Mekong Tour 4
- Post by: AKI
- On: 2月 19/09
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2009/2/9
4:30起床。
昨日の夜のビアラオが効いている。
オーナーが「どんどん勝手に飲んでくれ」と冷蔵庫をオープンにするもので調子にのってほとんどのみ尽くしてしまった気がする。
若干の二日酔いの中準備をして6:00ちょっと前に出発、まだ朝焼け前の道を行く。
Wat Phuに到着すると昨年よりも人出が少ない気がした。
これも不況のせい?
僕らは参道の一番前に連れて行かれ托鉢の準備をした。
そんな中日の出を迎える。
朝日の美しさはどこでも一緒だが、この遺跡を赤く染める朝日は格別なものだ。
肌寒さも陽が上るとすぐに暖かかくなってくる。
暑くなるまでにそんなに時間はかからなかった。
パクセーの知事らしき人達も並んでテレビカメラも出てきた。
この国にとってこの神聖な儀式は全ての国民の信心深い心からきている。
なぜか、昨日あんなにほこりだらけだったのに妙にすがすがしいのはそんな気持ちの表れだろうか?
目の前の遺跡には柵がしてあった。
フランスの遺跡保護のチームが現在、建造物の建築手順を解析しているとの事。
向かって左側の廊はそんなこともありとてもきれいになっていた。
反面右側の廊はもう、ビニールのゴミやら、托鉢の線香やらでぐちゃぐちゃになっている。
保全をするにはきれいにすることがまず第一。
そして、キレイな建造物を見るとやはり高貴な感じが伝わってくる。
左右の対比でもあるせいかよくそれがわかる。
なんとか出来ないものか。
ぼくらに何ができるのか、とおもうと無力感を感じる。
托鉢を終え懐かしいレストランへ。
ここは去年毎日通った店だ。ここでバーシーをやるということだ。
出発時間も迫っているがこの儀式を終えないと,という気持ちもある。
あせるのは僕らだけでみんなはいたってホンワカモード。
朝日にメコンが鏡のように反射して眩しい。
バーシーが始まったのは8:20過ぎであった。
大勢の人たちの祈りの言葉で僕の左右の腕にたくさんのバーシーが巻かれる。
これって取れないんだよね。
目の前の人がはじめてあった僕の為に祈りを捧げてくれる。
一本一本にその人の思いが残る。
そんな神聖な儀式だ。
Shinonは例によって泣いている。
今年もだ。
そして、朝食、去年出会ったここの娘は成長してちょっと大きくなっていた。
ここで事件。
モンティアンと話していた時にこの店にカラオケ用のアンプスピーカーがあった。
「なんだよ、ここにあるじゃん。これでもなんとかなったのに」。まあ、そんな完璧でもないのだが、これでもないよりもマシだ、という意味で彼に言った。
「これでよかったのか?これアンプなのか」。そう、結局彼はアンプリファイアというものが何かわかっていなかったのだ。
ギターアンプもベースアンプも何もかも知らないもの。
だから、手配したといっても更にその先の業者の言うことをそのまま言っているだけで、なのでただでかいモニタースピーカーだったり、あるといったのが見たら無かったということになっていたのだと思う。
少なくても昨日の「アンプを2台用意した」というのは嘘ではなくて正確に言うと「大きなモニターを2台用意した」ということであった。
確かにケーブルの繋がっていない意味のないモニターが新しく2台ぼこんと置いてあった。
そうか。。
うむ、これは今後の課題だな。
資料にはパワーポイントでちゃんとわかりやすいように絵にしてセッティング図を書いて送っていた。
でもそれだけではだめだ。
次からはアンプの写真やドラムセットの写真を一緒に組み込んで送らないといけない。
今となってはいい教訓だ。
しかし、それを覚えたせいかモンティアンは「サワンにもアンプがないといけないのでこのアンプを持っていこう」と言い出したのはほほえましかった。
大丈夫だよ。
サワンはちゃんと用意しているから、といっても「いや、持っていったほうが安全だ」という。
ここは丁重に断ったが、アンプが何かということが分かった彼は急激に積極的になってサワンの担当者に電話までしていたみたいだった。
ちょっとかわいい。
さあ、まじめに時間がない。
サワンには11時にはいることになっているのにもう9:30を回っている。
もう行こうと急かしてもチャンパサック側はなかなか動かない。
ようやく移動のバンがくるがこれがまたちょっと小さい。
荷物を積んで人も。。。
これは無理だ。
20分くらいならいいが車で5時間。
死んでしまう。
途方にくれているとスーパーマンがごとく岩月さんが登場。
「僕の車出そうかな?」おお、神様、岩月様、神の助けの声が聞こえた。
現地側にガソリン代金を出してもらうことで交渉締結。
さあ、行こう!サワンへ!
