北京武漢ツアー6
- Post by: AKI
- On: 6月 27/12
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2012/06/17
今日は完全オフ。
北京で完全オフは珍しい。
ということで万里の長城へ。
もう何度目だろう。
確か2004年の反日の真っ最中にいった万里の長城はすいていたなぁと思いだした。
ゆっくり目で7時起床。
10時にホテルを出発して刹那海に向かう。
ここは数年前にできた観光名所。
リータオに連れて行ってもらったなぁ。
あの時買った赤く光る角はどこに行ったのだろうか。
いろいろ写真を撮ったりしてのんびりと過ごす。
そして、昼食後12時に万里の長城に向けて出発。
大体朝一は観光バスで混むので時間をづらすのがよい。
おかげで一時間ちょっとで到着。
前回来た時はかなりばてたここ。
今回はどれだけ体力が回復しているか試したい所でもあった。
驚いたのが入口までの道がものすごく綺麗になっている事。
トイレもきれいだし道幅も広くなっている。
世界的な観光地になってきたということだ。
ケンタッキーやサブウエイが参道にあるって不思議な感じがした。
ここでも撮影タイム。
メンバーは女坂で撮影、笹川さんたちは男坂でどこまで行けるかチャレンジとなった。
15時にゲートで待ち合わせると帰りはケーブルカーで帰ってきたそうで楽しかった様子で何よりだった。
途中ケンタでお茶をしてバスに戻り北京市内に戻る。
市内に入ると多少混んだが予定通り17:30に到着。
うむ、今日のスケジュール管理は完ぺきだ。
その後北京テレビの王さんと待ち合わせをしてある19時までは休憩となる。
万里の長城でも苦なく行けたので良かったがやはり暑いし疲れるよね。
部屋に戻っていろいろ整理してみる。
本当ならばこの時間、青海省でコンサートだったなあと思うと不思議な感じがする。
再度の開催があることを祈るしかないけれどね。
そして18:50。
ロビーに向かうと王さんが来てくれていた。
GYPSYQUEENに最初に中国民謡を教えてくれたのは柏の駅前であった。
2002年のことである。
その後、北京に帰国し、BTVのプロデューサとして活躍しているときにもずっと北京にくると王さんと会っていた。
本当の老朋友である。
ホテルからタクシーに分乗してレストラン近くに行く。
先発隊で到着した僕ら。
しかし、後続組がなかなか来なくてかなり待っていたらなんと歩いてきた。
最近北京のタクシーもなかなかつかまらないようだ。
とにかく北京は広い。
結構疲れるよ。
ようやくレストランに到着後、早速乾杯。
ここは日本語と中国語共に進歩する勉強会のようなものだ。
王さんと懐かしい話や最近の話など盛りだくさんである。
その後、昨日武漢でご挨拶をさせて頂いた田村さんにも合流してもらった。
新野さんもご紹介していただく。
北京でもいろいろと縁が増えるのはうれしいことだ。
何もなかったはずの北京が充実してきてよかったなと思う。
田村さんは日本経済会の方でいろいろなことを教わった。
「音楽と経済は異なると思うが、本質は一緒である。」
そんな話をさせてもらった。
僕ら音楽をやるだけではいけなくて、日中のいろいろな関係の中、その潤滑油としての務めを果たさなければいけないこともある。
音楽は無形でビジネスは有形であると思っていたが田村さんの言葉を借りるとビジネスも無形であるという。
日本式ビジネスの特長は「丁寧かつ周到」ということをきいてハッとさせられた。
僕らの音楽も同様でどう中国に入っていくかを丁寧に考え検証し用意周到で臨む。
その結果が今の姿になっているよね。
一緒なんだな、本当に勉強になった会食であった。
今日はまだまだ終わらない。
ホテルに戻りしばらくするとwingが登場。
もともと今日北京に戻る予定のwingだったので青海にいる予定の僕らとは会えない予定だった。
結果的に僕らの予定が変わったので再会を果たす。
相変わらずのナイスガイ。
話も盛り上がり今年の40周年で何かできればねと盛り上がる。
そして有名ならではの悩みもあるようで「BEYONDのWINGは過去のものなので自分は今を生きたいから新しいチャレンジをしていきたい」という彼の気持ちの葛藤と強さも感じることができた。
中国での成功を収めきった彼がいまさら新しいことを行うということはリスクを負うことでもある。
でも彼は前に進みたいんだ、という。
それならばぜひ協力しようじゃないか!
具体的にはなっていないが中国国内で、そして日本で彼とやれる場があれば是非チャレンジしたいと思った。
ちなみにWingが連れてきてくれた店にはノンアルコールの燕京ビールがあった。
とうとう中国もノンアルコール時代か?
ちょっと甘めのビールだがこれは僕にとってうれしいニュースだった。
wingとの会話も盛り上がりかなり激しくみな酔ってきた。
そんな時、ここでも音楽の持つ力を知ることになる。
中国の飲み屋の店員はだいたいにして無愛想だったりするが、僕らと飲んでいる中国人がBeyondのwingと分かったみたいで急に愛想がよくなる。
それは僕らに対してもだ。
それまでビールを頼んでも無表情に運んできた店員が急に「再来碑酒!(ビールもう一本)」というと笑顔でダッシュで持ってきてくれるのだ。
この人の感覚というところがきっと音楽やエンタテイメントに作り出すことができる魔法の技。
同じビールを頼むのもこの感情次第でお互いが笑顔になれそして、もっとオーダーしようという気になり、サービスをしようという気にある。
飲み屋で飲むという最小単位の経済活動の中でこの無形の「気持ち」ということが大きく作用されるのだ。
中国全土でwingと一緒に日本と中国の交流をテーマとして公演をやったらもっと中国に日本を伝えられるだろう。
国民的スターが日本人と一緒に活動をして、日本をよい!といえば彼のファンである人、彼を好意的に受け突人も日本に対して肯定的なイメージを持つだろう。
その時の僕らの態度次第で日本はその地に広まり、根付く。
良い日本人、理想的な日本人を演じるには時には大変ではあるがそれは日本人としての使命であり二つの国の関係良化に貢献できるのならばなんて素敵なことだろうか。
今年はまだまだ長い。
次のチャンスを目指して今からこの日中合作のコラボレーションを進めて見るのもいい。
夢は広がりながらもこの場はお開きとして02:00ホテルへもどりwingと別れる。
再会の日は近いだろう。
そして、それは新しい取り組みのスタートにもなるのだろう。
ありがとうwing!
