日本カンボジア55周年
- Post by: AKI
- On: 4月 16/08
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今日はカンボジアと日本の国交樹立55周年のレセプション。Gypsyqueenもそこで演奏をするために大使館に向かう。
ここ最近カンボジア大使館に来ることが多いせいか、スタッフも書記官もそして大使もとてもフレンドリーだ。
僕らの顔を見ると、早く来い、という感じで手招きされる。
人間関係は時間じゃない。先日から合っている人たちと非常に深い話をして、共感するところ、夢を感じるところ、たくさんの会話ができた。
日本にいながらこんなにもカンボジアのことを話せるなんてこの上ない。
いただくばかりでは申し訳なく、ようやく僕らの恩返しができる時間になった。
今日はこのレセプションで5曲演奏することになった。
続々とvipの方々が来場。シートン大使もいらっしゃった。
今日ここにいるのもラオスのシートン大使のおかげであることに間違いない。
僕らを見つけるといつもの安心できる笑顔で迎えてくれる。
ちょっと緊張気味のメンバーにとっては最高の癒しだ。何よりもこの方に感謝である。
最初は大使館入り口のスペースで大使の挨拶、カンボジア伝統舞踊のあとに日本の歌を一曲歌う。
まあ、ご挨拶だ。
日本の名曲にはアジアで意外と有名な曲があったりする。それはそれぞれの人々の中において伝統的であり、ふるさとであるようなもの。
もちろん、日本人にとってもね。そんな曲を最初にプレゼントした。
といっても今日はぼくはお休み。ロイカトンのときもそうだが、今回は会場のスペースの都合もありアコースティックギターのみだ。
パーカッションとベースはお休み。
替わりにサポートギターとしてしゅうじが参加してくれた。
地下のパーティルームに移動。余興として数曲演奏。
覚えたてのアラピアが評判よくて盛り上がる。
ラオスのランボンと一緒みたいだ。とにかく盛り上がる。
やはり僕らの考え方は間違っていない。
カンボジアではカンボジア語。それが一番だ。そう実感したステージだった。
今回はいきなりということもあり、メンバー総力の仕事であった。
たとえステージにあがっていなくてもメンバーはメンバーでこの今日のステージのためにMASAOは前日に機材を運搬しにきてくれた。
そして終演後、機材を運搬に来てくれた。
自分は参加できないのにね。
たいがいというかまあ、よくあるパターンとして自分の出演しないステージについて基本的にみに来ない。
でも、彼はメンバーの一員としてここにきた。
終演後に。
機材を運ぶだけのために。
すごいよ。ほんとすごい。
こういう仲間と一緒にやれることが僕の誇りでもある。
最後までステージに出れる予定でなかったMACHAは譜面を興し、機材を提供し、そしてぎりぎりの今日、スケジュールを調整してステージに上がってくれた。
MASAOは搬入搬出をすべて受け持ってくれた。
それはまるで普通に一緒にステージをするがごとく、ごく当たり前にだ。
きっとこれがgypsyqueenなのだろう。
アジアに夢を、アジアの夢を日本に。
そんなことをいっていても本質の心がさびしければきっとそんなことはできない。
このメンバーは貧乏ながら(失礼)心は非常に豊かだ。
ラオスで感じた心の豊かさに共通する気持ちを持つメンバーたち。だからこそアジアでの活動を今でも続けていくことができるのだろう。
僕は誇りを持っていえるのだ。
?ステージは全員で作るもの。簡単なことだが実は非常に難しい。それを超越してできるこのメンバーはやはり最高なやつらだ。
今日はぼくもスタッフモード(結局チンチャプで参加したけれどね)。
同じ気持ちでフォローしてくれたこの場にいない仲間に感謝だ。
そして、何よりも今日のすばらしい出会いに感謝だ。
いろいろな出会いがあった。
言葉にはまだちょっと表しきれない。
僕らのカンボジアは確実に広がっている。
目を閉じればまだ見ないクメールの遺跡が広がっている。
オークントムトム