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長沙1

2011/11/11

Am4:30。

寝れたのか?

そんな朝。

といってもまだ外は真っ暗だ。

二度寝しないように一気に起きて顔を洗う。

 

テレビをつけると今日はひときわ寒くなるという。

天気予報は雨だがまだこの時間は降っていない。

あわただしくam5:20出発。

静まり返った街は風が肌寒い。

6時に豊洲から高速に乗る頃にようやく夜明けを感じる。

 

朝の高速はトラックが多く、結構車がつながっている。

それでも込んだ感じはなく6:30には酒々井につけた。

ぽつりぽつりと雨が降ってきた。

きっとこれが今日のスタートなのだろう。

サービスエリアにはトラックの配送の人たちかゴルフへ向かう一団ばかりでバンドマンはちょっと浮いている。

 

7:00成田空港第一ターミナル着。

いつも思うがこちらのターミナル、ちょっと肌寒い。

「北ウイング?」とつい歌いだすがこの曲、すでに知らない世代が多い。

チェックインもすいていて出国まですぐについた。

9時のフライトなのでかなり余裕と思っていたが搭乗時間が8:20ということでお茶を飲んでいるとすぐ時間になった。

でも、出発の40分前に搭乗って早すぎなんじゃないかなぁ?

まあ、朝のこの便が遅れると空港自体大変なことになるので早めの措置かもね。

 

僕らはCA422便に乗りまずは北京を目指す。

今日は長丁場。

北京で乗り継ぎ長沙に向かう。

丸一日の移動だ。
今回は長沙で行われるJapan Festivalに参加することになった。

これは昨年もあった話なのであるがご存知の通り昨年の後半吹き荒れた反日デモで延期となった。

また、結果的に延期となったこともあり規模も日程も変わったため、参加出来なかった。

その時のことをよく覚えているが、ある意味中国に対する失望感とメンバーや関係者に対して申し訳ない気持ちであふれていた。

スケジュールを確保してもらったり、同行ツアーを組んだりとしたことがすべて消える。

しかもそれは個人の問題ではなくもっと大きな国家間の問題だ。

その直前に参加する予定だった蘭州、西寧、鄭州、そしてさらには貴州、雲南とすべて準備をしていたものが中止または延期となり、このプロジェクトを推進するメンバーの気力も尽きかけていた。

 

そりゃそうだ。

僕だってきにならないわけではない。

加害者はいなくだれも責められないことではあるがそれでも責任はある。

誰にあるといえば僕なのかな。

このときのストレスはとても大きなものだった。

そして、それぞれの公演の現地側担当者とは延期ののちの実施を約束し、その果たされるかどうかわからない約束を日本側の関係者に伝えることがそのころのもっともわずらわしい仕事であった。

 

まあ、結果的には3本の大きなツアーがなし崩し的に消えていったのだった。

それでも、こと中国に関してはそのあとに上海和僑会と出会いそして、今年の3月の貴州で感動的約束を果たすことができた。

何かを疑うよりも信じていたほうが数倍気が楽だ。

そして、信じ続ければ道が開けるということを改めて知った感じだった。

そして今回、またもや約束の言葉は現実になった。

長沙で行われるJapan Festival(長沙日本祭)の実行委員会の松永さんから出演の打診が来たのだ。

うれしかった。

約束を覚えていてくれたことももちろんそうだが、信じていた自分の何かが報われた気がした。

「まあ、そうはいってももうないですよね、仕方がないと思いますよこの場合」そう言う人はたくさんいた。

悪気はない当たり前の流れではあるが、「仕方がない」という僕の最も嫌いな言葉。

だけれどもそれに反論するすべはなかった。

 

でも、それはイコール現地側の窓口の人々に対する侮辱になる。

だから僕はその「言葉」を信じて黙って待つことにしていた。

 

それが実現したことが一番うれしかったのだ。

 

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