そして、一同恒例のmasao部屋に集合仕様ということになった。
しかしなかなかmachaが来ない。
帰ってないはずはない時間だがそんなときにmachaから電話が入る。
なんでもタクシーの運転手にぼられそうになり、何度も同じところを回り24元払えと言われているらしい。
何?!大体15元くらいの距離なのにおかしい。
まあ、といっても差額の9元は110円くらい。
目くじらを立てることではないがその、「まあいいや」、で支払う日本人が次のターゲットを日本人にというイメージに増幅させてしまう。
ぼったくりというのはどこの世界でもいてこんなに中国が発展してきているといってもまだまだたくさんの危険要素がある。
ましてや深夜3時。
だからこそ自分自身で気を付けることと無意味なお金は払わないということに気を付けたい。
そしてようやく全員集合できて乾杯。
僕も水で乾杯。
話は尽きないが4時に先に部屋に戻る。
何もない予定がこんなにもフルに楽しい一日になって嬉しく思う。
そして深夜05:30。
目が覚めて夕食の時の田村さんとの話とwingの話がなんだか一致したような気がしてメモを作り始める。
夜中に何をやっているのだかと思うがアイデアがあふれるときは寝てもいられない。
寝れたのは明るくなってからだった。
2012/06/18
07:00起床、1時間くらい寝れたか?
08:00朝食をとり「昨日夜中に企画書書いてしまったよ」などと話しつつ09:00にマサオ部屋で集合してリハーサルを行う。
来月に出演するインターネットTVの番組で共演する時東あみさんとのステージの意識合わせだ。
そして、今回のツアーの反省。
進行やMC、実際にやってみて改善点など記憶の新しいうちに解決する。
できなかったことは次でできるようにしなければ意味がない。
シビアにやらなければこのシビアな世界で生き残れないから真剣かつ重要な時間だ。
かなり眠くて朦朧としながらなんとか作業を終え11:00終了。
部屋に戻り荷物を詰めて11:50ロビー集合で昼食に向かう。
遠出するのもなんなので近くの点心へ。
みんながスイカジュースを飲んでいるのでスイカ臭でちょっとブルーになったこともありスタバでリフレッシュ。
欧米系な私。
13:30にホテルに戻りとっても滑舌のいい運転手さんと合流して空港へ向かう。
この運転手さん、とてもいい人で本当に気持ちいい人にあたると移動も楽しくなるね。
14:20空港第三ターミナル着。
市内から1時間かからなかったな。
なぜか空港がすいていてスムーズにチェックインができた。
とはいえ広いゲート。
搭乗まで20分はかかるのでとりあえず出発ゲートまで進む。
マッサージができなかったのが心残りだがちょっとのんびりしてから機内に乗り込む。
16:05搭乗。
ここまでは予定通りだが空港が慢性的に混んでいるためになかなか飛び立てない。
定刻の16:40を大きく過ぎて17:25ようやく帰国の途に。
JAL24便は羽田へと飛び立つ。
飛び立つと夕闇が急激に迫ってきて夜が訪れる。
いつもよりも揺れは少ないのはなんでだろう。
行きの便で機長が言っていたが雲をさけて飛んでいるとコメントしていた。
そんなことなのかもしれない。
JALだけ?そんなことはないよね。
でもそれもホスピタリティなんだと思う。
気のせいで単に安定して飛べただけかもしれないけれどね。
そんなことで機内でも快適に過ごせた。
機内食もおいしい。
最近は実は機内食はほとんど手を付けないのに今回は往復共に完食してしまった。
しばらくするとアナウンスで21:15分到着が告げられる。
もう日本の上空だ。
第4章5幕はここで閉じることになる。
中国ならではの事ではあるが、突然の変更に対してどう対処できるか。
その分得たものの数は多い。
公演を行うためのツアーであるがそれがなくなった時の対応力に「仕方ない」はない。
そのときの気持ちの揺れ方を含め中国に対してどう対処すべきかは十分に習ったはずだ。
一人の発言でいろいろなことが起きてしまうこの時代はそれなりの対処方法を習得しておこう。
形なき音楽ができる事は、現地で待つ人たちの気持ちを大切にすること、それがすべてを変えていくきっかけになるはずだ。
その先には思い描いていた笑顔が待っていると確信している。
そして、自分たちの役割を僕らは脱せずまっすぐに進む。
混沌とした人々の意向が渦巻く中であっても空を飛ぶが如く僕らは着地点にまっすぐ降りていく。
風に飛ばされやすいのが欠点だが一瞬のうちに心の中に入っていく事ができる事も利点でありルートを外さなければその距離は万里にも届く。
湖北省のみなさん、関係者のみなさんに心からの感謝を!
そしてまだ見ぬ友よ、出会える日まで!
GYPSY QUEEN ROAD TO ASIA#35 ?Immaterial-