アジアの夜明け6
- Post by: AKI
- On: 12月 17/13
- With コメントはまだありません
バタバタの後でもバンドは平常心のままであった。むしろアドレナリンが出ている感じがした。
こんな番狂わせの展開だからこそ何事もないように完璧にやりのけることが面白かったりする。
ようはやるきまんまんってことだ。
ステージははじまった。
当初最後の予定が、最初に歌うことになったHo Quynh Huong。彼女がステージにでれば1時間近くまたされた観客も一気に盛り上がる。Shinonとのコラボレイトソング「Brave」はHo Quynh Huongが東日本震災支援のために歌ってくれたもの。いつも泣かされる曲だ。
持ち曲を減らしてのステージ。歌うはずの素晴らしいバラードもカットされた。しかもステージが終わると別れの言葉を言うことも許されず、すぐに空港へ向かう。残念だが次の機会がある。彼女も仕方がないことをわかってくれている。また会おう。
そしてHienThuc。彼女もTV番組出演の時間が迫っているというかすでにかなり遅れているという。時間のない中だが、そこはそこ。ステージにでればゆったりとした彼女のタイム感で進行が回る。歌ったHon Queはとてもきれいなベトナム歌謡と言えるべき曲だった。彼女も曲をカットして名残惜しそうにステージを降りる。
ベトナムを代表する2人のシンガーの後につづくのはGYPSYQUEEN。責任重大ですぞ。ベトナム語で伝えていくテーマ通り会場を巻き込んだステージは非常に盛り上がりうまくいった。長い時間をかけて培ったことは無駄ではなかった。そう思う。そして、寺田さん。昨日初めて日本の女性ロックシンガーを見たベトナム人。早速反応があったようで昨日よりも会場の盛り上がりが感じられた。
SHOW-YAのナンバーは今のアニメ世代にも共通する。寺田さん自体がキャラのような存在でステージは盛り上がる。見方を変えればそう見えるんだなと新たな発見である。最後に「ヘンガップライ!」そうベトナム語を話しかけると間髪おかず会場の反応があった。「通じたね!」ついつい声が出てしまった。いつまでも努力を忘れない人は素晴らしい。
そして、最後にサンプラザ中野君。日本の国民的ヒットナンバーは国を変えても通じるものがある。特に「ランナー」のサビをベトナム語にして歌う企画は大うけで振り付けを含めて観客にアピールできた。当然盛り上がり度合いもアップ。どうせならアセアンすべての言語にしてしまおうではないか!そう思ったね。あっという間に終わった濃密なステージ。最後までいてくれたお客さんに感謝。
僕はアジアでの公演が多いからよくわかっている。アジアの人々はお愛想でステージを見てくれるほど甘くない。つまらないと思ったら途中でもさっさと帰ってしまう。そして、案外帰宅時間が早いので特に学生は遅い時間まで残らないことが多い。前半にベトナムのスターが2人出た。そのあとに日本人歌手。もしかしたらお客さん減ってしまうかな、という不安は持っていた。でも今日は違った。最後の最後まで帰る人たちはいなかった。そしてそれを演出したアーチスト、スタッフに感謝である。
「おつかれさま」多くの掛け声が飛ぶ。この声、現地の事務局のみんなに伝えたい。このステージを作るために一番汗を流したのは彼らだからね。 ステージを降りるとすぐに事務局モードに切り替わり停電の後の対処を確認。停電した時点で出店ブースは終了としたのですでに撤去に入っている。関係者にお礼と停電のお詫びをしながら事務局メンバーと打ち合わせ。置き引きなどにも十分注意してほしい。いろいろ危ない時間なのだ。
それにしても本当に撤収は早いものであっという間に片付いていく。こんなに早くできるの?そう思う。まあ、撤去が早いことはいいことだ。イベントは終わった。第一回目のJapanFestival。準備段階からいろいろなことがあり本当に大変だった。しかし、一度もやめようとかかえようとかは思わなかった。初志貫徹。やるべきこと、今できる事を貫き通すこと。それが次につながり、次の世代を育てることになる。初物は何かと障害も多い。そんなとき僕らが矢のような強い意志で突き抜けなければ明日は来ない。明日の扉を開けるのは僕らの役目であると思っている。多くのみんなの団結の気持ちに支えられてイベントを終えられたこと、本当に感謝だ。
