貴州ツアー1
- Post by: AKI
- On: 3月 24/11
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GYPSY QUEEN ROAD TO ASIA#28
2011/03/19-2011/03/22
Step by Step
2011/03/19
5:00起床。
いつもより遅い便だが地震のこともあり早めに準備。
6:00に自宅を出発する。
昭和通りのトンネルで携帯が緊急地震情報でけたたましくなる。
この音の方が怖い。
この時期とにかくいつも揺れている感じで震度3と聞いてもあまりピンとこなくなった。
麻痺しているのだろうか?
高速に乗ろうにも入口の閉鎖が続きなかなか乗れない。
結局高速沿いに30分。
そのまま浦安まで来てしまった。
やはり世の中少しおかしくなっている。
それでも早く出たせいか7:30に酒々井着。
なんとか予定に追い付いた。
早く出て良かったなと思う。
ここで恒例の朝食をとり8:10成田空港に到着。
なんだか成田は久しぶりだ。
第二ターミナルに入ると大混雑。
連休だから?
いや、そうじゃない。
原発と地震をおそれて中国人をはじめ外国人が大量に出国しているらしい。
僕らの乗るMUも満席と聞いていた。
チェックインのための長蛇の列に並ぶ。
集合時間を出発の2時間30分前に決めたので余裕がある。
「2時間前だったら大変かもね」何事も備えが肝心だ。
順番が来てチェックイン。
今回は総勢12名。
上海で合流するこばじゅんを抜くと11名のツアーだ。
気になる重量は11人で173kgかなり余裕である。
手荷物検査も混んでいて9:50出国。
あまり余裕もなく搭乗ゲートへ。
中華東方航空で行く旅。
MU272便の搭乗を待つ。
満席のシートは結構狭いが空きの席も見つからない。
まあ2時間ちょっとだからね。
飛び立つときになかなか機体が持ち上がらずちょっと怖い。
一瞬ガクンと落ちてさらに怖い。
飛行機はもともと苦手である。
現地の情報を整理してみんなとの意識レベルを合わせる。
今回の経緯を説明しよう。
もともと今回の公演は昨年の11月に開催するということになっていたものだ。
ご存知のように反日デモが中国国内で広がり、特に今回は内陸部で多く発生した。
そのあおりを受けて開催数日前に中止になったイベントである。
まあ、延期は永遠に延期と思っていたのだが、日中関係の回復により急きょ復活したのである。
準備期間があまりにも短く実施するかどうかも考えた。
しかし、行かなければ始まらないという考えのもと実施を決定したのが2月下旬。
MACHAがスケジュール的に厳しくいつもサポートをしてくれるkyojiにギターを弾いてもらうことになり、リハーサルも順調に進んでいた時だった。
そこに東北大地震が起きた。
今までに経験したことのない大震災。
もちろん、僕もこんな経験はない。
首都圏の電車は皆停まり、完全にマヒした東京。
そして、ニュースで伝わってくるあまりにもひどすぎる被害状況。
そこに原発や停電など次々に緊急事態が襲ってきた。
こんなときに、まさに今回こんな時にといわねばいつこんな時が訪れるのだろう?
そんな中でのツアーの決行だった。
この判断はかなり悩んだ。
中国側は変わりないものの、日本は大変なことになっている。
でも数日が過ぎ、何もできない自分があった。
何かしたくてもできない。
距離もそのレベルにおいてもシロウトがてを出せば二次災害につながってしまう。
そして、僕らはtvやインターネットから情報だけ入手する。
何もできないなら違うことをしなければいけない。
被災を免れたからこそできること。
被災者の分まで働くこと、日本を元気にすること。
そして、この事実を風化させないムーブメントを作ること。
それでもまだ悩んでいた僕らに悪い情報は重なる。
この世紀の大災害を受けて、主催の重慶総領事館が実施を見合わせるという判断を下した。
この非常時だからそれは仕方がない。
もはや道は4度閉ざされかけていた。
でも、そこに1通のメールが来た。
「日本週間は貴州大学独自で開催します。Gypsyqueenのコンサートも実施します。そして、冒頭に日本の地震の被害者のために黙とうをささげさせてください。」
意外な言葉だった。
この時、迷いはすべて吹き飛んだ。
思えば僕らは四川地震の被災者を支援するためのチャリティコンサートを行っていた。
各地で語る地震の被害と忘れてはいけないということ。
それは今や日本の、自分の足元のためにある行動でよいと思う。
中国側から語りかけられた追悼の言葉。
日々形を現してくる大惨事の実情。
それを伝えてこよう、そして、日本は大丈夫だということを見せてこよう。
出発まであと1日。
決心がついた夜だった。
そして、前日を迎え、メールが来ないように、電話が鳴らないように過ごして今朝の出発を迎えたのだ。
今回はメンバーの他にプロフェッショナルな仲間が勢ぞろい。
和僑会の幹事の永川さん、大学の先生の杉本さん、サウンドエンジニアの千夏、oneasiaPROJECTの幹事直子さん、そしてシンガーの美彗。
そこにいつもの6人。
そして、上海ではこばじゅんが待ち構える。
現地でたとえ何が起きようとこのメンバーなら戦える。
今回は立った四日間の旅。
総力戦で駆け抜けていこう。
上海につくころにはすっかりと戦闘モードになっていた。
そして、14:20、現地時間13:20。
降下体制に入った窓からは市内が見える。
3か月ぶりの上海。
なんだか懐かしい。
そして13:30着陸。
さあここから大移動だ。
荷物をピックアップしてショウさんと和僑会の黒田さんが待ち構える到着ゲートへ。
また会うことができた。
ショウさんはかなり貫禄がついてきたね。
僕にしてみれば頼れる弟。
そして、和僑会の黒田さん。
21日のレコーディングの打ち合わせもかねて迎えに来てくれた。
バスに乗り込み一路虹橋へ。
羽田発ならよかったが結局ターミナルが違うので手間はかかることになる。
リニアがこの区間開通すれば早いのだが今はバスで1時間が相場。
バスの中でミーティングをしてレコーディングについてはばっちり説明ができた。
そうしているうちにあっという間に到着。
荷物を降ろしてチェックインに向かう。
そこに忙しそうに電話をしている女性を発見。
こばじゅんだ。
挨拶もそこそこにチェックインカウンターへ。
ここでビックリしたのがそのシステム。
なんとパスポートのみでチェックインできるのだ。
結局トライしてもできずによくよく聞いてみるとチップの入っているパスポートではなくてはダメとのこと。
なんだよ。
結局通常のカウンターでチェックインをする。
さあいよいよ貴州に向かうのだ。