JIAMUSI 2
- Post by: AKI
- On: 10月 22/18
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今回は僕らにとって中国18番目の都市での公演となる。場所はジャムス。ここにくるまでいろいろなやり取りがあった。昨年から始めた「チャイナフェスティバル」。この事業は2001年から中国にいろいろな恩を感じている自分としてはどうしてもやりたかった事業である。いつも中国にお世話になって「ありがとう」ばかり言っている自分。それが苦しかった。笑顔で物をもらうのは好きじゃない。こんなにお世話になっていても何も返せていないし、世の中の日中関係はどうも雲行きが怪しい。本当の中国の良さは僕はよく知っている。そして一部の中国好きな人にも良く知られている中国ならではの良さ。もちろん、中国ならではの悪さもたくさん知っている。モラル、時間、約束事。いろいろなことで日本人としてはストレスを感じる。
だけれど、それらをすべて越える位に良いことがたくさんあるのが本当の中国だ。それをより多くの日本人に知ってもらいたい、そして、それは中国が好きでない人、興味がない人に理解してほしいと思った。それができれば長きにわたりお世話になった中国の友人に一つの恩返しになると思ったからだ。「より多くの中国を知らない日本人に中国の素晴らしさを伝える」。その思いが中国大使館の想いと一致した。2001年から中国大使館とは接触があったが、反日の時期やいろいろな周年事業の度に関係が途絶えたり復活したりしていたが2015年に開催した「oneasia Festival」をきっかけに大使館との関係がより強いものになった。
そして、2017年私たちにとって第一回目となる「チャイナフェスティバル」を開催することになった。しかし、それは多分普通に聞くと辞めたくなるような大きな障害がいくつもあった。詳しくは述べると長くなるのでやめておくが想像を超える障害はたくさんあった。でも絶対乗り越えて実施にこぎつける。開催すればみな理解する。という一心で開催に向けて動いた。しかし、結果として台風直撃と選挙日程と重なり集客は半分以下。そして、多くの労力に見合わない結果となる。ただ、その結果だけを見るのではなくプロセスを見て評価して頂いたのが程永華大使だった。
普通台風でイベントがぼろぼろになれば否定的な意見を言いたいようなもの、そしてそれを気化されれば台風の中頑張ったスタッフの気持ちも離れ事業は崩壊する。しかし、それらをすべて飲み込んで、『大成功でした』とおっしゃって頂けた。この大使の言葉で今年の事業もポジティブにスタートできた。結果として二日間快晴で15万人の来場者を迎え、本当の大成功に終わった。そして実質今年を一回目の事例としてとらえ来季に向けてもキックオフをすることになる。ようやく恩返しの入り口に立てたと思う。
そして、何よりも得たものは多くの中国の友人たちだ。最初はとかいえ日本人と中国人の区別をしっかりされていた。どちらか側というのが手に取るようにわかるように。でも、一緒に2年も動いているとそうでないことがお互い感じてくる。中国人はファミリーを大切にする。ほんの少しだけ僕らもファミリーの一員に成れたのではないかと思う。それば僕にとって宝物のような出来事だ。そして今回のツアーもそこから始まった。
事務局の中国人の要というべきシキちゃんは昨年の一番最初から事務局を手伝ってくれている。その能力の高さは事務局内でもトップクラスだが、そのお母さんの張さんがまた輪をかけての実力者。いろいろ話をするうちにハルビンでの日本祭りの話は湧き出て、結果今回のジャムスでのイベントへとつながってきた。そして、ここからが中国人の温かさ。僕らを見送るだけではなく、自分がいかないと不備があると申し訳ないということで、張さんもきてくれることに。そしてジャムス政府に関係のある任さんも同行してくれるという。もちろん自費で参加してくれるというのだ。こんなことって普通あるか?日本では考えられない。あったとしても「相応の費用を負担して頂ければ」となるだろうし、それを受ける僕らもそれは仕方ない事として日本的には捉える。
でも中国は違う。おもてなしの日本の文化というが中国はそうではない。どっぷりと一緒に動くという文化なのだ。それはこのあと今回のツアーでもたっぷりと感じることになる。そんないきさつでスタートしたツアーだ。
ジャムスへの国内線の搭乗を待つ間に、今回一緒に同行してくれる中京テレビの安部田さんたちが名古屋から合流。いつも僕らの事を気にしてくれているプロデューサさんだ。だんだんメンバーがそろってきた。小さな国内線に16:25搭乗、16:55時間どおりにフライトで一路ジャムスに向かう。ここからは中国の平原上を飛ぶ。時折町の明かりが集中している所がある。そこに都市がある。いくつかの都市を越えて夕闇が迫る。地平線に夕日が輝く。すっかり夜になり、大地に灯りが見えなくなり、そこは人のあまり住まないところなんだと感じ取る。
機体は降下して19:06着ジャムスにつく。そこはラオスのサバナケットに似た空港。広い滑走路に小さなターミナル。当然タラップを降りて歩いてターミナルに向かうスタイルだ。飛行機の扉が開くと牧草のにおいがする。照明も少なく薄明かりの届くターミナルビルに入る。ロシア。そんな言葉が頭に浮かぶ。何故か装飾にロシアの香りがするのだ。荷物を受け取りロビーへでるのもあっという間だ。
