アジアの夜明け1
- Post by: AKI
- On: 12月 12/13
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Japan Fesitival in vietnamは6年間続けてきたVietnam Festivalのベトナム版だ。
「日本と対のイベントをベトナムで行えばベトナム人にとっても日本をもっと紹介できる」誰もが思うことだがそう簡単ではない。シンプルにやることも考えたがやる以上しっかりやりたい。高いテーマを持ち、それなりの規模のものを作りたい。ここ数年の想いがようやく形になりつつあった。
このイベントは大きく三つに分かれたゾーンを展開する形で計画を立てた。
一つはベトナムへ進出したいと思う企業の方々のブース。そして、訪日支援のブース。今や日本に観光に来たいというニーズは高い。そこの市場を掘り起こせればと思う。そしてもう一つがイベント。一般のベトナム人に日本を伝える。それも大規模に。そんな総合フェスティバルの準備をしていた。結果50近くの出店希望があり、渡航者については500人近くになるという。近畿日本ツーリストの全国規模の営業体制によりこのイベントの骨格は成り立った。
そして一気にそんな規模の日本人がホーチミンに入る。みんないろいろたべて観光をしてお土産を買うだろう。それだけでものすごい経済効果になると思う。そして、良い思い出を持ち帰り人に語り継ぐ二次的効果を考えればこの事業の重要さが伝わるのではないか?
日本の文化紹介も変わってきた。伝統文化の紹介はもちろんだが今や主軸はポップミュージック、アニメ、コスプレに映っている。日本に対しての興味の中心はそういったジャパンコンテンツだ。これらは強力な日本の輸出のメインコンテンツになりつつある。
日本を世界に売り込むならばキラーコンテンツは「日本人のものの考え方」ともうひとつが「ポップカルチャ」だ。前者はストレートな表現が難しいのでイベントでは後者を選ぶことになる。その準備として今たくさんのコンテンツが集まりつつある。ステージ面では今回、サンプラザ中野君さん、寺田恵子さんとすばらしい歌を届けるシンガーに参加してもらうことになった。
ホーチミンの夜空にランナーが鳴り響くのはきっと壮観だろうね。そして、トピックス。個人的に非常に嬉しいのはベトナムのトップアーチストのみんなが参加してくれる事だ。先日、来日したDong Nhi、onga cao Thang、Vy oanhの3人は「私たちはすごく急がしいくてスケジュールが会うか分からないけれど必ず予定を空けていくし、一緒に食事もしよう」といって帰国して行った。そしてすぐにこのJapanFesのオファをすると即答で参加すると連絡が来た。
そして、人づてに聞いたのだろう。11年に来日したPhong VyもFesにきてくれることになった。そして、2011年のツアーのあとファミリ化したHo Quynh Huongももちろん参加してくれることに。さらに当然のごとくHienThucも「Yes!」の一言で参加してくれることになった。嬉しいね。
音楽ビジネスというものは簡単ではないし、非常に難しくデリケートだ。特にステージに立つということはいろいろなしがらみがある。それらを越えてこの第一回Japan Festivalに参加してくれるまさにベトナムのトップアーチストに感謝をしたい。そして僕は彼らに何を返していくことができるのだろうかと考える。そう考えることが僕の原動力になっていることは間違いない。
そうなんだ。もういちどあなたに会いに行こう。
2013/11/14 夕刻の便でホーチミンに向かう。今回は準備に手間取りかなりぎりぎりの状況を作ってしまった。今回の会場は9月23日公園。ホーチミン市のど真ん中である。ここはベトナムにとっても重要な記念公園。なので使用許可は簡単ではない。しかし、広く一般のベトナム人に伝えたいなら市の中心がいい。そんなこともあり第一回目にもかかわらずこんな大胆な場所をえらんだ。
準備段階から会場の抑えはできていた。しかし、そこはベトナム。きちんとした予約証がでていない。そんなのでいいのかとなんども確認したがそれがベトナム式といわれてしまえばそこで終わってしまう。
不安はあるが、何度も何度も確認したうえで進めていたので現地エージャントを信じることにした。その許可証がでないと分かったのか開催2週間前。そこからは地獄の日々だった。今回は500人規模のツアー団を率いたイベントである。当然迷惑はかけられないというよりも迷惑は謝っても済まない。金銭的な賠償を考えれば数千万円規模に上る。
また、委員会のトップには日本を代表する人たちが名前を連ねている。当然迷惑がかかることになるだろう。そんなことは許されない。そこからという日々は時間を追いつつできる限りのことをし尽くしたうえで更にし尽くすという消耗戦にも近い準備の積み重ねになる。日本ではありえない事。それを通すにはお金がいる?そんな世界でよいのか?信念と矛盾が交差する。
「オランダの首相が直接ベトナムの首相に電話をして会場を抑えた」。そんなレベルのやり取りのなか我々は戦った。 結果開催場所を同じ公園のエリアを変えて実施できることになった。ここには駐日ベトナム大使館の強力なバックアップがあってできたことだ。
大使館との連携は今に始まったことではないがここまで協力してもらって感謝を通り越して感動的なほどであった。そしていわれたことばは「AKIさんがんばりましょう」。ベトナムと関わってこんなに素晴らしい仲間ができたこと誇りに思う。そしてみんなの頑張りでようやく最終的なライセンスが下りた。さあ、話を元に戻そう。ここからイベントはスタートだ。
20:40にJAL便でホーチミンに到着。事務局長の青柳さんと一緒に総領事館の乾さんと合流して市内へ。今回はぎりぎりまで総領事館にも心配をかけてしまったのでお詫びとこれからの流れを説明する。
ニューワールドホテルに到着してすぐに全体会議は始まる。23:30.ホーチミン側のスタッフが会場から戻ってくる。2階につくられた事務局にて詳細にわたる確認事項をチェックする。施工がかなり遅れているということで明日の出店社さんの集合を午後にずらす。
今から明日の午前中いっぱいが勝負どころだ。確認事項を終えいったん01:00に解散し会場へ。行ってみるとミーティングで話していたものよりも出来が悪い。ブースのテントの屋根の形状もデザイン見本とは異なっていた。ここはベトナムだ。しかしベトナムだから質が悪いというのは時代遅れ。
Ho Quynh Huongのツアーの時でもわかるようにベトナムでも一流の施工業者はいる。ベトナム人だからというのもおかしな話だし、何人というのは関係ない。良いと感じるものができるかどうか?それだけである。至急の変更をかける。タイムリミットは限られている。
02:00これ以上ここで見ていても仕方がないのでホテルへ戻る。チェックリストとタイムリミットをしっかり告げたのであとは出来上がりを待つしかない。
03:00とりあえず寝よう。明日から始まるのだ。