテルが取りにくいということだった。
その影響もありホテルが変更になった経緯がある。部屋で荷物を引き出し、準備を整えて14:10出発。
すでに先発隊は会場入りしている。
本隊は遅れて14:30会場に到着。
そこは楽器街の中にあるまさに音楽大学だった。