9:50出発。
結局みんな一緒に来てくれることになり(そのお陰で人間満載だが)まずはパクセーに向かう。
再び河を渡る。
コレが最後の渡しボート。
外にでてチリチリする日差しを浴びチャンパサックにお別れをする。
コーラ一本5000K。
一本買おうとすると4人くらいの物売りがわれ先にとコーラを差し出す。
凄いパワーだ。
11:30パクセーの庁舎に到着。
ここで文化局の局長と会う。
昨日のお詫びとコンサートの成功の賛辞を頂きお別れ。
となるはずだが食事をしようという。
食事はサワンで用意しているので丁重に断ると、では記念品を渡したいので5分時間をください。
という。まあ、5分ならと思って連れて行かれたのがメコンに浮かぶボートレストラン。
贈呈にレストラン?
でも、5分だよね。
レストランにつくと料理が出てきた。
贈呈に料理はいるのかな?
でも5分だよね。
すでに10分たっているけれど。
みんなが着席したらビヤラオが大量にでてきた。
あの?5分では。
まあ、いい、相手も最大の歓待をしてくれているのだから付き合おう。
さくっと食べてサクッと飲んで記念品にWat Phuの写真などを頂いてお別れだ。
大変なこともあるしいいかげんなこともある。
でも、この人たちは歓迎してくれているのだ。
それに応えるのも重要な事。
そうしていつも間に入って悩むことになるのだがとにかく終わりよければ全て良し、また来年も是非きて欲しい、来年は完璧に機材をそろえるから心配しないでくれ。
とかなり思いっきり手を握られて握手。
これでいいのだ。
一緒に成長していくことが重要なのだ。
12:47。
出発。
すでに予定ではサワンで食事を終えている時間。
でも、今まだパクセーにいる。
当然車は爆走だ。
市内を通過し、空港を横切り一本道に戻ってサワンを目指す。
岩月さんのランクルは超快適。
景色もよくビバ!ラオス!という感じ。
自然とBlueSkyのメロディが聞こえてくる感じだ。
14時ナポンにて休憩。
ここは焼き鳥(ピンカイ)の有名な村だ。
さすがに満腹なので辞めておくが一本15000Kという、次に通ったときは是非食べてみたいもんだ。
そして、再び爆走。何もない平原を越え15:22プータイ族の村で休憩をする。
岩月さんに聞くとあと50kmくらいだという。
もうちょっとだ。
更に内陸に入り景色は大きく変わる。
昨年この反対を走っているのでなんとなく記憶にもある風景だ。
空はどこまでもどこまでも青い、同じ時間今の日本はどんな空なんだろう?
15:37サバナケット入りする。
県境は200Kを支払う。
これは道路整備税なんだそうだ。
そして、ようやくあと35km、ビエンチャンへの道と分かれ左折しメコンに向かう。
メコンにたどり着けばそこがサワンだ。
市内に入ってくると様子が変わってきた。
子供とやぎがとても多い。
時計は4時を指している。
うむ、かなり遅れた。
サワン側の窓口ニンさんに連絡。
町並みはとてもオシャレでフランスの香り。
フランスにタイの文化を混ぜたような建物、景観だ。
そしてニンさんと合流。
そのまま県庁舎に向かう。
13時の予定だった県知事との会合を延ばしてもらっていたのだった。
県庁舎はとても大きく、もう凄く豪華。
広い敷地に僕らのバンは到着。
そのまま知事室に向かうとポムケ知事が出迎えてくれた。
ここで外国人がコンサートをやるのはまれなことであること、日本人のコンサートははじめてなので注目しているということ、シートン大使とはとても仲がいい事を告げられた。
とても気さくな知事で笑顔が大人物であることを分からせてくれる風格。
シートン大使と同じ雰囲気を持った方だった。
いろいろ活動の話をしているとテレビカメラで撮影されていた。
きっとどこかのニュースに流されるのだろう。
入手は不可能と思い聞くこともやめた。
その後、入り口でチャンパサックチームとお別れ。
なんにしてもここまで来てくれたり、本当に心からの歓迎をうけた。
機材についてはいろいろ強く言って申し訳ない気持ちだ。
結果としていいステージができた。
厳しい環境であったが、結果良ければ良いとしよう。
本当にありがとう。
そして岩月さんも本当にありがとう。
名残惜しくも時間のない僕らはそのままナンハイホテルにチェックイン。
すぐに出発。
市内を見せたいといわれたが最初に機材の確認をさせて欲しいとお願いして移動。
この担当のニンさん、とても優秀で僕らの考えていることがすべて理解できている優秀な青年であった。
会場はサッカー場。
隣は競技場になっている。