その後、ホテルに戻り遅い食事へ向かう。この時間であまりちゃんとしたお店はもう間に合わないこともあり21:45.会場近くのローカルレストランへ向かった。なんとなくDeepな街並みでむしろ一行は喜んでくれた。本当にお疲れ様。素晴らしいステージをありがとう。感謝の言葉は尽きない。ホテルに戻り24時から部屋で反省会。いろいろな話をしたが、僕は途中から激しく眠たくダウン。それでもみんなと過ごすツアー最後の夜は格別なのだ。
2013/11/18 06:00起床。二日酔いか。ほとんど飲んでないのに調子が悪い時は何か不安になる。07:30に朝食を済ませ8:50ロビーに集合する。9時に昨日の残務整理に向かい、再びホテルに戻り事務局と報告・反省会と清算について話し合い。あわただしく午前中を過ごす。
そして午後、深夜のフライトまで時間があるのでアーチストチームにベトナム観光をと市内に出る。まずはビテクスコ・フィナンシャルタワーで空中散歩。韓国企業が手掛けたホーチミンで最も高い68階建てのビルである。市内が一望できる展望台は新鮮だった。2区のほうはまだ建物がない。でも、ここも数年後には上海のような高層ビルが建つんだろうねと思う。そのあと、ドンコイ通りでショッピング休憩。僕はすっかり疲れてしまってカフェでまったりと時間を過ごす。郵便局や教会等を回るのだが実はあまり観光をしたことがないのでそれなりに楽しい。最後に川沿いにでてマジェスティックホテルの最上階のカフェで過ごす。ここに来ると時間が停まるね。
なんとなくのんびりできた感じがした。全員がそろってホテルへ戻る。17:30ロビーに集合して打ち上げ会場へ。タクシーで15分くらいの所の火鍋屋に入った。事務局のメンバーもそろった。本当にお疲れ様。大変なことは多々あった。それでもやり遂げた皆は素晴らしい。次はもっと良くなる。もっと良くする。自分たちの手で。そう思えるチームであってほしい。とことん話したいのだが時間は迫られている。名残惜しく事務局スタッフと別れて21時にホテルへ。
すぐにチェックアウトをしてロビーへ。ここでKNTのみなさんと合流して空港に向かう。長くいた気もするが、あっという間の5日間であった。
空港に到着しそれぞれチェックイン。帰りの便も3便に別れるので一度カウンターで解散して再び搭乗口近くのカフェで集合する。いろいろな話が尽きないのは幸せなことだ。そして、23:50.他のメンバーより一足早くJAL便へ搭乗。良かった、なんとか終えることができたんだ。
第4章8幕はここで終わり。貴重な数日間。今回はイベントの事務局とアーチストチームの両方の役割をこなすことになった。大変なようだがこれが自分の一番の理想に近い。プレイイングマネージャー。企業だとそういうのだろうか。とにかくすべてやってみる。そういう考え方がアジアにはふさわしい。そして自分がアジアにできる事がまた一つ見えてきた。回を重ねるたびに急速な発展を遂げるベトナム。日本人としてできる事はたくさんある。この国のエンタテインメントが大きく変貌する時期に来ていることはその場に行く事でより明確化する。
何度か節目を迎えて発展してきたアジア。そして今は最終段階のソフトの発展を迎える時期に来ている。これをこえればすべてがグローバル化する。今はその夜明け前。そして、その瞬間はもうすぐだ。それならば、生き証人として新しいアジアの幕開けにとことん付き合ってみよう。幕を自分の手で開けてみるのもいい。あまりにも多くの仲間が出来すぎた。あまりにも多くの影響を与える事業規模となってきてしまった。今は進むときだ。明確にそう思えるようになってきた。
機内ではあまり眠れないものだが今回は結構よく寝れたほうかもしれない。目が覚めると朝食前で機内がバタバタしている。沖縄あたりを飛んでいる。あと2時間弱で成田だ。帰国したらたくさんの残務整理がある事だろう。ドキュメントを残して今年の反省点を反映できる体制にしなければならない。アジアに日本のソフトコンテンツを伝える場として定着させたい。そして、たくさんの協力をこれからも得て、そしてさらに仲間を増やして進んでいくのだろう。今回出会った友たちよ。これも縁。一緒に進んでいこう。感謝は形にして表したい。本当にありがとう、次も一緒に作り上げよう。
2013/11/19.着陸に向けて高度を下げる。そして7:17成田着。冷気が機内に立ち込める。 日本は晩秋。四季のある国に帰ってきた。
皆お疲れ様。
また一緒に。
GYPSYQUEEN Road to Asia#38 アジアの夜明け