2008 Vietnam tour2
- Post by: AKI
- On: 1月 5/09
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2008/12/26.朝5:00のモーニングコール。昨日はすぐに寝たとはいえまだ外は真っ暗だ。空港の明かりだけが見える夜明け前。6:00にホテルを出発。朝食も時間的に間に合わないのでお弁当をもらった。が、中身を見ると甘いケーキとサラダと超甘いオレンジジュース。微妙だ。
空港にはすぐに到着。7:00にはチェックイン完了。空港税は切り込みされているはずなのに、そうではないとカウンターのお姉さんと格闘。以前もタイで同じことがあったのでかなりもめるが、とりあえず乗れないといけないので、空港税のチケットを買う。この半券があると後から返金するときに確実なので全員分をゲット。いったん解散して搭乗時間まで過ごす。
待合室にスタバがあったのでここにイン。うむ、うまい。なんてうまいんだ。日本じゃそうはおもわないけれど、アジアに来ているときにスタバのコーヒーを飲むと本当にほっとするんだよね。8:25.CI791便に乗りハノイへ。初ハノイであるのに気分が乗らないのは明日からの予定が見えないからか?ここから3時間のフライトだ。時計をさらに一時間前倒しする。タイペイで1時間、ベトナムで1時間の時差は以外に楽だ。
時折激しく揺れてちょっと怖い。飛行機はどれくらい揺れると危険なのか?そんなことをきいても教えてくれはしないだろうけれど不安に思うことがある。たとえば航空会社によって揺れが違うとかあるのかな?そうであれば揺れない飛行機に乗りたい。
機体は降下をはじめ雲の隙間からハノイが見える。一面水田が広がっていて思っていたイメージと違っていた。ベトナムの首都だから、きっとホーチミンよりも栄えているのだろう?ホーチミンが商業の街というから北京と上海の差くらいだとおもった。でも実際にはかなり農作のイメージが強い。1035.急ブレーキをかける機体はようやく停止。ハノイ国際空港に到着だ。
僕らの旅の歴史に新しい街が増えた。すべてはこれからだ。
空港ではmaiちゃんが待ち受けていた。
「いろいろありますがまずはホテルに向かいましょう」一緒にVANの姿もあったがやはり表情がさえない。詳しいことはあとでといいつつバスに乗り込む。市内までは約40分ほど。農村地帯からだんだん都市部に入ってくる。町並みはフランスの面影が強い。ホーチミンでも感じたがそこよりも強い印象だ。
バスの最前列ではvivi/mai/vanがいろいろ状況を話し合っている。そのうちスケジュールが発表された。本来空港で行いはずのインタビューは中止で、明日、別の会場で行うことに。そして、明日予定されていた記者会見も中止となった。
また、コンサートはやはり中止になったようだ。理由はサッカーの試合。詳しいことは知らなかったがアセアンではタイが一位、ベトナムが二位という順位がずっと変わらなかったらしい。そこで今年も同じようにタイに負けて終了という雰囲気だったのがなんとアウエーのタイでベトナムチームが奇跡的に勝ってしまった。そこで急に盛り上がってきた最終戦。それがミーディンスタジアムで28日に行われることになったということだった。もともと、サッカーの試合は負け試合の予想だったので誰もがノーマーク。事実選手もこの最終戦の日に自分の結婚式を入れていた始末(ってありえるの??)そんな中、国中が盛り上がってしまいこのミーディンスタジアムの横にあるミーディンのコンサートホールでの開催は非常に危険であり、中止にしてほしいということになったらしい。「あなたたちのコンサートだけでなく大きな行事すべて中止になったのでしかたがありません」という。とは言ってもそれはベトナム側の事情で僕らの事情ではない。そんなことが許されるのか?そんな仕事があるのだろうか?という思いだ。
口にしてしまえばいくらでも攻撃的になってしまうので気持ちを抑える。
「ところでVietさんは?」今回のプロデューサであり、ステージ関係をしきる実質的な責任者のVietさん。彼との連絡が出発の日以来つかないのだ。25日の午前中には僕らのインタビュー原稿を早く送ってくれと催促が入った。そして、午後、maiちゃん経由で中止の可能性を伝えられる。その後連絡の取れなくなったプロデューサーの居所を聞くと「つかまらない」という「ゆ。行方不明?!」一瞬言葉に出してしまった衝撃的なこと。
