相約北京1
- Post by: AKI
- On: 5月 7/10
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GYPSY QUEEN ROAD TO ASIA#26
2010/04/30
午前4:40起床、寒い日が続いたが今日から暖かくなると昨晩のニュースで言っていた。
天気予報は晴れ。全国的に晴れているので渡航には影響は無いだろう。
集合時間は6:30.ゆっくりできるのは羽田出発だから。精神的にも非常に楽である。
集合時間の1時間前の5:30自宅を出発、連休の中日ではあるが結構混んでいる。高速に入るとスムーズに流れて6:30少し前に空港着。国際線ターミナルにつき車をパーキングに入れる。近くのP5は露天のパーキング。これでは車が野ざらしだ。そこに停める気にならなかったのでちょっと遠いがP4に停める。
国際線利用者は駐車料金も1日1000円ということでリーズナブル。国際線ターミナルまで歩いて向かう。このターミナル外観同様非常に小さい。まるで地方空港並みだ。レストランもないしね。でもその分チェックインもスムーズである。
今回は6人での渡航。重量が気になったがなんと全部で100kgを切った。
すごい軽量化だ。6:55チェックイン完了。その頃こばじゅんも空港に到着。総勢7名が揃った。
出国もスムーズで7:50に搭乗となる。それにしても小さい。搭乗ゲート自体が3つしかない。きっと今作っている新しい国際線のターミナルに移るまでもう少しだから経費削減でそのまま使っているんだろう。
羽田路線が増えれば都内の人間は本当に楽になるなと思う。
搭乗するCA184便に向かうためにバスへ。飛行機も小さなエアバス。本当にこれ?という感じだ。
乗り込んでしばらくたってすぐに離陸。8:30CA184便は北京に向かい飛び立つ。
風のせいか非常に揺れて気が気でない。羽田からということもあり窓の外の世界は今までの中国への旅とは大きく異なる。いきなり内陸に入り交付上空へ。南アルプスの冠雪がきれいだ。富士山もくっきり見える。やがて日本海に出たころに食事。時間は9:40.北京時間に合わせて1時間前に戻す。北京までは3時間50分。結構遠いぞ。
上海は2時間台だからね。北京って遠かったんだ。
10:30。少し寝たなとおもって目を覚ますとまだ海の上、ちょうどあと1時間で北京だ。しばらくすると大陸と小島が見えてきた。なぜか高度が低い気がするな。赤茶けた岩だらけの島がよく見える。
今回の旅のいきさつを書こう。
中国に対外演出公司という会社がある。
この国には人民共和国文化部という組織があり外国人がこの国で何か公演めいたことをする時にはこの文化部の許可がいる。
僕らの中国公演でも最終的に必ずこの文化部の許可がいるわけで各省都ごとに存在する文化部の許可を得なければ何もできない。
そして、その中の実行部隊に当たるのが簡単に言えば演出公司だ。
これも各都市に設置されていて、それぞれの省での活動の際にはそこで許可を得ることになる。
その大元締めが人民共和国文化部であり対外演出公司である。つい先日、この対外演出公司のタンさんから連絡が来た。
彼は04年の公演の時にお世話になった人。若いけれど聡明な感じできちんとした人。同じタイミングで出演していた欧州のバンドがステージ裏でくわえたばこを投げ捨てていたら、ダッシュでかけより煙草の火をこれでもかと踏み消していた。そんな機敏さ、潔癖さが当時非常に気に入った記憶がある。
そして、その彼とは翌年の公演の際にもお世話になった。正確には翌年出演キャンセルになった時というべきか。そして通常ならそこで縁も切れるだろう。でもぼくらの縁はつながっていた。05年の晦日。凍てつく北京で再会した彼はスタッフから大きく成長していた。
その年に研修で京都に行ったらしく、日本のきれいさ、食事や環境の良さに感心し、日本が好きになったと言ってくれていた。
半年前にいやな思いをしたがこうしてここで会えたことがとてもうれしかったような気がするし、きっともう一度何かを一緒にやることにあるだろうと予感はしていた。そんな予感は的中し僕らはこの政府が主催する大規模イベントに参加することになった。
このイベント自体08年、09年と開催を見送っており、07年以来の開催だという。
真っ先にGYPSYQUEENに連絡をくれたらしく、概要はまだこれからだということだった。
中国の場合、ここからが大変だ。情報不足、変更、急な依頼。それも半ば覚悟していただその期待はいい方向に外れていく。
何回も何回も説明してやっともらえる招聘状もshinonがメールをすると週明けにはメールに添付された形で届いた。最初の時はこのレターをもらうだけでじんましんが出るくらいに苦労したのに。それも画質の悪いFAXで来た昔と比べメール添付である。文化部の印が赤いのが初めて分かったくらいだ。
そしてスケジュール、ホテル。すべてがメールでやり取りされた。タンさんという最高の老朋友ができた。それは05年の晦日にあったから他ならないことは明確だ。国内のパートナーと仕事をするよりも迅速な感じで今日送ったメールは必ず翌日には明確な回答が来る。もう、普通なのだ。
同じ目線で同じ疑問を持ち、同じ解決方法を探る。そんなこともあり行く前から非常に安心気分になっていた。
いや待てよ、ここで油断は禁物だ。何があるか分からない。気を抜いてはだめだ。と周りを引き締めた。
「うまく進んでいるよ。今はね」。そう答えることが多かった。
実際にまだ今の時点ではどうなるか分からないしね。とんでもないことが待っているかも。昔の呂遠先生の言葉を借りれば「中国人にはいい人も悪い人もたくさんいる。それは日本人も一緒でしょ。いい人も悪い人もいるのはどこの国でも当たり前ですよ」。
たくさんの優秀な中国人の朋友に会える僕らはしあわせだと思う。
そんな流れの元、今日がある。