北京にて
- Post by: AKI
- On: 7月 26/11
- With コメントはまだありません
久しぶりに北京入り。
日本は連日の猛暑から解放されて一瞬の涼しさ。
なのにもったいないと思いつつ羽田へ。
羽田は便利だ。
自宅から1時間後にはチェックイン。
この近さは素晴らしい。
今回は北京までなので本当に楽なもんだ。
いつもならツアー中の事やらあわただしく過ごすのだが今回はそんなこともない。
北京の先に行くわけでもないので乗り継ぎの心配をしなくてもいい。
リラックスムード漂う。
3時間ちょっとで到着したターミナル3。
とにかく広い空港を歩く。
トレインにのりさらに歩き税関へ。
ようやく出国して今度はエアポートライナーへ。
25元で市内まで行ける便利な足だ。
時間も30分程度。
ツアーだとバスだからわからないこともある。
結局この旅はずっと地下鉄三昧だった。
ホテルは崇文門にある新橋飯店。
新橋はシンチャオと発音。
ベトナム語だと「ありがとう」か。
そんなどうでもいいことを思い出しつつむっとする暑さの北京市内にでる。
この暑さに苦しむとはこの時点ではわからなかった。
チェックインをしてすぐに大使館に。
今回の大きな目的の一つ。
貴州の事を報告した。
この貴州での出来事は揺らいでいた僕らの中の中国を大きく戻してくれた。
だから少しでも多くの人に伝えたかった。
先週NHKBS1のほっと@アジアでもこの活動を紹介されたが、本当の中国は意外とみんなの知らないところにある。
そんな素晴らしい出会いを伝えたかった。
ここでも偶然の新しいトピックスを発見。
人が動くと世の中は何かが変わる。
化学反応をまた起こすことができるだろうか?
次の希望をお土産に大使館を出る。
それにしても暑いね。
スタバにはいってしまう欧米化した自分。
スーパーで25円でビールが買えるのに一杯300円のコーヒーを飲む人たち。
貧富の差は日本の比じゃないな。と思う。
ホテルに戻り夜はファンキーさんと合流。
日本ではなかなか会えないのになぜか北京で会うことが多い。
もともと爆風の方たちと知り合ったきっかけは最初はファンキーさんだった。
2002年。
北京のライブハウスで偶然会って以来、いろいろな物語が生まれた。
僕よりも年上なのにいまだその考え方はさびていない。
ジャックナイフのように切れ味の鋭いファンキーさんと話していると僕もまだまだ挑戦しないと!と思う。
まるで夢物語のような楽しいような恐ろしいような実話をたくさん聞き、ついつい深酒となる。そして、念願のファンキー村で。
ファンキーさんいわく「アホの運転手」というとっても親切で笑顔のいい感じのドライバーがよれよれの僕らを迎えに来てくれてファンキー村へ。
北京の南にいる僕らを空港のほうまで連れて行ってくれるのだ。
深夜にもかかわらず30分ほどだろうか?
飛ばして付いた先は異次元のような場所だった。
高さ20?の椅子の横に残飯をあさる犬を追い払い一本1元の羊串を食す。
ここはどこなんだ。
いつの時代なんだ。
そして不思議と居心地のいい空間。
ここがこの村で一番うまい羊串だよ。
そういわれて食べた羊串は超美味であった。
そして、いよいよファンキーさんのスタジオへ。
分厚い鉄の扉の先にあった住処は写真でもおなじみの家。
そしてスタジオにはマーシャルが鎮座している。
Beyondの遺影が悲しい。
ここでどれだけの曲が生まれたのか。
壁面にはファンキーさんが作った中国の音楽の歴史が刻みこまれている。
一つの国の、それも日本より10倍もでかい国の音楽の序章を作ってきた人。
すごすぎるね。
そして一緒に飲んでいると全くすごすぎることを感じさえないところがもっともすごいと思う。
ファンキーさんと別れ通称「アホの運転手」に送ってもらってこの日は終了。