あとあと、状況を聞くとなんとなくはつかめるのだが、とにかく現場の運営母体であるVanの会社とプロデューサのVietさんの間で揉め事があったらしい。うむ、修羅場だ。
僕らの目の前でベトナム側のイベントが崩壊しそうになっている。この事態をどうして行くのか?そうこうしているうちにホテルに到着。
DaewoHotelは市内の中心部にある五つ星の高級ホテル。公演を行わないのにこんなによいホテルに泊めてもらって申し訳ない。チェックイン後すぐにランチへ。やっぱりフォーでしょう。ということでちょっといい感じのフォー屋さんへ。
ベトナムは色使いやデザインなどおしゃれなものが多い。このお店もグリーンに統一されたおしゃれな感じだった。今までホーチミンのフォーしか食べていなかったがハノイのはとてもおいしかった。本当に味が違うんだということを実感。
ホテルに戻り一行は自由行動にしてGYPSYQUEENのメンバーは日本大使館へ。元々表敬訪問に伺うことになっていたが、結果的には実施中止報告に変わる。大使館では古館一等書記官が出迎えてくれた。ここでいろいろな新事実が発覚。事前に主催者からの情報があまりに少ないこと、明日の記者会見の手配など主催者がまったくいい加減だったことがわかる。
僕らは最大の被害者だが、大使館の方も大変だ。ある意味かかわっている以上僕らも責任を感じてしまう。情報共有とは重要で些細なことでも共有することが望ましい。これからも続くベトナムとの関係だからその点は僕らも注意して行っていきたいと思った。話はいろいろなことに及びこれからのベトナムでの活動などで広がりのあることも話せた。何よりも今までまったく接点がなかったベトナムの日本大使館の方と直接話しができたことはうれしい。どうしてもメールだけだと会話がぎくしゃくしたり、またメールをしてもまったく返事がないなんてことがある。
それはどんな場面でもそうだが立場とか階級を越えて一人の人間としてそういうことは失礼だと思う。それが不愉快なものであれば仕方がないが、僕はどんなときでも頂いたメールに対しては誠意を持って答えていきたいし、それが世の中のルールであると思っている。だからこそ、メールで会話をする前に直接顔を見て話ができたことがうれしい。そしていつしかそれは信頼関係になってくるのだろう。
長居をしてしまったが、状況把握のための情報交換をたくさんすることができて、およそ今回のいきさつやその背景がわかっただけでもよかった。あたまは切り替える。ホーチミン公演にターゲットを絞っていこう。
国によって感覚は違うが今ベトナムにとってサッカーでの勝利は国全体の大きな問題にもなるということ。なんだかすごいな。日本にはそんなパワーあるんだろうか?その当日ハノイに滞在している僕らは残念ながらコンサート会場ではなく街で試合の結果を待つのかもしれない。「サッカー終わったら街はあるけなくなるよ」ベトナム人はみなそう言う。そんな風景見たこともない。
ホテルに戻り僕はもろもろの整理にあたりmachaはライブができる会場を探しに行く。こういうときのGYPSYQUEENは強い。全員が躍起になって何かをやるということはない。それぞれの役割を把握してベストな動きをする。ステージをやるには下見が必要でどこでもやれるわけではない。中国でかなり痛い目を見てきている僕らは下見は必須だ。酒井氏とmachaに任せて残りはホテルへ。
そして夜はチャイニーズレストランへ。心配をしていても状況は変わらないのでハノイ風チャイニーズを楽しむ。その後同じホテルでファッションショウを主催していたホーチミンの福川さんと合流。まったくの偶然である。市内の焼き鳥屋に行きたいといっていった先は町の路地で食べる屋台の鳥屋だった。
鳥の手がリアルで怖い。座高の低いプラスチックのいすに座り真横をバイクの排気ガスがよぎる。裸電球の下でハノイっ子は盛り上がる。ものすごいパワー。かなり寒くてジャケットしかない僕はちょっと体調悪い感じ。それでもその雰囲気に酔う。
23時を回るとさっきまでおお盛り上がりだったグループがどんどんいなくなってくる。
日本のようにいつまでもだらだら呑んでいるということがないというのもこの国の特長かもしれない。
そんな流れに合わせて僕らも退散。部屋に戻り2:00過ぎに就寝。