ゲート出ると任さんが待っていてくれた。今回の仕掛け人の一人だ。
日本黒竜江省友好協会、外務省人民政府などおよそ考えられるVIPが出迎えにいらしてくれた。遅い時間なのにありがたい。政府専用バスが用意されていてびっくり。バスに乗り込み市内までは20分とかからないという。途中市内までは暗い道をひたすら走る。「ジャムスは夕食を17時くらいにとるので夜が早いんですよ」と教えてもらう。ようやく明るくなると繁華街らしきところが見えてきた。町並みは整然としていて、以前長春や瀋陽で見た街並みに近い。わかりやすく言うならばロシア風ということなんだろう。とはいっても教会があるわけではないが、なんとなくそう感じさせられる。
バスが停車し、ここで食事をとるといわれる。初めてのジャムス料理となるので楽しみだった。今回ご支援いただく皆さんとの食事。特に辛いとか変わったものとかはなく、まんべんなくおいしい。ただ、餡いりのピロシキ風のパンがあったり、小豆スープのおかゆがあったりして、甘いものが多いことに気づく。まだまだ、みなさんのなまえは覚えきれないが任さんと張さんがいろいろ紹介してくれるのでコミュニケーションもとれ良い会となった。それにしても自分の中国語能力が落ちていることを実感。言葉がなかなか出てこない。まずい、なんとかしなければと思った時にはもう遅いのだが、最近中国語をさぼっているので仕方ない。なんとかこの数日で中国語を思い出したい。
その後バスで5分ほどでホテルにつく。大きなモールの隣のホテルできれいでよかった。荷物をチェックインしてすぐに会場に向かう。会場となるのは文化宮。市内でももっとも先端の劇場という。実際にひときわきらびやかな外装は期待感をあおる。ステージは全面液晶だけでなく、ステージサイドまで液晶でおおわれたステージ。日本ではありえないくらいの派手なステージだ。すでに芸人が芸をやっていた。ここは市民の娯楽の場であるらしい。椅子に座ろうとしたら、こっちにこいと裏に呼ばれて責任者や司会者いろいろな方とあいさつ。覚えられない。。すぐにミーティングとなるが案の定こちらから送った資料やデータはあまり反映されていない。しかしそれも想定内。一応送ったものは全て持ってきているし一つ一つ説明した方が早いので説明とやり方を説明する。それにしても会話はなかなか噛み合わない。北京や上海と明らかに違う感覚。でもそれが広大な中国の良さでもある。話は機材面で課題にぶち当たる。
バンドはアンプで音を出すのではなくラインで出せ、とかドラムからSEを出すミキサー自体を理解してくれない。ものを見せるのが一番ということでミキサーを取りに行ってもらい実際にものを見せる。これは一瞬で解消。ものを見るってことはとても重要なのだ。それにしてもアンプで音をだすと2か所からおとがでることになり、まとまりがでないと拒否られる。でも、それを補うのがPAでしょといいたいというか言う。ここで言いなりになって笑顔で過ごしては絶対だめだ。北意味がなくなる。現地が今まで経験していないことであれば、今日こうして僕らが出会うことでお互いに進化していく。そうでなければ意味がない。営業できたわけじゃないので、こちらも意見を引かない。「アンプがなければだめ、それがなければ音は出せない。ラインもだめ。アンプの増幅があるからいいんだ。ロックとはそういうものだ」と譲らず。
ただ、ここで「ロック?」と機微を傾げられる。ふと看板を見ると「日本ジャズバンドGYPSYQUEEN」と書いてある。なんで?バンドイコールジャズなんだろうか?とりあえずJAZZでないので、ロックに差し替えてくれという。ここはすんなり了解がとれた「ロックのほうがお客さんが集まる。それは良い話だ」と妙に納得。なら最初からとは思うが気にしない。そしてアンプの利用についても了解をとり、今はないが明日の朝には届くと回答をもらい一件落着となる。言ってみるもんだ。言わなければ意味がない。日本人的な妥協は羽田においてきた。僕らはいま中国で中国人の前で演奏をするために来ている。考え方を中国式にして自分の主張をもっとしていくのだ。
昔とは違い今の中国にはたくさんのお金がある。その分素晴らしい設備がたくさんあるし、それを使いこなす経験が足りないだけで、そこがクリアすれば飛躍的に発展する。何もないところからいきなり最新の技術がはいる。もしこの国がそれを強みとするならばそれらの人々に教育が必要だ。世界に匹敵するエンターテイメント中国にはその力がある。我々が出来る事はそういったことをアドバイスすることじゃないのか。日本がすべてのお金を援助していた時代はもう昔のこと。この東北の街ジャムスを見ただけでもわかる。今の中国の力、これから伸びる可能性があると言うこと。
ということで我々も1歩も引かずこの国のエンターテイメントの未来の為にも言いたいことを言う。中国に来て中国人のスタッフと一緒に日本式のやり方をやる。それが僕らのやり方。
気づくと2時間超えていたがさすがにスタッフも疲れているのに文句ひとつ言わずに話しているので帰ろうとは言えない。それでもあまり引っ張ってはいけないので終わりとする。明日はきっとよくなるだろう。そういって別れる。そのままホテルに戻る。寒い寒いと言われていたがそうでもないよね。ダウンはまだ必要ない。そしてこの大都市。なぜ日本で情報がないか不明だ。もっと情報があってもよいのにと思う。まぁなければ僕らが出せばいいんだけれどね。23時ホテルに戻る。今日は朝から長かった。