HOIAN FESTIVAL 3
- Post by: AKI
- On: 9月 3/12
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2012/08/25
am6:00起床。今日も早いな。
でもあと30分後、6:30にmacha.masaoはリハーサルへ向かうことになっている。
今日は午前中視察団と同行、午後は観光局のシンポジウムに参加するためにリハーサルチームと別スケジュールをとらさせてもらった。
早朝といっても日中38度以上になるホイアンはこの時間でないとリハーサルは厳しい。
以前同じ季節に灼熱の午後にリハーサルをやってひどい目にあった。
その思い出もあるので今回早朝という指定に二つ返事で答えておいた結果だ。
7:30食事。ビーチ沿いのオープンエアな朝食は心地よい。もう少しするとまともに外で食事はできない時間となるが朝の時間だけはすがすがしい気分だ。
気になる点と言えば今朝から館内のエレベータが壊れている。
3Fからだからあまり不便ではないが、壊れていることについての注意書きなども一つもない。
日本なら「ご迷惑をおかけします」などのハリガミがあるだろう。
それがあるかないかが顧客サービスにおいて大きく違うということを知ってもらわなければいけない。
それが日本の標準だからだ。なんとなくこんな小さな改善点も最近目に付くようになったぞ。
さて、朝食後、視察団一行はミーソン遺跡へ。ホイアンにある世界遺産の一つである。
市内から1時間弱で行けるこの世界遺産はあまり知られていない未開発の遺産だ。
限られた世界遺産である。どんなところだろうかと今回行ってみることにした。
ホテルを出発したマイクロバスは高速もない市内の細い片側一斜線の道をバンバン飛ばしていく。
海沿いから遺跡に向かって走る道は多くの子供たちの通学路にもなっている一般民家があるエリアを通る。
事故などないのだろうか?今後観光客が増え、大型バスが入ったら?そんな不安を感じる。
そして、当然大渋滞を引き起こすだろう。晴れ渡る空と豊かな田園風景。このままを残しつつ観光立国にするにはどうすればいい?そんなことを考える。
今日のガイドはフンさん。日本語が堪能なので聞いてみると以前静岡に留学していたという。
彼は「日本語ガイドは日本人の性格を知らないとだめです」言う。
その通りだね。何事も細かく用意周到な日本人を楽しませるにはその考え方の精神構造を知ることが重要だ。
彼はホイアンについての基礎的なことを教えてくれた。この街ホイアンは15世紀の頃1000人の日本人が住んでいたといわれる街。
だから日本様式の家屋が多く見受けられる。その後、1999年世界遺産に町が登録された。その一昔の1958年。米国がダナンに上陸しベトナム戦争は始まる。
そして、例外なくミーソンの遺跡も激しく破壊された。悲しい歴史である。これらはきっとみんないろいろな映画などで見聞きしている世界だろう。
そんな話を聞きながらイメージを膨らませる。どんな遺跡なんだろうか?そして1時間ちょっとで到着。
そこはちょっと肩すかしの感のある入り口ゲートだった。
横に博物館のような建物があり、ゲートをくぐり駐車場に到着。
駐車場といってもちょっとした広場程度である。もっと遺跡のそばまで行けないか、ときくと無理というのでそこで下車。
遺跡群まで歩いていく。決していい眺めではない。ただの車道を歩く。しばらく歩くといきなり遺跡が顔を見せた。
ここか。
ちょっと早足で向かうとイメージ通りの赤レンガの遺跡が目に入る。
説明カンバンも古くわかりにくいし、横にある売店も寂れている。
何よりも飲み物などを売っているが、価格が書いていないのでいくらでも価格設定できる。
日本人には好まれない方式だ。その後遺跡群に向かい荒れ果てた遺跡を見る。
それなりにインパクトはある。
戦争当時、ここに足を踏み入れた米兵はさぞかし恐怖の中にいただろう。
それが破壊にもつながったのかもしれない。悲しい出来事だ。
多数の遺跡群があるとのことだったがメインの場所を見てバスに戻る。
1時間かけてきてこれだとリピーターは難しいね。アンコールワットと比べてはいけないが来場者の感動と言うかそういったものが足りないと思った。
ある意味、そのままの遺跡といえばそうではあるが。
11:40。市内に戻りホイアンホテルにてランチ。アーチストチームとも合流だ。
ここでも伝統的なホイアン料理がふるまわれる。体に優しいベトナム料理の中でもホイアンのそれはとても美しくヘルシーな感じがプンプンする。