だだっ広いスペースにやぐらが組まれている。
これが僕らのステージになる。
最初にアンプ。
「いやーありましたよ」masaoのそんな声に歓声の上がる車。
ニンさんは何のことだろうと思うよね。
おもいっきりハードルの低いバンドとなったGYPSY QUEEN。
何事にもオーバーアクションで感謝だ。
ステージに上がり多少古いがちゃんとしたアンプとドラムを確認。
ドラムがぼろすぎたので指摘したら新品が届いた。
県がやるということはこれくらいの力があることなのか、と改めて感じる。
意外と時間がかかり19時に夕食。
「LaoLaoDer」というメコン沿いのとってもオシャレなレストラン。
目の前に第二メコン橋が見える。
料理もとても口に合いみんなのテンションも上がる。
今日はいいステージになるに違いない。
そんな高揚した雰囲気だった。
20:10ホテルに戻り準備をする。
20:40出発。
慌しいがすでに僕らのステージ時間を40分もオーバーしている。
21時。
会場につく。
お客さんはみんな待っていた。
民族舞踊を踊る人たち。
そして、僕らが到着すると演奏は終わりいよいよステージは始まる。
ステージに上がると大歓声が待っていた。
オープニングSEが大音量で流されると会場も盛り上がる。
Masaoもいつも以上に気合が入っている。
そうだ、今日は思い切りいけるぞ。
そんなオープニングだったが一曲目の導入部をmasaoがミス。(後日この映像をみんなで見ることになるがミスるまでのmasaoの顔とミスった直後のmasaoの顔があまりにも面白くてみんな大爆笑。)
これは痛恨のミスだがまあ演出上のことなのでなんとでもない。
勢いよくステージは進む。
最初遠慮がちだったサワンのお客さんもだんだん盛り上がってきた。
Dan Hang It sa Laは会場が大合唱。
ステージにいると歓声はそこそこ聞こえてくるものだが、このときはマイクをとおしたShinonの声よりも大きな、それほどの観客の声がステージで聞こえた。
うれしいね。
この曲を選んで間違いはなかった。
そうおもえた。
Youtube動画はこちら
www.youtube.com/watch?v=L-9KhPvAtCk
後半はROCK。
洋楽のカバーを取り入れてみた。
いろいろな音楽が世の中には存在していて、いろいろな楽しみ方がある。
きっとこの日本人の僕らがやった英語の曲をきいて「これなんていう曲?」なんて新しい発見をするかもしれない。
ステージから何かひとつでもお客さんが持ち帰るものがあればそれは意味のあったステージ、といえるだろう。
木星探査船Cassiniを歌った「Cassini」も久しぶりに披露。
この曲、日本語の歌詞は伝わらないけれど新しいことにチャレンジする勇気を表現している曲。
きっとメロディしか分からないと思うのだがそれでも勇ましい感じを持ってくれたのだろうか。
お客さんの体が動いているのが分かる。
途中、shinonの着替えの時間のメンバー紹介タイム。
ここで掛け合いをやるがニンさんの絶妙なMCフォローで盛り上がる。
ニンさんは不思議な人だ。
外交官なのにMCがうまい。
見事にお客さんを乗せている。
もしかして、その筋の人?なんて思ったりする。
曲は終盤になり「KobJai」でコンサート終了する。
22:30終了。
久しぶりにちゃんとフルステージをやった。
充実感たっぷりだ。
機材はあるかなど心配ばかりしていた。
ニンさんは最初から大丈夫といっていた。
でも、それを信じ切れなくていろいろなことを考えてここまで来たけれど全部気苦労の他なかった。
ありがとう、そして信じきれなくてごめん。
終了後、一瞬ホテルに戻り着替える。
僕は5分でシャワーをあびさっぱりモードで集合。
これから打ち上げだ。
カフェラオが飲みたいというShinonだったが、結局店はやっていなくバーで飲むことになる。
今回のスポンサーがビアサワンということで新しいビールが飲めるのかな?
と思ったが今日がビアサワンの発売開始日ということで飲むことができなかった。
「えーっ」というみんなの感嘆の声。
次は絶対に飲みたいね。
また来なくちゃ。
みんなが暗黙にうなずく。
それにしてもこの店の選択から移動手段まで完璧に準備をしてくれたニンさん。
本当に感謝だ。
特に女子には大人気。
優しい男はもてるのだ。
24:30。
ホテルにもどり解散。
明日もものすごく早い。
充実感たっぷりだ。
ようやく歯車がかみ合いだした。
この勢いでツアーのりきろう。
明日でちょうど折り返し。
今日は早く寝よう。
2:00就寝。