Great Indonesia 2
- Post by: AKI
- On: 11月 9/14
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今日の行程や今回のいきさつ、インドネシアミニ情報を話しみんなの意識を合わせていく。小さな蚊がたくさんいて刺される。デングだったらどうしよう。ギャグ?本気?蚊にはいい思い出ないからね。ようやく10時になりモールのゲートが開く。
今回の会場LA PIAZZAは北ジャカルタに位置するショッピングモール、宿泊するHARISホテルはこのモールに直結している。ジャカルタ市内にはこの手の大規模なモールが20か所あり、小さなものを入れると200近くあるという。ここはその中でも巨大なモールであり、モールの中ですべてがクローズできるような街になっているのだ。そんなわけで隣接と言っても遠い。モールの中を10分以上歩き会場に到着。
バタバタ状態の渡航であったため、会場がどんな状況かと思っていたがすでにテントは立ち並んでおり順調な状況であった。一気にほっとする。暑い日差しを避けカフェへ。11時に全体ミーティングのためオールスタッフ集合。いよいよJAPAN FESTIVAL in INDONESIAは始まる。
初めて顔を合わせるスタッフもいる中、順調に打ち合わせは進んでいく。実際に2日前で会場の建込がほとんど終わっている状況はかなり早い。今回は大きな施工物がないことを考えると不安要素は少ない。あとは未確認のステージプログラムの確認・調整が必要なくらいか?全体概要を把握して、一度解散。次は15時集合でその間はフリーとなった。
まずは換金をしに行く。換金レート109.非常にいい。空港は100だったからね。そしてまた10数分かけてモールを戻りホテルへチェックイン。ようやくだねと言う感じ。部屋はこのホテル共通のコンセプトがありシンプルにそしてカラフルな造りになっていて結構好きなホテルだ。会場と直結ということも安全面でベストな選択だったと思う。
部屋に入り荷物を片付けているとあっという間に再集合の時間となった。またもや長いモールを行く。そろそろ飽きたな。と、モールの入り口付近においしそうなパン屋が。買ってみるとこれがおいしい。インドネシアのパン屋かと思ったら韓国の企業であった。会場に到着しステージの進行具合などを確認する。まだまだ危険な要素がたくさん含まれているがそれは動かしながら修正して改善していけばよい。
その後PEPIと打ち合わせを市内のほうでやろうという事で移動。待ち合わせ時間まで市内の巨大モールに向かう。場所はグランドインドネシア。高級なショッピングモールだ。日本企業もたくさん入っている。ココイチのカレーが670円か。日本と一緒だね。ここジャカルタは他のどの国よりも「普通に」日本が浸透している気がする。PEPIからの連絡を待つが結局2時間たっても連絡が取れないため、モールを出ることに。何のためにここまで来たのか?と思ったがグランドインドネシアのおしゃれなレストラン街で韓国料理を堪能できたのでまあよいか。
モールをでてタクシーに乗った所でようやくPEPIに連絡が付く。「MCの打ち合わせが伸びてしまいました」。すぐにドライバーに電話を代わって貰いPEPIの居場所を確認。結局PEPIのオフィスに向かうことになった。モールからモールへそしてまたモールへ。ジャカルタではモールのはしごばかりだ。
22時、PEPIと合流。ディタも一緒だ。そういえば初めて彼らと会ったのもこのモールだった。懐かしい。彼のオフィスで明日のステージの打ち合わせや交流会の準備状況を確認してPEPIとディタと分かれる。
その後ホテルに戻り一休みをしていると事務局から呼び出し。23:30を回っていた。打ち合わせに行くとボードのデザインとプログラムを確認している。あさってが本番のイベントでこの時点でデザインと文字校正を行うことが日本ではありえないが、さらにありえないのは原稿がかなり違う。本当に大丈夫なのか?「大丈夫、なので今すぐ直して」。
現地側の言われるとおりに修正をするがあまりに古いデータなので修正にもきりがない。一週間前に最終原稿を入れた。それも一週間前だから日本で考えればぎりぎりだ。だが、今ここであさってからのイベントのカンバンやパネル原稿を書いている。かねてから日本流を押し付けるのはよくないと論じてはいるがこの点については「日本を学ぼう」と言いたい。一生懸命にやってくれるスタッフたちだからこそやり方をなんとか標準にできればみんなもっと楽になるのにと思う。楽になればその分違うことを考えられる。それが進歩につながる。作業に追われないように、いつでも考えられるようにしたい。今はまだ難しいことだが、二回目になれば経験値ができる。今は一緒にがんばるしかないのだ。
原稿の外してはいけないポイントの確認をしてあとは事務局メンバーに託して部屋に戻る。大丈夫だろうか?無事あす開幕できるのか?2:30。明日やらねばいけないことを確認して就寝。今日はここで終了。あとは明日だ。
2014/10/31
6時起床。かなり眠いが今日は後発隊も来る。バタバタしないようにしなければ。7時に朝食。食事中に後発隊到着。昨日と一緒で空港からはスムーズだったようだ。昨日と同じような説明をし、モールが開く10時までは時間をつぶしてもらう。そして10時。モールの扉が開きこれも昨日と同じように会場に向かう。
この時間は換金屋がまだ開いていないので午後にしましょう、などと1日だけで先輩面をする私。一行を連れて会場に出ると灼熱の太陽が待っていた。これぞインドネシア。暑いので視察もザックリ。ステージ関係は何の不安もない。ブースもがらがらだが元々大きなものの搬入は深夜のみだ。
そう考えると順調に進んでいることになる。安心してホテルへ。戻る途中のフードコートでお茶をしてインドネシア事情について知識レベルをそろえていく。ランチはみんなで麺を食べに行く。自分の好きな具材、スープを選ぶというスタイル。シンプルでおいしい。ただ、具材がかなり期待はずれだったりして残念。ホテルで全員チェックインを終え前夜祭の集合まではみんなに休んでもらう。
細かなことをやっていると時間ばかりが立つ。前夜祭の打ち合わせで浅野さん、青木君が合流。若い力にきたい。「とにかくやりやすいようにやってくれ」指示はシンプルだ。青柳さんが空港に到着した知らせを受け、18時にホテルに戻る。大使館の送迎で青柳さんの到着。これでメンバーが全員そろったことになる。
19:10。会場に出発。到着すると準備はできていた。前夜祭では今回の事業の協賛、後援関係者のみなさんに集まっていただく。大使館のみなさんをはじめ、JETRO,JNTOさんなどにも参加して頂けた。JALの鈴木支店長からも挨拶を頂いた。そして、出演者や協賛社さんなどが一堂に集まってのパーティとなる。もちろん、会場の責任者も地元の警察幹部も参加。この地で日本のイベントをやるという事に、強い協力の意思を示しているのはむしろ地元だ。
意外と思うだろう。最初の取り付きは悪いが開催に近くなってくると様々な協力申し込みが来る。対応できないくらいだった。前夜祭は予想通りでそして、きちんと終えることができた。スタッフの力のおかげ。感謝だ。
21:30に解散して残務整理。今日は一番最後になっているメインステージの機材の搬入がある。これが済めば準備は完了。ホテルに戻る体力もなく会場付近で待機する。ここはバンドメンバーにも付き合ってもらって時間を過ごす。23時。ステージのバナーが取り付けられこれで完了。よし明日は朝一でリハーサルだ!24時過ぎ。ホテルに戻る。