観光局総局のanh部長とvunamさんにも再会。
最近良く会っているね、などと話して午後のシンポジウムについて会話をする。
そして、今回の目的の来年の開局についても早速ながら話をした。 昼食後、リハーサル会場へ。
僕がいなくてもきっちり準備をしてくれている仲間に感謝。
普通のバンドなら全員でリハーサルを行うのは当たり前だし、やらないと不安にもなるだろう。
でも、僕らは大丈夫だ。たとえ僕がやらなくてもマチャがやればあとはステージに上る1分前に情報をもらえば事足りる。
世の中に誇れるといえばそういった臨機応変な対応について僕らは完ぺきであるということだ。あとは本番だねと言い残しでシンポジウム会場へ。
今回は同時通訳システムを導入しているので意見交換も活発に行われるだろう。
そして、定刻どおり14時にシンポジウムはスタートした。
今回のテーマは中部ベトナムの観光促進。今年、日本からのベトナムへの観光者目標55万人を掲げている。
昨年の48万人から15%の伸張率だ。とはいえ2015年100万人のハードルは高い。そのためにもこの中部の観光資源を同活用するかが大きなポイントとなる。
いろいろな意見や報告がされる。 現在ベトナム航空週84便。羽田が入れば増えるね。ダナンには12000名が来ている。雨季のイメージが強いエリア。中部都市のブランド化が重要。
知らなかったことや同感に思えることなどが次々に出てきた。MICEという業界用語がある。
これは観光ビジネスの用語でMeeting(会議、セミナー)、Incentive(視察、招待)、Convention(学会、国際会議)、Exhibition(展示会)の4つのセグメントを表す。
今後の観光ビジネスを推進するうえでこの4つをどう回していくかということがポイントとJATAから報告が入る。観光局にとっても重要なポイントだ。
ベトナム側参加者はフエ、ダナン、ホイアンの3エリアの観光局、政府関連の主要な方が集まっている。
日本からはJATAやベトナム航空、大学関係者が参加。いろいろな視点で中部観光促進を検討するのは気づきも多く有意義だ。
みな、やらなければいけないことは十分に理解していた。
では、なぜ動かない、というと予算という壁があるのだが、近隣諸国はきちんと予算化をされていて、観光促進が国の収入として大きく貢献している国も多い。
ベトナムもそうなるべきだと思う。いろいろな提言の中で僕らがまず伝えなければいけないことは環境整備は当たり前で、その前提でいかにこの国をPRするか。それが重要である。ということだ。ホイアンの統計をみるとホイアンに行く前の好感度はあまりないのだが、一度訪問最多人の好感度はベトナムトップになっている。
でも、それを喜んではいけないと思う。むしろ、『行けば良さが分かるのに知られていないので好感度が低い、つまり知られていない」という事実だ。
着眼点をかえて考えれば対策は講じられる。もちろん、「旅行者のケアは大事」を前提に、どうやってそこに旅行者を迎え入れるかを考えなければと思う。
これは音楽と同様。
いかにいい音楽をやっても聞いてもらえなければ評価はされない。
ライブに行ってみて「うーん素晴らしい!」とお客さんに言ってもらっても、それは見てもらわなければ誰にもわからないことなのだ。
それを広めるために、口コミだったりWEBサイトを素敵にしたり、イベントに出演して不特定多数の人に見てもらったり、お金をかけて広告を打ったりして、認知が広まりそしていつか 大きくなる。
音楽と観光は娯楽ビジネスとして方程式は一緒である
。だからこそちょっと観光ビジネス本筋とはことなるメディアの意見や認識はこのベトナムという国と日本をつなぐ上で大きなカンフル剤となると思っている。
シンポジウムでは中部は分断されているという意見もあった。隣接した3つの町の観光局がどうもうまくまとまらない。
良く聞く話。でも3つを一つにしないと促進は図れない。
そうした、シンポジウムがみっちり3時間行われ、日越双方に確認事項が交わされ終了した。
時間がもっとあればと思ったし、分科会があっても良いと思う。それはこれからだ。
次のフェーズにたどり着く一歩がここからスタートしたのだ。
シンポジウムが終わると時間を合わせたように隣接した会場でリハーサルが始まる。
さあ、僕も切り替えよう。
夕食会でサイド合流したメンバーに状況を確認。
問題ないという。そう、この環境下での問題は僕らには何もない。
それ以上に過酷な環境でやっているから今回のホイアンフェスのようにきちんとしたスタッフが組まれているところでのコンサートは問題ないのだ。